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ネットから数年前から工高時代のK氏の年賀状には同窓会開催の意向が記されていた。今年の年賀状には「70歳になったら開こう」とコメントを入れておいた。ところがH氏からの年賀状では、「闘病中のため年賀状は今年でおしまい」とのメモ。びっくりして電話。K氏に電話で今年中に開催しようと電話。M氏には1989年版の同窓会名簿のコピーを送付。彼はエクセルに移植し、幹事を引き受けメーリングリストを立ち上げてくれた。私は連絡先の調査。住所が全く分からない同期を除き、38名にダメ元はがきを発送した。20名が宛所なしで戻った。Facebookでは2名を発見。連絡を取りたくて登録、回答を得た。別の一人は「東山工業高校」でブログを発見。ブログでは個人が特定できる情報のやり取りは禁止になっている。「住所でポン」というサイトでは住所から氏名・電話番号がわかり数名が判明。 現在確定したのは37名。その中で関東圏在住は5名。早速O氏からは孫を連れて行きたいので「高尾山」に行かないかとのメールあり。結局お孫さんの拒絶に遭いN氏も誘い3人で高尾山へ。ごった返す中、ケーブルカーは40分待ち。大きな天狗のお面を見て早々に下山。八王子に出て、昼間からさくら水産で乾杯。話は尽きない。私は飲みすぎてダウン。一足先のクラス会。名古屋の同期の皆さま、くれぐれも飲みすぎないように。
2016.05.04
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あるブログをひらいていたら、こんな新刊が紹介されていた。 早速AMAZONで検索したら、まだ予約受付の段階。“ダメ老人"観察記 福祉の美名に乗じる、驚くべき老人たち 川本 鉄馬 (著)内容紹介"「老人=賢人」は過去の話。電車で席を譲ろうとして睨まれたり、道で挨拶をしてキレられたり…。最近の老人は、「賢くて穏やか」とは限らない。周囲を見回せば、気分を害する変な老人が大勢見つかる。 問題は、こんな「ダメ老人」にどう対処するか。ダメ老人を舐めてはいけない。侮ると痛い目に会う。自分の年齢に甘えて傍若無人な振る舞いをするのがダメ老人だ。特に、自己満足のボランティア老人には要注意! 自分の間違いを疑わないので始末に負えない。「最近の老人はこんなにヒドいのか! 」と思わず声が漏れる、驚きの観察記。"私の20代の頃は国会や企業内の「老害」なる言葉が、マスコミによく登場していたが、いまや私もダメ老人の域に達している。この「ダメ老人」で脳裏に浮かんだのが、昨日のサンケイ報道の前丹羽駐中国大使の極楽とんぼ発言。『中国のレーダー照射「騒ぎすぎ」、「日本の空気の方がたち悪い」』 丹羽節連発 2013.2.19 18:06 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130219/plc13021918120014-n1.htm火器レーダー照射がきわめて危険な行為であることがわかっていない。しかも、「騒ぎすぎ」という言い方はその前から華紙に登場している。この商人出身の爺様の国籍を疑う。また今日のサンケイは、鳩山由紀夫元首相は20日夜、米軍普天間飛行場がある沖縄県宜野湾市内で講演し、飛行場の県外移設が実現しなかったのは外務、防衛両省の妨害によるものだと断じた。この老人は普天間から、尖閣、・・多々トラブルを起こすことが大好きなようだが、その愚言で無視され消滅寸前。責任転嫁の姿勢は中国譲り。数歩歩くと忘れる鳥の脳の持ち主。どうしようもない。加藤紘一元幹事長が13日に日本記者クラブで中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃管制用レーダー照射を「本当か」と疑問視した。またこんなことも、2013.1.26 18:00 (1/4ページ)[高木桂一の『ここだけ』の話] 20日付「しんぶん赤旗」日曜版は1面で安倍政権の「癒着とバラマキ」を批判する一方、4面に慰安婦問題をめぐる加藤紘一氏の見解を掲載した 安倍晋三首相が旧日本軍による慰安婦募集の強制制を認めた「河野洋平官房長官談話」(平成5年)の見直しを表明したことに対し、自民党の加藤紘一元幹事長が20日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」日曜版紙上で批判した。自民党の元重鎮が他党の機関誌にわざわざ登場して“身内”を攻撃するとは、寡聞にして知らない。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130126/stt13012618000004-n1.htmさらにその根拠のない「談話」で日韓間を損ねてきた河野洋平は「歴史を直視」で一致 河野元衆院議長訪韓、慰安婦は触れず2013.2.14 21:34 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130214/plc13021421350020-n1.htm先には暴言ばあさん田中真紀子は石原前都知事を「暴走老人」と呼んだ。日本はどうしようもない高齢化社会を迎えている。庶民にはこんな本が必要か? 追記私は20代後半、会社の先輩からこんな注意を受けた。「後輩たちが見ている目の前で、同期同士で争ったり、無責任な言動は慎め。」丹羽、鳩山、加藤、河野の4老人は中韓で客死されることが幸せだろう。ジュンも年をとったが、ブリッ子ぶりは健在。
2013.02.21
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老境というには、まだ熟しきれない心境だが、そうだよなー、という文を綴られてきた年賀状があった。山岳部の先輩からである。「僕らの年齢になると、うらやましいとか、憎らしいとか、悔しいとか、他人との比較の中で出てくる感情は無くなり、自分なりの楽しみを見つけて、自然体で生きていけるということが、実になんともありがたいものです。又、何かにつけて飲み会を開くようにもなります。歳を重ねるにつれて、「多くを望まず、心の充足を図ってまいりたい」、「ただ生きるのではなく、善く生きるように努めてまいりたい」という思いが強くなってくるからなのでしょう。規則正しい生活の中にあっても、呑んで饒舌に夢を語り、又、ストレッチでいつも汗を掻いて精神と柔軟性を図っています。・・・」その先輩よりさらに年上であろう東北大のO教授からの年賀状。私なんぞに欠かさず暑中見舞い・年賀状を贈ってくださる。老眼には読み辛い小さなフォントで、研究への熱意を語られている。年齢的にはさらにその先輩の勤務先のAさん。84歳。2年ほど前に奥様との旅行のためにポータブルナビを購入。相次いでPCも買ってしまったそうな。年末、勤務先の立体駐車場の車路の清掃、水洗浄を始めだした。作業途中でぶっ倒られてはかなわないと、寒い中、私が仕事をとりあげる。こんな歳になっても、先達には教えられる、しごかれる。
2013.01.02
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私は詩や俳句にはあまり興味がなくて、読んで感動することもほとんどない。それでもたまに、電車で隣に座った人が俳句の同好会メンバーらしく会報を読んでいるのを見ると、高尚さを感じる。諧謔的な川柳は好きである。図書館に「シルバー川柳」を予約していて漸く番が回ってきた。通勤時の車内であっという間に読み終えた。身に覚えのある川柳がいくつも登場するので、お気に入りを紹介。一、目覚ましのベルはまだかと起きて待つ 神奈川県 男性71歳二、年金の扶養に入れたい猫と犬 福岡県 男性68歳三、降り返り犬が気遣う散歩道 北海道 女性44歳四、目には蚊を耳には蝉を飼っている 大阪府 男性67歳五、飲み代が酒から薬に変わる年 滋賀県 男性72歳六、ボランティアするもされるも高齢者 神奈川県 男性49歳七、婆さんよ犬への愛を少しくれ 大阪府 男性58歳八、ご無沙汰を故人がつなぐ葬儀場 広島県 男性69歳九、妖精と呼ばれた妻が妖怪に 大阪府 男性68歳十、立ち上がり、用を忘れて立ちつくし 北海道 女性48歳十一、「こないだ」と五十年前の話する。 大阪府 女性43歳一は今年になってからひどくなった。私は目覚ましの設定をオフにする。二はまったくそうである。 三も該当。四の「目には蚊」は飛蚊症。私も今年初めて症状が出た。不治の病だそうな。五はまだまだ。 六はそのとおり。七はひょっとしたら「あきてもさん」の旦那さんが投稿?八は年老いた従兄弟同士の同窓会。さて、16日は投票日。心に沁みる戦前の選挙のスローガン-「さぼり記 」ブログからhttp://d.hatena.ne.jp/azuki-glg/20100502/1272770576昔のの選挙標語を見つけたので貼り付ける。●選ぶ人正しければ 選ばれる人正し(昭和二年)●投票の一瞬は 国家の百年(昭和二年)●国政は船のごとく 一票は櫂(かい)のごとし(昭和二年)●善政も悪政も 一票から(昭和二年)●裏も表も 明るい人を(昭和三年)●軽く選ぶと 重い荷を負う(昭和三年)●投票は 主義と主張を 聞いてから(昭和三年)●投票買いの 良心売り(昭和三年)●嫁と議員は 調べた上で(昭和五年)●政治は 国民の色に染まる(昭和五年)●政治の明暗 この一票(昭和十年)●金で選ぶな 心で選べ(昭和十年)●売るな魂 捨てるな一票(昭和十一年)●義理は禁物 人物本位(昭和十四年)●人をよく見て よく選べ(昭和十六年)●国思う一票 国思う人に(昭和十七年)●世界が見ている この選挙(昭和十七年)投票には行きましょう。私・・・釣りクラブの例会後、帰宅してからいきます。
2012.12.10
