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1※いまお悩みがあれば、こちら、からどうぞ。【無料相談×診断】2※KillerCoil無料メルマガ登録はいますぐこちらへ。【キラーコイルの秘密】【amazon「つばさ」による織田隆弘レビューまとめ】2008-2010にかけて織田隆弘を検討したが、手元に残したのは『密教問答上下』と『密教は神々をも救う』の計3冊だった。さて、織田隆弘については最初、病気治療をどうしているのか、そういう観点からの精査が目的だった。しかし、一神教的な大日如来信仰には至らず、手の内拝見的意味合いの強い検討でしかなかった。一体、加持祈祷で何をするのか、と。所詮、大日如来という虎の威を借りて力的に同体化、憑依化して、そのパワーで被施療者に力を付与する、と。わざわざ、そういう加持をしなくても、エネルギー誘導は別手段でできるのではないか、と。こちらが今相手にしているのは石のパワーが通用する範囲内というまでのことで、難病奇病については、大日如来パワーを拝借するような事例に遭遇していない。いまどきは、派手なパフォーマンスがないと目立たないというまでのことで、宣伝宗教にならないと、俗受けしないという広告限界がある。2014に79歳で織田和尚はご逝去。山伏修験の色のついて真言行者の池口恵観を厳しく外道系の外護摩として批判している。外道系は俗受けしやすく目立つことをしがちとなる。そのため、世人の眼がそちらにいきやすい。以下、「つばさ」による織田隆弘本のレビュー群。-----------------------------------【誰も書かなかった密教祈祷の秘密 単行本 – 1986/7/1 】つばさ5つ星のうち5.0 誰でもできる「加持」伝法の書2016年4月9日に日本でレビュー済み密教の「加持」といえば、威勢良く太鼓を打ち鳴らし、盛大に護摩の炎を上げ、大声で真言をがなり立てる。そんなイメージが一般的ではないないだろうか。しかし、この本の著者・織田隆弘師の加持は、実に静かな祈りだった。「大日如来の大悲の祈りがすでに一切衆生に及んでいる(加)、それを素直に信じ、受け頂く(持)」。弘法大師空海が「即身成仏義」などに説かれた、「加は如来の大悲、持は衆生の信心」という教えをそのままに実践する以外、師の加持にはタネも仕掛けも無い。真言密教では、この宇宙いっぱいに満ち満ちている大いなる智慧と慈悲の源泉を法身仏・大日如来として仰ぐ。大日如来はまた、わたしたち一切衆生を包み生かしている生命そのものでもある。その働きを地水火風空識の六つに分けて 「六大」とし、この六つが互いに妨げるもの無く融け合って(六大無礙)、無始無終に生成発展しているのが、宇宙の実相であると説く。六大即ち、大日如来であり、わたしたちの身体と心も、六大で成り立っている。つまり、仏と我、我と彼の命はひとつにつながっているから、時空を超えて加持の祈りは速疾に通じる。そこに、効験があるのは、人為を超えた自然法爾の働きである。また、真言密教の根本経典の1つ「大日経」(摩訶毘盧遮那成仏神変加持経)に「真言救世者」とも説く。「おんあびらうんけん」の大日如来真言そのものが、あらゆる功徳の成就した仏さまの祈りの言葉であるだけでなく、真言=如来さまだと教えられているのだ。これらの経証に立脚する隆弘師の加持門であるから、力みなど不要。師が絶対他力の真言易行道を提唱された所以である。いや、本来、弘法大師が伝来された真言加持のシンプルな姿が、こうだったのではないかと思う。一般に用いられる「加持祈祷」という言い方よりも、隆弘師は、ただ「加持」と称される場合が多かった。分かりやすくするために「祈祷」の語を付けることはあるが、それではどこか行者の法力、修力といった、ちっぽけな「自力」のニュアンスがついてしまう。加持は自力の計らいを遥かに超えた、法爾自然=ほうにじねん=の働きなのだ。お大師さまの時代も、ただ加持と称されていたようである。この本には、加持を実修するさいの坐り方、真言の唱え方、心の運び方などの三密が図解入りで懇切に説かれており、まさに「伝法」の書である。加持は誰にもできる。加持は救世の光明。志ある全ての僧・俗にお薦めしたい。もっと少なく読む24人のお客様がこれが役に立ったと考えています---------------------------【密教の門 単行本 – 1987/9/1】つばさ5つ星のうち5.0 密教入門はお釈迦さまの教えから2016年8月21日に日本でレビュー済みこの本の筆者、織田隆弘師は、高野山真言宗の高僧(傳燈大阿闍梨・大僧正)です。真言密教は、弘法大師空海が1200年前に唐から伝えた三国伝来の教え。隆弘師は、その哲理に立った「加持」を現代に蘇らせた業績で知られた名僧です。隆弘師は、お大師さまの教法に則った三密瑜伽加持の施法によって難病に苦しむ多くの人たちを救いました。それと同時に、密教、仏教に名を借りた、正しくない宗教者や宗教団体に関して警鐘を鳴らし続けた人でもあります。この本には、真言密教の基本的なことがわかりやすくまとめてあります。しかし、それだけではありません。隆弘師は、まさに、生ける不動明王のごとく、破邪顕正の剣(ペン)を生涯にわたって振るい続けた人でした。この本も例外ではありません。「疑似仏教」という一節を設け、一般の人には正邪の判断がつきにくい事柄をあげて、こんな宗教は要注意、として典型的な例をいくつか列記しています。要点のみまとめますと⚫️霊魂がいつも現実世界に影響を及ぼし、病気や不運・不幸の原因になっている、と説く。つまり先祖や有縁の人の不成仏霊が障りとなっている、というもの。(仏教では、肉体が滅びた後も永続するような、真我としての霊魂の存在を説きません。仏教は、良い意味でも悪い意味でも「自業自得」の教えです。不幸に遭って、自分の悪業に懺悔もせずに、ご先祖様のせいにすなど、とんでもない失礼な話です。⚫️人の幸不幸は、守護霊によるとするもの。(人の霊魂に求めずとも、正しく仏様の教えを守る人は、仏法を守護する善神が必ず守ってくださると教えられています)⚫️土地の方位方角に吉凶があり、幸不幸の原因とする。⚫️或る日突然、霊感を得たという教祖が多い。(諸行無常=すべてのものが因縁によって移り変わる=、諸法無我=あらゆるものが関わり合っており、単独で存在するものは一つもない=など、普遍的な真理に気づいたお方がお釈迦さま。お釈迦さまが、こしらえた教えではありません。ましてや、どこかの誰かが突然ひらめいたような教えとは……)⚫️お釈迦さま以外持っていない宿命通、天眼通等の神通力を体得しているという教祖が多い。⚫️霊能者になることを目的とする宗教もある。お告げをするのは鬼神の類。信じれば信じるほど、迷いの泥沼にはまる。如来や菩薩はお告げなどしない。※( )内の注釈は、この本や隆弘師の別の著書などから、つばさか補いました。密教は確かに神秘的な力を持っていますが、それ故にこそ、現世利益の甘い汁に引き寄せられたり、タナボタ式のご利益を餌にして、宗教に無知な人たちを食い物にする似非密教が、後を絶たない現場を、隆弘師は正統派の責任感、正義感から見過ごすことができなかったのでしょう。この本には、密教に入門する前提としてぜひ知っておきたい、お釈迦さまの仏教の基本中の基本である「八正道」「三法印」「四諦」「十善戒」「懺悔滅罪」といった項目に、多くの紙幅を費やしています。「そーゆー地味な事はいいから、早く秘密の印契とか真言を授けてよ」と言う人が、もっとも鬼神に取り憑かれ易い人です。隆弘師の創設した「密門会」の講習会はほとんどいつも、仏教聖典を持参させ、十善戒、三法印などから、おさらいするそうです。隆弘師は、檀信徒に「一番大事なお経は何ですか?」と聞かれると「懺悔文=さんげもん=です」と答えるのが常だったようです。後継者の織田隆深師も「密教は力があるだけに、悪用できてしまうので怖い」と言っておられます。仏教の最高至極の法門である真言密教を習いたい人はお坊さんも在家の人も、菩提心第一であることを、隆弘師の著書はいつも教えてくれます。