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「辛酸」 城山三郎「今、足尾銅山の本、読んでるの。田中正造、ってえらかったんやね。谷中村で野垂れ死にたい、言うて、ほんまにそのとおりにするねんで。」「そうや。ほんまに、えらい人やった。アメとムチで、アメいらんいうたら殺された。谷中のために全部投げ出して、ボロボロの着物着て、キチガイいわれて死んだ。正造らのこと考えたら、富士銀行、つぶれて当然や、ていわれとる。」「なんで?」「富士銀行、まえの安田銀行や。その前は、安田銅山。足尾銅山のことや。」「そうか。人々の怨念や。」「戦争のなかで、山師から大きうなって、何千人も人を殺す財閥になった。」「日露戦争やね。鉱毒って、目、みえへんようになってんで。たくさん人死んではるのに、毒ってはっきり分ってるのになんで止めへんかったん。」「戦争つづけるのに、言うてられへん。人死ぬのなんか平気や。」「銅と戦争と、何の関係があるの?」「銅は戦争に必要だ。」「なんで?」「銅がないと戦争しようにも話にならん、何もできん。」「鉄なら分る、銅は何に使うの?」「銅はあらゆる所に使う。例えば戦艦。考えてみ。」「あ!配線や!」「そうや。どうぞ続けて下さい、いうて国が企業におねがいしたんや、戦争つづけるために。神戸製鋼は、あとから財閥に殴り込みかけて、よってたかって潰されてるな。住友は、もと、どこやった?」「住友銅山。」「そうや。住友は、四国や。愛媛でただ同然で山こうて、毒で丸裸にしてもうた。三井は?」「三井は、、」「三井は、石炭。」「あ、そうや、三池炭鉱。」「石炭で、あんだけようさん、ひところした。ひと、ようさん殺したら財閥になるんや。石炭も戦争にいる。アスベストと石炭と銅がないと、戦争でけへんかった。」「谷中村、最後まで抵抗するけど、沈められてしまうねんで。」「そうや、知らんかったんか?なんもしらんねんなあ。体やられてひとりひとり殺されてゆく。言うこときかへんから、遊水地にして、鉱毒の水で沈めてしまう。国が村ごと金で買いとって、法律で沈めるんや、戦争のために。この前といっしょや。」「岩国のこと?」「そうや。むかしから、国のやりかたや。」(艦砲発射時に、高熱が生まれる。砲手がそれで無精になるほどだったという。この熱を遮断するために、大量のアスベストを使用した。)
2008年02月16日
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あんまり、注目されてないみたいだけど、日本共産党が、変るんじゃないかな?と期待させることが、去年の10月ごろ、ネット版の「赤旗」に出てた。っていうのは、次の衆議院選挙からは、今までと違って、落ちるの覚悟で小選挙区に一人ずつ候補を立てるのを止め、比例区に力を集中し、比例区で議席増を目指す、というのだ。シロウトなわたしは、うれしかった。今まで、共産党は、『全小選挙区に候補を立てて、死に票を出す、これは「利敵行為」だ。』と言われ、酷い時は、『実は、共産党は資金提供うけて自民をサポートしてる。』などと憶測中傷する人までいたのを、わたしは知ってる。たしかに、小選挙区で共産党が議席を獲得できる可能性は、中選挙区とくらべ極端に少ない。それなのに、全選挙区で立候補っていうのは、戦略として余りにバカ正直で、本気で政策実現を望んでんのお?、と批判されていたわけ。そこまで、人の悪いことは思わないにしても、選挙に「勝つ」気はないんかいな、結果的に反自民の票を割る、と私だって思ったものだ。ここに来て、共産党が、選挙戦略を変えた。現実を見た対応、非自民および革新政党の議席を増やすための、政権交代に向けて他党との共闘を視野に入れ始めた、と受け取った。選挙結果をきのう調べたんだけど、過去の国政選挙、小選挙区で立候補者がいないと、比例代表の得票率が高くなる、わけではないみたいで、むしろ逆のこともあるみたい。一概にいえないらしい。候補者がいたほうが、地方支部が活動しやすい、(なんで?)ということもあるらしい。自民と民主だけだと、入れたい候補がいない、という人も出る。だけど、陰謀の汚名返上には、なるよ。
2008年02月16日
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「この後期高齢者医療制度って・・」「それなあ、悪い制度なんよお。保険で病気によっては治療受けられへん。」「年金から天引きされるとか・・・」「そうや、75歳やで?年金しか、収入あれへん。いっぱい年金あるんやったらまだええけど、どんどん減ってるのに、さらにそこからひかれるの。生活でけへんて。この1年、新しいくつもこうてへん、いうてんのに、どこ切りつめるの。食事3回から、2回に減らしたりしてはるんや。お金払われへんかったら、保険証とりあげや。」「うちの親父、来年75で、今3割負担で糖尿で毎週病院かよっとるけど、今より、、、どうなるんやろ。」「いまは、国庫からの補助があるけど、それも切り離す。窓口負担も増える。」「わしも、負担せなあかんいうことやな。そりゃするけど。」「しゃあけど、ひどいねんで、かね、払われへん言うて役所にいいに行くやろ、長いこと音信の絶えた息子がおるとするやろ、ソンなら、探し出してその子にはろてもらえ、いわれるねんて。そんなんできるかいな。」「ヒドイな。4月から、やるの?」「何百いう市町村が、反対いうてんねんけど、まだ、やるいうてんねん。止めなあかんねん。いままで頑張って来た人に、はよ死ね、いうてんのと同じやねん。あんまりやろ。みんな、親おるやん、反対したげて。親孝行や、おもて、反対したげて。」
2008年02月11日
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ほぼ、拮抗ではないですか!及ばなかった井原候補を推された方は落胆しておられるかもしれないし、ほかの方も思いは複雑かもしれませんが、わたしには、むしろこんなことは、ありえないほどのことです。あと一歩で、「夢」のような話が実現できた!いつも自分の推す候補が大差で敗れる者からみれば、まぶしい結果です。岩国の気持ちとはずれるかもしれませんが、これに、希望をもらわなくて、なんでしょう!利権陣営の、大量の買収資金と、デマ・恫喝と、せりあったんです。正論が!地方自治の声をあげることを、半分の方が、意味あることとおもったんです。これだけたくさんの市民が艦載機襲来に反対したのだから、今後だって、もし、新市長が市民の幸せを踏みじるようなことをしようとしたら、市長に、圧力を掛けることは可能でしょう?疲れが癒えたら、また歩かれますよね?「民主主義は、不断の努力でなしとげられる。」って。福田氏に入れた方も、岩国のことを思ってのことでしょうから、福田さんの手綱をちゃんと引くことを考えておられると思います。大阪も、いやらしい橋下になって戦々恐々なんだけど、私だってすき放題させない努力をすると、岩国の方々の健闘のまえに誓います。きのうは、(自分とこの知事選挙より、よっぽど)ダメージありましたけど、この結果には、希望があります!あ、それと、待ってたらダメなんですね!この人に届けたい、と言う人に、記事を送る、それができるのが、TBなんですね!だって、知らなくっても、検索できたら、岩国の方とも、ブログでつながれるっていうことだもん。同じことを考えている人じゃない人に、わたしは送りたいなあ。そんな可能性をひらいてくれることだと、いままで、(あほだなあ)わかりませんでした。くまさんに教えていただきました。ただしイ、人に送れるような記事を書けんといけませんね。
2008年02月11日
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わたしも気を強く。みんな、落ち込んでなんかいません!ヨーコ1015さん>もうどこにもたらい回しはさせない。>どこの地域にもいらない。>本国へテイクアウトしていただく第一歩としたいですね。 -----フィリピンや韓国に出来たんだから、あとは為政者の思惑ひとつです。http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/200802090002/#commentくまさん から引用。(結果が出る前のコメントだけど、だいじと思ったのではっつけました。)A PLACE IN THE SUNさんは、たたかいはこれからだ!http://pochicoro.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_6bdb.html ポチです。 岩国市長選挙は、先ほど、福田さんの当確が出ました。 一抹の不安が現実のものになりました。 残念です。 開票率 86.18% 福田良彦 当確 40000 井原勝介 40000 権力と金力を持つ者の力を見せ付けられた思いです。 言葉もありません。 最終的な結果が出た後で、なぜこうした結果になったのか深く考えてみようと思っています。 ただ、これだけは言えます。 たたかいはこれからです。 「市民の暮らしを守る」「国の言いなりにならない」と言った福田さんを岩国市民、山口県民が監視し、追求していくことが大切だと思います。 けっして住民不信に陥ることなく、市財政を心配し、善意で福田さんに投票した人を含め、これからの岩国市、山口県を考えていかねばなりません。 悪いのは有権者ではなく、嘘で塗り固められた言動に終始した福田陣営にこそあるのですから。 たたかいに紆余曲折はつきものです。 悔しい思いをこらえて、明日からまたがんばっていきましょう!A PLACE IN THE SUN さん より引用。なごなぐ雑記さんは、岩国市民へエールを4万5,299人もの市民の意思をなかったものにはできない。選挙は、運動会のかけっこではない。4万7,081人の市民が戦闘機移駐バンザイを叫んでいるわけではない。こんな単純な事実を、マスコミの偏向報道で消せはしない。こんな単純な事実を、利権屋が偉そうにしても覆せはしない。おつかれさまでした。岩国市民のみなさま。たいへんな選択を迫られ、ほんとうにおつかれさまでした。市長選挙は住民投票ではありません。これからも市民の心をあわせて、是々非々で市民として、政府に行政に対峙していってください。みなさんの生きる岩国の街が、いい街になるように、心より祈念します。最後に、ひとことだけ。ガンバレー、負けるな岩国!http://miyagi.no-blog.jp/nago/2008/02/post_f8ac.htmlなごなぐ雑記さん から引用。