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「日本病」の先輩は「イギリス病」で、昭和30年代後半よく言われた。要するにそれまでの勢いがなくなり低迷、元気がなくなることである。それまで(西)ドイツがアメリカに次ぎGNP2位だったのが、日本が追い越しバブルに向けてまっしぐらの昭和晩年。いつしか、マスコミの記事ではGNPがGDPに変わった。中国がGDP2位に躍り出る前後から、鼻息荒く南シナ海でフィリピン・ベトナムと領有争い。今では助けられた恩ある日本に尖閣でいちゃもん。(←人民日報風表現)経済的に豊かになると往々にして己惚れて自らを見失う。その立ち位置で将来予想を立てるため、「予想」は外れる。悲観的な予想を立てる輩の意見は排除され、放逐される。気がついたときには日本病に罹っている。さて、世界中が高齢化をきたしているような気がする。先頃問題になった「生活保護」では、高齢の受給者が多い。知らなかったが、日本の年金制度は戦前からあったようだ。一方、中韓の年金制度や高齢化対策はどうなんだろう?多くの記事を目にしたが、頭に残っていない。(私、老化)以下に今日読んだ2件をあげておく。中国は「失われた20年」に突入した バブル崩壊で日本と同じ道をたどる理由 2012.11.14(水) 川島 博之http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36496「日本病に罹った」とついに認めた韓国 株安、低成長、不良債権…悪材料が一気に噴出 鈴置 高史 2012年11月15日(木)http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20121114/239408/?P=4塩漬け株はトホホ状態。あー、リーマンショック直後でも現金にしておけばよかった。私・・・老後難民の予備軍・・にならないよう健康で死ぬまで今の仕事にかじりつくのかな?高齢化社会。それでも私はある一面では楽観している。それは・・・各国、年寄りが多くなれば戦争はできない・・ということ。中国様は大丈夫なんかしら? 「大躍進の時代」のように餓死者続出?韓国は・・・しらん!70-80代の農業・漁業者がテレビなどに登場すると畏敬の念と羨ましさを覚える。年金受給で、のほほんと生活しているジジーやババーはボランティアでもなんでもいいから、社会に役立つことを見つけ行動することだろう。そんな中で高齢化社会への知恵が出てくる。・・・と、思う。
2012.11.16
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<福浦にて、2012.2.26 ボランティアの帰り>先週、こんなニュースが目についた。高齢者「65歳以上」見直しを、内閣府の有識者検討会2012.2.23 20:03 [家族・少子高齢化] 内閣府に置かれている有識者の「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」(座長・清家篤慶応義塾長)が23日、「65歳以上」を一律に「高齢者」と位置づけている定義について見直しを求める報告書案をまとめた。政府は3月に提出される報告書をもとに高齢社会での施策の基本方針を定めた「高齢社会対策大綱」の改定に入り、5月をめどに閣議決定する方針。 定義を見直すのは、健康で元気に働いているシニアを社会保障の「受給者」としてだけでなく、支える側にも回ってもらう制度設計につなげるためだ。 報告書案は、65歳以上でも働き続けている人が増加していると指摘。高齢者を「65歳という年齢で一律に区切ることは実態にそぐわない」と提起した。そのうえで「意欲と能力のある65歳以上にはできるだけ(社会保障制度を)支えてもらう必要がある」とした。http://sankei.jp.msn.com/life/news/120223/trd12022320030013-n1.htmこのところ、TV画面で高齢者の年齢が表示されると気になる。80歳近くでも畑で野菜を取る方、漁船に乗っている方・・・自分はその年のころ、あんなに元気でいるだろうか?心身ともに。問題は年金の原資枯渇が見えていることだろうが、少子化、デフレ介護、・・・多くの要素が絡み合っている。私の経験では、現役を離れ少々でも仕事をしないと一気に老ける。そして、体力・視力の衰えを自覚する。思考力・忍耐力も落ち込んでいるだろう。企業の定年を65歳以上にせよとの通達がその前にニュースになっていた。企業にしてみれば人件費が問題になる。しかし、経験者は相応の費用であれば囲っておいたほうが「いざ!」というときには、生き知恵を得る保険にもなる。(楢山節か!?)私の知るところでは通常、企業は55歳で定年を宣言し、退職金の扱いを年金にするか一時金にするか判断を求めてくる。また、50歳を過ぎれば年俸は頭打ち、乃至下がってくる。しかし、少子化と超高齢化社会を併せて考慮すれば、一般論として定年延長で実労働力を確保すればよいのではないか? 今必要なのは生きがい(それが仕事でも、遊びでも)と老若男女を問わない将来への夢だろう。必要なのは【定年延長】というより、定年そのものをなくす社会ではないのだろうか。
2012.02.26
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7年ほど前、派遣の仕事も更新ならず職安には出向いたものの意欲は無くし、持ち金と数年後の年金受給などを計算して、緻密に80歳までの経済生活計画を練った。ローン、税金やら必要な固定費を考えられるだけ抽出し、毎月の可能な生活支出額を計算した。株は動かさずに持ち続けたため、その後のリーマンショックやらこのところのユーロ危機で私も破たん!?失業後は24時間毎日愛犬ジュンと一緒の極楽?連日の長距離散歩で歩道に繁茂する雑草が気になり、当初は平潟湾南側の遊歩道の草刈りから始めた。作業をそばで見ているノーリードのジュンをかまってくれたり、見知らぬ人から声をかけられ、休憩を兼ねて立ち話をしたり。そんな時、おぼつかない足取りで散歩にきたご老人と老犬。無害安全が一目でわかる。ジュンも逃げない。老犬も主人と同じように動作が鈍い。会話することはなかったが、ひとめぐりして戻る老人に、その老犬はマイペースでうろつき、後をついていかない。そのうち老人が振り返り、かの愛犬を呼ぶ。老犬は無視したまま。と、思ったがひょっとしたら犬も耳が遠くなっていたのかもしれない。私とジュンの将来像がそこに重なる。その後、今の職を得た。この1月で2年目、ビル管理。定期的な点検作業-消防設備、電気保安設備、エレベータ点検などなどは専門業者が実務を行うので、テナントからのクレームなど雑務処理がほとんど。PCを用意していてくれたので、暇に飽かせてニュースやらメルマガを読む。過日もAMAZONを覘いていた。こんな本があった。【犬の老いじたく―愛犬の老化と向き合うために】 中塚 圭子著 ジュンは12歳になる。人間なら私を超えた。それでも若く、元気に散歩・山歩きをするが、急な下り階段では抱っこして下りるようにしている。上りに比べて、下りの関節への衝撃は2倍以上といわれているから。毎日の散歩を強要されジュンの将来・老化のことなどほとんど考えてもいなかった。私自身も職探しをあきらめ、会社-社会から、さよならするまで自身の老いのことなど考えてもいなかった。「人間の老いじたく」に関する著作は、曽野綾子氏をはじめとして多くの方々が書かれている。AMAZONで「老い」をキーワードにして調べてみると、こんな本もあった。【老前整理 捨てれば心も暮らしも軽くなる】 坂岡 洋子 (著) 断捨離が流行ったが、所詮は流行り。私はなかなか捨てられない。なにはさておき、今年は私とジュンの老いじたくの年になりそうだ。明日は例会、真鯛釣り。ジュンは留守番。仕掛けつくりを始めたら、スネて椅子にもぐりこむ。
2012.01.14
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2年目のくちなしの花私は50歳で28年勤めた会社を辞めても、【老い】は意識しなかった。その後、57歳まで4つの会社を渡り歩き、契約更新ならず、また職安通いかと、仕事帰りに本屋で出会った新書が、「老いが怖い」:香山リカ著だった。視力・体力の衰えとともに「老い」を意識するようになり、職探しはあきらめた。今では、前期高齢者である。年金受給直前に職にありつけたことはこのブログに書いた。さて、曽野綾子氏の芳名は日本財団の理事長を勤める前から知っていたが、なかなか彼女の著作を読む関心・時間を裂くことができず、ようやく「老いの才覚」で初めての出会いができた。以下、図書館の検索データベースから 書名 :老いの才覚 シリーズ :ベスト新書 295 著者名 :曽野綾子/著 出版者 :ベストセラーズ 出版年 :2010.9 ページ数等:172p 要旨(BOOK):年の取り方を知らない老人が急増してきた!超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題。自立した老人になり人生を面白く生きるための7つの才覚の持ち方。 著者紹介(NS):1931年東京生まれ。54年聖心女子大学英文科卒。79年ヴァチカン有功十字勲章受章。93年恩賜賞・日本芸術院賞受賞。97年海外邦人宣教者活動授助後援会代表として吉川英治文化賞等受賞。95~2005年日本財団会長。日本文芸家協会理事。日本郵政(株)社外取締役。 書誌番号 :210065427 予約数 666 横浜図書館で予約しても待ち人数が666名。35冊の同蔵書があるが、計算してみると私のところに回るのは1-2年後。で、AMAZONで古本を購入。私は個人的には【老いの才覚】は、男なら頑固爺、女なら意地悪婆さんと思っていた。 両者とも見方によっては、「孤独に耐えて自己の存在感を意識」しているジジババである。「老いの才覚」の腰帯には「年の取り方を知らない老人が増してきた」とある。受け身で教えられるばっかりで、自らアグレッシブに学ぶ機会に恵まれなかったのだろう。前半は「くれない老人」の話。・・・**してくれない、という甘ったれジジババのこと。