もっと少なく読む3人のお客様がこれが役に立ったと考えています---------------------------------【これが密教だ―奇跡の法力と信仰の原点 新書 – 1985/3/1】つばさ5つ星のうち5.0 コンパクトで内容の充実した密教入門の書2016年4月29日に日本でレビュー済みこの本は、密教入門に最適な解説書だと思います。コンパクトな、薄めの本ですが、真言密教以外の各宗派の概略、密教の仏様の種類(如来、菩薩、明王、天部)から、誰でもできる加持の実習法まで、盛りだくさんな内容がぎゅっと詰まっているのです。十三宗派の成立年代と開祖、教えの内容が、ごく簡略ながらまとめられていて、その中で真言宗(平安時代に空海が唐から伝来した、唯一の密教専門宗派)の位置づけがよくわかります。曼荼羅によって、密教には様々な如来や菩薩がおられることは、よく知られていることだと思います。その他に、元は異教の神々を仏法の守護神として位置づけた「天部」というグループがあり、聖天、弁才天、大黒天、毘沙門天などがよく知られています。天部は現世利益の祈願に霊験あらたかである反面「供養が不十分であると法罰があたるともいわれています。世の中には理外の理というものは実在するものです」という説明は、聖天尊や龍神などを勧請して漁師の大漁祈願などを引き受けた経験から出た言葉でしょう。天部を本尊とした祈願は、瑜伽加持の静かな禅定によらなくても、祈る心の誠が通じれば叶うものだそうです。こうした力のある、目に見えない存在を、祈りを通じて知っているのも、密教の阿闍梨様だからこその経験であり、顕教のお坊さんにはわからない世界ではないかと思います。加持、特に自身の健康を招くための加持の実修法には、多めにページを使っています。簡単な行次第とともに、三密についても、簡にして要を得た説明があります。三密は、心と体の働きを統合して、宇宙いっぱいにみなぎる大生命であり、智慧と慈悲の源である法身仏・大日如来と一つに溶け合うための三つのポイントです。この本では、身密=坐禅の姿で坐り、法界定印(密教では左の手のひらの上に右の手のひらを重ね、両方の親指は立て合わせて、宝珠の形を作る。この宝珠の中に宇宙が収まっている。口密=大日如来の真言「おんあびらうんけん」を唱える。意密=如来のあたえてくださっている大悲(加)を信じる(持)。真言は千返以上。大日如来の仏像や仏画、お札の前が一番よい。「だんだん心身の調和が円満になって、素晴らしい力がみなぎり天寿をまっとうすることができる」と筆者は説いています。繰り返し実修して習熟することが大切だそうです。できれば真言宗のお寺に良いお坊さんを見つけて、直接指導してもらうことが望ましいと思います。もっと少なく読む11人のお客様がこれが役に立ったと考えています---------------------------------【正純密教入門 単行本 – 1993/9/1】つばさ5つ星のうち5.0 「真言加持」の奥義を公開!2016年4月25日に日本でレビュー済みこの本は、高野山真言宗の高僧(傳燈大阿闍梨・大僧正)であり、「加持」の達人として知られた織田隆弘師が、主に欧米の人たちに「ESOTERIC BUDDHISM」(秘密仏教)を理解してもらうために、噛んで含めるように、わかりやすく書いた入門書です。隆弘師の薫陶を受けたアメリカ人の尼僧・慧光ノーブル師が英訳に助力されました。そのベースとなった日本語版が、この本 だそうです。異なる文化圏に属する人たちに向けて書かれてた本ですから、とってもわかりやすい!まずは、お釈迦様の仏教の基礎から、やさしく説き起こしています。「インドで紀元前六世紀に仏教を創始したお方は釈迦牟尼であり、彼は仏陀と呼ばれ、悟りを開き、次のような真理を発見された」。すなわち「宇宙そのものが智慧である。この智慧から様々な創造力が生まれる。これらの創造力は絶えず相互に作用しあい、新しい状態をつくり出す。この絶えざる更新も、 全宇宙そのものを変化させている」ここまでは、お釈迦様の悟りの内容から直接引き出せる真理だと思いますが、次の段落から密教の核心「六大縁起」へと展開します。「宇宙は、地、水、火、風、空、識という六つの働きから成っている。これらの働きは、相互に妨げることなく作用しあい、宇宙のあらゆる現象を起こす。この調和した創造力には始めも終わりもない。それは間断なく常に流れている。それは無限の意味と理性に満ちている」原始仏教の始まりから、それ以降の「あらゆる教えを包含」した密教への発展まで、およそ千年の歴史を概観しています。カルマ(業)の「因果は、生活のあらゆる出来事の中に含まれており、残る業、すなわち宿業は、貴方についている業である」。この、過去・現在・未来へと続いていく宿業こそ、お釈迦様の発見であり、ゆえに、悪因苦果、善因楽果、自業自得の真理を説かれました。「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意」=悪いことはやめなさい、善いこをたくさんしなさい、自分の心を清らかに保ちなさい。これが、お釈迦様も含めて、過去に七人お生まれになったと伝えられる、覚者(仏陀)の共通の教え=七仏通戒偈、しちぶつつうかいげ=であり、苦界から脱出する羅針盤です。タイトルの「正純密教」(純密)とは、真言密教の根幹をなす「大日経」「金剛頂経」に直接体系づけられた密教を指し、「何度も死んだり生まれたりを繰り返さなくても、生きているこの身のままで、覚りを得て仏になる」(即身成仏)という教えをメインにしています。教主は、真理そのものを人格的に表現した「大日如来」という、宇宙大のスケールを持った仏さまです。これに対して「雑部密教」(雑密)がありますが、それは別に「不純な密教」という意味ではなく、胎蔵界=大日経が説く教え、金剛界=金剛頂経が説く教え (金胎両部の大法)に体系付けられていない密教という意味です。ただし、即身成仏の覚りを稲穂に例え、直接稲穂を求めるのが純密、その他の現世利益を藁しべに例え、藁を与えて満足させながら、覚りへとを導いていくのが雑密という説明もあります。隆弘師が唱導された真言密教の加持門は、単に病気治しの施術ではなく、大日如来の大悲に円融する、成仏神変加持の行証です。故に正純密教の正系というわけです。現身に即身成仏を証するが故に、難病も癒えるのであって、師が特別変わっているわけではないと思います。加持を忘れて形骸化した密教こそ、お大師さまが悲しまれることでしょう。この本の凄さは、本来なら隆弘師が創設された「密門会」で学ぶ人にだけ公開されていた加持の次第書「真言念誦行次第」(この本では138ページから「加持勤行の次第」)の要、胎蔵界大日如来の真言「おんあびらうんけん」を少なくとも1000返、繰り返すことになっている「正念誦」(しょうねんじゅ)」中の観想の内容が、掲載されていることです(151ページ)。隆弘師が長年の苦心の末にたどり着いた「真言易行道」の極意が、惜しみなく公開されているのです。資格のない者が、分不相応に密教の法を盗み取ったり、人に教えたりすることを「越三昧耶」(おつさんまや)と言って、密教では罪となります。逆に、人の助けになる法を、けん吝=ケチって教えないことも罪になるのです。なので、大略のみ記してみます。観想…宇宙一切は六大、我も六大なり。六大一実の体は大日如来なり。六大無礙の生命いっぱいなり。略大日如来様と同じ生命をいただいていることに想いを致し、如来大悲に包まれていることに深く感謝をしながら、真言を誦えます。一一それだけと言ってしまえば、それだけのことですが、隆弘師の「加持」の種も仕掛けも、実はこの観想=如来大悲の「加」を信じて持する「持」の中にあるのです。僧侶用の特別な行法次第が他にあるわけではなく、この経本一冊で(本では護身法を除いてます) 、僧侶も在家も加持を信修していると聞いています。習熟すれば、難病者を救うことも、除災招福等の現世利益の祈りも、心配なく果たすことができると、隆弘師 はその著書などで述べられています。覚りとはほとんど関係のない煩瑣な事相の薀蓄合戦を好む「密教マニア」には、面白みのない法門かもしれません。