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晩秋のキノコで、なんだかんだで一番好きなキノコです\(^o^)/ 雨に濡れて、巨大かしたのも一杯ありました。質の良いキノコのみ持ち帰り、さてどう料理しよう。楽しみです。
2019.10.21
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宮城あつ子の書く小説は、楽しい。校閲ガールでも楽しませてくれた。手のひらの楽園 [ 宮木 あや子 ]楽天で購入高校の学校図書館に司書として毎日勤務しているので、今時の高校生と触れ合う機会は当然多い。この小説も主人公が高校生。普通に学園物かと思っていたらなかなか、これが奥深いストーリー展開となっている。文章にウィットがあり、冒頭にも書いたけどとにかく楽しい。
2019.10.19
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綺麗に見えるけど軸は虫食いです。傘のみ使って茶碗蒸しにしました。本年度のキノコ採りは中央道が分断され、クロージングがない感じで終わりそう。改めて道の重要性実感してます。災害に遭われた方はキノコ採りどころではないですが、早く普通通りの生活、趣味と遊ぶ生活を祈願してます。
2019.10.17
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天目さんが見つけたオオモミタケ。まるでアイスクリームのようです。
2019.10.16
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映画でも作品になったが、「少年A」を題材にしたかの様な作品。小説家は人間の根本と向かい合う時、殺人を題材にして取り組む。人間以外の動物は食うためだけに犯す行為なのだが、悪魔に最も近い人間は正義、悪意、選ばれた等の理由で一線を越えてしまう。22年目の告白ー私が殺人犯ですー (講談社文庫) [ 浜口 倫太郎 ]楽天で購入構成が緻密で読みすすめていくうちに、驚きが脳内を活性化させていく。
2019.10.16
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見城徹がドフエフスキー体験について、書いている。私も見城氏に賛同する一人だ。村上春樹も文学の最高傑作は「カラマーゾフの兄弟」と言い切っている。長い小説だが、読み終えた後の、心の自問自答感が半端じゃない。「罪と罰」は何回読んでも辛口の文章に心がゆすぶられ文庫に傍線を引いてしまう。罪と罰(上巻)改版 (新潮文庫) [ フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフス ]楽天で購入
2019.10.15
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ドフトエフスキーの日本版ドラマ。橋本愛の悪魔的いじめ演技がすごい。「リトルフォレスト」と間逆の演技。内容は、わかっているので、役者の演技に興味が注がれる。田中の演技も記憶に残る。DVD/国内TVドラマ/罪と罰 A Falsified Romance DVD-BOX/VPBX-14998楽天で購入
2019.10.15
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読書という荒野 / 見城徹 【本】価格:1512円(税込、送料別) (2018/8/20時点)読書体験が類似していたということもあり、久々に興奮した。ここでブログを書くのも2年ぶり。まずウオーミングアップから始めるとするか。20冊分の価値があります。出版は斜陽産業と言われて久しいが、見城氏の言葉には確かな手ごたえがあります。
2018.08.20
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スマホからでも、何とか書き込めました。毎年、健康でキノコが採れることに感謝です\(^-^)/
2016.12.23
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スマホから初めて書いてみました。今年もキノコ、楽しませてくれました。
2016.12.23
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さて今日は釣行最終日。いつものようにオトリ缶の鮎を見る。「あれー」ほとんどの鮎が腹を出して死んでいる。元気なのは昨日釣った鮎のみ。水が合わないのか・・・・。何とかオトリになりそうな鮎だけ引き船に3匹移動させ支流に向う。仲間二人は昨日と同じポイントへ移動。さて最初のポイントはやけに藻が多い。ちょっと気を緩めるとすぐ喪に引っ掛かってしまう。それでも何とか泳がせると「ガガーン」最初の一匹は慎重に取り込む。22センチ程度のオトリサイズだ。しばらく藻と格闘しながら粘るが、上流から草もガンガン流れて来るので、移動。仲間二人のポイントにいってみる。「どう釣れてる」「2匹だよ」絶好調とはいかないみたいだ。そこで意を決して一日目に入ったポイントまで大移動をしてみることにする。誰かやっていたらアウトなんだけど、ここは勝負。 20分程歩き全身から汗が吹き出しているのがわかる。「ゼーゼー」なんとかかんとか目的のポイントに辿り着く。「オッ」1人入っているだけだ。「ラッキー」丁度馬の背になっているポイント。対岸には関西の人と思われる集団が5人入っている。結構大きな声で話しているのでしゃべっている内容が聞こえてくる。どうやらフィールドテスターがいるようで、その人が川に入ると一瞬にして入れ掛かりを披露。8.5メートルの竿を使って弓なりに曲げている。貯めてから抜くまでの動作がとても綺麗。「あんな風に抜ければなあ」やっぱりうまいなあ。ま、見ていてもしゃあないので、竿を出し、はやる気持ちを押さえて、先ずはカニ横釣法で泳がす。するとすぐに「ガキャーン」竿を貯めて抜くなんて事が怖くて出来ないので掛かったら竿を寝かせトロ場まで掛り鮎を誘導させ、そこから竿を立てゆっくりと抜く。真っ黄色の鮎が玉網に吸い込まれる。やはりこのポイントには鮎がいる。深瀬の先にある、とろ場から鮎が射してくるのか、いい感じ。15分に1本のペースで「ドッカーン」。時々「ドッカーン」「ドッカーン」の入れ掛かり。「やっぱこれだねー」太陽の日差しも絶好調。友釣りはおてんとうさまギラギラが一番だね。 17:00頃までやって23匹。。数としては低調かもしれないが今回の釣行で一番満足した一日であった。神通川で友釣りやると中毒になるね。
2016.09.24
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今日は仲間二人と一緒に深トロに入った。水の色が茶色と緑色の二つに分かれていて、太陽の光で緑色に輝いている方のポイントに入った。狙いはドンピシャで最初から「ガツーン」でかい。トロバなのでゆっくり時間をかける。慎重に寄せて玉網で掬い取る。24センチの良型だ。オトリが変わると鮎の方で勝手に仲間のいるところまで泳いでくれる。これまた「ガギャーン」快感。しかし5匹釣った所で当たりが止まってしまった。私より下で釣っているTさんが入れ掛かりをしている。その様子を見てふらふらと現場検証に行く。「ぅ・・ふけぇ」ちょっと間違えると肩までつかりそうなポイントだ。爪先立ちして、アップアップしながら泳がせると「ゴギャーン」なんとも言えない当たり。この鮎もでかい。慎重に寄せる。オトリ鮎が見えたところで抜く。あれ・・・野鮎が玉網に入っていない。しまった。4本錨がない。どうやら針ごと持っていかれた。引き寄せにしていればなあ。覆水盆に返らず。ここで循環がストップ。1時間程、川に鮎がいないんじゃないかと言う時間が続いた。 深トロは面白いんだけど釣れなきゃしゃあない。移動した。今度のポイントは急瀬。誰も竿を出していないポイントだったのだろう。小さいけどすぐに当たり。鮎がいれば掛かる。18センチと小ぶりなのだけど、こいつを上流に泳がすとすぐに「ギュルギュルギユーン」オトリ交換して同じように上流に泳がすが、根掛かり。オトリを取りに入るが深い。取った瞬間流されそうになった。油断すると危ない。このポイントがダメになったので、少しだけ移動。流れのある深瀬でじっくり泳がすと「ゴキューン」まっ黄色の鮎が玉網に吸い込まれる。「あれ」野鮎がいない。どうも玉網の金属部分に当たってオサラバしたようだ。 このポイントは掛かるがどうもうまく取り込めない。集中力が切れたのか。引き船から元気な野鮎を取り出し交換。すぐに「ゴキューン」先程の失敗があるので慎重に取り込む。「あれ、軽くなった」どうやら身切れしたようだ。鮎釣りは難しい。17:00までやって結局この日は20匹かけて取り込んだのは14匹。散々な一日となった。
2016.09.08
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富山の郊外はちょっとした都会だ。道は広くおびただしい数の飲食店が夜の帳が降りる頃ネオンサインの看板と共にきらきら輝き出す。鮎釣りが終われば仲間と郊外に繰り出し多摩地区のアルプスと言う名前とよく似たアルビスと言うスーパーで買い物をする。PM8:00過ぎると惣菜関係が半額となる。弁当は200円台で買える。ビールのつまみ3種類程買っても600円程、安い。夜は今日釣った鮎を炭火で焼かなければならない。巨大な複合ショップに行き必要な材料を購入。一路テントに戻り炭をおこし鮎の塩焼き始まりぃ。遠火でじっくり1時間程かけて焼く。 仲間と今日の釣果とポイントについて語りながら鮎を背からかぶりつく。「ん・・まあい」立て続けに4匹完食。話は尽きないが明日に備えてPM11:00寝袋にくるまる。車が常に通っている橋の下でテントを張ったので、車の音がうるさかったが朝はあっという間にやって来た。今日も晴天だ。歯磨きを兼ねてオトリカンに入っている鮎を見に行く。「むむむ・・・」5匹程死んでいた。川の温度がぬるいからなのか?まあしゃあない。 生きのいい鮎を3匹だけ別のオトリカンに移し鮎釣りのスタート。・・・でも昨日入った場所は既に先行者がいた。どこかで見てたのかな? まあしゃあない。500メートル位歩いてうろうろしたがどこまで行っても人、人。困ったなと思ったらちょっとカープした深早瀬でやっていた釣り人が移動したので、そこに入る事にした。やれやれだ。野鮎にW背針を付けて泳がすとすぐ「がっーん」「お、幸先いいぞ」オトリ鮎が水面に出たところでゆっくり抜く。「スパッ」綺麗に2匹の鮎が玉網に収まった。「ふぅぅぅ、いかった」生きのいい野鮎の交換が続くと友釣りってこんなに簡単。すぐに「ガガーツーン」入れ掛かりだ。5匹程連続で掛かる。で・・そっからこのポイントで釣り切ったのか鮎の掛かりが悪くなる。と言うかさっぱり掛からなくなる。移動したいけどどこも良さげなポイントは釣人で一杯。粘る事にする。が・・なかなか掛からない。丁寧にやっていないポイントを泳がすと「ガツーン」これの繰り返し。結局移動することもなくPM17:00にて終了。合計10匹の釣果となった。今日は人が多く満足のいく釣りが出来なかったがこんな日もあるさ。
