全3件 (3件中 1-3件目)
1
映画版「風の谷のナウシカ」のラストはまことに感動的であった。核兵器を彷彿とさせる巨神兵はぶさまに朽ち果て、ナウシカ姫の愛とやさしさが風の谷の人々を見事に救った。最後に愛は勝つみたいなファンタジーと言ってしまえば終わりだが、見事な締めくくりだったと思う。映画館で、小学校の体育館で、そしてテレビの前で、多くの日本人が涙した。 巨神兵=核兵器は悪だ、トルメキア帝国=戦争は悪だ、たとえ醜い虫たちでも同じ生き物なんだ、自然と共生しよう!自然を守ろう! 映画がもたらした、これらのメッセージは、やっぱりファンタジーだったのかもしれない。冷戦が終わり、核戦争の恐怖は次第に人々の間から忘れ去られていったが、緊張の糸が切れた後に待っていたのは、バブル崩壊に象徴される日本社会の停滞であり、ユーゴ内戦に象徴される、グダグダした戦争があちこちで続く、不安定な時代の到来だった。理想を語り、大きな物語を語る以前に、目の前の現実はあまりにもリアル過ぎた。 風の谷のナウシカは、あの映画版公開から10年後の1994年に至るまで、漫画版として書き続けられた。拙者は、漫画版がそれからも描き続けられていたことも、しばらく知らないでいた。ところが何かのきっかけで漫画版のストーリーを知るに及んで、愕然としたことが多々ある。 例えば巨神兵。映画版では、世界を破壊するだけの吐き気を催すような生物兵器であったが、漫画版では、巨神兵の真の役目は「裁定者」。人類社会の荒廃を正すためには一度すべてを無に帰すべく、世界破壊が選択された、それが火の七日間だったという。なんか宗教じみた話である。しかも、ナウシカ自身が巨神兵を動かし戦う場面すら存在するとは2度驚いた・・・。 腐海も、旧世界の人類が作った人工的浄化装置で、そもそもナウシカを始め火の7日間後に生まれた人類も実は人工生命体であり、1000年前の人達は、世界が浄化されるまで眠りについているんだと。えらい飛躍した話になったな。 1984年当時なら、まずこんな飛躍した話についていける人はいないだろう。いや、拙者は30年経ってもちょっとついていけない。腐海だの蟲だの、これまであり得なかった生命体が僅か千年のうちに地球を埋め尽くす不自然さは感じたが、映画版では腐海の生い立ちも漠然としていて、それがかえって気色悪くて味わい深かった。人間が作ったもの・・・と言われると、「そこまで頭良かったら、もっとましなもん作るはずではないか」という感想しか湧いてこない。 ナウシカを始め、地球上の人類も人工生命体だったとなると、ご愁傷様というか、さらに感情移入が違ったものになる。なんかもう、オンラインゲームとかの○○伝説だの○○戦記だの、ごく一部のコアなファンだけがのめり込むようなストーリーに思えた。映画版が三鷹ジブリの森的とすれば、漫画版はどちらかというと秋葉原的という匂いがする。 アマゾンのレビューでこんなことを書く人がいた。アニメ版を漫画版の一部なんだ、アニメは漫画版の子供向けバージョンで2時間におさめるため内容がないとかアニメ版しか知らない人はナウシカを知らないとか言ってほしくないな漫画版は連載中の作者の思想の変遷や、ナウシカというフィクションの少女を好きになってしまったオタクに向けた反感が作品の方向性を変えたように思われるのです。ロックバンドが自身の名声を高めたいがゆえ従来のファンが愛する路線を捨て批評家受けを狙った作品のようでもありますコンサートで初期の曲を期待してるファンをミーハーとか質の低い連中と蔑視するのですそしてその複雑になった内容を理解できる俺は頭がイイと主張したい人たちがアニメ版を好きな人を下に見る作品に思われるのです くーっ、味わい深い!
