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「隠されたビタミンK2欠乏症の真相」とは?をご覧ください。
2011.09.18
長いこと、この楽天ブログでお世話になっておりましたが、FC2の方へ引っ越しすることとなりました。一応、今までの内容も一緒に引っ越し出来ましたので、しばらくしたら、こちらを閉鎖することとします。(皆さんから頂いたコメントも無事に引っ越しできました)とりあえず、今日まで楽天ブログで大変お世話になりました。有難うございました。また新しい場所でも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。転居先
2009.05.08
お久しぶりです。なかなか更新出来なくてすみませんでした。荒らし行為以降、セキュリティの問題から、ブログの引越しを予定しています。次は新しいブログにてお会いしたいとおもっていますので、それまでの間は引っ越し作業を優先、当ブログへの書き込みを一時的に拒否させていただきます。尚、新しいブログでも、タイトルは同じ予定です。楽天でも大変お世話になりましたが、新しいブログでもどうぞ宜しくお願いいたします。
2009.05.08
以前に荒らし行為を受けて以来、徹底した態度を取らせていただいています。それに対し、ご意見を頂いていますが、悪質な行為には徹底するのは当然のことです。こちらでは個人名などは分かりませんが、どの方が書き込んでくださっているかは大体分かります。100%ではないかもしれませんが、分かります。もしも「どうしても間違っている」と仰る方は、フリーメールではないメルアドをください。確認に必要とします。個人情報を他に漏らすことは一切ありませんので、ご安心ください。また、意見が違うというだけで削除しているわけではないのは、過去の皆さんからのコメント欄をご覧頂ければ、分かっていただけるはずです。結果的に、安全性を第一に考えている方は堂々とされているから、多重人格を装ったりされないだけです。偏って削除したり、書き込みが出来なくなっているわけではないのです。ですから、『対立した意見だから』というだけで削除はしていません。事実、削除されていない私への批判、反論も沢山残っていますし、いまだに書き込みが出来る方もいらっしゃるはずです(継続して書き込んでいらっしゃらないだけです)。あと、今回個メッセージで『新聞の取材も採用されなかったと思います』と2度も寄越された方にとっては、もしかしたら新聞に扱われるのが最大の公平だとおもわれていらっしゃる、そのような価値観の方でしたら、そうおもわれるのかとおもうのですが、私は新聞・マスコミこそが偏っているのではないかとおもっていますので、私はそのときには話題の一つとして話しましたが、忘れていたくらいの話でした。そんなわけで、気になさらないでくださいね。「裁判が終わったのに~」と、これは私を批判する方からはよく言われます。世の中、裁判を終えた後からこそ、活動されている方は多くいらっしゃいます。医療問題に限らず、あらゆる被害者の会なるものは、裁判を終えた方が多く支えていらっしゃいます。裁判も大きなことですが、事実以上のものではありません。そもそも、助産院の安全性を問うことに対し、私が裁判を経験しているか否かは無関係ではないでしょうか。問題提議に、条件が必要なのでしょうか。墨東病院で奥様を亡くされた旦那様が『病院を訴えることはない』とされた件を引き合いにだされ、更に私をなじってくださいますが、問題があまりにも違い過ぎて、根本的なところから見直していただければと願うばかりです。また、助産院の安全性を問い続けることがそんなにも可笑しなことだとするならば、同様に病院の問題、安全性を問う方たちにも同様の問題定義やご批判をされているのでしょうか。私自身は病院の問題や安全性を問うことも大事だとおもっております。医療の問題が時には話題に出ることもありますが、それを中心とした展開をすることを、このブログではしません。お手数をお掛けしますが、再度当ブログのタイトルをご覧ください。大変失礼な言い方かもしれませんが、本来ならお相手せずに済ませようとおもっておりました。しかし、私への批判も含め、ご意見くださる方の名誉のためにも、悪質な方の書き込みは削除するという意見をしっかりと提示したいとおもったから表明した次第です。次からはまたブログの本題に戻りますので、この件へのご意見はくださらない様、皆様にお願い申し上げます。
2009.04.27
先日の其の一にコメントくださったちくわさんとななこのなさん、お二人共に、ホメオパシーと子どもの問題がありました。医療ネグレクト予防接種についての問題。確かに、副作用の問題はあります。確率が0%ではないので、だから受けさせるかどうかを考えるのは大事だとおもっていますが、予防接種が全く意味のない行為だともおもえません。重症化しないことが多いといっても、しない確率も0%ではないですから、安易に『受ける・受けない』は言えないのが私の気持ちです。私の場合は、リンズはアレルギーがあると分かったので、主治医さんに相談したりしました。結構悩みました。というのも、色々な出会いの中で、副作用で人生が変わった方たちもいますので、その方たちから学ぶこともありましたから、打つと決めるときに、葛藤もありました。だから、私は打たないという選択肢もあるとおもうのですが、でも最近の“それが素敵な自分作り”のような安易な判断を目にすると、ぞっとします。助産院や自宅出産を検討される際に、『母子の命・安全が第一』となっているのが当たり前のことであることを祈っているように、予防接種に関しても、親の判断が子供の安全を第一優先としていることを願うばかりです。(身内に重度の後遺症者がいたりすることもありますので、気になる方は医師に相談するべきだとおもいます)先に述べた通り、ホメオパシーを子供の健康・生活の中心にするのは大反対です。子どもは言葉や表現が確実ではありません。新生児や幼児となれば、言葉はありません。顔色や泣き方で分かるというかもしれませんが、私たちの目や耳はそれほど確かでしょうか。『親の勘』というかもしれませんが、病気や怪我を前にして、勘だけを頼りにするべきでしょうか。生意気を言うようですが、ホメオパシーに限らず、非医療に熱心な方に伝えたいのは、『病名を確定してもらったり、必要な場合の投薬(手術)も親の愛情ですよ』という余裕です。ちょっとした発熱でもなんでも行くべきだとおもってもいません、経過観察や家庭で出来る手当てをして治癒出来ることもあります。ただ、実際に行くことは少なくて済むとしても、『行くべきではないか』と常におもいながら経過観察をするべきだとおもっています。最近、ダンジが中耳炎になり、耳鼻科に通院しています。レメディだけで乗り切る方がいるようですが、私はそれは、やはり親のエゴのようにおもいます。“レメディを飲ませているのだから、ネグレクトではない”とおもっている方もいるとおもうのですが、私は子供が痛がっているのを、時間をかけてゆっくりと…なんて、それだけでも可哀相におもいます。この点、前述のCさんがとっても理解ある方というか、「痛みは身体の負担になるんだから、それを早く解消してあげることも大事」と仰っているので、自然派志向の皆さんにこの言葉を贈りたいです。Cさんは好転反応についても、「痛いだけでも辛いんだから、あれ(好転反応)もどうだろうか、痛いこと(痒み等含)は少しでも避けた方が良い」と仰っています。私も同感。だから、レメディだけでなんとかしようなんて考えないで欲しい。でも、熱心な方には伝わらないだろうな…NATROMさんの『NATROMの日記』よりホメオパシーと医療ネグレクト更新された頃も拝読し、関するブログ等も拝読していましたが、当ブログで紹介させてもらうのは初めてになります。一応、一度は受診を考えて行動していたそうですが、子どもが眠ったので一旦安心となったのか、それにしても、心の経過が完全に非医療で、読んでいて不安になります。好転反応だとしても、痛いのは可哀相ですよ。それだけでも可哀相とおもってあげましょうよと、心の中で何度も叫んでしまいます。新生児にっていうのも、K2シロップの代わりにK2レメディなるものがあるようですが、これをどう解釈するのか、助産師会もホメオパシーを薦める内容の講演会を多数開催しているようで、本当、どう解釈しましょうかね。“非医療”の意識の生産をしているのが助産院であると言われても仕方がない。助産院って、やっぱり民間療法内ってことでしょうかね。勿論、ホメオパシーを取り入れず、非医療ではない助産院もあるはずですから、全ての助産院や助産師を言うつもりはありません。ただ、残念にも、そういう助産師の方たちが目立っている。私は兎に角、子どもには親以外の知識や技術を持つ方の存在は重要だとおもっています。そして、子供の健やかな日々や、少しでも過ごしやすい状態を望むためにも、非医療にならず、病院を遠い存在にしないで欲しいです。助産師こそが必要な存在だと仰るかもしれませんが、非医療という偏った状態をつくるきっかけであるならば、その存在を問題視されるのも当然ではないでしょうか。親自身は『自己責任』で済ませられますが、子どもは違います。ホメオパシーを取り入れている病院というのも、『基本的には経膣分娩、でもいざとなったら即帝王切開』という、ダブルセットアップ体制のようなものと信じたいです。
2009.04.14
最近、助産師会主催でホメオパシーを扱う、もしくは推奨するような講演会がある等の話を見聞したり、また、実際に助産師の方でホメオパシーを助産院で取り入れているというのも多く目にします。私の好きな方でも、ホメオパシー(レメディ)を薦める方がいます。私は代替医療を真っ向から否定しません。しかし、中には悪質なものもありますから、“石橋を叩いて渡る”のが、私にとっての代替医療です。そして、私がとっても幸運だとおもえるのは、琴子を妊娠する前からお付き合いくださっている代替医療の施術者の方(以後Cさん)は、“非医療者”ではないということです。「まず病院に行って」と念を押します。そのCさんが、いよいよホメオパシーを私に薦めてきました。琴子を妊娠する前に、私はホメオパシーで婦人科系の病気を治癒したという方に出会っていました。それから数年後、ホメオパスになることを目指しているという方に出会いました。でも、私はCさんの考え方が好きなので、ホメオパシーの存在を知りつつも、手を出す気持ちにはならないでいたら、ここ数年であっという間に広まり、今では『自然派志向』の必須アイテムのような存在にまでなりました。それまではただ傍観していたような気持ちだったのですが、Cさんが薦めてきたことにより、ホメオパシーを知るべき時がきたのだろうなぁと感じました。何よりも、助産院との関係が多くて、無視出来なくなっていました。琴子を天国に預けている、天国があると信じている、神様は存在している…このようにおもう私は、“科学で証明されることだけを信じる者”ではない。特に、琴子を亡くしてからは、神職の方に精神的に救ってもらっているので、宗教は大きな存在です。でも、そこで一つ線を引きたいのが、『営利目的』か否かです。そして、営利目的の前に、“やたらな”を付け加えさせて貰いたい。人間は生きていくのにお金が必要だし、税金だって払っていかなきゃいけない。だから、営利目的が悪いだなんて言いません。問題におもうのは、“やたらと高額な”ものです。Cさんに、ホメオパシーについての疑問を投げ掛けました。・どうしてホメオパシーは高いの?・ホメオパスへの相談料が高いのは何故?Cさんは自身がホメオパスではないこともあって、面白いもんで、同じ疑問を抱いていました。だから、『どうしてなんだろうね、そこが残念だよね』という答えでした。「これは家の薬箱程度におもうべき」だと、何度も言っていました。「私がホメオパシーに興味を持ったのは、かのガンジーが貧しい人でも出来るっていうので広めたっていうから」というのが、Cさんがホメオパシーに興味を持ったきっかけだったそうです。そして、私が「貧しい人でもっていうのがガンジーの薦める理由だったのに、今の(日本の)ホメオパシーはお金のある人じゃないと出来ないですよね」と更に聞いたら、「私も今の高額な在り方はおかしいとおもう」と、更に同意見でした。また、「ホメオパシーが人類を救う、万能薬だというような発言が多くある」というような話になったときには、「それが本当なら、発祥の地ドイツや、イギリスやインドなどの国々に病人がいなくなるはずだし、発祥の地ドイツ人の多くが東洋医学を頼りにしている現状をみれば、そうではないことが分かる」となりました。それでもホメオパシーに興味を抱き続けているのは、やはりガンジーの魅力のようです。私がCさんに惹かれているのと同じことでしょうね。日頃より、「緊急の事態はすぐに病院に行き、投薬をしてもらうなり、処方なり、そして手術なりの施しを受け、もしも薬の副作用があった場合には、気持ちの良い手法でそれを和らげられるとおもっていれば、気持ちも楽なんじゃないか」と、Cさんが言う。そのCさんを好きな私、“食わず嫌い”ではなく、食べた結果で話そうとおもい、遂にレメディを購入してみました(はっきりいって、実験。経費で購入という気分。でもって、ネットで調べて最安値を探して購入)。私の場合は主な症状で便秘-効いたか効かないか…まだ分からないです。多分、私は慢性といっても、そんなに酷い方ではないし、琴子を亡くしたという経験は大きいけど、それ以後は大きな病気もしていないし、常に体調は快調だと言えないし、花粉症っぽいけど、寝込むほどでもない。風邪もひくけど、日々が忙しくて寝込めない、寝込むほどでもない-レメディのお陰だとおもえるほどの症状がない?でも、この程度のお付き合いが大事なんだとおもう。何かをこれ一つで治そうとおもったらいけない。Cさんのところで、『レメディのお陰で花粉症が改善した!』と話す方に会いました。でも、レメディのお陰かを立証する術はなく、もしかしたら、花粉がそんなに飛んでいないのかもしれない。たまたまなのかもしれない。横で、Cさんも何度か言っていたのが、『たまたまだったとおもう程度にしましょう』。助産院に『自然なお産』を求めていく方の中には、『科学的根拠がないと信用できない』という方は少ないとおもいます。そういう方に、どんなに“科学的に効果が立証できない”と言っても、それは意味のないことだとおもいます。だって、“科学的に効果が立証できないことだから”と、そこに信憑性があると感じるからだとおもいます。私は先に述べたとおり、天国の存在を信じる以上、科学的根拠だけを絶対視するわけにはいかない方に入ります。また、Cさんの施術の中には鍼灸もあるので、科学的根拠がないとされるものでも、場合によっては受け入れています。でも、最近のホメオパシー支持者の中には、『非医療』の発言が多いので、私はホメオパシーで効く程度の症状があるとしても、どんどんと『非医療』へと導かれていくような状態には警鐘を鳴らしたいです。「ホメオパシーを問題におもう」と、ある助産師の方に申し上げたところ、『ホメオパシーに関しては専門団体があるので、あくまでソフトに対応されたほうがいいと思いますよ』と、メールで返答がありました。脅し? とおもえたのですが、人の命を預かるような方たちが、批判を受けることに対して“ソフトな対応”じゃないと駄目だなんて、一体なんなんでしょうか。こういう発言を目にすると、何を目的としている専門団体なのかと、疑問ばかりが残されます(この助産師の方への疑問ともいえますが)。あと、助産院でレメディを出すっていうのも、違法ではないのかもしれませんが、いかがなものでしょうか。それが“非医療”なのだとしたら、やはり助産院も『非医療分娩施設』とするべきですよね。何度も言いますが、Cさんが非医療者ではないので、全ての民間療法を非医療とはおもっていない私としては、言葉の選び方が非常に難しいのですが、多くの民間療法が非医療へと繋がっていることから、どうしても非医療の代名詞的に使われるため、この際だけは「民間療法=非医療」として、助産院や自宅出産は民間医療の分娩施設だとするべきなのかもしれません。そうすれば、多くの疑問が解消されるような気がします。『嘱託医がいる』と、非医療ではないような装いをしつつ、内情はホメオパシーを薦めていたりして、非医療とおもわれることが多いから、疑問や問題が生じるのではないでしょうか。こうすることで、これから出産をする方が選択しやすくなるような気もします。ホメオパシーは非医療ではないと仰る方もいるかもしれませんが、ホメオパシーの書籍を読めば一目瞭然、非医療の内容が多いです。病院で処方される薬の毒が体内に残っているからとか、色々な表現であります。ブログ内でも何度か言っていますが、過剰な医療介入は私も肯定していません。でも、必要な医療があるということをしっかりと伝えないと、“病院はすぐに…”で始まる言葉に、私たちはどんどんと流されていって、いつしか離れ孤島にいて、医療から遠退いてしまうのです、病院に行くべき判断を出来ないでいることになる。実際に、お子さんの病気をレメディで治そうとされた方のブログがありました。中に『子どもがレメディを欲しがるのは、体が求めているからだ』とありましたが、あれはどうでしょうか、レメディって凄く甘い(砂糖の塊)ので、うちの子供たちはおやつの粒だとおもっています。だから、いつでも「あれ飲みたい」と言います。今回だけでは表現しきれていません。私の表現に対し、反論をお寄せくださる方がいるとおもいます。そのご意見に頼る形で、また其のニ、其の三と、続けていけたらとおもっております。一応、今回のまとめとして…家の中で何とかできる症状もあります。ちょっとした発熱、風邪かなと思えるときなどは、私は病院に行かないで済ませることの方が多いです。でも、ちょっとした発熱から始まった大病の話も聞くし、その他、家の中では済ませない症状があることも覚悟しているので、病院に行くべきかを必ず考えます。そんな私たちに対して、医療行為に垣根を作って、病院からどんどんと遠退かせるようにしているような内容に出会うことが多く、場面として、助産院や自宅出産を推奨する方の文章や、ホメオパシーを熱心に薦める方、信じている方の文章に多いです。『過剰なまでの医療介入に対する批判』が『過剰なまでの医療行為への批判』になってはいませんか?
