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政府に借金させて、それを浪費させる
財政の役割
生産と消費がうまくかみ合わなくなったので、政府に色々な仕事をさせて、政府にたくさん消費させることにした。
政府が使うお金は誰かから取り立てたものである。
取り立てられたほうはその分だけ購買力が減る。
財政の働きというのは、一方の購買力を減らしてその分を政府が使っているだけ、プラスマイナス・ゼロである。
また、別の見方からすると、個人と法人の所得の一部を取り上げて、政府を通り抜けて他の個人化、法人の所得を増やしている事になる。
つまり、所得の移転あるいは所得の再配分である。
お金持ちやもうかっている銀行、会社から税金をとり、貧しい家計や老人介護の方に移転したり、警察官や消防官の給料に移転して、火付け、盗賊を取りし丸野が、所得移転の本来の役割である。
ところが、これじゃダメだ、ということになった。
元はといえば、企業が際限もなく儲けようとしてたくさん作り、一方消費財を買ってくれる大切なお客様である労働者には給料をなるべく払うまいとするからである。
労働者には、もっとたくさん給料を払えばよい。
経済もちょっと離れて全体をよく観察すればこの通りで、簡単明瞭である。しかしそうは絶対にしない。
社会が人間の基本の理屈、理念で動いてないからである。
ひたすらもっとたくさん儲けようと言う、企業の勝手、難しく言うと、資本の論理で動かされているからである。
作りすぎたものを減らすのではなく、なんでもいいから誰かに買わせればいい。
一番手っ取り早く、大口に買わせることが出来るのは政府である。
政府を企業が支配して、政府に浪費させればよい。
しかし、プラスマイナス・ゼロでは何にもならぬ。事に、法人・富裕な個人から重税を取るなどもってのほかである。
こういう至極勝手な理屈から、プラスにしろ、政府がもっとお金を使え、という事になった。
取った税金よりも、もっとたくさん使えといわれる事になる。
それには、どうすればよいか。借金しかない。
一番まとまった借金は国債である。
65年ごろ日本経済は出来上がり、商品は常に余り、不景気が深刻になった。
65会計年度からついに、それまではドッジ・ラインで禁止されていた国債を発行し、政府に浪費させる経済に突入した。
議員買収資金も元は財政支出
企業が政府を握ればよい。そうすれば企業がどんどん生産を増やしても、政府が支出をそれに見合って増やしていけば売れ残りが出なくて済む。
政府を企業が握るには、議院内閣制(議会の多数党が総理大臣を選び、内閣を組織すること)の日本では、国会議員を握らなくてはいけない。
その方法は簡単で、議員の選挙資金を企業が出せばよい。
買収である。
企業が政治家に政治資金を出せば立派なワイロなのであるが、日本では政治資金規正法を作って、ワイロを合法化してある。
そのカネを分けてやって、党内の議員を子分にし、派閥を作って多数を握った者が総理や幹事長になり、政権をとる。
企業から集まってくるお金は政府の支出したお金である。一番大きいのは公共事業費である。
公共事業を請け負った業者は何割かを懐に入れて下請けに出す。下請け業者はまた何割かフトコロに入れて孫受けに出す。
ひどい例は何層も、何層も下請けに出して、実際の工事費は十分の一ぐらいだったというものさえある。
このようにして企業は議員を買収し、そのカネが政党の活動を支え、選挙費用をまかなう。
その金の大元は、財政支出である。

金融の仕組み
財政と金融を一緒に理解する
貨幣と金融の話
大陸ヨーロッパを追い抜いて急に経済が発展したイギリスでも、貨幣は不足した。
皆が必要とするものが不足していると、それを持っている者は強くなる。金貸しー高利貸が強くなって、人々をいじめる。何の商売をしようにも、利息が高くてダメになる。
貨幣の不足が経済の発展を阻害するようになった。
明治新政府も、深刻な貨幣不足に悩まされた。
江戸の消費物資の多くは生産の先進地帯である上方から輸送された。
各藩の財政収入を大阪商人に依存し、得た貨幣をまた大阪商人に支払った。
米価が下がり、幕府も各藩も財政収入は減った。
鎖国の間、輸出産業は発達せず、巨額の貿易赤字であった。
その上、ハリスのペテンにかかって、さらに、金・銀が流出した。
明示世親政府の財政・金融は金属欠乏状態からスタートした。
イギリスでは、1694年、ついにイングランド銀行が紙幣を発行して、大口の取り引きに皆がこれを信用して使い、相手も代金として受け取ってくれるようになった。
成功の原因は金貨と兌換したからである。
発行元のイングランド銀行にもっていけば1ポンド金貨に換えてくれる。
その後、イングランド銀行以外の銀行もまねするようになり、紙幣の発行によって、貨幣の不足が解消した。
お金がなくて困った明治新政府は、地主。自作農から効率の固定資産税(地租)を取った。
が、もちろん足りない。
そこで政府紙幣をむやみに発行して支出をまかなったが、信用を失い、インフレーションになる。
大急ぎで銀行という制度をアメリカから輸入した。
以後、銀行が貨幣の供給元になった。
現在のやり方は、現行券の発行を一行だけ(これを中央銀行という)にすることである。
この場合は座かんする金貨の準備があるかどうかの心配は、中央銀行だけがする。
さらに、20世紀の30年代頃から以後は、中央銀行も兌換をやめた。
日銀の取引客は、政府や政府の機関のほかは、金融機関だけである。
一般の会社とも、個人とも取引してくれない。
これに対し、個人や企業が取り引きする銀行は、預金取引を商売にしている民間金融機関である。