2008年02月11日
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今日の結果がどういうことになっても、かみしめるべき言葉として。岩国市長選挙の争点。今、現実にとりうる米軍再編、日米安保への、市民からの、民主的抵抗の具体的かたち。岩国市長選 候補者に聞く民主主義守る戦い/財政は行革で健全化へ/井原勝介氏 (2月6日付「山口新聞」)--立候補の動機は 米軍再編問題を中心にさまざまな課題について市議会とねじれ、対立関係が生じていた。このままの状態では市政運営が円滑に進まない。重大な問題なので民意を問いたいと辞職したので立候補した。--米軍再編問題にどう対応するのか 反対とか、撤回とかの一辺倒ではなく、既に提示してある五つの条件の試験飛行の実施、日米地位協定の見直し、公有水面埋め立て法の手続き、NLPの恒久的基地の明確化、海上自衛隊の岩国残留について、誠意をもってお互いの立場を尊重しながら話し合いをしていきたい。そして市民の安全安心という観点から納得のできる解決策を探していきたい。探すことができれば合意できる。合意をめざしたい。--厳しい財政をこう克服するのか 米軍再編を容認しなければ財政が破たんする。逆に受け入れれば何千億円ももらえてバラ色だ。借金も帳消しになるという誤った情報が流れているが、岩国市の財政はそんなに簡単に破たんするものではない。財政問題を米軍再編問題にすりかえてはいけない。財政再建計画に基づいて着実に借金を減らし行政改革を実施していきたい。--対立候補との違いは 米軍再編の受け入れ容認と、議論し納得できるまで前に進めないという違いがある。その背景にある政治手法として、私は市民の声を大切にして市民の幸せを図るための民主主義の政治を実現したいし地方自治も守りたい。相手候補は従来型の古い政治手法で市民の利益というよりも一部の利益が優先される古い政治で過度に基地に依存してまちづくりをする古いタイプの政治だ。--民間空港の取り組みは 従来から進めてきているが、現状は米軍再編とリンクしている。再編問題と民空再開を取引することはできない。民空再開は再編問題に一定の方向性が見えるまで前に進めない。--愛宕山地域開発の対応は 開発を中止し跡地をどう転用するか、いかに有効に活用するかが課題。旧国病(ポチ注=国立岩国病院)の愛宕山移転が大きな問題になっていたが、大枠で決まった。きちんと協議すれば確実に進む。その他のまちづくり、国への売却についてはこれからで具体的な方向性は出ていない。米軍住宅については取りざたされているが、明確になっているわけではない。国との協議で案が出てくれば住民に意見を聞きながら、岩国市にとっていい方向にいくよう努力したい。現時点では、米軍再編を容認する状況にないので、それに伴う米軍住宅は考えられる状態にない。--市民に最も訴えたいことは 争点は米軍再編問題だが、岩国の民主主義と地方自治を守る戦いでもある。米軍再編という岩国の未曾有の困難な局面に直面しているときに、どう対応するかという通常では見られない政治のあり方、進化が問われている。困難なときだからこそ政治が本来の姿に返って市民の幸せ、利益を大切にした政治で困難な局面に立ち向かうべきだ。一部の利益が優先される政治を選ぶのか、私が進めてきた市民を大切にした民主主義を選ぶのか、その選択が問われている。
2008年02月10日
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福田私案とは、福田氏が現職の衆院議員だった二〇〇六年九月十二日に記者会見で発表した「岩国基地再編に関する地域振興策」のことです。 振興策の“目玉”は、基地に隣接する住民を「集団移転」させ、跡地に、空母艦載機部隊の米軍住宅(家族用四百七十二戸、単身者用千六百四十戸)を建設する構想。集団移転させるのはJR岩国駅に隣接する市街地ながら米海兵隊岩国基地に近く、爆音被害に苦しむ同市車町三丁目一帯です。ビラでは触れず 住民の移転先は、同基地から西へ約一キロにある愛宕山。 移転構想に「とんでもないことだ。誰もそんなこと望んでいない」(予定地の町会役員)と住民は強く反発したしろものです。 福田氏は、市長選の出馬表明会見でも「愛宕山への集団移転も考慮している」と発言していますが、法定ビラでは私案にはふれていません。 しかし福田氏は昨年十一月、移転予定地で町会役員を対象に説明会をもちかけるなど、動いていました。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-02-08/2008020804_03_0.htmlしんぶん「赤旗」2月8日より
2008年02月09日
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下記は、「なごなぐ」雑記さんが、岩国の方に伝わって欲しいと、書かれたものです。米軍基地とともに生きなければならなかった、同じ苦しさを体験してこられた方のことばです。私なんかより、ずっときっと岩国の方の気持ちに近いのではないか、だから、読んでみてください。2008.02.04沖縄から岩国への手紙http://miyagi.no-blog.jp/nago/2008/02/post_7194.html 小生の生まれ育ったのは、沖縄島の北部、ヤンバルと呼ばれている田舎地帯のなかでの中核都市・名護市というところでございます。沖縄というのは、みなさんあんまりご存じないかも知れませんが、米軍基地がたくさんあります。小生はもうじき五十歳にもなろうというおっさんですが、小生が生まれる前から米軍基地はあったし、どうも小学校のころには米軍さんがどんどん勝手に基地を拡張していったらしいですが、あんまし物覚えがいいほうではないのでよく記憶にはありません。生れ落ちたときから基地の島という感じであります。それでも、小生の生まれ育った名護市の市街地のほうには基地がなくて、ほんとうのことを言ったら基地の騒音被害に関してもあまり実感を感じてない市民のほうが大勢であります。小生もそうでありました。そういうことでいうと、艦載機などの騒音被害は、沖縄名護市の住民より岩国市民のみなさまのほうがよっぽど体験なされているといえます。沖縄にたくさん集中しているこの米軍基地は、どれぐらい昔からあったものなのかよくわからないので、いろいろ調べてみたら、沖縄戦という戦争のあとからずっとじゃありませんか。沖縄戦の前はどうかというと、日本軍が少しばかりの基地を造っていたらしいのですが、あんまりたくさんじゃなかったようです。沖縄戦ってみなさん、知っていますか。なんかね、日本とアメリカはかつて戦争をしたらしいんですよ。それのほんとうの末期に、日本本土に迫ってきたアメリカ軍が上陸してきたのが沖縄で、日本は日本で本土防衛のために沖縄で食い止めるんだと必死に闘ったらしいんですね。こんな小さな島で、ほんとうになんというか、悲惨なことであります。こんな小さな島で日本軍とアメリカ軍が殺し合いをしたばっかりに、沖縄の人々は四人に一人が死んだといいます。この四人に一人という人数も、日本政府がきちんと調べたわけではなく、琉球政府や地域の自治体が生き残った方々の証言や戦争から焼け残ったわずかばかりの資料などを集めて、苦労して調べ上げて推定している数字らしいです。生き残った住民を「収容所」に隔離し、その間に、アメリカ軍は日本軍の基地を使うために直したり、新たな基地を造ったりして日本本土への攻撃準備をしていたらしい。そのときに造った基地のひとつが、宜野湾市のどまんなかにある普天間飛行場なんですね。収容所から出てきたら、土地も家も何もかもが、フェンスで囲われて基地になっていたんですから、当時の人々がどれほど困り果てたかは想像もできません。アメリカと戦争した日本が、独立した主権国家と国際社会に認められるには、ヤクザの世界でも抗争を治めるために手打ち式をとりおこないます(映画からの知識です…念のため)が、戦争した国々との手打ち式が必要なんですね。それがサンフランシスコ講和条約と呼ばれるやつで、その条約で沖縄は日本から切り離され米軍さんの支配下にされてしまったんですよ。