2009.04.09
いつもコメントくださるばっきー♪さんから頂いたコメントより。ばっきー♪さん、有難うございます。家庭的、感動、すばらしい。出産にそういうものを求めても、個人的に私は反対ではありません、どうぞ満足を求めてくださいと思います。ただ、なにかあったら搬送される時間的なことや、医師の医療行為が遅れるなどの表面的なリスクだけではなく、病院でないとリスクにさえも気がつけないこと。そして、そのリスクに気が付いたときには、すでに手遅れであるのが出産である、という危険性の高さを、しっかりと知って欲しい、知っていただきたい。(抜粋)私もその通りにおもいます。助産院や自宅出産に求めるお産でも、安全が第一であるべきだとおもいます。医療との関わり方や考え方にも、“非医療”が見えるようでしたら、安全を第一にしているとおもわれない方が賢明ではないかとおもいます。ただ、産む側の方にも“非医療”を求めて助産院に行かれる方もいますから、助産師の方たちの指導がしっかりとされることも祈っています。
2009.03.30
いまだに『病院でのお産は…』という否定的な発言が繰り広げられている場面(主にネット)があり、そういうところでは『医者の都合』が必ずあって、助産院での出産を経験したという方たちが、初産でお産の痛みとかへの漠然とした恐怖に漬け込むように、『助産院で産んだ方が良いよ!』『近くの助産院に相談に行ったら?』『助産院ならきっと、あなたらしい、素晴らしいお産が出来る!』と激しい。まるで“宗教の勧誘”のようだ。今でも医療を暴力と表現する人もいる。そう、暴力的なお産だと…こういう刺激的な言葉に、お産に対しての漠然とした不安を持つ方は、「あぁ、私の感じていた不安はこれだったのね」と、頼りを求めてしまうような気がしている。というのも、冒頭の多くの方たちのやりとりを見ていると、医療行為を否定することで、仲間意識が高まり、選民意識をもっていく様子があって、そこだけで繋がっていく無責任さを不安におもう。助産院を開業している方たちも、こういうやりとりについてはどうおもわれるのだろうか。この間違った解釈を正す気持ちはないのか。だってそうでしょ?何かあったときには病院に搬送しますからってことを安全の看板にしているんだから、病院や医療を批判している宣伝内容もしくは、助産院経験者の発言は、正に不適切な内容でしょ?私もこうなっていたのだろうなぁと、過去の自分を恥る気持ちと、琴子を亡くしたことへの懺悔の気持ちで一杯になる。そして、不安で一杯になる。本当に、助産院でのお産は安全を一番としているのか?「病院だと、生まれてすぐに保育器なんかに入れられる」って助産院推奨派の方の発言。生まれてすぐにってことは、あなたの赤ちゃんの状態に問題があったからではないのかな?あとは、赤ちゃんの予防医学ということで、出生後すぐに保育器に入れることを薦めている医師もいて、その方の説明を読むと、真っ向から否定する気持ちには私はならなかった。赤ちゃんが寒がっているってことで、カンガルーケアも懸念すべきだとあり、勉強になりました。勿論、反論もあるとおもう。私の中で、課題が一つ、増えたかな。最近、凄く心配しているのが、医師Xさんの県が相当大変らしく、何がって、産科医療の崩壊がです。そして、そのために医師Xさんの受けるお産の数がかなり増えているご様子で、それに対してなんのお力にもなれない…そしてきっとこれは、医師Xさんだけじゃない、産科医の方たちの殆どの方の状態なのではないかと感じます。産科医の方のブログで、問題は産む場所がないってことではなくて、産科医が少ないって事なんだという指摘を目にし、私も今までは『産む場所がない』と安易に表現していたことを反省しました。そうなんですよね、産科医がいないってことが問題なんですよね。ある開業助産師の方は、『月に3件と決めている』と語っていた。年間でも36件…腕、上がるのかな…?!『これが私の扱える“安全なお産”の限界だ』って言われればそれ以上に無理に増やすのは止めるべきだと賛成しますが、どこかで『今の産科医療の崩壊を食い止めるのが、助産院の活用』という文言を目にしますから、このペースだと、あと何軒の助産院があれば、産科医の減少等の問題に応えられるのだろうか…そもそも、助産院が増えるということは、それだけ嘱託医も増えるというか、必要になるわけで…助産院が一月に扱う件数のことというより、産科医療の問題に対し、助産院の活用ってどうなんだろうって事がね、素人ですから、素朴な疑問だらけなんですけどね。今日はまとめる気持ちがない。ちょっと忙しくって、ブログを更新できなかったことから、あれも書きたかった、これももっと考えたかったと反省しながら、気持ちの整理をさせてもらいました。でも、整理が出来ていない…っていうのが私らしくて悲しい気もしますが…
2009.03.18
当ブログ『分娩台考』(2009年2月9日記)に地方産科医さんがくださったコメントより、『分娩中、終始自由な体位でいるか』を読み、私達産む側が目にするのは、比較的“分娩台で産むのは人工的で、赤ちゃんやお母さんにも苦痛を与える”というような情報が多いので、もう一度分娩台考として、改めたいとおもいました。地方産科医さん、有難うございます。これからお産を控えられている方には、“バースプラン”として、多数ある意見のうちの一つとしてでも、上記資料をご覧頂けたらとおもっております。まず、地方産科医さんからのコメントを下記に。>フリースタイル分娩の是非に関しては平成17-18年度厚生労働科学研究(子ども家庭総合研究事業)の「科学的根拠に基づく快適な妊娠出産のためのガイドラインの開発に関する研究」報告書が参考になります。>この中でフリースタイル分娩は快適性(産婦の満足度)という点では仰臥位分娩より優れているが、安全性(心音が落ちるか?、児が元気に生まれるか?)は変わらないと結論をだしています。またフリースタイルでは会陰裂傷が多く、産後の出血も多いため注意が必要とされています。一般的な産婦人科では分娩1期、2期の児頭が会陰から見えてくる直前までモニター(CTG)をつけるとき以外には自由な姿勢でいることが多いと思います。フリースタイルをするなら特に出血への対応が重要と思えますが、医療行為が出来ない助産院では難しいのかもしれません。>資料では、仰臥位分娩(仰向け)、座位分娩(上体を起こした姿勢での分娩で、専用の椅子がある)、側臥位(横向き)、垂直姿勢等で比較されています。分娩第2期(娩出期;子宮口全開)での比較では、垂直姿勢と側臥位(横向き)の方が出血者の増加が認められるとあり、更に会陰の裂傷も増加とあります。また、分娩の所要時間にも差があまり生じないようです。四つん這いと座位での比較でも、分娩の所要時間の差は生じないそうです。地方産科医さんのコメントが要約として分かり易く、私からは改めて紹介することはないと言えます。病院のお産だと、陣痛のときから仰向けを強いられ、痛いばかりだというような印象もまだ何処かに残っているのかもしれませんが、そんなことは今や、殆どないのではないでしょうか。勿論、絶対とは言えませんから、病院主催の母親学級での確認も重要になるとおもいますし、実際にその病院で出産した方と出会えれば、感想を聞くのも有効的だとおもいます。私は出産時に出血が多量という経験をしていませんから、皆さんからのお話を伺うばかりなのですが、相当の事態のようです。また、それまでは異常なんて微塵も感じられていなかったのに…という声を、天使ママさんからも聞きましたし、医師の方たちからも聞きます。出産への不安から、色々な意見を通して学んでいく中で、分娩台がどうして存在しているのかも学ぶべきなんだと感じます。
2009.03.16
今日は久々になったこともあって、自分の気持ちの整理も兼ねて書かせてください。地方産科医さんから頂いた「科学的根拠に基づく快適な妊娠出産のためのガイドラインの開発に関する研究」報告書については後日(なるべく近日中)に…どこかの掲示板で、お産の訴訟について書き込んでいる数々のコメントの中に、『マスコミが伝えないだけで、本当は産む前に知っておくべきことがある』というような言葉を見ました。その通りだと思います。医師や助産師、看護師並みの知識を得るのは無理だし、そこまでのことをする必要はないとおもいますが、今、私たち産む側が得られる情報には偏りが多く、"自然分娩"という言葉が何を指しているのか、どこまでのことを言っているのかがはっきりとされていないのだけど、時に病院でのお産を『人工的なお産』と批判する方もいたりすると、まるで病院でのお産は不自然で、助産院や自宅で産むお産こそが理想的なお産だと語っているようなもので、最初に誰がどのような意からその言葉を使い始めたのかは分からないけど、言葉が独り歩きしているのか、それらの解釈があまりにも自由で、多分、医師の方たちがおもっている以上に、私たちは"無事に生まれることが当たり前"になってしまっています。先週、三日連続で一日一人、天使ママさんに会いました。三人とも、琴子を誕生死したことで知り合ったママさん達で、あの地獄の日々を共に歩んでくれたママさんたち。私が琴子を亡くさずにいたら、きっと出合うことのない方達で、私はあの無知のまま、それなりに生きていたとおもいます。それに憧れる気持ちがありつつも、琴子を亡くしたことで得たものを手放す勇気もありません。琴子を亡くして得たことが、今では琴子でもあります。知っておくべきことがこんなにもあったのかと、琴子のお陰で沢山の勉強をさせてもらっています。最近の分娩台考についても、まだまだ勉強をするべきことがあるのだとおもうのと共に、『分娩台の上で産むなんて…!』と言いたい人たちとの出会いもあります。自宅出産のリスクも、最近深く考えさせられる方と出会いました。私を救ってくれた天使ママさんたちの多くが、『産む前に知っておきたかった』と嘆かれています。当ブログでこの話は何度もしているとおもうのですが、私のような事例ではなく、避けようもない事態でお子さんを亡くされた方でさえ、『産む前に知っておきたかった』と言われるのです。避けようもないことだったと説明を受けても尚、『それでも自分が知っていれば、避けられることもあったのではないか』と自分を責められたりもしているのです。この苦しみを、私は無駄にしないで欲しいのです。どこで産むか、どうやって産むかよりも、もっと重要で、知るべき情報があるということを知って欲しい、考えて欲しいとおもっています。テレビや雑誌、書籍では病院での事故の話しばかりです。でも、助産院や自宅でも事故は起こっています。お産は病気ではないということ、医療の進歩のお陰で母子の死亡率が下がっていることから、お産のリスクを知らない私達が増えています。『病気じゃないからこそ、怖いんだ』という医師の方の声-もっともっと、知って欲しいと願います。私は子供が死んだことで、やっと多くのことを知ることができました。でも、これからの方には、子どもを亡くさないためにも、多くのことを知って欲しいと願っています。天使ママさんたちは私にとって大切な存在ですが、天使ママさんたちがこれから先も増えることなんて祈っていません、今日が最後であって欲しいと願っています。叶わなくても、 願っています。
2009.02.28
註:この記事内での"開業助産師"は、書き込みくれていた開業助産師さん個人を指すもので、職業としての開業助産師を指していないことをお断り申し上げます。仮に職業としての開業助産師を表する場合は『開業助産師』とします開業助産師さんの執拗なまでの行為には、お相手せずの姿勢を示し、先日の私からのお断りで終わらせたかったです。当ブログは開業助産師さんや、本人扮するキャラ以外の皆さんの貴重なご意見で成り立っているものでもありますので、書き込みの制限等にも限界があり、その制限をなるべくしないためにも、あえて今回は開業助産師さんへの意見をここでします。このブログを大事にしてくださっている方には、大変申し訳なくおもっております。今回、初妊娠、初出産待ちさんも私には、開業助産師さんとおもえる箇所が多数あり、また、管理上で書き込んだ経歴からも、開業助産師さんとおもえる記録があることから、初妊娠、初出産待ちさんの書き込みも荒らし行為とし、削除をすることになりました。この私の判断に不服をおもう方もいらっしゃるかもしれませんが、荒らしを放置するような結果にはしたくはありませんので、ご理解ください。この件で誤解をして欲しくないのですが、このブログでは批判も有り難く頂戴するという姿勢ですから、少しでも反する意見だから削除するということではないということです。また、荒らし行為の書き込みに対して、私が判断するよりも先に他の方よりコメントを頂いた場合は、引用箇所があったとしても、そのコメントの書き主の方から削除申請を頂くまでは、特に問題がない場合以外は削除しません。この判断基準に異議を持たれる方もいるかもしれませんが、先に申し上げました通り、皆さんからの貴重なご意見で成り立つブログですので、荒らし(疑い含)以外は大事にしたいとおもっています。一つ、具体的なことを言わせてください。開業助産師さんに感じる大きな問題は、開業助産師さんが本当の『開業助産師』だということです。問題は、言論の自由ではありません。このような行為をする方が、果たしてご自分の助産院で、まともな説明を産婦の方にされているのかが疑問です。「私には信頼出来る医師が複数名いる」と私に仰ってきたのですが、それは建前で医師を立てているだけで、よくよく意見を読んでいれば、医療や病院を批判することばかりでした。私にはそう読み取れました。また、天使ママに関する会の、関東代表だとHPにありましたので、それにも非常に残念なおもいがあります。その会の方たちに、この行為を面と向かって説明出来るのでしょうか。子どもを亡くした親の私に数々の言葉を向け、それはネット上のことだからと仰るのでしょうか。もし、今までにもこれからも、開業助産師さんだという判断が誤りだったという場合は、申し訳ないのですが、このブログのメッセージを使ってご連絡ください。私は削除する際に、必ずそのコメントをコピーしてとっておいておりますので、誤りだと確信出来たときに限り、そのコメントを復活させます。私への批判の内容であっても、あらたな荒らし行為ではない限り、誹謗中傷の類ではない限り、きちんと公開します。また、メッセージを送っていただいたからといって、それが開業助産師さんじゃないとはなりません。申し訳ありませんが、フリーメール等、個人の特定が難しい場合は信頼しません。『私を疑うなんて!』とお怒りになられる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは私も残念ではあるとおもいながらも、荒らし対策はサイト管理の常のこと、仕方のないこととご理解くださいます様、お付き合いくださいます様、宜しくお願いいたします。開業助産師さんが、一刻も早くご自身の行為と、事の重大性に気が付いてくださることをお願いしたいところです。
2009.02.18
今、水中出産の被害を聞き、色々と勉強中です。といっても、なかなかまとまった時間を得られないので、かなりゆっくりとした調子です。だから、あとでまとめて…なんておもっていたのですが、いつもお世話になっているS.Y.’s Blogの記事をご紹介します。助産所礼賛から今どきお産事情:/1 出産施設、減少の一途 リスクに応じ産院選び - 毎日jp(毎日新聞)(5頁)この中の育良クリニックは、今朝のフジテレビのとくだね!の中で紹介されていた院内助産院ですね。リスクの説明が特別の病気の方などに限られていて、『なんともなかったのに急変』という話がない…こういうのが、『だから私は大丈夫』という、妙な安心感に繋がっているともおもうのですが…私が出会った天使ママさんたちの多くが、「なんともなくて、病院での健診でも問題はないって言われていたのに」と話していました。ママが亡くなった場合は、もうこういう対話も出来ないので、「何でもなかったのに…」というのは子どもが亡くなるだけではないし、本当に色々な話があるのに…記事中、総合病院の場合は医師の診察時間が短いとか、そういう批判は必ず入るんですね。私からしたら、緊急で何かあった人に譲るっていう気持ちもあるけどな。その分、自分に何かあったときには、一刻を争ってくれるって信じているので。(事実、外来の時間内に担当が帝王切開に呼ばれ、一時診察が中断しましたが、それを承知で通っているので、不満や文句を言う人はいませんでした)あと、ここでこそ、病院の助産師さんを紹介して欲しい。私の通っていた病院も大きくて、医師の診察はすぐに終わります。でも、助産師の方で間に合う質問は、助産師さんに答えて貰えるシステムもありました。更に、願えば助産師外来もあって、一人20分くらいの時間はあるようでした。『病院は冷たいよね』って、そう思わせたいだけだとおもう。勿論、問題のある病院もある。でもマスコミは、問題のある病院を中心に考えて報道し、助産院は問題のないことばかり。私は助産院のことも、責任意識のためにも、病院同等にマスコミは扱うべきだとおもう。
2009.02.18
註:この記事内での"開業助産師"は、書き込みくれていた開業助産師さん個人を指すもので、職業としての開業助産師を指していないことをお断り申し上げます先日、『羹に懲りて膾を吹く』というタイトルで、私のブログ記事に書き込みをくれた"通りすがりさん"は、開業助産師さんでした。それを私がメールで指摘したところ、自分であるということを認められ、理由を『"通りすがりさん"の意見はその前の前の方の詩のような内容の投稿がスーザンさんおっしゃるように あまりにもへんてこだったので 笑ってしまい思わず書いてしまいました。それで私からだと わからないように工夫したのですけど・・・。あれで変な雰囲気が違うベクトルに行けばいいかなって、ギスギスしなければいいかなって・・・』ということで、他のメール内容からしても、ブログを荒らしたいだけの行為でしたので、今後、開業助産師さんからとおもわれる書き込みは削除します。尚、この件以降も平然と私に奇妙な内容のメールを送ってくださいます開業助産師さんへの返事は、あらためてこの場にて致したいとおもいます。またこのブログをご覧くださる他の皆様には、貴重なご意見を頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。追記(2月15日):同じく、"突然ですみません"さんも、開業助産師さん扮する方でした。