2016.09.05
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鮎は水深が2メートル以上あってこの瀬を渡れば絶対流される。そんな場所で釣りたい。そして石を見れば踏みつけるくらい鮎がうじゃうじゃいる。食べても舌に一生残るような、素晴らしい味のする鮎が釣れる。そんな天国のような川がある。仲間に言い続けて2年。ついに富山の神通川に再び足を踏み入れることとなった。 吉井釣り具で年券とオトリ3匹1.000円を購入して、どこに入るかを決める。テントが設営出来る場所も決めなければいけない。悩んでいたらどんどん時間ばかりがかかってしまう。迷うことなく、今釣れているという下流域、有沢橋にテントを設営して更に下ったポイントで今年初の神通川の鮎と遊ぶことにした。ん・・川を見る。思ったより鮎が見えない。鮎がいない。「ありゃりゃ」噂は本当だったのか。 鮎はまずポイントだ。ポイントさえ外さなければそこそこ釣れるのだが、肝心の鮎が見えなければ、石の色で判断するしかない。ま、そんなこんなで、Tさん、Hさん思い思いのポイントに入る。ジョンリーは流れが速く圧しの強い深瀬に陣取りずオトリを泳がせてみた。ところがあれ、流れが強くて鮎が沈まない。「えーい、錘だ」慣れない錘を付けて泳がしたら、あれ鮎が動かない。竿を煽る。びくともしない。案の定根掛かりだ。仕方なく泣いて馬謖を切る。水中糸を「ぶっちーん」「やれやれ」最悪のスタートだ。 再び気を取り直し、背針に変えオトリ鮎を泳がす。すると5秒で「ゴキューン、ギュルギュルギユーン」「おーーお、わおーーひょえーー」サンテックNB1、8.5メートルの竿が一気に持ってかれた。「やばい」「快感」「ばらすのはかんべん」一瞬にして色々な思いが駆け巡る。「でもこのまま抜いたら身切れしてしまう、竿だって折れてしまう」鬼の形相で下る。下る。30メートル程下る。何とか抜けそうなトロ場まで掛鮎を誘導する。オトリ鮎が水面に見えた時、慎重に抜く。「どっかーん」39センチの玉網に2匹の鮎が吸い込まれた。「24センチの鮎。おー、まっきーきー」秋川で育った穏やかな顔の鮎とは明らかに違う。「なめんなよ」と言わんばかりの精悍な顔つき。「これだ、これが釣りたかったんだ」 やっぱ友釣りの醍醐味は掛かった瞬間に竿が折れじゃなかろうかと思うほどの引きとの勝負。真夏の太陽の光に身体中が火照り「ドバー」と汗が吹き出る。野鮎を仕留めれば「さあこっちのもんだ」ここから5連発。何せ、ここぞと思うポイントでオトリを泳がせればすぐに「ゴッキューン」そこからは最初に掛けて取り込むまでのやり取りとほぼ同じ。でもさすがに毎回動き回ると疲れて来る。足も攣ってきた。このままじゃ身体がばててしまう。 で、ほんのちょっと瀬の緩やかな場所に移動した。掛かればトロ場に野鮎を誘導すれば取り込める。掛かれば通常は竿を立てるのだがジョンリーは寝かせてトロ場まで鮎を持っていきそこからゆっくりと抜くか引き寄せる。時間はかかるが結構取り込めるかどうかハラハラして面白い。灼熱の太陽が照り付ける中、鮎との対話は至極のひと時だ。 15:00頃、水がぬるんでくると、突然入れ掛かりとなった。追い気満々のまっ黄色の野鮎がギュルギュルと追ってくる。「ゴキューン」「ギューンギューン」の繰り返し。 1日目はばらしも3回程あったが午後からの釣りで20匹程。満足の行く結果となった。やっぱ友釣りは最高だぜ。
2016.08.10
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スポ根も多少入っているが、恋愛映画として見ても傑作である。彼が部屋に入る寸前、彼女のさまざまなポーズが最高に受けた。フランス映画やるじゃない。
2016.07.29
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第2話「とろろご飯」がいい。多部未華子の演技がいい。すっぴんで演じる多部未華子に惚れる。汗臭いTシャツを嗅ぐシーン最高です。
2016.07.21
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図書館でリサイクルに出ていたので、持ち帰り読んでみた。惹かれたのは勿論タイトル。川上健一の小説を読むのは初めて。1部は雨鱒と川の中で心平が語るシーン。以下私のつぶやき。東北の自然が一杯の川っていいなあ。ヤマメもウグイも一杯いて。毎日魚を採ることが楽しい日々。心平の書く絵は自然の色に溢れているんだろうなあ。何か一つの事に夢中になれる少年の日々。小学校は本当に昆虫が好きだった。親父に連れられて行った川でのカジカ・鮎釣り。あの感触は今でも私の手の中に残っている。2部は成長した小百合を囲んで揺れ動く男たちの心情が描かれている。初恋に揺れる男心がうまく描かれている。・・が現実はこううまくいかない気がする。物語として、母親の死に不自然さは残る。まあいろいろストーリーの不自然さを言い出せばきりがない。メルヘンとして読むなら、とても余韻の残る・・・素敵な小説だ。
2016.07.16
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毎週のようにいろんな映画を見ているのだが、この映画は完璧。クリント・イースト・ウッドって人の人生の楽しみ方、考え方に好感が持てる。戦争を嫌い、人生をボクシング、野球になぞらえ、音楽はR&Bを愛する。この映画の肝は親子の葛藤シーンも重要だけど、私的には「仕事に対する鋭い目」「あのバッターはカーブを打てない」その審美眼。まさにいぶし銀。黒人がベンチでブルースをアコギで演奏する。音色に余韻が残る。ラストの余韻も半端ない。映画はハッピーエンドがいいね。
2016.07.02
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この漫画を読んでいる時に、EU離脱勝利と言う結果が判明した。その影響もあり昨日のような、長文を書いてしまった。【送料無料】 20世紀の狂気ヒットラー他 水木しげる漫画大全集 / 水木しげる ミズキシゲル 【コミック】価格:2484円(税込、送料無料)ヒトラーは誇大妄想狂であり、ゲルマン民族ドイツを愛し、ユダヤ人を嫌った。この漫画には、ヒトラーはどういう人間であったか、よく書かれている。なぜ浮浪者から這い上がれたのか・・なぜあそこまで自分を超人と思ったのか・・なぜあそこまで、人間を殺戮することができたのか・・ドイツとイギリスとイタリアとフランスとソ連の75年前の関係はどうであったか。EUはどうしてできたのか。何が足りなかったのか・・・独裁者も怖いが、国民の感情も怖い。いずれにせよ、これが戦争の火種にならねばよいのだが・・要望の着地点は時として予想を超える。
2016.06.27
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イギリスEU離脱により、日米欧の先進国では、成長するどころか景気後退の懸念が強まっている。リーマンショック並みの出来事が起きるとした安部総理のG7の予言が当たった。先見の明に脱帽するとともに、10%消費税導入を進めていなくて本当によかった。なぜならこれから、世界経済は停滞、もしくは沈下する可能性の方が高いからだ。世界は破壊と創造に包まれている。時代はこの二つを両輪に動いてきた。破壊は戦争による特需。創造はネット等による新しい付加価値の創出。そして今またイギリスEU離脱により共存に対しての破壊が生まれようとしている。イギリスは、経済的なメリットのあるEUを自ら抜けてしまった。ジョンソン前ロンドン市長をはじめとする離脱派の最も端的な主張としては、「国としての主導権を回復する」と標榜しているが、本音は「これ以上移民・難民を受け入れられない」ということ。ヨーロッパではほとんどの国において、シリアやイラク、北アフリカからの難民受け入れ問題が生じ頭を悩ませている。アメリカ大統領候補のトランプ氏が「難民拒否」で支持を集めたのもまったくこの問題と一緒。難民にとってイギリスは社会保障が手厚いから美味しい国となる。とりあえずイギリスに行けばなんとかなる。そうやって移民・難民はイギリスを目指して行く。日本は難民と言う言葉はなじみが薄いが、外国人の非正規労働者はどんどん増えている。飲食系に行けば顕著にわかる。EU加盟国は難民受け入れを拒否できないという法律があり、移民についても、特別な理由がない限り拒否ができない。だから、イギリスが移民・難民受け入れを拒否、あるいは制限するには、EUを離脱しなければならない。難民の衣食住の費用負担は、国の税金から賄われる。本来使わなければならないところに税金が行かず、難民の受け入れ費用になってしまう。移民が増えると問題になるのが、仕事の面。移民はイギリスに来て、仕事をする。そうすると、もともとあった仕事をイギリス人と移民で奪い合うわけだから労働者からしたら不満が出る。イギリス労働者が不満を持つのもわからないではないが、イギリスがEUを離脱したら、ヨーロッパの中枢マーケットとしての地位陥落というレッテルが貼られる。ロンドンが見捨てられる可能性だってある。世界のマーケットは、ウォール街で有名なアメリカ・ニューヨーク、そしてアジア圏においては中国・上海、そしてヨーロッパを統括するのはイギリスのロンドン。この3つを中心にしてマーケットを回っている。だから、ロンドンには各国の金融機関がこぞって拠点を置いている。イギリスがEUに加盟している現在、ロンドンに拠点を置けばEUのその他27か国でも許認可を求められず、自由にビジネスを展開できる。しかしイギリスが2年後、EUを離脱すると、ロンドンに拠点を置いても、ヨーロッパ展開できないため金融機関の多くはドイツかフランスに移転する可能性が強まる。当然、イギリスは更に多くの失業者が出る。独り立ちするわけだから信用低下は当然。イギリスの通貨であるポンドの価値が低下する。ポンドが弱くなるとイギリスが他国のものを買うときに、より多くのポンドを支払わなければならなくなる。イギリスの購買力が弱くなると、EU全体の景気悪化にもつながる。イギリス経済の先行き不安から、マーケット全体に悪影響を及ぼす可能性も高くなってくる。現在、イギリスに進出している日本企業の数は約1,000社。これはEUではドイツに次ぐ2位の企業数。日本の対イギリス直接投資の額は1兆7000億円。これは、アメリカに次ぐ世界2位の金額。ヨーロッパからすれば、ポンド安、ユーロ安になると、日本の製品はこれまでより買いにくくなる。日本の対ヨーロッパ輸出が落ち込み、日本経済全体の景気悪化にもつながる。イギリスの輸出産業にとって、通常、国内で作った製品等を国外に輸出する際は関税がかかる。日本で海外のブランド物を買うと割高なのは関税分が上乗せされている。