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8.15集会に向けての座談会・第2弾 だ! 5月23日 今日!近鉄若江岩田駅北 きらり6F イコーラム開会 2:00~DVD上映会(内容は、おたのしみだよ~ん)囲む会 3:00~
2010年05月23日
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このままでは、第三次世界大戦になる。市場の奪い合いグローバル化して資本主義の矛盾を引き伸ばし、引き伸ばし、して今は、中国、ブラジルに、安い労働力目当てで、日米欧の資本が、それも金融資本が、資本投下おこなっている。あるところまでは資本家同士が協調しあって市場を形成するが、協調では立ち行かなくなったとき、市場の占有をめぐって、戦争が起こる。資本は拡大再生産の運動を止めるわけに行かず、資本主義は、戦争に行き着く。資本家支配層は、民衆を敵だと認識して、怖れている。民衆が、100万単位で立ち上がって自分達を打倒することを、極度に恐れている。日本帝国主義は、第二次世界大戦でメチャクチャやって、原爆落とされて、戦後は、民衆が立ち上がって、戦争直後は、革命期だった。その後も、余韻は続き、これに対し恐怖と危機感を抱いた資本家階級は、徹底的に、民衆を立ち上がれないようにした。教育では、沖縄戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争を教えない。戦後史を教えない。それに対し、教師側も、それらの教育を勝ち取るための闘いをできなかった。公務員の給与をあげて、闘えば、生活を失う、というようにもって行った。在日韓国朝鮮人を対象として、政治活動を行なえば、強制送還、という入管法を作った。在日、沖縄、部落、を見えないようにした。現在、日本の民衆は遅れている。沖縄が10万人で立ち上がっても、ヤマトでは、数百、数千がやっと。 まず、沖縄の声、在日の声、を聞き、知らねばならない。 自分が、いかに彼らを踏みつけにして、その上に生きているか、を知った上で、自分を変え、彼らと共に、現状を有らしめている権力から、自分達の歴史、教育、認識、思想を闘い取ること。 彼らの置かれている、惨状は、8.15から始まっている。8.15を彼らの目で観返すこと。国民運動であった60年安保ですら、雰囲気、で終わっている。天皇陛下バンザイ!だった日本人が、民主主義バンザイ!に変わった。血の犠牲を払ってでも勝ち取ってきたものがあったか?憲法?では、権力をそれによって、封じ込め、縛ることができてきたか?逆に、権力が作った法律によって、民衆が封じ込められてきたのではないか?(権力がそういう法律をいくつもいくつも作ってくる、というのは、彼らの危機感の現われである。我々には、そういう危機感すら、ないのではないか。)今、戦争に向かって、自ら加害の立場に突き進んでいるこの日本の現状、これを変えるには、闘ってきた在日、沖縄、部落、彼らをもっと知らなければならない。彼らの闘い。朝鮮戦争は、その後の日本の社会のあり方を決める重大な事象だが、日本学校で教えたか?何も教えていない。朝鮮学校では、教えた。彼らは、日清日露に始まる、日本の資本の帝国主義を、我々よりよく知っている。例えば、「朝鮮特需で日本経済が立ち直った」というフレーズ。だから「戦争は必要だ」になっていないか、日本の一般大衆では。イラク戦争、湾岸戦争に日本が参戦しているのは、石油利権の確保のためだが、そういう論理を超えられないー世界では、1000万規模の反対運動、デモ、集会が起こったが、日本では、せいぜい数千レベルーこの差。 沖縄にしても、「沖縄の痛み、おっしゃることをよく分かりました。でも、安保は必要です。」という座席から立ち上がらない日本人。 日本の人口の圧倒的多数、99%を占める、日本人が立ち上がらなければ、日本は変えられないことを、自覚するなら、「運動」は、必要だ。 在特会や、右翼街宣は、今までは金をもらってする、うっぷん晴らしだったが、今は、自分から会費を払って参加する者が現われている。この動きを、軽視してはならない。危険である。左派も、運動体による費用丸抱えで参加していたが、思想を自らが得るためには、自ら考え行動する人になるには、自腹を切って参加すべきだ。自腹を切って参加したい、そういう運動を作り出したい。 そんな話をしました。
2010年05月19日
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数日前に引用した、「ジブチに海上自衛隊基地」。NATOに日本を組み込む、という枠組み。名古屋自衛隊派兵違憲勝利はなんだったのか。ジブチに日本が結ばせた、不平等条約、というか、地位協定。被害者であるだけでなく、(それは、ちがうだろ?沖縄の人のように被害を自分のことと感じているか?)、今度は、加害者。沖縄の人に、長年押し付け、味わわせて来た被害を、今度は、日本軍が、直接、わたしたちが、ジブチの人に味わわせる。九条を護る、って、いまのこの状態、憲法があってもなくても同じの、傍若無人、政府。もうすぐ、5月18日だったか、始まる、改憲手続法。自衛隊自身の肥大化、日米安保さえなくなれば、日本の軍国化に歯止めが掛かる、と思うのは、甘いのか。いや、ないほうがいいに決まっている。五月4日のハト訪沖後も、鳴り止まぬ抵抗の声、いや、しおれたりせず、粘り強く、いっそう高く響く沖縄の声。もうなんだか、容量オーバーです。いや、憲法は、「政府に守らせる」もので、そのためには、「不断の努力」がいる、と、すでに、書いてある。