2014.01.26
1984年に公開された宮崎駿監督の長編アニメーション映画「風の谷のナウシカ」・・・月日の経過とは早いもので、もう30年前の映画になってしまった。当時16歳だったナウシカ姫も今や46歳のオバちゃんだ。 拙者がナウシカさんに初めて会ったのは、まだ小学生の頃。学校で毎年1回行われる映画教室で、この映画が上映された。やっぱりパンツ履いてないよね?などと言ってるのは、ガキ真っ盛りの男子ぐらいで、同級生の女の子達はみんなナウシカ姫のりりしい姿にメロメロになっちゃっていた。 さて、いい大人になってから、しばしば金曜ロードショーでこの映画を見ることもあったが、見れば見る程この映画はよく出来ているよなぁと感心するようになった。ストーリーはこうだ。 産業文明を崩壊させた最終戦争「火の七日間」から千年後の世界。猛毒の瘴気を放つ「腐海(ふかい)」と呼ばれる巨大菌類の樹海が拡がり、戦争から僅かに生き残った人類は、中世に逆戻りしたような文明社会に細々と生きていた。 辺境の小国「風の谷」は、せいぜい人口500人足らずの小さな農村。族長の娘ナウシカは、メーベというグライダーを操る風使いであり、剣術も修めた勇女であるが、人々が忌み嫌う腐海の生き物と心を通わせる心優しい少女でもあった。 平和だった小国に、戦争の嵐が吹き荒れる。工業都市ペジテの鉱山で、旧世界の怪物といわれる生物兵器=巨神兵が発掘された。遥か西方の凶暴な軍事大国トルメキアは、ただちにペジテに侵攻し、巨神兵を略奪してしまう。トルメキアは巨神兵を空輸しようとするが、大型船は風の谷へ墜落、燃えずに残った巨大な卵の塊に、谷の人々は息を呑む・・・。 やがて、トルメキア航空艦隊は風の谷へ殺到し、村民は捕虜となってしまう。巨神兵の復活事業に協力することを条件に助命はかなったものの、ナウシカは人質としてトルメキア占領下のペジテへ移送されることになってしまった。さて、ペジテに向かったトルメキア艦隊は、復讐に燃えるペジテの王子アスベルが操縦する戦闘機に奇襲攻撃され、ほぼ全滅。からくも脱出したナウシカはアスベルと腐海の底で出会う。そこで二人は、腐海の植物が大地の毒を浄化していることを知り、人類の腐海に対する考えが誤りだったことを悟る。 二人の若者の前には、さらに過酷な戦争の現実が待っていた。ペジテの残党達は、ペジテ駐留トルメキア軍を全滅させるために、腐海の主である巨大生物「王蟲(オーム)」を暴走させて兵器代わりにしていたのだ。さらに巨神兵を奪還すべく、王蟲の群れを風の谷に差し向けるべく計画中であった。ナウシカはこれを知るに及んで直ちに谷へ急行しようとするも、ペジテの人々に監禁されてしまう。だが、アスベルをはじめ、虫に襲わせることを善しとしない人々の善意で、ナウシカは脱出する。ちょうどその頃、風の谷の人々はトルメキア軍に対する武装蜂起に立ち上がるも戦車部隊に圧倒され、酸の海近くの巨大な残骸(昔は星まで行ってたらしい)の中に追いやられていた。 風の谷に戻ったナウシカは、暴走の囮としてペジテ人が捕獲した王蟲の幼生を解放するが、怒りに我を忘れた王蟲の大群は谷へと押し寄せる。トルメキア軍司令官クシャナの命により巨神兵が目覚めさせられ、強力なビーム攻撃で群れの一部を消滅させたものの、実戦投入が早すぎたため巨神兵の身体は崩壊する。 ナウシカは幼生体とともに王蟲の大群の前に立ち、身を挺して谷を守ろうとするが、跳ね飛ばされる。すると、王蟲の眼から怒りの色が消え、群れは動きを止める。王蟲の触手がナウシカを介抱すると、彼女の命が蘇る奇跡が起こる。王蟲の血の色に染まった青い服を着て、王蟲の金色の触手の上で踊るナウシカの姿は、古より伝わる「青き衣の者」の救世主伝説を再現するかのようであった。(一部ウィキより抜粋) いや、実によく出来た映画だと思った。この映画が作られたのは1984年、未だ東西冷戦の真っただ中で、世界は米ソ2大大国に運命を委ねられていた。1999年、ノストラダムスの予言により世界は滅亡するなどと言われたが、全面核戦争がいつ起きてもおかしくない状況だったのだ。