島流れ者 - 悪意なき本音

島流れ者 - 悪意なき本音

本物にこだわる頑固一徹オヤジ



まずすぐに目に付いたのが、50代中ばの如何にも日本修行したであろうという出で立ちの寿司職人が8席ほどの小さなカウンターの前で寿司を握っていた。ウェートレスはたぶん寿司職人の奥さんであろうと思われる中年の女性、そして学生らしき若い男女の三人で金曜の夜7時にしては空いている店内を切り盛りしていた。

カウンターに座るとすぐ目の前には注意書きがある。

1.カウンターは寿司とアピタイザーのみしか出しません。それ以外のものを注文したい方はテーブルをご利用ください。

2.うちが出す巻き寿司は日本の伝統的な巻き寿司のみで、カッパ、鉄火巻きのみ。

3.わさびは伝統にのっとって、横に添えるのではなく、中に入っています。よってわさびが嫌いな人は、前もってわさび抜きと言ってください。

上記の注意書きは日本人にしては当たり前のことだが、このアメリカの寿司屋は、カウンターで座っても、てんぷらだけ食べている奴も居れば、巻き寿司だってまるで日本のスーパーに売っている安い邪道寿司のようなものが山ほどある。そして、わさびと言えば本物ではなく、大根の混ぜ物があってマイルドになっているパウダー上のものを水で溶いて使っている店が多い。本物と違ってきつくないので横に添えてあるわさびを醤油に入れるんではなくその逆で、わさびをどっさり小皿に乗っけて、醤油で溶いてペースト状になったものに寿司をぶち込んで食べると言う恐ろしい食べ方をする客が多い。そんなわけで、この店の頑固なやり方に何も食べる前からワクワクと期待が高まってゆく。

まずはいつものようにビールと味噌汁を注文する。出てきた味噌汁はシンプルに豆腐とその上には三つ葉がはらりと浮かんでいた。飲んだ瞬間にほかの店で出しているものと違うとすぐに分かる。出しの利いたとても品のある味の味噌汁だ。多くの寿司屋はメニューの他に各種の握り寿司、巻き寿司が載ったリストをお客に渡し、それにお客自身が数量と書き込んで注文すると言うシステムをとっている。いつもこのリストは私達は無視してまずすることは、その日のお勧め、つまり新鮮でいいものを寿司職人に聞くのがお決まりになっている。その日もそれでスタートしたら、たった一人で握っているその職人で、店の大将である彼がさらっと今日のネタについて説明した後にお勧めで良いかと聞いてくる。日頃は無職で貧乏なのでケチケチしている私もせっかくのお祝いだと思って、太っ腹でOKする。

初めに出てきたのは、なんと言う魚だったか覚えてないが、赤身魚で、仕込がしてあり、程好く酢の味が利いていた。う~~ん、旨い!まずはこれで一発目のジャブを食らってくらくらしているところにお次はトロ。口の中でバターのようにとろけるとろける。そして摩ったゆずが軽く降りかかったキスや、聞いたことの無い種類の魚の寿司が同時にダブルパンチ!あまりの旨さに目をクルクルさせながら堪能している私達に大将はどんどん調子に乗って次から次へと旨いもの攻撃を仕掛けてくる。今度はアナゴ、たこ、ホタテのトリプルキック!!!もうここまで来ると、まるでシャブ漬けになった麻薬中毒患者のごとく、ふらふらになって身も心もぐにゃぐにゃ状態。どうにでもしてくれ~という気になってきた。

いつもはあまりビールを飲まないワイン派の私だが、この時ばかりは寿司の旨さに加えて大将との会話にのめり込んでぐいぐいグラスを空にしていく。その横では、日本語を解さないジャックがもっぱらお酌係に徹している。ああ、極楽極楽。

この店のある街は、軍の基地がある農業の盛んな町で、南アメリカからの移民が不法滞在でとりあえずありつける農作物の収穫の仕事に従事する人々が多く住んでいる。所によってはギャング活動が盛んな事もあって、あまり治安が良くない。

ジャックと私は彼の握る寿司の旨さをしみじみと味わいながら、なぜこんな片田舎で、カリフォルニアロールしか食べたことが無いような人々を相手にアメリカ人に人気のあるマヨネーズや、アボカド、クリームチーズの入ったアメリカ式の巻き寿司などは一切出さず、本格的な寿司で勝負しているのが不思議でならないので聞いてみると、日本で店を任されるほどの腕のいい職人であった彼は、アメリカに来てからは、ロスアンジェルスにある一流の寿司屋に働いていたそうだ。特にこの自分の店を持つ前に居た所では毎日のようにハリウッドスターを相手に寿司を握っていたと言う。が、やっぱりどこに行ってもアメリカ人に人気のある巻物や、彼らの好みに合わせたものとなると伝統的な寿司とは程遠いものになってしまうのが何年たっても納得いかず、ついにチャンスあってこの店の権利を買って家族一同引っ越してきたと言う。

彼曰く、この店が売りに出ていたときに視察に来るまでこの町にまったく訪れたことが無く、知り合いが居たわけでもなかったので、土地のことに関しては殆ど情報不足だったが、念願の自分の店を出すチャンスを見逃せずに思い切って始めたと言う。もちろんその後の苦労はいろいろあって、なんと言っても来る客の中には、本物の寿司を知らないので、寿司と言えばアメリカ式の巻き寿司、カリフォルニアロールしか思い浮ばないので、本格的な寿司を出す大将に向かって‘あんた日本人か?’って聞いてくるとんでもない奴も居るそうだ。

ビバリーヒルズで働いていた頃にはカウンターで食べるお客が落としていくのは平均で$120~$130だったと言う。これは通常の寿司で食べたら3~4人分に相当する。が、そんな店で慣れきっていた彼は、“この町の人々がそのレベルにたどり着くには一生掛かっても程遠いかもしれない。あまり知らない客も多いので、暇だけど、広告を見てくるようなお客は要らないから出してないんだよ。殆ど口コミでまだ広まってないから、あんまり儲かんない。”とぼやいていた。

私がこのあたりはどの寿司屋も日本人のオーナーでなくて、コリアンが圧倒的に多いけど、理由は儲かるからかと言う問いに、“彼らのように本物を知らなかったら、アメリカ人の好む邪道な寿司をどんどんさばいて今頃は海辺のいいうちに住んで、車庫にはベンツが2~3台止まっているような生活をしていただろうけど、やっぱり俺にはできねえんだな~...”まったくそのとおり。でも職人気質の対象にはどれだけ苦労しても、この日本の伝統を守り抜いてがんばってほしい。

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