「守らせるため、不断の努力せよ。」と。今の事態、お見通しだ。守らないやつには、守らんかったんか~、で終わらず、まもらせるための鉄槌をくらわせる。連休が、緊急手術や、レーザー治療で埋まっていたから、沖縄や基地のこと、整理できてないのかな。中之島祭、って言うのにも、ちょこっとだけ、顔を出しました。「辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動」は、3日で600筆以上、署名を集めました。10万人の人出があったそうだから、これくらいは、多いほうじゃない、そうです。5.23の学習会に、金城馨さんは、来てくれるかな。日曜日、ナンバアクションに旗ざおやら、固定台やら、担いで(キャリヤーでしょ!)動いたので、そっちで疲れちゃった。沖縄基地闘争は、「世界一危険な普天間基地、即時閉鎖。沖縄での米軍基地たらいまわしを、させない!」を、一致点にして、闘う予定です。そうです、辺野古沖案をごり押ししようとする自公政府より、今の方が、まし、と。一番つらい目に遭ってきた沖縄の人たちが言っています。だから、あきらめずに、運動を作り出そう、と。もう一度、沖縄の人の、生の声を聞いて、その声に、応えなければ。
2010年05月12日
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【転載歓迎】 署名のお願い 「米海兵隊は撤収を」 http://henoko.ti-da.net/e2858978.html今日も辺野古では静かに座り込みが続いています・・・第一次集約を5月20日に行います。どうぞ多くの方に広め、署名へのご参加お願いいたします。(辺野古浜通信)一般署名http://form1.fc2.com/form/?id=501657米海兵隊は撤収を --【普天間基地問題についての第二の声明】-- 賛同署名 5月5日現在2416筆下記声明に賛同される方は最下段に署名をお願いします。なお、この賛同署名は総数公表とし、個々のお名前は公開しないものと致します。------(開始:2010年4/23日、 第一次集約:5月20日 )--------------- 米海兵隊普天間飛行場は、住宅密集地の中にある世界でもっとも危険な基地として、すみやかな閉鎖、撤去が求められてきた。旧自民党政権は、普天間の移設先として、北部名護市の辺野古(キャンプ・シュワブ沿岸部)に代替基地を建設することを米国との間で「合意」したが、それは、沖縄の中に新たな巨大基地を建設することに他ならず、沖縄県民はあらゆる機会にそれに反対する意思を表明してきた。 2009年秋の政権交代と、民主党の「国外、最低でも県外(移設)」という選挙での訴えが、沖縄県民に希望を与え、状況を大きく変えた。2010年1月の名護市長選挙では、辺野古への移設に反対する稲嶺進候補が勝利した。2月には、これまで移設を容認してきた自民党、公明党を含め、沖縄県議会が全会一致で「普天間基地の県外移設」を求める意見書を採択した。また県内41市町村長全員が県外・国外を主張している。保守が擁立した仲井真弘多県知事も「県内(移設)は厳しい」と語り始めた。沖縄は、いまや"オール沖縄"で「県内移設」反対を明確にしたのである。 しかし、2010年5月まで「決断」を先送りした鳩山政権は、県外移設の可能性を真剣に追求することなく、キャンプ・シュワブ陸上案や勝連半島沖埋め立て案など、「県内」を軸に決着することを図り、動き始めている。 私たちはこの政権の動きを深く憂慮し、以下のように声明する。(呼びかけ人のうち18人は、2010年1月に発表した本土の学者・知識人声明の呼びかけ人である。沖縄でもすでに学者・知識人による海兵隊撤収要求の共同声明が出されており、その意味でこれは合同での第二の声明ということになる)(1) 私たちは、辺野古陸上案(キャンプ・シュワブ内)、勝連半島沖案はもちろん、すべての沖縄県内移設に反対する。これ以上沖縄に過重な負担をかけてはならない。沖縄の意思を無視してはならない。沖縄の環境を破壊してはならない。(2) 民主党は、衆議院選挙で「国外、最低でも県外」を訴えた。また名護市長選では、辺野古移設反対を主張する稲嶺進候補を推薦し、勝利させた。鳩山政権が、県内移設で決着させるならば、それは明確な公約違反であり、国民・県民への裏切りといわなければならない。鳩山政権は、仮に現在の日米安保体制を前提にするとしても、まず県外移設の可能性を徹底して追求すべきである。(3) 県外でも県内でも移設を受け入れる地域がなかった場合、現在の普天間飛行場をそのまま継続使用するという案が出ているが、それは許されない。周辺住民の生命と暮らしを脅かしているこの危険な基地は、すみやかに閉鎖されなければならない。(4) 県外移設を追求した結果、どの地域も受け入れないということならば、日本国民には海兵隊の基地を受け入れる意思がないということを意味する。必然的に米海兵隊は日本から全面的に撤収する以外にない。日本国民には、米海兵隊の存在なしに、東アジア地域の平和と安定を構築する積極的な役割を果たす意思があるということである。米国は、日本国民の意思を尊重しなければならない。(5) そもそも政権が奔走し、メディアが関心を集中させたのは、「基地用地」探しばかりであった。いま考えるべきことは、本当にそのようなことなのだろうか。むしろ冷戦時代の思考法である「抑止力」とか「敵」とか「同盟」といった発想そのものを疑い、その呪縛から逃れることが必要なのではないか。国際社会に「共通の安全保障」や「人間の安全保障」といった考え方が現れ、冷戦の敵対構造を解体していく大きな力になった。私たちは、米軍基地の代替地をタライ回しのように探すのでなく、米軍基地を沖縄・本土に存在させ、米軍に勝手気ままに使用させている構造こそを問わなければならない。日米安保条約は、冷戦時代の遺物であり、いまこそ、日米地位協定、ガイドライン(日米防衛協力の指針)などを含めて、日米安保体制を根幹から見直していく最大のチャンスである。その作業を開始することを、日本政府、そして日本国民に訴える。