2009.02.15
いつも貴重なご意見くださる産科医のsuzanさんからのご意見を基に、分娩台考。suzanさん、有難うございます。当ブログにお寄せくださりました内容を下記にコピペします。もし、胎児の心音が怪しいとか、母体からの出血が多いとか、分娩の進行が遅いとか、何らかの異常が起きた場合、一番早く異常に気づくのは絶対に分娩台上の仰向け姿勢です。とっさの救命処置も一番やりやすい。そして、お産はいつなんどき「異常」になるか予想ができません。だから私は、フリースタイルのお産が好きではありません。医者なので、とっさの処置が送れて赤ちゃんをダメにしたくない。赤ちゃんをダメにしてしまった、という後悔をしたくないので。わたくしでない方々が、分娩時の姿勢をどうお考えになるかは自由です。ただわたくしは、わたくしが請けおった(立ち会った)お産を安全に終わらせたい、そのためには分娩台が必要と思うだけです。分娩台上でなければ安全でない、とか、分娩台上なら絶対に安全だ、とかは言いません。自分が「この方法ならとっさの異常に対処ができる」と思える方法だ、というだけです。そう思っている産科医は、少なくないのではないでしょうか。琴子を出産する前、私は助産院でのお産に"理想"を抱いていました。それらの情報源をいちいち批判するつもりはありません。やはり、反対側の情報を得る機会を得られなかったのも私自身であり、色々と反省もしています。ただ、それでも残念だとおもうのは、"分娩台は悪"といわんばかりの情報があまりにも多く、このsuzanさんのご意見のように、医師の方からの具体的な情報がなかなか届かないことです。耳や目を塞いでいるつもりではないのですが…助産院や自宅出産をすると選択する方の多くが、先日の会陰切開や、この分娩台がきっかけではないでしょうか。『分娩台の上で産むのは間違っている』という印象が強い。「引力の力が借りられるから、膝で立って産むのも良いんだって」「本当は仰向けが一番、苦しいらしいよ」等など、『自然に逆らっている産み方』という印象を強くするばかり。産褥熱について書いたときには、ふぃっしゅさんから衛生面について下記のご意見を頂きました。また、医学的な清潔・不潔の観念では、床というのは落下細菌などが多いので「不潔」です。畳の上の分娩を取り入れている病院がありますが、それも抵抗があります。いろいろな人が出入りし、歩きまわり、お産ですから羊水や血液なども飛び散っている可能性があります。清掃を徹底しても、畳と言うのは十分にきれいにできないでしょうし、そう頻繁に換えられるものでもないし。院内はいつも暖かいので、ダニとかも大丈夫かな・・・と。あー、確かにそうだなぁとおもいました。『畳の上でのお産』-「畳の上で直に生むんじゃないよ、布団を敷くよ!」って突っ込んでくる方もいるかもしれませんね、私も琴子を畳の上に敷いた布団の上で産みましたので、正しくは布団の上でしたが、ダニは平気で飛び乗れるくらいの厚みしかないですね。あと、最終的には助産師の誘導により、仰向けでした。リンズ、ダンジを分娩室の分娩台の上で産みましたが、それを嫌におもう理由は皆無でした。まぁ、子供の無事を一番にしたい私としては望んでのこと、むしろ、私としてはいつでも帝王切開に出来るように手術台の上で産みたいと願っていたくらいでしたので、分娩台なんて産みやすい台でした。だから、あんまり嫌わないで欲しいです。suzanさんが仰っているように、残念なことに病院で産んでも避けられない結果はあるのですけど、でも、時に『分娩台の上で産むなんて、そんな選択をするあなたは子供のことを、お産を大事にしていない!』といわんばかりの声に流されないで欲しい。分娩台の上だって手術台の上だって、お産はお産だよ。昔の人は、好んで畳の上で産んでいたわけではないとおもうよ。追伸;分娩台で検索すると、批判的なお声が多い…有名な分娩台についての本のお陰だとおもうのだけど…分娩室が冷たい感じで嫌だとか、まぁそういうことを言ってしまっていたかもしれない私でもあるから反省も深まるのだけど、そうだったからこそ分かるのだけど、『流されないでー!』ってお願いしたい。産み方は生き方なんかじゃないよ、母子の無事、子供の人生が少しでも生き易いように願って選択して欲しい。
2009.02.09
当ブログにも時折コメントくださる助産師のわふさんのブログ『あたたかいリレー』の2009年1月12日の記事<納得のいかないこと2>を拝読しまして…※わふさんのブログより引用箇所は青文字(改行位置は変えました)今、助産師の中で話題になっていることに「会陰切開と縫合」ができるように権限拡大をというものがあります。それって、医療行為じゃないの?看護師の内診問題にはあれだけ反対していて、切開と縫合はいいの?いや、ダメですよね?ダメなんじゃないんですか???当ブログでも以前にこの話は出たのですが、ダメなんじゃないんですか?!という疑問をもってネットをさまよっていたら、どこかのサイトに驚く記事が。「いつも医師がしているから、それほど難しいことだとは思わない」とのこと。実は、私は以前いた病院では医師の立会のもとに切開をしていました。確かに、できるかもしれません。でも、ただ、切るだけではないのです。人のからだにはさみを入れることが、「簡単?」習わなくても、見ていたら切っていていいんですか?そもそも、助産師の教育課程に、メスを握るというのはあるんですか?病院によっては、医師の指示で助産師に切開をさせているんですね…その必要性もわからないのですが…そこにいるのなら、なんで医師が切ってくれないのでしょうか。料理するような、そんな簡単な感じなのでしょうか。小さい子に包丁を初めて持たせる、慣れるまで待つ間はハラハラしますが、大人が「私、包丁持つのは初めてなの」と言っても、包丁がどうして危ないといわれるものなのかを理解出来ていれば大怪我はないと、誰もがそうおもっているように?助産師学校でも切開と縫合を授業に取り入れているところもあると知りました。助産師教育って、土地柄でもあったりするってことでしょうか…全国共通ってわけではないんですね。いざというときに備えてっていうのはまだ百歩譲って理解出来ます。でも、なんだか『助産師の権限拡大のため』というような気がします。これって、文字通り、助産師の権限拡大のためであって、母子の安全のためではないですね。「安全で、安楽で、満足な」お産って声高に叫んでいるのに、なぜ、会陰切開?それは逆行しないのでしょうか?助産師はどこを目指しているのでしょうか?納得がいきません。私も納得いきません。こういうことを本気で願う、権限を獲得しようとしている助産師は、何を考えているのでしょうか。※わふさんより、補足を頂いています。下記を2月5日に追記します。ご紹介ありがとうございます。一部、当時の医師の思いとずれる表現を私がしていることに気がつきました。>実は、私は以前いた病院では医師の立会のもとに切開をしていました---これは、医師の補助という意味合いではなく、私の経験を増やそうとしてくれた医師の考えです。医師が当然行うべき処置をこちらが代わりにしていたわけではありません。この医師は助産師が高い技術力をもつようにと教育してくださっていたので、そこで切開も経験のうちの一部と考えていたのではないかと予測します。医師の代わりにする、ということではなく、医師が技術を教えるというニュアンスでとっていただければありがたいです。ただ、その是非は問われなければいけないのですが、その医師の真意を確認していないので、これ以上のことを論じることはできません。憶測での話となりますので。また、当時私もまだ新人で、このことがどういうことが意味するのかということまでは考えていませんでした。ただ、現在の私の思いは「助産師はさい帯剪刀以外の器材は持つべきではない」です。この記事内容でお伝えしたいことは「助産師が切開をするというとどういう心境になるか」ということであることをご了承ください。それから、私の説明不足ですが、切開はメスでは行いません。わかりやすく言えばはさみです。小さなことですが・・・
2009.01.31
先日の当ブログ『不潔な器具で新生児破傷風』にちまの母さんがご自身の自宅出産での実体験をお寄せくださいました。貴重なご意見と感じましたので、あらためてブログの日記(記事)として紹介させて頂くことにします。ちまの母さん、有難うございます。2人目を自宅出産したものです。 助産師からは、陣痛がきて時間があったら、お産のときに使う器具の入った金属製の容器に、水を入れて、ガスにかけて10分程度煮沸消毒するよう指示されました。容器には臍帯切断のためのはさみや会陰裂傷したときに使ったクリップ、せっし等が入っていました。 身体を貫通するものや粘膜にふれるものは滅菌が必要なはずです。細菌は環境が悪くなると芽胞といって、熱や乾燥に強い構造を作るものがあります。破傷風菌も芽胞を作ります。煮沸消毒では効果がないようです。 助産院や自宅だからといって、感染管理を怠ってはいけないはずです。私の関わった助産師さんは「助産院は化学的なものは使わないで、なるべく自然のものでという方針」だと言っていました。それから、「自宅は妊婦が住んでいるところなので常在菌がいるから安全とか言ってました。だから、消毒類も一切持ってきてなかったです。助産行為するのに。私は産褥熱でひどい思いをしました。 自然にこだわらないで、母子の安全を一番に考えて欲しいです。助産師さんがその責任をおっているのですから。ちまの母さんの最初の投稿です。それに対し、羊羹さんからレスがつきました。産褥熱・・・死語のような病気だと思っていました。驚きです。熱の原因が乳腺炎や尿路感染症などでなく本当に産褥熱だとすれば異常です。衛生面や産後の指導方法によほど問題があったのでは。熱湯消毒も正しく行えば普通の自宅程度の雑菌には十分有効ですが疑問はなぜ消毒を助産師自身でせず ちまの母さん さんにさせたのか?ってこと。本当に消毒液のひとつも持ってきていなかったのでしょうか?つまり赤ちゃんの臍の消毒もなし?恐ろしいですね・・・。赤ちゃんは大丈夫だったのでしょうか?またこのことの補償は何らかの形で助産師からしてもらえたのでしょうか?あるいはそこの助産師の所属する助産師会に訴えましたか?産褥熱って・・・戦前戦後じゃあるまいし。もしよかったら教えてください。上記に対し、ちまの母さんからのレス私の場合は、特に希望したわけではなかったのですが、自宅のお風呂で水中出産してしまいました。和痛のために入浴するよう言われて、お風呂に入っていたら陣痛が強くなりそのまま動けなくなってしまい、赤ちゃんの頭がでました。 入浴前に助産師さんによる浴槽の洗浄・消毒もなく、さらに、助産師さんのすすめで事前に貸し出しされていたジェットバス(家庭用気泡浴装置)を出産中に使用していました。産後は、39℃台の発熱、じっとしていても汗が出るくらいの腹痛で、そんな状態で通院するのも大変でした。 その装置から水アカが出ていたので、後で聞いてみたのですが、その装置は何年間も妊婦間で洗浄・消毒をせず、使いまわしていたようです。 産科で経緯を話したら、水中出産時の感染ではないかということでした。赤ちゃんは幸い、肺炎を起こすことなく、無事でした。 それから、なぜ、妊婦に煮沸消毒させたかということですが、簡単な作業だから任せてよいと思ったんですかね。助産師さん自身でしっかりと管理するべきだと思います。 それから、赤ちゃんの臍の消毒は、臍セットに入っていたアルコールを使っていました。それ以外、消毒薬はもってきてなかったのですが、助産師さんが用意してくれた入浴剤に松の油が入っているから、そこに抗菌効果を期待していたみたいです。出産時の入浴や、導尿のときに会陰を拭くのに使っていました。更に羊羹さんから汗が出るほどの腹痛に高熱・・・やはり産褥熱ですね。恐ろしいです。赤ちゃんに肺炎などがなくって本当に本当によかったです。私は水中出産体験者ですが 専門のバースプールがベストだと思っています。ご存知のように水中出産では血液などで水質が汚れるのが周知の事実ですし そんな中でのつかい回しのジェットバスから肉眼でも見える水垢が出ていたとは・・・!!一般人から見ても不衛生ですよね。ご丁寧に教えていただいてありがとうございました。でも「助産院は自然なもので・・・!」って言うわりにその方は ジェットバス!?を頼みもしないのに持ち込んでいたんですね。消毒していないジェットバス・・・あきらかに不自然です。産褥熱については、こちらをご覧ください>gooヘルスケア;産褥熱感染症水中出産については様々な意見があるとおもいます。痛みが和らぐと聞きますが、ダンジを出産したときの同室の方が水中出産にて分娩していて、痛くないわけではなかったというような感想を述べられていたし、全く痛みがなくなるわけではないので、私の夫は菌の繁殖がし易い温度帯だとかと聞き、「危険な気がする」と言っていました。しかし、ある助産師の方と話したときには、それ専用の組み立て式のがあって、それを使えば危険性は低いというように言われ、それがきっと、羊羹さんのいう『専門のバースプール』なんだとおもいました。リンズを出産後、どのくらい経ってから親と一緒のお風呂に入れたら良いのかを病院の助産師さんに聞いたら、「毎日湯を替えていても、システム上、どうしても風呂釜から雑菌が入り、大腸菌など避けられないので、せめて1ヶ月は赤ちゃんはお風呂に入れないで、ベビーバスで綺麗にしてあげて」と言われました。自宅出産だけじゃない、やはりとことん綺麗に出来ない"お風呂"では水中出産はするべきではないとおもいます。だから、助産院でも、専用のバースプール以外、"風呂"での水中出産は危険だとおもうべきですね。勿論、例え産院でも(産院にお風呂ってあるのかが疑問だけど…)。ネットで検索しても、専用バースプールでの水中出産というような明記はなく、『お風呂で水中出産』というような解釈にしかならない表記ばかり。実際には専用のバースプールを使っているというのであれば、誤解のないようにそう明記して欲しいし、これから分娩方法を選択する方には、『水中出産』を選択されるのであれば、設備については事前によく確認することが大事だといえますね。私も自分でレスにて書きましたように、琴子を出産した助産所では、助産師の自宅でもありましたから、家族が使っている湯船に入るようにいわれ(薦められた時は、まさか残り湯だとはおもわず…)、入ってびっくり、垢が浮いていました。陣痛の中でも不快で、垢に驚いたし、すぐに出ました。私の場合は何事もなく済みましたが、ちまの母さんのお話を読み、最大の疑問、一体、助産師教育はどうなっているのでしょうか。gooヘルスケアを見ても、消毒法が発達したお陰とありますから、いかに消毒が大事かってことですよね。これが病院での出産の末だったら、それこそ、大問題になっているのではないでしょうか。ジェットバスの使い回しも、医療者としての問題はないのでしょうか。そして、またもや残念な助産師会の対応…ちまの母さんは助産師会に連絡をされているようですが、不誠実な対応が続いているようです。他の方からも、助産師会に連絡したけど返事がないと聞いたり、また、私も分娩後の飲酒の件では返信用の封筒を入れたときだけ返事が来た…という、メールですら返事をくれない経験もあるし…ちまの母さんは管轄の保健所に連絡をされた方が良いのかもしれませんね。あと、新聞社の記者の方に「新聞社に電話して、こういうときはどうしたら良いのかと聞くのも有効的」だと教えられたことがあります。ちまの母さんのお話を無駄にしないためにも、消毒法などで『昔はね~』『自然に…』と言われたら、それ以上に大事なものがあるということをきちんと伝えて欲しいです。昔をどんなに大事にしても、産後に高熱で自分が動けなくなれば、赤ちゃんの面倒もみれないし、もしも赤ちゃんにも危険な症状が出てしまった場合、高熱の自分でどこまでのことが出来るのか…『自分らしく』なんてそんなに大事なことじゃない、自分よりも子どもを大事にして欲しい。そして、助産師の方には、自然や昔話なんかよりも、目の前にいる母子の安全、未来を大事にして欲しい。助産師教育って、本当にどうなっているんでしょうか…消毒の義務のようなもの、責務ってないのでしょうか…
2009.01.27
