米.ホームステイ

1回目

英国から帰国した僕は大学には行かずにバイトばかりして、着々と米国ホームステイの準備をしていた。
短気留学、ホームステイには様々なスタイルがある。
大学の海外の姉妹校へ行ったり、民間の留学センターに斡旋してもらったり、友人の紹介で行ったり、
語学習得がメインだったり、文化交流がメインだったり、観光目的だったり様々だ。
自分に合うものを選べばいい。
僕は、いつもの民間の留学センターに申し込みに行った…。
まず滞在する都市を決める必要がある。。。

西海岸ではサンディエゴ、LA、サンフランシスコ、シアトル、東海岸ではボストン、NY、フロリダなどのコースがあった。
今回は大学の冬休み中にホームステイ予定!
クリスマスも正月も海外で過ごすのだ! ふふふ。
そして数時間にも及ぶ不眠不休(?)の選考の末、選ばれたのがLA!
選考理由は「12~1月の気温が温暖」と「一番安かった」からである(笑)。
冬の東海岸は辛そうだし…。

それから数日後、留学センターからホストファミリーの住所氏名が送られてきた。
そこには夫婦の名前が記載されていただけで、子どもの名前がなかった。
何故か、僕は定年後の老夫婦を想像した…。
「子どもたちは巣立ってしまい、寂しいから学生を受け入れるんだなぁ~」…、そう思った。
ちなみに、このコースはオーストラリアと同じようにボランティアだったので、僕は無料で滞在させてもらえる。

出発当日、また僕は少し早めに成田空港の出発ロビーの集合場所に着いた。
まだ他に誰もいなく、僕は一番乗りだった。
これはいつもと同じパターンである。
自宅から空港までは、渋滞がなければ高速道路を車でとばして約30分ほどだ。

集合時間が近づいてくるにしたがって、次第にホームステイ申込者が集まってきた…。
オーストラリア、英国のときは「女の中に男が1人」状態だったが、3度目の正直! 今回は違った。
僕を含めて男性は5人いた。
しかし女性は25人以上いた(驚)。
英国のときが15名のグループだったから、今回は倍以上の人数である…。
まあ、僕の目的は「アメリカ生活を体験すること」なので、他の日本人のことはどうでもよかった。

LA行きの飛行機はANAだった。
僕は飛行機では横にならないと眠れない人である。
その時は横になれなかったので、ずっと音楽を聴いていた。
そして他の日本人たちを見ながら「ほとんどの人たちとは友達にならないよな~」とか考えていた。

成田からLAのフライト時間は8時間半くらいだった。
何でホノルルと1時間半しか違わないんだ?…と疑問に思ったのを覚えている。
LAに着くと、冬なのに太陽が眩しかった…。
まさにカリフォルニア気候である。
あまりの暑さに革ジャンを着ていた僕はTシャツ1枚になった…。

僕が通う学校は、ロサンゼルス空港から車で1時間ほどのPasadena(パサディナ)にあった。
カリフォルニア州パサディナ市はLAの東隣の市で人口は14万人。
ところが僕がステイする家の住所はLA市内…、つまり家と学校が遠いのである(泣)。
英国ホームステイでは徒歩圏だったのに…。

空港からハイウェイを走る車の中で、ダウンタウンの高層ビル群を眺めながら、
僕はアメリア本土にやってきた喜びを噛みしめていた…。
色々なことを吸収してやる!
当時の英語力は「日常会話には困る」程度だった(汗)。
言い換えれば、難しい話はできないけど簡単な日常会話はOKって感じ。
オーストラリア時代の「挨拶レベル」、英国時代の「旅行レベル」からは上達していた。

そしてホストファミリーとの対面の時間がやってきた。
僕は想像していたとおりの老夫婦を見つけたので、彼らに近づいて行った…。
するとそのとき、1人の若い男性が僕の肩を叩いた。
そして指をクイクイさせ、「こっちへ来い!」の合図を出してきた(汗)。
身長は僕と同じくらい、黒髪のロン毛、少し麻黒い肌、どうみてもラテン系の容姿…。

あ、あやしい。。。

ここは銃社会のアメリカ…、治安が良いとは言えないLA近郊…、僕はビビった。
僕が固まっていると彼は、今度は首をクイクイさせ再度「こっちへ来い!」の合図を出してきた。
そして「車に乗れ!」とのこと。

あのぉ~、車のフロントガラスが割れているんですけど~(汗)。
これって廃車寸前でしょ?
も、もしかして、ゆ、誘拐?
それともホ○~?

初日から泣きたくなったが、僕は鞄からホストファミリーの住所氏名の書いてある紙を取り出し、彼に見せて言った。
“Sorry, I can't go with you. Because I must meet them.”

すると彼は、その紙を見ながら僕に言った。
“It's me.”

WHAT?
何ぃぃい~?
えぇ~、老夫婦じゃないの~?!

勝手に脳内でホストファミリーのイメージを作っていた僕は驚いた。
とてもじゃないが、彼のことをDaddyとは呼べない。
年齢を訊いたら、僕より7つ上なだけである…。

ん、待てよ…。
彼が若いってことは奥さんも若いのか…? ぐふふふ…。


そして妄想モードのままステイ先へ到着、学校からはハイウェイと飛ばして25分だった。
家は平屋の1戸建て、それほど広いわけではないが小ギレイにしていた。
それにしても奥さんの姿が見えない…。
思い切って(?)僕は訊いてみることにした。

僕:"Where is your wife?"
彼:"My wife? I got divorced."
僕:"What???"

おいおい、ツーショット生活かよ~(泣)。

タダで泊めてもらえるので文句は言えないが、僕はホストファミリーとの交流が目的だったのでガッカリした。
毎回毎回、良いファミリーに当たるわけない…。
こうして僕のLA生活…、7つ上の男性との共同生活が始まったのであった…。

寝る前に彼が言った一言だけが唯一の救いだったことのを覚えている。
それは…、
"Don't worry. I'm not HOMO!"

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