2010年05月06日
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排外主義ー戦後の民主主義が生んだのではないか。日本人自身、排他的だったから、在特会のような排外主義の集団ができるのではないか。 8.15で戦争が終わったというが、そうか?8.15よりあとも、沖縄では、戦争は続いていた。6.13で日本軍の組織的戦闘は終わるが、それは、戦争をやめよ、という指令を出す責任者が居なくなったことを意味した。9月まで、日本本土の防波堤になって、抵抗を続けたため、沖縄戦の引き伸ばしによる、沖縄人の戦争被害は増大した。 50年代まで、沖縄の支配形態は、アメリカ国防省と国務省の力関係によって、決まった。 アメリカ支配を安定させるために、支配から利益を受ける、アメリカの言うことをきく一握りの層を、植民地内に、アメリカは形成する。それが、民族資本である。これと、一般民衆を対立させ、分断する。基地建設によって、鹿島など本土の資本が受注し、鹿島の下請けとして、こくば、などが民族資本として形成された。屋良朝苗=台湾の皇民化教育を指導した人 が、戦後の沖縄の親日派であり、復帰を訴えて68年から復帰後も76年まで行政主席などの要職にあった。皇民化、同化政策で、戦前の支配を行なった人が、排除されず、戦後の行政の中核に居続けた。復帰運動は、日本を同胞だと思った、自治労・教師などが中心になって闘われた。戦前の指導層、支配層がそのまま、戦後も居座った、というのは、本土と同様の構図である。 では、沖縄人としての主体性は? これでは、復帰運動とは、「支配者を換えてください。」 アメリカにとっては、日本が直接の支配をして、アメリカは間接支配=アメリカは日本を支配、するほうがやりやすい。 アメリカは、ベトナム戦争で力を削がれている。68年に世界で起こった独立運動が沖縄でも起こって、沖縄が、アメリカから独立してしまったら、基地が持てなくなる!復帰運動に、独立運動が吸収されるほうが、アメリカには有利。復帰運動とは、要は、植民地の復帰運動だった。それに気づいて、69年復帰阻止を、荒川あきら らが行なった。 復帰の前に、1、日本がなぜ、沖縄をアメリカに直接支配させたのか、質す。2、その前の、日本の沖縄に対する、直接の暴力への謝罪もさせる。 が必要ではないのか。人類館事件が意味したこと沖縄人には、自らが、植民地化された民族、という概念がない。遅れた、未開の民族が植民地化された、と沖縄人が思っているので、沖縄は、植民地化された、と思いたくない。"一等国民"としての日本人に復帰しよう、というエネルギーが噴出する。この時期を生きた人に、いさ川さん。定職に就かず、復帰運動と労働運動に一身をささげた。 野村浩也:無意識の植民地化 広島修道大学 平和と戦争は、明確に区切れるものなのか。平和は守られるべきものなのか。平和を守る運動、という。戦争さえ、いつも、「平和を守るため」、といって行なわれた。平和を守る、つもりだったのは、戦前もそうだったのではないか。平和を望んで、八紘一宇などという標語が掲げられた。そして、平和の扉を開けるつもりで戦争に行き着いた。戦前の戦争に、無念の思いを抱いた人々は、多かったのではないか。まともな精神では、8・15で途切れる、ということはないはず。戦前の無念を、晴らさねばないのではないか。なぜ、平和を望んで、戦争に至ったのか、を解明することで。 この数年で、九条の会がたくさんできた。平和を護る。憲法九条を護る。その、平和運動が、実は、戦争への精神的足がかりになっていないか。精神的には、平和を護るためなら、武器を取って戦う、となりうるのではないか。戦争は、「平和を守る」ものだから、といわれれば、そのための戦争は、もうすぐ。 こうなるのは、平和は、護るもの、という思考停止があるのではないか。 戦争できる精神を作り上げ、それができたら、実際に武器を持って立つのは簡単。平和運動、護る平和の会が、いっぱいできるということは、それだけ、戦争が人々のなかに準備されているのではないか。 思考停止は、ファシズムにつながる。我々の中に、戦争=暴力、と平和は両方、あるのだから。平和を鍛える、などが、より良いのではないか。レイシズム(民族差別)がないと、戦争できない。相手を人間ではない、と思わないと、殺せない。 差別があるところに、戦争が生まれる。 なぜ、連帯しようと言うヤマトに、沖縄が、じゃ、今まで連帯できていなかったことから始めよう、沖縄に基地負担を押し付けることを、やめてほしい、基地を本土に持って帰って欲しい、沖縄差別をやめて、謝罪して欲しい、と望むと、その者は、ヤマトから排除されるのか。平和運動でさえ、排他的でなかったか。 4、28 下島氏の講演 「世界」連載中 平和を鍛える 戦争と平和 文明開化を提唱した明治にできた制度、天皇制は、日本の歴史、民族を冒涜していないか。天皇制こそ、自虐的ではないか。 アメリカは、当初、天皇を戦犯として、処刑する予定だったが、やめた。処刑は、天皇の犯罪性を誰の目にも明らかにし、そのことに目覚めた日本人が一気に、戦前体制を打ち破ろうとするだろう。革命情勢を前に、アメリカは、戦犯天皇を処刑するのを、日本革命が起こることを防止するために、取りやめた。結果、戦争犯罪はうやむやにされた。 沖縄が目覚めなければならないのと同じに、日本人も目を覚まさなければならない。 異論もあると思います。-特に、九条の会、について。でも、こういう見方、感じ方、もあるんだ、ということは、驚きでした。長く、九条にまもられ、その矛盾を押し付けた沖縄を、沖縄の犠牲を見ないできたヤマトを、外ー沖縄ーから、みたのなら、また、今後もそうあり続けるならば、確かにそうです。変わらなければならない。九条の会、というならば、沖縄に基地を押し付けては、いけない。これ以上、沖縄を差別した上で、その事に触れずに、九条を語ることは許されない。どこにも基地を置けない、ならば、本気でアメリカと、安保と、ぶつからなければならない。