しかし、EU圏内であれば、関税はかからない。これは、EU内での貿易を助長する非常に大きなメリットのひとつ。しかし、イギリスがEUを脱退してしまったら、今まで関税のかからなかったドイツやイタリアやフランスへの輸出に関税がかかる。輸入代金がこれまでより高くなるので、イギリス製品は欧州諸国から敬遠されるかもしれない。日本はどうするのか。日銀でいえば、為替介入をしてドルを買って円を放出する。円の供給量をふやして円安を起そうという古典的手法を使う。また使ってもらわなければ困る。株の大暴落と企業の収益低下が生じるからだ。どの国も、自国通貨安政策を世界中が、競って行っている。輸出で景気を上向かせようとしているから通貨安戦争が起こっている。 日銀が、2016年、衝撃的な奇策と思える金融緩和策を行った。マイナス金利導入。かつての高度成長と言うのは、企業同士が世界で競争し、御互いに切磋琢磨しながら発展してくという形だった。しかし、今は、国家の力をフルに活用して国際競争の勝者となれるか否かが、その国や企業の衰退を決めている。マイナス金利というのは国家が考えた奇策だ。ただ結果は未知数だ。経済政策というのは財政政策と金融政策しか考えられない。財政政策は、減税と公共投資。金融政策は中央銀行が行う金利上下と、量的緩和。安部総理が道半ばと度々言及しているのも、今度のような外的要因に引っ張られたためだ。リーマンショック後、中国がいち早く経済の建て直しに成功できたのも、その国家主義的な政策決定のスピード感と統一感があったためだ。今は、見る影もないが・・・。今回の イギリスEU離脱はユーロの構造問題が元凶なのかもしれない。通常はその国の中央銀行が、経済成長をコントロールできる。しかし、ユーロ圏では、ECBが統一した金融政策を行うため、加盟国それぞれの状況にマッチしないケースも生じる。EU離脱問題は今後どうなるのか、誰も分からない。ただ今回の出来事の結果を見てイギリスEU離脱が、第三次世界戦争前夜のようだと強い不安と落胆を感じた事だ。かつてドイツがこれと似たような事が起きた時ヒトラーが台頭して一時的に不況を乗り越え経済を活性化させた。キャメロンが辞意を表明したためどんな人物がイギリスを引っ張るのか。ヒトラーとかトランプ氏のような、少し狂信がかった人物が国民投票で選出されなければと望む限りだ。人間の生み出す欲望と不満は時として想像もつかない場所に着地点を求める。経済WARの着地点が武器を使った戦争に発展しては絶対にならない。
2016.06.25
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もう20年になるんだ。初めて聴いたのが「結婚相談所」このアルバムは5枚目だっけ。ジャズ・スィング・ブルース、ごしゃっといい具合にまとめられている。特徴的なのがドラム。このドラムのリズム、いいねぇ。現在進行形でいいアルバムを作り続けている。すごく才能のある人だと思う。トータルで聴いて「愛のポルターガイスト」飽きないね。
2016.06.21
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気にはなっていたが、まともに聴いたことがなかった。ついにライブアルバム聞いたぞ!いいねえ。沖縄の歌ってなんでこんなに感動するんだろう。TVのCMでビギンの曲歌っている人いるんで知っている人も多いいだろう。根底に島唄とブルースがある。ビギンを聴いていると、島に行きたくなった。先日福生の蛍祭を見に行った。あの柔らかい明かり。ビギンの歌と重なった。
2016.06.20
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本当に、本当に久しぶりに楽天に書きます。しばらく更新も覗きもしなかったのに、なんかやたら見ている人が増えている。一体何なんだ(笑)Anlyと言う歌手が気になってちゃんと聞いてみた。おーー鳥肌が立った。なんという声。なんというルックス。根底にブルースがある。生きててよかったぁ。この鳥肌はSuperfly以来だね。沖縄出身の人って、なんというのだろう。歌心ビンビン感じるね。
2016.06.18
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宇宙は謎だ。この映画で5次元の世界を見せてくれた。我々は3次元の世界にいる。2次元の世界にいるものは3次元を見ることができない。3次元の世界にいるものは4次元を見ることができない。時間とは何?光とは?ブラックホールとは?相対性理論とは・・3時間がアッという間に過ぎた。映画は擬似体験をさせてくれる。圧倒的だった。
2016.03.11
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主人公は石油採掘によって富を得たけど、幸せな人生だったかどうか?2時間30分と言う長さだったが、もたれる事が無かった。最後に神を否定するシ-ンがある。まさか神父を殺すとは思ってもいなかった。希望を持たせた直後奈落の底に落とす展開。息子も血はつながってなかったとい言うし、自称弟も殺しちゃうし・・とんでもなく自分勝手な主人公なんだけど、そこに甘さが無く引き込まれていく凄みがあった。
2016.03.10
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朝の、連続ドラマ。「朝が来た」。その番組を見たら一日の楽しみが終わってしまうかのようで寂しい。その番組で福沢諭吉が出てくる。で、まあ「学問のすすめ」読んでみたわけだ。おおー、やっぱいいこと言っている。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々しもじもの者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本もとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。諺ことわざにいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人げにんとなるなり。 学問とは、ただむずかしき字を知り、解げし難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦よろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴とうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。 されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬たとえば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言もんごん、帳合いの仕方、算盤そろばんの稽古、天秤てんびんの取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土ふうど道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。 これらの学問をするに、いずれも西洋の翻訳書を取り調べ、たいていのことは日本の仮名にて用を便じ、あるいは年少にして文才ある者へは横文字をも読ませ、一科一学も実事を押え、その事につきその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者は貴賤上下の区別なく、みなことごとくたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に、士農工商おのおのその分を尽くし、銘々の家業を営み、身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべきなり。 学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生まれつきは、繋つながれず縛られず、一人前いちにんまえの男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限ぶんげんを知らざればわがまま放蕩に陥ること多し。すなわちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずしてわが一身の自由を達することなり。自由とわがままとの界さかいは、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬たとえば自分の金銀を費やしてなすことなれば、たとい酒色に耽ふけり放蕩を尽くすも自由自在なるべきに似たれども、けっして然しからず、一人の放蕩は諸人の手本となり、ついに世間の風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも、その罪許すべからず。
2016.03.07
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キザでケチな田島。でも女にはまめ。かつぎ屋で普段は汚いけど押し入れの中にはピカピカに光る靴が・・大食漢で怪力でお金にシビアなキヌ子。田島は画家の女と別れるため、キヌ子と一緒に部屋に行く。そこには永く満洲で軍隊生活をして、小さい時からの乱暴者で、大男の兄がいた。さてこの続きはどうなるのか。想像するだけでも、楽しい。田島は兄に怪しからんと言って投げられるのか・・キヌ子が投げちゃうのか。なんかこんな話、手塚治虫の漫画にもあったな。絶食すると絶世の美女に変身してしまう女。30年振りに読んだけど、やっぱ太宰治「グッド バイ」面白い。最近ゲスな話題があったが「グッド バイ」にもあったので記載しておくね。「ピアノが聞えるね。」 彼は、いよいよキザになる。眼を細めて、遠くのラジオに耳を傾ける。「あなたにも音楽がわかるの? 音痴みたいな顔をしているけど。」「ばか、僕の音楽通を知らんな、君は。名曲ならば、一日一ぱいでも聞いていたい。」「あの曲は、何?」「ショパン。」 でたらめ。「へえ? 私は越後獅子(えちごじし)かと思った。」 音痴同志のトンチンカンな会話。どうも、気持が浮き立たぬので、田島は、すばやく話頭を転ずる。「君も、しかし、いままで誰かと恋愛した事は、あるだろうね。」「ばからしい。あなたみたいな淫乱(いんらん)じゃありませんよ。」「言葉をつつしんだら、どうだい。ゲスなやつだ。」 急に不快になって、さらにウイスキイをがぶりと飲む。こりゃ、もう駄目(だめ)かも知れない。しかし、ここで敗退しては、色男としての名誉にかかわる。どうしても、ねばって成功しなければならぬ。「恋愛と淫乱とは、根本的にちがいますよ。君は、なんにも知らんらしいね。教えてあげましょうかね。」 自分で言って、自分でそのいやらしい口調に寒気を覚えた。これは、いかん。少し時刻が早いけど、もう酔いつぶれた振りをして寝てしまおう。「ああ、酔った。すきっぱらに飲んだので、ひどく酔った。ちょっとここへ寝かせてもらおうか。」「だめよ!」 鴉声が蛮声に変った。「ばかにしないで! 見えすいていますよ。泊りたかったら、五十万、いや百万円お出し。」 すべて、失敗である。「何も、君、そんなに怒る事は無いじゃないか。酔ったから、ここへ、ちょっと、……」「だめ、だめ、お帰り。」 キヌ子は立って、ドアを開け放す。 田島は窮して、最もぶざまで拙劣な手段、立っていきなりキヌ子に抱きつこうとした。 グワンと、こぶしで頬(ほお)を殴(なぐ)られ、田島は、ぎゃっという甚(はなは)だ奇怪な悲鳴を挙げた。その瞬間、田島は、十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思い出し、慄然(りつぜん)として、「ゆるしてくれえ。どろぼう!」 とわけのわからぬ事を叫んで、はだしで廊下に飛び出した。 キヌ子は落ちついて、ドアをしめる。 しばらくして、ドアの外で、「あのう、僕の靴を、すまないけど。……それから、ひものようなものがありましたら、お願いします。眼鏡のツルがこわれましたから。」 色男としての歴史に於いて、かつて無かった大屈辱にはらわたの煮えくりかえるのを覚えつつ、彼はキヌ子から恵まれた赤いテープで、眼鏡をつくろい、その赤いテープを両耳にかけ、「ありがとう!」 ヤケみたいにわめいて、階段を降り、途中、階段を踏みはずして、また、ぎゃっと言った。