その目次第1章 なぜ老人は才覚を失ってしまったのか第2章 老いの基本は「自立」と「自律」第3章 人間は死ぬまで働かなくてはいけない第4章 晩年になったら夫婦や親子との付き合い方も変える第5章 一文無しになってもお金に困らない生き方第6章 孤独と付き合い、人生をおもしろがるコツ第7章 老い、病気、死と馴れ親しむ第8章 神様の視点を持てば、人生と世界が理解できる早く逝けばいいのにというジジババは長生きし、「いいひと」は早世する。いい人ぶるのは疲れる。私はいい人ぶって、読み終えた本で予約の多いものはすべて図書館に寄付してきた。この「老いの才覚」は、も一度読み直しそうなのでいい人ぶるのは辞めた。アホ菅をはじめとして、決断力なし、責任力無し、他人任せの団塊世代が糾弾されつつある。いい人ぶってカッコつけるのはやめて、素直に自を出して生きるのが老いの才覚と言うものだろう。 人間は死ぬまで働かなくてはいけないTVでお見受けする漁村・農村の老人たちは70代80代で仕事をしている。都会のサラリーマンは体力がない。仕事する気もない。遊びほうけているとは言わないが、税金でまかなわれている公共単純作業くらいはボランティア活動でその落ち込みをカバーし、若者たちの負担を軽減すべきだろう。*所属するボランティア団体の総会で以上のことをぶちあけたら、仕事を奪うことになるのでそれはやめたほうがと拒絶されたが、税金の効果的使途を考えれば、民間が下請けの公共事業は天下りが多く、年寄りを集結して狡猾な天下り役人(税金からの予算を確保し、使うことばかりを考えている。もちろん自己の収入も)は駆逐すべきだろう。私の回りにはボランティアネタを探し回っている老いの人たちが、大勢いる。私も死ぬまで働かなくてはいけないようだ。6月26日 金田港にて
2011.06.29
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<皇帝ダリア : 釜利谷西にて>1週間ほど前に古巣の同僚から、喪中はがきを受け取った。相次いで、母方の従兄弟から。そして、古巣でお世話になったYEさんがこの8月に亡くなられたとのはがきが、甥の方から届いた。享年81歳。当時、御殿場に新工場が竣工したため製造部門にいたYEさんは再配置で、幸か不幸か私のアシスタントに配属された。お歳は知らなかったが、私より21年年長。社内行事の「尾瀬ハイキング」が催された時には、故郷の広島から姪を呼んで、私に引き合わせる【悪巧み】を仕掛けた。もともとは「画家」で、苦労話も聞かされていた。同じく画家のご主人にも会ったが、在職中に亡くなられ、彼女は定年前に退職した。その後は、よく海外旅行にも出かけ、毎年銀座の画廊で個展をひらき、案内状を送ってくれていた。出張の時には、時間を捻出して所蔵されているというご主人の絵を観に広島美術館を訪れたこともある。この数年、賀状が途絶え、忘れられたかと勝手に解釈していたが、4年前に脳梗塞で倒れ、鶴川の病院で加療していたそうである。知らなかったとはいえ、連絡をとる努力を一切しなかったことを、後悔する。おとといの夕方には、兄から電話が入る。シーズーの「ダイちゃん」が、16歳で亡くなった。弟分の「ゴン」も体調が悪く、投薬していると言う。その日の夜のジュンとの散歩中に、また携帯が鳴る。母方の伯父(渥美・田原町)が亡くなった。今日が告別式だったが、従兄弟には非礼の侘びをして、12月の四十九日に出る旨を伝えた。この1月からの多くの「別れ」を振り返る。<今日>告別式にも出ないで、後ろめたさもあったが、明日は調布で20年ぶりの親岳会のOB会。ジュンは留守番させざるを得ない。今日は目一杯、散歩した。 鎌倉天園に向かう。 長い階段の上で、早く来いとせかす。天園からの復路、大丸山コースを回る。 マウンテンバイクの人や、ジョギングしている方とよくすれ違う。 氷取沢に下り、金沢文庫駅にむかう。駅近くで、ボランティアで一緒する父兄のSHさんに出会い、しばし立ち話。12月の予定やら、住まいの話をして別れる。八景駅から帰宅への途上、別のボランティアグループのMKさんと会う。知己に出会い、挨拶できることにささやかな幸せを感じる。 八景駅近くの花屋の前に、花が枯れかかったファレノが¥500で出ていた。花茎の先端を切っていただき、買い求めた。残った花茎から、春にはまた楽しめそう。
2010.11.20
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どのようなことでも、実際に経験してみないと物事や人の所為を「理解する」ということは、困難である。明るくさせてくれる「経験」なら、多くの人はそのままハマってしまうだろう。しかし、限られた時間の中で「経験」を積むことはおのずと制約される。怪我、病気、・・・ そして「加齢」による体力減退。歳をとれば、自分の実体験の量に比例して、数多くの人を理解したり、「ああ、あのときのお年寄りは、こんな状況だったのかしら?!」と、理解の幅は広がるものだと思っていた。多くの貴重な「経験」も、ボケとともに色あせてしまうのかしら。たぶんそうだろう。「ボケ封じ」という言葉をよく耳にするようになったのは、この10年。「指」を使えばボケない! ・・ で、男でも編み物をしたり、陶芸をしたり、キーボードをたたいたり。鮨屋のおやじさんは、「私はいつまでもボケないんですよ!」と言っていた。さて、この日曜の釣りの帰途、Mさんが車窓から指をさし、「妻にいわれて、あの医院で診察を受けた。」・・・「認知症テスト」のようである。テレビで認知症のテストシーンを幾度か見ているが。これはなんですか?と、いくつか絵を見せられ、「馬鹿にしているのか」といらだたしさを感じながらも、返事をする。そして数分後、「さきほどの絵を思い出して、すべて言ってください。」と、云われ、困窮するのが高齢者。2つ、3つは言えるけど・・・「記憶力の低下」=「集中力または好奇心の低下」同じことを何度も聞かれると、「以前にも話したのに・・」と、いらつくことがある。その逆に、幾度も訊ねてしまうことがある。ただたんに、その場を取り繕うための、会話・コミュニケーションで実は気のない証拠である。「体力減退」を感じたら、ランニング、ウォーキングを楽しむようにして過ごす。「脳力減退」対策は、集中力だろうな、と、思う。若いころは、「ながら族」でも、なんとか成った。歳を感じたら、イイカゲンに聞いたり、ゾンザイな態度は慎んで、メリハリをつけた生活に努めれば、ちっとはウザッタがられることは、なくなるだろう。同じく釣りで同乗したSさん。「せっかく千葉まで来たのだから、タケノコを買っていこう。」、と、しつこい。恒例化した千葉遠征釣りでは、いつも「たけのこ」が、彼の口から飛び出す。「昨年と同じ【健人館】でラーメンを食べてから、隣の店で買えばよい」と、なんど返事したことやら。ジジー、ババーの欠点というか、特徴は「発信量」が多く、「受信容量」が、小さいことだと思う。加齢、否、華麗な高齢化社会を創るのは貴方、ではなく私。と、認識して見えない脳力低下を抑えていこう。
2010.04.20
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夜、古巣のO元常務から電話をいただいた。昨暮れには姉妹を亡くされたとの喪中はがきをいただいていた。が、日曜日のOB会ではほとんどお話が出来なかった。K元社長とのご一緒の写真をA4版に印刷し、添え書きとともに送った。その礼の電話だった。長々とお話した。御歳84歳。現役の頃は私には唯一怖い上司だった。しかし、叱られたことは一度だけ。主任昇格面接のときに徹底的に不勉強・視野の狭さを攻撃された。北海道放送からTVテスト信号の難しい質問を受け、社内には相談相手も見当たらなく、意を決して常務の部屋を訪れたとき、的を得たように資料を出して教えてくださった。(役員と言えども北海道出張の理由が出来なければ行くことあたわず。私をおいて札幌に飛ばれた。営業とは別次元の話でもあったので。)55歳で退任しようと思っていたが、ずるずると務め、「もういいでしょ」と62歳で退任されたこと。それを狙っていたかのようにF社が引っ張り、社長を務められ後任を育てて会長に。完全に引退されてから、私もS社を辞め悶々としているところをF社の後任社長に会い1年半ほどお世話になった。話が色々なところにとび、感激した。私自身の性格は「尊敬する人」がいない不遜な輩だと、思っていたがO常務からの電話で、そうでないことを認識した。随分前に奥様をなくされ、健康のため毎日2時間ほど歩かれているそうで、また、自炊生活をおくられているとのこと。私の【甘え】かもしれないが、100歳過ぎまで長生きして頂きたい。
2010.01.28
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3年ぶりに28年勤めた古巣のOB会に出席した。毎年この時期に開催されているが、本来なら仕事をしていなければならない歳だが、遊んでいるという負い目で萎縮してしまっていた。社長だったKK氏からの年賀状には「今年は顔を見せてください」とのコメントもあり、皆の現況も知りたい思いがあり出席した。場所は新宿。参加者24名の名簿をいただいたが残念ながら2名が欠席。皆、良い時期に夢中で仕事に取り組んだ連中ばかりが集まった。やはり古巣の会社の現況について話題が上り、最盛期800名ほどの社員が今では度重なるリストラで100名ほどに縮小されているようだ。5年ほど前に完全に米国本社の日本法人になったが、昨年はリーマンショック後で相当なリストラが実施されたらしい。10年ほど会っていなかった近しい先輩2名も今回は出席されたが、懐かしさより今にでも仕事再開という妙な気分に襲われた。社長80歳、常務84歳。皆元気である。リストラ後起業したSは会社案内をばら撒いていた。幹事役のKB部長は挨拶で「自分だけが歳をとってしまった」と思っていたが、「皆の顔を見てやはり皆老けてきたことに安心した」と冗談交じりに欠席者の現況も紹介していた。幸いなのは、亡くなった方の情報はなかったこと。年をとると持病の話や、現況報告で話が長くなるがそんなこともなかった。悠々自適の生活とはいえないまでも、懐かしい戦士たちの元気なOB会だった。
2010.01.24