真言密教の三密瑜伽法はすべてそうですが、この法が目指すところも、あくまで「即身成仏」であることを忘れないでください。密教は、書物のみでは、完全に学ぶ事はできません。インターネットにどんな秘印や真言が公開されていても、それを見て形を真似ただけでは、三密瑜伽には入れません。文字に書かない口伝もあります。あまり摩訶不思議な現象に囚われると、鬼魔が寄ってくることもあるようです。志のある人はぜひ、良い真言寺院や僧侶を探し訪ねて、この本を持参し、直接教わるのが良いと思います。数珠を爪繰って真言の数を取る方法なども、教わっておきましょう。もちろん、密門会に直接問い合わせても、歓迎してくれると思います。菩提心が第一だと思います。もっと少なく読む29人のお客様がこれが役に立ったと考えています---------------------------------【信仰に迷わぬ百問答 単行本 – 2008/11/1 】つばさ5つ星のうち5.0 「霊魂説の迷いにサヨナラ!2016年4月17日に日本でレビュー済みこの本に最初のレビューを書いておられる「jayhawk」さんに全く同感です。お釈迦様は、肉体が滅んだあとも、永遠に残るような「真我」としての霊魂説を否定されました。霊魂がないのだから、不運、災難、病苦などの原因を、浮かばれずに迷っている先祖の霊のせいだとか、障りだとか言う説は、「仏教」を名乗る宗教である以上、土台から成り立たないことが明らかです。また、霊魂説は、諸行無常 諸法無我 涅槃寂静という、正しい仏教の 三つの真理「三法印」とも、合致しません。わたしも、隆弘師のこの本を読んで、目から鱗が落ちました。例えばこんな問答です。問「守護霊はどういうものですか」答「守護霊というものは、別に仏教では説いておりません」問「心霊の世界はあるのですか」答「我々の悟りには関係のないことです。略。本来の仏教からいえば、そういうことはむしろ説かないのが本当の道」問「霊が見えることがありますか」答「霊魂が見えるとか、仏が見えるとかはいうのは一番危険なことで、仏教では絶対にそういうことは許しません」正しく仏教を信ずる人には求めずして仏法守護の神々が守ってくださいます。また、亡くなった人の強い執念が一時的に姿形をとることがあると聞きますが、それは永続的なものではありません。また、心霊現象に気をとられていると、魔物の類がいたずらをして、姿形を亡き人や神仏に似せ、惑わすことあると、隆弘師は常に警告しておられました。霊魂は説かないけれども、仏教では「業」を説きます。業とは、身体で行う行為(身)、しゃべった言葉(語)、考えたこと(意)が、善悪こもごもの影響を残して続いていくことで、輪廻の方向性を決めていくものだそうです。この本であれば 90ページ〜。または、師の他の著書もご参照ください。業の輪廻は、固定的な一人格が、肉体の衣を次々に着替えていくイメージとは違うようです。悪業の解消は仏教の大問題で、隆弘師は「在家の勤行で大切なお経は?」の質問に「一番よいのは懺悔文(さんげもん)」と述べられています。133ページ。その一つ前の質問に、業の消し方と言うのがあって隆弘師は「自ら懺悔することです。略。(業は)仏様でも取ってはくれません」と答えています。そしで、同ページに懺悔文。我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴従身語意之所生 一切我今皆懺悔がしゃくしょぞう、しょあくごう、かいゆうむし、とんじんち、じゅうしんごい、ししょしょう、いっさいがこん、かいさんげ貪・瞋・痴は、むさぼり、いかり、おろかしさ。自他を苦しめる「三毒」です。節をつけずに、そのまま声に出して、ほぼ棒読みでいいのです。あるいはネット検索で音源があるかもしれません。真言宗他、用いる宗派は多いようですから、菩提寺の和尚さんに問い合わせてみるのも一法です。密教の仏さまは皆、災難除けをしてくださいますし、密教には除災招福の法がいろいろあります。ただし、仏教ですから、善因楽果 悪因苦果、自業自得の真理は変わりません。でも大丈夫です。懺悔には、力があります。お大師さまは「大日経開題」の中で「懺悔の力を以って速やかに不善の網を絶ち」早く覚りの道へ進みなさい、と説き、曹洞宗の祖・道元禅師も「修証義」の中で、懺悔すれぱ必ず「冥助(目に見えない助け)がある」と教えておられます。この本を読んだら、もう脅迫的な教えに惑わされる事はありません。霊魂説と業の他にも、正しい先祖供養、お仏壇・お墓のことや、戒名のことなど仏事何でも相談的な本ですから、一冊手元に置いて、興味のある所だけその都度読めばきっと参考になります。もっと少なく読む7人のお客様がこれが役に立ったと考えています---------------------------------【加持を語る 単行本 – 2014/12/31 】つばさ5つ星のうち5.0 加持の鍵は「信じる」こと2016年4月16日に日本でレビュー済みAmazonで購入この本のタイトル「加持を語る」は、真言宗の僧侶方を対象に行った講習会の講義録です。織田隆弘師が最も情熱を込めて語ったのは「信じること」の大切さであるように思います。「何を信心するのか。如来の加持です」(86ページ)。「信を以って成就するということを大師さまは重ね重ねお書きになっている」「如来の加持カに感謝。有難いという、感謝の心があればいい 」(89ページ)。多くの真言の結語に付いている「ソワカ」は「成就されている」という意味。「ここが大事なんですな。これは成就させて下さい、じゃないんだ」(74ページ)。「ソワカ。成就した。病気が治った治った。略。治るかな治らないかなと思ったら、治るのも遅い」(75〜76ページ)お大師さまも「大日経」の解説書の中で、よく戒律を守る人、勉強する人、座禅をする人などが喜びを得るのではなく、「若し信を生ずる者あらば歓喜を得ん」と説いておられます。(79ページ)。「信」の一文字の中に、隆弘師の卓越した加持カの鍵があるようです。それは、加持を頂く側も一緒なのでしょう。もっと少なく読む6人のお客様がこれが役に立ったと考えています------------------------------------【加持の説法―大日如来の命に帰る 単行本 – 2005/12/1 】つばさ5つ星のうち5.0 達人が加持施法中に語った言葉2016年4月14日に日本でレビュー済み1人の真言僧が、密壇を前に坐っています。須弥壇には諸仏・諸菩薩像。そして、僧の後ろには、多くの信者さんが坐っています。病で苦しむ人、人生の問題に悩む人…いろいろでしょう。大日如来真言「おんあびらうんけん」を一同で何度も繰り返し念誦した後、僧は静慮に入り、沈黙が訪れます。やがて、僧は本尊の方を向いたまま、静かに語り始めます。僧は加持の達人、織田隆弘師です。密教の修法中に観想しながら、加持の受者らに語りかける。そんな事ができるのも、熟達した阿闍梨であればこそ、可能な事なのでしょう。達人の加持三昧から流れ出た言葉を説法集にまとめたのが、この本だそうです。「病めるがゆえに仏さまのお慈悲に求める。この心が一番の仏縁」「正座をして教えの如く心を落ち着ける。治るという、感謝の心に専注する」「いわゆる悟り、目覚めが、われわれの病に対する大きな治癒力となる」「感謝の心は健康の心である。不満と怒りは病的な心である。病的な心は体の病も引く。健康な心は、肉体の健康も招く」…等々。CDの付録も付いていて、法話の一部を隆弘師の肉声で聴くことができます。加持施法の現場に居合わせたような気分になります。もっと少なく読む6人のお客様がこれが役に立ったと考えています------------------------------【加持の力 単行本 – 2012/12/1 】つばさ5つ星のうち5.0 如来大悲を信じて持する2016年4月10日に日本でレビュー済み「真言密教の加持って、どんなもの? 何か神秘的で、秘密がありそう」と思う人も多いでしょう。この本の強者・織田隆弘師は 、弘法大師伝来の加持を現代に蘇らせた人として知られていますが、P77に「如来の大悲を信じて 持する、これが私の加持祈祷の手品の種なのです。