2010年05月05日
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09年 「遺伝子の記憶 -琉球、沖縄、OKINAWA」 ~出会いから出会い直しへ~伊佐眞一 現在、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中している。64年前、沖縄は日本が始めた侵略戦争の敗戦後の「日本の独立」と引き換えに、アメリカに捧げられ、米軍の支配下におかれた。そのため、沖縄は、日本が望んだ形(天皇のメッセージ)でアメリカの植民地となり、OKINAWAと呼ばれる軍事基地の島となった。 第二次世界大戦後、ヨーロッパや日本の植民地にされた国々で植民地解放や抵抗運動がおこり、独立する。当時、沖縄では支配者として君臨するアメリカの存在は誰の目にも明らかであった。当然、反米・反基地闘争が起こり、次第に激しくなっていく。そのとき沖縄から日本はどう見えたのだろう。遺伝子のイタズラか、「あわてん坊の、春が来た お祭り提灯ぶらさげて・・煤けた窓から 覗くものは テルテル坊主か 風鈴か・・」、いつの間にか日本復帰運動の滝へと流れていった。 その結果、1972年沖縄は、念願の祖国?日本に復帰した。しかし、米軍基地はなくならなかった。それどころか減りもしなかった。沖縄人は滝底にたたきつけられた。沖縄は「祖国」に生贄にされたに等しく、その口惜しさのあまり、時間の崖っぷちに立ったまま動けなくなった。それでも政治は新たに時間を刻んでゆく。あれから37年。今も米軍支配が続いている。このことは、一体、何を意味しているのか。今、沖縄自身が気づかなければならない。植民地からの解放ではない日本復帰運動は、そもそも米軍支配からの脱却にはならなかったということ。それだけではなく、日本がアメリカと並んで、(同盟を結び)沖縄を植民地支配しているということを。 日本は祖国ではない。沖縄の支配者である。それが現実である。思えば、祖国というべき沖縄は130年前(1879年)に琉球処分という名で軍事力によって明治国家に組み込まれた。400年前(1609年)、薩摩藩によって琉球王国は侵略された。そのことを私たちの沖縄遺伝子は覚えている。このことは日本人の遺伝子にも刻み込まれているはずである。(ママ) 政治は忘れてしまったかのようだ。いや、そうではない。政治とは権力を持った者達が、常に「正義」を語り、「不正義」を働き、「時間」を刻む。その「正義」すなわち「不正義」に民衆は苦しめられ、怯え、馴らされ、そして歴史の記憶から消されてゆく。しかし、それは政治によって消されただけなのであり、・・ 権力が作ったメガネは、自分には都合が悪いものは見えなくなるように作られているのである。ならば現実を直視できたとき、それぞれの出会い直しが始まったとき、暗く重い沈黙の時間の記憶の扉が動き、対等で平等な未来が切り開かれてゆくと信じたい。 09年 ~要石~C.ダグラス・ラミス 沖縄は「太平洋の要石」だといわれる。要石とは、崩れ落ちそうな左右の石積みの対立している重さをアーチを固定する力に変える石だ。沖縄を要とするアーチは、軍事的ではなく、政治的なものだ。米国の日本における基地体制は、いろいろな矛盾する勢力をつなぎ、成立している。沖縄はその対立している勢力をアーチにする要石だ。 ここでごく一般的な一人の日本国民、例えば、ヤマトタロウさんを考えよう。彼は現状維持派で、平和憲法も日米安保条約も支持している。では、その憲法と安保という矛盾が、なぜ一人の人間の中で共存できるのか。その答えが沖縄である。米軍基地の75%を(「遠い」)沖縄に置くことで、ヤマトさんは自分が平和主義者であると想像できるし、米軍に守られているとも想像できる。従ってヤマトさんが沖縄から最も聞きたくないのは、米軍基地の県外移転のことだ。それにはアーチを崩す力があるからだ。だからヤマトさんは反論する。「平和を愛する人は、基地移設の話をするべきではない。沖縄の基地は世界中の軍事基地同様、移設ではなく廃止にすべきだ。」 もっともである。しかしこれはこの文脈では、「全世界が平和になるまで、基地は沖縄に残る」との意味になる。このように、日本の平和主義の気持ちはアーチを固定する力に変えられる。またヤマトさんは言う。「本土に基地を置く場所はない。」 しかし、これも地理ではなく、政治的な意味である。「基地を置こうとすれば住民が反対する。」 なるほど、住民が反対している場所に基地は置けない。そうなら、沖縄こそが置けないところだ。 「だったら基地をどうするのか。」 しかし、それは沖縄が解決すべき問題ではない。それは彼自身の考え方の矛盾から生じているからだ。 ゲーツ米国務長官は来日して、オバマ政権は在日米軍基体制にチェンジを絶対許さない、それには辺野古が要だといった。 なるほど、要石にはまた要がある。しかし、辺野古野住民は既にそれを抜いた。これからどうなるかが、興味深い。