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「一歩さん」のブログで上野千鶴子氏の本、【男おひとりさま道】を知った。男ひとり道を、生涯歩んできた私としては興味深い。早速アマゾンで検索して発注した。 アマゾンではよく一緒に購入されている本が紹介され、【おひとりさまの老後】が推奨されていた。。書評を読むと後者はボロクソにけなされている。前者の書評には私と同じ境遇(独身・高齢?)の方が、辛らつな書評を書いていた。いつもはアマゾンマーケットプレイスで中古本を買うのだが、ここでも出版不況なのか送料無料キャンペーン中で、中古本より安いので新本で購入した。老後の展望は暗い。数年前には【遺品整理屋は見た】という本を読んで、自分が孤独死したら遺体が蒸発すれば迷惑も少なくて済むのにと、暗い夢想もした。さて、家庭生活を取り仕切る主婦は存在しても、【主夫】はあまり聞いたことがない。昨年、知人から紹介された男性ボランティアグループでは、年末に【男の料理教室】が企画され、妻に先立たれ料理もできない男も存在するとのことで、懇親会を兼ねて私も参加した。女性に比べて、男はリタイヤすると情けない。それまで近隣との付き合いが浅く、どうしても古巣の会社仲間と、たまの飲み会ぐらいか、夜な夜な居酒屋でつかの間の話し相手を探すぐらいだろう。独りで遊歩道の雑草を刈るボランティアをしていた頃、よく立ち話をした方は、「妻は古くから近所付き合いがあるからいいが、リタイヤした自分はいまさら近隣との付き合い方がわからない。」と愚痴をこぼしていた。本はまだ届いてはいないが、【男おひとりさま道】が有効な参考書とは期待していない。心配なのは死にいたるまでの認知症やら体調不備になったとき、回りに迷惑をどのように最小限にとどめるかである。参加した男性ボランティアでは、独居老人宅の庭の草刈り・剪定を行ったが、いずれも老婦人だった。突っ張らずに弱さを出し、助けを求めることも大切なのかもしれない。本では「女に愛されるかわいげのある男」になるための方法も述べられています。と、ある。これは私には不可能である。が、・・・ 野島でのバーベキューで酩酊状態で撮られた【両手に花】の記念写真をいただいて、珍しいこともあるものだと、有頂天になっていた。タンジュンな私である。(右側の女性がボランティアグループを紹介してくださったコーディネーター左側の女性は初対面で、名前も知らない娘くらいの年頃の女性。)男が考える【男おひとりさま道】は死ぬ直前まで健康で、ポックリ終着点にたどり着くことである。それにしても女性は強い!* このブログを書いた(1/8)後、改めてアマゾンの書評に全て眼を通した。私と同じくポックリ死を願っている方は多いようだ。(中にはポックリは宝くじに当たるようなものだと、のたまわっている方もいた)1/10の今日、本は届いた。精読させていただこう。
2010.01.10
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海の公園にておくればせながら、あけましておめでとうございます。年末年始は名古屋の兄宅でジュンと一緒に世話になった。元旦は雪。 半生のほとんどの正月を名古屋で過ごしてきたが、雪の元旦はめったに経験がない。それでも兄夫婦とシーズーの大ちゃん、ゴンちゃん、私とジュンで地元の神社に初詣に出かけた。4日から5日にかけ、深夜に帰宅。6日は厚木でアルバイト。ビルオーナーのNさんとテナントに挨拶回り。年末に体調不良になったAさんの恢復は思わしくなく、横浜のビルも含めて私が後釜に座ることになりそうである。Nさんからは「収入の見通しができるのだから、車高の低い車に換えたら・・。出来れば車で通ってほしい。ビルの駐車場はセダンクラスでないと入らない。」といわれた。緊急時には確かに車の方が機動性がある。現状では買い換える余裕はない。が、ジュンとの散歩途上ディーラーに立ち寄り、展示車の荷物室の広さをチェック。釣行では3-4人で同乗して出かけるため、今のヴォクシーには大変満足している。釣竿もワンピースロッドが流行で、車内の天井に取り付けたロッドスタンドも重宝している。燃費も名古屋に帰るときは14Km/Lを走る。(80Km定速走行)後部席のスライドドアもせまい駐車場では使い勝手が良い。ディーラーではウィッシュとプリウスの荷台を比較した。プリウスの荷物室は意外と広い。で、カタログをいただきに店に入る。店員が営業担当者の名前を尋ねるが3人目に替わっており、調べてもらったらなんと彼が担当者だった!(整備時に1度会ったきりで、顔も互いに忘れていた。)プリウスのカタログをめくりながら、ETCやらカーナビやら雑談をする。今ではDVDカーナビはないらしい。HDDカーナビや、SDメモリを利用したものに変わってきている。しかもBluetoohtがどうのこうのというエレクトロニクス機能満載である。カタログを読んでいくうち、うざったくなってきた。私はもともとこの分野で飯を食ってきた。還暦を前に浦島太郎状態である。 なさけない!玉手箱ならぬカタログを開いたら、白髪の爺さんになったようなものである。(もっとも現実に老人の域に入っているが・・・)プリウスはすでに3代目だそうで、次第にパワーアップしてきている。多くの便利な機能も、年をとると単にめんどくさいと感じることに老化を思い知らされた。そういえば、釣りクラブのMさんは折角のカーナビもうっとおしいと画面を消去していた。めんどくさがり・・・鈍感・・・じじーになる。くわばらくわばら、自戒の年にしよう。運転免許の更新でゴールド免許に復帰もすることだし。
2010.01.08
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とうとう逝かれてしまった。以前、テレビで長門さんと一緒にいる姿の放映を観たときには晩年の母・父を思い起こしてしまった。眼窩が少しくぼみ、そのまなざしは遠くを見ている。切ないが、孤独に亡くなられた山城新伍さんよりははるかに幸せだったと感じる。南田さんはセリフが覚えられなくて、認知症を自覚?して引退されたとも報じられているが、老いによるその無念さは偶然に見た仲代達矢さんの番組でも似たものがただよう。さて、見る頻度が多いBSフジのプライムニュースは今日は五木寛之氏と香山リカ氏がゲストだった。お二人の著書、「人間の運命」・「しがみつかない生き方」を紹介しながらの番組進行だったが、同感するところは多かった。私は最後の派遣仕事で「自分はもうサラリーマンには向かない」とあきらめ、かといってなにか事業を起こすわけでもなく、のほほんとジュンと24時間を過ごしている。将来の経済的な破綻が見え隠れするが、健康なら何とかなるだろうとほっかむり。 株の売買で莫大な損失をチマチマと補っている。ジュンのお陰で、人と話す機会は毎日得られるが、定まった人との会話は少ない。散歩道の雑草が気に障り、独りで草刈りの中、ボランティアグループへの紹介を受け、矢継ぎ早に3グループに登録。「がんばらない生き方」というのは情けなさを感じるが、香山氏の「しがみつかない生き方」という表現はうまい!釣りのとき、「釣ってやるー!」と頑張ると釣れない。あきらめて置き竿にしておむすびを頬張ると、アタリがくる。「私の運命」のようである。ジュンは散歩・外出へ、毎日頑張ってアピールし私を煽る。
2009.10.23
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午前の散歩は久しぶりに朝比奈切り通しに出かけた。鎌倉方面と熊野神社への分かれ道をいつも通り神社に向かう。本殿のある急な階段から年配者が降りてきたと思ったら、また登っていく。無言でジュンとついて上がっていったら、往復回数を決めているらしく狛犬のところに玉石が20個くらい置いてあり、これをひとつ取り本殿下に投げていた。 今日は午後からSさん宅に出かけ、PCのチェックとプロバイダ&回線の変更、無線LANについて話をする約束をしている。早々に帰りたいので素直に戻る。分岐点で一服。鎌倉方面から地図を見ながら登って来た人がいるので声をかける。大仏で有名な長谷から自転車で登り口まで来たそうである。長谷から登り口までの車道も相当な坂道である。しばし話をしたら、彼の住む地区の【老人会】はどんどん解散になりいまではひとつのみになってしまったとグチのようなことを聞かされた。高齢化社会になっているのに何故?取りまとめ役を引き受ける人物がいないのだそうである。たまに出てきても、メンバーが極めて消極的ですぐにやる気を失くすとのこと。私の父も老人会からの勧誘を受けたときバカにして、「余計に老けるから」と拒否していたが、母を亡くしてからは入会して旅行やら様々なイベントに参加していたようである。都会の老人は現役の頃からコミュニティーに縁が薄く、リタイヤ後は何をして過ごしているのか?個人主義が過ぎて得て勝手・我がままになるようである。それゆえ地域連携を試みようとする方が現れても、まとめきれず諦めてしまう。独りになったその先は「孤独死」である。今ではニュースにもならない。自治体も頭の痛い問題であろうが、【老人会】に予算をつければ解決するようなことでは全くない。なにせ高齢者の方が平均的に金は持っている。爺・婆のコミュニティーは後に続く世代へ年とともに変わる生活観・知恵を伝える。爺・婆の個人的な知恵は伝わりにくい。「個」の爺・婆の話は一方的でコミュニケーションが成立しにくいからである。個人的な話ばかりで社会性を持った内容に欠けるのかもしれない。耳が遠くなるせいもあるかもしれない。ひょっとしたら「耳が遠くなる」という現象は、他人の話を聞こうという努力をしなくなることから始まるのかもしれない。コミュニケーション能力が衰退すると、ボケ現象が起きるのではないかいな?日本は世界一の長寿社会だそうだが、これはそんなに自慢できることではないように思えてならない。爺・婆がバラバラにただ生きているだけ!?リタイヤするとほっとして開放的になるものだが、年金をもらうのは当然!と権利をむさぼるのではなく、リタイヤ後の新しい社会参画を意識しないと若年者を巻き込んで社会全体が崩壊するように思えてならない。単なる長寿は美徳でも誇れることでもなく、社会の重荷である。 長谷からの御仁と別れて帰宅しようと思ったら、ジュンは勝手に鎌倉側へ歩を進める。