巨神兵=核兵器であり、火の七日間とは、正に全面核戦争そのものと言えた。核戦争後、地球はこんなぶざまな姿になってしまう、何とかしなければ!ということを、当時の人々は大真面目に考えたのだ。 核戦争によって、人類が作り出した有害物質が世界中に拡散してしまうという設定も、かなり真実味があった。まだ「公害」という言葉があり、主に第2次産業が強かった当時の日本で、今とは若干違った「自然保護」を訴えていた時代だが、その限りにおいて、この映画の教育的効果はすさまじいものであったと思う。 世界最終戦争、破滅的環境破壊、それでも抗い続けて生きる人間たち・・・人類の存亡にかかわる問題を突きつけたこの映画は、正に「大きな物語」であった。スケールがハンパなくデカいのである。 しかしだなぁ、この映画はやはり「東西冷戦」に感情移入できる年代でなければ、映画そのものに感情移入もできないと思えるようになった。この後続く、宮崎駿作品が次第に私小説的な「小さな物語」に転落していく様をずっと見て来たからである。それは彼自身の変化ではなく、世の中の変化や我々の変化と連動しているのは明らかであるが・・・。次に、10年続けて書かれた「マンガ版」のことについて、ちょっと一言感想を書いていきたいと思う。
2014.01.19
さて、いよいよ「教材4」を開いてみた。もう完璧にレセプト作成そのものの練習だ。まず初めに、健康保険証の番号記入だとか、本人家族の記入だとか、本題に入る前の事務的な記入方法を学ぶ。その後は延々とレセプト作成の練習だ。教材に歯科レセプト用紙が添付されている。一般用と50/100用の2種類があって、満6歳未満は乳幼児の加算があるので50/100用のレセプト用紙を使うことになる。 このレセプト作成問題は苦行そのものと言える。まず書くことに慣れなければいけない。最初の保険者番号の転記とか、そういうレベルから慣れていかねばならない。 やってみると・・・まず歯科診療録が問題として提示されていて、診療録右側の 「点数」「負担金徴収額」 は空欄になっている。ここを埋めていく作業から始める。実際は、鉛筆書きで進めていった。それが終わるといよいよレセプトへの転記。再診料など、何日分も算定されているものは数を勘定し、レセプトに回数などを入れていく。教材に添付されている点数早見表だけでなく、教材も開きながらの作業だ。早くも、「摘要欄」 に記入が必要なケースがあった。「教材4」 には、摘要欄へ記載せねばならない事例をリスト化しているので、それに目を通しておく。 一通り記載が終われば、横の合計を出す。そして縦も集計し、合計点数を出す。診療録右側に鉛筆書きしておいた点数合計と突合して初めて完成となるのだが、点数すぐに合わないんだな(笑)。 もちろん、初めは単純な問題からだ。う蝕でインレーはめて終わり、なんてケース。このくらいなら何とかなった。1歯2窩洞で摘要欄に記入が必要なケースとか、この辺も何とか。5問目あたりから中身が複雑化してきた。試験問題を想定しているので、月初め頃に初診があって、月末に終了!という筋書きになっている。PerもPulもあってBr破損→MTもあって・・・なんてことをびっしり1ヶ月で治療してしまうのである。初旬から月末までズラズラズラーっと書き込まれている診療録を見ただけで早くもげんなり。実際は先生の芸術的な筆記であるはずで、教材は全て印刷されていて読みやすいだけ救いだが・・・。 再装着の際の軟化象牙質除去はう蝕処置の点数を算定する・・・こんなややこしい話は教材を見ながらでないと判断できない。とにかく一つ一つ教材と点数早見表を見ながら算定していくしかない。抜髄即充の記入が合ってた!Br切断の摘要欄記載がどうも違ってた!と一喜一憂しながら、それでも答え合わせをした時に合計点数が合ってた時の喜びは大きい。 もう机やその辺の床に教材の全てと点数表やらメモやら並べているので、散らかり具合はすさまじい。会場試験なんて絶対できないな・・・。
2014.01.04
全3件 (3件中 1-3件目)
1