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成田空港で 他社便の事故緊急着陸で滑走路閉鎖となり 伊丹空港への接続便が遅延し 22時に 無事帰宅しました。今朝は ホノルルで 午前7時に起床し 午前9時にチェックアウト 成田空港まで 約9時間のフライトでしたので 今は ホノルル時刻では 午前3時です。眠い筈です。もう みんな 荷物も解かずに 布団に潜りこみ 爆睡しました。私も これでお休みなさいです。明日は 何時に起きれるかな?
2011/02/06
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今朝も 氷点下1℃まで冷え込んだが よく晴れて 昨日より 温かくなった。朝から 孫は 宿題の追い込みで ママに叱られて べそをかきながら 頑張っていたが 諦めて 宿題ドリルを自分のカバンに詰め込んだ。それぞれの荷物も纏まったので 夕方に ハワイへ向けて出発する。往路 2月1日 伊丹羽田ホノルル到着 10;25「ヒルトン・グランド・ワイキキアン」四泊帰路 2月5日 ホノルル出発 11;50成田2月6日 伊丹帰着 19;50ジメさんは 1997年5月 長男夫婦の結婚式で ハワイに行く直前に 肝臓がん再発したことが分かったが 誰にも内緒にして参列し 帰国してから手術を受けることを告白した。あれから 14年振り 2度目のハワイである。ヨメさんは エアロとマラソンで 今回で4度目、二男一家は 初めてのハワイである。ママは 昨日の乳がん検診もOKを貰って張り切っている。こうして みんな揃って 元気で ハワイ旅行へ行けるのは 本当に有り難いことと感謝している。今回は のんびりと過ごすつもりなので ブログの更新は 日曜日まで 暫くお休みさせて貰います。
2011/02/01
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今日も 良く晴れて 青空が広がったが 北風がとても冷たかった。日本海側では 降雪が続き 交通機関が混乱していて 大変のようだ。午後から TIP塚口へ行った。YUMI先生ベーシック・エアロ2 Walk & Jog 45分23名。3週目となり コリオはさらに変化した。皆さん 嬉しそうに すぐ着いて行った。最後の通しでは 息も合い 大きく動いたので 気持ちの良い大汗をかけた。北アフリカの地中海に面した「チュニジア」で 23年間の強健体制で君臨した ベンアリ大統領が反体制陣営に追いやられ 一族がサウジ・アラビヤに亡命するなど 大荒れになっている。ガンヌーシー首相が後継して 連立政権を樹立し 選挙で次期大統領を選ぶことになるが 政治の混乱は 当分続きそうである。チュニスの空港で 足止めされていた 日本人観光客70名が やっと帰国の途に着いた。ジメさん夫婦は 2005年11月下旬に 阪急トラピックスの8日間のツアーに参加したが その時の判断基準は アフリカで石油を産出しない唯一の国のため 紛争の原因の無い国で 農業と観光でゆったりとした国情であることだった。帰国して書いた「ジメさんのブログ・チュニジア旅行記」を 今日 もう一度 目を通して 振り返って見た。(次へ)をクリックして読んで下さい。教育無料 医療費無料で 本当に 市民はのんびりとした豊かな生活を送っていると感じたが暴動報道を見ると 宿泊したホテルのあった 首都「チュニス」のメインストリートで 軍隊の制圧で 死者・怪我人が多数出たのが信じられなかった。首都チュニスは勿論のこと 全国 どの都市 観光地 道路沿いに「ベンアリ大統領」の大きな肖像画が掲げられていた。ガイドは 建国の父 チュニジアを発展させた功労者であると言っていたが 今から思うと 北朝鮮で見た「将軍様」と 同じだったのである。白い壁とチュニジアン・ブルーの扉と窓の家が連なる景勝地「シティ ブ サイド」の丘から見た 海沿いの大統領と一族の住む宮殿のような邸宅もあった。大統領夫人と一族が 利権を一手にして莫大な隠し財産を作り 大統領は体制に反対する勢力を捕らまえて投獄して政権を維持しており 景気低迷で働き口を失った市民のデモが インターネットを通して 今回の追放劇になった。政権が長期に亘ると腐敗につながるのは常であるが 日本のように 政権たらい回しでも 短期で資産を増やす政治家も困ったものである。今夜と 明日の夜 20;00-20;30 NHK教育テレビ「NHK福祉ネット」で がん治療薬のドラッグラグの問題が 取り上げられますので ご覧下さい。また 明日 19日 朝8;15~ NHK総合テレビ「あさイチ」でも ドラッグラグが取り上げられます。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/01/18
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今日は 小寒、今朝は 最低気温0℃と この冬一番の冷え込みとなった。日本海沿岸部では 大雪が降り積もって 交通が混乱しているようだ。今日は 公民館・英会話サークルの日であるが そちらをお休みにして 阪急・伊丹駅前にある T.J先生の「キッズ外国語学院」へ9;15amに行った。国の緊急人材育成事業の一環として ハローワークから委託を受けて「J-SHINE 児童英語教師養成科」の講習を T.J先生が実施されている。12/1-3/28の 4ヵ月間の平日 9;20-16;00までの講習である。ハローワークを通して 希望者は 英検準2級程度の選考試験を合格した上で 学科と実技の訓練を受け 最終日に行われる 指導者認定試験に合格すると ハローワークを通して 伊丹市内の小学校採用試験・面接に合格すると 児童英語の講師として教壇に立てるものである。今日は 一名の病欠者を除いて 13名の女性が集まられた。30代 40代の女性が多く 海外留学や 滞在の経験者も 何人かおられた。T.J先生が 公民館・英会話サークルへ行かれた留守の 90分間を持ち時間として お話しすることになった。こんなに大勢の女性の前で話すのは久しぶりだし 英語力では ジメさん以上の能力のある方なので 年末に準備し T.J先生と相談して 話の構成もチェックして貰い 日本語で喋ることにした。ジメさんの 戦争中の悲惨な体験と 終戦後のアメリカ進駐軍の兵士に 物乞いをするため 母親が「Give me Candy?」を教えた英語が上手く通じて 沢山の戦利品を得たことや アメリカ兵に可愛がられて 英語を教えて貰い 英語に興味が湧いて 小学5年生で 英語塾へ行かせて貰ったこと。しかし 中高大で学んだ英語は 英文法中心で スピーチ・ヒヤリングの練習が無かったことで 未だに 充分話せないことを正直に述べた。リタイヤしてから 二度のピースボート乗船で 上陸地の各国の小学校を訪問し 子供達と英語で交流したこと。10回の格安ツアーで出かけた外国で 意識してOPを取らずに 一人歩きをして 外国の方と交流したこと。カナダから 我が家に滞在した 二組の家族との交流の話。昨年 2ヶ月近く 中国暮らしをして知った 孫の通う小学校の英語教育の実態の話しなどをした。最後に 英語は 世界語として 世界中の人々が コミュニュケーションして お互いの国を理解し 尊重することが 世界の紛争を無くし 平和な時代を 未来ある子供達に渡すのが 我々の責任であり 今日集まられた 児童英語教師を目指す 皆さんに期待している 頑張って欲しいと励まして 予定の時刻に終了した。ジメさんの がん体験も交えた漫談を 皆さんが真剣に聞いて下さって 質問もして下さり 本当に 嬉しかった。1時間半の 出逢いであったが 今日の受講生の皆さんが 前向きにチャレンジして 児童英語教師として 子供の教育 国際化に夢を与えて下さると思っている。受講生の皆さん 本当に ありがとう。この ブログを読んだら ジメさんの話の感想を ぜひ コメントに書き込んで下さい。また このブログの左側「メッセージを送る」から お名前とメルアドを 私書箱の方へ連絡下さい。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2011/01/07
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今日も 青空が広がったが 北風が冷たく とても寒かった。本来の 11月末の気候だそうだ。昨日起きた 北朝鮮による 韓国・ヨンピョン島への砲撃には 驚いた。北朝鮮の意図や背景は分からないが 国際世論が冷静に判断して 対処して欲しいと思う。ジメさんは 2001年8月25日から 9月11日まで ピースボートに乗船して 「南北コリア・クルーズ」に参加し ピョンヤンと ソウルを訪問した。今回 事件の起きた 海の38度線と言われる軍事境界線を廻りこんで 北の南浦港に上陸した。そしてバス13台を連ねて ピョンヤンに入り 三泊して 北から板門店も見学した。終始 機関銃を持った軍人が同行して監視していたが そんなにピリピリした恐怖感はなく 軍人達と仲良く写真を撮り合ったりした。逆に 南浦港を出て インチョン港に入港するまでの間に 韓国の軍艦が併走して 何度もマイクで警告の放送されたので緊張感があった。また ソウルから 板門店を訪問したグループは アメリカ軍の兵士に 厳しい身体検査と監視を受けたようだった。この時 北のガイドから 板門店で受けた説明で 北朝鮮は 現在でも 韓国・日本・アメリカの三ヵ国とは 休戦協定は結んでいるものの 停戦協定は結んでおらないので 実際は 戦争中であると聞いて驚いた。それ以降 ジメさんの北朝鮮に対する認識は大きく変った。クルーズで 日本に戻り 遠州灘に入った途端 二隻の海上自衛隊のフリゲート艦に護衛されて 東京港に戻った日に 9,11ニューヨーク・テロ事件が起こったので きっと日本政府にも テロ情報が入っていたのだと 後で思った。しかし 今回の事件を知り 軍事衛星からの監視や 迎撃体制も信頼できないし 所詮 日本は 丸腰でやるしかないのかと不安になって来た。昼から TIP塚口へ行った。KURICHAN先生アドバンス・エアロ MAX 60分35分。4週目に入り コリオはますます面白くなった。テンポ変調のステップ 回転 移動 手の振りも入り ヒートアップした。ジメさんも 誤魔化しながらも しっかりと着いて行ったので 最後は 大汗でグショグショになって気持ち良かった。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2010/11/24
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昨夜から 少し寒くなり 夜中に布団を一枚引きずり出した。朝から 秋空が広がり 爽やかであった。紅葉前線も 北から南下を始め 本格的な秋がやって来た。お昼前に TIP塚口へ行った。LISA先生ミドル・エアロ Jog 50分24名。一週抜けたので コリオをすっかり忘れてしまっていた。でも レッスンが始まると 不思議に身体が思い出してくれた。何とか 誤魔化しながらも 最後の連続通しで 思い切り走ったので 気持ちの良い大汗がかけた。今日の朝日・夕刊の広告で 王子製紙グループの「ネピア」の「nepia 千のトイレプロジェクト2010」を見つけた。「ネピア」の商品を買うと その売上げの一部が ユニセフに寄付され ユニセフが東ティモールで トイレ作りと 水と衛生の教育を実施し 1000の家庭と5つの学校で 子どもと家庭の命と健康を守ると言うことである。ジメさんは 2000年9月に ピースボート「南十字星クルーズ」に乗船して 動乱直後の東ティモールのディリに上陸し 焼き尽くされた市街の中を 救援物資を被災孤児を収容している教会に運んだり 被災して意気消沈していた島民の皆さんを 河内家菊水丸さん一座と一緒に河内音頭で盆踊りを踊って励ましたりした。その夜 ピースボートの仲間は 戦火を逃れた数件の民家に分宿して ホームステイをした。翌朝 敷地の中にある井戸端で 水を浴びて汗を流し その横にある小屋のトイレに入って用足しをした。たたみ半畳位のセメントを張った土間で用足しをした後 瓶に入った水を空き缶で汲んで じぶんの便を小さな穴から 外の小川へ流し出すのである。その穴の下には 数匹の豚が飼われていたが 井戸と小川は 2m位しか離れていなかった。ジメさんは 終戦直後 農家の汲み取り式のトイレであったが それでも垂れ流しではなかった。ピースボートの若い仲間は 殆どの人が トイレを我慢して 客船に戻って用を足したようだ。2002年に独立国家となった東ティモールは 今でも 衛生状態が悪く 1000人の内 130人が 5才未満までに死亡し その原因の多くが 汚れた飲み水からくる下痢が原因のようである。あの時 出逢った子供達は もう親となって子育てをしていると思うと 次回から 「ネピア」の商品を購入して 「千のトイレ」のプレゼントに協力して上げようと思う。今日 夕方に 市役所の国勢調査担当員が来られた。市役所へ郵送提出が予想以上に多く その整理に手間取って 約束の15日に送れたことを詫びられた。ジメさんの受持ち地区 約50軒であるが 未回収12軒の内 7軒が郵送して下さったことを確認した。早速 夕飯後に 残り5軒を訪問したが いづれもアパートで不在であった。用紙の配布段階から 7度目の訪問であり 毎回 用件と確認の電話を頂くよう 連絡メモをドアに貼付しているが 連絡がない。24日が 最終回収日なので それまでは根競べである。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2010/10/18
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今日も 爽やかな秋空が広がった。夏の間に 生い茂った庭木の枝葉を刈り込んだら 部屋が明るくなった。国勢調査の用紙の回収も 電話を貰うようになったが 次の土・日が勝負だと思っている。今朝は 近くのキリスト教会の司祭館にお伺いして 4人の外国の牧師さんにお茶をご馳走になった。来日されて日も浅いので 英文の記入マニュアルのお陰で 国勢調査の目的や内容が良く理解出来たと喜んで下さった。また 新しい外国の友人が増えて 楽しみである。お昼に TIP塚口へ行った。KURICHAN先生アドバンス・エアロ MAX 60分35名。今月 最後のレッスンとなり 難しかったコリオも 身体が すぐ思い出してくれた。三つ目の新しいコリオも 勢いで着いて行った。最後の通しでは みんな完璧に揃って 見事な動きを見せていた。本当に 知らず知らずの内に こんなに難しいコリオで動かして下さる先生は さすがである。ジメさんは 今日も 身体が軽く 大きく動いたので 気持ちの良い大汗をかいた。来月のコリオが とても楽しみである。先週の RFL岡崎で 同じチームテントでお世話になった 「チーム・風来坊」のKazeさんから ホームページにアップしたよとメールを頂いた。「がんと闘う力は 人とのつながり」が また増えたことは とても有り難いことであり 感謝している。明日から 2週間 またジメさんは 今年4回目の放飼いとなる。9月初めは ヨメさんは 千葉の孫達の急病で 慌てて飛び出して行ったが 今回は 6月から予定していた行動である。従って 今回は 冷凍庫の中に ジメさんの餌もきちんと用意してくれた。今回の主目的は ヨメさんが通う バレェ・スタジオ「レヴェランス」のホープ 高校一年生の「山本奈那さん」が 11日に上海万博に招待されて踊られるので 先生方と仲間の皆さんと一緒に応援に駆けつけることである。舞台出演が決まった時 すぐヨメさんの計画が始まった。10月に入ると 国慶節と 日本の連休で 航空運賃が高くなるので 明日 出発にして まず 中国・張家港市の二男の家に滞在する。丁度 中国は 国慶節で 孫の小学校も 1日~5日が連休である。二男は 台湾出張で不在であるが 嫁と孫が楽しみにして待っている。上海浦東空港も 新しい第2ターミナルが出来たが 張家港行きの長距離バスの乗り場と時刻も ネットでチェック済みである。嫁は 昨年 交通事故で亡くなった父親の一周忌で 今は 太原市に行っているが 明日 上海・虹橋空港に戻り ヨメさんの乗るバスに合流する予定であり 3時間のバス旅も退屈しないだろう。ヨメさんは 10月7日に 一人で 上海に移動し 以前にも ニューヨーク、オーストラリア、ドイツと貧乏旅行を一緒した友人と ホテルで落ち合うことになっている。8日に 上海から 長距離バスで5時間 黄山の屯渓のホテルに一泊し 観光をして 9日に上海に戻る。10日に 上海空港へ バレェの先生方を迎えに出て 3日間一緒して 13日の夕方の飛行機で 関空へ戻る予定だ。これで ビザ不要の2週間であるし ホテルも 先生方とは別で 「エクスプロア中国トラベル」で ネット予約すると 三ツ星半位なら 一泊 2,000円位なのだ。本当に 便利になったものだ。後は いつもの度胸と体力で勝負だが 二男も「しょがないなぁー。今の内だね。まぁ 上海は 反日デモもないから 大丈夫だけど・・・」と 呆れ返っている。ジメさんも 本当なら 一緒に行きたかったが 国勢調査と自治会行事と重なったので 諦めざるを得なかった。また 帰国したら きっと面白い失敗談を沢山聞くのを楽しみに 放飼いを楽しみたいと思っている。明日の予定「阪大病院 検査結果 & エアロビックス」