当時の米軍さんはそれはそれは厳しく酷くて、沖縄の人間が自治をするなど神話だと言ってくれちゃって、イノシシと間違えて畑仕事している人は撃ち殺すわ、道路を渡っている小学生は戦車で轢き殺すわ、そいでもってそんなことをする兵隊はお咎めなしでいつのまにか基地から本国に帰るわ、基地を拡張するのに地主や住民を銃剣で脅して好き勝手するわで、ほんとうに沖縄の人間には人権なんてなかったんですね。こんな状況だから、沖縄の人は「日本国憲法」がある日本に帰属したいと願ったんですね。しかし「基地のない平和な島を」という沖縄の人々の願いは見事に裏切られて、米軍基地はそのままで施政権だけ日本に返還するという「本土復帰」なるものが1972年に行なわれたんですね。小生は思うんですよ、普天間飛行場は、米軍が沖縄を支配しているときに、住民のみなさんから暴力的強権で取り上げほんとうに勝手に造った基地なんだから、無条件で返すべきなんじゃないですか。なんで日本政府は、そんなことを全部不問にして、沖縄に人々の反対や抵抗を押し潰して、唯一残ったといってもいい手付かずの美しい沿岸域を破壊してまで新しい基地を造って差し上げるんですか。地政学的にとか、なんか難しい言い方で沖縄に米軍基地は必要なんだとおっしゃる方々も大勢いますが、以前は東西冷戦のためにという理由がたくさん喋られていたんですよ、それがなくなればまた新たな理由がつくられる。そんなバカバカしいおはなしに付き合っていられません。海兵隊がグアムに移転するのに、なんで海兵隊の新しい基地が必要になるの。そんなことを問うたら、またなんかもっともらしい理由が発明されるんだろうけど、もういいかげんにしてほしい。小生の生れ落ちた沖縄は、日本国憲法のある日本に復帰したつもりだったのに、日本国憲法の上に日米安全保障条約のある日本に復帰していた。そうしてその日米安全保障条約も、極東条項などの地理的概念が流動化し、専守防衛の自衛隊のみなさまの活動も米軍と共に広がって、いまや日米安全保障条約にも違反するような軍事同盟化が進められている。最近は、「日米安保」ってあまりいわなくなって、「日米同盟」っていうでしょう。名は体を表すというのは、ウソではないんですね。ということで、普天間飛行場の返還のためだというもっともらしいウソで、老朽化した施設を廃棄し最新鋭の基地を造ろうとしているのが、小生の生まれ育った名護市なんですわ。十年前に住民投票を行ない、政府や、市長さんや議員さんや土建屋の社長さんや、それはもうおそれおののくばかりの支配層の方々が「条件付賛成」を迫ってきたけど、市民は反対多数という結果で答えを出したんですね。それから市長選挙のたびに、やはりそれら支配層の方々が応援する人が当選しているけど、基地はまだ造られていません。小生は思うんですが、これは沖縄の戦後史どころか未来史をも左右する大問題であり、おそらく基地建設などはできっこありません。普段はおとなしい沖縄の人間ですが、いざとなったら人柱にでもなって止める人々が出てくる。これはもう間違いありません。政府は早いところ手を引くべきだと思います。それにしても、いま眼前にある大問題は岩国です。いま市長選挙の真っ最中ですが、岩国の有権者の方々はほんとうにたいへんな思いをさせられている。この市長選挙の結果いかんでは、艦載機など軍用機の数が一気に2倍以上の120機、米軍人も約4千人増加し1万人になる。政治的信条が保守系の方々にこそじっくりと考えてほしい。保守の矜持をみせてほしい。政府に対するイエスマンが「交渉」できると思いますか。一部の方々のあいだで回るオカネは引っ張ってくるかも知れない。しかし、岩国市と岩国市民を守るための「交渉」はできない。井原さんにやらせるべきじゃないでしょうかね。岩国市と市民を守るための「交渉」を。彼なら、ぜったい理解と納得ができる出口を掴み出してきます。いまここで妥協したら、米国のいいなりの政府のいいなりで、岩国市の自治はそのいいなりの範囲内でだけ許される似非自治でしかなくなる。名護市のような「建設」じゃないので、ハードルは低く、市長選挙で結果が出たらあとのスピードは速い。もうこれは火を見るよりも明らかだ。岩国市民のみなさまも十分味わっている艦載機の騒音被害が日常茶飯になる。残念ながらそれを止める「交渉」のステージは日本国にはない。その被害を金銭等で補償する「交渉」と、抗議という歌舞伎プレイをする自由があるだけだ。岩国市が、基地と共にありながら、ここまで来たこと。自衛隊の方々も地域住民としてコミュニティを共につくりだしていること。それらすべてを小生は否定も批判もしません。しかし、問題はこれからのことです。岩国市の将来をどうするのかです。井原さんが国に言っていることはなにひとつおかしいことではない、逆に国のやり方や言っていることが乱暴でおかしいとみている全国の人は大勢います。もう少し岩国市民の方々が踏ん張れば、野火のように国民世論が広がり、岩国へ圧し掛かっている国の圧力への批判が大きくなります。大阪の次期府知事の発言も、そのおそれからいま岩国の声を摘んでおこうという焦りのあらわれです。踏ん張ってください、岩国。そんなこんなを思いながら、常日頃、それなりの自治ではなくほんものの自治をつかみ出したいと願う小生は、遠く沖縄島から岩国の人々のご苦労に思いをはせている次第であります。 よそものに、市長選挙について口出しされて、あまり面白くない岩国市民のかたもいると思う。偉そうに都会の人間が、だったらそこに米軍基地持っていってよと、思わず心のどこかで叫びそうになるときもあるかもしれない。あなたたちは「反対」と叫んで帰ればいいけど、「私たちは岩国で生きていくんだよ」と憤る気持ちも、わたしには痛いほどわかる。そうなんだ、そこで生きていくのはあなたたちなんだ。でも、だかこそ、小さな声でいわせてほしい。でも、だからこそ、抑えきれない言葉を、そっと置かせてほしい。がんばって、負けないで、岩国
2008年02月09日
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六ヶ所村再処理工場のアクティブ試験が、ガラス固化(高レベル放射能硝酸溶液とガラスに通電して1100度に熔かし、再度固める)で行き詰まっています。これを3月一杯に解決できない時は、国、青森県、日本原燃の三者による、安全協定が結ばれることはありません。高レベル濃縮廃液を超高温で扱うガラス固化自体が、熱と水素と放射能の充満する途方も無く危険な工程です。こんな危険な核再処理、本格稼動すれば、大量の各種放射能を空と海に、いつでも放出します。「美浜の会」の勉強会に、出席してきました。否認を潔しとしない人々に、たくさん出会えました。原子力をとめたら、代わりの3割の電力をどう賄うのか、政策をのべよ、などという否認派に、私たちがくじけることなど、なにもない。東北の農業を損なうから悪い。放射能を出さないと、35年前に政府は約束したのに、このまま許したら公害行政が30年逆戻りするから悪い。プルトニウムという毒物の大々的な商業利用、というパンドラの箱を開くから悪い。25年の歳月と2兆3千億円ものお金をかけて、未だに1ワットの電気さえ作れなかったプルトニウム政策にしがみつくのは、税金の無駄使いだから悪い。地方を差別する政策だから悪い。これで十分だ。正しいことは正しい、悪いことは悪いと、われわれ市民は言えばいいのです。堂々といえばいいのです。プルトニウム政策は、1、高速増殖炉 2、六ヶ所村再処理工場 3、プルサーマルで出来ています。このどれもが、1ワットの電力も作っていない。止めても、電力事情になんも関係ない。核のゴミが貯まりつづける。ゴミや言うたら、そんなキケンなゴミために貯めて(原爆5万発分)どないするねん。言われるに決まってるから、「いえ、あれはゴミじゃございません。プルトニウムという燃料を取り出せる大事な資源です。」とかいうて、ごまかしてフランスに送り出して、時間稼ぎするための国策やったんです。やめたって、かまわんのです。こんな危険なこと、やめればいいのです。技術は古い、その上、未熟。取るとこないのです。新聞は言わないけど、世界中が猛反対。関連するページhttp://cnic.jp/ 原子力資料情報室 Citizen’z Nuclear Information Centerhttp://www.youtube.com/watch?v=-CQTtf1ntUc土鍋かふぇ楽ちゃん tel.077-574-0816(完全予約制)坂山保之さんにいえば、「六旅」という手作りの冊子を送ってもらえます。
2008年02月08日
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青森のリンゴは世界一です。手塩に掛けて育てられる、農家のみなさんの、お心と、手間隙を尊敬します。毎年おくられてくるリンゴは、それ一つづつが太陽のようです。ところが、農家の方々の愛情を、台無しにしてしまうことが、目前に迫っています。六ヶ所村核燃料再処理施設の本格稼動です。先日、六ヶ所村の方のご好意で出して頂いたむかごが売られていました。しかし、それを作った農家の方の顔を、私は知っているにもかかわらず、その方が、心を込めて農作物を作っていることを知っているにもかかわらず、そのむかごを、買えなかったです、わたしは。情けない、申し訳ない、と思いつつ、買えなかったです。先日のアクティブ試験の放射性ガス放出だけでも、もう買えなかったです。それだけではありません。今後、三陸沖の海産物を、どうやって安心して、買い求め、食べ続けることができるでしょう。三陸沖の親潮に乗って、伊勢志摩の沖で作る潮目にあふれるサンマも、食べられなくなります。おねがいです。私たちは、青森の、三陸の、東北の、日本の食べものを、食べたいです。安心して、食べ続けたいです。そのために、青森の、東北の、農業、漁業を支援する覚悟でいます。稼動さえしなければ、そのために、経済的に青森が苦しむなら、その苦しみは、消費者である私たちも背負います。いえ、苦しみなんかじゃありません。今以上に、青森産の、リンゴを、昆布を、米を、トマトを、喜びにあふれて買いましょう。六ヶ所再処理原発の本稼動に繋がる、安全協定を、まだ結ばせないで下さい。東北の第一次産業が、死にます。青森県知事に、働きかけてください。私達は、食の安全を、待ち望んでいると。お願いします。http://www.ja-aomori.or.jp/chuoukai/に送りました。