先日頂いた匿名さんからの情報です。匿名さん、有難うございます。ブログ天漢日乗より産科崩壊 兵庫県内の助産院でここ1-2年以内になんと先進国では考えにくい「新生児破傷風」が発生していた 原因は不潔な器具で臍の緒を切ったためをご覧ください。上記ブログより下記をコピペします日本国内では、10年以上にわたり新生児破傷風の発生はない。新生児破傷風発症の最大要因は、分娩時の不潔な臍帯切断であるため、児の出生した助産院に連絡。当該助産院はほとんど閉鎖しており、分娩を行っていなかったが、臍帯切断の際は、消毒した剪刀を用いたとのことであった。同時に自宅の衛生環境が非常に悪いとの指摘もあったが、患児には明らかな創傷がみられなかったことより、使用した剪刀の消毒が不十分であった可能性があると考えた。ほとんど閉鎖した助産院って…分娩を行っていなかった…そんなところを選んだ方は、一体、どんな情報を頼りにされていたのでしょうか。やはり、『とにかく助産院は素晴らしい!』という風潮(?)に影響を受けたのでしょうか。助産所によっては、日齢5日だと、既に退院していることも多くあるとおもいます。医療知識のない私が読んでいても、かなりお子さんが危機的状態に陥っていたようにおもえます。ダンジが出生後、退院前にチアノーゼが出たということで経過観察をしてもらったのですが、そのチアノーゼに気が付いてくれたのが助産師の方で、私はそのときの様子を一切知らないので、未だに『チアノーゼ』の色を知らないです。ダンジの場合は一時的なことだったのですが、きっとこのお子さんは徐々に様態が悪化していったのでしょうから、母親も苦しかったでしょうね。子供の命に関わるほどの不潔な状態がまさか助産所で…でも、どれくらいの不潔さだったのでしょうか。日本国内では、10年以上にわたり新生児破傷風の発生はない。新生児破傷風発症の最大要因は、分娩時の不潔な臍帯切断であるため、児の出生した助産院に連絡。当該助産院はほとんど閉鎖しており、分娩を行っていなかったが、臍帯切断の際は、消毒した剪刀を用いたとのことであった。同時に自宅の衛生環境が非常に悪いとの指摘もあったが、患児には明らかな創傷がみられなかったことより、使用した剪刀の消毒が不十分であった可能性があると考えた。(上記ブログより引用)今回は不潔な器具が原因というようなことになるようですが、不潔な場所にいて、新生児に創傷があったとしたら、器具が衛生的に問題なかったとしても、新生児破傷風になるかもしれない。-自宅出産って、大丈夫?そんなに綺麗な家ってないですよね。ありますよ、ありますけど、以前にテレビで扱っていた自宅出産の方の家の中も、褒められるような片付き方ではなかったし…きっと、破傷風になってしまうほどの不潔さっていうのもなかなか珍しいくらいなのかもしれませんが、特に新生児においては約75%と死に至る危険性が高いということは、お産をする場合、特に衛生上の責任者が自分となる自宅出産を選択される場合は、きちんと知っておくべきことですね。今回のお子さんは無事に日常に戻れた様子で、それは何よりも良かったとおもえるのですが、必ずしも無事に戻れるとは限らない。自分らしいお産よりも、子供の命を一番大事にして欲しいです。自分の選択で子どもを亡くした親からのお願いです。
2009.01.16
こんにちは。先日のカリントウさんからのご報告、有難うございました。早速、痛い心を覚悟で見ました。youtubeはこちらで病院でのお産は『右から左へ』等と表現された挙句、いざとなったらやはり医療は大事と言いつつ、それでも「動物でもなんでも産む力はあるんだから」と大雑把にお産を軽くあしらい、しかし出血が多かったりしたら大変とおもいつつも、やはり産後の飲酒は売りなんですね。この助産院は、以前にもご報告いただき、このブログでもお伝えし、更には助産師会に伺ってまでいたところなのですが、こういうことをテレビで流すってことは、良いことをしているという認識なんでしょうね。あと、エコーはどうなんでしょうか、一体エコーは助産所では必要なんでしょうか。あれって、まさに医療器具ではないのでしょうか。医療の介入をかなり否定しているような内容だったのですが、エコーって反していないのでしょうか。「自分らしく産む」必要性がわかりません。私の知人は、どうやら自分らしく生きたいらしいのですが、生後4ヶ月の子を義母さんにミルクと共に預け、いつでも会える友人とわざわざ外食に出掛けていたそうです。私にとって、自分らしくというのはこういうことだとおもいます。子どもが置き去りです。仕事で預けるのとは違います。どうしようもない事情で預けることとは違います。あんだけ医療をソフトながらにも批判しておいて、バックアップは宜しくねっていうスタイル。助産師会に飲酒も兼ねて聞こうかなぁ、でもどうせ、放任主義なんだろうなぁとぼやいています。
2009.01.16
定額給付金-税金…使い道、間違っています。私は反対です。切羽詰った人には申し訳ないけど、そういう方には麻生総理他、裕福な政治家の方が自腹で差し上げれば良い事で、2兆円は医療や福祉に使って欲しい。学校の耐震工事に使っても余るというし、私の町には産科も小児科もありません。今も、妊娠すれば、当たり前に他市町村に行きます。近くには子どもを産み育てる医療がありません。こちらも切羽詰っています。麻生総理、一度是非、小児科に朝から居てみてください。私が子どもを頼んでいる小児科の病院の医師は、水一口も飲むことさえ許されず、ずっと子どもを診ています。国会で水飲む余裕のある政治家とは違います。患者側の親の私でさえ、先生の疲労を心配したくなるような事態です。そして、待合室は、すぐにでも診て貰いたいと懇願したそうなお母さん達の顔で一杯です。でも皆同じ気持ちだから、必死にこらえて、順番を待っています。「そんなに大変な状態なら、救急車を呼べばいいじゃないか」って言われそうですけど、全ての搬送に対応出来る状態ではないということをご存知ないでしょうか。救急車を呼ぶほどではない、でも、呼ばないで済ませるためにも、なるべく早く診て貰いたいっていうのも当たり前のこの気持ち、麻生総理にはご理解いただけないでしょうか。「今の女性は多く産みたがらない」等々、総理がそう言ったわけではないけど、「少子化だ」という問題を前に、産科が足りないことはどう対処してもらえるのでしょうか。搬送の問題だけではないです。通常のお産でさえ、予約を取るのにこんだけ大変なら、次のお産を控えるのも頷けます。産めよ増やせよという割には、病院は減ります。産んだ後に必要になる小児科でさえ、こんなにも遠い存在になっているのに。定額給付金はやめて!せめて私の住む町は、ばら撒かないで、産科や小児科の病院を建てて、医師を、看護師を、助産師を呼んでください!麻生総理が私に自腹で12000円をくれるかおごってくれるのなら嬉しいけど、2兆円を無駄に使うのだけはやめて!私は産科と小児科ということを一番にいうけど、学校の耐震対策にしても老人福祉、障害者の福祉、使うべき対象は沢山ある。麻生総理、頼むから国民のために働いてください。
2009.01.09
なかなか更新できなくて、なんだか自分が嫌なんですが、物理的な問題もあったりして…こんな状態でも、ご覧くださっている方がいるということにひたすら感謝です。まさに年末。今年も残りわずかですね。私はクリスマス前の賑わいからして、正直、苦手な感情があるんです。2003年の年末年始があまりにも惨めで、その記憶からでしょうね。琴子が亡くなった直後、数日間私の家にいてくれた実母がテレビを点けると、どうしてテレビの中では誰も泣いていないのかが分からなくて、テレビをすぐに消してもらいました。そんなことを何遍も繰り返し、段々と、琴子が死んだことは世間では痛くも痒くもない出来事だと痛感し、自分もそうであったわけですから、個人的に誰かを責めるという気持ちではなく、小さい命は本当に小さいままなのだと泣きました。毎年、年賀状はそれなりに楽しみにしていました。勿論、琴子が死んだ年は喪中の挨拶を出しました。それを受けて、連絡をくれる方も数名いてくれましたが、喪中の挨拶を受けても尚、年賀状を寄こす方もいました。あぁ、胎児の死(このときはまだ戸籍に載っていません)は人の死ではないのだなと、悲しくて堪らなかったです。とにかく年末年始の賑わいは苦しかったです。以来、年末年始こそ、日常のままでいようとしています。本当に辛かったから、今でもあのときの私がどこかにいるような気がして、せめて私だけでも、あのときの私自身に寄り添いたいとおもっているんでしょうね。そして、今年もきっと大勢の天使ちゃんと天使ママ&パパが初めての年末年始を迎えているのだとおもうと、切なくて堪らなくなります。悲しいよね、寂しいよね…一緒にお正月を迎えると期待ばかりしていたよね…今年の私を振り返ると、このブログはあまり更新できなかったのですが、医療関係者の方たちのブログを中心として、時にはネットを彷徨っていました。その中で、凄く心に残っているのが、中絶に対しての医師の方のご意見、『させられる側の気持ちも考えて』というような一文でした。その通りですね、依頼する側はお金を払えば済むとおもっている方もいるとおもうのですが、中絶問題を女性の私たちがきちんと考えて、声に出していくべきなんだとおもいました。病気などで仕方のない選択というのは別問題です。私はこの医師の方のご意見を目にしたとき、私たちがいかに命を軽視しているかを考えさせられました。テレビでは『たらい回し』という表現のまま、医療崩壊の報道が多くなりましたが、助産院や自宅出産に対しての警鐘は全く鳴らされないままで、不思議でなりません。医療は叩きやすく、助産院は美化されたまま。助産院や自宅って、そんなに安全なの?よく、『第二子を自宅で出産』などと経歴に書くような方がいらっしゃいますが、そういうのもやめて欲しい。『昔は自宅で産むのが当たり前だった』と言う方たちこそが、率先してその当たり前という行為を前面に出し、『特別な行為』だと騒いでいるように見えます。どんな場所で産んだかを、どうしてわざわざ言うの?当たり前だとおもっているのなら、言わないよね、普通は。……あれもこれもと、本当はブログで書きたいなぁとおもっていることがまだまだあったのに、ご覧の有様、全く書けないことの方が多くて、自分が残念でなりません。今年が終わるという日々の中、天使ママ&パパが少しでも心安らぐことを祈るばかりです。そして、年末年始はどうしてもマンパワーが不足しがちだとおもいますから、妊婦さんたちがこの年末年始に派手な行動を慎まれることも祈っております。また、派手な行動を慎んでも、緊急事態に陥る可能性があるという覚悟も大事ですね。残りわずかな今年、一人でも多くの方が無事にお産を済ませられますように祈っております。年末年始も関係なく現場で働く医師、助産師、看護師の皆さん、有難うございます。本当に、お産は子どもが無事で生まれてくれるのが一番の素晴らしいお産です。子供の死は辛いです。今の無事を当たり前におもわれず、どうかどうか、ご無事にご出産終えられますように…なんだか相変わらずまとまりのない私ではありますが、今年も一年、皆さんには大変お世話になりました。今年最後は今日となるとおもいます。来年も宜しくお願いします。そして、天使ちゃんたち、今年も一年、琴子と仲良くしてくれて有難う!天国は寒くないかな?来年も、琴子と仲良くしてね。
2008.12.29
先日の私のブログ内にて、いつもご意見くださる助産師のふぃっしゅさんから、下記のようなご意見を頂きました。良いことは取り入れればよいし、改善されていくことは大いに歓迎ですが、不安が残ります。良いイメージだけで「院内助産院はいい」「医師の立会いがなくても助産師だけでお産は大丈夫」という風潮が、分娩数に見合う産科医や小児科医数に対する国の方針へも影響するのではないかと。「在宅介護がいい」(それ自体は否定しませんが)という世の中の雰囲気ができてから、あっという間に高齢者の入院場所が削減されていきました。「はしごをはずされたようだ」と、療養病床のある施設長さんたちは転院場所のないお年寄りが出たことに憤慨していましたね。気づいたらいつの間にか、産科医・小児科医に助けを求めることがとても大変な時代になってしまうようなことにはなりたくないものです。分娩途中の心音低下や異常出血などローリスクのお産でもいくらでも起こるのですが、今まではすぐに医師が対応できたので「正常」に終了していたのですが、お産の場所が医師とは距離が離れれば離れるほど(医師数が少なくなれば)対応が遅れ「異常」になっていくことでしょう。若い助産師さんたちが病院での仕事に不満を感じたり、理想と違うと飛び出したくなるのには、病院全体でどれだけ看護者数を確保するか、というところに一番の問題があるのではないかと思います。どの病棟も「自分の理想の看護」にはもっと人手が欲しいです。けれども国全体の医療費という点では、この先さらに削減の方向でしょう。3~40年前は母児別室、3時間授乳が当たり前、そして最近は母児同室、完全母乳で「絆を」など、出産育児は本当に反動が大きい分野ですね。イメージにあおられず、本当の問題は何なのかあせらずに考えることが大事かなと思います、助産師やその職能団体は。私が琴子を出産する頃、2003年の私の耳には『院内助産院』という言葉が入ってきませんでした。私が知らなかっただけなのかもしれませんが、今では方々で聞くようになりました。また、私がリンズとダンジを出産した病院でも、院内助産院を始めたそうです。ふぃっしゅさんからのご意見を読んで、『「在宅介護がいい」(それ自体は否定しませんが)という世の中の雰囲気ができてから、あっという間に高齢者の入院場所が削減されていきました。「はしごをはずされたようだ」と、療養病床のある施設長さんたちは転院場所のないお年寄りが出たことに憤慨していましたね』あぁそっかー…と、怖くなりました。何か「いい感じ」に流されて上って、振り向いたら梯子がない…怖いな。完全に独立した助産院よりも、院内助産院の方が安全だという意見があり、確かにそう感じるのですが、“医師不足”である限り、今私たちが抱えている問題は何も解決されないんですよね。『お産の理想』は、私にとっては“母子の無事”でしかないのですが、世間的には“自然なお産”ですよね。その理想の声は大きくなるばかりなのだけど、医師の方たちや潜在助産師が現場に戻るという理想には近付かないのはなんでなんだろう…“お産”は何を求めていくのか。母乳育児は理想だとおもうけど、強迫観念とでもいうのか、『母乳育児でないといけない』という感じもありますね、時に目にします。それこそが“愛ある育児だ”と言わんばかりに。無理に遠退く必要はないけど、無理に近付くのも必要ない。私の好きな助産師さんが、「ミルク(人工乳)でも、与え方(主に量)では母乳同様の栄養価になる」と仰っていて、なるほどとおもいました。前にもこのブログで、持病の治療のため、母乳があげられないという方がいらっしゃいました。『したくても出来ない』ということを想像出来ないとでもいうのか、先日の“たらい回し”という表現にしても、問題の本質よりも『怠け者』というレッテルを貼りたがる。ふぃっしゅさんのご意見から逸れてしまったのかもしれないけど、色々と考えさせていただきました。振り返っても梯子があるように、私たち産む側も、お産に何を求めていくのかをもっと深く考えないといけないってつくづくおもいます。
2008.12.16
早産で生まれた新生児ちゃんが亡くなったという報道がありました>北海道新聞;早産男児、7病院拒否 10日後死亡 札幌で昨年11月(12/02 07:16)新生児ちゃんのご冥福をお祈りします。テレビ朝日の報道ステーションで見たのですが、キャスターが『昔は自宅で、近所の人たちが集まってお産を助けたのに、医療が進歩した現代は~』というようなことを最後に言われ、目が点になりました。まるで、医療の中には人のぬくもりがないと言わんばかりの発言でした。医療がどんなに発展しても、そこにぬくもりがないからこの新生児ちゃんが亡くなったのだと、私にはそう言っているようにしか聞こえませんでした。ただ、この後に続いた税金の使い方が…という件はその通りだとおもいましたが、それにしても、昔ならこのお子さんが助かったとおもっているのでしょうか?あまりにも酷い発言内容。“なるべく医療を直接的には攻撃しないように”…との方針がありつつも、どうしても根っこでは医療を否定しているんだろうなぁ。キャスターのいう『昔、近所の人が集まっていた時代』がいつの頃かが定かではないのですが、琴子を亡くした後、知人が世話になったという助産院の助産師の方が、「その年配の助産師が全盛の頃は、母親さえ生きていれば良いっていう時代だったからだろう」と、私の話を聞いてそのようなことを述べられていたそうです。更にそれ以前の時代を指して語ったのだとすれば、状況は悪化するはず。おかしすぎる。
2008.12.02
お産をロマンのように語る人は、『死』そのものをもロマンとして捕えているんだろうかいつの頃か、私は上記の言葉に出会っていました。どこで出会ったのかが思い出せないのですが、ずっと放置していた覚書のようなメール箱の中にありました。2003年の私に送りたいです。あの日に間に合うのなら…妊娠したら、「知りませんでした」だけでは済まないことが沢山待っています。出来れば、妊娠前から知っておく方が良いことが多いです。産む側だけではないです。助産院や自宅出産を推奨する方の中には、多く、お産をロマンとして語る方がいらっしゃいます。いかがでしょうか。お産をロマンのように語る人は、『死』そのものをもロマンとして捕えているんだろうかいかがでしょうか。
2008.11.27
帝王切開は否定的におもわれがち…確かに、私も琴子を妊娠中に、帝王切開を回避したいという気持ちがあった。『経膣分娩』という言葉より、“下から産む”というままに、とにかくそれこそがお産だと言わんばかりに。琴子が死んで、『死産』という言葉を自分の出来事として受け入れるようになるのに、一番の力になってくれたのが、ネットで知った沢山の天使ちゃんと天使ママ。私のような話は他にはなかったのだけど、私のような者でも皆受け入れてくれて、掲示板やメールでのやりとりを一日中やっていて、とにかく私を助けてくれた。一緒に泣いてくれて、人生最高の恋人は? って聞かれたら、迷わずに天使ママ達の名前を言うな。女同士なんだけど、まるで恋人だった。凄く会いたかったし、メールが届くのが楽しみで、そして、相手が誰かの言葉に傷付けば、まるで我が身のことのように怒り、苦しみを吐露してくれるのも嬉しかった。帝王切開というお産に対しての誤解や偏見を払拭してくれたのも、天使ちゃんや天使ママ。以前にもこのブログで話したことがあるとおもうのだけど、ある天使ちゃんと天使ママは、胎盤剥離で緊急の手術となったのだけど、その場でも、医師から手術に要する説明等を受けていて、でもその緊急性は『麻酔が効かないうちに切開が始まり、物凄く痛かった』という天使ママの話からも分かる。先日、このブログでも紹介させて頂いた【妊娠の心得11か条】10.下から産んでも、お腹から産んでも、あなたはお母さん。人によっては骨盤位(逆子)などの理由ではじめから帝王切開をしないといけない人もいます。また、陣痛が来て頑張っても、下から産まれなくて帝王切開をしないといけない人もいます。どんな出産になっても、あなたが身を削って赤ちゃんを産んだことには変わりありません。帝王切開で産むと子供の性格が悪くなるとか、親子の愛情が無くなるとかいう悪意に満ちた色々な妄説に惑わされないで。あなたと赤ちゃんにとって一番安全な方法でお産をしましょう。とあるように、帝王切開というのはまだまだ偏見を持たれていて、子供が無事に生まれているのに、帝王切開になったことで子供を愛せないという話を聞いたこともあるし、離婚したという結果も少なくないらしい。もっと、帝王切開についての説明を何もないうちからしておくことも、とっても大事なのではないかと、私は感じています。それこそ、臓器提供意思表示のカードのように、緊急帝王切開を必要としたらに事前に備えられるような、そういうのもあったらどうだろうかとおもっています。事前に家族で話し合うことも出来るし、それにより、帝王切開を否定的な見方する人も減れば…なんて、かなり楽観的なのですが…帝王切開だから安全だとはおもっていません。どんなことでも、100%安全だとは言えないということを承知しています。だからこそ、妊娠するということは、帝王切開を予定・予想していない方でも、その可能性を持つことでもあると、当たり前のようでいて、実はなかなか受け入れられていないことなので、もっと教えていって欲しいです。