この他には何もない」と明かされています。また、お大師さまの「大日経開題」や「即身成仏義」から言葉を引いて「加」とは「如来の大悲」を言い、「持」とは「衆生の信心」を言う、と、自説の根拠も示されました。加持の実修については、隆弘師の「密教祈祷の秘密」「難病を救う真言密教」(いずれも密門会出版部刊)をご参照下さい。それによりますと、本当に、唱える主な真言は胎蔵界大日如来の「おんあびらうんけん」ひとつですし、印も坐禅の姿で、おなかのところで、法界定印をゆるりと結ぶのが基本です。「何やらものすごい秘密」を期待する人には拍子抜けするような簡潔な行次第になっています。複雑な印や煩瑣な作法から、ひとの病を救うと言う大きな力が発するわけではないようなのです。大日如来といえば、宇宙の森羅万象を包摂する無限の智慧と慈悲の象徴、一切衆生を自分と同じ「大日如来という仏様にする」ことが、この仏さまの誓願だそうです。P20。あまりに広大無辺なスケールの仏様なので、教え通り素直に加持法を行う行者さんが少なかったのではないかと思われます。しかし、実はあらゆる 命と最も近しい仏様であることを、隆弘師が証明されました。もっと少なく読む11人のお客様がこれが役に立ったと考えています-------------------------------------【難病を救う真言密教―密教の哲理と加持力の実証 単行本 – 1990/12/1 】つばさ5つ星のうち5.0 「加持」が成り立つ原理と真言密教の宇宙観2016年5月3日に日本でレビュー済み最初のレビューを書かれた「和田明彦」さんのおっしゃる通り、密教のお坊さんが読んでも「目から鱗」の本だと思います。お坊さんにも、ぜひ読んてほしいと思います。この本のタイトルにあるように、真言密教に「難病を救う」程の力があるとは、気づいていないお坊さんが結構おられるのではないかと思うからです。以前、信者さんに加持の効果について質問された若いお坊さんが「 安心(あんじん)のためですよ」 と答えるのを側で聞きました。筆者の織田隆弘師は常々、「(病気等で困って)救ってください、という人がいれば、救わなければならない。(真言僧なのに)それができないならば、衣を着ている甲斐がない」と、いろいろな本の中で述べておられます。この本は、弘法大師の教えに照らして、真言密教の「加持」によって病人を救済することが奇跡でも何でもないことを見事に解き明かしています。まず「密教では宇宙の本質たる大生命を六大一実の体とし、これを人格的に大日如来と申し上げる」とあります。六大とは「地水火風空」という物質的な働き+心の働きである「識」を指します。この六つが混然一体となって、生き物の命も含む宇宙の森羅万象を織り成して休むことなく生成発展していると説きます。これを「六大縁起論」といって、真言密教の教えの中核をなすものです。六大は私たち人間を健康に生かしている自然の働きであり、同時に、それを包んで生き通しに生きている大日如来の大きな生命でもあります。大日如来の本質は、ただの生命ではありません。この大生命には、無限の智慧と慈悲があると考えられています。病気と言うのは、六大のバランスが崩れた状態です。これが崩れたとき、いつもは健全に働いている自然治癒力も、弱まってしまいます。そこでいよいよ「加持」の出番です。加持は、密教独特の祈りの方法で、如来様がいつも与えてくださっている生命力の「加」を素直に信じ、感謝して受け頂く「持」によって、人知を超えた力が湧き出してくると教えられています。では、どうやって「加持」の祈りをするのでしょう?「加持」は、詳しく言えば「三密加持」と呼ばれ、さらに詳しくは「三密瑜伽加持」となります。瑜伽(ゆが)=ヨガと同源の梵語(サンスクリット)で、「一致させる、相応させる」といった意味です。何を一致させるのかと言うと、これぞまさに密教だけが持つ祈りの形です。祈る人は、とりあえずお坊さんとしておきましょう。「身」=手指に仏様の祈りのサインを表す印を結びます。「口」=仏様の祈りの言葉である真言を誦じます。「意」=仏様の大慈悲心に感謝をし(観想)、そこに心を落ち着けます。身・口・意は、人と仏それぞれに備わっている機能の代表です。人は普段、言動と心はなかなか一致しなくて、てんでに働いています(三業)。お坊さんだってそうです。加持施法において、この三つの働きを統御し、仏様の力を借りて、仏様の三密と、お坊さんの三業は一つに融合します。もはやお坊さんは仏様になりきっています。三密が瑜伽して、仏様の大慈悲心の「加」をしっかりと「持」する境地(三昧)が完成しています。お坊さんは、仏様の慈悲三昧に心を据えたまま、加持の受者、病人を心の中に思い浮かべます(観想)。なんとなく、病人の病んでいる箇所が感じられるのは、この時です。お坊さんと、仏様と、病人は、六大を通じて同じ命を共有しているので、加持の祈りは、遠近に関係なく、時空も越えて速やかに相手に届きます。「瑜伽加持により全身治癒力が盛んになり、細胞が復活力を増すことになり」病気に打ち勝つ力を最大限に引き出すことになるのです。弘法大師は「即身成仏義」の中で、この事象について「六大無礙にして常に瑜伽なり」とされ、さらに「三密加持すれば速疾に顕わる」と説かれています。真言密教の哲理によれば、難病を助けることも、特別不思議なことではないのです。弘法大師空海が既に1200年前に、そう教えてくださっています。加持は、もちろん自分で行って、自らの健康を増進することもできます。この本には、加持が成り立つ原理のほかに、病気が起きる原因の分析、初心者が自分で行う加持の次第、織田隆弘師が加持した難病の快癒実例などが、詳しく盛り込まれています。「加持」という真言宗の教えの根幹を解説しながら、生命の神秘や真言密教が説く宇宙観まで、深甚なテーマについて考えさせてくれます。もっと少なく読む-----------------------------【密教問答〈上〉―織田隆弘師に聞く 単行本 – 1995/12/1】つばさ5つ星のうち5.0 南無阿弥陀仏からヒントをつかむ⁉︎2016年4月13日に日本でレビュー済み織田隆弘師が、お弟子さんの赤坂隆証師の質問に答える問答集です。他にも、隆弘師の奥様へのインタビュー、ご長男の隆深師らも話に絡み、賑やかな一風変わった仏教書になっています。隆弘師のお加持といえば、真言は「おんあびらうんけん」。大日如来の大慈悲「加」を、信じて持する「持」に言い尽くされますが、高野山で修行を始めた頃は、お不動さまを拝む、力の入った加持だったそうです。真言密教の総本山にも、単なる作法ではなく、本当に「効験」を証する加持を教える師はなく、手探り状態で始められたというのです。「のうまくさんまんだ…」の勇ましい不動慈救咒で加持しても、それなりの効果はあったそうですが、力んでするため疲れてしまいます。その後、東京の寺の住職になりますが、米軍の空襲によって東京の街もお寺も灰燼に帰します。世の儚さを感じて、自然に口をついて出たのは、密教の真言ではなく、南無阿弥陀仏の念仏でした。真言のお坊さんが。経本も失って、南無阿弥陀仏。気の毒に思った浄土真宗の信者さんが、余っている真宗聖典をプレゼントしてくれました。「阿弥陀如来とは自然法爾=じねんほうに=のことなり」。親鸞聖人の言葉に「じんときた」そうです。結局これがヒントになりました。 大日如来の大慈悲にそのまま、自然のままにお任せする、他力易行の加持を体得したのです。この本の終盤、隆弘師と、ご長男の隆深師との父子論争⁇も面白いです。「おんあびらうんけん」の「おん」=帰依を表す言葉で、南無と同じ=を省略できるかどうか。304ページから。隆深師「阿弥陀仏だけを言わない」隆弘師「到ればね、もう南無は要らない」隆深師「いや、到っても南無阿弥陀仏」密教の阿字観では、五字明=みょう、真言=として「あびらうんけん」だけを百返唱えます。もちろん両先生ともそんなことは先刻ご承知の上で、譲りません。率直に言い合える親子関係が素敵です。