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NJP通信「危機の時代の平和学」 より引用 その2
この平和憲法は、占領下で生じた朝鮮戦争の最中にマッカーサー指令によって創設された警察予備隊(保安隊から自衛隊へ)と、対日講和条約と引き替えに結ばされた日米安保条約によって、その平和主義の中核部分と法治主義の根幹が脅かされることになった。 本来、武装抵抗の権利という意味での自衛権を自ら放棄した平和憲法と明白な軍事力・戦力を備えた武装組織である自衛隊、あるいは世界最強の軍隊である米軍の駐留と日米共同軍事行動を可能とする安保条約は両立不可能なはずである。しかし、歴代の日本政府は、再軍備と軍事同盟締結が実は米国から押しつけられたものであるという事実を隠蔽する一方で、自衛隊と安保条約の存在を既成事実として国民に受容させることに力を入れてきた。
その結果、国の最高法規である憲法よりも安保条約や自衛隊法などを優先させる「法の下克上」(前田哲男氏の言葉)という異常な状態が生み出され、戦後長らく今日まで続いたことで、民主主義の基本原理である法治主義・遵法精神が根底から蝕まれてきたのである。
このような観点に立てば、これまでの既成事実の先行と解釈改憲による追認という悪循環から脱却する道を明文改憲に求めようとする現在の日本の動きがいかに本末転倒したものであるかは明白であろう。
また、なぜ今でも独立した主権国家とは呼べないような「米国の属国」という地位に留まり続けているのか、あるいはなぜ国の最高法規である平和憲法が主権者である国民の意志よりも「米国への配慮」 を優先することで蹂躙され続けているのかが分かるであろう。
3.「自発的従属」から真の独立国家・法治国家へ
─ 普天間基地問題を解く鍵とは
戦後日本の歩みは、憲法体制と安保体制の矛盾とともにあり続けた。その矛盾は、日本における主権国家としての内実の喪失と法治主義の腐食であった。
平和憲法が日本という国家の最高法規であったのは、その制定から安保条約発効(1952年)、あるいは自衛隊発足(1954年)までのきわめて短い期間のみであった。
なぜならば、砂川基地・日米安保条約を違憲とした東京地裁の伊達判決(1959年)、長沼ナイキ訴訟での札幌地裁による自衛隊憲判決(1973年)の両判決に見られるように、戦争放棄・交戦権否定を明確に謳った平和憲法に日米安保条約も自衛隊も違反していることは誰の目にも明らかである。
戦後日本はその矛盾を沖縄への過重な基地負担という犠牲と平和憲法の表面的護持の上に隠ぺいする一方で、日米安保体制の下での属国状態(事実上の「軍事植民地」)に甘んじてきた。
そのことは、砂川判決を覆す最高裁判決の影に米国の露骨な司法介入があったという事実が、米国の機密資料で判明したという記事『毎日新聞』 2008年4月30日付、東京朝刊)や、沖縄国際大学への米軍2004年8月13日に起きた米軍ヘリ(普天間基地所属)墜落事故の際の米軍による日米地位協定にも違反した日本への明らかな主権侵害行為を見れば明らかであろう。
今日の普天間基地問題で問われるべきは、こうした日本の米国への「自発的従属」 状態からの脱却、すなわち主権国家としての内実の喪失と法治主義の腐食という「二重の欺瞞」から抜け出して、真の独立国家・法治国家として再出発することである。普天間基地問題を解く最大の鍵はまさにここにある。
この点で、鳩山首相が持ち出している「腹案」が米海兵隊のグアム・テニアンなどへの完全撤退を前提とした普天間基地問題の根本的解決を目指したものである可能性は少なからずあると考える。そうした可能性を現実性に転換していくためにも、あくまでも普天間基地の国内移設はすでに不可能・不必要であることを主張し続けていくことが、目下の私たち市民の唯一の選択肢であることをあらためて確認しておきたい。
2010年5月3日(第63回目の憲法記念日に)