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「ハイチは我々にとってなにか」その6 より引用
その2
大地震の直後からしばらく、世界のマスメディアは、人たちが救援物資を奪い合いし、スーパーマーケットを襲う様子を、幾つか報道しました。でも、何とはなしに、材料不足の気味を感じられた方々もあったのではありませんか。貧困民衆の激しい反乱や暴動を期待していたメディアは、実は肩すかしを食らった形なのです。逆に、いろいろの形で、現地に入った人々の多数が、ハイチの貧民達が辛抱強く、秩序を保って、乏しい救援物資を分け合う様子を報じています。自警団的な人々の組織が出来て、自分たちの手で秩序を保っていると考える充分の理由があります。シテ・ソレイユ(太陽の町)が、大混乱に陥っていない理由は、国連軍MINUSTAHと米軍の制圧だけではなく、その住民達の強い団結の意志の表れでもあるのです。
古雑誌の山から、面白い記事を掘り出しました。クリントンが「ハイチに民主主義を回復する」という全く欺瞞的な見せかけのもとで、ネオリベラル経済政策の実施を条件にアリスティドを大統領の座に戻した直ぐあとの、1994年11月3日付けの『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』に出た、Michel-Rolph Trouillot というハイチ人の人類学者(ジョンズ・ホプキンス大学教授)の「アリスティドの挑戦」という論考です。この人はデュヴァリエ時代の政治学的分析の業績で知られています。
Fanmi Lavalas(みんなの洪水)の形をとった民衆運動は、アリスティドによって始められたのではなく、この民衆運動のエネルギーが、アリスティドを生み、彼を大統領の座にまで抱え上げたのだと、トゥルイヨ教授は、この論説で言い切っています。その後の15年間のハイチの政治的動乱の歴史をたどると、彼の視点と洞察は正しかったと、私には、思われます。アメリカにとっての本当の問題は、ジャン=ベルトラン・アリスティドという一種奇矯なアマチュア政治家ではなく、アリスティドをアリスティドとして動かしている貧困層大衆の持続的な政治的エネルギーだという事です。

ナポレオン・ボナパルトがハイチ奪還に差し向けた大軍を見事に打ち破ったトゥサン・ルーヴェルチュールは、和戦を装ったフランス軍の奸計によって捕えられ、フランスのジュラの監獄に監禁され、結核を病み、1803年4月、寒さに曝されて肺炎で獄死しましたが、彼は、ハイチの小学生の誰もが知っているといわれる有名な言葉を残しました。:
■ 私を倒すことで、あなた方は、サン・ドマングで、黒人の自由の木の幹だけを切り倒した。木は、その根っこから必ずや芽を吹き出すだろう。木は、沢山の根を深く張っているのだから。■たしかに、大震災後のシテ・ソレイユの人々が、意外なほど冷静に相互扶助の精神を発揮して、何とか生き抜こうとしている様子を見ていると、逆境にめげず、いつの日か、本当の自由を獲得しようとする彼等の革命精神の根は、広く深く息づいているのだと思えて来ます。
しかしながら、正直なところ、私は憂慮せざるをえません。この度の大震災を天与の好機ととらえるアメリカ合州国は、今度こそ、ハイチの政治的経済的支配を成功させ、その属国化を仕上げようと全力をあげるでしょう。ごく少数の富裕支配階級の人々を除く、大多数のハイチ人の苦難の日は、これからも続くに違いありません。電話を始めとする公営事業は私営化されるでしょう。スウェット・ショップ(sweat shop)という言葉を、ご存知ですか? スウェット・ショップが沢山できて、80%とも言われる貧困大衆の失業率は少しばかり低められるでしょう。しかし、これは黒人奴隷制度の継続に過ぎません。これが、クリントン/コリエ/バン・キムンのハイチ経済復興計画の要点です。懐があたたまるのは、又しても、アメリカとハイチのごく少数の人たちでしょう。