もっと少なく読むカスタマー画像3人のお客様がこれが役に立ったと考えています-----------------------------【密教問答 下巻―織田隆弘師に聞く 単行本 – 1996/5/31 】つばさ5つ星のうち5.0 お弟子さんの質問が面白過ぎる!2016年10月22日に日本でレビュー済み弘法大師伝来の真言密教の加持を正しく現代に蘇らせた高僧(伝燈大阿闍梨、大僧正)として知られる織田隆弘師が、お弟子さんと興味深い問答を展開する、その後編です。新しく仏像を買い求めたようなとき、お坊さんに頼んで「開眼供養」をしてもらいます。俗に言う「お性根入れ」「お御霊入れ」です。仏像に魂を封じ込めるようなものではない、と上巻で答えた織田師に、質問者はさらにツッコミます。「何か意味はないのですか」織田師は、開眼は作法であり、物事には順序が必要だと答えます。そして、きちんと開眼供養した仏像には、「邪気が入る隙がない」と答えます。ライブ感覚あふれる師弟のやり取りだからこそ引き出せる、練達の密教僧の見解ではないでしょうか。「やっぱり開眼供養すれば、心が備わるし、また諸天善神にも感応がある」織田師が病者を加持するとき、何十人もの人を同時に加持する場合があります。そんなとき、最初に一通り名前を読み上げると、あとは(この人が治るようにという)「識」が継続していく、「そういう思いがわいてくるんだね。それが熟練だ 」と織田師がしゃべり、お弟子さんが「あっ、ちょっと今の言葉は、もったいないですね。これに発表するの(笑)」と、加持の実際を惜しみなく語る師匠に、お弟子さんが慌てる ひと幕もあります。さらに質問者は、開眼加持に効果があるなら、生きている生身の人間を開眼したら、どうなるのかと言う思わず笑ってしまうような、それでいて答えが聞きたくて身を乗り出してしまう問いを畳みかけます。「悟りの目が開くのか」と。織田師の答えははっきりとはしませんが、密教の法によって拝んだ物は、仏像でも仏具でもお守りでも、確実に変化をするという答えが引き出されます。話の順番は前後しますが、「お守りを持っている人はね、交通事故に遇っても、大難にならないで皆助かっている」と語られ、祈りを込めると、ただの紙切れや木片が、単なる「物」ではなくなる話が強調されます。質問は、「霊現象」にも及びます。ほとんどが低級な「鬼神」の仕業だと言うのですから、迂闊に信じて、ありがたがったり、面白がったりすることには注意が必要だとわかります。その他、病気が治るようにとよくお祈りを込めた布(加持布=かじふ)は洗濯したら効果が薄れるか? 先祖供養の本来の意味は? 幽霊をどう考えるか?など、答えは本の中で。とにかく質問が面白い、出色の仏教書です。信心で迷信に惑わされないための、よき道標(みちしるべ)にもなります。もっと少なく読む6人のお客様がこれが役に立ったと考えています----------------------------【観音開運法―実体験が明かす「念彼観音力」の不思議! 新書 – 2006/11/1 】つばさ5つ星のうち5.0 遠回りに見えて、実は近道!2016年4月9日に日本でレビュー済み良い運を呼び込みたかったら、仏さまをひたすら信じ、委ねること。いつも感謝の気持ちを忘れないこと。それに加えて、不運や不幸を他人のせいにせず、みずから造ってきた「業」を心から懺悔=仏教の読みは、さんげ=すること。一見遠回りに見えるプロセスが、実は開運への早道であることを、ズバリ説いた好著。自分で悪業を積みながら、懺悔の気持ちもなく、怪しげなまじないの類にすがっても運は良くならない。そんな虫の良い話はない。真言密教の高僧であり、弘法大師伝来の「加持」を現代に蘇らせたという著者の「開運法」は説得力を持つ。真言宗や顕教の一部宗派で用いる「懺悔文」(さんげもん)が154ページに出ている。同じ章にある「十善戒」と共に、開運のベースになるので、ぜひ読んでみることをお勧めしたい。仏さまを信じ、真言=仏さまの祈りの言葉であると同時に、真言それ自体が仏さま=を唱えるなど、指し示す道は具体的で、誰でも容易に実行できる。観音様がどんなにすばらしい仏様か、この本でよくわかる。そのお慈悲を信じ、合掌して 「南無観世音菩薩」と繰り返し一心に唱える。密教式に観音様の真言「おんあろりきゃそわか」や「おんまかきゃろにきゃそわか」などを唱えてもいい。真言についての解説は147ページから。観音様をひたすら信じて無心に唱えることで、健康を招いたり人間関係が好転したり、災難から救われたり…いかに大きなご利益がいただけるか、様々な実例が紹介されている。もちろん、信心とともに、感謝と懺悔の気持ちを忘れなかった人たちだ。また、よく加持された御守り、常日頃からまじめによく拝むお寺の住職さんが出す御守りは、霊験あらたかな「生き仏」と化すという話も興味深い。「観音様」「開運法」という親しみやすい間口を用意しながら、真言密教が説く「即身成仏」の要諦にも通じていて、含むところは深くて大きい。表紙の写真は、著者のお寺・真成院(東京・新宿区)に祀られている「潮干(汐干) 十一面観音」もっと少なく読む51人のお客様がこれが役に立ったと考えています------------------------------------【仏教墓相読本 単行本 – 1983/8/1】つばさ5つ星のうち5.0 もう悩まない、墓相の迷信2016年4月23日に日本でレビュー済み木陰になるお墓、屋根で覆われたお墓は、凶相? お骨は土に還らないと故人は成仏できない? 墓石に傷があると、子孫が同じ場所に怪我をする? そんなことは、みな迷信だそうです。真言宗の高僧(傳燈大阿闍梨、大僧正)であり、「加持」の達人としても知られた筆者が、正しい伝統仏教の立場から、お墓にまつわりる迷信を斬りまくります。屋根付きのお墓がダメと言うなら、今流行の屋内型のお仏壇型納骨棚も、凶相となってしまいますが、そんな事はありません。筆者のお寺に設けた「四谷霊廟」は、都内における室内型墓苑のさきがけと言われています。まず、仏教では、肉体が滅んだ後も永く残るような真我としての霊魂の存在を説きません。だから、先祖の霊が迷って子孫に障りをなすというのは、大変な誤りであり、失礼な話です。霊魂とよく混同されるのが「業(ごう)」の問題で、筆者は高野山で修行時代、「仏教は業教」と教わったそうです。業は、自分の言動や考えたことが、善・悪こもごもの影響を引いて禍福の因となり、輪廻の行方をも決めていくものです。善きにつけ、悪しきにつけ、業の結果は自分に帰ってくるもので、仏教は徹底して「自業自得」の教えです。しかし、悪業は、自分が心から懺悔することで消していけますし、善業を積むことで、流れを変えていくことができます。業は固定的なものではなく、時々刻々変わっいくものです。本の150ページ〜をなどをご参照ください。霊魂説の誤りと、 仏教の業、因果論が何となくわかれば、墓相の迷信や、霊障説に惑わされることもありません。「千の風になって…」という歌にもある通り、故人の霊がお墓で眠っているわけではないのです。その上で筆者は、望ましいお墓と先祖供養のあり方を説きます(166ページ〜など、随所)。今は伝統にとらわれず、自由なデザインのお墓も増えたようですが、いくら故人が生前、お酒が好きだったからといって、酒樽をデザインしたようなお墓は仏教の教えに合わず、ふさわしくないと筆者は言います。お墓は、ご先祖様や故人の成仏を祈り、感謝の誠を捧げ、思い出を偲び、親類縁者が集う、心の拠り所です。お参りしやすい立地にあること、出来れば菩提寺を持ち、春・秋のお彼岸、お盆、年忌法要など仏事をよく営み、住職さんに親しみ、法話を聞く楽しみを知ってほしいと、筆者は言います。最近は宗教色を嫌う傾向が強いようですが、私見を付け加えれば、公営墓地であっても、家の宗旨くらいは知っておいて、近くの同宗派のお寺さんに頼んで、おりおりに墓前にて読経しもらうなど、仏縁を結ぶ機会としてはいかがでしょうか。多くの家で普段は信仰が無くても、お葬式は仏式と言うケースが多いでしょう。肉親が亡くなった時、お家の宗旨は?と葬儀社に尋ねられ、慌ててしまうことがありませんように。菩提寺がわからなくなっていれば、基礎知識として各宗派の教えを調べ、しっくりくる宗旨を新たに決めても良いのではないでしょうか。