2008年02月08日
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戦争は戦場で始まるのではない。日本原で、沖縄で、岩国で、戦争は始まっているのだ。戦争で殺人を可能にする数々の技術が、兵士にあたえられる。演習場で、基地でおこなわれている、死傷率を異様に高める現代の兵士の訓練が、殺人行為そのものであり、戦場での虐殺「成果」は条件づけの訓練の結果にすぎない。ホワイトハウスで、首相官邸で、トラウマからは物理的距離にも、心理的距離にも守られて、殺人の命令を下す社会階級の者たちは、万単位の犠牲者も平気だ。コンピューターゲーム戦争によって兵士がトラウマを受けることが極端に減った。日々のニュースやバーチャルなコンピューターゲーム、映画などで、兵士でない多くの市民も、殺人に対して脱感作される。殺人に抵抗する心理的安全装置をはずされた人間が、あふれることの代償を、社会は支払う。殺人であることから目を背けて戦争をつづける社会は、歯止めなく劣化する。元兵士が自分の残虐行為に直面することを、権威者の要求と、物理的心理的距離の国家政策による利用、新兵教育の脱感作、戦後の社会的支援が防いでくれる。このことは、実際に大量殺人を行なった日本軍にとっては、身内からの避難が減って都合がよい。さらに、教科書問題に見られるような、日本軍の実像と戦争責任を否定して若者を戦争に駆り出したい勢力にとっても、都合がよい。日本軍の戦争責任が曖昧にされて来たことをよいことに、一挙に教育でこれらを否定しようとしている。日本軍の戦争責任がはっきりと裁かれてこなかったことが、現在も日本国家が戦争に参加することを可能にする原資となっている。日本兵が戦場で残虐行為を働いたことは、戦争の最も邪悪な面を現して普遍的である。ただし、元日本兵が戦争と戦場を懐かしむ時、自分の罪を否認する時、それを担保しているのは、上官、直接に天皇の無罪であり、現にある自衛隊の存続である。戦後憲法9条のもとですら「軍が必要」なら、当然、彼等は旧日本軍も、お国を守った軍隊、と思っているのだろう。あたりまえのことを延々と書いて、たいくつな文章になっちゃった。このへんでやめとく。でも、あたりまえのことって、だいじなんだよねえ。今日の格差社会は、心理的距離をふやすために、戦争への近道だ。格差社会の頂点に立ち、みずからはトラウマから離れている者が、残虐行為をわれわれに命じるから。われわれも、自分以下、人間以下と考えるものに発砲できるから。格差を減らす政策を政府は取るべきだ。権力に骨までしゃぶられるような利用のされ方をしないためには、共犯にならないこと。戦争に、なし崩しに慣れさせられてはいけない。テロ特措法反対。倫理的盲目にならないために、あらためて、偽装教育基本法、反対。http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/tero-toku10.htm現時点でのまとめ。
2008年02月08日
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日本兵は、次世代に、自分が戦場でして来たことを、多くの者は語らなかった。いくら靖国が英霊と奉り、国家が顕彰しても、彼らは、手を汚して殺人をしてきた兵士は知っているのだ。それが、倫理的に許されないことだ、と。そして残虐行為に加担したものほど、残虐行為を命じた権威や受け入れた「倫理」と一体となり、その正当性を死守しようとする。それが守られなければ自分は単なる人殺しになるから。自分が従った権利の倫理上の敗北は、自分の人生の完敗を意味する。靖国に隊列を組んで参拝する老人の姿は、そのようなものではないか。意見を求められれば、「国のためだとおもってた、上官に逆らえなかった、天皇の命令と信じてやった、やつらは我々より文化的に、倫理的に劣るから罪と思わなかった」等々、吐かれる言葉は、無限に合理化を続ける。それでも心のどこかでしっているのだ、殺した人間の憎悪に歪んだ顔を。いくら否認しても、否認しても、あたまをもたげる「自分はけだものだった」という声を、遠くできくのだ。でなければ、ほとんどの兵士が加害を語らないはずが無い。たとえ社会が、上官が、国家が自分の罪をとがめなくとも、人間に備わった「同種の人間を殺すことへの強い抵抗感と、実際に殺した他人の憎しみの暴風を浴びてその後の人生を生きる困難」から、死ぬまで遠ざかっていることはできないのだ。だから、自分の犯した殺人は、理解されるものではないし、次世代に許されるものではない、と心を閉ざしているのだ。多くの戦闘経験者が、語らなかったという事実が、かれらに教育によっても消しきれない普遍的人間性が残っていることの、証拠ではないか。固いかれらの鎧を解くのは、ネルソンさんに子供たちが注いだ慈悲のことば、「かわいそうなネルソンさん」、だ。かわいそうな兵隊さん。人間性を否定されて。残虐の手先にされて。人殺しによって、自分の命も馬以下とされて。そしてあなたは、人殺しの罪を一生負わなければならないのだから。
2008年02月08日
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それに、社会が、PTSDを回避するために、兵士を「よくやった」と褒め称えなければならないというなら、その軍によって虐殺された市民、例えば沖縄住民、のPTSDは、いつ癒されるのだ。自国軍でさえ、「軍は住民を守らない。」それを、みごとに現したのが沖縄戦だ。さらに、それを国策として進めた国がその非を認めないなら、侵略された、虐殺された海外の住民の戦闘被害は、どうやって慰められるのか。海外で、戦場で、虐殺を行なって来た帰還兵を、パレードでもって迎えよ、というのは、国内政策としても、現在では外交問題としても通用しないだろう。世界のあらゆる住民の顔を見ることができるようになった現代。我々は、普遍を目指しうる。人間が本来持っている同種の人間を殺すことへの強い抵抗感。これに背くと、戦後の人生を掛けた購いを自分の心が要求するという。自然な人間性は、裏切ろうにも裏切れないのだ。人間性に正直になればいいのだ、もっと。「軍備はできれば持ちたくない、でも・・・」・・・にはいる多くの殺人否認の理由は、ほんとうは大事でないことばかりだ。普遍を志向する世界で、どうして、軍の殺人行為を顕彰することができよう。兵士を送り出した社会は、兵士に対して道義的責任を負うとしても、わたしは、そんな責任は負いかねる。人殺しをしてきたものを、よくやった、と迎えるような道義的責任など、負いかねる。人殺しの爆撃機に給油して来た者を、どうやってよくやったと誉めればいいのだ。十分な医療を提供し生活の安定をはかる。むしろ兵士とともに送り出した社会と政府の罪を認め、社会適応できなくなった兵士に対し、彼らが実体験を踏まえて社会にプラスの還元をできるまでに心身の回復をサポートする。兵士に非人間性を叩き込んで戦場へ送り出し、同種の人間を殺すことの抵抗を乗り越えて人殺しに手を染めさせたあとに、罪悪感で満たされた兵士を迎え入れて、送り出した社会が自己温存のために道義的責任をはたすより、間違いを正すことを選択する。
2008年02月08日
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近代国民国家の成立と、国民軍への平民の参加は、裏表の関係にある。国民国家成立過程では、国民軍参加が、平民に、自由や人権の回復を約束した。新しく生まれた脆弱な国家は、国民軍兵士を顕彰し、義勇兵をつのった。しかし、義勇軍にルーツを持つ近代国家の軍隊から、われわれの軍隊は、大きく性質を変えてしまっている。兵士の顕彰は、国民の怒り、不満を吸収する。そのため、いまでは、国民に犠牲を強いた国家が、権力の維持存続を図るために、顕彰を利用する。明治以来10年ごとに侵略戦争を繰り返した近代日本の歴史においては、天皇の軍隊は、侵略者を倒す軍隊でも、人民の権利を回復するためのものでもなかった。植民地に利権をもつ財閥の利益を守るための軍隊であり、国民の自由を奪い、生命を奪い、権利を奪うものだった。なのに、敗戦後もそれらの主張が民衆の手で処罰されなかった。それどころか、戦争に参加した、させられた、(服従した)社会が、戦争指導層の復帰を許した弱さ。それは、被害者、という自らの規定から出られなかったから、という面をもつ。加害者としての、自己否定を経験していない。「醜い加害者」としての自分という認識は、目の前の人を殺し、自分を生かすために人が死ぬのを見なければならなかった一部の人々―沖縄戦被害者、原爆被害者、など―を例外として、多くの市民には共有されなかった。http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/souten.html一番そう思うべき大方の従軍者が、自分の加害行為を合理化して、責任から逃げる。彼等が自分の現場で虐殺した罪を認めないから、自分の人間性を奪った上官を糾弾する力も弱い。ひいては、国体―現体制、権力―の悪を糾弾する力も弱い。一億総懺悔などというフザケたプロパガンダを、人民が簡単に受け入れ、指導層の罪を一億分の1に薄めてやり、その後一度も国民自身の手で戦後司法が戦争犯罪を裁かなかったからは、集団免責という無責任体制を取り続ける政府は正統だと、国民が主権で保障している、ということだ。同時に、国家の価値観を取り入れ、罪の一端を担った自分を、罪なきものと済ますことであった。