2009.10.15
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【ゆうせい】はシーズンになると、「年賀状は贈り物だと思う」とCMを打つ。クリスマスカードではないが、私もそんな一面はあると思う。裏面のデザインを考えるのは楽しいし、受けとったときに送り主の個性が見える。現役の頃、一度会ったきりの顧客だが20年近く賀状だけのやり取りをしている方もいる。上司、先輩、同僚、友人、後輩、個人的な付き合いになった以前の顧客(教授、自衛官・・・)・同業者。今年は工高時代の親友Mからの賀状が届かなかった。彼は地元で電気店を継ぎ、大きく店を発展させていた。不景気で多忙なのだろうと、それほど気にも留めなかった。この8日は甥の【できちゃった婚】で、帰名した。名駅近くの式場に向かう途中に彼の店がある。店は様変わりして、【ブックオフ・ハードオフ】の店になっていた。廃業したか?業態を変えたか?負債をしょってどこかへトンずらしたか?少し不安がよぎった。簡易な式であっという間に【式】は終わり、甥夫婦は勝手にどこかへ出かける。母方の祖父が80過ぎなのにわざわざ福岡から参列してくれ、当日帰るということで、新幹線駅まで見送る。Mのことが気になりだした。携帯をPHSに変え、ナンバーを移しそこなっていたため、多くの友人の電話番号は損なってしまっている。年賀状を見ればいいや。深夜、東名を走り横浜に帰る。昨年の年賀状を取り出し、Mからの賀状を探す。電話番号が記されていない!過去数年の賀状を取り出し、工高時代の友人たちからのものも取り出す。電話番号が記載されているのは2名だけ。その一人K1はMとはあまり懇意ではなかった。が、20数年ぶりに声を聞く。Mのことはわからないという。もう一人、K2はなかなかつながらない。仕方なく住所を頼りに、番号案内に問い合わせたが、皆登録されていないという。私もであるが、固定電話はセールスマンのために設置しているような昨今、あえて電話帳に登録などしない。もう一人、Oはメルアドのみが記載されていた。22時過ぎにもう一人のK2につながった。このところMとは会っていないというが、電気店は弟に譲りブックオフに店換えしたという。ほっ。Mの電話番号を伝えられ、K1と同じく【同窓会】を開こうという。音頭とりする奴は・・・私を除けば、Mである。Mに電話するが、不在。翌日ようやく連絡が取れた。同窓会・・・60歳を過ぎる来年にしようや。今年は不景気で、帰名する費用がもったいない。Mの不手際(賀状は出したつもりだったらしい)で、皆の消息を知ることができた。電話の声だけだが、皆明るかった。K1は「今、孫が遊びに来てるんだ」と言っていた。そんな歳になってしまった。年寄りは、せめて明るく振舞うべき。そんな思いで、株情報を見る。
2009.02.11
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2008.11.04
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株価の下落が止まらない。昨日の日経WEBの記事タイトルは最新株・為替ニュース日経平均、下げ幅600円超 同先物は一時8000円割れ (10:13)日経平均先物、下げ幅500円超 断続的な売り、朝安後の戻り鈍く (09:48)日経平均、下げ幅500円超す 貿易黒字9割減で実体経済悪化の見方 (10:17)東証寄り付き・下げ幅400円超す――年初来安値を下回る (09:28)日経平均先物、大幅続落で始まる――米ダウ514ドル安、円高進行 (09:19)そして今日はニュース・クローズアップ日経平均大幅続落、終値811円安の7649円/特報 もう、ヤケクソ!野村證券の担当者に電話して、「個人国債が現金化できるなら、それで某株を買えるだけ買っといてチョーダイ」と連絡。さて、【老いへの備え】とはいっても、すでに私は初老の域に入っている。独り者ゆえ一番の心配は、自分の遺体の始末。世間に迷惑は掛けたくないが、これだけはどうしたらよいものか。数年前に読んだ本。死とともに空気になって蒸散してしまえば・・・とも思うのだが。ただ、その前に愛犬ジュンを看取る義務もあり、まだまだ生活を工夫、楽しむ余地が残っている。まだ年金を受給できる歳ではないが、【金美齢】さんのホームページでこんな話を読んだ。老後は人生の総決算 20080502トーマス・ウィルソンはロンドンの銀行マンだった34歳の時、初めて訪れたカプリ島に一目惚(ほ)れし、1年後、職を辞し、全財産で25年の年金を買い、移り住む。当時35歳の彼は、60歳まで気楽に生活を楽しめば十分だと考え、その年齢を生き延びたら自分で人生にけりを付けると決めたいた。語り手の「私」がウィルソンに会ったのは、彼のカプリ生活15年目であった。それから13年、カプリを再訪した「私」が聞いたのはウィルソンの無残なその後である。一酸化炭素自殺を試み死にきれず、半病人になっていた。結局66歳で死ぬまで島の厄介者であった。安楽な生活を送ると、強靭(きょうじん)な精神性は磨(す)り減る。「自業自得だた、しかし、それにしても悲惨な話だ」と「私」は呟(つぶや)く。25年の「理想的な生活」に対する代価は、6年の屈辱的な日々との野垂れ死にだった。老後とは人生の総決算。貧困も孤独死も、自ら歩んだ道のりの終着点なのだ。厄介者で生きながらえたくないと思っているのは、誰しも同じ。たしかに安楽な生活を送ると強靭な精神は磨り減る。私の生活は安楽なのだろうかと自問する。後輩からの仕事の相談を受けると、同じように悩み的外れかも知れないが、考えられる限りのアドバイスをメールする。PCにむかい、ニュースやブログその他の情報に接する日々。そんな中、またまたこんな書評を見つけた。「おばさん未満」共感呼ぶ酒井順子 「老い」への心構え提案2008.10.23 08:14http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081023/bks0810230815000-n1.htm「40代が20代のような服装をしたり、10代のような行動をとったり…。年相応である-という伝統的価値観が崩れてきた。いつまでも若く-という現代感覚が社会に浸透したからこそ、自分の中に老いを発見したときの恐怖感は大きい」と酒井さんは指摘する。【おばさん未満】の表紙らしい。私は未読。私は気がつかない間に初老になり、【老いを発見したときの恐怖感】はなかった。決してボケていたわけではないが、まだまだという気持ちが覆いかぶさっていたように思う。1年半前、もう再就職活動はあきらめた! で、持ち金を計算して【80歳計画】を立てた。その頃、香山リカさんの【老後がこわい】も読んだ。先の酒井順子さんにしろ、私より20年近く若いと思うが・・・男の書く【老後論】はあまり面白くなく、目に留まらない。男はそれぞれ自分なりの老後論を構築すべきなんだろう。私は【死後対策】が懸案である。読売新聞のWEBを開いたら、トップにたばこ増税断固反対の広告が・・大幅増税してくれたら禁煙して、私の葬式代を残すのだが・・ジュンの元気が私の元気
2008.10.24
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テレビが地上波だけでなく、BSもキー局全てが電波を降らせるようになり、映画は1年を待たずして、TVで視聴できるようになった。著作権の切れた名画は500円ほどで購入できる。この2年足らずで多くの映画を観たが、【気合】を入れず流し観をした映画なぞはそのタイトルさえ覚えていない。「ボーン・イエスタデイ」はその1本である。ストーリーは面白く、中でも主人公の愛人で元ショウ・ダンサーのビリー(メラニー・グリフィス)は話題が低俗で、愛人であるやり手実業家のハリー(ジョン・グッドマン)はビジネス上、高級な話題の出来る女性に改造しようと考え、顔見知りの新聞記者ポール(ドン・ジョンソン)に教育係りを依頼する。ビリーは辞書を引き引き、分厚く難解なデモクラティック・アメリカを精読し、アメリカの憲法まで記憶するに至る。ラジオ局から出演依頼を受け、そこで知り合った【知的】な女性記者とある日食事をしているとき、先の名著を褒めてはいるが記者が実は読んでいないことを打ち明けられる。・・・このシーンがいつまでも私の頭に残っていた。浅はかな解釈や、斜め読み・中座で本当に精読・完読する人間が少ないことに、私自身反省させられ、また国を問わず世の中の多くの人も【世評】に左右されているんだろうなと思うことが、読書に限らずあらゆる場面で見受けられるような気がする。長期展望・計画がおろそかにされる風潮になってきて、目前の事象に右往左往。たまたま昔、四全総(第四次全国総合開発計画)なんてものがあったなとWEBで開いた。今は【5つの安心】とか【緊急経済対策】か。これらを精読して実行に移す具体策を提言している政治家を知らない。子供の頃の【夏休みの計画】のように達成されていない。役人・知識人の所詮【作文】として、軽く見ているのかしら。《各官庁のホームページを開くと、その作文のなんと多いことか!政治家にはご苦労様だが、喫緊の重要課題のプライオリティを決断し訴え、実行にあたり【役人】を適材適所で使いこなす経営者のような立場が、本来の政治家なんだろうなと思うのだが。今の政治家は従業員(役人)に祭り上げられているだけのお飾りか?》政党の【マニュフェスト】さえも選挙が終われば、皆忘れてしまうんだろう。【閑話休題】さて、もう一度この映画を観たいと思ったのだが、タイトルが思い出せない。しかも出演俳優を思い違いで頭の中に再構成してしまい、メラニー・グリフィスをジュリア・ロバーツドン・ジョンソンをリチャード・ギアが演じていたと、WEBで探しまくったがそれらしきストーリーの映画はなかった。そして最近またTVで放映されていたのを観て、ようやく思い違いに気がついた。(モノクロ映画の記憶しているシーンがカラーだったりすることもある)私の老化のせいだろうな。と、自分を甘やかさず、なにごとも注意力・好奇心を持って臨んでいかないと、次は思い違いではなく、ボケになりそう。