例えば、お仏壇を置くにしても、宗旨によってお祀りする本尊様が違いますし、中の設えも違ってきます。仏壇は位牌の安置箱ではなくて、仏様をお祀りする「家の中の小さなお寺」と言われます。位牌は、仏様のもとに帰った故人やご先祖様の象徴であり、報恩・感謝の心を向ける拠り所です。そこに毎朝、お水やご飯をあげて、香華灯明を手向けます。小さなお子さんがいらっしゃるならば、お手伝いしてもらってもいいでしょう。情操教育のひとつになるはずです。仏壇のある家にやさしい子が育つという、お線香メーカー(日本香堂)と教育評論家(尾木ママ)の調査結果を見たことがあります。お仏壇を祀る意義については、同じ著者の「観音開運法」160ページ他。ちなみに、この本の表紙にある苔むした石塔は、「五輪塔」です。一番下の立方体は「地」、その上の球体は「水」、その上の三角(立体ではピラミッド型の四角錐)が「火」、次の半球形は「風」、そして一番上の宝珠の形=半球と円錐形の組み合わせ=が「空」を表しています。地水火風空の五つの大きな働き=「五大」(物質的な働き)に加えて、形に表せないけれども全体と溶け合っているものとして、「識」(心の働き)があり、この「六大」が渾然一体となって休むことなく活動していると説くのが、真言密教の宇宙観です。密教の根本仏・大日如来は「六大法身」ともいい、我々の心と身体も六大の働きで成り立っているのですから、密教では実は我々も仏様の一部なのです。その六つの大きな働きが、互いに妨げるものなく融合している実相を、真言宗の開祖、弘法大師空海は「六大無礙にして常に瑜伽なり」と説かれ、また、それ故に「三密加持すれば速疾に顕わる」と教えられました。 筆者が施法された加持も、この道理に拠っています。法事の時にお墓の後ろに立てる細長い板、卒塔婆(ストゥーパ=梵語で仏塔)も、その側面に刻みがあり、五輪塔の形をかたどっています。古来、仏教では、供養のため仏塔を建立することに大きな功徳があるとされてきました。お墓を建て、卒塔婆を立てるのも、故人の 供養と共に、その施主にも、大きな功徳が及ぶと教えられています。二枚目の写真は、この本の裏表紙で、五輪塔の模式図が、地水火風空それぞれの配色で塗り分けられており、密教の教えに則っています。和型の墓石も、実は五輪塔を大きく略してかたどったものといわれています。密教では、色・形・音など全てに意味があり、「即身成仏」=生きている自分が本来、仏であったと深く覚ること=への道案内なのです。もっと少なく読むカスタマー画像カスタマー画像5人のお客様がこれが役に立ったと考えています-----------------------------【私の信じる真言の教え 単行本 – 2015/12/8 】つばさ5つ星のうち5.0 織田隆弘師の精髄がここに2016年10月25日に日本でレビュー済みこの本は、弘法大師空海が唐から伝えた真言密教の「加持」の真価を発掘し、特に病者の加持施法において偉効を証明された、織田隆弘大僧正の教えの精髄がこめられた一書です。詳しく言えば、隆弘師が創設された、正純密教を僧・俗の立場を超えて習い、実践していくための団体「密門会」の機関紙「多聞」(月刊)に長年にわたり掲載されてきた「巻頭言」から選りすぐった内容を一冊に編集したものだそうです。隆弘師は、胎蔵界大日如来の真言「おんあびらうんけん」を唱えて、病気が治るかどうか、などと言うレベルからスタートするのではありません。身近に病で困ってる人がいたら、自身の信徳を磨くためにめにも、加持を「施法してあげて下さい」とおっしゃるのです。真言を1,000返、10,000返唱えたくらいで、覚りなんか得られません。雑念、妄念、妄想は、尽きることなく湧いてきます。それでも、いや、それだからこそ「信心に動揺なく真言行を続けて下さい」と隆弘師は、励ましてくれます。「煩悩プラス信心、煩悩プラス信心」これでいいのだと。どんなに煩悩の雲が厚くても、悪業の霧は深くても、「如来大悲の加持力」が、照らしてくれています。この本のキーワードを挙げるとしたら、信心、懺悔、菩提心--覚りを求める心--、六波羅蜜でしょうか。「煩悩がいくら深くてもさしつかえないと仏様は私たちを信じておれます」。私が信じるのではなくて、仏様が私を信じてくださっている。その事実に、手が合わさります。隆弘師が信じた真言の教えとは、何か。「凡身即ちこの身の罪の自覚に目覚めること、そしてこの自力の及ばざる者に、絶対慈悲を与えられておるという教え」。これが、隆弘師がお大師さまや親鸞聖人から学ばれた、他力易行道の根本なのではないでしょうか。もっと少なく読むカスタマー画像17人のお客様がこれが役に立ったと考えていますダ=ヴィーン∀!!★足腰に問題のある方新メルマガいますぐご登録!!★
2022.12.02
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1※いまお悩みがあれば、こちら、からどうぞ。【無料相談×診断】2※KillerCoil無料メルマガ登録はいますぐこちらへ。【キラーコイルの秘密】【池口恵観、織田隆弘、三井英光による加持儀式のチェック】平成5年1993に織田隆弘は遷化した。79歳。青森出身。織田については初期著作検討のみでその後はノーマークとなっていた。三井英光については、加持次第についてのみ。織田によると池口の加持祈祷は不動明王が本体であり、山伏、修験の外道系の護摩行であると批判的。往昔、桐山阿含宗の派手なパフォーマンがあり、真言系からはペテン師扱いになっている。池口恵観も、派手な護摩行のパフォーマンスがあり、感覚的には、桐山阿含宗に近い。半分、行者要素を池口は隠していないので、呪術要素満載となる。まぁ、外道系のほうが世間的には受けがよろしい感じである。というのは、世人にとって難解な密教真言の教義などどうでもよいので。ごちゃごちゃ複雑なことを講釈垂れても誰も聴く耳をもたない。ともあれ、織田の初期の著作は、文章がこなれていないので、俗受けするとはいえないものが多かった。もっとも、虎の威を借りる施療方法は、織田により完成されているといえる。あとは、各施療家が各自なりのアレンジをすることになる。-----------------------------------以下、関連記事。https://plaza.rakuten.co.jp/juksmile/diary/202211150008/【密教呪術の探索:豊島泰国、織田隆弘、宮家準、小野清秀、正木晃、山野寛然、池口恵観】門外漢、部外者が特定専門領域とかかわるとき、当然、こちらの問題意識により論点切り取りされていくだけで、相手の論法に合わせることはしない。そういうつまみ食いをするだけ。密教天台、密教真言にかかわる方のうち、施療的なことをする人はどんなことをするのか、という観点から探索しているだけになるのだが。そして、チベット密教に分け入ると、ほぼ、魔術との境界はなくなることが了解される。そこにはなんでもありだ、と。だから、ぶっとび具合が半端ない。いささかでも、チベット密教に分け入ると、もはや、天台、真言の密教に飽き足らなくなる。ところで、密教呪術の探索の入門は豊島泰国のガイド本が最初であった。その後、修験道を含めて、織田隆弘、宮家準、小野清秀、正木晃、山野寛然、池口恵観などへ遍歴していくことになる。以下、参考記事。初期のころは、織田隆弘の『密教問答 上下』をてがかりにしています。【再掲載14【『密教問答(上下)』を受けて】】https://plaza.rakuten.co.jp/juksmile/diary/201906210023/2010年9月30日(木)■タイトル【『密教問答(上下)』を受けて】■本文【『密教問答(上下)』を受けて】どうやら、『密教問答(上下)』が、この7,8,9月のまとめになったようです。その出口は、遠隔と想念放射と祈願祈祷です。たしか、7月の初めに、蛙のお黙り実験が始まりました。そして、そのお黙りコイルを回転させることを発想し、水平自動回転テストをすることに。ハンドと自動回転との二つによる実験です、ね。