2008年02月08日
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身内より、戦争犯罪をだれひとり裁かぬのに、さきに、我々は、一億総懺悔してしまった。だれに懺悔したの?なにを懺悔したの?もし、アジアの人民2000万の人殺しに対してなら、今ごろ、謝罪問題でこんなに怒りを買うだろうか。侵略し植民地化し、戦争して、人の土地を血で汚したことを、だろうか。それなら、未だに、アジア蔑視の感情を垣間見るのはなぜ?われわれは、なにを懺悔したのか。われわれは、なにを学んだのか。本当なら、罪におののくはずの兵士を、市民を、盲目にしたのはなにか。加害者であり被害者であった兵士から、大きな声が揚がらなかったのは、なぜか。これを、日本文化の固有の問題と捉えるなら、日本人の原罪、というような袋小路に入ってしまう。結果として、権力の悪事から目をそらされる。戦争を見続けて来た筆者の目からはどう見える。兵士が声を挙げなかった理由のうち、強調すべきは、国家政策としての虐殺の利用。国家政策としての、戦争における致死率をあげる「文化的、社会的、倫理的距離」の利用。15年戦争、それらが理想的にうまくいった。じつに、巧みに利用した。天皇による権威。大東亜共栄圏の「倫理」劣等民族としての被侵略民、上官への徹底的服従。残虐行為の共犯。教育。そうだ、教育。天皇の権威を教え込んだのも、共栄圏の倫理も、近隣諸国民族を劣等民族と教え込み、思い込んだのも、教育だった。軍隊での訓練、それは、米軍だってやった。東洋人をグック、日本人をニップと呼んだ。だが、小学校から天皇崇拝、皇国意識をたたきこまれた軍国少年、軍国少女と、鍛え方がちがう。大正から昭和一桁生まれの多くの日本人には、戦後の教育を途中からでも受けたものとちがって幼少期の教育が根深く骨まで染み込んでいたのではないか。自分が切り殺し、暴行した朝鮮人、中国人、インドネシア人の、強烈に憎悪と憤怒に歪んだ顔をみても、それを自責の念とともに思い出すことが無かった理由なのだろう。徹底して民族的差別を抱いていたから!それが、敗戦後も、否認防衛機制を持ちつづけられた大きな理由だろう。もう一つは、集団免責に関ることだ。天皇の名において殺人を行なう。そこに、倫理的罪責否認の根拠がある。天皇の権威は、ヒトラーや、ムッソリーニのように、地に落ちなかった。落ちてないでしょ?それどころか、戦後日本国民の統合の象徴、とまで持ち上げられる。戦争はいかん、といいながら、その戦争を人民に命じ、それをもって殺人罪を免責させた張本人が処罰されていないのだ。だから、かれらのアジア人民の大量虐殺も免罪される。当然でしょ?戦争の「倫理」は、死ななかったんだから。われわれ自身の手で、処罰しなければならないのだ、本当は。自分の人間性を奪い、人殺しと言う、背負っても背負いきれない荷を背負わせ、みずからはよごれず、保身のみに汲々とした昭和天皇ヒロヒトを、帰還兵は、なぜもっと恨まなかったのか?それは、まだかれらの目に、自分の人殺しの罪が突きつけられていなかったからだ。差別や、権威者が処罰されないことで、目が曇っているのだ。まだ、一心同体なのだ。都合よく、他者がわざわざ残してくれた合理化の手段、罪責否認のベールを、わざわざ自分から破って、自我を危機にさらすようなことを、大方の人々が行なえるわけがない。
2008年02月08日
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戦後に、日本兵の罪状否定を可能にする否認防御機制が、敗戦と東京裁判後も残った。罪状否認を可能にする機構とは、服従を要求する権威者、集団免責、犠牲者と殺人者の物理的、心理的距離である。一方、殺人後に内に罪を抱えて戸惑う兵士に、安らぎを与え、潤滑な社会復帰を行なわせるのに必要な過程が、「殺人の合理化と受容のプロセス」だ。勝利、戦争の大義、帰還後の顕彰、死んだ戦友を思い起こし、哀悼の意を表する記念行事や記念碑、恩給、周りの理解、共同体での尊敬、である。この二つは、重なる部分が多い。勝利で、かれらの大義は強化され、殺人を命じた権威者の権威も正当化される。日本の戦後においては、敗戦によりパレードこそ無かったが、多額の軍人恩給が支払われ、毎年、日の丸が掲げられた殿堂では、天皇と総理大臣が追悼する。菊のご紋が来訪者を威圧する靖国で、戦友は英霊と奉じられる。遺族会は(力を落としつつあるものの)政治圧力団体として有力で、仲間で集まれば殺人者同士互いを癒す。これらの「社会的支援」がベトナム戦争後のアメリカにはなく、戦後の日本にはあった。合理化と受容を促す社会の「支援」があったかなかったが、ベトナム帰還兵と15年戦争帰還日本兵を大きくちがえた。両者は、同じく敗戦し、かれらの戦争の大義は砕かれ、社会もそれを認めなかったにもかかわらず。認めなかった?ほんとうだろうか。たしかに、アメリカ社会はベトナム戦争を否定した。日本の戦後はどうだったんだろう。民衆は、「戦争はもう二度とイヤ」といった。日本国憲法を歓迎した。しかし、八紘一宇だの、大東亜共栄圏だのを、はっきり否定したか?忘れただけじゃないか?なぜ、侵略のシンボルだった日の丸を掲げて、追悼し、「尊い犠牲」などという曖昧な言葉でくるむ?「国家教」はちゃんと否定したのか?ちゃんと議論したか?戦争が間違っていたなら、もしそうなら、全ての日本兵は戦争犯罪人だ。天皇も、戦争犯罪人だ。でも、そういわなかったじゃないか。触れてはいけないことのように、兵士の、父の、祖父の、戦場での虐殺行為をだれも問わない。まるで、われわれの精神の健康のために、タブー視したかのようだ。教科書から、「強制」という言葉が消え、「関与」などというわけのわからん言葉に置き換えられる
2008年02月08日
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東京裁判が天皇免責を決めた時、本来戦争敗北によって、あらわになるはずだった日本軍とその兵士、「銃後」で支えた日本社会全体の罪が、2000万人虐殺行為の罪が、免責された。日本社会は、15年戦争の文化的、倫理的価値を身内に引き継いだまま、生き延びた。新しい価値は来たが、古いものを消したわけでは無かった。他国では普通に見られる兵士の精神的戦闘被害が、日本の15年戦争従軍兵士には、非常に見つけにくい。そのことから、日本兵の居直り―例えば、沖縄戦の戦隊長―と深刻な罪責感の欠如を、日本の社会、文化の固有の問題を含むものと捉える論説もあった。しかし、戦争をもっとよくみてみよう。戦争というものの持つ、普遍的特長が、15年戦争にも現われていないか。みずからも戦争当事者となった筆者が、南北戦争から現代のわたる世界の戦争の資料から帰納する、戦争の普遍的特徴は、ふしぎなほど15年戦争にもよく当てはまる。ならば、日本文化の特異な現象と捉えて袋小路に陥るより、「戦争が普遍的に持つ、もっとも醜い面」である虐殺が、それを15年戦争で直接担った兵士にとって、ついに否認できない罪状とはならなかった、つまり、殺人を合理化する根拠が戦後の日本において崩されなかったことに違いがある、と考える方が合理的だ。日本固有の文化的背景と思われるものも、戦前の徹底した軍国教育ときりはなせない。文化か、教育か?文化といって問題を曖昧にする。戦争から目を離さず30年を過ごした筆者の目には明らかだ。彼らを虐殺行為に順応させたのは、訓練をふくめて、「戦争を可能にする教育」ではないのか。すでに、飽きるほど述べられてきたことだが、「教育」が、戦争に果たす役割は非常に大きいと、今さらながらに、「教育」の重大さを思う。教育と聞いて詰め込み教育の功罪をイメージするのは、教育の意味の意図的な矮小化だ。その後の一生の行動を決める力が、教育にはある。
2008年02月08日