2010/09/29
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今日も 残暑きびしく 36度となった。体感温度は 今年 一番暑かったような気がする。甲子園の高校野球も 今日で ベスト4が決まり 地元 報徳学園も勝ち残った。ここまで来れば ぜひ 29年ぶりの優勝を果たして欲しいものだ。孫とママ そして ヨメさんの3人は 今日 午後に家を出て 17:40関空発の飛行機で バリ島へ向かった。今夜 24:00過ぎに ホテルに入り 三泊して 日曜日の深夜に バリ島を発ち 月曜日の朝 8:35に 関空に戻る予定だ。出国ゲートを通った後で ママから 携帯電話で「外国人登録証を 家に忘れて来た。帰国した時 入国できる?」と 電話が来た。二男が 関空の入国管理事務所に 問い合わせしたら 「家に忘れて来たと正直に申告しなさい、同居家族が一緒だから きっと大丈夫でしょう。」と あやふやな返事であった。そのことを伝えたら ヨメさんは「帰国の時 もし拒絶されて お父さんが登録証を持って 身請けに来るまで 関空に留置されるのも ええ経験よ。念のため 登録証のコピーを バリ島のホテルに FAXしといて。」やっぱり 肝っ玉母さんである。孫が 2才の時も 孫の中国再入国ビザが切れていることが 関空の発券カウンターで見つかり 孫だけ出国出来ず たまたま関空まで見送りに行っていた ヨメさんが伊丹へ連れて帰ったことがあった。ママは 翌日 上海から 引き返して来て 翌日 大阪中国領事館へ孫を連れて行き ビザを緊急発行して貰い 2日後に 孫と一緒に帰国したこともあった。いつも 念には念を入れて チェックしているが 長い間には 色んな事件もあるものだ。お昼前に 焼けるような日差しの中 自転車で TIP塚口へ行った。IZUMI先生ミドル・エアロ Jog 50分23名。この暑さで スポーツクラブは がら空きであった。二週目となったが コリオは難しく なかなか上手く行かなかった。後半になって 何とか頭に入ったが 激しい動きについて行くのが精一杯であった。まぁ 月末には 何とかなるだろう。スタジオ一杯に大きく動いたので 汗の量は異常であった。この暑さでは 買い物に出かける気にもならない。今夜の夕食は 涼しくなってから 二男と外食に出かけようと言う事になった。明日の予定「英会話サークル」
2010/08/19
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今日も カンカン照りとなって 気温35度を超えた。自転車に乗っていると 照り返しで タイヤがグニャと柔かくなったような気がした。朝一番に「ゆうパック」が 在大阪アメリカ領事館から届いた。ママの執念のビザが貼られた パスポートが入っていた。半年間の有効期限内に渡米する予定は無くなったが 苦労してやっと入手出来たことが嬉しいようだ。特に 月曜日に訪問した時 受付チェックの係員の対応は冷たかったが 通された部屋の面接官のブロンドの若い女性の応対に ママは感激したようだ。英語は勿論のこと 美しい北京語 広東語 ハングル 日本語を自在に話されて 笑顔を絶やさず応対される彼女に出会えたことが 一番良かったと話している。今回 ビザ騒動で グァム行きは諦めることになったママは 孫と一緒に 中国 日本以外の外国へ旅行に行きたいと言うことで 明日 午後 関空出発で「バリ島5日間」に ヨメさんと三人で出かけることになった。二男は 東京出張、ジメさんは 自治会のイベントの手伝いが決まっているので 断念した。早速 ガイドブックを買って来て下調べをしていた。今では 日本人に大人気のリゾートとしてホテルや 観光施設が充実しているのに驚いた。ジメさんは 35年程前に インドネシアのジャカルタ工場見学の途中に バリ島に寄ったが当時は クタビーチにホテルが一軒だけあり しかも自家発電が 夜8時になると終わり 真っ暗闇の寺院で 松明の灯りの中で ケチャック・ダンスを観賞した。翌朝 一人で海岸の砂浜へ散歩に出たら 漁師の一家が カヌーに乗せてくれて 魚釣りをさせて貰ったことも懐かしい思い出だ。午後から TIP塚口へ行った。今日も ジムは静かだった。代行 MIKA先生アドバンス・エアロ MAX 60分30名。背の高い若い先生は 初対面であったが 先生が「どこかでお逢いしたような気がする?」「サバイバル・エアロ?」と思い出した。レッスンは 一回きりの代行レッスンとしては とても複雑でスピードアップされたせいか 少し消化不良であった。でも 結構走ったので 大汗が流れて気持ち良かった。明日の予定「エアロビックス
2010/08/18
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昨夜は 台風4号の影響で 激しい風雨となり 大荒れの夜だった。午前中は 小雨が残り 午後になってやっと晴れ間が覗いた。朝 8:30に 孫を一人で留守番に残し ジメさんは 阪大病院へ、ヨメさんとママは 梅田のアメリカ領事館へ出かけた。9:30に 病院に着き 少し待ってから 泌尿器科の若い医師から 二週前の血液検査の結果説明があった。「前立腺内分泌腫瘍マーカー PSAの検査値は 0.89ng/mLで 全く問題ない。尿検査 前回のエコー検査を総合すると 前立腺がんの疑いは 全く問題なしである。頻尿の程度も 夜中一回なら 年齢から言っても普通です。また変化があれば いつでも来て下さい。定期検査は次ぎは 2年先で いいでしょう。」ちょっと気になっていた 前立腺も 無罪放免となり 一安心した。11:30に 自宅へ戻ると 孫は 2階で 真面目に宿題をしていた。「スポーツクラブへ 行ってもいいか?」「いいよ、もう少し勉強してるから・・・」と言うので 天気も回復したので 自転車で TIP塚口へ行った。IZUMI先生ミドル・エアロ Jog 50分20名。先週は 用事で受けられなかったので 今月のコリオは初めてだった。とても あの動きのテンポが早く 間違ってばかりであった。後半になって やっと何とか着いて行けるようになったら もうクールダウンであった。でも 3日ぶりで良い汗がかけて 気持良かった。今日こそはと ママとヨメさんは 張り切って 9:30に アメリカ領事館へ行った。今日は 予約票があったので ママだけ中に入り ヨメさんは 表で待たされた。しかし ママが入力して持参したのは HISで聞いた 157と言う表が 既に廃止され 160に統合されたので 書類間違いで却下された。廃止されたものが 何故 ホームページからダウンロード出来るのか? 何を言っても ダメだったそうだ。帰宅してから ママは 必死でパソコンに向かい 160を見つけたが 全部 英文で 日本語は カーソルを当てた時だけ 翻訳表示されて すぐ消えてよく分からない。STEP1で OOSAKAを入れると STEP2に移ったが デジカメ写真を送信せよとなった。パソコン音痴のジメさんは もう ここでGIVE UPであった。孫の友達のママさんが応援に来て貰ったが 自分のパソコンでないと分からないと ご自宅へ行き 色々と操作された。しかし デジカメ写真を 何枚か撮って送信するが 悉く不合格の返信が届くだけである。写真の規格の注意書きを見ると テロの犯人のような写真が並び 背景のみならず 顔の輪郭や 影のつき方で撥ねられるようである。今夜は諦めて 明日 証明写真専門の写真館で撮影して 送信して見ると ママは意地になっている。ICチップ付きのパスポートを持つ 日本人向けの電子認証制度「ESTA」も 9月から 1,400円に値上げになると予告されている。本当に アメリカ渡航のハードルは高く 今日 HISの督促に「今回の グァム旅行は 諦める。」と返事した。明日の予定「英会話も エアロも休み ? 」
2010/08/12
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気がつくと 朝の蝉の鳴き出す時間が 7時頃と遅くなって 蝉の数も減って来たようである。今日も 日中は カンカン照りで とても蒸し暑かった。今日も 朝から バタバタして エアロビックは諦めた。昨日に引続き 朝から ヨメさんとママは 梅田の「在大阪アメリカ領事館」へ ビザ申請に行ったが 電子申請の所定の手続きがされていないと 又 玄関払いをされて戻って来た。昨日は ステップ1の申請書受付のバーコード番号の取得まで こぎ着けたが 次のステップへ進めと表示されなかったので これで終了と思った。次の ステップ 2,3で 料金支払いと 面接審査の予約をしないと 手続き完了でなかったらしい。日本国籍の人は チップ埋め込みのパスポートと 簡単な「ESTA登録」で済むのだが 中国籍の人は 例え短期の観光でも 必ず ビザを取得しなければならない。ママと二人で「アメリカ大使館ホームページのビザサービス」に 挑戦した。バーコード取得から ステップ2で ビザ料金 13,900円を 銀行ATMの「Pay-easy」から振り込めと明細書が出たので 近くの銀行に行った。ATMの側に立っていた銀行員に聞いても分からず 男性社員に聞くと 振込みボタンを選択すると 税金支払いなど専用の「pay-easy」ボタンを教えて貰い 所定のコードを打ち込んで支払いを済ませた。次に ステップ3で 明日の9:30amの面接審査の予約を入れて プリントアウトした。そこで 二男との婚姻関係の証明書が必要とあったので 午後から 天満の大阪市北区役所へ行き 戸籍謄本を貰ったが これも 従来の書式が変更され 中国国籍のママの名前は 小さな文字で書かれていたので ママは差別だとふくれていた。これで 何とか 明日は 領事館の奥まで ママは入れると思うが 問題は18日のグァム旅行の出発前日までに ビザが届くかどうかである。ママは だめもとで挑戦すると意欲満々だが 果たして どうなることやら分からない。それにしても このビザ電子申請や ESTAにしても パソコンを持たない人は アメリカ入国の壁が非常に高いと思う。HISも 本件は 全て 個人にやって貰う以外に 代行などは一切しないと言っている。ジメさんは こんな勝手なアメリカには まだ行ったことも無いので 少し腹が立った。今朝の朝日新聞 9ページの「オピニオン耕論 参りなん、いざ」特集のトップに「墓マイラー・文芸評論家 カジポン・マルコ・残月さん」のインタビュー記事が掲載されている。ジメさんは カジポンさんとは 2000年9月 ピースボート南太平洋クルーズ45日間で 一緒して その雑学知識の豊富なことに感心した。ピースボートが港に入ると 一人で有名人のお墓参りに行って来たと面白い話を聞かせてくれた。彼のHP「ジャンキーパラダイス」に 映画 古典 絵画 仏像など多岐に渡る面白い話があり また メール・マガジンでも 面白い情報を貰っている。脱サラして 10年目 ようやく文芸評論家として飯が食えるようになった「カジポンさんのブログ」は もうすぐ誕生日の一人息子 ふーちゃんのイクメン親父ぶりが微笑ましく思う。また 久しぶりに カジポンさんに会いたくなって来た ジメさんです。明日の予定「阪大病院 前立腺検査結果 & ? 」
2010/08/11
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朝から 気持ちの良い青空が広がった。昨夜 ヨメさんから「孫たちは元気になったが このまま居たら 自分が倒れそう、明日の飛行機で帰る。」と メールが届いた。普段も真面目に 掃除をしていたが 今朝は 全室念入りに掃除機をかけ ついでにヨメさんのベッドの布団を ベランダに干しておいた。パソコンで検索すると 連休前なので 全日空も満席の便が多く シニア空割が取れそうなのは 羽田発13:00なので 一時間前に 羽田へ行くように指示した。チケットは取れたが 行きの空割は 9,000円だったのに 春休み期間中は 13,000円だったそうだ。15:00過ぎに帰宅したが 肝心の国民年金特別便問題は 千葉市第三者委員会の 4人の委員全員が高齢者で話が通じず がきの使いになってしまう可能性大のようである。でも 交通費だけは 約束どおり貰ったので 後は 長男に任すしかないようだ。かくして 3月3日から始まった 放し飼いは 16日間で終わりとなった。先週末 北京ニ泊3日の旅行から帰国された 元 英会話サークル会員の奥さんと ランチ・デイトをした。今年に入って ジメさんのすぐ近くに 一日 12名限定 ランチ 700円の黒板告知をされるお家が出来た。今日 初めて行ったが 息子さんが元調理師長で 料理を担当され 接待は 母上が努められていた。お部屋は 日の良く当る洋室とお座敷で広々としていた。注文してから お料理されるので 温かくて 適量で とても美味しかった。でも お客さんが 定員以上来られると困るので お店の名前や電話など 宣伝はしないでねと 釘を刺された。他に 二人のお客さんだけだったので 旅のアルバムを見せてもらい 話が弾んだ。北京は 珍しく雪が積もり 万里の長城は登頂禁止だったそうだ。2005年の同じ時期に ジメさんが行った時は とても暖かくて汗ばむほどだった。オリンピックで 北京も高層ビルが連なり 地下鉄網も整備されて 見違えるようなっているが 折角行かれたのに 登頂も断念されたと言うので ジメさんの撮影したビデオをお貸しして 皆さんで見て頂くことにした。夕方5時半に 阪急・西宮北口駅にある「兵庫県芸術文化センター大ホール」で開かれた「陸上自衛隊・中部方面音楽隊 スプリング・コンサート」に行った。入場整理券の抽選は 毎年競争率が高く 当選したのは 3年ぶりであった。2名OKだったので 現役時代 仙台で親しくさせて頂いた 一つ年上の先輩をお誘いした。先輩は 大学時代から 吹奏楽部でホルンを吹かれ 現在も 三田市吹奏楽団に所属されて週三回の練習を続けておられる。お互いに 西宮育ちなので その昔 得津武史先生が育てられた 今津中学ブラスバンド部やその卒業生が多く入った 阪急少年音楽隊 阪急百貨店吹奏楽部 そして 西宮球場で毎年夏に行われた「1,000人の交響曲コンサート」など 懐かしい思い出がある。今日の演奏会もささすがと思わせる素晴らしい内容であったが とりわけ ゲスト出演のスイス人のトランペット奏者 アンドレ・アンリさんの トランペット・ソロや 二重奏は見事で楽しかった。アンリさんのスピーチに 「演奏者はお客さんに楽しんで貰うために演奏するが 自分が若い頃所属した フランス軍楽隊はそうでは無かったので退役した。その点 今夜の自衛隊音楽隊の皆さんは 素晴らしい方ばかりだ。」と ユーモアたっぷりに「川の流れのように」を アンコール曲として演奏された。明日の予定「神戸常磐大学 アグネス・チャンさん講演会」
2010/03/19
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昨夜の雨も止んで 日差しが戻ったが 北風は また少し冷たくなった。一雨ごとに 春が近づいて来る様だ。昨日のお昼前に 「バンクーバー五輪」の閉会式が終わったと思ったら 今日は 真央選手ら 沢山の選手が 続々と帰国し 記者会見をしている。バンクーバー市内に住む ジメさんの実姉や 姪っ子からも 沢山の写真アルバムが メールで届いた。姉の感想は 何よりも カナダ国民が一番怖れていたテロ事件が起きなかったことを喜んでいる。今年は 暖冬で ウィスラーの会場も雪が少なく コース作りに 大型ヘリコプターで雪を運んで作るなど大変な苦労があったようだ。期間中 バンクーバー市内は 春のように暖かく 桜の花も満開になったので 観光客の移動もスムーズに行ったようだ。市内は カナダ国旗と 世界の国の国旗に飾られ 肌の色が違う世界中の人達が笑顔で集い 当に 多民族国家の賑わいであり 今後 テレビでカナダの良さを知った観光客が増えるのを期待できる。姉夫婦も アイススケート会場で たまたま隣に座っておられた 長野から来られた 小平奈緒選手のご両親と一緒に応援したそうだが あの小さな日本選手が 大きなドイツ選手相手にあわや金メタルと言う戦いを 目の当たりにして 表彰式では ご両親と抱き合って 本当に感動して涙が溢れたそうだ。最初は 余り関心の無かった姉も すっかりオリンピックのとりこになって 若返ったようだ。引続き 3月12日~21日まで 同じ会場で「バンクーバー・パラリンピック2010」が 行われる。身体の障害を乗り越えて 世界記録に挑む姿は さらに大きな感動を呼ぶだろう。特に 日本代表選手のレベルは高く オリンピックより 沢山のメダルが期待出来る。みんなで パラリンピックの成功を応援しましょう。午後から TIP塚口へ行った。YUMI先生ベーシック・エアロ2 Walk & Jog27名。3月の新しいコリオが始まり 少し 難しかったが すぐ馴れた。後半は 殆ど走り放しになったので 大汗が吹き出して とても気持ち良かった。明日の予定「放し飼い & エアロビックス」