とともに、柳田國男、折口信夫の両民間伝承研究の大家に触れることで、彼らは神道の問題の周辺を埋めているのか、と。しかし、神道神学を固めて、どうするのか。でも、彼らの業績は、古代祭祀装置の探索欲を喚起するに十分でした。八月は何をしていたのか。。。。加持祈祷系とか、そういう類のものばかりを集めていたような・・・。両部神道のものなども初めて集めてみました。まぁ、そもそもが、想念の送り方のこちら独自の体系を構築するのか、この7月の問題意識でした。想念の中身の問題と、その想念を支える価値意識の問題です、ね。そして、仏教系に対する抵抗が薄れてきたのは、両部神道あたりに接してからになります。また、日本霊異記、今昔物語などの詞章説話などを検討すると、商売上手は仏教系が多いことにも了解できました。こちらはコイルによる救済による対価が商売として成立しているので、いかなる救済を招来するのか、これをコイルを通じて探索していくのがいまのこちらの役割になっているようです。それにしても、加持祈祷系の探索は面白さ満載でした。そして、8月29日に、古代縄文渦巻研究家の大谷幸市先生よりお電話をいただき、しめ縄コード解読との関連で、ようやく、千島喜久男博士の螺旋のカタログ本を検討することが可能になりました。だが、コイル的にはすでに解決済みであり、実物として、縒り紐を意識したことが、コイルの吊り下げ紐として、ナイロン縄を用意したことです、ね。そのしめ縄コード解読の関連において、子安貝コイルシリーズが炸裂しました。その他、依頼の経過レポも概ね順調で、何よりになっています。さて、神仏神智学習合、そんな感じになってきました。今後の方向も、サイキック系コイル開発が明確になったきたようです。。。。。Eg転換コイルと黄金バリアー構築コイルと、ここが入り口になっています。水平自動回転、垂直自動回転などは、その機械化への布石になっています。極めて、充実した7,8,9月でした。あとは、じっくり依頼を受けつつ、開発のひらめきを待ちたいと願っています。ダ=ヴィーン∀!!★足腰に問題のある方新メルマガいますぐご登録!!★
2022.12.01
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1※いまお悩みがあれば、こちら、からどうぞ。【無料相談×診断】2※KillerCoil無料メルマガ登録はいますぐこちらへ。【キラーコイルの秘密】【織田隆弘『密教問答 上下』1995/1996】2008頃に入手。今回、池口恵観について、山伏系の外道の外護摩であるとして、織田が上巻pp.59-にて批判的であることを確認。病気直しは、大日如来1本、法界定印1本、信心1本、これで足りると簡略化する。護摩行などの派手な儀式は不要である、と。信者向けに大日如来ではなくそれ以下の諸尊を奉じるのは方便であり、いまの新義派、古義派含めて、真言宗の堕落を戒める。まぁ、池口恵観が、霊障などを持ち出すことについて、これは、鬼神の業であるとし、彼を外道呼ばわりをする。もっとも、俗受けするのは、外道系のほうであり、また、金剛頂経は儀式的に煩雑であり、プロ向けで、信者には理解が及ばない、と。おそらく、易行化が密教には必要であり、また、諸派乱立しており、総じて、今の仏教界は、発展していくには教義的再編成が求められる、と。それにしても、織田隆弘本は、整理したらしく、手元に3冊しか残っていない。問答上下2冊以外には、『密教は神々をも救う』の計3冊を手元に残しているだけとなる。織田の文章はこなれていないため、ひっかかるところがかなりある。また、わかりにくいのは、業と霊との違いあたりで、これは、仏教ドグマの核心にもかかわる問題だが、世人の場合、細かい議論にはおそらくついていけない。また、平信徒向けに、八正道、十善戒の2点を最小限求めている。おそらく、普通の方、つまり世人は、「迷いの信心」にある、としている。それだけ、仏教理論は煩雑であり、素人には交通整理などまずできないのが現状である。だから、街場の占い師、街場の霊能者がはびこることになるともいえる。さらに、密教以外の顕教は、病気直しなどをしないのは、惜しいところである、と。さらに、寺院側が裕福となり、下々のお悩み相談に対応しなくなっている、と。もっとも、いまの寺院の現状は、門徒、檀家の減少傾向にあり、そのため複数兼業しないと経営が苦しくなっている。保育園経営、幼稚園経営、駐車場経営、などの兼業をしないと、寺院経営は苦しくなっている、ということ。以下、amaznoレビュー。------------------------------ 上位レビュー、対象国: 日本つばさ5つ星のうち5.0 南無阿弥陀仏からヒントをつかむ⁉︎2016年4月13日に日本でレビュー済み織田隆弘師が、お弟子さんの赤坂隆証師の質問に答える問答集です。他にも、隆弘師の奥様へのインタビュー、ご長男の隆深師らも話に絡み、賑やかな一風変わった仏教書になっています。隆弘師のお加持といえば、真言は「おんあびらうんけん」。大日如来の大慈悲「加」を、信じて持する「持」に言い尽くされますが、高野山で修行を始めた頃は、お不動さまを拝む、力の入った加持だったそうです。真言密教の総本山にも、単なる作法ではなく、本当に「効験」を証する加持を教える師はなく、手探り状態で始められたというのです。「のうまくさんまんだ…」の勇ましい不動慈救咒で加持しても、それなりの効果はあったそうですが、力んでするため疲れてしまいます。その後、東京の寺の住職になりますが、米軍の空襲によって東京の街もお寺も灰燼に帰します。世の儚さを感じて、自然に口をついて出たのは、密教の真言ではなく、南無阿弥陀仏の念仏でした。真言のお坊さんが。経本も失って、南無阿弥陀仏。気の毒に思った浄土真宗の信者さんが、余っている真宗聖典をプレゼントしてくれました。「阿弥陀如来とは自然法爾=じねんほうに=のことなり」。親鸞聖人の言葉に「じんときた」そうです。結局これがヒントになりました。 大日如来の大慈悲にそのまま、自然のままにお任せする、他力易行の加持を体得したのです。この本の終盤、隆弘師と、ご長男の隆深師との父子論争⁇も面白いです。「おんあびらうんけん」の「おん」=帰依を表す言葉で、南無と同じ=を省略できるかどうか。304ページから。隆深師「阿弥陀仏だけを言わない」隆弘師「到ればね、もう南無は要らない」隆深師「いや、到っても南無阿弥陀仏」密教の阿字観では、五字明=みょう、真言=として「あびらうんけん」だけを百返唱えます。もちろん両先生ともそんなことは先刻ご承知の上で、譲りません。率直に言い合える親子関係が素敵です。 上位レビュー、対象国: 日本つばさ5つ星のうち5.0 お弟子さんの質問が面白過ぎる!2016年10月22日に日本でレビュー済み弘法大師伝来の真言密教の加持を正しく現代に蘇らせた高僧(伝燈大阿闍梨、大僧正)として知られる織田隆弘師が、お弟子さんと興味深い問答を展開する、その後編です。新しく仏像を買い求めたようなとき、お坊さんに頼んで「開眼供養」をしてもらいます。俗に言う「お性根入れ」「お御霊入れ」です。仏像に魂を封じ込めるようなものではない、と上巻で答えた織田師に、質問者はさらにツッコミます。「何か意味はないのですか」織田師は、開眼は作法であり、物事には順序が必要だと答えます。そして、きちんと開眼供養した仏像には、「邪気が入る隙がない」と答えます。ライブ感覚あふれる師弟のやり取りだからこそ引き出せる、練達の密教僧の見解ではないでしょうか。「やっぱり開眼供養すれば、心が備わるし、また諸天善神にも感応がある」織田師が病者を加持するとき、何十人もの人を同時に加持する場合があります。そんなとき、最初に一通り名前を読み上げると、あとは(この人が治るようにという)「識」が継続していく、「そういう思いがわいてくるんだね。それが熟練だ 」と織田師がしゃべり、お弟子さんが「あっ、ちょっと今の言葉は、もったいないですね。これに発表するの(笑)」と、加持の実際を惜しみなく語る師匠に、お弟子さんが慌てる ひと幕もあります。さらに質問者は、開眼加持に効果があるなら、生きている生身の人間を開眼したら、どうなるのかと言う思わず笑ってしまうような、それでいて答えが聞きたくて身を乗り出してしまう問いを畳みかけます。