2010年05月03日
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8.15集会のための、プレ学習会を開く。5月23日。テーマは、「沖縄を知るためのミニ集会」。話して頂く方を紹介してもらうため、5月2日、沖縄文庫にお邪魔した。関西沖縄文庫、金城馨さん。目を開かれること、たくさん。「沖縄から見る」ことは、自分の姿を客観的に見ることである。 自分のとったメモは、どこか甘い、と感じる。うまく、話された言葉を、捉えきっていない、と。反芻していたら、頂いたビラに書かれた文言が、ほぼそのまま同じ趣旨である。以下、抜粋と引用。そのあと、私のメモを比較のため載せる。 04年 ドーカシチャッタ ワタシタチ? 沖縄人は日本人だと、誰が最初に叫びだしたのだろう復帰運動は沖縄人が日本人になるためのものだったのか30数年前、沖縄人は日の丸を力の限り振っていたその何十年前から振っていたのだろうか 1903年、博覧会で沖縄人が陳列されていた見世物にされた同胞を見た沖縄人は怒り叫んだ同じ陳列された他の民族とは違うのだ我々は日本人だ と 思いは沖縄戦へとつづきそして、日本人になりたくて なれなかった沖縄人がいた 戦後すぐ、沖縄人は日の丸を振る元気をなくしていた反基地、反米闘争に沖縄人は魂をぶつけて闘った 日の丸はなくてよかったそれでも日の丸を大事に抱え歩く 沖縄人がいたしかし、だらりぶらぶらさせているしかなかった 異民族支配からの脱却 突然、誰かが叫んだ日の丸はにわかに元気を取り戻し、ひとりでに頭上でなびくようになった力を取り戻した日の丸は反基地、反米闘争の先頭に踊り出て走りはじめた誰もそれをとめられないついていくしかなかったのか祖国日本あこがれの本土、日の丸の国へ復帰した沖縄ドーカシチャッタワタシタチが生まれた やがて復帰運動のエネルギーは文化運動ー沖縄ブームへと変化し、エイサー、うた三線は沖縄人が日本人に認めてもらいたいと願い日本人になるためのものとなったのかまるで政治運動では成し得なかったものを文化運動で果たそうと・・・日の丸からバチに持ち替えて 復帰から32年経った今、隠された国家主義(日本人化)は、沖縄の文化や自然を奪い取る沖縄に憬れ、癒しを求める日本人が現われてきたドーカ同化シチャッタワタシタチがどんどん生まれてくる・・・ 08年 軍命は続いている ~軍事的「捨て石」としての沖縄~野村浩也・・沖縄戦当時に発令された軍命、・・この場合の「軍命」とは、沖縄人が強制的に「捨て石」にされただけでなく、戦後27年間、日本国が独立するための「捨て石」として米国に差し出された。そして、その後も、引き続き、安保の「捨て石」にされたまま現在に至っている。つまり、植民地主義的に搾取され続けているのだ。よって、「軍命」は、決して過去のものではない。それゆえ、沖縄戦の死者の怒りは、沖縄人のなかに生きつづけているのである。・・そもそも日本軍にとっての沖縄戦とは、「本土防衛」のための「捨て石」作戦であった。「日本人のために喜んで捨て石になれ」と強制することによって、日本軍は、いたずらに沖縄人側の被害を拡大したのである。・・日本人が「本土決戦」を逃れることのできた大きな要因の一つこそ、沖縄戦の長期化に他ならないからである。つまり、日本人は、沖縄人を「捨て石」にして、4人に1人の沖縄人の命を犠牲にすることによって生き延びたといっても過言ではないのだ。そして、「集団自決」の強制や日本人による沖縄人虐殺も、このような「捨て石」作戦の一環として実行されたのだ。他者を捨て石にする行為は、差別に他ならない。「捨て石」作戦を実行した日本軍の行為は、沖縄人に対する差別なのだ。その意味で、沖縄戦によって、「本土決戦」をのがれた日本人もまた、沖縄人差別によって生き延びたといっても過言ではない。そして、このような組織的な沖縄人差別を具体化したものの一つが、日本軍沖縄守備隊参謀長が発した以下の命令なのである。「沖縄語で会話した者は、スパイとして処刑する。」この命令のなかの「沖縄語」を「大阪弁」や「日本語」に置き換えてみれば、その常軌を逸した差別性と犯罪性は明白であろう。・・同じく「集団自決」の強制も、沖縄人を「捨て石」にする組織的な差別に他ならない。即ち、「日本人のために喜んで死ね」「すすんで死を選べ」と強制したのだ。文科省が教科書検定で実行したように、この事実から日本軍の「強制」を削除すれば、日本軍そのものの差別性と犯罪性を隠蔽することが可能となり、結果的に「殉国美談」に仕立てることも容易になる。それは、犠牲者を再度「捨て石」にすることによって日本軍を美化する行為であり、今回の検定じたい、犠牲者をもう一度差別するものなのだ。そして、過去の日本軍を美化することは、「未来の日本軍」を正当化する。その意味で、今回の検定は、安保や自衛隊の増強および改憲の策動とも結びついている。日本軍による「集団自決」強制を教科書から削除した文科省の行為は、沖縄人を「捨て石」にする差別を隠蔽する政治であり、隠蔽によって「捨て石」化は繰り返すことになる。「捨て石」化という差別を隠蔽することは、同時に、その差別の実践主体を隠蔽することでもあるからだ。そして、沖縄人は75%もの在日米軍基地を押し付けられることによって、今も、「日本人のために捨て石になれ」と強制されている。では、この場合、「捨て石」化の実践主体とは、一体、誰なのか。言うまでもなく、一人ひとりの日本人に他ならない。日本人とは、安保の負担としての米軍基地を過剰なまでに押し付けることによって、沖縄人を「捨て石」にしている張本人なのだ。この事実を隠蔽して、「捨て石」化を繰り返すのではなく、過去の「捨て石」化から学ぶ事によって、「捨て石」化を必要としない社会へ変革していく事こそ、1人ひとりの日本人が果たすべき責任といえるだろう。その方法の一つは、米軍基地を沖縄から日本に持ち帰ることなのである。