2010/03/02
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朝は 良く晴れていたが 午後から 雲りとなり 気温も下がって来た。明日は ハイキングに行くので 雨になりませぬように。「カナダ・バンクーバー冬季オリンピック」の開会式が 今日 午前11時(現地時間は 12日 午後6時から始まり その模様をテレビ中継で見た。カナダらしい 演出で 先住民尊重 多国籍の市民尊重の楽しいパフォーマンスであった。これから 28日まで 17日間のメダル争奪戦が楽しみである。バンクーバー市内には ジメさんの実姉一家 6人が住んでいる。カナダへ移り住んで もう30年近くになり 孫も1人生まれて もう3才である。ジメさん夫婦も 1989年 1997年と 2回 バンクーバーを訪問した。最近 姉や姪っ子からのメールでは オリンピックの準備で 市内の様子も様変わりしたようである。バンクーバー空港から 市内ダウンタウンまで 地下鉄が開通し 市役所近くの姉の家の前に地下鉄の駅出口が出来て とても便利になったそうだ。でも カナダも とても不景気であることに変りはないとのことだ。一般市民にとっては むしろ物価上昇と オリンピック後の税負担が重く圧し掛かのが不安でオリンピック反対のデモ騒ぎも多発しているそうだ。また 高い入場料を出して見物どころではないと テレビ見物を決め込んでいる人も多いそうだ。姉一家は「CANADA GLICO」を 一家で経営しており 市内のお土産店や 空港の売店で「ジャイアント・グリコ・プリッツ メープルシロップ味」の売上げが伸びるのを願って 走り回っているようだ。日本生産だが カナダでしか売っていないので ぜひ お土産に買って下さい。孫は 午前中は 近所の友達のお誘いで 一緒に 「お茶と生け花」のお稽古に連れて行って貰った。初めての経験で お点前もさせて貰ったが しびれが切れて足が痛かったと言いながら 隣の義母の家で お茶を点てて 春節のお年玉をせしめて来たようだ。ママと ママからの 昨夜のテレビ電話で 宿題の進み具合をチェックをされて 予定通り仕上げていないと 北海道スキー旅行に連れて行かないよと言われ 今日も 追い込みで取り組んでいた。両親は 中国の春節の民族大移動で 道路の大渋滞が始まったので 一日早く 明日 家を出て 上海で一泊して 明後日の飛行機で 関西空港へ着く予定にしたそうだ。ジメ家では 今年二度目のお正月を みんな元気で過ごしたいと願っている。今日は ジメさんが ジャンケンに負けたので ヨメさんが バレェ・レッスンに行き ジメさんは エアロを休んで 孫の相手をしている。明日の予定「八逢会ハイキング」
2010/02/13
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今日は 一年で一番寒い日「大寒」であったが お昼には 16度となり 春の訪れを思わせる位 暖かであった。でも 明日から また寒くなるようだ。お昼から TIP塚口へ出かけた。KURICHAN先生アドバンス・エアロ MAX 60分37名。3週目に入り コリオはまた変化して難しくなった。でも 皆さん 嬉しそうに笑顔で着いて行った。三つのパートが完成し 後は 通しでガンガン走った。ジメさんも 体調が良く 楽しく動けて とてもよい汗をかけた。先日も紹介したが このブログの左側の「Favorite Blog」の 「なお&ゆうこ夫妻」は 2006年に 1年2ヶ月 世界一周の新婚旅行に行かれ ジメさんも 毎日ブログで着いて行った。帰国された後 2007年10月に 2人で 東京・渋谷駅近くで 世界のビールバー「カタラタス」を 開業されており ジメさんも 一度 お邪魔したことがある。そのご夫妻と社員のまっちゃんの3人が お正月休み明けから 初めての社員旅行として 香港、マカオ、タイに出かけられた。そして その旅行記が 今日から 「ブログ」にアップされた。今日は 香港に到着して バックパッカー・ホテルを決めるまでがレポートされているが 本当に面白そうな旅である。これから マカオ タイと 楽しみにして着いて行こうと思っている。皆さんも お気に入りに入れて ぜひ一緒に着いて行って下さい。そして 今 世界一周雑貨バイヤーの企画にも挑戦されている。お二人のブログの リンクから 1月25日まで 一日1回 そのボタンを ポチッと押して応援して上げて下さい。明日の予定「阪大病院 診察 & エアロビックス」
2010/01/20
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明け方まで 激しい雨が降っていたが 起床したら 眩しい太陽が輝いていた。お昼には 爽やかな青空となり 気温も高くなった。本日のエクササイズ。YUMI先生ベーシック・エアロ2 Jog & Walk 45分23名。今日は 何故か スポーツクラブ全体が空いていた。今月最後のクラスとなり 三つのコリオは ほぼ完成した。元気一杯の先生のリードに釣られて 大きく動いたので とても気持ちの良い汗をかいた。今日 「Google Picasa」で 紅葉真っ盛りのカナダから 結婚パーティーのアルバムが届いた。バンクーバー在住の実姉一家を通じて 長いお付き合いをして来た Marois家の長女 Nataszaが 先週 土曜日に結婚したと 報告のメールを呉れた。ジメさんが 浦和市に住んでいた当時 母親のGailと 妹のSarahと 一緒に 3人でやって来て 一週間滞在した時は Nataszaは 中学生、Sarahは 小学生だった。大学生と高校生であった息子たちも一緒に 上野動物園へ遊びに行ったら「日本の動物園は こんな狭いところに 動物を押し込めて可哀相だ。でも こんな近くで動物が見るのは初めてだ。」と 柵を乗り越えて ライオンを触ろうとしたこともあった。2人は ロシア系カナダ人なので 金髪にブルー・アイ 色白のとても可愛い少女であった。二人の息子は それぞれ大学卒業旅行でバンクーバーを訪問した際 バンクーバー郊外の ホワイト・ロックの Marois家でお世話になったこともあった。ジメさんが リタイヤして伊丹に戻った頃 姉のNataszaは 大学を卒業して 熊本県・八代中学の英語教員として 3年間滞在した。その時 研修で神戸へ来た時 一人で伊丹へ来るのに 電車を間違って行方不明になってしまった。当時 まだ携帯電話も普及しておらず 阪急電車が全駅に連絡を取って探して呉れた。熊本滞在中に 空手を習い始め 初段を取って 大会でもよく優勝していた時は 背が高くて太っていた。また 熊本の彼女を尋ねて 母親と妹も日本へ来た時は 妹も 丸々と肥えて 少女時代の面影もなく驚いたこともあった。3年間の教員生活を終えた後 姉は ピースボートの船上英語教室のスタッフとして地球一周のクルーズに乗船したが その時 寄港したマレーシアのリゾートが気に入り そこでダイビングのインストラクターの仕事を続けていた。妹も 大学を卒業した後 イスラエルの大学に留学して 今も 現地で教師をしている。2人は ジメさんたちのことを いつも気にかけてくれて 時々 メールと写真を送信してくれていたが 今日の結婚パーティーの写真は ヨメさんも とても喜んでいた。いつのまにか 細くなって とても綺麗な花嫁姿であった。花婿は 東南アジア系の顔立ちなので きっとマレーシアで知り合ったのだろう。先ほど 電子辞書片手に お祝いのメールを送信しておいた。また いつか バックパックを担いで やって来てくれたら嬉しいのだが・・・。明日の予定「エアロビックス & ? 」
2009/10/27
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今朝の朝日新聞に 大きな広告が掲載されているが 「世界一周の船旅・ピースボート」では 来る 8月23日(日) 神戸港・ポートターミナル大桟橋に於いて チャーター客船「オセアニック号・38,722t」の 船内見学会を開催します。ジメさんは 2000/9「30回 南太平洋クルーズ45日間」と 2001/9の「33回 南北コリアクルーズ15日間」の 2回乗船しましたが 当時は ウクライナ船籍の「オリビヤ号」でした。いつまでも思い出に残る 良い旅となりました。昨今の団塊世代のリタイヤで ピースボート・クルーズは 毎回大人気で 現在 来年4月2日出港の 第69回を募集中です。ピースボートの世界一周クルーズに興味のある方は ぜひ 船内見学会に参加をお勧めします。見学会の参加申込みは「ピースボートのホームページ」から 申し込んで下さい。(〆切 8月17日)
2009/08/01
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朝から 青空が広がり 気温も 14度まで上がった。明石海峡の いかなご漁も解禁となり 一気に春がやって来た。昨夜 スカイプがつながり 千葉の赤ん坊と 初めて対面した。生まれて50日で 体重も 4000gとなり とても元気であった。丸々と太り 色白で 目がパッチリ 面長で鼻も高く 髪の毛もふさふさで どうもジメさんの家系というより お嫁さんの血筋を受け継いだようである。生ベビーに会えるのは 夏休みのようだが また一つ 楽しみが増えた。今朝 早く目が覚めたので ベッドの中から 毎日テレビの「皇室アルバム」を見た。今日は 2月6日からの 皇太子殿下のベトナム公式訪問の記録であった。その中で 俳優の「杉 良太郎さん」が 皇太子殿下を案内する場面があった。杉さんは 20年前から 毎年 ベトナムを訪問し 私費を投じて ハノイ市内の 盲学校を併設する グェン・ディン・チュウ小中学校の支援活動を続けておられる。昨年9月に 東京都の「ベトナム・フェスティバル」にも 同校の器楽部を招待し それがきっかけで 合奏団が 世界の舞台を巡演するようになり 子ども達の自立の道が開けたそうだ。また ハノイ市内のバックラ孤児院も支援され 今までに 33人の孤児の里親となって 教育・自立の支援をされて ベトナムの国民から 高い評価を受けておられる。恥ずかしながら ジメさんは 杉 良太郎さんのことは 余り関心なかったが 芸能界で スギさまと大人気なのも こんな隠れた奉仕活動をされているのを 皆さん 良く知っておられるのだろう。改めて 杉 良太郎さんと 伍代 夏子さん夫妻に 敬意と拍手を送りたい。本日のエクササイズ。KANMARI先生アドバンス・エアロ MAX 60分45分。今日から 3月の新しいコリオが始まるから 最初からなら着いて行けると思って スタジオに入ったら 先生は 怪我で休まれていた分 取り戻すので 今日は2月の総仕上げをすると言われたので びっくりした。間違いまくりながら 必死で着いて行った。最後の通しの時になって 何とか誤魔化しながら 着いて行けるようになった。スタジオが暑かったこともあり 気持ちの良い大汗をかけて良かった。明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2009/03/01
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「在日米大使館のホームページ」で 1月12日より ビザなしで渡航する外国人(90日以内の商用、観光など)は 入国の3日前までに インターネットで米大使館の「電子渡航認証システム」(ESTA)から 事前申請が必要であると発表した。インターネットを利用できない人は 旅行代理店などが代行できるようです。ジメさんは 当分 用無しですが アメリカ・ハワイ旅行を計画されている方は ご注意して下さい。
2009/01/08
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今日も 朝から 雨が降り続いた。今日から 姉と姪は 九州・湯布院温泉へ行こうと計画していたが 台風15号が 九州直撃しそうなので 諦めて 三宮へ ショッピングに出かけた。今回 二人は 10月4日に 東京で 友人の結婚式に出席するのが メインの目的であるがその前後に いつもの「JAPAN RAILPASS 1 Week」を購入して来たので 一週間の間は JR全線乗り放題なのである。明日から 箱根へ行き 結婚式が終わったら 東京から 九州へ行こうと言っている。二人とも 本当に タフなのには さすがのジメさんも 圧倒されている。お昼前に 小雨の中 自転車で TIP塚口へ行った。本日のエクササイズ。ERI先生ミドル・エアロ JOG 50分23名。雨のせいで スタジオは空いていた。今月 最終週となり みんなコリオも覚えたので どんどん進んだ。いつものように 身体を引き上げて 手足を伸ばして 大きく動いたので 気持の良い大汗が流れた。明日は 東京のエアロビックス・インストラクター Matsunaga Naoko先生が 大阪で初めて「ぺルビック・ストレッチ」の ワークショップを開催される。1996年夏 JAF主催の「伊豆ビーチエアロビック」で 一緒して その後 インストラクター・デビューされた頃は 良く代々木上原で レッスンを受けたことがあった。10年近く お逢いしてなかったが 元彼からの連絡があり セミナー終了後 食事をする約束をした。とても 楽しみである。明日の予定 「エアロビックス & デイト」
2008/09/30
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朝から 雲が広がり 少し 肌寒い一日だった。ヨメさんは 帰路は ブリスベンから シドニー経由で トランジットが待たされて 1時間半遅れで 昨夜 11時半に 元気に戻ってきた。開口一番「オーストラリアは 町は清潔で 治安も良く 現地の人たちは とても親切に接してくれた。」であった。「ホテルも 値段の割には とても良かった。毎日 電車とバスの 一日 1,000円の乗り放題チケットで 一度もタクシーに乗らなかったので ホテル代と合わせて 一日 一万円で上げたよ。往復の飛行機で一緒だった パック旅行の団体が 旅行費 19万円 プラス 毎日のオプションで 1,5~2万円だったと話しておられたので 同じ日数を こっちは3分の一の費用で 倍は楽しんで来たよ。」と 満足げであった。また これから ボチボチと 失敗談も聞かせて貰うのが楽しみだ。お昼は いつも海外から戻ると 「出石皿そば」を 付き合った後 ヨメさんは「今から バレェ・レッスンに行った後 今夜は 仲間のお嬢さんの 誕生祝いのホームパーティーにお呼ばれしているの。」と 疲れも見せずに 出て行った。本日のエクササイズ。SHIMARIN先生 ベーシック・エアロ WALK & JOG 45分 29名。夕方の 新しいクラスは 初めてだった。基本的なコリオであったが 空いていたので 大きく思い切り動いたので とても気持の良い汗が流れた。先生のレッスンも 半年振りだったが やはり 元気の貰える内容だった。明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2008/04/19