2008.11.22
川崎医科大附属病院(岡山県倉敷市)産婦人科医長の宋美玄氏のブログ『LUPOの地球ぶらぶら紀行』にて、表題の【妊娠の心得11か条】1.セックスをしたら妊娠します。この世に100パーセント避妊する方法は、セックスをしない以外にありません。(ピルですら100%ではありません。でも、もちろん避妊することは望まぬ妊娠を大幅に減らすことが出来るので、妊娠したくない人は必ず避妊しましょう!!)日頃セックスをしているなら、常に妊娠の可能性を考えましょう。そして、子供が欲しいと思っているなら、赤ちゃんの神経系の病気(二分脊椎など)を防ぐために葉酸のサプリメントを飲みましょう。(1日0.4mg)2.「この男の子供を産むためなら死んでもいい!」と思うような男の子供しか妊娠してはいけません。妊娠出産は何が起こるかわかりません。妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)、妊娠糖尿病など、妊娠にまつわる病気になるかもしれません。また、お産も体にとっては大きな負担となります。毎年、約60人の妊婦が出産で死亡しています。あなたが生きて出産を終える保証はどこにもありません。妊娠をするにはそれなりの覚悟が必要ですよ!(妊娠はよく考えて、覚悟を持って!、というたとえでシングルマザーなどの選択を否定するものではありません。)3.妊娠しただけでは喜ばない。安易に他人に言わない。妊娠が非常に初期に診断されるようになってから、妊娠初期の流産が15%以上と非常に多いことがわかりました。最低でも妊娠4ヶ月に入るまでは手放しで喜んではいけません。職場で仕事を軽くしてもらいたいと上司にお願いするなど重要な時だけ人に言いましょう。出来ることは赤ちゃんを信じてあげることだけ。また、運悪く15%に入っても、あなたのせいじゃありません。不必要に自分を責めないでくださいね。4.神様から授かったら、それがどんな赤ちゃんでも、あなたの赤ちゃんです。この世に完全に正常な人間なんていません。重いものから軽いものまでいろんな障害を持って生まれてくる赤ちゃんもたくさんいます。妊娠中に診断できる異常はごく一部。中には幼児になってからわかる異常もあります。誰しも自分の赤ちゃんが正常だという保証のもと、出産することなんて出来ません。親になるということは、どんな赤ちゃんが生まれても自分の子供として受け入れることです。5.産む、産まないは自分たち夫婦で決めましょう。とはいえ、妊娠中に赤ちゃんの異常や、もしかしたら異常があるかもしれないというサインがあると主治医に告げられるかもしれません。それが中期(妊娠21週まで)であれば、望んだ妊娠であっても異常の程度によっては中絶という選択肢が出て来る場合もありますが、あくまでも夫婦二人でよく話し合って決めましょう。価値観や考え方は人それぞれ。大事なことは責任を持って自分たちで決めましょう。(大事なことを責任を持って決められる大人になってから妊娠しましょう。)また、このことについては妊娠前から二人で話し合っておくべきです。6.かかりつけ医をもちましょう。当然ですが、ちゃんと妊婦健診を受けましょう。きちんと初期に超音波で予定日を決めること、HIV、B型肝炎、血液型、梅毒などの初期検査を受けることは、妊娠中に管理方針を決めるのに後々重要であったり、あなたの赤ちゃんを守ったりするために必要です。また妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)の早期発見には欠かせません。もしあなたにお金がなくても、自治体が発行する母子手帳には最低限の妊婦健診を受けるためのチケットがついていますし、分娩費用も援助してくれる制度があります。また、産科医不足からお産を出来る場所が限られています。妊娠が分かったら、病院などに早めに問い合わせてお産をする場所を確保しましょう。里帰りしようなどと思っていても、受け入れてくれる場所がないかもしれません。7.赤ちゃんは全ての運命をあなたに預けていることを忘れないで。赤ちゃんは栄養や酸素など、生きて成長するために必要なものを全てあなたに依存しています。お母さんが煙草やお酒など赤ちゃんにとって毒となるものを摂取すると、胎盤を通して赤ちゃんに移行します。 体型を気にして、妊娠中にダイエットをするなどはもってのほか。(妊娠前に標準的な体重だった人は9~12キロ体重を増やさなくてはいけません。)煙草が我慢できないような人は、お母さんになる資格はありません。また、「出産したら遊べなくなるから」と旅行をするのもいいですが、何かあっても後悔しない程度に。旅先で何かあってもすぐに診てくれるところがあるかは最低確認を。おなかの赤ちゃんのために時には自己犠牲を払うことも覚悟の上妊娠しましょう。8.赤ちゃんが完全に元気であるか分かる方法はありません。胎児心拍のモニターや超音波など、赤ちゃんが元気であるか評価する検査はありますが、どれも完全ではありません。予定日を目前にお腹の中で突然死をしてしまう赤ちゃんもいます。もし動きが少ないと思ったら病院へ。無事に産まれるまでお母さんも赤ちゃんも安心できないのが妊娠なのです。毎年5000人以上の赤ちゃんがお産の間際や生まれてすぐに死亡しています。また、脳性麻痺になる赤ちゃんがいますが、その90%は分娩前にすでに原因があり、分娩を機に脳性麻痺になる赤ちゃんはわずか10%であることも知っておきましょう。9.出産は出来うる限り安全な場所でしましょう。妊娠経過にどれだけ異常がなくとも、出産の時に赤ちゃんやお母さんが急変することは誰にでもありえます。専門家が考える安全な場所とは、緊急時に、高次の医療機関(産科医と新生児医と麻酔医が揃っていて、帝王切開や未熟児医療ができる体制)か、そこへすぐ搬送できるくらいの近さの産院です。部屋がきれいだから、ご飯がおいしいから、好きな姿勢で産めるから、上の子を立ち会わせたいから・・そんな理由で緊急時の安全性が劣る産院を選ぶのはおすすめしません。もちろん、納得の上でなら構いませんけれども。お産をなめてはいけませんよ。(残念ながら現在産科医不足のため、妊婦さん全員が安全性の高い病院を選ぶとパンクしてしまいます。だから、リスクの低い妊婦さんには高次の医療機関ではなく開業の産婦人科を選んでもらわないといけない場合も多いです。でも、最低でも産婦人科医立会いの下お産しましょう。)10.下から産んでも、お腹から産んでも、あなたはお母さん。人によっては骨盤位(逆子)などの理由ではじめから帝王切開をしないといけない人もいます。また、陣痛が来て頑張っても、下から産まれなくて帝王切開をしないといけない人もいます。どんな出産になっても、あなたが身を削って赤ちゃんを産んだことには変わりありません。帝王切開で産むと子供の性格が悪くなるとか、親子の愛情が無くなるとかいう悪意に満ちた色々な妄説に惑わされないで。あなたと赤ちゃんにとって一番安全な方法でお産をしましょう。11.妊娠・出産は一つとして同じものはありません。妊娠・出産を経験すると、自分が何でも知ってる気になってしまう人がいます。年配のご婦人で「私のときはこうだったわよ」のように先輩面をする人もよくいますよね・・でも、一つとして同じ妊娠・出産はありません。同じ人が次にまた妊娠しても、同じようになるとは限りません。自分の経験を別の人や別の妊娠にあてはめないようにしましょう。 コメント欄まで目を通すと、様々な立場からの意見が寄せられていて、それぞれに主張したいこともあるかとおもうのですが、私としては、とってもためになる心得で、より多くの方に知って欲しいとおもいます。中学生(義務教育)の性教育でも使用して頂きたい。妊婦さんが多く読んでいるとされる、お気楽な雑誌よりも、この心得を読んで欲しい。これからもっと、こういう心得やご意見を聞けるようになることも願います。
2008.11.19
なかなか更新出来なくて、すみません。『定額給付』で総額2兆円…色々なご意見があるとはおもうのですが、あれはそのまま、産科医不足などの問題に使ってもらえないのでしょうか。我が家はまさに『6万円』(最近の話だと、6万4千円)の対象になります。6万円の臨時収入は大きいです。でも、貰う予定よりも、貰わない予定でいた日々の方がうーんと長いので、今更貰えないからって、精神的に大きな凹みもなく、むしろ、既に医療が崩壊しているということをこれだけ問題にしているというのに、2兆円もあったら、活用は十分に出来るのではないでしょうか。ここしばらく、子供達が流行りの感染症にかかり、小児科医院に何度となく足を運びました。時には、義父母にも付き添って貰い、実際に長時間を待ってもらうこともあり、「こんなに待つの?」と、かなり驚いていました。一番長かった日は、3時間。町の開業医の小児科医院です。麻生総理、商店街を周ったり、カップラーメンの値段を頭に叩き込むのも良いのですが、是非、朝から具合の悪い子供と一緒に待合室で順番待ちも体験してみてください。うちの場合は病名も分かっていたし、子供も元気のあるタイプの症状でしたから、3時間は子供をおとなしくさせられない苦労に悩む方でしたが、場合によっては『緊急性はないけど不安』という心情で待つ方もいらっしゃいます。2兆円もあったら、何か変えられる…いきなりは無理でも、変えるきっかけくらいにはなってくれるのではないでしょうか。景気対策に『医療への安心・安全性』というのも、必須だと私はおもうのですが。
2008.11.10
今日は『助産院の安全性』ではなく、『お産の安全性』を考えての書き込みです。 私が入っているお産について考えるためのMLで、以前より『潜在助産師』の方たちに向けての呼びかけは何度かありましたが、ここ数日、それがとっても切実なものとなりました。いや、正しくは最初から切実な訴えであったのですが、助産師の教員の方が、はっきりと『自分の住んでいる地域の周産期医療問題の状況に、たとえ今は現役ではないとしても、有資格者として無関心ではあってはならない』という(MLの制約上、コピペは出来ませんので、私が要約しました)メッセージがありました。医師の方たちも、以前から内診問題でより深刻化した助産師不足の問題他、助産師の数が足りないことは訴えられていました。それに対し、やっとと言ってもよいのか、実際の潜在助産師の方から返事も出るようになりました。 私はまず、看護師の資格もありませんから、これら医療の問題は常に『受ける側』という立場になります。だから、職場環境だの給料形態だのと、私が意見できることは何一つないのですが、ただ、病院での助産師不足は、助産院の安全性(更に、母子の無事を願う)を問う立場としては、かなり気になります。 『助産院や自宅出産でも、提携している病院に搬送するから』というようなことで、助産院や自宅出産は比較的安全だと語るところがあります。でも、その搬送先の病院に医師が頼れる助産師がいなければ、お産の安全が遠退くのだとおもいます。 私はかなり大きな、施設の整った大病院でも出産していますが、出産の殆どを、助産師の方たちだけで対応してくれます。事前に異常があれば、当然最初から医師がいたり、帝王切開となれば当たり前ですが、医師と助産師が最初から揃っているとおもいます。でも、異常が感じられなければ、医師は分娩中の大半は別室です。更に、私が出産をお願いしていた病院は、最後まで医師を呼ばないで済むようなら、産婦の意思決定の下、最後まで医師を呼ばないで助産師だけで出産を終えることも可能です。 ある医師の方から、下記のようなご意見を頂きました―私の施設では、現在、助産師さんは充足(皆、優秀です)しておりますが、地方の開業医では、全くいないか、いても24時間体制がとれていないところが、ほとんどです。お産を中止した病院が○県でも相次いでいます。でも、そこに勤めている助産師さんは、お産をやっている、病院、開業医に移ろうとはしません。優秀な助産師さんがいる、いないでは、我々、産婦人科医の負担が全く違います。お産をやりたくて、助産師免許をとった訳ですから、通常ならば、お産をやっている施設に移動しようと思いませんか?それが、まったく移動しない。助産師さんですから、お産をやっていなくても、通常の看護師さんよりは給料がいいのは確かですが、何故、お産をやっている施設に移動しないのでしょうか。私が思うに、プロ意識の欠如、向上心の欠如が原因だと思います。数年前、私の医院に、お産を辞めた、病院から移ってきた50歳過ぎの助産師さんがいます。当初は、全く、基本ができておらず、最初からトレーニングのやり直しです。しかし、彼女は、懸命に頑張り、勉強し、今では、麻酔分娩の管理までできるようになりました。彼女はプロ意識、今まで、ちゃんとしたトレーニングを受けていなかったことを自覚したんですね。そういう方は、とても、珍しいのです。―以上、頂いたメールより 私も「助産師の資格を持っている、経験もあるけど、産休中」という方たちと出会っています(数名ですが)。でも、『育児が落ち着いたら、必ず職場復帰する!』という心意気の方には出会っていません。それだけ大変な職業だということなのかもしれないとおもっていました。 「何故、お産を辞めた病院から助産師さんは移動しないのか?」という、問いかけをしてみたらどうでしょうかこれは上記のメールをくださった医師の方からの〆の言葉です。私からではなく、潜在助産師の方に戻ってきて欲しいと願っている医師の方たちからの問いかけです。私にはなんの知識も力もありませんが、安全なお産を願うからこそ、このブログでなら…とお聞かせくださるご意見があれば、是非、お願いします。どうしたら、安全なお産を確保できるのか、潜在助産師の方たちが顕在助産師となってくれるのか…
2008.10.22
先日、とある場所で時間を潰さなくちゃならなくなり、そこにあった雑誌を手にしてみました。雑誌『tocotoco』vol.2特集>お産は楽しい!>自然体のお産上記の表紙を目にして、さぁて今回はどんなものかと拝読。タイトルから簡単に察することが出来るとおり、自宅出産や助産院でのお産が礼賛されつつも、病院でも自分の望む形でのお産は出来るというように書いてある。また、自宅出産や助産院での出産をするには条件があるとも書いてある。開業するには提携の産科病院が必須だから、搬送先も確保されたも同然で安心だというような、いつも通りに疑問を抱きつつも続きを読んでいたら…お産ライターという肩書きの方や、他2名の方を含めて(きちんと紹介したいのに、記憶に留められず…)の対談形式で自然分娩の良さを語っている内容があり、そこで怒!なんと女医の方が、自分で開業するような助産師は病院でキャリアを十分に積んでいるし、緊急時や危険な場合をよく知っているから安心だというようなことを書いている!!!それも、“優秀”という言葉まであった!これだもんな~、これだもん、本当、嫌になるし、悲しくなる。責任とれるのかな、こんな軽率なこと言って。助産院や自宅出産を請け負う助産師はまるで“特に優秀”みたいなこと言ってるんだよ、これって。自分ではそこまでのこと言っていないって言うかもしれないけど、素人からしたら、そう受け取れるよ。それと、本当に病院で危険なお産なんかを沢山経験して、そういうキャリアを積んだ人ばかりなの?私が感じるに、病院で危険なお産を沢山経験している人ほど、開業していない。あと、助産院での判断が誤って子供が死んだり、母親の体(心含)に大きな傷が残っていたり、お子さんが植物状態になっている等、皆さんの許可さえ得られれば知って欲しい事故の報告はあります。勿論、病院でも同様に事故の話はあります。病院だから安全だとは言いません。でも、『助産院・自宅出産は医療事故がないから安全』と物語るような現在、それは間違ったまま、『助産院・自宅出産なら安全』になっている。助産院や自宅では医療行為が行えないから“(医療)事故はない”になるのだろけど、助産院でも人(胎児・子、母)は死んでいるし、傷付いている。『医療の施しを受けられないから生じた医療事故』というのもあるし(琴子はこれだろうな)、“緊急時には”ということで、医療を施す場合もある。外科的な処置をすることだけが医療ではないのだから、きちんとした説明をしなかったことだって、医療の問題の一つ。搬送はしたと主張する助産院もあるけど、その搬送が遅すぎたというのだって、判断の誤り、医療事故でしょう。きちんとした判断を心がけている助産院もある。でも、それが出来ていない助産院もあるっていうことを、もっときちんとした記事で紹介するべきだよ。どれを見ても、『いざというときは病院に搬送されるので安心』程度。今回の女医さんの発言には悲しみで一杯になる。誰に頼まれたの?誰と親しいの?と、マスコミにも素人の私は、『助産院礼賛』を言う方にはそういうことまで聞きたくなる。ねぇ、誰のために言っているの?