2010年05月03日
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http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/nato-5500.htmlより、引用2010年5月 3日 (月)日本軍、アフリカの角で、アメリカとNATOに合流Stop NATO2010年4月25日Rick Rozoff日本海軍の北川敬三二等海佐は最近AFP通信と話し、ともあれ第二次大戦後、日本最初の海外軍事基地を、アフリカの角、ジブチに開設することを明らかにした。北川氏は海上自衛隊と呼ばれている日本海軍のPlans and Policy Section所属で、この配備の責任者だ。AFPは、前例のない配備の特徴を強調する日本将校の発言を引用している。"これは国外で唯一の日本基地で、アフリカでは最初のものとなります。" [1]軍事施設は、経費4000万ドルを要し、来年早々、日本軍兵士を収容する予定だ。ジブチは、紅海とアデン湾の合流点、動乱の起きているイエメンの対岸、同様に紛争に苦しんでいるソマリア北西部と国境を接する位置にある。この国をイエメンから隔てている狭い海域は、スエズ運河、紅海、アデン湾とアラビア海を経由する、地中海とインド洋間を航行するあらゆる海上交通の通路だ。数カ国の大国とあらゆる同盟軍、つまり、アメリカ、NATO、欧州連合、中国、ロシア、インド、イランその他によるアデン湾への海軍配備は、上記航路における民間艦船の自由通行を保証し、国連のソマリアへの世界食糧計画援助を保護することを狙ったものだ。特に、この二番目の懸念が、2008年に、この地域の軍用艦艇を所有する諸国に対し、身代金目当ての、船舶と乗組員のだ捕鎮圧を要請する、国連安全保障理事会決議1838成立をもたらした。対海賊任務だ。ところが、アフリカに軍事基地を設置することに関する彼の国の関心を説明する上で、上記の日本海軍将校は、より直截だ。北川はAFPに"我々は海賊と戦うためと、自衛の為に、こちらに展開している。日本は海洋国家であり、20,000隻の船が毎年航行するアデン湾での海賊の増加は気がかりである。"とも語っている。「自衛」という用語は偶発的なものではない。1947年の日本国憲法第9条は、明確にこう述べている。"日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。"そこで、第二次大戦後の時期、日本の軍隊は、日本国自衛隊(JSDF)と呼ばれてきた。憲法はまた明確に日本国外での軍事力の展開を禁じており、政府見解は"武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないと考えている。"と述べている。それにもかかわらず、冷戦後の年月で、第二次世界大戦後元枢軸国による軍事力行使に関するあらゆる禁令が無視され、[2] 2004年2月、アメリカとイギリスのイラク侵略後間もなく、戦闘に従事しない役割とは言え、日本はイラクに600人の兵士を派兵した。日本の海軍、日本海上自衛隊は、アフガニスタンにおけるアメリカの、限りなき自由作戦を支援する為に、2001-2007、再度2008年1月から今年の始めまで、燃料と水を供給し、憲法のもう一つの基本的教義、文書で集団自衛と呼んでいるものへの参加禁止に違反している。これに関する(政府見解の)該当部分は下記のとおりだ。"わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条の下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。"ところが2007年防衛白書は、"国際平和協力活動"なる条項で、更なる軍隊配備の可能性を残しておいた。 この融通無碍で曖昧な言い回しの精神で、日本は2008年にアフガニスタン戦争支援を再開し、今やアフリカ大陸に軍事基地を確保した。後者のプロジェクトを統轄する日本人当局者は、"キャンプは我々の要員と資材を収容するために建設される。現在、我々はアメリカ軍基地に配備されている。"とも語った。北川司令は"我々はイエメン、オマーン、ケニヤとジブチに軍隊チームを派遣した。2009年4月にジブチを選んだ。"と補足した。一年前、共同通信は、外務省当局者が、2009年4月3日"日本とジブチは、ソマリア沖における現行の対海賊任務期間に、アフリカの国に駐留する日本海上自衛隊と関連職員の行動条件と法的地位を規定する、日本軍駐留に関する地位取極に合意した"ことを確認したという発言に言及した [3]協定は、同日に東京で、日本の浜田靖一防衛大臣とジブチのマハムッド・アリ・ユスフ外務大臣によって調印された。日本がアデン湾に二隻の駆逐艦を配備する一ヶ月前だ。二ヶ月後、日本は、二隻の新鋭駆逐艦、4,550トンのはるさめと、3,500トンのあまぎりを、アフリカの角沖に配備した。また昨年7月 日本のマスコミは"アメリカが....日本に、本格的軍事活動を遂行するための自前の施設を建設するよう依頼し"当時ジブチに駐留していた"陸上自衛隊とMSDF[海上自衛隊]の隊員およそ150人は、空港近くのアメリカ軍の宿舎で暮らしている。"