2016.02.26
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私が生きている月日のなかで二度と作られる事はないだろう、世界最大の戦艦「大和」その戦艦に原子爆弾を運びアメリカ艦隊もろとも吹き飛ばす。壮大な海戦漫画。おちは分かっているが、飽きもせずこの物語を書き続けたかわぐちかいじの握力に脱帽。「大和」の絵も素晴らしい。機械なのになぜこんなにも美しいのだろう。ルーズベルトが政治について語るシーンが35巻にある。政治とは異なる利害との調整だ。ちょっとドキッとしてしまった。
2016.02.15
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映画版の前・後編まとめてみる。印象に残ったのがのだめの部屋と髪型。ぼさぼさ頭と汚い部屋。フジコヘミングと被った。のだめが面白い曲と感じたラヴェル「ピアノ協奏曲第一楽章 ト長調」ピアノが躍っていた。一つ一つの音に色がついていた。又一曲聴いただけで覚えてしまって、みんなの前で弾く、のだめって凄い。まるでジミ・ヘンのよう。シュトレーゼマンと一緒に演奏したショパン「ピアノ協奏曲第一」のだめはちっとも楽しそうに演奏している感じにはみえなかったけれど、あの弾き方にはちょっぴり興奮した。のだめのピアノの音って実に豊かなんだね。千秋と仲直りするモーツァルト「2台のピアノのためのソナタ」ふんわりとした綿菓子みたいで素敵だなっと思った。漫画も素敵だったけど、映画は演奏した曲の音が出ていて、それが聴覚に残った。
2016.02.13
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猫がブームだそうである。実際イオンにあるペットショップに行ったら、いつの間にか、犬に代わって、猫が半分のスペースをしめていた。ま、そんなワケで猫文学「吾輩は猫である」の話をしよう。読み進めていると、我欲についての考察について記述している文章があった。唸る。漱石の文学は哲学を感じる時がある。「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔むかしの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分だいぶ流行はやるが、あれは大だいなる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境さかいにいけるものじゃない。向むこうに檜ひのきがあるだろう。あれが目障めざわりになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪しゃくに触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣やり口くちはみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭ほうていへ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまで焦あせったって片付く事があるものか。寡人政治かじんせいじがいかんから、代議政体だいぎせいたいにする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道トンネルを堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布しく。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大おおいに違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下もとに発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下もとに安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観みるのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家ぜんけでも儒家じゅかでもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日らくじつを回めぐらす事も、加茂川を逆さかに流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚ぐな事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細しさいなかろう。何でも昔しの坊主は人に斬きり付けられた時電光影裏でんこうえいりに春風しゅんぷうを斬るとか、何とか洒落しゃれた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢たぜいに無勢ぶぜいの問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃たのむ小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」 主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入はいって書物も読まずに何か考えていた。
2016.02.12
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ストーカーとか誘拐とかヘビーな内容だったけど、テーマは愛だ。素直になった柴崎、手塚ペアは大事に思い合えるようになって良かった。映画と違って、本は向き合って読むので体力がいる。しかしその分、想像力の翼が格段に広がる。作家は書くことによって、読み手に必ずテーマを伝えようとする。その思いは伝わったよ。
2016.01.25
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最初の競馬場での騙しのシーン。あれにはやられた。騙されたと思ったら騙してたとは・・・。ここだけでも見る価値あり。詐欺師って凄いなっと思った。160分と長いのに長さを感じなかった。面白い!の一言に尽きる。阿部寛と村上ショージが詐欺師役。結構このコンビが良かった。石原さとみ嬢は髪型のせいか、最初は彼女だとわからなかった。まひろ役の能年玲奈は良い感じ。小柳友くんの最後の切れ方も良かった。ラストの驚異的などんでん返し!は見事にやられた。道尾 秀介の原作を読みたくなった。村上ショージが病院で、道尾 秀介の「向日葵の咲かない夏」を読んでいるシーンは監督のユーモアを感じた。見て損はしない映画だね。
2016.01.15
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あきる野図書館から特に見たいと言う要求があるでも無く借りて見た。見た瞬間に緊張を強いられた。内容を一言で述べると公衆電話内から出ることを許されない映画だ。公衆電話をよく利用する主人公がある理由から命を握られる。ほぼ主人公のコリン・ファレルと電話ボックスだけの映像でも、畳み掛けるような展開で最後まであきさせない。ラスト、全てが、終わり救急車に主人公が乗った時おぼろげに見た光景に何が映ったか・・・スナイパーが主人公を懺悔させるシーンは秀逸。死を目の前にしていた主人公の恐怖が解かれ、殺してくれと叫ぶに至る。人間の弱さがほとばしり出る展開にこういうストーリーもありかと思った。見て損はしない映画だね。
2016.01.14
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「ビリギャル」を見る。タイトルだけ見るとおふざけぽいのですが、これが何ととてもわくわくして何回も泣けてくる映画でした。2回見ても泣けてくるのですから本物です。私は何度も号泣しちゃいました。ここには、家族愛、ネヴァーギブアップ精神が流れています。まあ映画を見て頂ければ、「フムフム」と理解して頂けると思います。映画の中の、アーちゃん(母さん)いいね。誰に何と言われようと目標に向かって進む架純ちゃんはかっこよかったです。とても素敵な映画でした。夢に向かって進む姿って「キュンキュン」きますね。
2015.12.14
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映画を見た後、農業高校と言う今まで触れて来なかったジャンルが面白いなと思って漫画も読み始めた。読むと結構これが面白い。次の巻数を買いたくなる展開。まさに漫画の真骨頂と言うところだ。「食」に関する本は結構大好物なので、豚、鶏を解体して食べるシーンは残酷だけど、きちんと描かれているので好感が持てる。11巻目には主人公の八軒が起業家を目指すストーリー展開になってくる。さあどうなっていくんだろう。わくわくしてくる。さて食べるという事に関して、魯山人もおんなじことを言ってたけど、野菜は土から採ったばかりを料理するのが一番おいしい。肉も野菜も素材が一番大事。どんな料理名人でも素材が悪ければおいしい料理にはならない。又食べ物にはそれぞれが味の個性を持っており、それを上手に活かすのが料理の神髄である。真にそう思う。この漫画は「将太の寿司」同様、私にとって大事な漫画となった。やっぱ漫画は面白い。
2015.12.03