2008.09.17
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ひさびさの釜利谷緑道へ行く途中にて私のところにもようやく「ねんきん特別便」が届いた。間違いはなく、ほっとしたというか、つまらんというか。ただ、国民年金の納付済み月数が多く、加入月数と合わないので念のため電話をする。普通だったら、ま、いいやと見逃してしまうのだが不信感に煽られ細かなところも詰めておかないと・・・つながった先は案の定、機械音声で「ただいま混み合っていますので・・」それでもメッセージ3回で、担当の女性が応対にでた。姓名・生年月日・住所etcを確認され、わかったことは毎月振り込むのが面倒なため一括払いをしていたためだった。(たしか割引もあった)シャホチョウの問題は次々にボロが出てくるが、あと1年強で受給資格が発生する私にしてみれば、将来の【破綻】がまだ心配として残る。今の若い人たちは不信感で払わないとか、派遣やアルバイトの安給料のため払いたくても払えないという話をよく聞く。私も20代の頃は年金なぞ、もらえなくなると漠然と思っていた。しかし、給与天引きでは拒否は出来ない。40代のころ年金暮らしの父親を見て、天引きされた分は仕送りのようなものだと勝手に納得していた。また銀行や郵便局の窓口に「年金は申し出ないと受給できません」とのポスターが張ってあるのを見て、積極的には払いたくないんだなという感触を抱いた。民間の生命保険などは満期が近づけば手続きの連絡をくれるのにと、役所の【殿様商売】にあきれるばかりだった。さて、あっという間に歳をとった。その間、年金が65歳支給になり会社の定年は60歳。65歳まで働ける会社なぞないのにと頭を痛めたが、50歳を期に会社を辞めその後は転々。(当時はうぬぼれた自信に満ちたアホだったか)やるき・職探しも起こらなくなり、【社保庁の問題】が大きくなる前に受給予定金額の問い合わせをして貯金とあわせて80歳までの計画を立てた。経済変動は考慮に入れていない。株も時価で計算したため、このところの低迷で計画は2年足らずで破綻。空恐ろしくなる。考えるほどでもないが、40年前後の社会人生活でリタイア後の余生が20年前後もある。ということは、単純計算で現役時代の収入の1/3を老後のために貯金しておかなくてならない。あるTV番組で伊吹財務大臣が「私が社会人になった頃の平均寿命は・・・」とおっしゃられていたが、年金は定年後の余命を考えて徴収率を都度見直しすべきだったのではないかと思う。(あとの祭り)(個人貯金は現役時代には、ひょんなところで出費してしまう)あるいは、企業の定年延長とか。【長寿社会】を単純に喜んだりしていたが、これにともなう【認知症】やら昨今では【後期高齢者医療制度】など、問題噴出。(わたしゃジュンが逝ったら、ボケる前に・・・)今日の自民党総裁選討論番組では、麻生氏が「リタイヤすると病院通いする人が増える、したがって高齢者にも意欲をもって仕事を続けられる社会・・云々」と言っていたが、私も仕事探しをあきらめたら、ある日左手首を骨折(ヒビ)してしまった。起業しなきゃならないのかしら。私の場合、即日倒産だろう。今日はとりとめもなく暗い話になってしまった。余生はジュンと楽しく過ごそう。今日は【お先真っ暗(先っちょマンさんのブログ)】がヒント 2008.8.5http://subzero.iza.ne.jp/blog/entry/669759/
2008.09.12
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昭和30年頃、生まれ故郷の名古屋・中村・六生神社の境内はがき共の一大賭博場であった。「めんこ」とは言わず、「カード」と呼んでいた厚紙で様々な絵が施された「かーど」そのものを、一定のルールでプレーして獲り合うゲームである。1枚ずつかけて、ひっくり返したほうが勝ちだったり、積み重ねたカードの中から、あらかじめ決めたカードを別のカードを使い、撃ちつけて抜き取ったほうが勝ちとか・・・兄は当時のみかん箱一杯に戦果を上げていた。生まれ故郷独特の遊びだったのかな?と思っていたが、後年東京で親友となったS(秋田生まれ)と話していたら、彼も当時その博打経験があるというので、全国的な遊びだったのかなとも思う。ただ、テレビで知った「ベーゴマ」が経験はないし、当時も存在しなかった。さて、今年に入ってから株価が急落。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080211-00000011-rcdc-cn今年1月世界の株価が560兆円減少、中国株の下げ幅はワースト2―世界経済株は博打とは違うが、その企業に思いを寄せて株を購入する人は少ないと思う。古巣の「持ち株会」の延長線(戦?)で、売買はめったにしないが株を持っている。昨年、購入時の価格近くに戻ったのを幸い、一部を売りマンションの借金の一部返済にあてた。全額換金しなかったのは、お楽しみを残したいのと動向を見続けたいから。「80歳計画」で、ケチケチ生活に入った昨年末は「もう1回、車の買い換えができるかな?!」というくらい黒字になったが、この急落で「仕事を探さなければ」という状況に追い込まれている。もっとも、現在は月に3度のアルバイトをしているが、国民健康保険料の支払い額にも満たない。仕事は中々見つからないと傍観している。ケチケチ生活を徹底して、日々をマイペースに楽しんだほうが健康的と、身勝手な思いがめぐる。病気さえしなければ、何とかなるとソロバンをはじいている。ジュンと「なんじゃもんじゃウォーク」して、せいぜい健康に気をつけよう。そういえば、来週「グリーンジャンボ」が発売される。今度こそはと、また博打に走りそうだ。<今日>昨日のアルバイト帰り、車中で携帯ゲームに夢中になっている小学生が向かいに座っていた。チョコレートを頬張りながら、包みをまたポケットにしまいこんでいるのが微笑ましかった。床にポイ捨てしていたら、厭な思いをしただろう。今日は、晴天。ジュンに起こされた。どこに遠征散歩に行こうか?文庫から逆方向に自然公園-釜利谷に抜けてみるか。ポットにお茶を入れ、ジュンの水も持って出発。水の谷への途上、花屋の軒先のミニバラが安い!色違いを3つ買ってしまった。 土曜日は梅見のお茶会開催とのポスターが掲示されていた。明日か土曜日は田浦の梅を見に行こう。
2008.02.14
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年末は高速料金の節約のため、29日深夜に名古屋市外の兄宅に走った。ジュンはひざ掛けのように、身体を伸ばして私の膝で眠る。サービスエリアに入るウインカーの音で飛び起き、目を輝かせる。朝、6時ごろ着。兄嫁が起きていて、コーヒーを入れていただく。ジュンが人なら従兄弟にあたるシーズーのダイちゃんとゴンがこたつから出てくる。14歳になるダイちゃんは後脚が少し不自由になってきた。すこし横になったが、昨日は朝寝したので眠くもない。兄が起きてくる。江南の実家-両親の墓の花は昨日のうちに替えたそうだ。実家近くのリサイクルショップ・「キンブル」でトランクスの買いだめをしたかった。特にすることもないので兄と出向く。個人より業者が持ち込んだものが多く、他に布団カバーやらなんやら目ぼしいものを買い込む。帰途、兄が「ここで親父を押さえつけて、たたいた」とボケ症状がひどくなり、暴力行為も出てきた父の思い出を話す。父のことは、ほとんど兄に任せきりにして自責の念が襲う。先に逝った母の時も、互いに収集した病院などの情報交換をして、切り抜けてきたと思うが、多大な負担を兄にばかり、かけてしまった。辛かったことは互いにあまり話さない。1日は兄夫婦と3人で近くの白山神社・景行天皇社へ初詣。午後はジュンを連れて、昔名古屋に赴任していた時のマンション近くまで散歩。その帰途、猪高緑地内を初めて歩く。2日は、ジュン、ダイ、ゴンも連れて人気の少ない香嵐渓へドライブ・散歩。甥は彼女を連れてきて夕食後、遊び仲間たちとの釣りで三重に出かけた。3日は兄と2人で父を毎年連れて行ったお千代保稲荷へ。兄嫁の母上も認知症になり、父上は元気だそうだが、もし父が先に逝けば長男夫婦とはうまくいっていない母を引き取るつもりだと、兄は言う。母娘の絆は、男にはかなわない。料理、掃除、洗濯など家事は全くダメだった兄には、せめてもの嫁さん孝行か。私にしてみれば兄嫁にも感謝しなければならない。兄宅を出る時、「もし病気で入院することになったら、ジュンをバッグに入れて新幹線で戻ってくればよい」と、言われた。互いに衰えが身に滲みる歳になった。一人っ子の甥は・・・ダメな叔父を見習わず、早く結婚せい。
2008.01.07
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この3月末で派遣仕事も解約。年金問題が大きく報道される前に、役所に問い合わせをしていて得られた回答と預貯金で80歳までの経済生活設計を立てていた。この1年の収支と、残金を調べる。ケチケチ生活の効果は予想外にあり、「80歳計画」に較べて〇〇以上「黒字?」だった。春にはハローワークにも通ったが、結局リタイヤすることにした。そして遊びほうける日々。「社会との接点」がなくなると、痴呆症になる。(と、思う)「人」と話をする時間は激減した。新聞やらTVのニュース、WEBからの情報に接する時間は大幅に増えた。今まで関心のなかったことにも、眼がいく。散らかしっぱなしだった部屋も、なんとか納得のいく整理がついた。ジャングル状態のバルコニーも落ち着いた。石油の高騰が、生活全般に影響を及ぼす勢いになっている。気を緩めず、新年を迎える。ジュンとの生活の記録のために始めたこのブログも、今年は今日でひとまず終了。深夜にジュンと名古屋の兄宅まで走る。正月は、あちこちにとんだ「関心」を整理してみよう。