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夜半 激しく降った雨は止んだが 生暖かい南風が強いため 今日は伊丹空港の発着コースが 通常と逆になり 着陸旋回する飛行機が ジメさんの自宅の上を 低空で通過するが エンジンを絞っているため そんなに騒音もひどくはない。今夜から一週間 ジメさん夫婦は お互いに 放し飼いになる。毎度のように ヨメさんは 冷蔵庫に ジメさんの肝臓に良い かぼちゃや にんじんのサラダなどを 食いはぐれのないように 作ってくれたので 不自由はない。ヨメさんは 過去に一緒に旅した バレェー教室の友人と「バァちゃん二人旅」で オーストラリアのブリスベン 一週間滞在の旅行に出る。今年のお正月の新聞広告で 「格安航空会社 ジェット・スター 3月25日 就航記念 往復 3000円」クイズに応募したら「残念ながら 3000円は外れたが 半額の3万円の航空券を差し上げます」と 連絡が来た。いつもの通り「こんなチャンス 滅多に無い、お父さん 一緒にどう?」と 言われたが その時は ひょっとしたら 阪大病院に入院手術かもと思っていたし 割り勘の小遣いも無かったので断った。ヨメさんは「例え 入院手術になっても 3月一杯には退院するだろう」と言って 友達を誘って 4月10日出発を決めて 準備を始めた。格安航空会社「JET Star」のシステムについては 興味のあるところだが 「スタッフ搭乗体験記」を 読む限りは むしろ その合理性には納得が出来るし まだまだ航空会社の新しい競争力が生まれることに期待したい。ヨメさんは 行きは フルサービス無料で 帰りは ペットボトル1本のみ無料で 後の機内サービスは有料で その比較を体験するそうだ。「JET Star」では 4月26日~30日申込み 搭乗10月1日~12月15日で 関西空港~ケアンズ 往復 2万円の 売り出しをするのも 面白そうだ。ヨメさんとお友達は 折角 安い航空券だから ホテル・観光も安く上げるのだと 見よう見まねで インターネット検索を やり始めた。先ず オーストラリア大使館の「ETA電子ビザ取得」が出来て 少し自信がついたようだ。次は ホテル、「ディスカウント・ホテルリサーチ Agoda」も色々と 代理店ルートにより同じホテルでも 料金差があるのを見つけて 北米代理店経由が 一番安いと予約した。この時 先方担当者と チャットでやり取りするのを 横で大笑いしながら アドバイスした。結局 三ツ星ホテル「メトロポリタン・モーター・イン・ブリスベン」ツイン一室 80US$ 7連泊に決めた。旅行保険も 基本は DCゴールドカード付帯だけで 義母が具合が悪くなって行けなくなった時の キャンセル保証と 事故の場合の 救援者費用だけで 8日間 1200円にした。とにかく後は 現地に行ってから 列車とバスと足で 見物するのだと張り切って出かけた。今までの ニューヨーク ニース・モナコの経験もあるので こんな自由な旅の方が 面白いと また帰国して 土産話を聞かせて貰おうと 気持ちよく送り出した。本日のエクササイズ。IZUMI先生 ミドル・エアロ JOG 50分 25分。先週 ジメさんは同窓会で休んだので 今月の新しいコリオは 初めてだった。馴れるまで ちょと迷ったが すぐに着いて行けた。みんな一緒に 思い切り 大きく動いたので クールダウンに入った途端 フロアに大汗が流れて気持良かった。今夜の NHK総合テレビ 19:30~「クローズアップ現代 がんに負けない・怖がらない」アイススケート・ダンス 井上玲奈選手の挑戦を ぜひ ご覧下さい。明日の予定 「英会話サークル」
2008/04/10
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晴れたり曇ったりの天候で 北風が強く 肌寒い一日であった。今日から 4月。今日は エプリルフール と言うことで 楽天プログから 「JIMEsanのイメージ似顔」が 送られて来た。うさぎ年生まれは 分かっているけど 変なの・・・・中国の二男一家から 色々な品のリクウェストがあり 孫の好きそうな雑誌や 菓子 食品などを 買い揃えて 段ボール 1個に入れたら 丁度 10kgとなった。いつものように 郵便局から EMS便で 発送したら 一万円かかるのだが 今回 新潟に居られる二男の友人が 春休みを利用して 上海へ観光に行かれるので「良ければ 飛脚代わりに 荷物 持って行きますよ。」と メールを頂いたので お願いすることにした。普段利用している「クロネコ・ヤマトのホームページ」を見ていたら便利なサービスがあることが分かった。出発時刻に合わせて「成田空港・GPA宅配サービスカウンター」で 荷物が渡して貰えるのである。ホームページから 入力して 夕方に 自宅へ 荷物の引き取りに来てくれた。運賃は 1,880円、差額分は 二男に「友人に 上海で ご馳走おごって上げて。」と メールしておいた。また ついでに 発送伝票の印刷の無料サービスも分かり これも注文したら 即 4日後にお届けしますと メールが来た。商品販売も 色々とあり 全て運賃無料で 仏壇まであるのには 驚いてしまった。本日のエクササイズ。ERI先生 ミドル・エアロ JOG 50分 30名。4月に入り 全体のプログラムは 更新されたが ジメさんの受けるレッスンには 大きな変更はなかった。初回のコリオが始まったが 基本は変りなかった。右左で 止まってポーズが追加されたので 皆さん 自分の姿勢と表情を確認して楽しんだ。先生は いつもの通り 手足を一杯伸ばして 身体を引き上げて 上へ上へと高く飛ぶよう指示された。最後の通しでは 皆で 掛け声をかけて 大きく動いたので 気持の良い大汗が流れた。ジメさんも 右ふくらはぎの故障は完全に癒えたようだ。明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2008/04/01
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お昼過ぎから 日が差したが 時々 小雪も散らつく 冷たい一日だった。本日のエクササイズ。IZUMI先生 ミドル・エアロ JOG 50分 17名。先週 体調を崩して 休まれた先生も 元気にカムバックされた。今日も 2つのパートを繰り返して 縦横に 激しく飛び回って動いた。みんなも ハードな動きにも 笑顔で着いて行く。ジメさんも 今日も身体が軽く 大きく動いたので とても気持の良い大汗をかいた。今日 ネットサーフィンしていて とても興味深い旅行記を見つけた。一昨年の 12月末に 大阪港から 上海港に上陸し 列車とバス そして安宿を利用して 中国の観光地を巡って 現在も 旅行を続けておられる。旅行記は 写真も多く 細かい記録もよく整理されており 中国の都市部や田舎の様子が良く分かり とても面白い。また リンクにも 各種情報や 他の旅行記なども 沢山アップされている。また お気に入りに入れて 一緒に 旅に着いて行こうと思っている。「流浪小侠さんの 中国バックパッカー観光旅行記」明日の予定 「英会話サークル & ? 」
2008/01/24
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左の「Favorite Blog」の「なお&ゆうこさん」は 昨年11月から東京・渋谷で ダイニング・バー「CATARATAS」を オープンされて 旅好きの仲間が よく集まっておられるようだが 先日 そこに「世界一周旅行を終えられた三組のご夫婦」が集まられたようだ。その時 三組のご夫婦が アルゼンチンの最南端の町 ウスアィアで宿泊された「上野山荘」のことが 話題になったそうだ。ジメさんが 大学卒業前に 就職相談室でお世話になった先生が その上野先生だった。大学紛争が激しくなり また 炭鉱閉鎖で失業者が増えつつある時 日本政府と アルゼンチンの移民協定が出来て その第一回の移民団として 上野先生ご一家は 神戸港から 移民船「サントス丸」で 昭和38年に アルゼンチンに渡られた。十数年後に 朝日新聞で「地球最南端に住む 唯一の日本人一家」と言う記事を見つけて手紙を差し上げて 先生ご本人であることを確認した。その後 音信不通で失礼していたが 昨年夏に「なお&ゆうこさん」が ウスアィアへ行かれることを ブログで知った。残念ながら 上野先生は もうお亡くなりになっていたが 奥様は健在で「上野のおばぁちゃん」と 旅行者から慕われておられ お嬢様も ブエノスアイレスで宿を開かれていることが分かった。明日 2日 16:00-18:00 テレビ朝日系列(近畿では ABCテレビ)「世界の村で発見!! こんなところに日本人[南米・世界最南端に 85歳・・・]」で 放送されると お知らせを貰った。ブログでも 上野のおばぁちやんの写真を沢山見せて貰ったが テレビでどんな画面がみられるのか とても楽しみにしている。「なお&ゆうこさんのブログ・ウスアィア」「森さん夫妻のブログ・上野山荘」
2008/01/01
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神戸港 開港140周年記念のイベントとして「KOBE帆船フェスタ2007」が 11/23-25日に開かれる。世界最大の帆船「日本丸」「海王丸」の二隻が 同時に入港する。23日午後には 全ての帆を張る「セイリング・ドリル」があり その美しい姿も見られる。夜間は ライトアップもされているので ぜひ見たいと思う。ジメさんは 船も大好きである。東京在住の頃には 三浦半島・三崎港から 帆船「海星」に乗船し 帆船トレーニングに 計5回 参加した。また 退職前には 大阪市の帆船「あこがれ」で 新潟~函館に乗船したり 伊丹へ戻ってからも 大阪湾クルーズも乗船した。港の外へ出て エンジンを停止して 帆走に入ると 波を切る音だけが聞こえる 静かな航海は とても気持の良いものである。約30m(ビルの9階位)のマストのトップギャランに登っての 展帆作業も 最初はビビッタが 馴れるととても眺めが良く 気持の良いものであった。また 2000/8-9月には ピースボート「OLIVIA」に乗船し 南太平洋45日間クルーズに参加したり 2001/2月には 南北コリア・クルーズにも参加した。ピョンヤンと ソウルを訪問し 遠州灘に戻って来たら 自衛隊のフリゲート艦に守られて 東京港に入港した 翌日が 2/11NY同時多発テロであった。テロ情報が 日本政府に入っていたに間違いないと思っている。
2007/11/08
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なお&ゆうこさんが 世界一周の新婚旅行から帰国されて半年間、二人の夢であった ダイニングバー「CATARATAS」が 本日 東京・渋谷に開店です。皆さん ジメさんからの紹介と言って 末永く ご贔屓にお願いします。「CATARATAS」の ホームページは 「ここ」
2007/10/21
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10月21日 日曜日に 東京・渋谷に 「CATARATAS」が オープンします。左の Favorite Blogにある オーナーの「なお&ゆうこ」さんは 昨年2月14日に 新婚旅行を兼ねて 世界一周の旅に出発されました。目的は 世界の国々のビールを味わい 料理の勉強をして 帰国したら 二人のお店を持ってお客さんに喜んで貰うことでした。今年3月23日に帰国され 夢の実現に向けて 着々と準備をされていました。ジメさんは 出発当初から 毎日 旅先から書き込まれるブログを 追っかけて読み 楽しませて貰いました。その中で 一番の驚きは 南米アルゼンチンの最南端の町「ウスアィア」からの ニュースでした。ジメさんの 大学でお世話になった先生が移住されて 「上野山荘」と言う宿をされていたことです。残念ながら 先生は亡くなられていましたが 今でも 奥様が一人で頑張っておられます。旅先からも 何度も書き込みをして下さった お二人の優しい気持に まだお逢いしたことはありませんが 自分の息子夫婦のような気持です。きっと 旅先で受けられた親しみと優しさを 今度は お二人のお店で お客様に提供されることでしょう。ジメさんは お酒は飲みませんが 上京の機会があれば 行ってみたいと思っています。ビール大好きの方 海外旅行の大好きな方 ぜひ 覗いて上げて下さい。そして 皆さんの ブログでも 宣伝して応援して上げて下さい。渋谷「CATARATAS」の ホームページは 「ここ」「なお&ゆうこ 夢のダイニング・バー」の ブログは 「ここ」ブログ仲間 ほしのきらりさんの「きらり旅日記」10/14 に 楽しく紹介されています。 「ここ」
2007/10/16
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今日も 良く晴れて 気温がぐんぐん上がり 夏日となった。左の「Favorite Blog」「ゴー! ゴー! 世界一周ブログの Naoko♪さん」が 来週 また 世界一周の旅に 出発されるようだ。今度は 「世界一周航空券 ワンワールド・チケット」を 購入しての 出発のようである。貧乏 暇あり 体力ありの ジメさんなので また 毎日 ブログを見て 旅に着いて行こうと楽しみにしている。皆さんも ぜひ「お気に入り」に入れて 追いかけて下さい。Naoko♪さん お身体 気をつけて 行ってらっしゃーい。本日のエクササイズ。KURICHAN先生 アドバンス・エアロ MAX 60分45名。三週目のレッスンで 約束通り 今日から 二つのパートに 手の振りが着いた。みんな キャーと驚いた。手に集中すると 足の運びのカウントが合わない。先生は 笑いながら 何度も 分解して教えて下さった。最後の通しの時には みんな 余裕の笑顔も見せて きれいに揃った。ジメさんも 少し 誤魔化しながらも 大きく動いたので 気持ちの良い 大汗が噴出した。本当に 先生のレッスンは 楽しくて 元気が貰える。先日 東京で行われた 「エアロビック世界大会代表選考会 AFLAC CUP」の結果が 発表された。(結果は RESULTを クリック)懐かしい名前も沢山ある。みんな 頑張ってるんだ。アメリカでも 頑張ってきて欲しいものだ。明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2007/05/23
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朝から 小雨が降ったり止んだりの天気であった。先月は 雨で流れた「八逢会(ヤッホー会)」の4月定例ハイキングには バンコックから 一時帰国された OTOMIさんも含めて 同級生16名と 夫人6名 合わせて 20名が集った。桜の花が終わって 新緑の季節になり 京都・西山には 筍が最盛期となり リクウェストの多いコースを 幹事さんが準備してくれた。今日のコースは 7:40am 阪急・十三駅集合⇒ 8:30am阪急・東向日駅⇒ 9:00am南春日町⇒9:30am大原野町・筍農家⇒11:00am金蔵寺(こんぞう寺)昼食⇒東海自然歩道⇒0:45pm善峰寺(よしみね寺)⇒3:00pm阪急・東向日駅の 約8km 6時間のコースであった。バスを降りて 少し歩くと 小さな田舎屋があり 幹事さんが下見された時に美味しかったので 「竹の子弁当」を 全員の分を予約しておいてくれたので それぞれが受け取って リュックに入れた。そこから 15分歩いて 西山・大原野町の筍農家にお邪魔した。ご主人は 今朝 5時から 竹林に入って 我々のために 筍を掘って 待っていて下さった。市価の半値位で分けて下さった上 余ったのは全部 無料で持ち帰りOKは 一昨年もそうだったので みんな期待して 大きな袋を持っていたので むしろ その方が量が多かった。しかも 今日は 後で 阪急駅前まで 軽四で届けて下さるとのことで 本当に助かった。しかし このサービスも 今年で終わりと聞いて 驚いた。この一帯の竹林は この夏から 工事が始まる 名神・山崎ICから 分岐して 京都・丹波方面に抜ける 高速道路の用地として 買収されたそうだ。阪神タイガースの大ファンの ご主人も 数年前の大病から カムバックされて元気になられたが そろそろ畑仕事から引退しようと思うと 少し 寂しそうだった。竹林の中の道を通って 山道に入る頃から 小雨がパラパラと降ったり止んだりしたが 今日は 結局 最後まで 傘を差すような雨にはならなかった。むしろ 軟らかい新緑が 雨に洗われて とても美しい景色を楽しむことが出来た。「金蔵寺」の境内で 早めの昼食にして「竹の子弁当」を開いたが これが又 素朴で格別の味であった。休憩の後 木立の中を ゆるやかなアップダウンを繰り返し「善峰寺」に着いた。ジメさんは初めてだが 広大な山の斜面に 数々のお堂が配置された 大きな寺で 特に 植木の手入れと 掃除が行き届いた 美しいお寺だった。山門に 荷物を置いて 各自 それぞれ 約一時間半 境内を散策した。釈迦堂付近の展望台から見下ろす 京都の町は 小雨で霞んでいたが 色とりどりの新緑の山波は 見事なものであった。紅葉の頃も きっと素晴らしい景色だと思った。バスで 山を下り 「東向日駅」に到着すると 筍農家の夫婦が 軽トラックに荷物を積んで 待っていてくれた。「えぇっー」と みんなの荷物は 驚くほど大量で重かったので こんな荷物を持っては迷惑だし 少し時間が早かったので 今日は 予定のお風呂屋さんは中止することになり ここで一旦解散となった。重たい荷物を持たされて 自宅に戻り 軽量したら 11kgもあった。お金を払って買ったのは 3.4kgだったので サービスの方が多かった。ヨメさんは「他所さんは もっと多かったんよ、お父さんのために 遠慮したのよ」「山道は楽だったので 足は痛くないけど 今日は お喋りし過ぎて 口がつかれた」と 笑っていた。毎度のことながら 幹事諸兄の万全の下見と 準備のおかげで 今日も 楽しい一日を過ごさせて頂いたことを 深く感謝している。明日 月曜日 夜18:10~19:00「エアロビック世界選手権/スズキ・ワールドカップ」が NHK 衛星第一で 放送されます。明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2007/04/22