ことを明らかにした [4] 日本軍は海上自衛隊のP-3C哨戒機用滑走路と、兵舎を建設する計画を発表した。アフリカの角における、ロシア、中国、インドとイランの艦船は、自国と他国の船舶を保護し、彼らの任務は、対海賊作戦で、所定の期間に限定されるものと理解されているが、日本とアメリカとNATO同盟諸国は、アフリカ大陸における武力紛争に使用すべく、この地域に恒久的な陸、海・空軍基地を設置した。2001年始め、アメリカはジブチ政府と、旧フランスの外国人部隊の基地キャンプ・レモニェにアフリカ最初の主要な米軍事基地を設置する交渉を開始した。(つい最近まで、ペンタゴンはLemonierと表記していた。)これは、アデン湾の海賊との戦いがアメリカとNATOがこの地域に展開する口実となる数年前のことだった。ジブチは(1975年に、スペインのフランコ将軍による黙認のもと、モロッコに奪取された西部サハラを除き)1977年、フランスにより、その独立を認められたという、アフリカ大陸で最後に独立を達成した地域だ。人口は900,000人に満たない。フランスは依然、世界で同国最大の海外軍事基地をジブチに擁しており、およそ3,000人を駐留させている。2003年にペンタゴンがキャンプ・レモニエに転入、接収して以来、アメリカは同基地にアフリカの角共同統合機動部隊(CJTF-HOA)を設置し、アメリカ軍の全四部門、陸軍、空軍、海軍と海兵隊から、2,000人と推計されるの兵士を駐留させている。アフリカの角共同統合機動部隊の作戦地域は、ジブチ、エチオピア、エリトリア、ケニヤ、セーシェル、ソマリア、スーダン、ウガンダとイエメンを包含しており、次第にインド洋の島嶼国家コモロ、マダガスカルとモーリシャスも包含しつつある。以下、中略。ソマリア沖の日本駆逐艦と、第二次大戦後の年代における、日本最初のジブチ海外軍事基地は、北米とヨーロッパの東京の同盟者たちの地政学的計画と一致している。最も完全に具体化された計画は、北米の外に、四半世紀最初のアメリカ地域統合軍、アメリカ・アフリカ軍の創設だ。海賊、アルカイダの同盟者や他の脅威が、連中を正当化する役割を果たし終えたずっと後になって、ペンタゴンとNATOと日本は、アフリカに彼らの軍事拠点を保有するわけだ。関連記事:省略出典:省略記事原文のurl:rickrozoff.wordpress.com/2010/04/26/japanese-military-joins-u-s-and-nato-in-horn-of-africa/----------
2010年05月03日
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http://blog.goo.ne.jp/fugimi63119/e/e277ded563a28548af98e8ee4b50cdde「イラクで航空自衛隊は何をしていたかー憲法9条第一項違反の実態」 『イラクで航空自衛隊は何をしていたか -憲法9条1項違反の実態-』 緊急出版---------------------- ■「イラク空輸」の大半は米軍を中心とする多国籍軍兵士の輸送 憲法記念日の前日5月2日は、航空自衛隊によるイラク空輸活動を憲法違反と判断し、平和的生存権の具体的権利性を認めた歴史的判決(08.4.17名古屋高裁)が確定して2周年をむかえます。この日にあわせて「イラク派兵差止訴訟」原告・弁護団有志チームがブックレットを刊行しました。 『イラクで航空自衛隊は何をしていたか-憲法9条1項違反の実態-』 (せせらぎ出版 定価600円 「名古屋高裁判決」全文収載) 概要・申込用紙(PDFファイル)http://dl.dropbox.com/u/2067020/kuuji/tirasi.pdf表紙画像(PDFファイル)http://dl.dropbox.com/u/2067020/kuuji/hyosi.jpg 昨秋、9月24日付で、航空自衛隊「イラク航空隊」の「週間空輸実績(報告)」が全面開示されました。5年ごしの情報公開請求をへてようやく実現した全面開示でしたが、これによって、2004年3月~08年12月まで、5年間にわたったイラクへの輸送活動の実態を知ることができるようになりました。 たとえば、5年間に輸送した人員は46,263人。うち米兵は23,637人、軍属を含む米軍人員は28,679人を占め、豪軍兵士やその他の多国籍軍兵士をあわせると30,117人となり、全体の65%を占めていたことがわかります。陸上自衛隊撤退後は、この割合が84%にものぼります。 名古屋高裁は、少なくとも戦闘員をバグダッドに輸送した活動について9条1項違反であるとの判断を示しました。これに該当する兵士輸送数はおよそ7,700人。バグダッドへの輸送を開始した陸上自衛隊撤退後の兵士輸送数の44%、すべての人員輸送数の3割を占めています。 ブックレットでは、そうした実態を、グラフや図表をふんだん使って解析していきます。 ■わたしたちの「責任」を問わずに歴史を前にすすめることはできない イラク戦争が国際法違反であることは、国際的コンセンサスです。その前線において、いかなる犯罪や非人道的行為、人権蹂躙がくりかえされたかについても、すでに多くのメディアや刊行物、ドキュメント映画やDVDが伝えるところです。 民間人にたいする無差別攻撃・殺戮をおこなったこと、首を絞め、頭を壁に叩きつけて住民を殺したこと、イラク人の死体を冒涜したこと、市民の出生証明書をことごとく廃棄したこと、国際的に使用が禁止されている爆弾や化学兵器、残虐兵器を使用したことなどについても、多くの帰還兵の証言によって明らかにされています。 