2007.12.29
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番組名は忘れたが、過疎の村で「犬との生活はいかがですか」と問われた婦人が「心強いです」と応えているのを見て何か感じることがあった。ジュンを保護しているつもりだが、ひょっとして私がジュンに保護されている毎日なのでは?狭いマンションの中で移動しても、散歩でリードを外しても、トイレまでへもどこまでも追いて来る。40歳の時、母が倒れ丁度その頃営業所の伊達騒動で仙台赴任の白羽の矢が私に向けられた。退職して実家に戻っての看病も考えたが、兄との相談の末、異動を受け入れた。連休のたびに母の外泊許可を取り心待ちしている父を思って帰省した。母を病院から家へ戻してまた病院へ送り届ける以外、何もしなかった。父は「居てくれるだけで心強い」と言っていた。車で8-10時間掛けて帰省していたのだが、今思えば父の車もあったので新幹線か飛行機で帰れば、もっと孝行ができたのではと後悔する。私の最晩年は何年位独りの生活になるのだろう。ジュンは私の両親についで先に逝くだろう。わがまま、あまえ、散歩コースで行きたいところが合わないとへばりついてガンと動かない。買い物で店の外につないでいると、鳴き声が店内にも聞こえてくる。そのくせ、ATMなど中に連れて入った店の前に来ると中に入ろうとする。ドッグフードは私のおかずの相伴をあずかったあとでようやく食べる。就寝直前はおやつを枕元で食べ始める。あげないと、「へそくりおやつ」をどこからか持ってきて食べる。それでも、ジュンの居なくなった後の生活がすさむことが目に浮かぶ。動物が飼えないマンション暮らしの30歳の頃に園芸にはまった。時の予想は中々当たらない。マンションでジュンと生活するようになるとは。園芸も続けているが、またいで出る北側のバルコニーに居候していた鳩を、数ヶ月かけて退去していただき、枯らしてしまったゴールドクレストなどの鉢を整理に入った。床に溜まった土を鉢に戻していたら、みみずやら不明な幼虫がいる。気がつけば、隅に親と変わらないくらいになった小鳩がフリーズ状態でいる。小鳩のテリトリー範囲の整理・清掃は中止!ああー。飛んでいけるように早く成長してチョーダイ。いけないのだが、食パンを小さく刻んで回りに置く。・・・食べない。このまま死なれては困る。時間をおいてそっと窓から見たら、親鳩が口移しで餌を食べさせていた。動物とは不思議で暖かい存在だと思う。動物番組ではたまに感動するシーンを放送する。ワニに引きずり込まれた鹿を救うカバ。(10年以上前のタモリのウォッチングで)昔大きな海タナゴを釣ったら、腹に幼魚が。胎生だった。大いに後ろめたさを感じた。捨てられた赤子が狼に育てられ、狼少年になったインドでの実話。幼い子が動物に餌をやり喜ぶ姿。いてくれるだけで「心強い」。
2007.12.03
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「何とかなるさ」と、いつも楽天的な人がうらやましい。確かに自分の能力で、できる以上のことを悩んでも仕方がない。楽天的で実行力のある人は、理想と現実の距離をわきまえているのだろう。私は昔から下らないことも悩んでしまう性癖があるようだ。幼稚園に通う以前の幼い頃、母の姉・同じく母方の祖父が相次いで亡くなり、実家のある渥美へ葬儀に連れて行かれた。葬儀の後はそのまま墓地へ埋葬。(当時は土葬だった)しばらくしてから、「心配事」ができた。自分や親が死ぬということではない。人はみな死ぬ。・・・・ 墓地がいる。・・・・ 土地が次第に墓地だらけになってしまう!・・・・ という悩み-心配である。(おかしなガキだったのかも知れない)近所での葬儀をみても「心配」が募るばかり。ある日、思い余って母にそのことを訴えた。大笑いされ、「墓も古くなると掘り起こされて、もとに戻るから」、「からたちに囲われた近くの畑も昔はお墓だったそうだよ」と教えられ、心配事は霧散した。進学の悩み、就職の悩み、仕事上の悩み・・・・老後の悩み「何とかなるさ」という姿勢が作れず、いつもシリアスに「心配事」を捉え、結局は何とかなってきたが。自分をごまかしてきたことも多々あった。楽天ブログの「容量1G、無料」に惹かれ、始めたものの「写真容量は50Mまで」に気づき、あと半年ぐらいでパンクか?と、これまた心配の種。初老になり「年金問題」の悩みができたが、「なんとかなるさ」と思っている。そんなことより、独り身の自分。・・・ もし死んだら「孤独死」で周りに迷惑をかけるんじゃないか?・・・とまた「心配事」が発生している。 <本日>厚木でアルバイト。帰宅後、Windows Up Date で、すべて最初からチェックさせたら2時間経ってもチェック中。今日は「遊ばないで」、就寝前にWindowsをオーバーホールしてみる。明日は平潟湾沿いの根掻き・土掻き。
2007.10.11
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朝日新聞は意見の相違から腹の立つことが多くあまり目を通さないが、社説はサンケイWEBから4紙が一瞥できるのでほとんどチェックしている。そんな中、7月17日付の「生活保護―最後の命綱を切るな」が私の身勝手な関心を呼び覚ました。「おにぎり食べたい」。日記の最後にそう書き残し、北九州市で1人の男性が亡くなった。 52歳の独り暮らし。「病気で働けない」と訴え、昨年末から4カ月間、生活保護を受けていた。この春、市に働くよう促されて生活保護の辞退届を出し、支給は打ち切りとなった。 (中略) だが、本人が辞退を申し出たとしても、いきなり打ち切ってしまうのは乱暴すぎる。実際に仕事が見つかったのか。収入を得るめどはついたのか。きちんと確かめてから判断すべきだった。(以上 抜粋)死因の詳細は記事からは不明だが、おそらく栄養失調-餓死と思われる。大分以前に幼い兄弟が家に閉じ込められて餓死し、生のジャガイモをかじったあとがあったとの報道に衝撃を受けたことを思い出す。今回は52歳の男性である。病弱だった模様だが生活保護辞退をするだけの意志力があるのに何故と、疑問がわきあがる。友人がいなかった? これ以上社会保障に頼ることを潔しとしたくない、生きることに喜び・感動が得られない・・・多くのことを考えさせられる。年齢を経ていても、傍から見れば未熟な大人は多い・・・というより、ポカンと心に穴が開いて、生きることへの努力を、意識があるなしに拘わらず一時期放棄してしまうのだろうか。放棄期間が長ければ死にいたる。 神戸地震のときには仮設住宅の独身男性がアルコール生活にはまり、そのうちなくなってしまったとのTV報道もあった。私もふがいない初老・独身で残りの人生をゆとりをもって生活できるほどの蓄えはない。が、可能な限りの楽しみ・役に立ちそうなことを見つけ、行き(生き)着くところまでなんじゃもんじゃと歩こうと思っている。笑われようが、馬鹿にされようが、引かれようがジュンは水・空気・食べ物のように、私にとって生きることへの重要な糧として日々成長してくる。いつでも、どこでも・・・車へ、ベッドへ、トイレにさえついてまわる。真夜中にPCに向かえば膝上、長くなりそうだと感知したときは横で寝そべる。仕事に就いているときには、孤独にさせるのがいたたまれなかったが、今は四六時中一緒。幸せの絶頂期と思っている。今回の朝日の社説「生活保護―最後の命綱を切るな」からは、経済的な支援というよりは、きわめて抽象的で困難だが「生きることへの糧-自立支援」を考えさせられる。
2007.07.17
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1.元公安調査庁長官の緒方重威容疑者(73)よりよきリタイヤ生活を楽しむお歳であろう。詐欺罪で逮捕とは。73年間の人生で何を学び、何に貢献し、どう生きようとしたのか。エリートとして御輿に担がれ、「よきにあしらえ」と適当な采配で税金をむさぼり、生き残ってきたのだろう。彼の存在如何によらず日本は何とか治安を維持できたのではないかと思う。執行猶予になると思いますが、他力本願の権化として役人の鑑(反面教師)として今後は社会に害を及ぼさないように老後をお過ごしください。公安調査庁(こうあんちょうさちょう、Public Security Intelligence Agency; PSIA)とは、破壊活動防止法や無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律に基づき、日本に対する治安・安全保障上の脅威に関する情報収集(諜報活動)を行う組織である。略して「公安庁」、「公調」、「PSIA」と呼ばれる。法務省の外局。2.久間章生防衛相【2007年1月25日には、日本記者クラブの会見で「イラクに大量破壊兵器があると決め付けて戦争に踏み切ったブッシュ大統領の判断は間違いだった」と述べた。】農林省出身のこのおじさんは好きだった。正直である。が、バカ正直で今の地位での発言の重みが全くわかっていない。【久間章生防衛相が講演で米国による原爆投下について「しょうがない」と発言した】「原爆発言」である。長崎のご出身で私なんぞ想像もつかない厳しい体験を経られたと思うが、いままさに隣のテロ国家が核兵器をもてあそんでいるときに、この発言は防衛大臣としてはボケている。日本への投下後、マッカーサーが朝鮮戦争時に落とそうとしても阻止され、二度と実戦で使用されていないのに、この発言は核兵器保有国による将来の使用を容認したと誤解されかねない。 だいたい、いわなくてもいい事・口に出してはいけない事をしゃべってしまう。 (年寄り特有の饒舌現象か?)隠居していままでの人生への思いは、そこいら辺の居酒屋で喋り捲っていただきたい。【久間章生防衛相は1日昼、長崎県島原市内で記者会見し、原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば申し訳なかった。これから先は講演で言ったような話はしない」と陳謝し、発言を事実上撤回した。】まだ、判っていない!