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6日 今夜 20:00から NHK衛星第2で マイケル・ムーア監督の作品が放映される。1999年 カナダ コロンバイン高校で起こった銃乱射事件の背景にある アメリカ銃社会が抱える闇を鋭く描いている。全米ライフル協会会長 チャールトン・ヘストンに 監督自身が 直接取材して激しく追及する場面などは見ものである。ジメさんは 日本で公開された時 この映画を見て コンビニで 簡単に 銃や弾丸が購入出来て親が 自分の子供の護身用として 可愛いデザインのピストルを選んでいる実態を知り 恐ろしくなって アメリカへ旅行するのを 今でも 躊躇っている原因の一つである。もし 時間が許せば ぜひ ご覧下さい。朝から 時々 小雨がバラつく中 お昼前に TIP塚口へ行き EASTGARDEN先生の CARDIO-Quest 50min.を 受けた。その前のレッスンに「予防医学研究会・ジメさんのガン体験記」 peopleにも 書いている Mr.Yamadaが出ておられた。先週 お会いした時に「左肩が痛くて 腕が上がらないので もうエアロビックを止めようと思う。」と 言われたので「片腕でも パラリンピックの選手いるじゃないですか。ここへ来なくなったら すぐ体力衰えて寝込みますよ。ジメさんは 90才の貴方を目標に 頑張っているのですから。」と 励ましておいた。スタジオの中で 左手を使わずに 片手でグレープパインなどやり難そうだが 笑顔で手を振って合図をして下さった。終わって 外へ出て来られたら「やっぱり止めようと家に居たら 本当に 寝込みそうな気がしたので 気合を入れて来たよ。宮本武蔵の二刀流でなくても エアロは出来るよ。」と 笑っておられた。今日のレッスンは 二週目に入ったが 少し馴れて みなさん よく動いておられた。給水タイムの時 Kさんが「今月のは 楽しいね。」と 大きな声で言われてから 先生も 皆さんも 一層 笑顔で大きく動かれるようになった。ジメさんも 一瞬止まって 鏡に向って 両手を上げてポーズするところが とても気持が良いのを感じていた。回転や 移動のジャンプも入ったが みんな掛け声も出て 大きく動いたので とても気持のいい汗が流れた。今日の自己採点は 90点位の満足度があった。終了後に 先生に「今月のコリオは 強度もあるが とても楽しくて いい汗が出たよ。」と 声をかけたら とても嬉しそうな笑顔を見せておられた。明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2006/09/06
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今日も 良い天気となり 洗濯がはかどった。お昼に TIP塚口へ行き YONECHI先生の CARDIO-Quest 50min.を受けた。スタジオは 30名位と空いていた。最終週となり みんなコリオにも馴れたので レッスンは どんどんと進んだ。先生は バックラウンジから 一回転して 鏡に向ってポーズで止まるところで 顔を上げて笑顔と 気合を入れられた。ピッチも早くなり 全員で 何度も繰り返したら スタジオの全員が 見事に動いている。掛け声も出て 最高に盛り上り 思い切り気持ちの良い汗が流れた。今日の自己採点は 95点、気分も 上々であった。YONECHI先生は 6月11日の スズキ兵庫県予選大会で リードを取られることに決まったそうだ。とても楽しみだ。インドネシア・ジャワ島の地震の被害は 死者5,000人を超える 大惨事となった。一日も早く 世界から救援の手が差し伸べられることを願い 今日 スポーツクラブの帰りに 郵便局から 義捐金を送金した。それよりも気がかりなのが「東ティモール民主共和国」の動静である。ジメさんは 2000,9月に 「ピースボート」の 南十字星クルーズ45日間に乗船し 9/9,10に 東ティモールの 首都ディリに寄港した。その前年に 独立をめぐってインドネシア軍と衝突し 町は焼き尽くされ 数万人の市民が殺害された。国連軍のPKO活動により 治安は回復したものの 上陸した町は 焼け野原であり 太平洋戦争の空襲で焼けた 西宮市と何ら変わらなかった。港に接岸してから ピースボートが積んでいった 救援物資をバケツリレーで 荷揚げした。中古パソコン、各市町村から貰った 中古自転車、皆で 集めた中古の楽器や ノートなどの学用品などの他に 当時 雪印乳業の事件で 返品された 粉ミルクや ビスケットなども 沢山積んでいって 喜ばれた。国連差し回しのトラックに乗って移動し 戦乱で親を亡くした孤児たちが収容されている教会を訪問して 慰問品を渡し みんなで歌を歌ったり ダンスをしたりして 交流した。若い仲間達は 焼け野原と 孤児たちを見て 大変なショックを受けたようだが ジメさんは 終戦直後に 食べるものも無く 毎日 アメリカの進駐軍の兵隊を相手に「Give me chocorate?」と物乞いをした自分とダブって ティモールの子供達が 誰一人として 物乞いをしないことに感銘を受けたほどであった。やはり キリスト教会のNGOの先生達の指導が行き届いていたのだろう。その夜は 市街地から少し離れて 戦火の被害から免れた家に 分宿させて貰った。ジメさんのグループ 15人は RINOさん一族の 三軒の家に泊めて貰った。若いお嫁さんたちが 作ってくれた料理は お世辞にも ご馳走と言うようなものではなかったが 心がこもっていて美味しかった。夜遅くまで 一族の子供達も交えて ギターを弾いて 歌声が響いていた。蚊の襲来で 眠れぬ一夜が明けたら 朝早くから お嫁さんたちが 釜戸でパンを焼き 子供たちが 庭を掃除して テーブルが並べられて まずお客さんからと 朝食を頂いた。続いて 男達 子供達 最後に お嫁さん達と 順番が決まっていたようだ。このときの 素朴な焼きたてのパンの味と とても甘いコーヒーは 今でも覚えている。2日目は 唯一 焼け残った体育館で 歌や ダンスで交流し 一緒に行った 河内家菊水丸一門の音頭で みんなで盆踊りをしたり 地元のチームと サッカーをしたが 相手の半数が 裸足でボールを蹴っていた。日が暮れて ピースボートが出港する時 岸壁には 町中の人たちが見送りに来てくれて「ティモール・ロロ・サエ(ティモール万歳)」の歌を歌って「オブリガード(ありがとう)」と 叫んで船が見えなくなるまで 見送ってくれた光景は 今でも脳裏に焼きついている。2002年に 選挙が行われ 独立し 治安も良くなって 復興建設も進み 国連のPKO部隊も引き上げて 平和が続いているものと思っていたが 今回 大統領派と 首相派の衝突に 引退した国軍兵士が 放火 略奪で 混乱に拍車をかけているようだ。ニュージーランド オーストラリアの軍隊が出動して 治安回復を図っているが 折角 復興した建物が また 焼き尽くされたと聞いて 心が痛む。あのくったくのない笑顔の子供達 親切に世話してくれた RINOさんの一族 シドニーオリンピックの 日本vsブラジルの試合の応援に 一緒に船旅をした サッカーチームの青年達は 無事であろうか?一日も早く 混乱が収拾して また あの自然豊で美しい 東ティモールに戻って欲しいと 祈っている。明日の予定 「エアロビックス & 阪大病院採血」
2006/05/30
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昨夜 寝る前になって 右ひざが痛みだした。こんなことは 久しぶりだった。原因は 昨日のレッスンで ジャンピング・ジャックで 高く飛んで 腰 膝をひねるのを無理して 正しい着地が出来なかったからだと思った。入浴して マッサージをして バンテリンをすり込んで手当てをしたので起床したら 大分良くなっていた。朝一番に YONECHI先生に「あの動作は 危険かも?」と メールしたら すぐ「すんません。来週は 考えます」と 返事が来た。雨が激しくなったので 電車に乗って お昼前に TIP塚口へ行き EASTGARDEN先生の SLIM-WALK 45min.を受けた。昨日 一緒したメンバーさんが 3人おられたので 膝の痛みのことを尋ねたら 同じような痛みを感じられていたようだ。今日のレッスンは 基本動作を組み合わせて しっかり動ける内容なので 正しい姿勢を保ち 大きく動くことを心がけたら 大汗が流れて止まらず ストレスが解消したのか 膝の痛みも消えて 元に戻った。午後は 妻から ニューヨーク滞在の様子を聞かせて貰った。ジメさん夫婦は ハワイ旅行の経験はあるが アメリカ本土の経験はない。旅なれた妻も 今回は 初めてのことが多く いい経験になったようだ。特に デトロイト空港の入国審査では 指紋の採取と 写真撮影は 時間がかかったようだ。尋問審査も 自分達はすぐ終わったが 中東の人たちの列に並ぶと時間がかかって大変なようである。そして国内線への乗り換えチェックインも 全てパソコン画面をタッチして行うのだが 日本の空港と違って 案内の係員が殆ど居らず 米航空会社の合理性が よく分ったようであるが 同じノースウェストなのに 何故 荷物を最終地まで 運んでくれないのか不満のようである。1日目は 夕方5時に 七番街の ウェリントン・ホテルに チェックイン、夜はブロードウェイ・ミュージカル「ライオン・キング」鑑賞。2日目は 午前中 目的のバレェーレッスンは 土曜日は休みであった。午後に リンカーン・センターで NYシティバレー公演「火の鳥」鑑賞。夜は ミュージカル「オペラ座の怪人」鑑賞。その後 10時から バードランドの ジャズ・ライヴ、ミュージシャン達が来月 大阪「ブルーノート」公演に来るそうだ。3日目は 昼間に エムパイヤステートビルに上がったが 雨で何も見えず。夜は ミュージカル「シカゴ」鑑賞。すぐ ホテルに戻り 荷造り。チケットは 全て当日朝に 劇場の窓口で並んで 座席表を見て購入したそうだが 60 US$で 結構良い席であり 日本で購入して来られた人たちは 100 US$で 座席も悪かったと 悔しがっておられたそうだ。ミュージカルも バレェー公演も 何で こんなに男性のお客さんが多いのだろうと思ったそうだが アメリカでは 夫婦同伴で出かけるのが当然であり 女二人で居たら 隣の席の人に「貴方たちは 二人とも 未亡人ですか?」と 聞かれたので そんなもんだと言っといたとのこと、殺されてたまるかー !ホテルの足場も良かったので タクシー 地下鉄は乗らず 全て徒歩、一緒に行かれた友人が 「よくそんなに早く歩けるね?」「そのために 先週 信貴山登って来たのよ」と 言ったら 驚いておられたとのこと。4日目は NYラ・ガーディア空港まで 送迎バスで 20分、デトロイトで乗り継いだ後 食事したら 後は目が覚めたら 関空だったようだ。かくて 妻の 三泊5日 \ 49,800- + α の 激安ツアーは無事帰還。さぞ時差ボケで 疲れていると思いきや 今夜も コンサートやらにお出かけだ。負けたー !明日の予定 「エアロビックス & ? 」
2006/02/01
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昨夜 10時過ぎに 次男夫婦は 東京から戻って来た。孫は ママに飛びついて 今まで 溜まっていたのか 一気に 中国語で話をした。後で聞くと イェイイェイと ナイナイが 風邪を引いてはいけないと 外へ連れて行ってくれなかったので 面白くなかったと告げていたようである。お風呂に入って寝てから 突然 高熱をだして お腹が痛いと言い出し 下痢をするやら 嘔吐するやら 大騒ぎになった。朝一番に 病院に行き 薬を貰って来たが お昼過ぎまで お腹が痛いと泣いていた。明日の飛行機で 上海へ帰国する予定なのに どだい無理のようである。急遽 JALに電話を入れて 予約の変更を申し入れたが 中国で購入した来たチケットは 二週間FIXで 変更は効かないとのこと。何とかならないかと相談したら 医師の診断書をFAXするようにと指示されまた 病院へ行き貰って来た。診断書には 急性気道炎 及び 急性胃腸炎で 一週間の安静療養が必要となっていたので JALは 来週 22日までの延長を認めてくれて 助かった。次男は 仕事の都合で 明日 帰らなければならないが どうぞ 一週間のうちに ママと一緒に帰国できるよう 早く元気になって欲しいものである。そんな訳で 今日は エアロビックスも お休みにした。仕方ない。第9日目 11月30日いよいよ チュニジアを離れる日となった。今朝は 3:00に起床して 4:00出発で チュニス・カルタゴ空港へ向う。シェラトン・ホテルは 我々と もう一組の日本の団体のため 3:00に レストランを開けて 簡単な朝食をサービスしてくれた。さすがである。昨日 荷造りする時に 添乗員さんから スーツケースの重量は 出来るだけ制限の20kg以内にして欲しい、万が一 オーバーしても すぐ抜き取れるよう 予め 用意するようにと言われていた。部屋に 秤はなかったが 二人とも かなり重たい いざと言う時のために オリーブ油の瓶 3本を すぐ出せるようにして 空港へ行った。チェックイン・カウンターで 私の荷物は 38kgと倍近いオーバーであったが そのまま コンベアに乗って奥へ入ったので シメシメと思っていたら ヨメさんの荷物は 28kgで ダメと言う。ガイドのヨハンさんが 窓口と交渉してくれたが 超過料金15,000円を払えと言って引かない。二人合わせても 20,000円のお土産しか買ってないのに ここで15,000円も取られたのでは 何のために 苦労して値切ったのか意味がなくなる。抜き取る用意のオリーヴ油は もう先に行ってしまっている。ジメさんは 以前にも カナダから来た学生の荷物で 関空でもめたことを思い出し こんな時は態度で示すことだと思い" I will pick some goods out."と ええかげんな英語で ヨメさんのスーツケースを引き取り 目の前で バンドを解くふりをした。その時 次のご夫婦の荷物が 各13kgで通過するのを見逃さなかった。ヨハンさんも すぐ"Group total OK?"と 聞いてくれた。担当は 苦笑いしながら その荷物をこちらへ戻せと言った。ヨハンさんと 担当に"サンキュー、グラッチェ、ダンケ、メルシー、ありがとう"と 感謝の言葉を知ってるだけ並べて 無事ゲートを通った。後で 添乗の水谷さんに聞くと「最近は 原油の急騰で 各航空会社とも 採算を維持するため 重量制限がきびしくなっている。特に エールフランスは オーバー分の追加料金はきびしく請求するし そのエールフランスに最近買収された ルフト・ハンザ航空も 同様きびしくなった」と 聞かされた。AZ-865便は 6:00発の予定であるが 乗り込んで窓から見ていると 我々の荷物を二人の係員が 手積みで機内に入れている。ジメさんの重たいケースが見えた。申し訳ない。そのせいでもなかろうが 40分遅れで ミラノ空港に向けて飛び立った。7:10頃に 地中海の上空の雲海の中から 眩しい太陽が顔を出した。イタリヤの上空に来ると 分厚い雲の隙間から見える山々は 雪で真っ白であった。8:30に ミラノ・マルペンサ空港に着陸した。ここで 乗り換えの AZ-794便 15:15発まで 約7時間の 待ち合わせ時間である。