2008.10.03
こんにちは。栃木は午後になって、晴れてきました!!!洗濯物が乾かないことに悩んでいましたが、今日の分は半乾きでも、このまま明日も晴れてくれれば一気に乾いてくれる! と、期待しています。いつもブログを気にしながらも更新できないし、ご意見書き込んで頂いているのに返事が書けないし、自己嫌悪に陥るところもありますが、こうやって少しでも時間のあるときに書き込んでいけたらとおもっています。さて、今日は私の好きな『Dr.陽子の診察日記』を皆さんにご紹介したいとおもいます。直接のリンクが出来ないので、医療法人いちかわクリニックの中にある『Dr.陽子の診察日記』のボタンを探してクリックしてください。(小児科・内科の下の方にあります)今年の9月18日の『木曜日の外来』―読んでいて、なんだか心が洗われました。私もリンズやダンジを出産した病院で、2度ほど『緊急手術のため』と、一時診察が休止したことがありました。長時間待つことになるので、待合室は疲れ気味の妊婦さんが多くなり、私もそのうちの一員になっていましたが、誰も不満を言うことはなかったし、2度の内の1度のときは、初診で来た方に「今日はこのような状態になっているので、後日に変更された方が」と、看護師の方に説明を受け、帰られる方もいました。小児科が別なので、待つ人はどの人も大人でしたし、私も色々なお話を聞くことで、緊急手術に対しては切なる想いを抱いていますが、この日記にある子のように、心配を声に出せることになんだか感動しました。優しい気持ちって、大事ですね。
2008.10.01
こんにちは。今日はちょっとだけネット徘徊の時間があったので、少し検索して徘徊してみました。助産院や自宅出産の経験談、助産院のサイト等、『妊娠中の体作り』が目につきますが、私は琴子の妊娠前から冷え対策は食事だけに限らず、しっかりとしていましたが、逆子になりました。だから、体作りや管理は大事なことだとおもうけど、『私は妊婦優等生』というような、助産院や自宅で産んだことを誇るのは、叶わなかった方を苦しめますから、やめて欲しいなぁ。とりあえず、私個人の経験からは、冷えと逆子は関係ないこともあると大きな声で言いたい。冷えで逆子になるという説を覆すほどの統計をとれませんから、覆すほどこのことは言えないけど、マクロビアンであろうと、逆子になるでしょう。ちなみに、私はマクロビアンではありません。自宅出産や助産院をするために体作りをする・薦めるというのは、ちょっとおかしい気がするのです。“昔はね”ということが並行してあるようにおもうのですが、昔の人たちは、助産師を呼ぶことも滅多にはなかったでしょうし。自宅や畑で一人で産んだ時代までは含んでいないのでしょうかね。どちらにしても、過熱したかのような『妊娠を機に体つくりをする』という表現は、もはやエステ感覚のような気がします。勿論、やらないよりやった方が良いのですが、それは助産院や自宅で産むからではなく、病院での出産、帝王切開に決っているとしても、やらないよりはやった方が良いことだとおもいます。そして、インスタント食品ばかり食べているような方でも、超が沢山つく安産をしている方もいます。自宅や助産院で産むことに意固地になっていく方たちを見ていると、 『体作り』というキーワードが気になってならないのです。それが出来た私も凄いと、称えられるために語るのか。すみません、ネットで見ただけじゃなく、私の周囲の人たちへの日頃の感情も含めてます…
2008.09.25
まず、私は医者でも助産師でも看護師でもなんでもなく、医療に携わる職業でもないということを先にお断りします。また、福島大野病院の件に触れるというより、そこから感じたことをちょっとだけ今日は書かせていただきます。また、この件ではお亡くなりになった産婦さんがいらっしゃいますので、お亡くなりになった妊婦さんのご冥福を、心からお祈りいたします。既に皆さんご存知の通り、福島大野病院の医師逮捕は無罪確定しました。無罪を信じていた私は、控訴もなく確定となって良かったとおもっています。あるお産について考えるML内で、大野病院の判決を受けてから、『一人医長』の現実が危険なのだと投稿されている方がいました。それが改善されるのなら、それは有り難い限りですし、私は納税する際、消費税も含めて、なるべく医療や福祉に使って欲しいと、宛先を書きたいくらいです。そうおもいながら、更におもえば、一人医長がいかんと言うのならば、助産院や自宅出産はどうなのだと。やっぱりもっと危険でしょうと。それを世間一般の常識として伝えていって欲しいです。勿論、病院で産めば全てが安全だとはおもってもいない。悲しいことに、どうしても避けられない場合もある。悲しいお産はゼロにはならない。それは助産院の存続の問題とかではなく、お産というものが、『100%無事に生まれる』という保障を全く出来ないものだから。今日元気だったのに、突然に…というのは、琴子を亡くしてからの私の目の前に、沢山沢山あった現実のお話でした。さっきまでは胎動があったのに亡くなってしまった我が子、お産が始まったら臍帯が先に出てきてしまって亡くなってしまった我が子、帝王切開の翌日に亡くなってしまった母親等、沢山の現実の悲しいお産の話がありました。びっくりしました。自分が知らなかっただけで、こんなにも沢山の悲しいお産があったなんて…病院ですら一人しか医師がいないということに警鐘を鳴らす方たちがいる―助産院や自宅出産の場合は更に助産師しかいないし、一人きりの助産師の助産院も少なくないのだから、そちらへの警鐘は鳴らしてもらえないのかとおもいます。「助産院で出産するな」ではないです、助産院や自宅出産のリスクをきちんと知って欲しいし、教えるべきです。今のような、助産院や自宅出産を美化するだけの説明・報道では、自分がどれほどの賭けをして子供を産もうとしているのかを知らないままになってしまいます。福島大野病院の件とは離れた内容におもわれても当然かもしれませんが、大野病院の件から発せられるご意見等を見聞する中で、沢山のことを感じていて、今日はそのうちの一つです。病院の改善を語られると共に、助産院や自宅出産の現実も語ってもらえればと願っています。
2008.09.05
昨日、琴子は天国で5歳になりました。琴子の写真を5年経った気持ちで見ると、そこにはリンズやダンジの顔が重なり、姉弟は似ているのは当たり前なのだけど、琴子だけがおいてけぼりのような写真なのに、色褪せることのない成長も感じます。この5年は私の人生の中で、ずっとずっと大事な時間。琴子の力は衰えを知らず―今夏はどんなプレゼントがあるのかな? と楽しみにしていたら、なんと!テレビの中に、琴子を戸籍に載せてくれた立役者、あの裁判官がぁ!!!ある事件の裁判官となられていたそうで、報道で久々にお顔を拝ませていただきました!琴子の裁判では、途中で裁判官が変わりました。そのことで、少し空気も変わりました。それまでも『勝訴的和解』の流れではあったのだけど、逆に最初からその流れだったために、不満もありました。裁判官が変わるかもしれない―その予測を前にして、弁護士さんは有利が不利になることもあると、ちょっと警戒していましたが、私たち夫婦はそこらへんは経験がないので、変わったらどうなるのだろうかと、また始めからやり直すこともあるのかとおもうばかりだったのですが、後任となった裁判官は前任の方よりも核に触れてくれるような感じがあって、半分以上は前任の方との裁判だったのだけど、後任の裁判官だからこそ、戸籍に載せることを汲んでくれたりしたとおもっています。だから、裁判官、弁護士さんは琴子を戸籍に載せてくれた人たちであって、弁護士さんには節目にご挨拶を送ったりは出来るけど、裁判官とはよほどのご縁がない限りは会うこともない方だとおもっていたので、テレビで一方的にとはいえ、とっても嬉しかったです!それも、琴子の誕生日の前日に見て、今日も見ました!事件があるから裁判官が映るわけで、世間的には喜ばしいことではないのだけど…あと、昨日はリンズと近所を歩いていたら、ご近所さんに会い、偶然だというのに、薔薇の花を頂きました!それも、「じゃ、5本」といきなり!!!「うわー! 今日、丁度命日の家族がいて、嬉しいです!」とおもわず言ったら、「あら…薔薇は棘があるから、仏壇にはだめなのよ~」と言われましたが、琴子はお誕生日でもあるので、有り難く飾らして頂きました!!1年に1本ずつ、琴子が咲かした薔薇なのかなって琴子のお陰で、どん底も味わったけど、嬉しいことも沢山得られるようになりました。琴子が5歳になったということは、あれから5年経ったということ。まるでついさっき、琴子が死んだばかりのような気持ちもまだまだあるし、楽しさに満たされるときもある。何処かで生きていると感じることもあるし、天国を遠くに想うこともある。死んでしまった子供だけど、死んだままでも大事な子供。でも、やはり生きて生まれることが出来るはずだったのなら、少しでも元気に生き易く生まれて欲しかったともおもう。琴子が6歳になる来夏まで、私はまたどんなことを学ぶのだろうかと、琴子に感謝しながら8月31日を過ぎました。琴子、お誕生日おめでとう!
2008.09.01
いつも拝見しているshy1221さんのブログ、S.Y.’s Blogの8月15日『無理解か、深い理解か』と、【お産難民を救え 助産師はいま】(6)自治体の格差 無理解が助産所の活用阻む - MSN産経ニュース 魚拓※【お産難民を救え 助産師はいま】(1)「実家のような安心感」※こちら、「実家のような安心感」の中では、臍の緒を助産師のてほどきのより、父親が切っていると明記されています率直に、助産所での健診に公費助成が受けられたら、お産難民は助かるのでしょうか。はっきりいって、助産所での分娩費用も、決して格安ではありません。病院での費用と大差ありません。経済的な事情で病院での健診を受けられない、出産が出来ないからって、それを助産所に置き換えたら、どうして急に経済的な事情が解消できるように思わせるような、そんなトリックを仕掛けてくるのでしょうか。日本中の全ての助産所の健診・分娩及び入院費用を調べたわけではないのだけど、私が実際に通った2件の助産所での健診・分娩費用は、どちらも揃って、病院並みでした。助産所だからって、格安なんてことはありません。また、私の場合は搬送をしてもらえませんでしたから、病院に琴子の件で費用を支払うことはありませんでしたが、私にお話くださった助産院での悲惨なお産の経験者の方の中には、『分娩途中で搬送となったが、助産所にも分娩費用を支払い、病院にも支払い、相当かかった』とお話くださった方もいますから、そこまでも覚悟して、経済的な事情と照らし合わせて考えられるべきだとおもいます。あと、いっつも新聞では触れませんけど、医療行為はどうなるのでしょうか。健診は、ただエコーで元気な赤ちゃんを見ましたよー、はい、男の子かな、女の子かな? ってやっているだけだとおもっているのではないでしょうか。そもそも、エコー診断を助産所がすることこそが違法だというのに、テレビや新聞では「違法行為を断じて許しません!」としているのに、助産所の中でのことはお構いなしなのでしょうか。冒頭、臍の緒を切るのは医療行為で、家族が切るのは助産師が違法行為の手ほどきをしているということになりますよね。全ての助産院が危険だとは言いませんが、助産院での健診が病院と同じだとはおもえないし、費用の面でも、助産院の価格設定が困窮した家庭のお産を救うとはおもえません。経済的な問題で病院に行けない人は、助産所にも行けないとおもいますよ。事実、琴子のことで日本助産師会に出向いた際、当時の事務局長との会話で、主人が「自宅出産や助産院での出産費用が高く感じる」というようなことを聞いたら、「そうなんですよ、自宅だからって安いとか、そういうことはないんですよ」と仰っていましたからね。あれから5年経ちますから、何か変わっているかもしれませんが、助産所全体の価格設定が安くなったとはおもえない。血液検査などが出来ない助産所での健診て、どういうものなのか。私は経験がありますから、自治体の方よりもわかっているつもりなんですが、あの頃は“気分的に満足”っていう状態ともいえ、更にエコーが違法だとも知らなかったので、里帰り出産予定だった助産所での健診では、そうなると、まだ内診もしませんでしたが違法と知らずにもエコーはやって、助産師の方と話して5000円でした。それを高いというのか安いというのかは人それぞれなんでしょうが、何度も言うように、経済的な事情を抱えている人が、「病院の健診には通えないけど、助産所のなら通える」とはならないとおもうんです。健診て、きちんと通うことを前提に考えると5回では済まないわけで、“タダで通える5回♪”だけを助産所に通わせたいの?“タダ券”以外では、多分ほぼ毎回、上記のような内容で5000円くらいはかかる。私がリンズを出産した際、まだこの“タダ券”は2枚とかしかなくて、その2回はどちらも前期後期の血液検査のある、“料金が多く必要”なときに指定されていました。ダンジ妊娠中は後から1枚だけ追加でもらえたのだけど、上記の2回以外で自由に使えるような説明が病院の壁に貼られていました。血液もとらないし、エコーでみても赤ちゃんは元気ですね、これならエコーでみるまでもなかったですねとはならないでしょう。どうしてこうも、助産所での健診を病院での健診と同じような感覚にしたがるのか。記事内に『負担を行わない自治体の大半が、昨年1月の厚生労働省通知を“誤解”していたことが分かった』とあるけど、誤解しているのはどっち?なによりも、母子の命・安全は?※妊婦健診受診の補助を“タダ券”と表現していることを不快におもう方もいるかもしれませんが、多分、この感覚が一般的だとおもい、あえて用いました
2008.08.18
こんにちは。久しぶりになってしまいました。実は、妊娠していました。9週という短い妊娠でした。無事に生まれることのない縁―残念ではありましたが、琴子や過去の経験、また、多くの天使ちゃんと天使ママさんたちのお陰で、すんなりと受け入れることが出来ています。リンズが「赤ちゃんが死んじゃったの? どうして?」と、流産を告げたときに泣きかけたときにはグッときましたが、その横でまだ理解出来ないダンジが滑稽な舞を見せてくれて、リンズもそっちに心奪われ、私もそちらへ…地上の子供たちにも助けて貰っているのでしょうね。流産しているかもしれない、成長がとまっているようだと告げられてから手術まで、念には念をということで、数日間の猶予を与えて貰いました。1週間後に再度診察し、やはり成長がとまっていることが確認され、流産が確定し、翌日に入院、手術を受けて一泊、翌朝に退院しました。私は初期の流産は二度目になります。一度目は一番最初の妊娠(琴子の前)です。そのときは日帰りの手術だったのですが、静脈麻酔で眠っていたのに、あまりの痛みで身体を起こし、「抑えろ、抑えろ!」というようなことを医師が言ったことを覚えていました。同じ日に手術を受けた方もいて、その方は旦那さんに付き添われていたのですが、術後にずっと「痛いよー、痛いよー」と泣いているのも聞こえていましたが、私は術後の痛みなどはありませんでした。(「痛かったよー」だったかな?)ただ、あの術中のなんともいえない痛みは記憶に残っていて、今回、流産しているかもしれないとなってから手術の日まで、とにかくまたあのように痛いのかとおもうと、それが怖くて怖くて、不安でたまらなかったのです。また、残念なことが友人にも起こっていて、私よりも数日前に初期流産で手術を受けていた友人と話していたら、「子宮口を開くときが痛かった!!!」と言うので、『やっぱり痛いんだ…』と、どんどんと凹んでいました。流産の残念よりも、痛みへの恐怖の方が強くあって、逆にいえば、あの痛みの経験が私を癒してもいたのかもしれませんね。とにかく、これから痛むのかとおもうと、猶予を頂いた分、憂鬱になる日々でもありました…最初の流産の手術を受けた病院は今の病院とは別です。担当医にも以前の経験で痛かったことを相談したら、『痛いことはないでしょう』というようなことを言われたので、とにかくきっと何かが違うのだろうと期待して入院しました。感想としては、驚くほど痛くなかったです。子宮口を開く処置のときも、全くといって良いほど、痛くなかった。手術中も目が醒めることなんてなかったし、麻酔が醒めた後も手術を受けたことが記憶に意識しないと残らないほど、痛みはありませんでした。資材の違いなのか技術の違いなのか、私には分からないのですが、痛みがないのは助かりました。今回の流産を通じて、また琴子に感謝の日々です。妊娠は楽しいだけじゃない、むしろ本当はとても険しく、赤ちゃんが無事に生まれることの奇跡、母親も無事でいられることが当たり前ではないことを、そしてどんな結果でも受け入れていく勇気を教えてくれました。初期の流産の多さ、自然淘汰の意味なども、自分で勉強したつもりでも、琴子が教えてくれている、受け入れる気持ちをくれていると感じています。今回の入院に至り、担当助産師になってくれた方が私を見て、「お久しぶりです」と声を掛けてくれました。私はその方をよく覚えています。リンズを出産し、入院中に病室で少しお話をした方でした。私はリンズの出産時を思い出すのは、琴子を出産した後のことを思い出すときと同じくらいに、胸が締め付けられるのです。リンズは無事に生まれてくれた-その喜びと同時に、琴子を死なせてしまったことを痛感する場面でもありましたので、その方が声を掛けてくれたことで、流産した気持ちよりも、リンズを出産したときの気持ち、そして琴子を死なせてしまった時の気持ちが甦ってしまい、ついつい、泣いてしまいました。そのときは複合的な感情で、流産への残念な気持ちもいくらかありましたから、助産師の方は流産したことへの気持ちで泣いたとおもわれたかもしれませんね。それでも正しいので、あえてこの複雑な気持ちは説明しませんでしたが、私にとって出産は、リンズやダンジをその後に無事に産んでいても、まだ尚恐怖でもあります。ですから、流産したことへの気持ちも含め、「無事に産むのは難しいです」と言ってしまいました。助産師の方は、「そうなんですよね、妊娠することから含めて、本当に凄い奇跡の重なりなんですよね」というようなことを仰ってくれました。本当、無事に産むのは難しい。琴子だけじゃない、琴子のお友達天使ちゃんたちのお話も我が身のようにおもっていますから、本当、無事に生まれてくれる奇跡をおもわずにはいられません。妊娠してちょっと悪阻があって、そのまま稽留流産になって手術、術後にはなるべく静養をと、しばらくこのブログから離れてしまいました。その間にもご意見くださっていたこと、返事は書けずにいましたが、目を通しておりました。今日は流産の報告になってしまいましたが、また私なりに助産院の安全性を問う気持ちを軸に、ブログを再開していきたいとおもっております。いつもこのブログをご覧くださり、有難うございます。暑い日がまだまだ続くようですので、皆様が夏バテされず、お元気に日々過ごされますこと、祈っております。