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川村元気 億男読後思った。億と言わず毎月個人で生活費以外、50万使えるとしたら、どう使うのだろうか。釣り15万 旅行5万 本5万 食事10万 結構これで家族が安泰なら幸せ。計35万。考えてみれば今でも回数が少ないけどやっている。つまりお金が、ガツンと入ってもやる事はいつもの日常と変わらないって事だ。結構つつましやかだ。まあそれで欲が無くなるかどうかは使ってみないとわからない。あれ買いたい、これを買いたい。でも、お金がないから我慢する。それを我慢しつづけていると、今度は欲が無くなってくる。欲が無くなると生きている実感が薄れる。ほどほどの欲。バランスが必要だ。この本にはそんな気づきがあった。二度読みたくなる本です。
2015.11.21
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電子図書の中に「青空文庫」と言う著作権が切れた作家の読み物を扱う誠に結構なコンテンツがある。魯山人の随筆「魯山人の美食手帖」に書かれた「個性」が面白かったので下記記載する。ある晴れた日の午後であった。と、こう書き出しても、芥川賞をもらうつもりで、文学的に書き出したのではないから心配しないでくれ給(たま)え。 いったいこのごろは、何賞何々賞というものが多過ぎるようだ。常務取締役に社長が多すぎるのも気にかかる。知人に道ででも会って、久しぶりに会ったなつかしさかなんだか知らんが、きまって名刺を出される。例えばどんな若僧にもらっても、見給え、たいていは社長か常務取締役である。社長だからと思ってあわててはいけない。電話が一本に机一つ椅子一つ、社長一人の社長もあれば、銀行に知人があるというので、金を借りに行くだけの常務取締役だってある。何々賞も それと似たようなもので、余り多過ぎはしないか。ひとをけなすよりほめる方が美しいことだし楽しいことには違いないが、賞(ほ)めそこなったために、そのひとの前途をあやまらす結果にならぬともかぎらぬ。たまたま格のある何々賞があってそれを受けたと思ったら、棺桶に片足突っこんでいることの証明みたいなことになってしまったり……。 さて、なにをいおうと思っていたのかな。そうだ。ある晴れた日の午後であった……のつづきだ。わたしは、犬をつれて散歩に出た。いや、そうではない。小学校の先生と散歩したのだ。その先生は、遠いところからわたしを訪ねてきてくれたのである。福井県のひとであった。わたしに、福井の産物をいつも送ってく れるひとだ。福井のガクブツである。 わけても福井のうには日本一だ。方々の国々にうにの産地はあっても、おそらく福井のうには格別である。福井の四箇浦(しかうら)のうにはとげがない。とげというか、針というか、あのくちゃくちゃと突き出た奴がないのだ。割ってみると、他のうにのように、やわらかい肉がなくて、からの中にかたまった、乾いたような、ちょうど木の実のような奴がはいっている。落とせば、かんからかんのかんと鳴るだろう。それを取り出して、俎板の上で、念入りに何度もムラのないように練られたものだ。そのうにの産地のひとと、駅へわたしも行くので、いっしょに出かけたのだ。すると、道ばたで遊んでいた小学生が、その先生を見て、チョコンと頭をさげたものだ。その先生はわたしを見返って、笑いながらいう。「わたしはどこへ行っても、子供におじぎをされますよ。どこへ旅行しても、わたしは子供たちの目からは学校の先生に見えるのですね」 わたしは感心したり、寒心したりした。先生、という型にはまりこんでしまったひとを、わたしは立派だと思ったが、同時に大変さみしく思った。型にはまったればこそ、型にはまった教育を間違いなくやれるのだ。だが、型にはまってしまっているがために、型にはまったことしかできないのだ、と、思った。 料理だって同じことだ。型にはまって教えられた料理は、型にはまったことしかできない。わたしは、決して型にはまったものを悪いというのではない。無茶苦茶な心ない料理よりは、まだ型にはまったものの方が見苦しくない。大学を出ない無知よりは、同じ大学を出た無知の方がましだ。だが、大学に行っても自分でやろうと思ったこと以外はなにも身につかないものだ。本当にやろうと思って努力するひとにとって、学校は不要だ。学校は、やらされねばならない人間のためにある。自分で努力し研究するひとなら、なにも別に学校へ行かなくともよい。とはいうものの、習ったから、自分でやったからといって、大きな違いがある わけでもない。字でいえば、習った「山」という字と、自分で研究し、努力した「山」という字が別に違うわけではない。やはり、どちらが書いても、山の字に 変わりはなく「山」は「山」である。違いは、型にはまった「山」には個性がなく、みずから修めた「山」という字には個性があるということである。みずから 修めた字には力があり、心があり、美しさがあるということだ。型にはまって習ったものは、仮に正しいかも知れないが、正しいもの、必ずしも楽しく美しいと はかぎらない。個性のあるものには、楽しさや尊さや美しさがある。しかも、自分で失敗を何度も重ねてたどりつくところは、型にはまって習ったと同じ場所に たどりつくものだ。そのたどりつくところのものはなにか。正しさだ。しかも、個性のあるものの中には、型や、見かけや、立法だけでなく、おのずからなる、 にじみ出た味があり、力があり、美があり、色も匂いもある。いや、習いたければ習うもよい。習ったとて、やはり力を、美を、味をと教えてくれるだろう。気をつけねばならぬことは、レディーメイドの力や美を教えこまれぬことだ。型から始まるのも悪くはないが、自然に型の中にはいって満足してしまうことが恐ろしい。型を抜けねばならぬ。型を越えねばならぬ。型を卒業したら、すぐ自分の足で歩き始めねばならぬ。同じ型のものがたくさん出ても日本は幸福にはなら ぬ。山あり、河あり、谷ありで美しいのだ。しかも、山にも、谷にも、一本の同じ形の木も、同じ寸法の花もない。しかも、その花の一つ一つは、初めはみな同じような種から発芽したのだ。芽を出したが最後、それらのものは、みなそれぞれ自分自身で育ってゆく。 習うな、とわたしがいうことは、型にはまって満足するな、精進を怠るなということだ。 この本を読んだからとて、決して立派になるとはかぎらない。表面だけ読んで、満足してしまってはなお困る。実行してくれることだ。そして、それぞれに研究し、成長してくれることだ。読みっぱなしで分ったようなつもりになってくれては困る。 それでは、個性とはどんなものか。 うりのつるになすびはならぬ――ということだ。 自分自身のよさを知らないで、ひとをうらやましがることも困る。誰にも、よさはあるということ。しかも、それぞれのよさはそれぞれにみな大切だということだ。 牛肉が上等で、だいこんは安ものだと思ってはいけない。だいこんが、牛肉になりたいと思ってはいけないように、わたしたちは、料理の上に常に値段の高いものがいいのだと思い違いをしないことだ。 すきやきの後では、誰だって漬けものがほしくなり、茶漬けが食べたくなるものだ。料理にそのひとの個性というものが表われることも大切であると同時に、その材料のそれぞれの個性を楽しく、美しく生かさねばならないとわたしは思う。
2015.11.10
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図書館の話だと言うので借りて読んでみた。市立図書館で働く4人の男女がそれぞれの想いを綴った形式で話が展開していくんだね。派遣社員として図書館にミニスカートでやってきた、超絶美少女・春香の設定は良いね。私的には図書館で働いている人ってエプロンつけているが、地味なズボンはいている人しかお目にかかったことがないので、ミニ大歓迎なのだけどね。登場人物としてドキッとしたのはロリコン男・松田かな。彼のはいたセリフ「性の対象として好きなやつが児童館の職員や小学校や中学校の教員の中に混ざっている。俺が興味あるのは女子中学生だけで、小学生に対してはしっかりと仕事上の愛情で接している。ゲイにはゲイが分かるし、カツラをしている人にはカツラをしている人が分かるらしい。同族同士で何かしらの匂いを嗅ぎつけるのだろう」このセリフは面白い。彼は突然フェイド・アウトしてしまう。その後彼がどうなったのか。続編を書いてもらいたいね。真面目堅物アニメ大好き女・日野は果たしてこれから松田と会えるのかと言うところも気になる。特になんの特徴もない主人公・本田と春香が最後一緒に暮らそうと言うところでこの物語は終わる。畑野智美の作品を始めて読んだけど、この人の書く人物達の空気感がとても良い。重い話も持たれない。お勧め作品です。
2015.11.07
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見ていて、つらい映画だった。死者を、送る際歌ったゴスペルがずしんと響いた。絶望的な日々。ラストに救いがあったが、主人公のみでありスカットした気分にはなれなかった。いい映画だと思うが2回見たいとは思わなかった。wikipedia1841年、ニューヨーク州サラトガのソロモン・ノーサップ(イジョフォー)は自由黒人のヴァイオリニストだった。彼は妻と子供2人と順風満帆な生活を送っていた。ある日、彼は二人組の男たち(スクート・マクネイリーとタラン・キルラム)から金儲けができる周遊公演に参加しないかと誘いを受けた。ある晩、二人組の男たちにノーサップは薬漬けにされ、昏睡したまま奴隷商に売られることとなった。彼は自分は北部の自由黒人だと主張するが、材木商のウィリアム・フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)に購入される。ウィリアムは信仰心は篤く温和な性格の農園主だった。ノーサップは教養が高く、ヴァイオリンも弾けることからウィリアムに目をかけられるが、農園の監督ジョン・ティビッツに言いがかりをつけられ暴力を振るってしまう。ノーサップはティビッツに報復行為を受けるようになり、ノーサップの身の危険を悟ったウィリアムは、仕方なしに資金面で世話になっている別の農園の支配人のエドウィン・エップス(マイケル・ファスベンダー)のもとへ売ることを決意する。ウィリアムと異なりエドウィンは非常に陰湿で残忍な性格の持ち主だった。綿花栽培のノルマに達成しない奴隷や気分が悪いときは平気で鞭打つなどしていた。ノーサップはひたすら耐え忍ぶが、ある日奴隷として白人であるアームスバイがやってくる。アームスバイはかつては監督官であったが、不祥事を理由として奴隷に身を落としていたのであった。自分と近い境遇に親近感を覚えたノーサップはアームスバイを信用し、友人へ手紙を送るよう懇願する(黒人ではなく白人であれば手紙を送ることは自然だろうと考えたのも決め手となった)。だがアームスバイは裏切り、ノーサップはウィリアムに責め立てられるが機転を利かし難局を乗り切る。その後も長い奴隷の時を過ごすが、カナダ人で大工のサミュエル・バス(ブラッド・ピット)と出会ったことから風向きが変わる。ノーサップは奴隷制に反対で良心を持っているサミュエルを信用し、自らの素性を明かし、北部時代の知己に手紙を送ることを懇願する。数日後エップスの農場のもとに保安官がやってきて、遂に奴隷から解放されサラトガに帰郷する。