38名の内 19名の方は OPツアーで バスでミラノ市内の観光へ、15名の方は 空港内で時間つぶしをされる。離団届けを提出して 高松の若い女性二人と ジメさん夫婦は 電車でミラノ市内へ出かけた。予め インターネットで Malpensa Expressの時刻を調べてあったので まだ 8:53の電車に間に合うと 地下の駅へと走った。チケットは 往復14.5ユーロ。電車は ガラガラで 二階の展望室に座った。空港を出て トンネルから出ると ところどころ畑にに 昨日までの雪が残っていた。電車は 40分で NORD駅に到着した。若い二人は 駅の近くの「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」へ 「最後の晩餐」の絵画を見に行くと言う、予約無しでダメなら元々と そう言う気持ちが行動力を生むのだと 幸運を祈って 駅で別れた。ジメさん夫婦は METROの Cadorna駅から 2号線で 三つ目 PT,Genova駅まで行く。乗車券の自動販売機で迷ったが 後ろの娘さんが教えてくれて 1ユーロのチケットを買った。Genova駅に降りると もう中世の生活の臭いが一杯の「ナヴィリオ」の町だ。ガイドブックを見て ぜひ行こうと決めていた町だ。土日は 地元の観光客で賑わうようであるが 今日は早いので 我々二人だけで とても静かであった。運河の両側には 古い住宅が並んでいた。先ず CAFEで コーヒーの飲みながら雰囲気を味わおうと入った。一人で新聞を読んでいた 老人が「日本から来たのか? ミラノに住む友達から 京都は素晴らしい町と聞いていて 死ぬまでには行って見たい」などと 話しかけられた。30分ほど休憩し 運河に沿った道の店を眺め 時折 入り口からパティオに入ると おしゃれな店があった。ダックスフンドが出てきて遊んでいたら かっこいい女性が 店の中へ入れと言う、そこは家具とインテリアの店だった 日本から取り寄せた 湯のみ 茶碗 お箸などをディスプレイしてあったが どうも並べ方が変だ。ジメさんは 了解を得て 少し置き方を変えて上げたら とっても喜んでくれた。さらに運河に沿って進み 右手を見ると 運河の中に 二艘の舟が レストランとして繋がれていたが 営業は12:30からで 残念であった。少し進むとASCANT STREETの凱旋門(ティチネーゼ門)があり 市電が何本も交差していた。この通りも 可愛いお店が もうクリスマスのセールをしていた。ヨメさんは面白い置時計を見つけて買った。小さな市場も見つけたので 場内一周して 今度は 運河の反対側の岸を 地下鉄駅の方へ戻ることにした。途中 古いレンガ造りの教会があった、誰もいなかったが 中に入って ろうそくを上げて 元気で旅に来られたことを感謝した。教会の鐘が正午を告げたが この辺りのレストランは 全部 12:30からの営業でがっかりしていたら 丁度 ピザ屋さんが オープンしていたので そこへ飛び込んだ。お客は誰も居なかった。丸々と肥えた親父が 焼きあがったばかりのピザを指して どれも全部旨いよと言う、マルガリータと トマト・オリーヴ・チーズのミックスを注文したら 物凄い大きなカットで食べきれず 紙につつんでくれた。飲み物と合わせて 7ユーロを払って 釣りはチップだよといったら "アリべ・デルチ"と 表まで出て 手を振ってくれた。地下鉄で CARDONA駅まで戻り 駅前で写真を撮り 12:57発の電車に乗って13:37 空港駅に戻った。帰りの電車で 女性二人組みも一緒になり 彼女達も「最後の晩餐」を 見ることが出来て 大満足だと喜んでいた。すでに バス組も戻っておられ 14:30の集合時間には 全員が揃った。他のイタリヤ観光のグループも 沢山おられたが 聞くと 連日天候が大荒れで ヴェネチアの島にも入れず 散々だったと嘆いてる方が多かった。ミラノ空港から AZ-794便は 定刻の15:15に飛び立った。夕食のサービスが終わって すぐ眠ってしまい 目が覚めたら 北京の上空に来ていた。西からの強い追い風に乗って 予定より 30分早く10:30に 無事 関西空港に到着。かくして 事故や 盗難の被害もなく 無事 チュニジアの旅を終えた。添乗して下さった 阪急トラピックスの水谷さん、現地 ATRANTIS VOYAGEのガイド ヨハンさん、 毎日「はーい はーい」と 元気で楽しく旅を一緒した 38名のツアーメイトの皆さん そして 旅に出られる健康を与えて下さった病院の先生や看護士さん 留守を守ってくれた家族にも 改めて 感謝の意を表して この旅行記は 終わりとします。みんな ありがとう!写真は 「ミラノ市内 ナヴィリオ地区の運河に浮かぶ レストラン」
2005/12/14
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今日も 晴れの割には 風が冷たかった。神戸では 例年より 20日早く 初氷が張ったようである。お昼に TIP塚口へ行き YONETTI先生の SLIM-JOG 45min.を受けた。先週の動きに さらに ターンや シザース さらに ジャンピング・ジャックがつき 複雑になったが 何とかついていけた。大汗をかいて 入浴の後 体重を量ったら チュニジアから戻って以後 62.5kgを キープしている。-2kgで 身体が軽くて動きやすいように思う。孫は 風邪をひいたら大変と 外へ出して貰えず お部屋で 隣の子供達と元気に遊んでいた。弟8日目 11月29日今朝は 6:00に起きて 7:00に シェラトン・ホテルのレストランで 朝食を取る。丘の上からの眺めが良く 7:10に チュニス湾の東に 太陽が昇った。今日も 快晴のようだ。8:00 バスで出発、12km 30分走って カルタゴに到着した。この町は 2800年前 フェニキア人により開かれ 紀元前29年に ポエニ戦争で ローマ帝国に敗れた後は ローマ人による都市が建設されたところで 遺跡も多く残っているが 現在は チュニジア一番の高級住宅地で 豪邸が並んでいる。8:40 まず「トフェ・タニト神の聖域」を見学した。ここはフェニキア人が ローマとの戦いに勝利を祈願するため 第二子の男児の頭部を撥ねて 神に いけにえとして供えた後の遺体を焼いて 石棺に入れて 墓標を立てた墓地の跡だった。断首台の石などもあり 少し不気味なところであった。9:00 「古代カルタゴの港」を見た。当時のカルタゴの繁栄を伝える長方形の商業港と隣り合わせに 直径300mの円形の軍港跡があった。当時は 200隻の軍艦が屋根つきの港に 係留されていたと言う。水面に 青い空と 丘の住宅街が映り 美しい景色だった。9:10 「アントニヌスの 共同浴場遺跡」に到着。この公園の入り口付近は 各国の大使公邸など 大豪邸が並び 門から出てくる高級車に おぼっちゃまが これから登校する姿も見られた。ここは 2世紀に ローマ皇帝 アントニヌスにより 建設された浴場の遺跡である。海岸をバックに 35,000平米 二階建てで 復元された模型を見ると デザインも 現在のリゾートホテルのように 洒落ていた。大小100を超える部屋の 床 壁が モザイクで飾られていたと言う。今は 地下部分の奴隷達が お湯を沸かすために働いていた部分が保存されている。水は 60km離れた ザグーアンから 前に見た 水道橋で運ばれたと言うから驚きであった。10:30 バスは坂道を登り 「ビュルサの丘」に来た。カルタゴの港から この丘まで ローマ時代の住宅が続いていた跡も残り カルタゴ市内を一望出来る丘には サン・ルイ教会と カルタゴ博物館があった。博物館を見学したが 見事に保存された モザイクの床 壁が印象的であつた。カルタゴから 丘陵地帯を 40km 走って 11:30 「シディ・ブ・サイド」の町に着いた。この町は 12世紀 フランス国王(聖ルイ9世)が 十字軍を率いて チュニスを攻めた時 戦死したとされていたが 実は イスラム教徒に改宗して ベルベル人と結婚、ブ・サイドと名前を変えて やがて聖人(シディは その称号)となり この地に葬られたところである。丘の上にある この町は チュニジア観光の代表として パンフレット等でよく見る 白い壁と チュニジアン・ブルーの扉・窓の建物が続く 美しい町である。青い空 沢山の花が咲いて 白い壁に映えていた。見学の途中 ブルーに塗られた チュニジアン・ドア の両扉に ドアをノックする人の拳をした 鉄製の金具を見つけた。「ファティマの手」と言う、お土産に探したが 町の建築金具店でしか売っていないと言われた。中央のハビブ・タムール通りの坂道にある シンボル的な建物の"Cafe des Nuttes"に入り 松の実いりのミントティーを飲んだ。腰の高い ござの敷かれた席で飲むお茶は 温かくて美味しかった。バスの集合地の近くに戻ったら 土産店の青年達が四五人 日本人と見て空手のスタイルをしながら話しかけてき来た。ジメさんは 素人ながら 身構えると 相手は カッコイイと言って 身振りを真似して大喜び。ついでに相撲の四股を教えてやったら みんな とても大喜びしたので 一人 10TD 寄越せと言ってやったら"Oh! No!"と言って 店の中へ逃げ込んで 大笑いになった。みんな一緒に写真を撮ったら バスが動き出したら みんな追いかけて来て 手を振ってくれた。眼下には 広いヨットハーバーが見えた。バスで坂道を下って 港の入り口のレストラン"Le Pirate"で 昼食となった。じゃがいもと トマトを包んで 春巻きのようなものと チヌのフライは とても美味しかった。食後 少しヨットハーバーを散策し バスは チュニスに向かった。風力発電の風車が並ぶ丘を越えて 70km 15:00に チュニス郊外の「バルドー博物館」に到着した。この博物館は 元は オスマン時代の三階建ての宮殿であり 主としてカルタゴ遺跡から発掘された モザイクの床や壁 そして カタコンベ(石棺)の蓋のモザイク画の優れたものが展示されており 見学に一時間もかかった。バスは 博物館から 30分 16:30に 旧市街メディナのカスバ広場に到着した。この辺りは チュニジア政府の官庁街で 市役所などもあり 退庁時と重なり 人も多かった。カスバ広場から 首相官邸の前を通って メディナの中へ徒歩で入った。グランド・モスクの四角のミナレットと シディ・ユセフ・モスクの トルコ様式の八角のミナレットが 夕焼けに照り映えていた。スークは 通勤帰りの買い物客で一杯だったが みんなは 最終日で 殆どチュニジア・ディナールを使い果たした後なので もう買い物もせずに30分間かけて ブラブラ歩いて フランス門まで抜けた。フランス門で 夕食までの一時間 自由時間となった。ジメさん夫婦は 昨夜少し歩いた フランス通りから 路面電車が走る道に沿って 裏町を見学した。17:10頃に ミナレットから 礼拝の呼び込みが始まった。男達は 足早にモスクの中へと消えて行き 通りは 通勤帰りの若い女性だけが ウィンドショッピングを楽しんでいた。18:00に フランス門に集合して バスはチュニス湖の中の一本道を走り 少し離れた港町のレストラン"Victoria"に着き チュニジア最後の夕食となった。料理は 魚介類を素焼きの器に入れて 釜戸で焼いた料理が出た。味は やはり ピリカラであったが 美味しかった。20:30に シェラトン・チュニスに戻り これでチュニジア観光の日程を終えた。明朝は 3:00のモーニングコール、4:00の出発だ。慌しく 荷造りを済ませて 早めにベッドに入った。写真は 「白い建物 チュニジアンブルーの扉と窓が映える シディ・ブ・サイドの町」
2005/12/13
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今日も 天気は良かったが 風がとても冷たかった。孫は 昨日 買って貰ったテレビゲームに 朝から 懸命である。画面に表示される ひらがなと音声を理解して 次々と ひらかなと かたかなの問題を選んで ゲームをこなして行くから 大したもんだ。これで 孫の日本語力は 少しは向上するかも知れない。お昼に TIP塚口へ出かけて KANMARI先生の TIP-MAX 60min.を受けた。二週目のルーティンで 各所に回転 シザースが入り 難しくなったが 何とかついて行けた。自分でも よく動けて 大汗が出た。7日目 11月28日今朝も 5:30頃に モスクの呼び込みの声で 目が覚めた。今日は 出発が早いので 6:30に レストランへ行くと もう 皆さん 来られていた。朝食の途中 眩しい太陽が顔を出した。今日も 快晴のようだ。7:45 バスは スースのホテルを出発した。スースから チュニスまでは 唯一の有料高速道路に乗る、この高速道路のシステムは 日本の技術供与により 日本より早く ACTが採用されていたそうだ。暫く走ると 右手に 初めて ゴルフ場が見えた。やはり 観光都市である。1時間走って ハマメットのドライブインで休憩したが 日本のサービスエリアと同じであったが 飲み物や お土産は安かった。ハマメットで高速道路を下りて 海岸沿いの道を走り 9:45に ナブールの町に着いた。ナブールは 陶器の町として有名だ。"Karukuni"と言う名の 陶器工房を見学した。若い社員達が ろくろを廻したり 細かい絵付けをしていた。様々な種類 模様の陶器が展示即売していたので 嫁さんは 二三枚買ったようだ。30分見学して 少し走り 10:30に ナブールのメディナに到着、ここの市場は 道幅も広く 売り子ものんびりしていて 会話がはずんだ。先ほど 陶器工房で一緒した ドイツの観光団のオジさんたちと一緒になり 色々と話しながら 廻った。ドイツを出て来る時は 猛烈な吹雪だったこと ワールドカップのこと ドイツでは 中田より 高原の方が人気があること 日本のことも ぜひ行って見たいと勉強されているようだった。11:10に ナブールを出発、ケビリヤの町に入ると 月曜市が 道一杯に広がっていて バスはのろのろ運転となった。靴 衣類 雑貨が山のように積まれて 買い物客でごった返していた。窓から よく見たら「何だ adbass?」チュニジアにも Beneton始め ヨーロッパのブランド品の工場があるらしいが 安物は 殆どが Made in Chinaの バッタ品のようだった。スースから 200km 12:30に ケルクアンの遺跡に到着。ここは紀元前2世紀頃に栄えた 東ローマ帝国に征服される前の フェニキア人の町の跡である。海岸沿いに 沢山の住居跡が残り ローマの大浴場のようなものはなく 各家庭の お風呂や 洗濯場の跡が残っており面白かった。約1時間の見学であった。バスは 15分ほどで ボン岬に近い 地中海を一望する エル・ハワリヤのレストラン"La Daurade"に着いた。昼食は「オジャ」と言う エビとトマトの煮込みで 結構ピリカラであったが美味しかった。昼食後 すぐ近くの波で侵食された洞窟を見学した。ここから イタリヤのシシリー島までは 120km位だそうだ。真っ青な空と 海の色のコントラストが とても美しかった。15:00に ハワリヤを出て 150km 一気に走って 今夜の宿「チュニス・シェラトン・ホテル」に 17:00に 到着した。シェラトン・ホテルは チュニスの郊外の小高い丘の上にあり もちろん五つ星である。夕食は ホテルのレストランで すずきのフライの魚コースで美味しかった。夕食後 高松から来られた 若い女性二人を誘って タクシーで町へ出ようと思い 玄関で 四人が降りたタクシーに乗り込もうとしたら 運転手が四人はダメだと言う。ホテルのドアボーイに言っても ポリスに掴まったら罰金だと言われ 結局 10TDで乗せると言う事になって フランス通りまで出た。メインストリートのハピプ・ブルギバ通りの両側の建物や メディナのフランス門も ライトアップされて とても美しい。人通りも多く 若い女性もさっそうと 流行のパンツルックでかっこいい。要所要所に ポリスが軽機関銃を肩に立っており 話しかけると 喜んで応じてくれた。通りのカフェ・テラスに座り Teaを飲んで 店員も話しに乗ってくる。違和感や 危険は 全く感じなかった。1時間ほど散策して タクシーを拾い 22:00に ホテルまで戻ったら メーターは 3.5TD、 5TD支払って 釣りはチップと言ったら 運転手は喜んで 記念写真を一緒に撮ってくれた。チュニスは NHKの衛星放送が見れるので 久しぶりに 日本のニュースを見た。ヨーロッパも 日本も 寒波で大荒れのようだが ここはそんな気配はなく 知らない間に寝込んでしまった。写真は「エル・ハワリヤから 地中海を望む」
2005/12/12