2008.08.04
助産師の権限拡大どうなる!?(上)助産師の権限拡大どうなる!(下) -医療介護CBニュース-読んで色々と考えますが、とても気になり、また、相変わらずに残念なのが、日本助産師会の専務理事のご意見の中、『加藤氏は、「すべてのお産が医師から見たらリスクであるというのは、医学的に見ればそうかもしれない。しかし、子どもを産むという機能を備えている女性の体の本質論から考えたらどうなのか。『自然』を大事にする助産師と、医師の間の溝はなかなか埋まらない。医師は助産師や看護師をコントロールしたがるが、『お産に誰がどう付き添うか』ということが大事では」と、苦言を呈した。』<上記(下)より引用>とありますが、自然というのをどこまで責任持って捉えてくれるのか。また、1%の異常の見分けが本当に心掛けられているのか。一部の正しくあろうとしている助産院・助産師のことしか見ていないのではないだろうか。なんでも医療介入が必要だとはおもっていないけれども、こういう場面でもまだ『自然』を大事にと言われてしまうと、お産の抱えているリスクを、1%の異常への警戒心がどれほどのなのかが余計に期待できなくなる。1%という数字を多く感じるか少なく感じるか、その1%の異常事態に陥った方たちを助産院で処置して大変な事態にしてしまう助産院もあれば、搬送して更に搬送先の責任だと平然と言う助産師の姿も聞くし、少なくとも日本助産師会はそれらの情報を少しは把握しているはずで、1%というような軽い表現で片付けないで欲しい。当事者にとっては、例え1%であっても、その数字が重く、苦しいのだから。自然を大事にするのか、それとも妊婦と胎児・母子の命を大事にするのか。記事の中にもあるとおり、『一番の被害者は妊産婦だ』。
2008.07.24
暑中お見舞い 申し上げます。暑いですね~暑さのせいか、バテ気味です。我が家には夏対策の戦力は扇風機しかなく、一生懸命風を贈ってくれるのですが、なかなか涼しくならない…毎年、夏にはぐったりしちゃっているような気がしてなりません。こんな中でも、お産は日々あるわけで、それを支えてくださっている医療従事者の皆様には感謝感謝です。なかなか更新出来ないのですが、毎日、『あぁ、今日も出来なかった…』と悔やんで床に就くという、精神上良くないことをしているので、ちょっとしたことでもこのブログで話したりして、更新していきたいとおもっています。このブログをいつもご覧くださっている皆様、有難うございます。
2008.07.15
当ブログに静岡の産科医Qさん(6月13日)がくださったご意見より、妊婦健診の公的補助を助産院まで拡大することを考えました。臍帯を切るという行為(6月11日) まず、静岡の産科医Qさんのご意見を下記に紹介させて頂きます。今、静岡県では妊婦健診の公的補助を助産院まで拡大することを認めるかどうかで、お母さんの団体さんが署名活動を展開しています。しかしその署名の文面を見ると、「助産院で妊婦健診をできないのは不公平」という点のみが強調され、一般の方なら誰でも署名してしまうような内容になっています。そこには、助産院の実際の「影」は全く語られていません。静岡県F市に非常に危ない助産院があります。(1)新生児黄疸で考えられないほど高い数字を示しているのに、放置して核黄疸が危ぶまれている赤ちゃんを作った(2)心音が落ちている(CTGが残っています)のに、分娩二期を24時間粘って、足浴だけを行い(この間分娩監視装置をはずした)児の心音が確認されなくなってからあわてて病院に搬送し、胎児死亡を起こした(しかも、助産院ではまだ生きていたと言い張って、新生児死亡扱いにさせた)(3)HBsAg陽性妊婦に(これを取り扱ってはいけないと思うのですが)母子感染防止対策を行うことを知らずに放置したたかだか300人程度の分娩中にこれだけの異常を作ってくれましたが、本人は県の助産師会の幹部です毎日新聞の全国版に「勤務助産師は技術が未熟」と豪語しました妊婦健診は医師も助産師も同レベルのことを行っている、と語っています今私たちはこういった危険な方々に対して、妊婦健診を全て任せるわけにいかないと、活動をしています地区の新生児科の先生方は満場一致で署名・応援してくれているのですが、マスコミはほぼ全紙助産院の味方ですもちろん、お任せできる助産院もいますしかし、組織として活動しておられる限り、そのような有能な助産院助産師も許せません彼女たちは、厚生省看護課・看護協会・マスコミと手を取り合って、看護師しかいない産科開業医を潰したからですこれが日本の周産期の世界をどれだけゆがめてしまったかこれが現実です ですから、助産師に臍帯を切らせたり、超音波をやらせたりするのは、マスコミにとっては全然気にならないことなのです助産師さんがすべて助産師会に入っているわけではありません助産師会はひどい団体だと思いますが、私は助産師は必要な職業だと思っています助産師が安心を与えるように援助し、医師がそれを安全面でサポートし、助産師の足りない部分は看護師が補助する(内診も含めてです)助産師至上主義では日本のお産全体はとてもカバーできません助産院の彼女たちは、自分たちのできうる範囲で都合良くシェアを増やしたいだけで、地区全体のお産を全てまかなうにはどうしたらよいかなどとは全く考えておられないと思います以前にも、お産について考える趣旨のML内でこのような話を目にしました。助産師の多くの方は、助産院でも使えるようにするべきだというような結果でした。今回は、ネットで<妊婦健診 公的補助 助産院>と検索してみました。All About>助産院で妊婦健診費用の補助券が使えない?と助産院がおこなっている妊婦健診の内容は厚労省が示す基準をカバーしている他にも、ヒッをトしたサイトを拝見しましたが、危険な行為・判断をしている助産院を知らない方にとっては、助産院は素晴らしいものとしか考えられないのでしょう。行政がどのような判断をするのか、検討する際に、助産院一つ一つの実情をきちんと見極めてくれると良いです。ただ、どうやって実情を知ろうかと、知ることが出来るかが更なる問題になるわけですよね。なかなか真実は伝わってきませんから。『評判の良い助産院だった』という嘆きの声は、一つ二つではありません。私の場合も同じでした。また、病院に搬送した途端に病院へ責任転嫁するというのも、本当によくあることのようで、訴訟を起こしてもなかなか助産院の非を認められないという話も、複数の当事者の方から聞いています。静岡の産科医Qさんのお話にもありますね。『妊婦健診は医師も助産師も同レベルのことを行っている、と語っています』これも本当、私でも「いい加減にしろよー」と言いたくなります。同じレベルって、そもそもがエコー診断が違法だというのに?エコーを抜きにしても、同じレベルなんでしょうか。素人の疑問として、医師になる…色々と違うのは分かっているのですが、あえて産科医と断定させていただくとして、その産科医になるのと助産師になるのとは、同じ“難しさ”なんでしょうか?同じレベルということは、資格を得る前の学習内容からして同じなのかなっておもっちゃいます。それとも、現場で何度かお産を扱えば、同じレベルになれちゃうのでしょうか。公的補助を受けるためになのか、もしもこのようなことを本気で仰っているのだとしたら、琴子を亡くした後に助産師会に出向いて話し合ったあの内容や、あのときの助産師会の姿勢が嘘でしかなかったと、悲しみが深まるばかりです。(無資格者内診問題のときには、『看護師と助産師の資格の差は大きい』と言っていたような…)上の子を持ち、出産時に頼れる家族や親族、友人たちがいなくて困る、産後も上の子が一緒に泊まれることが助かる等、助産院が求められることもあるのは分かっています。でも、それは安全を第一とし、母子のために判断することが求められていることであって、『医師と同じレベル』だとまで言って得ようとする権利(地位?)がなんなのか、私にはそこが何よりも疑問です。リンズ、ダンジを総合病院で出産し、そこには多くの助産師の方がいました。私がお産でお世話になった助産師の方達は、大きなことも言わなかったし、一生懸命に、母子一人ひとりに接してくれていました。勤務助産師の技術が未熟だなんて、開業助産師の元で子供が死んで、勤務助産師に囲まれて二人の子を無事に取り上げて貰った私には信じられず、受け入れ難い言葉です。助産院の全てが間違っているとはおもっていません。でも、正しくあろうと日々努めている謙虚な助産院を中心に考えていては、危険な助産院を野放しにしてしまうのではないでしょうか。助産院での健診に公的補助を使えるようにするのか否か、判断材料として、搬送を受け入れている病院の医師の方達からの報告にも、そして、被害者の声・存在も知って欲しいです。
2008.06.24
昨日の夕方のフジテレビのニュース番組の中で、大家族の家での新しい命の出産が特集されていた。9人目の出産だったのかな、10人目だったのかな、助産院での出産。最初は家事片手にながら見、だったのだが、ある場面から怒りに似た感情。堂々と、助産師自らが父親に「仕事だよ」というような誘導の元、父親が臍帯を切っていた。このブログを通じ、資格を持たない一般人が臍帯を切る、という行為は違法だと知った。テレビ局はそれを知らないで報道しているのか、だとしても、それは報道する以上、無知は無責任なだけだ。あと、以前に4人目以上か何人目からか、多産だと助産院での出産は控えるようにというような文言を目にした記憶がある。でも、今もネットで調べてみたけどみつからず、これは私の記憶違いだったかな?違法な行為を堂々とテレビで放映し、それがあたかも素晴らしいことのような印象を抱かせる。助産院を開業している人たちも、内診問題を違法行為だと言うのならば、自分たちに非があるのはどうおもうのだろうか。「それはそれ、これはこれ」と、簡単に片付けるのだろうか。臍帯を切りたがる家族がいるとしても、「それは違法行為なんだよ」と、きちんと言うべき。家族が臍帯を切るのは、違法だというのに。
2008.06.11
あぁ、非常にショック。一度書き込んだのに、何でだかエラーで反映されず気合入れて書いたのになぁ。気を取り直してもう一度…でも、時間がないので短めに…(本当、ショック)いつも拝見しているshy1221さんのブログ、S.Y.’s Blogの本日のお題目『へぇ~』と、ある産婦人科医のひとりごと『存亡の危機にある地域の産科医療供給体制』を読んで想うこと。行政で助産所の開設を資金援助して、助産所の新規開設を誘導することによって妊婦の受け入れ枠を増やし、何とか急場を乗り切ろうという動きも一部にあります。しかし、『地域内の助産所の数を増やせば、その分基幹病院の勤務医の負担が軽減する!』とは必ずしも言い切れません。場合によっては逆効果ということもあり得るかもしれません。行政側でこのような施策を決定する際に、『助産所からの母体搬送や新生児搬送を受ける立場にある産婦人科医、新生児科医の意見は十分に取り入れられたのか? 母児の安全性について少しは検討したのか? この問題について行政と医療関係者との間で十分な話し合いがあったのか?』というような点が少し気になります。(『ある産婦人科医のひとりごと』より引用)私も気になります。まず、助産院からの母体搬送は滅多にないこととおもっている・信じている・知らない人が殆どではないでしょうか。そして、『しんせいじはんそう』と聞いて、頭の中ですぐに変換出来る妊婦さんや産婦さんはかなり少なく、危機感はゼロに近いのが現実です。経験を人から聞くだけでは、想像は難しいようです。先日も、私の友人で妊娠→結婚に至った女性がいます。順番が違ったために、新婚旅行をしていません。その代わりでしょう、安定期に入り、先日は沖縄旅行に行っていました。彼女が妊娠初期の頃に、このブログで知ったことを話し、『安定期は安心期ではない』ということも話したし、飛行機に乗っている間は何があっても処置なんて出来ないし、陸地にいるからといって医療がすぐに施されることも難しく(ましてや沖縄…)、なるべく主治医のそばにいるようにと少々オーバーかとおもえるほどに話していたし、何より、琴子が亡くなった当時をよく知っていてくれていて、琴子の話を比較的よく出来る相手でもありましたから、私は勝手にガックシしていました。琴子が機上で亡くなっていたら、妊娠中の旅行をもっと真剣に考えたのかもしれませんね。幸い、彼女達夫婦は無事に帰宅し、今は真夏の予定日を待つばかりのようです。私自身、琴子の死がなければ、お産の悲しみを知らないままだったら、「出産前の、育児に縛られない気楽なうちに!」と、彼女の行動を支持していたでしょう。私が今でも自分を責めるのは、『病院で産んでいても死んだかもしれない』とおもっても尚、子の命を最優先したのか、自分に対しても疑問が残るからです。『確率の低さ』がどれほど甘い考えを生むか。自分が元気なら胎児も元気と、そう思い込んでいる人がどれほど多いか。それほど旅行が大事なことなのか、そんなに深く考えることもなく、自分の選択が胎児の命を天秤にかけてしまっている可能性も知らずにいる方も多いのではないでしょうか。勿論、旅行が全ての要因だなんておもってもいません。何もしていなくても、突然早期胎盤剥離におそわれ、児を亡くすことも、また、臍の緒が絡み、健診で無事だといわれた翌日に胎動を感じなくなり、児の死亡を知った等、避けようのない苦しみを知ったのも、多くの天使ちゃんのお話からです。でも、避けようがなかったと言われても、天使ママさんたちは口を揃えるようにして自分のそれまでの行動を責めたりしています。私はそれを知ったからこそ、これから出産する知人や友人達は、その複雑な母親の気持ちを知ることで、もっとお産について考えてくれるのではとおもうけれども、それは愚かな、幼稚な考えだったとも思い知りました。『そのまま自分にあてはまる』話でないと、なかなか難しいようです。行政や医療の方たちが話し合って納得しあったとしても、私たちにもっとお産が怖いといわれる所以を教えて欲しいです。行政や医療従事者の方たちからの話なら、影響力は絶大ではないでしょうか(反面、そこに責任を押し付けるということもあるのかもしれませんが…)『無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり』とソクラテス。確かにそうなのだろうけど、親もお産の怖さを知らずにいるようになった現代において、なかなかお産の怖さを知る・聞く機会は得られません。医療従事者並みに知識を得る必要はなく、教えるといっても範囲や表現が難しいこともあるかもしれませんが、今の状態では問題しか残らないというのは、私のような者でも感じています。母子手帳で配布するとか、母親学級で『不安を煽る』ではなくきちんと伝えるとか、それこそ、中学生くらいから教育の中に組み込むとか、もっと悲しいお産を公にして欲しいです。
2008.05.31