2015.10.22
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見応えのある映画だった。1回目は誰が犯人なのか。それともやはり自殺だったのか。その点に意識が集中した。2回目は結末がわかっている。そういう意味で新鮮さからは遠ざかっている。それでも見たいと思わせ、また映画と向き合った。この作品のテーマは何だろうかと考えた。「家族」だった。幸せだとは言えない家族もあった。それでも登場した中学生は皆家族のもとに帰って行った。宮部みゆきの作品に流れているものに触れて、少しうれしくなった。この作品は絶望だけでなかった。
2015.10.20
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「土を喰う」水上勉のこの本が大好きで食べるという事を考えるときいつもこの本に立ち返る。そこには自然と共存している大好きな生き方があるからだ。これから書こうとしている事は「自然保護」について解決を求めて書いているのではない事をお許し頂きたい。今いる空間(図書室)は本で埋まっているが、そこに自然があるわけではないからでもあるだろう。休みの日となると山に入り、自然と楽しむが必ずそこには人間が残したペットボトルやら、タイヤと言った自然とは逆行するものが捨てられているからであろう。つい一人になると考えてしまう。自然保護と環境問題は、食料問題と並んで、21世紀の人類が抱える最大の課題と考えて良いだろう。言い古された言葉だが、オゾン層破壊、地球温暖化、森林伐採、環境に関する問題はより豊かな生活が物質にあると考えて実行した発露に他ならない。自然と共存する事に重きを置くより、貨幣利益を生む生活に人間が進んだ結果に他ならない。それが良いのか悪いのかは別として、一度でも電気のある生活を望んだ文化は後退してランプの生活に戻ることは出来ない。原子力がどんなに危険なエネルギーであるとわかっていても・・その生活を現実として捨て去ることが出来ない。勿論少数派として捨て去った人もいるだろうが・・自然保護の問題は今やいきものだけに限らず菌や微生物までもが対象とされ、感情論が入り交じる。「鯨を守れ」「トキを守れ」と言った単純なものから、「生物多様性の保全」と言った感じでより複雑なものになってきている。そして、保護する立場から考える人は、生物多様性保と言う言葉だけが一人歩きを始め「とにかく生物多様性は保全しなければならない」と言う風潮が強迫観念のようにはびこってきてしまっている。「鯨を守ろう」的、自然保護は実に直線的で聞こえは良いが人間は食糧難の時代から鯨を喰ってきた。それのどこがいけないと言う論について、ただ可愛そうだから、資源が枯渇するという点だけでは生きると言う論点から切り離されてしまう。皮肉な事だが鯨を食わない人より、食う人の方が、鯨がいかに資源として大事が分かっている人の方が多いと思うからである。しかし自然保護区の指定は、その様な自然環境を人々から切り離す。このような包括的保護の強化は、これまで以上に在地の文化の全面的改変を迫る。多様な生活文化は行き場を失い、「貨幣」へと統合されて行く。生物多様性も、人間の多様な文化も、地域の環境の中で生まれるが、そこに利益と言う言葉が付くとすぐに環境が破壊される。自然とは己が生きる場を求める生命の発露として、共にかけがえの無いものである、多様な生き物と、人間の多様な生き方は本来同様のものではないだろうか。森を食うとは単に胃袋に入れるだけではない。一見物質的欲求を満たす目的に見える狩猟や採取と言った生業活動の中にも遊びの要素がある。食べるためと貨幣を目的とした農耕は一見森と対立する反自然であるかに見えるが、水田の中にカルガモを生かし稲の害虫を食べる方法で稲作をしている所もある。農薬を極力使わない事でカエルやドジョウが蘇生し水田が活性化することもある。森や自然環境、その中の草木虫魚の一つ一つに至るまで文化に結びつかないものはない。人間の生活から切り離し何も手を付けずただ保護するという発想は異様である。むしろ人と自然との間で、いかなるつながる関係性があるかを問う事が重要である。人間は森に入り、空を見たり、花を愛でたりすることで癒される。それは人間が自然と一緒に生きているからである。近大は凶暴な生態征服の時代であったが、最近はコンクリートの場所にも再開発として必ず緑が植樹されている。コンクリートだけが文化であり、生活ではなくなってきている。そこに自然があるという事がコンクリートを通した人間のつながりなのである。区切るという理論は一見自然保護になる気がするが、そこには自然環境に根差した文化の多様性をつぶす事になるかも知れない。資源として残される利点はあるが、共存と言う課題からは切り離されたままとなる。多様な価値が互いに尊重しあい共存する。多様な自然との関わりと多様な意見の異なる人達との関わりを排除することではなく、関わりを保持することが重要なのではないだろうか。ふっとそんなことを考えた。全然関係ないかと思われるかも知れないが、いじめ、自殺、猫の頭を切り取った事件、殺人事件、汚職、暴力等々、負の出来事が日常的に繰り返される世の中を見て何が足りないのか、何が人間をそういった負の事件に手を染めさせてしまうのか、自然と無関係ではない気がしていると思ったからである。
2015.10.16
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最初に見たときよりストーリーを知っているだけ緊張感は少なくなっていた。まあ、これは当然。この映画の凄みはラスト「キャラバン」でのドラムソロ。ジャズは格闘技か・・・フレッチャーがブルースリーのようだった。しかし勝ったのはどっちか。どちらでもなかった。最後お互いが共鳴しあう。憎しみからの共有。にやっと笑った所で、字幕がでて映画が終わる。ラストサムライの台詞「パーフェクト」まさに完璧だ。ハイハットの余韻冷めらやらぬまま、リズム音が消えていった。傑作。
2015.10.11
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たまたまイオン主催の新体操を8チャンネルでやっていて偶然見る機会に遭遇した。その時シチューを温めていたのだが思わず手が止まってしまった。日本の、早川さくらと言う選手が登場した時思わず演技とスタイルに見惚れてしまった。何、なんだ。この長い手足は。世界に通用するオーラを感じた。失敗もしていたけど、将来が楽しみな選手が登場した。フィギュアの真央ちゃんもいいが、私は断然早川さくらを応援したい。Yahoo!動画で、一杯掲載されているので興味ある方はのぞかれたらいいと思う。とにかくとんでもなく美しい。身長170センチ。モデルに転身してもすぐトップスターになれる華やかさと肢体を持っている。それにしても新体操の女性は出る人、出る人、綺麗で美しい。クラシックバレーの要素を兼ね備えた演技という事もあるのだろう。手足の隅々までが、本当に美しくて、ため息が出てしまった。
2015.10.10
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ソロモンの偽証 前篇宮部みゆき作品を映画化した「ソロモンの偽証」評判がいいのでツタヤで借りてみた。ソロモンって誰?ウィキペディアで調べて見ると「ソロモンはエジプトのファラオ[1]の娘をめとり、ギブオンで盛大なささげものをした。そこで神がソロモンの夢枕に立ち、「何でも願うものを与えよう」というと、ソロモンは知恵を求めた。神はこれを喜び、多くのものを与えることを約束した。ここからソロモンは知恵者のシンボルとなり、ソロモンが子供のことで争う2人の女の一件で賢明な判断を示した逸話は広く世界に伝わり、後に江戸時代の大岡裁きの話にも取り込まれた[2]。このことから、長きにわたってユダヤ教の伝承ではソロモンは知恵文学の著者とされていたが、歴史的な裏付は無く、考古学的には疑問視する意見も少なくない。また、一説には神から知恵(指輪)を授かった、もしくはユダヤ教の秘儀カバラが記された『ラジエルの書』を託されたとも言われ、多くの天使や悪魔を使役したとされる」と記載されていた。ふぅん。そうなんだ。テーマは中学生の男の子が雪の降った日、学校の飼育室の前で死んでいた。自殺なのか殺人なのか。「真実を知りたい」その死を目撃した主人公の少女が腹を決めて立ち上がる。前篇はその真実を知るために生徒だけで裁判を始めようとする。さて、どういう結末が待っているのか。わくわくするストーリー展開である。登場人物一人一人もよく描かれている。話しは変わるが中学・高校の頃、殴られた事も、殴ったこともあった。今でもあまりいい記憶として残っていない。いじめの暴力は本当に心を蝕む。いじめを受けたら逃げるのが大事。戦うのではなく、逃げる。力で人を屈服させようとする人は、子供の頃であれ、大人になっても大嫌いであった。この映画の中でもそういう大人が多々登場する。「勇気」と言う言葉は簡単に口に出せるけど、当事者はそんな余裕なんてない。とにかく、どういう場合であれいじめを受けたら「逃げる」そこからじっくり自分に非があるのか、相手に非があるのか見極めることが大事だ。「逃げる」なんて先生言ってくれないしね。この映画のテーマは重い。ゆえにラストにどんな結末が待っているのかわからないけど人間ってやっぱり悪魔と天使が宿っていると思った。
2015.10.10
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二回目も確実に見たくなる映画。どこまでも続く辛口の風景と時間。「キャラバン」で見せた主人公の想い。この映画には最近失われたジャズの面白さが宿っている。どんな世界でも一線を超えると、凄みとなる。凄みは感動と余韻を与えてくれる。映画を見る理由は色々あるが、見たことがない世界に触れてみたい。主人公と重なってみたい。役者が好きだから。数え上げればきりがないが、予定調和でない世界が広がっている。生々しい人間の喜怒哀楽が含まれている。そういった人間の棘の部分に触れるとのけぞるような解放感と自閉感を双方向で感じてしまう。ラストに待っていたものは、凄まじいばかりの復讐と共鳴であった。ハイハットの余韻未だ冷めやらず。
2015.10.06