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今日は 曇り空で 風がとても冷たくなった。10:00過ぎに 近所の公園で 町内の子ども会の餅つき大会が開かれ 孫を連れて参加した。元気なお爺ちゃんや お母さん方が準備をされて 子供達が集まっていた。孫も顔見知りの友達を見つけて 嬉しそうに走り回っていた。お餅がつき上がり 皆で ご馳走になった。その後 子供達が順番に 杵を持ってつかせて貰い 孫も手伝って貰って 10回ついて満足していた。午後は 伊丹ダイヤモンドシティの「トイザラス」へ X'masのプレゼントを買いに一緒に行った。ボーナスサンデーで 店内は家族連れで超満員だった。予ねてから 欲しかったテレビゲームを買ってやったら 大喜びであった。6日目 11月27日今朝も 朝5時に モスクの呼び込みの声に 目が覚めた。夜が白んできたので 6:30に散歩に出た。ビーチに沿った道を 1kmほど先まで往復した。海岸に沿って 大きなリゾートホテルが何軒も続いていた。それぞれのホテルが プライベートビーチを持っていて ビーチパラソルや椅子が並んでいた。驚いたことに 何人かのヨーロッパ人が泳いでいた。さしずめ寒中水泳のように思った。7:10になると 海の水平線の彼方から 太陽が昇り始めたが 今日は 少し雲が多く 眩しくない大きな日の出だった。帰りに またCAFEに入って カプチーノを飲んだ。店内のテレビで コーランが流れていたが 誰もお祈りをしている様子はなく 色々と話しかけられた。やはり 日本人を見たら 中田・ホンダであった。朝食の後 プールサイドに卓球台があったので 日本の温泉宿の気分で ピンポンを楽しんだ。9:30に バスで出発 すぐ スースのメディナに到着し まず「グランドモスク」を見学した。ここは 9世紀の建設であり 当時は 宗教的な目的より 海からの敵の侵入を防ぐ要塞だったようだ。今日も青空で 四隅の塔が絵になる。広いモスクの庭には数人の僧が修業をしていた。続いて メディナの市場スークに入った。ここでも 盛んに「おはよう」「見るだけでも OKよ」と 日本語で呼びかける。食料市場では 牛や羊の頭を そのまま売っていた。メディナの入り口に 国営の土産物店があり 添乗員さんの勧めで 多くの女性は アラビヤ語で名前を書いた 銀のペンダントをオーダーした。ヨメさんも お嫁さんの分も含めて三つ注文した(一個 32TD 約3000円)。後で 出来上がったものを 首につけてお店に入ると ヨーコ ヨーコと 声をかけてくれたと喜んでいた。ジメさんは 買い物には関心ないので 一人で 港の方へ散策し CAFEに入り Teaを飲んで待った。今日は 日曜なので 若いカップルも沢山いた。10:30 スースから海岸沿いの道路を走って エル・カンタエイ港の町に 30分ほどで到着した。ここは リゾートホテルが集まったリゾートである。港には ヨットやボートが 500隻ほど繋がれて フィッシングや 潜水艇などへの呼び込みも盛んである。自由時間があったので 二人で カフェテラスで カプチーノを飲んだ。ここは ヨーロッパの観光客が多く ドイツの老夫婦と しばらく談笑した。12:30に 港の奥まったところのレストラン"NOUVA MARINA"の プールサイドのテラスで昼食を取った。メバルとベラのフライは 久しぶりのお魚だったので美味しかった。昼食後 スーパーマーケットへ立ち寄り お土産を仕入れた。ヨメさんは 荷物持ちのジメさんのことも関係無しに オリーブオイルの瓶や 缶詰など重いものばかり買ったが これが帰りのチュニス空港での問題となった。15:00に ホテルへ帰り 自由時間となった。大阪の母娘と四人で もう一度メディナへ行き まず モスクの向かいにある「リバト」を見学した。ここも要塞の跡を 神学校として使われたところだそうだ。海側に高い見張り塔があり 狭い螺旋の石段を登って 高さ38mの最上階に立つと 丘の斜面に展開する白い家々の町並みと 港の風景が一望できて 気持ちよかった。リバトを出て もう一度 ゆっくりとスークを冷やかしながら歩いた。今日は 人気のサッカーのテレビ放送中なので 店員たちは テレビのある店で大騒ぎしていて 商売ほったらかしの店が多かった。時間もあり 価格交渉も粘って らくだの皮で作ったランタンを買った。ホテルまで歩いて戻ったが まだ時間も早かったので 朝入ったCAFEで Teaを飲んだが 満員で賑やかだった。ホテルのレストランで バイキングの夕食を済ませた後は ジメさんは いつも通り お世話になった医師や 看護士さんたちに 絵葉書を25枚書いた。こうして旅に来られたのも 本当に この方達のお陰であり また 旅の便りを一番喜んで下さるからだ。その時 サイドデスクの机上に 10cm四方のラベルに 矢印があることに気がついた。翌朝 ガイドさんに尋ねたら 礼拝するメッカの方向を示すものだと言う事が分った。その後 ラグビー5ヵ国対抗のテレビを見ていたら 知らない間に寝てしまった。写真は 「庭園港 エル・カンタエイの風景」
2005/12/11
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午前中は 英会話サークルに行った。チュニジア土産の なつめ椰子を持参したところ 皆さんに好評で 美味しいとすぐ売り切れた。今日は T.J先生が 単語の単数と複数形では 意味が異なると言う実例を色々と教えてくれた。飛行機の機内食を配る時 "Want you chicken or fish?" と 聞かれて"I am chiken."と 答えて 変な顔をされたことを思い出した。「私は 臆病者です。」正しくは"I want chiken."と 言うべきだった。しかし"I want to eat chickens."となると 生きた鶏を食べたいとなり"I want to eat 10 pieces of chicken."で 初めてケンタッキーで チキンが食べられるなど 色々と面白い勉強をした。午後は 次男の手続きで 市役所へ行ったり 孫のスケートの組み立てをしたりして 相手をした。第5日目 11月26日昨日 暗くなってから ドゥーズのホテルに到着したので らくだツアーが今朝一番の予定に変更になったのは ラッキーであった。朝食を済ませて ロビーに集合すると もう みんな大騒ぎである。女性は殆どが ホテルの売店で アラブ女性のような 貸衣装を借りて 変身していた。料金は 2TD 180円だった。ホテルから 200m位の砂漠まで 衣装を着けた集団が歩く姿は まるでアリババと○○人の盗賊のようで 誰が誰だか分らなかった。5人の方が らくだツアーを辞退されたので 35頭のらくだが待っていた。ジメさんは もう何回も らくだに乗ったことがあるが 大部分の人は初めてで もう大騒ぎだ。必死にしがみつくから大変だ。力を抜いて 背筋を伸ばして らくだの歩みに合わせれば らくだ なのに。引き手のお兄ちゃんは 一人 四頭ずつ引っ張って 砂漠の中に入っていく。青空の下 広い砂漠を 35頭のらくだが行列を組んで進む光景は とても絵になった。約40分 坂を登ったり下ったりするたびに 歓声が起こる。途中 一回り大きな白いらくだに乗った男が現れて らくだの上に立ったり 刀を抜いてポーズを取り 写真を撮れと言う。ツアーの終点に来たらその男が ジメさんに この白いらくだに乗れと言う。危ないなぁと思いつつ 言うがままに乗ったが 椅子の位置も高くて 今まで乗ってきたらくだより はるかに高かった。少し歩いて 下りたら 途中 写真を撮った人は 2TD、お前は 10TD寄越せと言う、まぁ いい目したのだからと払った。9:15に ホテル・サハラ・ドゥーズを出発して マトマタに向う。途中 山の上のタメズレットの町のCAFEで トイレ休憩、ここのアーモンドの実の入った茶 テーは美味しかった。この店は 町の男の溜まり場らしくみんながテーブルを囲んで 羊の骨で作った牌で マージャンのようなゲームを楽しんでいた。110km走って マトマタのベルベル人が生活する 竪穴住居を見学した。この家は 六つの穴倉が部屋になっていたが 寝室はきれいなベッドが置いてあったり 台所にはきれいな道具が並んでいたが どうも生活臭がない。愛想の良いお婆さんと 少年がいたが きっと町の立派な家に住んで 観光用に ここへ通って来ているのだろうと思った。少し走って 11:45に ホテル・シティ・ドリスに到着、ここは「スターウォーズ」のロケ隊が宿泊していた 竪穴式住居をホテルとして営業している。トンネルで沢山の部屋につながっていた。食堂で ブリクと言う じゃがいものオムレツと クスクスと言う 硬小麦の粉の料理を食べたが ピリカラ味で美味しかった。12:40に マトマタを出発、この辺りから 道の両側には 広いオリーブ畑が どこまでも続く。2時間走って 地中海に面した マハレスのフラミンゴと言う ドライブインで休憩、ここの生オレンジのジュースは とても美味しかった。さらに2時間 マトマタから 243km走って エルジェムの円形闘技場に到着した。二世紀頃に建てられたもので 縦150m 横125m 高さ36m アリーナーの直径65m 収容人員4万人で ローマのコロッセオに比べると 一回り小さいが その保存状態は 一番良いものである。ジメさんは 事前の調べで 地下室にある ライオンを収容した檻を見たいと思っていたので すぐに地下室への階段を下りようとしたら ヨメさんが「こんな真っ暗なとこは危ないから 止めよう。」と叫ぶ、何を言うのかと思ったら サングラスをかけたままだった、このボケ!。地下室の檻は 本当にあった、また戦車を入れる 車止めのある部屋や ライオンや戦士が 地上のアリーナーに出る せり上げのエレベーターの跡も残されていた。今にも 映画で見たシーンの観客の歓声が聞こえて来る様であった。続いて 最上段まで上ると 四層の観客席が夕日に映えて 壮大な眺めであった。今回 数々見た ローマ遺跡の中では 一番良かった。45分の見学を終えて エルジェムから 67km 18:30に 今夜の宿泊地 スースの地中海に面した海岸に建つ ホテル・アブナワス・ブジャアファルと言う 舌を噛みそうな名前のホテルに到着した。このホテルは イタリヤ ドイツ フランスから 避寒のためにやって来た人たちが一杯で バイキングのレストランで 日本人の席が端っこにされたのが 少ししゃくだった。ここは 二連泊なので 夜の外出は止めにした。写真は「エルジェムの円形闘技場地下のライオンの檻で ガォッー!」
2005/12/09
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今日も 青空が広がったが 冷え込みはひどくなつた。お昼に TIP塚口へ行き KURICHAN先生の TIP-MAX 60min.を受けた。旅行で 一週抜けたので 新しい振りは とても難しく 最初は間違ってばかりだった。でも 周りのオネェさん方も 結構間違っていた。しかし 今月のは とても面白そうである。今日は 50点位の出来で 不完全燃焼だったが 汗は思いっきり出た。まぁ X’masまでには 絶対 ものにしてやるぞー。家に帰ると 次男夫婦はお出かけ 孫はおいてけぼりを喰らったようだが 隣の二人の子供達も遊びに来て ご機嫌で遊んでいた。第4日目 11月25日今朝は 5時に起きて 朝食抜きで 40名が 8台のトヨタ・ランドクルーザーを連ねて ホテルを 6:00に出発した。運転手は これだけ沢山の車で行くのは久しぶりと 砂漠の中を猛スピードで走る、しっかり掴まっていないと頭を打ちそうで とてもビデオどころではない。45分走って ジャメル砂丘の高いところの ビューポイントに到着、空が少し明るくなって来た。360度 見渡す限り砂漠の中で 我々以外には 誰も見えない。ジメさんは まず大変キメの細かい砂を フィルムケースに採取した。世界各地の旅行先の砂や小石を 小さなジャムの瓶に入れて ラベルを貼って もう20個位 並べてある このコレクションがジメさんの自慢だ。(実は これが一番安いお土産なのだ。) 7:10 東の地平線に太陽が眩しく輝いて顔を出した。見る見るうちに 太陽は大きくなり 砂の色を染めて行く、みんな 感動で大きな声で叫んでいる人もいる。02年 オーストラリアのエアーズロックや 南太平洋で見た 日の出とは また違うように思った。7:20 4WDは 転がるように急坂を下りて すぐ近くにあった「スターウォーズ・エピソード」のロケ地となったセット跡に着く。セットの張りぼての小屋は 少し壊れそうになっていたが 映画のロケハンの人たちが よくこんな場所を見つけて来るもんだと感心した。そこから 15分走って 次は「イングリッシュ・ペイシェメント」の撮影が行われた 塩の砂漠に到着。白い砂漠が 日の出の光を浴びて ピンク色に光っている。車から降りると 少しジュルジュルとして滑りそうだった。後ろを振り返ると 映画のシーンで見た「らくだ岩」も 日の光を受けて輝いていた。来た時とは違う砂漠の道を 運転手達は カーチェイスのように 追いつ追われつ 猛スピードで走り 8:15に 一旦 ホテルに戻った。朝食を済ませた後 9:20に 再び 4WDに分乗し 砂漠の中の舗装路を走り 10:40に シェピカ・オアシスに到着、隆起した地層が露出した山道を登ると 眼下に なつめ椰子が生い茂ったオアシス全体が展望できる。チュニジアンブルーの青空に映えて 見事な景色だ。坂道を下ると 岩の割れ目から 水が流れ出る泉りほとりにたどり着いた。泉には かじかのような蛙が 可愛い声で鳴いていた。川沿いに添って歩き 土産物屋が並ぶ 約1時間の見物を終えて 入り口まで戻った。そこから 4WDは さらに山道を登り ミデスと言う山の上にあるオアシスに 12:00に到着。ここは 数年前に水害に合い 今は廃墟となり露店が二つあるだけだつた。展望台から見下ろすと タメルザの深い渓谷の眺めが素晴らしい。振り向くと すぐ後ろの山の上に アルジェリアとの国境管理事務所の建物があり 山の稜線には 国境を示す白い杭が並んでいた。両国の国旗が 青空にはためいていた。少し 山道を下って タメルザの滝を見下ろす展望台に到着 少し距離はあったが 山の割れ目から 大きな滝が流れ落ちていた。タメルザの町も 水害の被害を受け 少し離れた場所に新しい町が開けていた。この乾燥した砂漠の大地の山から こんなに豊富な水が湧き出て その下流には 椰子の樹が生い茂ったオアシスが点在し 人々が生活をしている。自然の摂理は不思議なものである。4WDは 来た道を猛スピードで走り 14:00に トズールのホテル近くのレストランに着き 遅い昼食を取った。15:15 バスに乗り換えて出発、15分程で 市内の「パラダイス動物園」に着いた。ガイドさんが 世界でも珍しい動物が見られると言うので 楽しみにしていたが 規模の小さい動物園であり 特に 珍しい動物はいなかった。ところが この動物園の案内の とても背の高い 奥目のオジさんが その珍しい動物だったことが分り 後で大笑いになった。説明をしながら ライオンに「アクション!」と 声をかけると ライオンが大声で吼えて 突っかかって来たり らくだに コーラーの大瓶をくわえさせて飲ましたり 次は 煙草を吸う猿だと言うので 行ってみたら 自分が猿のような顔をして煙草を吸って笑わせたり あげくの果てに サソリや とかげ ヘビなどを次々と お客さんの頭に乗せたり 首に巻きつけたりして 怖がらした。ジメさんは そのオッさんを見て 今年亡くなった 吉本新喜劇の 奥目の八ちゃんのことを思い出した。高校の時ラグビーの試合で 相手チームに岡君が居て それから ズッーとファンとして応援して来た。このオッさんを 大阪へ連れて帰って 吉本新喜劇に入れたら 絶対 サンコン以上の スターになると思うぐらい面白かった。きっと 北海道の旭山動物園でも こんな風に 楽しく動物を見せているのだろうとも思った。アッと言う間の 45分間であった。16:00に 動物園を出発、しばらく走ると 一本道の両サイドに 強い日差しに水分が蒸発した塩の結晶が輝く大塩湖「ショット・エル・ジョリド」に来た。はるか彼方の山の裾まで広がる壮大な景観は見事であった。途中 トイレ休憩と写真撮影で停車したが この塩湖を横断する一本道は全長96kmあるそうだ。対岸のケビリの町を通過する頃には また夕日が美しくなり 17:50に 今夜の宿泊地 ドゥーズのオアシスにあるホテル「サハラ ドゥーズ」に 到着した。このホテルは 町から離れた 砂漠に隣接したリゾートホテルが 集まっている地域にあり 夜の外出も出来ないので 夕食を済ませて 寝ることにた。今日は 朝早くから 強行軍であったが 砂漠とオアシスの大自然に触れて今回の旅行では 一番 印象が強い一日であった。写真は「ジャメル砂丘に4WD並べて 日の出を待つ一行」