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殺人の訓練→条件づけオペラント条件づけによる早撃ち訓練 できるだけリアルな的を使い、射撃に成功するとその場で正のフィードバックが与えられる。(人型の的が、バタッと倒れる。褒賞がもらえる。など)正の感情で目的とする行動を強化する。人が飛び出す=誘因と、射撃が成功する=目標行動の間に反射が成立する。これにより、第二次大戦時に5~20%だった歩兵の発砲率を、ベトナム戦争では90~95%に高めた。兵士の最近の体験(敵に友人や親族を殺された体験)は、殺人をおこない易くする。殺人への抵抗感の克服→脱感作、条件づけ、否認防御機制 をくみあわすこと。残虐行為の闇の力1、 死(仲間の)による資格付与仲間が任務に一身を捧げたことをみて、任務の崇高さ、自分達の優秀さが確信され、自負が強められる。2、 残虐行為による資格付与テロリズム;人間の残虐性という事実に直面すると、あまりのことに茫然とし、戦意をくじかれ、なすすべもなく従ってしまう。3、 殺しの資格付与大量殺人・大量処刑は、大量の資格保有者を生み出す。「・・殺せと要求する社会的・心理的力の前に屈することだ。だがそうすることで、兵士は奇妙にも力を与えられるのである。実際に人を殺した兵士は、お前は女子供を殺した殺人犯だ、許しがたいけだものだと責めたてる自分の一部を抑えこまなくてはならない。身内の罪悪感を否定しなければならない。世界は狂っていない、自分が手にかけた相手は畜生以下なのだ、邪悪な害虫なのだ、国や上官の命令は正しいのだ、そう自分で自分を納得させねばならない。この残虐行為はたんに正しいというだけではない。殺した相手よりも自分の方が、倫理的社会的文化的に勝っているという証拠なのだと、兵士はそう信じなけばならない。 残虐行為は相手の人間性を否定する究極の行為であり、殺人者の優越性を肯定する究極の行為である。これと相容れない考え、すなわち自分は過ちを犯したのだという考えを、殺人者は力ずくで抑えこまねばならない。そしてさらに、この信念を脅かすものには、それがなんであれ激しく攻撃を加えねばならない。殺人者の精神の健康は、自分の行いが善であり正義であると信じられるかどうかにかかっているのである。さらなる殺人へ、虐殺へと殺人者を縛り、またその力を与えるのは、犠牲者の血である。この資格付与の基本的な心理は、悪魔的な殺人や狂信的な殺人の動機そのものだ。ここを理解すれば、悪魔との契約というたとえがそれほど突飛でないこともわかる。これこそが、何千年も前から人身御供という儀式に内在する力であり、機能であり、また魅力だったのである。」指揮官・同輩との絆「残虐行為を命じた者は、命令を実行した者に、そしてその大義に、罪悪感によって強力に結びつけられる。大義が成就しなかったら責任を問われるからだ。全体主義の独裁者の場合、指導者のため大義のために最後まで戦うと信頼できるのは、秘密警察や親衛隊型の部隊である。全体主義の指導者は、部下を残虐行為に参加させることによって、寝返る怖れのまったくない手先を手に入れることができる。かれらの運命は、指導者の運命とひとつになる。みずからの論理と罪悪感の罠にはまった残虐行為の実行者には、<神々の黄昏>が訪れたときには、完全な勝利か完全な敗北か、ふたつにひとつの運命しか残されていない。」レイプですら、集団の結束を固め、犯罪行為を可能にする強力な行為として、政治の道具に使われた。残虐行為の罠「残虐行為を強制することで人を結束させる場合、このプロセスをある程度持続させるには正統性という基盤が必要である。国家の権威、国家宗教(大日本帝国の天皇崇拝)、など形はさまざまだが、これらはすべて「正統性を与える」要因である。しかし、そこには自滅の種子が内包されている。残虐行為による結束強化と資格付与のプロセスを経験すると、個々の成員はその集団にからめ取られる。なぜなら、かれらの本性に気づくその他の勢力はみな敵対勢力になるからである。残虐行為を犯す者は、それが世間では犯罪と見なされることをもちろん承知している。だからこそ、民族国家レベルでは国民やマスコミを操作しようとするものだ。」燃える橋と一方通行路「結束強化と資格付与のプロセスとして残虐行為を受容させるのはきわめて難しい。しかし、いったん資格付与のプロセスを受け入れた者、敵は人間以下なのだからなにをしてもよいのだと思い込んでしまった者は、やがて深い心理的な罠にはまり込む。体系化された国家政策として残虐行為を利用しようとする者は、この両刃の剣によってよって打ち倒されてきた。残虐行為という道を選ぶ者は、みずからの背後の橋を焼き払っている。引き返す道はないのだ。」「問題は、みずからに力を与える源泉そのものに足をすくわれたということだ。ナチスは民族差別主義をとり、残虐行為の基盤として敵の人間性を否定してきた。かれらの軍隊が戦闘において強力だったのはそのためである。だが、人間性を否定してきたがために、<アーリア人>以外は人間として扱うことができなくなってしまった。ウクライナを<解放>しても、離反したソ連の部隊をナチスの大義に転向させるチャンスをナチスは活かせなかった。」「残虐行為を犯す者は、降伏が許されないのを知っている。残虐行為はかれら自身に力を与えるのと同時に、敵にも力を与えているのだ。政策としての残虐行為を制度化し実行するとき、実行者も社会もその行為とともに生きていかねばならなくなる、それがなにより恐ろしいことなのである。」最大の罠―汝の行いとともに生きよ同じ人間に対して残虐行為を働いた者は、良心と未来と心の平和を売り払い、かわりに束の間のはかない利益、自滅につながる利益を手に入れる。従順の代償「殺人者は殺すことで力を得るが、しまいにはー何年も経ってからという場合も多いが、自分の行為とともに封じ込めていた、罪悪感と言う心理的な重荷を背負うことになる。この罪悪感は、殺人者の側が敗北してその行為の責任を問われたときには、ほとんど避けがたいものになる。自分の罪の大きさに真に気がついたとき、兵士は極端な反抗に走るにちがいない。」「だが、残虐行為の環境には、同輩や指導者に立ち向かうのを妨げる重大な要因が関っている。まず第一の要因は、集団免責と同輩の圧力である。ある意味では、服従を要求する権威者、殺人者、その同輩たちはみな、殺人の責任を仲間うちで分散させて薄めている。汚れ仕事を他者にさせているから、権威者は殺人のトラウマからも責任からも守られている。また殺人者は、真の責任は権威者にあり、並んで引き金を引いた者全員に罪は分散していると合理化することができる。」「残虐行為によって抑圧された人々は麻痺状態に陥り、服従と従順という学習性無気力状態に落ち込んでゆく。いっぽう、残虐行為を行う兵士のほうもこれと非常によく似た影響を受ける。残虐行為によって人の命の重みは著しく低下する。そして兵士は、自分自身の命の重みも同じように低下していることに気がつくのだ。心のどこかで兵士は思う。「運が悪ければ自分もそうなっていたかもしれない。」自分もいつああなってもおかしくないのだと。抑圧、不正、虚偽という力のなかには、歪んだ論理と能力が宿っている。だが、この能力を求めるものは破滅と否定の悪循環に囚われており、そのためにしまいには自滅するのである。かれらに引きずられてこの地獄に落ち込んだ犠牲者たちとともに。集団全体が、残虐行為の歪んだ論理を全面的に奉じる覚悟をしない限り、その論理のもたらす短期的な利益さえ手に入らず、みずからの矛盾と偽善によって集団はたちまち弱体化し混乱する。魂は半分だけ売るというわけにはいかないのである。」
2008年02月08日
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「殺人を可能にする物理的距離の尺度とは、突き詰めて言えば、犠牲者の顔がどの程度はっきり見えるかということでしかない。」だから、ブッシュはイラク人を大量殺害できるし、自衛隊は爆撃機に給油できるのだ。戦争における「人殺し」の心理学 デーヴ・グロスマン「フードや目隠しの存在は処刑を行ないやすくし、死刑執行人の精神の健康を守るのに役立つ。」だから、アブグレイブでCIAと軍は、笑いながら、デジカメのシャッターを押しながら、拷問できるのだ。「苦痛と憎悪に歪んだ恐ろしい顔」の記憶という代償を払わなくて済むから。死の方程式1、 威者の要求2、 団免責(=責任の分散)3、 犠牲者との距離が適切に操作されると、殺人を行ないやすい。1、服従を要求する権威者の被験者に対する近接度服従を要求する権威者に対する被験者の主観的敬意度服従を要求する権威者による殺人行動の要求の強度服従を要求する権威者の権威と要求の正統性2集団に対する被者験の自己同一性集団と被験者との近接度集団による殺人支援の強度直接集団の人数集団の正統性3殺人者と犠牲者の物理的距離殺人者と犠牲者の心理的距離 社会的距離;社会的に階層化された環境において、特定の階級を人間以下と見なす慣習の生涯にわたる影響古代史における接近戦の殺人の圧倒的多数は、「高貴の人々」によって行なわれた。 文化的距離;人種的・民族的な違いなど。犠牲者の人間性を否定するのに有効ヨーロッパ列強による<有色人種>の征服と支配。敵の人間性を否定するための蔑称<グック(東洋人)><ニップ><ちゃんころ> 倫理的距離;倫理的優越と<復讐>の正当性を固く信じること西欧のプロパガンダの歴史は、<十字軍>に始まる。人種的・文化的に多様なアメリカで利用されるのは、<悪の枢軸><大量破壊兵器><自由と民主主義>など、倫理的距離である。 機械的距離;手の汚れない<テレビゲーム>殺人、すなわちテレビ画面、熱線映像、暗視装置など、機械的な緩衝物を通じて行なう殺人の非現実感をいう犠牲者の条件が一定の条件を満たすと、殺人が行ないやすい・ その犠牲者を殺すためにとりうる戦略の適切性と有効性・ 犠牲者の適切性(殺人者および戦術的状況に対する脅威としての)・ 殺人行為の有利性―殺人者の利得 -敵の損失
2008年02月08日
