余生

余生

遺言シリーズ3



セレブなマダムになっている友人がいる。
彼女のご主人から夫に仕事のオファーをいただいて、夫と彼女のお宅にお邪魔した。
男たちが打ち合わせをしている間、女どうしは近況報告。
娘が家政科に進んだと聞いて、へえーっと思ってしまった。

というのも彼女も私も父親が大正生まれで強大な父権と戦った戦友で、その昔親が勧める家政科に「やなこった」と反旗を翻し、彼女は美大、私は法学部を望んだものの認められず、二人とも文学部で手を打ったのだ。
その彼女が強制されたわけでもなく、自ら望んで家政科に進む娘を育てたのかと、驚いたのだが、話を聞くうち、なるほどね、と思った。
彼女はとてもアクティブな人で、趣味をかなり極めていて、その関係で長期間家を空けることが多かった。
娘は「私はちゃんと家にいて、毎日ご飯を作るお母さんになる」と決意表明、その結果が家政科進学なのだとか。
結局のところ、反逆児の娘も親と逆の生き方を望んだわけで、代を重ねると反逆も複雑になってくるってことか。

彼女に言わせると、「娘が育ち方がどうとかくらいで驚いてもらっちゃ困る。唐破風こそ散々好き勝手やってきた挙句に、手焼のケーキを持って現れるような変貌って、どうなってんのよ」となるのだが。
そう言われて考えた。
彼女の結婚は自己実現型だった。夫の地位と経済力が彼女の自己実現を支えていることは否定できず、それは結婚の条件でも目的でもあった筈だ。
でも私の結婚は言うなれば逃避型、隠遁型で自分の才能、運に見切りをつけて、「この先はお母さんとして生きていこう」とよさそうな遺伝子を持った男を捕まえて、それまでの自分を切り捨てたわけで。
変貌も当然といえば、当然。
散々逆らって、悩ませて、鬼っ子だった筈のバカ娘が、女大学そのままの良妻賢母の母に今では一番近いと親戚たちも呆れているのだから、彼女のツッコミも至極ごもっともなんだけど。

お母さん稼業もそろそろ折り返しが見えてきたような、巣立たれた後の自分をどうするか、また変貌と言われる時があるのかも知れない。



Last updated October 28, 2005 02:33:39

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