わたしたちは、それらの違法・非人道的行為に、空自の輸送活動を通じて加担しました。その結果、イラク市民に甚大な被害と犠牲をもたらしました。その「事実」を知ることなく、「責任」を問うことなく、歴史を前にすすめることはできません。 開戦直後、この戦争をまっさきに支持した小泉元首相は、06年9月26日に退任するまで「決定は正しかった」という姿勢を翻しませんでした。首相の国際認識はどのようなものだったのか、閣僚や政府の法律専門家たちのあいだでどのような議論が交わされ、どのような経緯で自衛隊の海外派兵が決定されたのでしょう。 アメリカが「対テロ戦争」の主戦場をアフガニスタンへと移し、日本の支援のあり方が問われている今、そうした事実の解明と検証が急いで行われなければなりません。現政権にその責務を果たすことを強く求めていくためにも、まず、わたしたち自身が憲法違反の実態を知ることが大切だと思います。 朝鮮戦争当時、国鉄で砲弾弾薬を輸送し、掃海艇を北朝鮮上陸のため出して、一隻沈没、乗員は死亡させている。町工場も、爆弾を作った。兵士も出ているが、国連軍兵士として扱われず、「密航」、そして、「個人の犯罪」!、戦死しても何の保障もなかった。看護婦も日赤から出した。佐世保は、爆撃するジェット戦闘機の基地であったし、岩国は長距離爆撃機の集積地となった。沖縄では、基地のために土地が強制収用され、更に多くの基地に変えられた。日本全体が前線基地であった。これが参戦でなくてなんだ。 戦後平和憲法下で日本が参戦したのは、イラクが最初じゃない。
2010年05月03日
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http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/04/post_ade6.htmlから、引用。 核抑止という言葉に飼いならされてしまった我々は、この言葉との共生を強いられているという状況の不条理さに対する感受能力を失ってしまっています。これは重大な状況です。核爆弾を、「ヒロシマ」、を絶対悪として直ちに退けるかわりに、核抑止という政治的イデオロギーのもとで、核爆弾と共に生きることを我々に強いてきた責任をレオ・シラードは背負わなければなりません。「ヒロシマ」と「アウシュヴィッツ」の区別を導き入れた責任と言ってもいいでしょう。略・・ 現在の具体的な世界状況に投射してハッキリ分かりやすく言えば、これは、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に"ヒロシマ"の苦しみを与えてやる」という脅しをかけることに等しいのです。オバマ政権のこの核戦略見直しは、圧倒的な核兵器の脅威を振りかざしてイランを脅そうという、実に恐るべきものなのです。そして、これが核抑止というイデオロギーの直裁な表現の一つであることをはっきり認識しなければなりません。しかし、アドルノの有名な言葉を「頂門の一針」と認識する知識人たちは(前回のブログ参照)、「もしイランがアメリカの言う事を聞かなければ、イランの人々に"アウシュヴィッツ"の苦しみを与えてやる」と誰かが言い換えたとすると、この発言を、ナチ・ホロコーストの記憶にたいする、決して許すことの出来ない冒涜と考えることでしょう。この非可換性は何処から来ているのでしょうか?一つの「皆殺しの思想」の記憶は、人間が詩を書くことすら難詰するまでの力を持ち続けるのに、もう一つの「皆殺しの思想」は核抑止論という形で、グローバルな外交政策として容認されて今日に至っているということです。第二次世界大戦における戦略爆撃作戦-これこそがこの大戦の全面的特徴であった-の歴史的結果としてもたらされた良心の痛みの喪失オッペンハイマーが「良心の痛みの喪失」という、彼らしい、穏やかな言葉で嘆いている人間精神の荒廃あるいは欠陥の象徴として、核兵器だけでなく、第二次世界大戦における戦略爆撃作戦一般が挙げられていることに注目しましょう。
2010年05月03日
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わが故郷の川 鯉が遡上する。ゆっくりと、川底のあぶくを呼吸しながら。満ち潮に押されて、ときに横腹をみせて。橋の上、母と子の自転車が止まる。 小さいとき、わたしはこの川を棺おけだと思っていた。両肩を切り立ったコンクリで固められ、足をかける凹みすらない垂直の壁で区切られ、はるか下、黒々と見上げる。捨てられたもの全てを浮かべ、水はどんなだったか忘れた黒い流れ。不服の泡をぶつぶつと、どれだけあるか分からないほどのヘドロの底から、人間界に送り出す。 自分が落ちる姿、手を伸ばしても途方なく消し去る真っ黒な水面。足は?足は着くだろうか。橋を行き、戻りするたび、吸い込まれる。のぞいてはいけない、のぞいてはいけない。あれは、川の魔物だから。 昔、この運河は、木肌をささくれ立てた丸太を幾重も浮かべ、どうだ!と周囲を誇らしげに見回した。今も残る材木屋さんの、玄関先に積み上げられた木の匂い。わたしの記憶のなか、屋根より高い板は、幾重も並び立って空を指した。 それから、何十年、運河は役割を奪われ、沈黙した。 長いこと、お荷物と扱われた川が、いま、鯉を乗せ、5月のゴールデンウイークには、ごいを群れして挙がらせ、しんと冷えた一月は、月光の輪を、渡り鳥にくぐらせる。
2010年05月03日
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