島流れ者 - 悪意なき本音

島流れ者 - 悪意なき本音

とあるオレゴンのすし屋の大将 



爺ちゃんはモービルハウスに住んでいて、庭に小さなキャンピングカートがあってゲストはそこで寝泊りするようになっていた。海岸からすぐ近くなのと、よく雨の降るオレゴンの気候の為そのカートの中はカビの匂いがひどく、初日は眠れないほどキョーレツであったが、帰る頃には結構鼻が麻痺していた。滞在中はじいちゃんと一緒に小さなボートに乗って毎朝、蟹取りをしたり、ハイキングをしたりと結構楽しいバケーションを過ごしていた。

滞在中の半ば、“何、生の魚だと?ステーキは何処だ?”と冗談を言って私達の寿司屋行きの誘いを断った爺ちゃんを後に、ジャックが私との結婚を決める直前に訪れた近所の寿司屋にいった。扉を開けると全席30くらいの小さなそのすし屋には、2組ほどの客がカウンターでアメリカ式に開発されたいろんな巻き寿司を熱燗と一緒に楽しんでいる。ジャックが言っていた通りの、無口で典型的な職人堅気の大将がオーダーを出すアメリカ人のウェートレスにかなり訛りのきつい英語で文句を言う以外は一言も言葉を発さず黙々と寿司を握っていた。

暫くして、ちょっと客が途絶えたところでジャックが、“二年ほど前にこの店に来て、当時ガールフレンドだったこのジャパニーズガールと結婚しようかと迷っていていたことを大将に話したんですよ。そしたら日本人と結婚したら間違いなく幸せになるよと言ってくれたんで、結婚を決意したんです。”と言うと,“ああ、覚えているよ”無愛想であった大将の表情が和らぎ会話が始まった。店の入り口にこの店を紹介してる雑誌の切抜きや、日本の調理師免許が額にあったので日本で修業した板前さんなのか聞いたところ、実は脱サラでこのアメリカに来たんだという。

当時、三十代前半の大の阪神ファンの大阪住在の彼は、これからどんどん企業内で頭角を現そうとする出世株であった。しかしその裏腹、社内で大役を一気に引き受け、相当のストレスが溜まっていて、はけ口として、多いときは毎日と言うほど阪神の試合を球場に見に行っていた。いつも座るベンチには、同じように阪神狂いの人々がいて、その中に歯医者がいたり、弁護士がいたり、学校の先生がいたりとありとあらゆる職種に付く人々が居たそうだ。そういった人々は、シーズンになると必ず決まった場所にいるようで、次第に顔見知りになり、彼はその中の幾人かと試合が終わってから一杯飲みにいくようになっていた。

あるとき大将は、阪神狂の飲み仲間の一人に大阪で屈指の料理学校を経営する年配の男性に、いつかは崩壊する日本のバブル経済に見切りを付けて、アメリカで暮らしたいと思っていることを打ち明けた。するとその料理の師匠は、“アメリカは自分のことは自分で世話しなくちゃいけない国だから、何か手に職とつけなくてはいけない”と言って、なんと無料で包丁すら握ったことのない彼に料理特訓ほ施すことを約束したのだった。

その日から週に3~4回会社が終わった後や週末に師匠が自分の経営する学校の施設や自身の自宅で日本料理の基本から、普段生徒には教えることはない彼の秘伝の技など手取り足とり教えたのであった。その甲斐あって一年後には平凡なサラリーマンであった大将は、アメリカに言って言葉が分らなくても取り敢えず喰いっぱぐれのない様に手に職をつけることが出来た。が、問題は初めての子供を生んだばかりの新妻を如何に説得するか。

ある夜、恐る恐る彼の野望を打ち明けると、寝耳に水の旦那のとんでもない話に新妻は耳を貸すこともなく、それっきり三ヶ月間無言の夫婦生活が続いた。しかし、大将の夢を現実に変えるための努力と固い決意が頑固な彼女の心を動かして、ようやく、オレゴン住在の親戚の助けを借りて、一家揃って渡米を成し遂げたのであった。日本で貯めた貯金をはたいて寿司屋を開いて身を粉にして働き、たったの2年余で日本食などあまり知らなかった地元のアメリカ人のお気に入りの寿司バーにさせることに成功した。

その後二つの支店をを増す一方、子供も更に2人もうけて、今では、大学生の子供たちのを養うためにリタイヤを先延ばしにしていると言う。再び忙しくなり始めた店でたった一人で寿司を握る彼はまた無口な頑固親父に戻ってせっせと寿司を握り始めた。

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