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仕事柄聞蔵という朝日新聞のサイトを見ることが度々あります。そこで下記のような記事が掲載されていました。迷走しているというより、なんか腹がたってきました。これはオープンに書かれた記事です。秋のキノコ狩りシーズンが真っ盛りだが、富士吉田市など3市町村では東京電力福島第一原発事故の影響で県による「野生キノコの採取、出荷及び摂取」の自 粛要請が続く。にもかかわらず、週末、富士吉田市内の山林は、多くのキノコ狩り客でにぎわっていた。道路には山林に入るための「入山鑑札料」を徴収する係 員もいる。いったいどうなっているのか。 ■富士吉田の組合「吉田恩賜」 富士山麓(さんろく)と富士山5合目を結ぶ木材搬出用 の舗装道路「滝沢林道」。9月27日朝、林道の入り口で、山林を管理する富士吉田市外二ケ村恩賜(おんし)県有財産保護組合(吉田恩賜)の「委託職員」と 名乗る男性2人が、車を1台ずつ停車させ、通行の目的を尋ねていた。 吉田恩賜によると、鑑札料は組合外の人が山林に立ち入る際に支払う必要がある。登山や神社参拝など林道を通行するだけの場合は必要ない。 委託職員は「山林に立ち入る」と答えた車からは、1人あたり500円の鑑札料を徴収していた。だが、山林に入る目的についての会話は交わさない。記者が見ていた1時間半の間に、約20台の車の行楽客が鑑札料を支払った。 鑑札料を支払った人を記者が追いかけて、山林に立ち入る目的を聞いてみると、全員が「キノコ狩り」と答えた。だが、支払いと引き換えに受け取った入山鑑札の「摘要物件」の欄には、本来の目的の「きのこ」ではなく「山菜薬草」の部分に丸印がついていた。 県からキノコ採取の自粛要請が出ているから、別名目で鑑札料を徴収し、入山を認めているのではないか。 後日、吉田恩賜に取材すると、礒村洋之総務部長は「野生キノコを流通させて商売するのは『自粛』だが、個人では野生キノコを採っても良いと考えている」と 説明。明らかにキノコ狩りが目的なのに、「山菜薬草」の名目で鑑札料を徴収していることについては「体裁を整えるため」と話した。 ■県と食い違い 一方、県森林環境部林業振興課の担当者は「健康被害を考えて、『採取、出荷、摂取の自粛』をお願いしている」と話す。「国の基準値を超える放射性物質を含んだキノコを食べれば、健康被害の可能性がある。個人で採って食べる分には大丈夫という考えは成り立たない」 また、別名目で鑑札料を徴収していることについては、「山菜や薬草を採取する名目で鑑札料を取るなら、キノコ狩りはしないよう入山者に念を押して欲しい。そうした注意をしていないのであれば、早急に指導する」としている。 吉田恩賜は10月11日まで、日曜ごとに鑑札料を集める予定だという。(河合博司)
2015.10.05
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本来ならキノコ採りに関して楽天ブログでオープンに書いても問題ないけど何せ国がこんなこと言ってます。あまり意識していなかったけど、仲間の一人からそのことで連絡があったりして面倒臭いので、別のクローズしたところで書くことにしました。耐え難きを忍び、屈服するつもりはさらさらないけど、争い事は好むところではないのでキノコブログから去ります。ご報告まで指 示 平成24年10月26日 山梨県知事 横内 正明 殿 原子力災害対策本部長 内閣総理大臣 野田 佳彦 東京電力株式会社福島第一原子力発電所において発生した事故に関し、原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第20条第2項に基づき、下記のとおり指示する。 記 山梨県富士吉田市、富士河口湖町及び鳴沢村において採取されたきのこ類(野生のものに限る。)について、当分の間、出荷を差し控えるよう、関係自治体の長及び関係事業者等に要請すること。それについて山 梨 県出荷制限指示後の管理の考え方―(野生きのこ)―野生きのこの出荷管理については、富士吉田市、鳴沢村及び富士河口湖町(以下「関係市町村」という。)と連携し、次の対策に取り組むこととし、万一不適切な事案が確認された場合には、速やかに是正措置を講じる。1 制限区域の市町村からの出荷防止対策(1)採取者対策県は、野生きのこの出荷制限が指示された関係市町村の協力を得て、当該市町村内で発生した野生きのこを採取する者に対し、一切の出荷を行わないよう周知するとともに、関係市町村及び関係団体と連携して巡回指導を行う。(2)流通対策県は、野生きのこを流通、販売する者に対し、出荷制限区域内で採取された野生きのこを流通、販売しないよう周知するとともに、関係市町村及び関係団体と連携して巡回指導を行う。また、定期的にインターネット上の通信販売について監視を行い、制限区域内で採取された野生きのこが販売されていないかを確認する。2 制限区域外の市町村からの出荷に関する対策県は、出荷制限区域外で採取された野生きのこについては、野生きのこを流通、販売する者に対し、産地の市町村名を表示するとともに、入荷先、販売先の記録を保存するよう周知徹底する。また、必要に応じて当該記録の県への提出を求める。これらの取り組みが行われるよう、巡回指導を関係市町村及び関係団体と連する
2015.10.05
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「早川の小磯釣具店が10/14で閉めちゃうよ」「餌釣りが釣れてるよってブログに書いてあったよ」「水も澄んできて、友釣りもいいらしいね」キノコも先日腹いっぱい採ったことだし、今年度最後の友釣りに行こうか。小磯釣具店にAM6:30到着。餌釣りのやり方を聞いていたらどこからか釣り客が湧いてきた。9/30(水)だってのに、結構来るんだな。ラセンを付けてシラスを巻く仕掛け。針は返しの無い袖針1号。太閤橋上下が良いって言うんで車を走らせ、先ずは橋の上から川見。「いるいる」ちょっと興奮。トミさんは下流、私は上流に入り早速ラセンを使って、餌釣り開始。瀬に流すと突然ウキが沈んだ。ゆっくり合わせると10センチ程度の可愛い鮎が釣れた。少し場所をずらして流すとまたウキが一気に沈んだ。今度は13センチ程度。入れ掛かりにはならないけれど、鮎はよく引く。下流にゆっくり場所を変えると入れ掛かりをしている麦藁帽のオジサンがいた。毎日のように来ているとの事。オジサンはラセンを巻かず、普通にウキと針だけで釣っている。シラスは撒いているとの事。じっくりオジサンのやり方を見せてもらう。ウキはとても小さい。鮎が掛かるとよく沈む。釣れている型も15センチ以上とまずまずだ。「友釣りをやるのかい」「ハイ、好い型の鮎が餌で釣れたらやります」「だったらこれ持ってけよ。俺は毎日釣っているからやるよ」気前の良い話にびっくり。びくには10匹位オトリになりそうな鮎が入っていた。AM10:30。餌が釣れなくなったので、トミさんに鮎2匹献上して、友釣り開始。平瀬のまったりした流れに鮎を泳がせると「キラリ」掛かったのがすぐわかる。5.5→6.0のズーム竿なので抜くのが簡単。3匹入れ掛かった所で橋の上を見るとたくさんのギャラリーが・・・ありゃぁ、こっぱずかしい。あまり見られていても緊張するので、やってみたかった瀬に移動する。竿抜けだったのだろう。激流におとりを入れると一発で当たり。いい感じでの入れ掛かりが続いた。型も18センチ程度とまずまず。この時期に入れ掛かり。秋田の桧内川のカタキを早川でリベンジした。いい気分だ。8本程抜いて鮎が小さくなったので更に下流に移動。1人若いにいちゃんがいて時々掛けていた。何せ広い河原にいるのは私とにいちゃんだけ。場所はいくらでもある。深瀬に入れると一発で追った。「快感」やっぱ鮎釣りは楽しい。型も20務センチオーバー。このポイントでも入れ掛かりが続いた。ここで7本程抜いて更に下流に移動。普段はあまり入れない荒瀬におとりを誘導するとこれまた一発で追った。川の水も適度にぬるみ状態はいい。これが天然河川の実力だと思った。心配していた大涌谷の火山灰の影響もなく水は澄んでいる。もの凄い食み跡があったのでそこに鮎を入れるとこれまた一発。鮎の魚影は濃い。しばし入れ掛かりを堪能していたが急に風が冷たくなり釣れなくなったのでPM3:00。トミさんのいる上流に移動トミさんの釣果は13匹。湯本の方へ移動するかも知れないという事で何本か使わない鮎を残して置いたとの事。湯本も行って見たかったが、まあ結果論。しばし談笑後、トミさんの釣っている場所の上流に深瀬があったので、そこに入れると一発で来た。「いるじゃあないか」オトリの循環が良いと本当によく釣れる。ここで4本抜く。最後は背針が玉網にもつれて仕掛けを作り直し、一匹釣って納竿とした。数えたら42匹。自信が復活した日でもあった。
2015.10.03
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朝がやってくるのは早い。今日は岩見川へ行くことにした。90分ほどかけて現場に到着。橋の上で鮎を見る。「ん・・・いない」トミさんが鮎が必ず付いていると言う岩盤に案内してくれる。「ん・・いねぇ」「放流してないとちゃうんか」どうもそんな感じ。鮎がいなければ、釣りにはなんない。昨日入川した桧内川に再度行くこととした。三か所程川見をする。今日はどこも人だらけ。「お盆の日は釣りしないと言ったのは誰だぁ」結局昨日はいった西木町河川公園の更に上流で竿を出すことにした。見渡す限り岩盤。鮎が入れば一発で追ってくるような雰囲気はあった。しかしどうもポイントがずれるのか、鮎をここぞと思うポイントで沈めるものの、ウンともスンとも言わない。2時間ばかりどんどん下流に下ってやっと一匹。「ふぅぅ、疲れる」お昼時になったので仲間のいる場所に戻る。500メートル以上歩いたろうか。汗の吹き出し方が半端じゃない。昼は塩ラーメン。トミさんの流儀と言うのか、今回もネギとキャベツの切り方はぶっとく豪快。暑いときには熱いものを食べる。もりもり元気が回復する。午後はオーさんがよく釣れた上流のポイントで鮎を引く。元気なオトリも2匹分けてもらって入る。根掛かりさせたら、悪いので最初は外せそうなポイントからスタート。「こない、こない」ハミ跡はあるのだけれど、まったく当たりがない。意を決して深瀬におとりを誘導する。ゆっくり泳がせる。しかし当たりがない。更に激流におとりを泳がせる。入れた瞬間「根掛かり」「やっちまった」やむをえず肩まで水に浸かる。思った通り流れがきつい。「ヤベー」と思った瞬間流されてしまった。ウェーダーには水が浸水してくる。足は立たない。やっぱ恐怖だよね。ま、今回は深瀬から浅瀬への流れだったのですぐに立つ事が出来一安心。竿を少し岩盤に打ち付けてしまった。「クッソー」気を取り直してオトリと針を交換し瀬肩を攻める。やっぱ来るときは早い。連続2匹ゲット。しかしすぐに循環が停まる。どうもナワバリ鮎が限られている。結局この日はこれで最後。泳いだ事が記憶に残った一日であった。今回もオーさんの1人勝ち。30匹近く抜いていた。お見事!晩餐は角館の名物、鯉こくとチラシ寿司、さつま揚げ、塩豆等を購入。今夜もビールで乾杯。テン場は賑やかく、先日のじっちゃま以外に車2台分増えて、やんやの酒盛りをやっていた。4日目は朝の5時からテント撤収。結構手際よく進みAM6時、三面川を目指して移動となった。途中高速道路は何度もスコールの嵐。前方を行く3名のバイク野郎のにいちゃん、激しい雨に打たれながら何事もないように走っていた。前が見えない位のスコールがワイパーに襲って来たときゃ、バイクのにいちゃん、転びやしないかとひやひやもんだったが、車は前に進んでいたので、大丈夫だったのだろう。