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この人を、お願いしますよ。廊下でいきなり、帰りかけた同僚に、梅田氏の公約ビラを見せている。「わたしは、もともと自民党だったんだけど、いまの政治は酷すぎる。今度の知事選は、ちゃんと考えてくれてるこの人に入れてください。」70歳近いおばあちゃんがこういうのだ。やるやん。ていうか、やられた。わたしも「今度の知事選、橋下だけはおとさなならん!」と張り紙をしたが、なかなか、声は掛けられへんかった。「若い子が、選挙いかへん、いうから、私は、あかんよ、行かな、いうてん。」おー、わたし。「そうそう、言うことイワンとねえ。憲法にも、不断の努力で民主主義を獲得せいよ、と書いてある。イカンとおもたら、その都度いわんと。つねに声上げんかったら、押し返される。」そんな話を昼にして。「今日の選挙結果、12時ごろにはでてるかなあ。」糖尿病の彼に帰りぎわ、いきなり話を切り出された。「病気のこととで、気持ち暗なるばっかりや。仕事めっちゃしんどいねん。一人で、夜中の11時から朝の6時までにスーパー24軒廻るねん。見えへんのに。一個一個降ろさなあかんねん。トラックに、山と積んだある商品みたら、ぞっとする。」「仕事の量、へらしてほしい、って交渉してみたん?」「そんなんしてみ、そうですか、ほな辞めてもらいますわ、いわれるだけ。経営側の方が強いねん。」「そうかー。一人ではあかんね。組合ないとアカンねんなあ。声を集めて、力にしてくれる。」「今は、ぼくらのおもてること、とどかへん。」「私らが、望んでへんことばっかり、決めてやりよる。給油でもそうや。だれも、そんなんして欲しい言うてないのに。」「みんなの声がとおらへん、こんなん、民主主義とちがう。」「投票率、高い言うてるから、時間掛かるかも。Uさんはもう選挙いったの?」「ぼくは伊丹に引っ越したから。投票でけへん。」「あ、そうか。」「大阪は、芸能人が強いからな。だいじょうぶかなあ。」「ほんま、恥ずかしいわ。」「大阪が、これ以上わるならんように、よう考えて投票してほしいなあ。前の知事は金まみれ。府民のこと、ちゃんと考えとらんやろ。知事になったら、サイドビジネスでもうかるんやろうけどな。もっと、ちゃんとしたひとに知事になってほしいわ。大阪は、革新つよかったのに。」「黒田さんね。この十年、ノックやとかつづいて、めちゃめちゃや。それやったら、橋下はあかん。あれは、金になることやったらなんでもしよる。高利貸しのアコムの弁護士やった。そうやね、私は、梅田さんに入れた。熊谷でも、梅田でもいいけど、橋下はあかん。梅田だけは、落とさなならん、おもてるよ。あれは、税金払わんやつは、生きてる値打ちない、いいよった。年寄りには、我慢してもらわなアカン、いいよった。なにをガマンするの?食べるもの減らして。データみたら、この1年、新しい服買ってません、いうてんのに。お年よりは、いままで頑張って来た、その人らに、安心して生活してもらうの、あたりまえやんか。老後のしんぱいせなあかんなんて、ええくにと、ぜったいちゃう。」「そや、弱い者いじめばっかりしよる。弱い者いじめはアカン。自公になってから、弱い者いじめばっかりや。毎日、明日のこと、心配や。老後のことも心配や。」「そうや、自と公は分けなあかん。だいたい、公明党、創価学会の信者さんらは、いまの自公の政策をつづけたら、苦しむ人がほとんどや。だから、公明の中でも、割れとる。ここをついて、自民と分かれさせなアカン。それに、自民は機能不全。二世議員ばっかりで、みんなが苦しんでることワカラへんねん。」「そや、もう自民党はアカン。わかれへんねん。一回民主党にやらしたらええねん、やらしてみてあかんかったらやめたらええねん。野党結集でけへんのかなあ。」「そうやね、意見の違いはあるし、、、民主は第二自民党やけど、、、共産党単独では政権とるのはムリやし、、、そやね、一回やらしてみてアカンかったらやめたらええねん。」普通のひとが、自然にこんなことを話し出し、意見があう。え、こんなことまで話題にできるの!と驚くことまで話せる。みんなのなかに、「これはあんまりだ」がいっぱい詰まってきているのだとおもう。そして、わたしは、「橋下大阪府知事」誕生のしらせを、午後9時、帰宅途中の彼の電話の声で聞いた。
2008年02月08日
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少し前、診察室で、はなしの何かの流れで「いま、岩国で予算カットされて大変なことになってるでしょう?」と目の前の患者さんにいったら、へ?で拍子ぬけ。「え?岩国が、政府にいじめられて大変なことになってるの、知ってる人!」と訊いても、その場にいた何十人か、だれも手をあげない。「ワタシだけ?!」そうなのだ。大事だ、皆もそう思ってる(にちがいない)。ネットでは知っててトーゼン、と思っていること。それが、ところが、一般に認知されているか?否!まったくみんなが共通の課題として知っていることでも何でもない。温度差、というより、しらない。これでは、政府に反対の民意を突きつけるといっても、全国的な力など、出ようがない。この落差を、十分視野に入れておかないといけない。常に、外へ、外へ、働きかけねばだめだろう。えー!NHKも、民放も、テレビ局はこのニュースを流さないの?テレビを見てなかったので知らなかったが、マスコミは言わないの?!後期高齢者医療制度も、同じ扱いなのだろう。まだまだ知られていない。ひとたびその酷さを知れば、黙って国民が通す法律ではないことは、あきらかなのに。声をあげるべき人が、知らないがために挙げずに、事態はすすんでしまう。皆が知る前に、ことは秘密裏に成ってしまう。
2008年02月08日
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「人殺し」の心理学にもどす。「夕凪の街 桜の国」で、罪悪感が彼女の心に喰らいつくのは、まんまるい顔で「水をください」と自分に助けを求めた被害者を、自分が「見捨てた」から、だ。人は、生殺与奪の権を与えられ、特に同胞の顔を見たうえで、捨てる選択をしたとき、「同胞殺し」の罪に、自分の存在を否定さえする罪悪感に責めたてられる。たとえその死が、自分に起因するものでなくとも、その死にとりつかれ、自分の責任と考えざるをえなくなる。本来この人たちを殺した者が背負うべき罪を、顔をみ、声を聞いたがゆえに、同じ境遇に立たされた被害者が一身に背負ってしまった。沖縄で起こった集団強制死では、肉親が肉親を手にかけた。しかも、顔を見ながら、カミソリやなた、くわなどを至近距離で使用して。そのために、生き残った人々に深い傷を与えた。最も抵抗感の強い状況での、しかも肉親殺し。強制されなければ、できるものではない。かれらが追い込まれたのは、すべての人間が最も避けて来た非人間的な状況だった。こんな戦場が一番、戦闘後心的外傷を、生涯にわたる深い傷を残す。逆に、何十万人を殺しても、原爆投下要員に精神的戦闘被害は一人も起きなかった。彼らは、その距離ゆえに、心理で、自分の行なった「人殺し」を否認できるのだ。
2008年02月08日
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少ししか読んだことがないから、当たってるか見当がつかないが、手塚漫画は、人間はいかに小さいかといっているような感じが辛い。なんか、人間を無力と感じさせるなにか、それはあからさまには描かれないのだけれど、なまなましい感じだ。人物が、立派でもなく、むしろ弱々しい、柔らかい肉を持ったものとして描かれる。わたしは、よく小さい時に、「鉄腕アトム」を悪夢に見た。あのぬいぐるみ人形のような形態。それでいて、わざわざむき出しの柔らかそうな胸、肩、「「肌」が表れて、火や真空の絶対零度のなかにほり込まれる耐えられない感覚。関節で体幹と容易に切り離されそうな肢体。生き物なのか、物なのか。必要以上に、と思われる幼児の顔。陰りのない、光に満ちた目。夢のなかで、わたしの「アトム」は手足を引きちぎられるのだった。それは、わたしの加害ではないようで、夢であるからわたしがしたのだと、目覚めたわたしは知っている。肩から、スポン、とちぎれてしまう。機械の本人は、血も出ない。強いはずなのに、無抵抗のアトムは、全部ひきぬかれる。引き抜いているのは、わたし?バラバラにされた四肢の感覚が、のこる。目覚めたあとに尾を引く。ああ、その夢といっしょに、何十本もの太いマルタに押しつぶされる夢もよく見た。単に、マルタの積み重なった画像と、その重みを全身で感じるだけの夢なのだけど、繰り返し見る。寝つきの悪い夜に。周りの音が早回しになって、困ったこととか、ありませんか?わたしは、高校ぐらいまでよくなったので、一人で勉強しているとき、試験を受けるときとか、こまりました。自分で声を出してみたり、ラジオをかけて、おしゃべりに集中したりしていると、いつの間にかなおるんですが、そうでないと、頭の中が音でない音で一杯になる。遠近感がおかしくなる時とかあったでしょう?あれと同じ、発育期の神経系統の反応で、それ自体は、正常である、と心理学の時間に、初めて知りました。わかってしまうと、すごくカンタン。
2008年02月08日