2005/12/08
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今日は 良い天気になったが 風が とても冷たかった。お昼前に TIP塚口へ行き EastGarden先生の SLIM-WALK 45min.を受けた。12月初回で 新しい動きとなったが このクラスは自分で大きく動いて いい汗をかいて 楽しく動けた。午後は 孫と近所のスーパーへ、日本へ来ると 中国には無い「ムシキング」の テレビゲームに熱中するのです。「なにくそ!」「やったー!」と 大声で叫ぶが 中国語が出ないのが 不思議である。第3日目 11月24日やはり ジメさんは 朝4時頃に 目が覚めた。夜が白んで来たので いつものように 一人で6:30に 町の散策に出た。ホテルの横の道を歩くと若い女性が沢山歩いていた。そこは 大きな病院であった。女性は みんな看護士さんのようであった。「ボンジュール」と 挨拶すると みんな笑顔で答えてくれた。ちなみに チュニジアでは 教育費と医療費は 原則無料とのこと 羨ましい話だ。病院の向かいに CAFEがオープンしていたので入り カプチーノを一杯飲んで戻り ホテルで朝食を取った。カイルアン・コンチネンタルホテルを 8:30に出発、すぐ向いにある「アグラブ朝の貯水池」を見学した。ここは9世紀に水不足を解消するため カイルアンの西36kmの丘から水道を引き 直径120mの池 14個に貯めて 市民に供給したものだ。現在も 4個の池が稼動している。日本では 平安時代であり その土木技術の高さに驚いた。そこから すぐ近くの「シディ・サハブ・モスク」に 9:00に入る。モハメッドの同志の霊廟で 見事なモザイクとタイルで飾られた美しいモスクである。真っ青な空に 真っ白なミナレットの塔 好対照の色彩であった。次は 9:30に「グランド・モスク」に到着、640年に建てられた アフリカ最古 最大のモスクである。見事な絨毯が敷き詰められた礼拝所では 沢山の信者が メッカに向って礼拝をしていた。ここの中庭に 雨水を地下に貯蔵するためのろ過装置のついた取水口や 日時計があり 9世紀に設置されたようで そのアイディアに感心した。9:40に モスクを出発、107km走って 12:00に スベイトラのホテルで マカロニと七面鳥の昼食を取る。味は まずまずだ。14:40に「スベイトラ遺跡」に到着した。7世紀に ローマ帝国が分裂して出来た ビザンチン帝国(東ローマ帝国)時代の都市遺跡である。神殿 浴場跡 円形劇場などもあつたが ここでは 当時オリーブ油を絞った工場跡 モザイクが敷き詰められた 洗礼用の風呂 そして 体育館跡が保存状態もよく 見事であった。ジメさんは その体育館跡で 少しストレッチの真似事をしてみた。この遺跡は 規模も大きく 見学に2時間も歩いた。16:40にスベイトラを出発、ガザフの町を過ぎると もう砂漠の中の一本道である。17:20頃 砂漠の地平線に夕日が沈む、運転手が気を利かして 10分間停車 美しいサンセットの光景をビデオに収めた。240km走って 18:00に なつめ椰子の繁ったオアシスの町 今夜の宿泊地 トズールの「ホテル・オアシス」に到着した。その名の通り なつめ椰子の樹に囲まれた 庭の広い リゾートホテルであつた。夕食までの一時間 みんなでホテルの前にある 土産物店が並ぶ通りを散策した。この町の建物の壁と塀は れんが組みの凹凸をうまくデザインしてあり とても面白かった。店で なつめ椰子の実を 初めて試食したが 干し柿のような甘い味であり 沢山仕入れたが 翌日 便秘が治ったと話していた方が多かった。夕食は ホテルのバイキング料理で満腹となり 明日の朝は 6:00出発なので早めに寝た。写真は「スべイトラの神殿遺跡」
2005/12/07
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今朝は 7時に目が覚め 時差ぼけは 完全に取れた。お昼に 雨の中 塚口TIPに出かけ YONETTI先生の SLIM-JOG 45min.を受けた。第一週で 新しい振りになったが すぐ馴れて 大きく動けて いい汗をかいた。帰り道 本屋に寄って「日本昔ばなし」の本を買った。帰宅して 孫に読んでやったら とても興味を持ったらしく 色々と質問してきた。当分 毎日読んで上げようと思う。今日から チュニジア旅行記を 一日分ずつ 書くことにする。第2日目 11月23日この日 深夜2時に チュニスのエル・ハナ・ホテルに到着 3時に就寝したが 朝6時に起きた。朝食後 ホテル前の バビブ・ブルバギ通りを散策、8時に バスは 一行 38名の客と 添乗員 現地ガイドで出発。まず 15分走って ザグーアンのローマ水道橋の遺跡に着いた。ここは紀元2世紀に建設された カルタゴまで 132kmの水道橋の内 約20kmが残っており その一部は 今も使用されていると言うのは 驚きであった。8:30に出発、次は 約120km走って 10:30に ドゥッガのローマ遺跡に到着、カメラ券 1TD(90円)を買って入場、徒歩で 円形劇場 神殿 住居跡 浴場跡と 1時間15分かけて見学した。補修工事も良くされており 2世紀~4世紀の町の様子は想像出来た。途中 少し雨に降られたが 今回の旅行では 最後まで 傘をささずに済んだ。遺跡から 15分橋って ホテル・トゥッガのレストランで 猪のステーキの昼食 味も悪くはなかった。13:00に出発、155km 二時間半走って カイルアンの町に到着、メディナ(旧市街)と その中のスーク(市場)を 1時間半 徒歩で見学した。市場の売り子たちは 盛んに 日本語で呼びかけて来る。それだけ 日本人観光客が多いと言うことだ。相手の言い値の三分の一まで 値切れたら上出来だ。買い物は ヨメさんに任せてジメさんは 一人で CAFEに入り お茶休憩、男達が一杯 水たばこを吸ったりして 世間話をしている。町で 女性を見かけることは 殆ど無い。カプティーノ 1TDは 美味しかった。テー(茶)は 0.5TDのようだ。バスで15分 17:15に 今夜の宿 カイルアン・コンチネンタルに入る。ホテルのレストランで 夕食を済ませたが 疲れがドッーと出て 外出する気にならず 早めに寝ることにしたが どうも これが時差ぼけの原因になることになった。写真は「ザクアーンの ローマ水道橋遺跡」
2005/12/06
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ジメさんの時差ぼけは とうとう三日目になっても 治らなかった。昨日は エアロビックスで 身体を疲れさせて 夜も我慢して起きていて 12時にベッドに入り すぐ寝付いたと思ったら 夜中3時に 目が覚めてしまった。一時間ほど 寝付けず 目が覚めたら 朝10時、まぁ充分寝すぎたから いいか。その内 元に戻るだろう。今日は 朝から しとしとと冷たい雨が続いた。次男夫婦は 孫を残して さっさと買い物に出かけ ヨメさんは 大きなマスクをして 風邪をうつすといけないからと 孫を避けていた。孫も一人で 私が撮りためておいた「ウルトラマン」「ピタゴラスイッチ」のビデオを繰り返し見て 踊っていた。時どき「イェイイェイ 何してるの?」と 聞いてくるが 孫も放し飼いにしても 心配なく遊んでいる。チュニジアで一緒した ツアーメイトの皆さんから メールが入りだし 返信したり デジカメ映像を パソコンに取り込んだりした。ビデオのダビングも始めた。私のビデオを 一番楽しみにしてくれる隣に住む義母が「ビデオ まだ?」と やって来た。ブラジルに住む伯父 バンクーバーに住む姉も きっと心待ちにしているだろう。2時間テープ 2本分 ノー編集でダビングを始めたら 途中一箇所だけスイッチきり忘れで バスの床だけが 5分間続いていることが分り 急遽再編集して カットした。残りの部分は ほぼ満足できる撮影であった。今日一日で 5本のテープが出来上がった。明日 外国郵便で発送して上げるつもりだ。ダビングしながら 改めて チュニジアは 清潔で安心できる良い国だと 再認識した。旅行記も その内に 書き込めるよう 目下 勉強中なので もう少し待って欲しい。明日の予告 「お孫ちゃん & エアロビックス」
2005/12/04
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時差ぼけが こんなにひどいものとは ジメさんも ヤキが廻ったなと思う一日であつた。昨日 お昼に帰宅して 荷物を片付けてから 1時間ほど 昼寝をして 夜10時頃に就寝して グッスリ眠ったが 目が覚めたら 夜中の3時 それから二度寝したら お昼の11時半。「しまった!」英会話サークルが もう終わりの時刻だった。今日は X’masPartyの打ち合わせがあつたのに 大変迷惑をかけてしまって申し訳ないことをしてしまった。午後から 頼まれた次男の戸籍謄本を 大阪市北区役所へ取りに行ったら 地下鉄で居眠りして 二駅先で目が覚めた。帰りは 絶対座ってはいけないと気をつけたが 帰路立ち寄った歯科医院の待合室で眠り込み「あまり気持ち良さそうに寝ておられたから」と 看護士さんに起こされる始末、今も パソコンに向っていても 半分 寝ているようだ。Yahooの検索に「時差ぼけ」と入れたら 6万件もヒットするが 読む気もしない。よう考えたら 無理もおまへんでー。行きは 関空を 13:40に発って ミラノ空港に 12時間かかって到着したのが 現地時間18:30、ミラノ空港で乗り換え 飛行機の部品交換で30分待たされて チュニス・カルタゴ空港に着いたのが 24:10。殆ど全部の乗客が 空港の銀行の二つの窓口に並んで 現地通貨 TDに両替を終えるのに 約一時間、でもよく考えたら こんな時間に 窓口を開けている銀行は 日本では考えられまへんな。さすが 観光客を大事にしよる。バスで 市内のホテルに着いたのが 1:30、荷物を整理して シャワーを浴びて ベッドに入ったのが 2:30、そしてモーニングコールが 6:00。日本との時差は 8時間、どうなるんやろ?チュニス空港へ到着したのが 日本時間では 翌朝の8時 寝たのが 10時半 起こされたのが お昼の2時やおまへんか?ざっと 30時間位 起きていた計算になる。旅が始まると 朝は 毎日6時起き 夜は 10時頃にはベッドに入り よく眠れたと目が覚めたら まだ3時 そんなリズムを最後まで 引きずってしまった。と 言いながら 毎日元気で 旅を楽しみましたがね。帰路は チュニスのホテル 夜中の3時起床 ホテルを4時に出発、チュニス空港 40分遅れで ミラノ空港到着8:30 電車で往復して ミラノ市内を見物し ミラノ発15:15 帰りは偏西風に乗って 約10時間のフライトで 朝10:30に 関空に到着した。これも よう考えたら 27時間以上 起きていた計算になる。時差ぼけは 時差症候群と言って 生体リズムの体内時計が 現地時間に合わす過程で起こる現象だそうで 特に ヨーロッパから 日本、日本から アメリカへ飛ぶ 西行きの時の方が厳しいらしい。それにしても 今までは 一日寝たら 元に戻ったのに こんなに長く引きずってしまうとは 思いもしなかった。やっぱり ジメさんも ヨメさんも 正直に加齢していることを悟った。でも また次は 何処へ行こうかと 久しぶりの お寿司とうどんを食べながら 意欲を燃やす ジメさん夫婦の 一日であった。明日の予告、「お孫ちやん 中国から来る」
2005/12/02
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今日 ミラノ乗換えの アリタリヤ航空で 無事帰国しました。初日に ローマ遺跡で パラパラと雨が降ったけど 傘を出さずに済みました。それからの毎日は それこそチュニジアンブルーの青空が続きました。添乗員と 現地ガイドを含めると 40人の大所帯でしたが 病気 怪我 事故もなく フルタイムで楽しみました。さすがのジメさんも 今日は時差ぼけで 日記を書き込む気力もありません。帰国早々 3日 土曜日に 中国から お孫ちゃんが来て 15日に帰国するまでは 遊んで貰うのに エネルギーを注ぐことになると思うので 「チュニジア旅行記」は それ以降に書くつもりです。それまでに デジカメ写真の掲載方法も勉強しないとね。では 今日は 早いけど もう寝ます。
2005/12/01
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昨夜 WEBカメラで 中国の孫が 子犬が ひよこをかみ殺してしまったので お墓を作って埋めたのと 悲しそうな顔で話してきた。でも すぐに 10月から 習い始めたピアノを上手に 弾いて聞かせてくれた。12月3日に 伊丹へ一時帰国の予定も決ったとのこと。チュニジアで お土産買って来てねと 頼まれた。任せとけ!いよいよ チュニジア・ツアー 出発の朝が来た。ジメさんは 今朝は 7時に起きて 一番に Yahoo 世界の天気からチュニジアのページをプリントした。28日までの一週間 5都市とも 晴れ時どき曇りで 雨はなさそう、気温は 最高20度前後 最低10度前後 日本の10月位のようだ。9:30に家を出て JR尼崎駅から リムジンバスで 関空に向う今日のAIRは アリタリヤ航空AZ-795便 13:55発ミラノ行きミラノ空港で 約4時間待って AZ-862便でチュニスに21:45着の長旅である。帰りは 11月30日 チュニス6:00発 ミラノ着7:55ミラノで 約7時間も待つので 二人で MalpensaExpressに乗車して ミラノ市内 ナヴィリオの運河の街を見物する予定。でも ミラノは とても寒そうなので 防寒着を 追加した。ミラノ発 15:15 AZ-794便で 12月1日 11:00に 関空へ 帰国の予定だ。旅の安全と 楽しく面白い出逢いを 願っている。従って この間の書き込みは 次回 12月1日まで 休みます。では 行ってきます。
2005/11/22
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19日 「ひとつひとつ かたずけてゆくんだね 具体的にね」 みつをジメさん夫婦の海外旅行は 二人とも 時間は沢山あり 日頃鍛えた筋力はあるけど 金力は無しなので 自ずとキーワードは「格安」である。年間を通すと GW明けと この時期が観光シーズンオフで 一番安いと思う。以前から チュニジアに行きたいと思っていたので 6月に DMを見て即 申し込んだ。この22日の出発は その日のうちに満杯となり 催行が確定した。きっと同じような 元気な高齢者と 学生さんが多いのだろう。申し込んだものの ジメさんには ガン再発と言う厄介な爆弾を抱えているので 先週 医師のOKを貰うまでは ドキドキビクビクだったし また義母を初め 親戚に危ないのがおらないことも ラッキーである。旅の楽しみは その準備段階から始まるのは 皆さんも同じだと思う。幸い インターネットがあるので 綿密に下調べをした。格安ツアーは いつも バスで駆けぬけるように観光して廻るので 少ない自由時間を効率よく使うのも 下調べと 体力 好奇心だと思っている。今回は 9月の愛知万博駆け込み見学で チュニジア館のコンパニオンのオネェさん達にも 色々と情報を貰ったので 楽しみも増えそうである。チュニジア世界遺産紀行10日間のコースは Bookmarksリンクの「阪急トラビックス」を見て頂くと分るが かなりの強行軍の連続である。Yahoo!のトップの旅行から チュニジアの状況も見れるし 今回参考にしたWEBサイトでは 写真作家の高田 京子さんの写真が一番美しいと思うので Yahoo!の検索で「チュニジアへの扉」と入れて 見て下さい。出発まで 後3日となったが 無事帰ってくるまで ワクワクドキドキが続くと思う。今日は お昼に TIP塚口へ Mr.Arai先生の TIP-MAX 60min.に行った。今月3回目なので みんなコリオにも馴れてきた。今日は 前後左右に回転ターンも入った上 ジャンピングジャック4回に ややこしい手の振りも入ったので 少し戸惑ったが 何回も練習しているうちに 上手く出来るようになった。最後に 連続4回の繰り返しでドーっと 大汗が吹き出した。Mr.Arai先生 丁寧に教えて下さる上 歯切れのいいテンポで気持ちが良いので 土曜日のスタジオは いつもように満員であった。明日の予告 「エアロビックス & 海外旅行」
2005/11/19
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