日本海側の河川が見えるたびに、鮎のことで盛り上がる。しかし山形から襲ってきたスコールが行く先々の川をコーヒー色にしていた。困ったもんだ。6時間程で三面川に到着。早速川見。やろうと思った場所にまず引き船を沈める。次にヤナ場を見る。釣り師が1人いたが、何度も移動を繰り返していたので・・・うーん、釣れているのかな・・・少々疑問。ヤナ場では600円でたくさんの鮎がこんがりと丸く円になって数十本焼かれていた。まだ鮎は上がっていないとの事。ではこの鮎は一体どこの鮎?どの鮎も20センチ以上と型揃い。三面の鮎は小ぶりなんだけどなあ・・・まあいいか。 次にトミさんがやってみたいという上流の瀬が見える橋で川見。ある箇所だけ鮎がくんずほぐれず、くねくねとナワバリ争いをしていた。ここも鮎釣り師が1人。釣れている様子はなかった。そうこうしているうちに突然のスコールが・・「ザザー」「ありゃりゃ」引き船がこの雨で流されていないか心配になり今日やろうとした地点に急ぎ戻る。それ程もの凄い雨が降りしきっていたのだ。みるみる内に川は増水して濁りも出始めた。「なんてこったい」結局この雨でやるのは危険。なにせ雷が鳴っている。残念だけど鮎を絞める事にした。鮎釣り師はコーヒー色の川には勝てない。上流で竿を出していた鮎師は無事あの雨から逃げ切れたのだろうか・・・。ふとそんな心配が脳裏をよぎった。こうして3日間の鮎三昧の日々はスコールのため幕引きと相成った。遠征のいい所はその時の風景が思い出されること。鮎人生初めてのテント生活での貧乏旅であったが、立派なホテルに泊まらなくても楽しかった。きっとお金をかけたから思いでの量が変わるというものではないのだろう。むしろテント生活でアブやブヨに悩まされながら、どう人間の天敵と対峙していくのか、増水してもオトリ缶を流されないようにどんな工夫をしたのか・・自然の厳しさとに向かい合う事が普段の日常生活から解放されていくのが楽しかった。これだから仲間との鮎の遠征はやめられない。
2015.08.21
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さて今日から夏休み。鮎釣り三昧の旅の始まりぃ、始まりぃ。かあちゃんが、4時間かけて作ってくれた香辛料バリバリのインドカレーを食べた頃、オーさんとトミさんがやって来た。早速荷物の整理。特に今回はテント生活なので、椅子、シュラフなども入っている。綺麗にまとめて、男三人衆で秋田の子吉川めがけて夜21:00出発。久喜ICから東北道に入って、古川ICまで運転を変わりながらのんびり移動した。目的地まで約550キロの行程。出発前「マイノリティ・レポート」と「エイリアン4」見ながら、仮眠したので、運転中は目がぎらぎら。エイリアンを見たこともあって少し興奮しているのかな。古川ICを降りてしばらく子吉川方面に向かっていく途中、湧き水があり、そこでペットボトルに水を汲む。なんだかわかんないけど、最後のボトルに水を入れた瞬間湧き水が出なくなってしまった。なんか力尽きた感じの湧き水。「神のお告げか」なんて冗談を言いながら空を見上げるとうっすらと西日が射していた。子吉川にAM7:00到着。思ったより簡単にテントが張れたのであーんしん。さあ、いよいよ待ちに待った秋田での鮎釣り。事前に予約していた漁業組合のMさんから、オトリ2匹と、日券を購入。川見を橋の上からすると、いるいる。あちこちで鮎がナワバリ争いの喧嘩をしている。子吉川で言うところの銀座に入川。ちょっと深めのポイントで泳がすとすぐに「ギュルルーン」ときた。抜くと「あれ」15センチとちっせぇ。なんか相模川の天然アユと変わんない。「おっかしいなあ」少し上の瀬で釣っているトミさんも鮎を掛けた。こちらは21センチ、オーバーと大きい。しかしどうも続かない様子。またぎのオーさんも苦戦している様子。少し上流に移動。岩盤で一匹きた。しかしこれも15センチとちっせぇ。空を見上げると急に黒雲。一気に「ザー」半端な降りじゃない。雷が怖いので、急ぎ竿をたたみ避難とする。結局この場所では渋かった。連日の入川で一番鮎は抜かれている模様。ためらうことなく移動。トミさんが前回入れ掛かりとなった下流のポイントに案内してくれた。さあ、二回戦だ。川を見ると「ギョ」超渇水。水がねぇ。どこもチャラ瀬。静かに釣らないと鮎が逃げてしまうようなポイント。おいらのとっても苦手な釣り。どこに鮎がいるのか解かんないのでとにかく下ることにした。すると瀬肩のポイントで200匹位の群れ鮎がバシャバシャはねているではないか。「しめしめ」そこにおとりを誘導。しかしオトリが使い回しでへばっていてそこまでいかない。そのうち群れ鮎は更に下流に移動してしまった。しばらくはこの、いたちごっこの繰り返し。何度やってもダメなので、あきらめてセオリー通り、ナワバリ鮎を狙う事にした。「キラ」石が光ったのでその付近におとりを誘導すると一発で追ってくれた。そこから3匹程追加して昼飯タイムになったので、300メートルはあろうかと言う場所まで戻る。汗はだらだら。さすがにしんどかった。さっきの雨は何だったのと言うような快晴に変わっていた。小型ガスコンロで焼きそば作り。トミさんは細かく切ったのより大きめの野菜が好きだという事が分かり、ネギ、キャベツをザクザク切ってまず炒める。きつね色になったら取り出して今度は麺をオリーブオイルで炒める。そこに先程炒めた野菜を投入する。後は市販のソースを入れて掻き回せば出来上がり。外で食べるとどうして食事がこんなにうまいんだろう。3回戦は銀座より上流で挑戦。私はポイントはずれてゼロ。トミさんとオーさんは8匹。20センチオーバーの型物を釣り上げていた。テン場に戻りさっぱりと汗を流すため16キロ離れた鳥海山荘と言う温泉場に行く。肌がすべすべになるような、ぬるっとしたお湯に入る。露天風呂にはアブが浮いていたのはご愛嬌か。料金が300円と安いのがいいね。さて身体も温まったし、晩餐の始まりい、始まり。今日のメインディシュはなんたって鮎。温泉に行く前に炭火でじっくり時間をかけておいたので、狐色にこんがりと焼けていた。ビールで乾杯。「ゴキュ」うまいねぇ。トップバリューで買ってきた豆腐、塩豆、トミさんの作ったキュウリとナスの浅漬け。どれを食べてもうまい。鮎はうますぎて10匹程食べまくった。炭で焼くと内臓も苦みと甘さが渾然となって本当に美味。鮎は内臓が一番うまいと知るべし。釣り仲間と話す内容はほとんど鮎オンリー。明日の行き場所談義。漆黒の闇に照らし出されたLEDのランプの明かりが実に「ゴー」と言う川の音とマッチする。闇は人間の五感を取り戻す。食べ物も本来のうまみを取り戻す。夜はブヨとアブも眠るので快適な空気が吸える。オーさんはいつの間にか矢吹丈のように真っ白な灰ポーズとなって眠っていた。私も自然と眠気が来たのでシュラフに潜り込む。「今日は釣れなかったなあ。でも楽しかった」多分いつの間にか「グォー」と大きないびきをかいて寝ていたのであろう。瞳を閉じるといつの間にか朝になっていた。「ふぁぁぁ」眠っている五感を呼び覚ますためにまず顔洗い。この小さな公園は道路の下にあり、トイレも水道もついていて快適だ。「ぶるる」みるみるうちにモリモリと身体に生気が蘇ってくるのが分かる。モーニングは、スクランブルエッグと市販のソーセージ、1人4個。オーさんが作ってくれた。これがまたうまかったのなんて。本当に外で食べる飯は何を食べてもうまい。今日は角館の桧内川へゴー。途中玉川を橋の上から見る。何か水中検査をしていたのか、いくつもの不思議な棒が正方形になって30個以上立てられていた。川を覗くと怖いくらい青い。何だこの青さは。酸性の強い川なんだろうな。水はとにかく澄み切っている。しかしその場所に鮎はいなかった。不思議。角館は城下町としても有名。コンビニも城下町風の建物になっていたので笑ってしまった。何か所か川見をしてようやく西木町河川公園上流にて竿を出す。緩やかな瀬があったので、泳がすとナワバリ鮎がオトリ鮎めがけて真空飛び膝蹴り。一発で「カッツーン」「ん・・」なかなか抜けない。「あれれ・・」左へ右へ行ったり来たり。強引に引き抜くと「でかい」24センチもある体腔でっぷりの鮎がタモに「ドスーン」「やりい」でも、入れ掛かりにならない。どうも魚影が薄いみたい。誰でも入りやすいポイントでもあるので一番鮎は抜かれた可能性もある。結局昼飯時までその一匹のみ。貧釣果。オーさんは上流で18匹。さっすがー。釣れない話をすると、「でかいオトリ使わなかったからだよぉ」「根掛かり恐れて深場に竿入れなかったからだよぉ」トミさんの檄。昼飯は流水麺を冷水で締めた後、つるつる食べる。うめぇ。市販の麺なのに舌の記憶に残るいい味。午後はトミさんが入れ掛かりした下流の荒瀬に入る。普段は教えを受ける事なんてしないんだけど、あまりの貧釣果なので、トミさんの釣り方を見せてもらう事にした。「ほらあ、根掛かりを恐れちゃ釣れねぇぞー」「ん」早速根掛かりだ。「アハハ」タモと引き船を身体から外して激流に飛び込む。正確には泳ぐ。「ひぃぃぃ」と言いながらなんとかはずす。「よかったぁ、土座衛門になんなくて」何度やっても激流での根掛かりは恐怖だ。トミさんが根掛かりしたらイヤダナーと思う場所におとりを誘導した途端「ほうらきた」叫ぶと同時に、掛かった鮎と一緒に駈け出した。しかし一瞬で軽くなった。どうやらバレたらしい。「クッソー」心の叫びが聞こえてきた。ここから先は再び分かれて思い思いの場所で竿を出す。下流にどんどん、どんどん下って行くと流れが強烈な深瀬があった。「根掛かりしたら絶対はずせない」でもこんなところに大鮎がいるんだよなぁ。意を決してスーパーウェポンでオトリを泳がす。オーさんはノーマルにしろって言ってたけど、何十年もこの仕掛けで通してきた。今更ノーマルにしてもなあ。第一仕掛けがねえ。長年慣れた仕掛けで、オトリを泳がす。すると一発で「ゴキューン」ぐいぐい下流に引っ張って行きやがる。瀬の先には深いトロ場がある。そこで抜く。22センチ。体腔のでっぷり太ったまあまあまの型だ。一匹元気なのが掛かると面白いように鮎が鮎を連れて来てくれる。しかし、入れ掛かりは3匹で終了。「うーむ」そうこうしているうちにトミさんがやってきた。更に下流でチャレンジしてみるとの事。おそらく竿抜けの場所の予感がしたが、ここは譲って、おいらは上流に行くことにした。「ひいひい言いながら歩く」500メートル程歩いて、激深瀬で竿を出す。この場所は多分オーさんが引いたポイントだ。すぐに「ギュルギュルギューン」「やりい」でもすぐに軽くなった。「あれれ」オトリを戻すと針がねぇ。「やっちまった」結局この日はこれで納竿。さあテン場へ戻ろう。漆黒の闇の中でオーさんが「UFOだぁ」叫ぶ。「ざぁんねん、あれは風車の灯りだよ」幾つにも光る物体は何であったか・・・・晩餐は角館のスーパーで購入した半額の寿司。モズクとピザも購入。昨日と同じようにビールで乾杯。「クゥゥゥ」うめぇ。今日のテン場は岩手から来たヘビースモーカーのじっちゃまがやってきた。
2015.08.21
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