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「人殺し」の心理学 (デーヴ・グロスマン)というのを、少し前から、目取真俊さんに教えられて読んでいる。これに対しては、読後何かのまとめにするだろうと思うけど、所々、引っ掛かった箇所―大事とかじゃなくて、自分の受け止め方を裏打ちしてくれる箇所―があるので、作者の使用した単語を記憶するためにも、書き記しておく。「人間の身内にひそんで、同類である人間を殺すことへの強烈な抵抗を生み出す力、この力があるからこそ、人類はこれまで存続してきたのだ。」「ごく普通の人間は、なにを犠牲にしても人を殺すのだけは避けようとする。」「同じ人間と目と目が会い、相手を殺すと独自に決断を下し、自分の行為のために相手が死ぬのを見るー戦争で遭遇するあらゆる体験のうちで、これこそ最も根源的かつ基本的な、そして最も心的外傷を残しやすい体験である。」「強烈なトラウマ的体験、罪悪感に満ちた体験は、例外なく忘却と欺瞞と虚偽が網の目のようにからみあう状況を生み出す。」「戦争中に非殺人者が死と負傷の危機に直面する状況はいろいろあるが、そのほとんどにおいて精神的戦闘犠牲者は出ないのである。」「戦闘員はかえって危険が増すときでも戦闘(すなわち殺人を強いられる状況)から逃れようとする。」「捕虜とちがって戦う能力も責任もある衛兵は、自分を殺そうとする者がいるという事実、こちらも応酬する責任があるという事実を目の前に突きつけられている。」「同胞たる市民のうちにある攻撃性と憎悪に直面することは、まったく次元の異なる体験である。」「意図的で明白な他者の敵意と攻撃は、ほかのなによりも人間の自己イメージを傷つけ、自信を損ない、世界は意味のある理解できる場所だという安心感をぐらつかせ、しまいには精神的・身体的な健康さえ損なうのである。」「同じ人間による個人的な略奪や破壊行為」「こんな仕打ちをうけるほど、同じ人間に憎まれ蔑まれたということへの不快感」「自殺する民間人と同じく、敵意に満ちた世界の攻撃と憎悪に直面するぐらいなら、死んだほうが、あるいは手足を失うほうがましだと思うのである。」「ほかの人間に人間性を否定されているという事実、だれかが自分や家族や民族を憎んでいるという事実に直面しなければならなかった。」「ここに殺人忌避の裏側が顔をのぞかせている。」否認の余地はなく、更なる狂気しか逃げ場はなかった。その結果としての、精神的戦闘犠牲。「殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を接近戦で殺せば、死ぬまで死の罪悪感を背負い込むことになり、殺さないことを選択すれば、倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、・・に背いた恥辱が重くのしかかってくる。」中島みゆき「宙船」を聞いたときに感じた拒否感、は、一部でここに書かれたナチ絶滅収容所の生還者がうける心理的外傷に繋がるものだろう。「人間性の否定」が、ある、ということを前提にした歌詞を、私は、受け入れがたい。
2008年02月08日
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このごろ、「救済の技法」を掛けていることが多い。音の性質が、一番気持ちによくなじむ。かける、といっても、アンプが壊れて以来、機器は卓上型のCD/MDラジカセみたいなものだ。CDなど再生音楽が、その再生機器に依存して、印象を変える、ということは既に十分経験済みなので、ここでの印象を絶対化してはいけないし、そうする気もない。しかし、多くのリスナーの再生環境を常に意識して音楽を製作するであろうポピュラーミュージックの作者が、一部のハイエンドな環境を想定している、とは考えられないので、これはこれで、作者の「意図」を大きく離れるものではあるまい、と思っている。ナガラ族をするには、これでよい、不快ではない。このアルバムには、電源の問題か、機材の問題かな?と感じさせるような音質劣化があるように思ったが、あまり気にならない。だって、もともとすきなんだもの。かといって、プライベートスタジオになってからの録音は、なんだか物足りない。それは、彼もわかってるんでしょう。分かってて、それを上回る、またはそれを押しても先に進みたい、という欲求があるのでしょう。彼が口にしないことは、私も口にしない。それに、彼はオーディオ的に「優れた音」を追求するヒトではなく、考え創作し破壊するひとだから。既存の、資本を積めば手に入るシステムに、関心はないだろう。10代で、ギターのあらゆるテクニックをやってしまったひとの、その後の創作活動がどういうものか、その人体実験みたいなものだ。むかしは、自分に引きつけて考えていた(そうしかできなかった)んだけど、例えば「橋大工」。空の隅で 夜に仕えた、つるはしをふり降ろし、夜通しで橋をかけ、遠くまでこの声を 投げ。焼け落ちる街の火をみろ。夜明けには、君が生まれる。胸の奥で 急げ、と声が。 つるはしをふり降ろせ。 夜通しで ふり降ろせ。ハイホー 夜明けには、きみが生まれる。何千もの川辺に、音も立てず 降りる完全なる地図には、道が続く 君へと。イヤイヤイヤーヨイエヨイヤイ息を呑む その時が来る。夜明けには 君が目覚める。胸の奥で いまだ、と声が。つるはしを振り下ろし、 夜通しで 橋をかけ。息を呑む その時が来る。何千もの川辺に、音も立てず 降りる完全なる地図には、道がつづく キミへと。これは、祈り、なのだ。「キミ」は、平和でもいい。トリスタンとイゾルデの、愛の死―現実と幻想がない混ぜになっているが、ほんとは悲劇―でなければいい。
2008年02月08日
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ヒラサワの過去のプロジェクトのひとつに、「エナジーワークス」。プライベートスタジオの電源をすべて、ソーラー発電とする。ノウハウを、一から積み上げていく。一方で、リスナーも、エナジーハンターに変身して、あらゆる方法で蓄電し(レモン電池、大声発電、なんてのもあった)一ヶ月にわたり集積して、これを電源とするコンサートを行なう。太陽光あり、風力あり、ダイナモ(人力)発電あり、楽しかった。化石燃料を経由せず、自然界に飛び跳ねているエネルギーを直接に取り出す、というビビッドなプロジェクトだった。コンピューターと電気的変換を、創作と表現の中核に置く彼が、電力会社の「利」から自由になることでもあったろう。コンセントは、資本主義社会と繋がるへその緒だ。そこから開放される。太陽系の大きさに思いを馳せたり、気象とリアルタイムに交渉する姿は、刺激的だった。しかし、本人は言わなかったが、手足を縛って創作に臨むものだったろう。自分に制約を課して、それを超えることを楽しむ人だから、泣き言など言わなかったが。伴う困難をいかに越えるか、そのプロセスを楽しむうちに脱石油消費を身に付ける。自分の創作を、電力消費の面から徹底的に客観的にみる。ーアルバム製作中、自分の音楽製作上の機材使用法を再検討し、照明に対しても、影を作り出すことに意味を認める発想を転換する。電力消費削減戦略を立てることには、知的なおもしろさがあること、新たな価値観を産みだすこと、大量消費社会から身を剥がす開放の喜びがあること。しかし―我が身にこれを適応するとなると、する前から、構えてしまう。手術中に機械が止まったら、シャレにならん。いわく、わたしのは、趣味やない。たぶん、ヒラサワのソーラースタジオに必要な電力を大きくこえる、我が事業所の電力消費。一体何台の電化製品が置いてある、1階だけでも・・?一つの検査機器に、測定機器本体、コンピューター、プリンター、トランス、光学台、電動椅子、液晶モニター、と4から8台の機械、それが、20以上あるぞ。その上、大量の電気を消費するエアコン、照明、レーザー、etc・・創作を行なう空間とちがって、暗くては、話にならん。私一人ならエアコンなしでもいいが、何十人ともなると暑くて頭がぼうっとする。趣味程度の投資の延長として、とにかく始める、というのがヒラサワ流だが、これは事業に適応できるのか。どこからなら、取り入れられるのか。いや、知ってる。この堂堂巡りの考えは、最初から答えの出た言い訳にすぎない。プライベートな部分から、やる方が、ハードルは低そうだ。大掛かりにせず、気に入ったら段階を追って大きく。とりあえず、やりだしちゃう、というのが正解なのだ。
2008年02月08日
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だれも責任とらない。六ヶ所村に、わるいのわかってて放射性廃液、流すの?だれが、せきにん取るの?青森、岩手で、こどもがたくさん白血病になったら、その子に、なんと説明するの?あんたらは、捨てられたんだというの?人が死ぬの、わかっててやるの?プルトニウム半減期2万4千年、どうやって回収するの?ドイツも、フランスも撤退する。原発の危険を知っててやめない日本は、アメリカと並んで世界の孤児。―名誉ある孤立といったやつがいたな、ただの孤立だ。自分の国の国民の健康被害、どうやってせきにん取るの?ああそうか、だれもせきにん取らなくていいんだ、日本では。だって、国の象徴さんが、責任とらない、おん大将だったよ。何千万人殺しても、命令したやつがせきにんとらん、いうてるもの、だれが、せきにん取るものか。煙突の、ケムリになってポイ。原燃さん、自分の生きてるうちに、原発でカネもうかりゃヨイ。自分が引退したら、ハイそれまでよ。
2008年02月08日
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