助産院を選択される方や、助産師の方に限ったわけではないけれども、『アロマテラピー』を大事にする方に出会うと、お線香を勧めたくなる。私の家では、2003年8月31日以来、家の中でお線香の香りが絶えない。最近では多くても日に3本くらい。『昔は』と言う助産院が多く、また、『アロマを用いて』とする助産院も多い。昔の日本、とりわけお産を昔に戻すことを望む方たちが何故、お線香ではなくてアロマなのか。マタニティヨガも、それを昔の人はしていたのだろうか。そんな時間もなく、農業や家事にと身体を動かしていただけではないだろうか。当然、自宅で産むのが当たり前だったのだろうが、母子が死ぬことも多かった。昔の家庭で香るお線香が誰を想ってのものだったのか、それはもしかしたら若くして亡くなった母親のためか、亡児へのものもあっただろう。私はそこまで深く“昔のお産”を知らないで、それでも人や本やテレビから“昔のお産”に魅了され、結果、亡児を想い、お線香を絶やさない。昔の人が望んでいた医療を知らず、ひたすらに医療から離れることこそが親の役目だと信じていたのだとおもう。毎朝、お線香の香りが家の中にただよう度に、琴子が死んだことを心に刻んでいる。私がどんなに笑っていても、琴子がどうして死んだのかを忘れることはない。やはり、私の選択が間違っていたのだ。私がもっと正しいことを知るべきだったし、“そんなつもりはなかった”とおもいつつ、どこかで得る情報の偏りに気が付くべきもまた、私だったのだ。
2008.05.23
琴子が死んでしまい、多くの天使ママさんとの出会いが私を救ってくれたのだけど、先日、その中の一人の天使ママさんと念願達成、会うことが出来ました。琴子よりも数ヶ月お兄ちゃんの天使君。ネットを彷徨っていたあの頃に、その天使君のママと知り合い、沢山助けてもらいました。出会ってから実際に顔を見て会えるまで、約5年かかりましたが、もっと前から友人だったような、天使ママと会うときって、とっても不思議な感じがします。天使君や琴子の話を当たり前のように出来て、その空間や時間が当たり前に得られるのは天使ママとしかもうなくて…だから、とっても嬉しいし、また、今でもお互いに苦しんでいる部分に触れ合うことが出来て、切ないのだけど、とにかく心地良いのです。琴子の名前を当たり前に口に出来るのは、このブログ(ネット)と家族と天使ママとだけ。狭いけど、大きい。最近、昔からの友人が「あの頃、なんて声を掛けてよいのかわからなかったから、何も言わないことを選択しちゃったことを恥じている」というようなことを言ってくれました。当時の私の複雑な心境はいくらか和らぎ、彼の苦しみも素直に受け入れられるようになったし、また、そうやって話してくれることがとっても嬉しかったです。
2008.05.07
すみません、なかなかブログ更新が出来ません…月2回くらいしかこれからも出来ないかもしれませんが、それでもこのブログが私の中心にありますので、続けていきたいとおもっています。また宜しくお願いします。※コメントの返信、メールの返信はすぐには出来ませんが、時間があるときに少しずつさせてください
2008.04.19
先日のGBSについて、ご意見くださった皆様、有難うございます。参考になる内容が多くありました。くださった皆さんに返事を書きたいのですが、時間があまりなく、後日に改められればとおもっております。普通の母ですがさんの教えてくださったブログされど 愛しき日々2005年5月16日の『お先まっくら、だけれども』更に、産婦人科医の言い分GBSって、いつ治療するのか?検査をしないことには、この可能性がどれほどあるのか、自分の子がどのような危険を抱えているか、回避する策があるのか等、知りようもないのだけど、検査をしていて陽性が出た場合、助産院や自宅出産は対象外となるはずですね。投薬が必ずしも必要ではないし、加療があるわけではないけれども、その必要性が生じた場合に、即座に切り替えられるように、その環境下で出産に挑むべきだと知りました。子供の人生は自分の人生以上に大きな存在です。自分がどこで産みたいかよりも、子供が死ぬかも・異常が起こるかもしれないということを基準にして考えてみて欲しいです。このように学ぶ機会を与えてくれて、みみさん、有難うございます。自己責任の気持ち、私も同じで理解できます。もうあの帰路には立ち戻ることが出来ないので、今のままで考えていくしかないですよね。でも、多くの方が、結果的に無事に済んだとなると、武勇伝のように語ってしまったり、人に話すことを控えたりしてしまうのに、みみさんはあえて自分からお話くださったのですから、凄いことだと想い、感謝しています。
2008.04.10
先日、当ブログ内のBBSにみみさんが書き込んでくださった内容より-※GBS検査読んでとっても気になったのが、こういうとき、どこで産むかを決めるのは、助産院の助産師なのでしょうか?みみさんは転院を望んだし、健診で通っていた病院の医師も「うちで産めば」と言ってくれて、だのに助産師が自らその病院に断りの連絡をする…?素朴な疑問ですが、GBS検査陽性の妊婦さんは、助産院での出産がそもそも、可なのでしょうか。特に治療を必要としないことが多いようですが、だからといって、医療から離れていくことが理想ではないと感じますし、日本助産師会が常々『安全を重視して』って言っていることと相反する助産師の指導だと感じます。助産師が『それほど危険なことではないけど、生まれた子に治療が必要な場合を考えて、最初から病院で産む方が良い』というような指導をするべきではないのでしょうか。それとも、助産院で扱っても良い症例なのでしょうか。で、『GBS検査 陽性 助産院』で検索したら、自然印生活というブログがありました。助産院でも扱って良いのかとおもえる内容もありますが、楽しい出産・楽しい育児のヒント!というブログでは、助産院での出産は難しくなるというような表記を目にしました。他、助産院のHPでは、『そんなに心配はいらないが、小児科のある産院での出産を勧めている』ときちんとありました。(余談になるけれども、こうやって方々を彷徨うと、“自然分娩は助産院や自宅で産むこと”ということに決っていて、病院での出産は、とにかく病院の敷地内に一歩でも入ったらその枠からは外れることになるようで…この植え付けは誰がしたのでしょうか、助産院が嘱託医をみつけることが難しいと問題になっているけれども、この図式を助産院自らが撤回しない限り、医療を否定しているところは嘱託医を求めることがそもそもの過ちとなりますよね、今日もまた矛盾を感じました)琴子が何事もなく無事に生きていたら、逆子の経膣分娩、それも足からだったけど、何も知らないまま、琴子に障碍も残らずに違う現在があったら、私も「だって、滅多に感染しないんでしょ、病院はやたらと検査してあえて不安にさせているんだよ、ある程度のことは自然なことなんだから、気にしないでいた方がいいよ」って言ってしまっていたのかもしれない。やたらと薬を出してくれとか、そういうことを言うつもりはありません。私は、医療=投薬・手術(切開)必須だとおもっていません。ただ、子供の死を、『稀なこと』とおもっていた私の身に起こった琴子の死、少数派に属すれば、それが100%の出来事となること等、琴子の死顔しか知らない私にとっては、どうやって産みたいかよりも、どうしたらより子供が安全に近付けるかが重要になっています。どこからを医療と言うべきなのか、色々な意見があるのだとおもいますが、私は助産院が医療の中にないというのは承知しつつも、こうやって助産師が医師のように判断するのは、医療の一部であるかのような錯覚を起こさせていると感じます。『助産師は正しい診断をしている』というような錯覚です。みみさんはそこまで助産師を信頼していなかったようですが、色々なブログや本、マスコミの紹介する話を見れば見るほど、そして、当時の私自身の心の中を思い出そうとすればするほど、助産師の立場を、私たち産む側も間違えているような気がしてなりません。みみさんは今回の出産に挑むにあたり、上のお子さんがいて、預ける先もなく、分娩の場所選びの際の条件の一つが、家族も泊まれることだったようです。上の子がいることが助産院選択の理由となる方は多くいらっしゃいますから、上の子も同室で入院できる病院がもっともっと増えてくれると良いのですが、かなり難しいのでしょうか…どなたかのお役に立てれば…子供を預かってもらったり送迎を頼んだりできるファミリーサポート(財団法人 女性労働協会)助産院が正しい説明をしているのか、どうして決定権を握っているのか、そればかりが気になっています。
2008.04.01
用あって、AMAZONで検索していたら、お産についての本を探していたわけでもないのに、なんででしょうかね、勝手に色々な本が紹介される中にみつけてしまいました…『新刊新書y 病院出産が子どもをおかしくする』病院出産が子どもをおかしくするよく見ると、出版は今年の1月…つい最近のことで、なんだか悲しい。図書館で探してみて、一応、読むつもりです。タイトルがあえて衝撃的に書かれているだけなんだと祈りたいのですが、そうだとしても、ちょっと酷過ぎます。助産院で生まれた琴子は、助産院だからこそ死んでしまったのですが、それでもきっと良いんでしょうね、この本の著者の方や出版に関わった方たちは。だって、琴子の死は痛くも痒くもないでしょうからね。医療が100%安全だとは言いませんし、助産院全てが安全を無視している、助産院で産んじゃ駄目だとは言いません。産む場所を選択する際に、搬送の問題や、妊娠中の母子の異常の診断諸々、不安を煽るからとせず、これから出産をするためにこそ、きちんとしっかりと伝えて欲しいという気持ちが強くあります。でも、本のタイトルは病院での出産を差別し、否定しています。本の内容でフォローしていることもあるのかもしれませんが、だとしたらどうしてタイトルをこうも刺激的にしなくちゃいけないのか、私たちを安全へと導くためではなく、1冊でも多く売れることしか考えられていないのではないかと、悲しくてたまりません。この出版社、『誰が日本の医療を殺すのか』誰が日本の医療を殺すのかも出版されているのです。(一時、売り切れになっていましたが、再版されたみたいで、また購入出来るようになっています)購読のお薦めとしては、こちらです。出版社は担当者任せってことなんでしょうかね。よくあることと言われそうですが、同じ出版社だというのが更に更に、悲しい。タイトルを目にしてからどんどんと悲しみが深まります…息苦しくなりそうですが、前述の本もきちんと読もうとおもいますので(後述の方、昨年中に読み終えているのに、感想を書くと言ったのに書いていないですね、お恥ずかしい。有限実行だよ、お母さん! と、琴子にちょっと叱られた気分です;;)、改めます。
2008.03.24
ちょっと前の内容になるのですが、毎日新聞の記事によるポンコツ研究日記~悩める産婦人科医のブログ~より、2008年2月27/助産師と超音波:行政とマスコミのダブルスタンダードを読みました。以前にもこのブログ内にて、助産師のエコー診断はどうなのかと、色々な方からご意見を頂きました。助産院では、普通にエコーがあります。ないところもあります。琴子を産んだ助産所にはありませんでした。携帯できるエコーもあるようで、自宅出産の場合は、よく用いられているようです。エコーで必ずしも、分娩前に全てが分かるわけではない。でも、事前に分かる異常に対し、分娩前から処置したり、選択肢を与えられたり、覚悟したり、準備したり…聞こえてくるお話があります。『生まれてくる子の全てを受け入れる』というのは、自然にこだわることの真髄ではないとおもいます。どんな結果でも、私たちは受け入れることから始まります。助産院や自宅で産むと決断すると、妊娠中の病院での健診は、義務化されて2回が多いようです。助産院で出産、その後にお子さんに異常があるという方が、「先天的なものなのか、分娩中の何かが問題なのか」ということで悩んでもいます。エコーが全てを解決するとは言いませんが、どうやらエコー診察の時間がじっくりとはなかったようです。何が後で自分を苦しめることになるかなんて、想像も出来ないことが多いです。色々と話を聞いても、「でも、大体の人が無事に済んでいるから」の一言で、あっさりと消え去ってしまうことも多くあります。その言葉はときには薬になるのかもしれませんが、毒になることもあるとおもいます。
2008.03.09
すみません、すっかりノロノロ更新ブログになってしまいました。インフルエンザはすっかり良くなりましたが、保育園は色々とお土産をくれますね、またリンズがコンコンと咳をしています。今日の夜7時からテレビ朝日で放映される小さな命スペシャル 「愛してるよ、カズ」君はママの宝物でした余命2カ月…小児がん7歳の生涯・涙の記録は、昨日からCMを何度か目にしているのですが、それだけでもう心が…涙も出てきます。お子さんを亡くされるのは辛い…幾つになっても、親を越して逝ってしまうのは辛いことだとおもいます。勿論、奥様を亡くされたりと、まだまだ生きているはずの年なのにと、辛いのは子供の死だけではないのですが、琴子の短い人生を一緒に経験したことで、ニュースを見ていても、お子さんの死を報せる内容には辛くて、複雑な涙をこらえてばかりです。多分、今夜の番組を私は見ません。見ることが出来そうもないです。お子さんが亡くなっていくその場までを放映されるようで、そのCMを見ただけで今日は一日、喪に服す気持ちです。カズ君の命がたくさんのことを教えてくれるというのに、きっと天国で琴子と仲良くしてくれているのに、ごめんね…見る勇気がないくせに、せめて紹介だけでもと…あぁ、天国には沢山の可愛くて愛しい子供たちがいるんですね…
2008.03.04
インフルエンザに罹った私に、心温まるコメントくださり、有難うございました。メールでも有難うございました。皆様にご心配頂き、それが薬になりまして、家族全員、元気に過ごせる日々を頂いております。本来なら、インフルエンザで寝込んでいた日々の間に確定申告の準備を終えるはずだったのですが、それが叶わず、今は病床中に終えられなかった仕事と共に、必死に準備に追われています。大したことはないはずなのに、貧乏は何故か暇がないんですよね。不思議です。我が家がA型に感染して免疫をつけた頃、「A型が終息に向かい、B型が流行り始めるかもしれない」という報道。私は今までが幸いだったのでしょう、家族にもインフルエンザに罹った人を持たず、私は一族を代表して、初めてのインフルエンザ患者となりました。実は、旦那もです。ですから、「こんなに節々が痛いなんて…」などと、いちいち驚いていました。また、家族全員が同時に発病した為、私は自分の熱を計ることもせずに、必死になっていましたので、高熱は出ていたのだろうけど、その苦しみが記憶に残ることがありませんでした。これは不幸中の幸いともいえるけど、二度とごめんだ…。昔に、知人が妊娠後期にインフルエンザに罹ってしまい、入院、点滴を受けたと聞いたことがありました。症状が悪化してそうなったのか、妊娠中に罹ると念のために入院させるのかは分かりませんが…確かに、インフルエンザは辛いですね、あの体の痛みは辛かった。布団並べてウンウン唸って、異様な光景だったとおもいます。過ぎ去れば…で、今は鼻水と咳も殆ど出なくなりましたし、思い出化していますが、うがいと手洗いをもっとしっかりとしようと、心掛けております。ご心配くださり、有難うございました。またこれからも宜しくお願いします。
2008.02.27
2月はリンズの保育園土産が多く、胃腸炎やらに私も感染した上に、先日からは家族揃ってインフルエンザA型に感染しました。リンズからのお土産では文句も言えず…久々のキーボードが重く、今日はリハビリです。皆さんから頂いている書き込みも、いつも以上に読解力がなく、返事はもう数日時間を頂きたい。だいぶ良くなっていますので、日常生活もすぐに取り戻せそうですが、荒れ果てた部屋の掃除と溜まった洗濯物、やっつけないといけないことが山積です。皆様はお元気でありますように…
2008.02.21
時々、このブログを読んでの感想を頂いております。どんな内容でも、殆どの方が琴子のことを忘れないと書き添えてくださいます。それが何よりも嬉しいことです。「生きていて良かった!」とおもえる瞬間そのものです。琴子の亡骸を抱きながら、助産院から帰る車の中で「このまま死のうよ」と旦那に頼んだ私がそうおもうのですから、とても嬉しい瞬間なのです。琴子や私だけじゃなく、小さいままに死んでしまった子供たち、特に戸籍に載せてもらえない子供たちの親には、「早く忘れなさい」とよく言われています。私もよく言われました。それは善意なのかもしれないけれども、実はとても厄介な善意でして、忘れられるわけない親の想いや切なさの全てを否定されているような心境になります。でも、私にメールで励ましをくださる方や、このブログに書き込んでくださる方たちの「琴子ちゃんは私の中で生きています」という言葉を目にすると、琴子が誇らしげに笑っているような気がして、とっても嬉しくなります。皆さんの中での琴子は笑っていますか?会いたいなぁ。皆さんの中にいる琴子にも会いたい。助産院を選択したことで亡くなってしまったけれども、今は楽しそうにしていますか?琴子を忘れないとくださる皆様に感謝しています。有難うございます。
2008.02.14
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