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michiyo@ Re:復活したぜ(08/17) Jemさん♪ Phantom繋がりの大阪のmichiyoで…
Adandonian@ 大好きな曲です。 大好きな曲です。なんだか人を殺してしま…
lunajoon @ ご無事で何よりです。 心よりお見舞い申し上げます。 どうか…
マコ8896 @ Re:断水下における食器の「洗い」方(03/18) ご無事で何よりです。 早く春が来ると良…
michiyo@ よかった♪ とにかくご無事でよかったです♪ それだけ…
2008.11.17
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 その後のクィーンは,まさしくスーパーグループとして活動を続けるが,その起爆剤となった「ボヘミアン・ラプソディ」を作詞作曲したフレディは,1986年からコンサート活動を停止し,1991年11月24日,HIV感染によって併発したカリニ肺炎で永眠する。マスコミに対し,HIV感染を告白したその翌日だった。

 死ぬ四年前,インタビュー嫌いのフレディが,珍しくインタビューに答えている。

---お金はあるのに孤独に生涯を終えることになるのではないかと,心配になったことはありますか‥‥‥七十歳になるころには,孤独で金持ちの老人になっているのではないかと。
「それはないよ。前にも言ったけど,そんなふうになるずっと前に死んでいるだろうから」
---そう思うのはなぜなんですか?
「だって七十歳なんて退屈だもの。じゃあこしよう,その質問には,僕が七十になって,君がまだ生きていたら答えることにしようじゃないか(笑)」
                    (『Rockin' on』2005年三月号)

 フレディ死去のニュースは,さすがに僕もリアルタイムに知った。不治の病であるエイズの恐怖が,リアルに語られていたときだけに,世界中が衝撃を受けた。1981年に初めて発症者が発見され,1983年にはエイズウィルス(HIV)も発見された。この二年後には,ペレストロイカを標榜するゴルバチョフが,旧ソ連の書記長に就任し,東西冷戦の終焉の時代が始まる。そう考えればこの時期のエイズウィルスは,冷戦が終了する過程で世界に忽然と現れた,人類共通の敵だった。やがてエイズに対する恐怖が緩和された頃,湾岸戦争が起こり,9・11が起きて,西側世界の共通の敵はイスラム原理主義者となる。

 エイズの恐怖は,今も昔も変わらない。治療法は何も確立されていない。でも今ではもう,めったにメディアでも取り上げない。つくづく思うが,人類の馴致能力は,良くも悪くも凄まじい。


 1946年9月5日,ファルーク・バルサラ(フレディの本名)は,当時イギリス領だったアフリカ・ザンジバル(現在のタンザニア)で,ペルシャスター教徒である両親のもとに生まれた。その後,父の仕事の関係でインドに移り,ボンベイ近郊の寄宿制のハイスクールで育つ。十六歳で再びザンジバルに戻るが,独立戦争が始まったので,やむなくイギリスに移住する。このとき彼は十八歳。ロンドンに居住して,イーリング・アート・カレッジに進学し,グラフィック・デザインを学びながら,音楽活動を始めている。

クィーンの前身であるスマイルのオリジナル・メンバーで,当時同じカレッジに通っていたティム・スタッフェルによれば,とにかく寡黙で,大人しい学生だったという。アフリカ生まれのインド育ち。さらに両親はペルシャ系。生まれ故郷のアフリカでは,もちろんマイノリティだ。少年時代を送ったボンベイでも,ペルシャ系で色が白いフレディは異邦人だった。移民が多いロンドンでも,マイノリティであることは変わらない。




僕に石をぶつけて,目につばを吐きかけた
 愛しているふりをして,野垂れ死にさせるつもりだね





 この時期,フレディは女の子と交際していた。でも彼が命名したQUEENには,スラングで「オカマ」の意味もある。あるいはすでにこの頃,フレディは自らの生理の疼きに気づいていたのかもしれない。ならばマイノリティとしての彼のアイデンティティは,もっと深刻なものだった可能性はある。





でもママ,ああ,僕は死にたくない
 僕なんて 生まれてこなければ良かったんだ









 1975年。僕はエアポケットの時期だった。だから知らなかった。フレディ・マーキュリーが,ゲイで移民の子で,さらにはゾロアスター教徒だったことを。

 紀元前のイラン北東部で活動した予言者ゾロアスターを祖とするゾロアスター教は,善の創造神アフラ・マズダーと破壊神アンラ・マンユを想定する,二元論的で倫理的な色彩の強い宗教だ。火を神聖視したため,「拝火教」とも呼ばれている。



 がてイスラム帝国の勃興と共に,隆盛を誇ったゾロアスター教は衰退する。つまり,宗教界のマイノリティとなっていた。

 歌詞は確かにミステリアスだ。でもスカラムーシュ(イタリア古典喜劇に登場する道化師)やファンダンゴ(バカ騒ぎ)など,一つひとつのフレーズに,どんな寓意が隠されているのかと考えたところで,おそらくはあまり意味を為さないだろう。フレディが生前話したように,彼にも意味はよくわからないのかもしれない。

 だからこそ,この曲は残る。解釈が自由だからだ。表現は欠落が重要だ。その欠落に,受け手の想像力が呼応する。その瞬間に,作り手のプライベートで個別な物語であるはずの表現は,普遍性を獲得する。





ねえママ,たった今僕は,人を殺した





 あらゆる意味でマイノリティだったフレディは,「ボヘミアン・ラプソディ」を作ったときは,二十九歳になっていた。ひとつのけじめの歳だ。だからこそフレディは,彼を殺さねばならなかった。

 もちろん,この解釈は僕の解釈だ。彼がマイノリティだったことに,僕はこだわりすぎているのかもしれない。きっと貴方には,別の解釈もあると思う。

 2000年,「ボヘミアン・ラプソディ」はイギリスで,ミレニアムに跨る最もすばらしい曲に選ばれた。二位はジョン・レノンの「イマジン」。そして三位はビートルズの「HEY JUDE」。

 フレディの遺体は,ゾロアスター教の作法に従って焼かれ,その灰は水に流された。最後を看取った恋人ジム・ハットンは,『フレディ・マーキュリーと私』(ロッキング・オン,1994)で,フレディについてこう語っている。



フレディは僕が人生で一番愛した人だった。あんなに人を愛せることはもう二度とないだろう。たしかに彼は人を繰るのが好きだったけれど,決して僕を変えようとはしなかった。



 欠落は今さら埋まらない。僕は彼を知らなかった。でも今,知った。人を繰ることが好きだったフレディは,この世界をどんなふうに変えたかったのだろう。





ぼくの歌みんなの歌 23 ボヘミアン・ラプソディ  森達也

             講談社『読書人の雑誌 本』2005,11月号





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Last updated  2008.11.17 21:11:58
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大好きな曲です。  
Adandonian さん
大好きな曲です。なんだか人を殺してしまって自殺を図る前に母に書いた遺書、みたいな歌詞ですよね。

惜しい才能をなくしました。 (2011.06.30 03:13:59)

最近はまりました   
フレ子   さん
友人から聞かされてはまりました。これなくては夜も日も明けません。特に最後のハードロック調のフレーズが心に響きます。私的な見解では、この歌の大意は「神に対する決別」のように感じます。宗教的な教育を受けながら育ちつつも、日々疑問を感じ、最終的にそれを見限った、そんな心の奇跡を表した歌詞のように解釈しています。あんな短い歌詞にそんな気持ちを込められるなんてすごい!やっぱり天才なのかもしれません!   (2012.05.29 14:15:00)

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