「悟りの目が開くのか」と。織田師の答えははっきりとはしませんが、密教の法によって拝んだ物は、仏像でも仏具でもお守りでも、確実に変化をするという答えが引き出されます。話の順番は前後しますが、「お守りを持っている人はね、交通事故に遇っても、大難にならないで皆助かっている」と語られ、祈りを込めると、ただの紙切れや木片が、単なる「物」ではなくなる話が強調されます。質問は、「霊現象」にも及びます。ほとんどが低級な「鬼神」の仕業だと言うのですから、迂闊に信じて、ありがたがったり、面白がったりすることには注意が必要だとわかります。その他、病気が治るようにとよくお祈りを込めた布(加持布=かじふ)は洗濯したら効果が薄れるか? 先祖供養の本来の意味は? 幽霊をどう考えるか?など、答えは本の中で。とにかく質問が面白い、出色の仏教書です。信心で迷信に惑わされないための、よき道標(みちしるべ)にもなります。 その他、『加持を語る』について「つばさ」によるレビュー。 上位レビュー、対象国: 日本つばさ5つ星のうち5.0 加持の鍵は「信じる」こと2016年4月16日に日本でレビュー済みAmazonで購入この本のタイトル「加持を語る」は、真言宗の僧侶方を対象に行った講習会の講義録です。織田隆弘師が最も情熱を込めて語ったのは「信じること」の大切さであるように思います。「何を信心するのか。如来の加持です」(86ページ)。「信を以って成就するということを大師さまは重ね重ねお書きになっている」「如来の加持カに感謝。有難いという、感謝の心があればいい 」(89ページ)。多くの真言の結語に付いている「ソワカ」は「成就されている」という意味。「ここが大事なんですな。これは成就させて下さい、じゃないんだ」(74ページ)。「ソワカ。成就した。病気が治った治った。略。治るかな治らないかなと思ったら、治るのも遅い」(75〜76ページ)お大師さまも「大日経」の解説書の中で、よく戒律を守る人、勉強する人、座禅をする人などが喜びを得るのではなく、「若し信を生ずる者あらば歓喜を得ん」と説いておられます。(79ページ)。「信」の一文字の中に、隆弘師の卓越した加持カの鍵があるようです。それは、加持を頂く側も一緒なのでしょう。もっと少なく読む6人のお客様がこれが役に立ったと考えています役に立った違反を報告するまた、『加持の力』について、以下2つのレビュー。 上位レビュー、対象国: 日本つばさ5つ星のうち5.0 如来大悲を信じて持する2016年4月10日に日本でレビュー済み「真言密教の加持って、どんなもの? 何か神秘的で、秘密がありそう」と思う人も多いでしょう。この本の強者・織田隆弘師は 、弘法大師伝来の加持を現代に蘇らせた人として知られていますが、P77に「如来の大悲を信じて 持する、これが私の加持祈祷の手品の種なのです。この他には何もない」と明かされています。また、お大師さまの「大日経開題」や「即身成仏義」から言葉を引いて「加」とは「如来の大悲」を言い、「持」とは「衆生の信心」を言う、と、自説の根拠も示されました。加持の実修については、隆弘師の「密教祈祷の秘密」「難病を救う真言密教」(いずれも密門会出版部刊)をご参照下さい。それによりますと、本当に、唱える主な真言は胎蔵界大日如来の「おんあびらうんけん」ひとつですし、印も坐禅の姿で、おなかのところで、法界定印をゆるりと結ぶのが基本です。「何やらものすごい秘密」を期待する人には拍子抜けするような簡潔な行次第になっています。複雑な印や煩瑣な作法から、ひとの病を救うと言う大きな力が発するわけではないようなのです。大日如来といえば、宇宙の森羅万象を包摂する無限の智慧と慈悲の象徴、一切衆生を自分と同じ「大日如来という仏様にする」ことが、この仏さまの誓願だそうです。P20。あまりに広大無辺なスケールの仏様なので、教え通り素直に加持法を行う行者さんが少なかったのではないかと思われます。しかし、実はあらゆる 命と最も近しい仏様であることを、隆弘師が証明されました。もっと少なく読む11人のお客様がこれが役に立ったと考えています役に立った違反を報告する凡夫5つ星のうち5.0 入門にいいかも2006年3月6日に日本でレビュー済み日本で密教というと、オカルトがかった怪しい祈祷宗教とか、荒行による神秘体験で得た超能力で奇跡を起こすようなとても凡人には真似できないような秘密宗教と思いがちです。現に、プロの坊さんでも、そう解釈する人がいるようです。この本では、そういう考え方が外道であって、そもそも修験道と密教は別物であり、修験やら神道やら道教やら陰陽道なんかの雑部密教的なものに汚されてしまった弘法大師の正統な真言密教を再興しようと尽力された、故織田隆弘氏の熱意と革新的にも思える思想と氏の慈悲深い生き様を感じ取れる最高の入門書です。ただ、氏の体験による独自の解釈がされているので、真言密教というより隆弘氏の密教であることをお忘れなく。15人のお客様がこれが役に立ったと考えています役に立った違反を報告する----------------------------ちなみに、真言系の部外者からすると、大日如来を宇宙エネルギーと同視して、その威力をすんなり拝借できるのかというと、仏教素養があれば、すんなり拝借するともいえる。つまり、胎蔵界大日如来真言アビラウンケン法界定印信心これに、真言密教の病気直しはまとめられるので、密教パワーを借りようとする施療家はこの単純行を洗練すれば足りる。もっとも、宇宙エネルギーといっても、太陽月その他と、細分化されるのが普通であり、病気の具合により、拝借する宇宙エネルギーも特定具体化される必要があるとこちらはみている。あとは、どんな事例があるのか、そのあたりは、『如来の不思議』でチェックするくらいか。-------------------------FC2キラーコイルの『密教問答』検索。https://killercoil.fc2.net/?q=%E5%AF%86%E6%95%99%E5%95%8F%E7%AD%94&charset=utf-8記事検索 : 密教問答 『密教問答(上下)』を受けて 【『密教問答(上下)』を受けて】どうやら、『密教問答(上下)』が、この7,8,9月のまとめになったようです。その出口は、遠隔と想念放射と祈願祈祷です。たしか、7月の初めに、蛙のお黙り実験が始まりました。そして、そのお黙りコイルを回転させることを発想し、水平自動回転テストをすることに。ハンドと自動回転との二つによる実験です、ね。とともに、柳田國男、折口信夫の両民間伝承研究の大家に触れることで、彼らは神道の問題... コイルをめぐる冒険 2010/10/01 秘教治療家読本? 【秘教治療家読本?】『密教問答』のあと、とある密教邪宗系批判本を検討し、それと平行して、神智学大要第1巻を取り出してきた。たいていの施療系の本は網羅的に検討するも、さほど、影響を受けているとは思っていない。そもそも、極限的価値概念が、彼らとは異なることを自覚しているので。こちらは、直すのではなく、相手が勝手に直る、とみているので、施療、治療に対する考えがまるで違う。往昔、感銘を受けたのは、自律神経免... コイルをめぐる冒険 2010/09/30 『密教問答(上下)』のあと 【『密教問答(上下)』のあと】今回、『密教問答』と平行的に用意したのは、『ユダヤの歴史』でした。石田友雄先生執筆かと思っていたら、監修でした。古代から近現代までの概括本なので、さくっと、当たりをつけるには便利です。賎民宗教というものがいかなるものなのか、そして、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の同根性とは何か、アジア宗教と比較する意味では、興味はつきないですが、なにせ、こちらの接近は、比較宗教社会学... コイルをめぐる冒険 2010/09/29ダ=ヴィーン∀!!★足腰に問題のある方新メルマガいますぐご登録!!★
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