2007.07.01
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風呂に入ろうと思ったらNHKで、激流中国 「老人ホーム家族の記録」を放送・・見入ってしまった。NHKさんのホームページから無断借用。すみません。NHKスペシャル◇中国の青島市にある老人ホームを訪ね、急速に高齢化が進んでいる中国社会の現状と課題を浮き彫りにする。中国の60歳以上の高齢化率はおよそ11%。2050年には4人に1人が60歳以上になる見通しだという。経済成長著しい中国だが社会保障は未整備で、増加するお年寄りをどう養っていくかが大きな課題。新たな受け皿として老人ホームが注目されている。だが、設備が整った施設に入るには高い入居費が必要。その上、子供が老いた親の面倒を見るという伝統を大事にしてきた中国では、老人ホームへの入居を敬遠する高齢者や家族が少なくない。そんな中、上海に次いで高齢化率が高い青島市のある老人ホームは常に空き部屋待ちの状態。しかし、そこに入居している人たちの事情はさまざまで、日本とは大きく異なっている。 Yahoo TVガイドから。オイオイ、共産中国で「社会保障は未整備」! じゃだめじゃない。放蕩息子にすねをかじられつづけ、とうとう老人ホームに入所した老夫婦。TVガイドの解説がいい加減で、私は日本と変らないと感じたが・・・番組終盤のナレーションは「2030年には高齢人口3億人・・・」。 エー !中国(大陸)の2003年末の人口は約13億人。世界人口の約2割を占める。マスコミの論調は○○人で老人1人を支える・・・云々でどこも同じ視点。そうじゃなくて心身ともに衰えてきているとはいえ、子供よりは就業が可能じゃないか?問題は高齢者でもできる「就業」とはなにかいな?ということ。 小金を貯めて年金生活に入ってしまえば、そんなことは考えなくなる。若い人の負担に依存しないよう、20歳で仕事に就いたと仮定して65歳でリタイア、85まで生きるとして現役の40年間で残りのこもれび人生25年を支える単純計算をすると、全収入の38%を老後に充てなければならない。むちゃくちゃな計算だが、そのぐらいの覚悟がいる。私は老後のことはあまり真面目に考えなかった。したがって覚悟なんぞはあとの祭り。リストラで、自営業なら定年はないと商売を始めた親友、農業に入った同業の仲間がいる。仲間内で会社を興した後輩たちもいる。しかし、ジュンと散歩していてあれ!と。 この4月で店じまいした寝具屋さん、豆腐屋さん他・・・ さびしさ、不安、この先 ・・・ 頭がしばし混乱する。人の活動は経済面だけで見ると不思議だらけで、よくわからない。面白くなくなる。ゲームやプロスポーツが生産的な活動なのか? 音楽は?衣食住以外に従事する人々達との生活の支えあいの組み合わせは・・・?高齢化に伴い、一番畏れているのは認知症。多くの人が親の認知症に苦しみ悲しんで、自分は罹る前に逝っちゃいたいと願っている。見習う先例のない世の中で、そのうちなんとかなるだろう♪と歌った植木等さんは亡くなった。しばらく見習おう。
2007.05.06
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遠視ということが、どういうことなのか以前はなかなか理解できなかった。眼を近づけたほうが見えるはずなのに・・・自分がなってみて初めて了解。今は近視はむしろ和らぎ、運転のときはメガネ不要(違反になってしまうが)なくらいだが、カーナビ画面が見づらい。前職で暇なとき、、PCでさまざまな社内資料やらWEBを検索していたとき若い派遣社員が教えてくれた。『窓の中の物語』 電子書籍を読むためのフリーソフト。 文字の大きさや背景色も自分の好みに合わせられる。WEBやブログが小さな文字でしっかりと読みたい場合に利用している。まったく便利な環境になってきたが、受信はOKでも発信するときの表現力のなさが情けない。
2007.04.27
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みっともなく、情けないが背に腹は変えられない。また、世話になる。今日は初回講習会。実質は3回目。1番に会議室に入ったが、ほぼ同時に入室したオバサンが「この判をもらうようになっている講習票はどうするんですか?」と聞いてくる。顔に「私は3回目とでもかいてあるのだろうか?」ズケズケした態度のオバサン。あなたはすぐに決まりますよ。安定した職に30年近く安住したため、多様な労働・雇用形態には驚く。正社員、派遣、登録型、契約、パート、そして若年者トライアル・中高年齢者トライアル。ハローワークの求人情報はWEBでも調べているが、これはおよそ求人の80%程度とのこと。WEB掲載を疎む事業者がある。理由は、求職者ではなく業者がWEBで検索後、派遣・求人情報誌掲載へのセールスがしつこく来るから。なるほど。私も検索していくうち、どの業界が伸びているか別なものが見えたものだが、同じ情報でもその利用法はさまざまである。盛んなのは、転職斡旋、求人情報誌、人材取引業?その業務に携わる人々も契約、請負だったりする。どうしても、醒めた眼での求職活動になってしまう。 これでいいか!?
2007.04.25
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これからかかる税金・社会保険料、ローン、貯金・株、をかんがみて計画を立てる。年金は65歳から・・を真に受けていたが、一部は60歳から支給されることが判り嬉しい誤算だった。が、今月で終わる派遣業務のあとのめどが立たない。この先の収入ゼロを前提として計画を練る。収入がゼロなら出費を抑えれば見かけの収入となる。1.車の廃棄 1-1 自動車税 約4万円/年 1-2 任意保険 約4万円/年 1-3 駐車料 約18万円/年 1-4 車検費用 約10万/年 合計 約 36万円 出費抑制2.ローンの一部繰上げ返済 支払い利息の抑制 (所持金は1000万位は手元に置く)3.不要な会費の見直し クレジットカード 約3000円/年4.固定電話の廃止 基本料金 約2万円/年 (携帯で充分)* 収入は不用品のネットオークション販売を図る約38-39万円/年の節約、・・今となっては大きい金額である。
2007.03.17
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この3月で1年3ヶ月過ごした派遣の仕事も契約が打ち切りとなる。また、仕事探しである。新たに起業する気力・アイデア・資金はもうない・・と思う。しかしハローワークのWEBで検索しても年齢(57)からして、採用見込みのある職はきわめて少ない。50歳で28年勤めた古巣を退職してから、1.F社、2.職業訓練校でのインターネットビジネスコース受講、3.S社でのアルバイト、4.失業者セミナーでの訓練、5.零細A社での契約社員、6.後輩が立ち上げた会社M社でのお手伝い、7.そしてあと3週間ほどでお役ごめんとなる現職。いずれも過去の経験を生かせたと思うし、勉強もさせていただいた。ただ感謝、感謝である。全く世間・人は多様では幅広い。人になまで接触するたび、こんな人もいると感激したり、あきれたり・・・最悪、もう収入の道は途絶えてしまうという前提の下、住宅ローンの終わる80歳までの経済計画を試みた。これに先立ち、社会保険事務所のホームページで年金見込み額の算定を依頼していた。(知らなかったが、今では50歳以上であれば問合せができる)回答が届いたところで預貯金・株を足し併せて、この先を乗り切る-借金返済を含めての今後の生活を金銭面のみに絞った計画である。 不勉強で年金支給は65歳から・・と喧伝されているのを鵜呑みにしすぎていた。なんの事はない。60歳から支給、65歳から老齢基礎年金が加給される。すべて65歳からと理解(誤解)していた私には朗報である。しかし数十年先は全額65歳支給の予定になっている。今の若い人たちには過酷な未来であると思う。しかし私の時代でも見込み額は保障されたものではなく減額、あるいは最悪消滅も想定しておかなければならない。現実に老齢加算年金が廃止され困窮している人たちのニュースが最近あったばかりである。全額65歳支給については、今の若人は私の時代と比べると精神的成長の度合いが10年前後遅れているように思う。斯く言う私も20年ほど前、鹿児島の鹿屋に特攻隊基地を仕事で訪れ、入口の記念館で先達の手紙や遺書を読ませていただいたときに自身の成長がその当時よりはるかに遅れていると恥じたものだった。さて、私が社会人になったときは年金支給は55歳だったように記憶する。寿命が伸びている現在、支給年の先送りは数字的には適合するのではあるが、その他の諸環境はどうなのだろうか? 古くは年金支給の理想などはなく、その子供が仕送りやら、同居なら生活を支える時代だったように思う。だからこそ、少子化はあり得なかった!?「老年」は予想外の、また若い頃に想像していた「老年」も意味が無いほど諸能力減退の現実がある。古巣を退職した頃は年金支給が65歳なら生活安定のために「定年」もスライドすべきだと勝手な考えを抱いていた。自営すれば定年はなくなるが、そんな能力は結局持ち合わせていなかった。その果てが求職での流浪である。たらたらと思いがあちこちをめぐるが、本題 - 経済的維持計画の策定 1.固定出費の算定 1-1 住宅ローン返済 1-2 税金(収入がなくても固定資産税支払いの義務、自動車税) 1-3 社会保険 1-4 各種保険(自動車任意保険、車検費用、ローン保証保険、介護保険・・)2.生活費の算定3.変動要因の予測 持ち株の変動・年金受給額の変動4.解約による出費の抑制 自動車廃棄(税金・駐車料金、任意保険)、固定電話の解約(携帯で十分)以上、簡単な要因を元に机上論で気持ちは明るくなった。ケセラセラ・・・♪ この項はつづけて考えていく。
2007.03.08
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老年の域に入りつつあることを感じ始めたのはこの数ヶ月である。数日前、本屋に立ち寄り興味を引く本がないか回っていたら以下の新書に目が入った。50で退職後、収入が激減の中その日は購入は見合わせたが、結局翌日購入してしまった。しかもその数冊となりには「老後がこわい」のタイトルで、腰帯にTVで見かける女性の写真入の本がありエイ!と併せて購入にいたる。男性の著した本と女性の本。小説は男性のもののほうが面白いと思うが、ノンフィクション的・エッセー的なものは女性の著したものの方が格段に面白い。この本は購入したばかりで、まだ読破していないので感想は書けない。女性の著したものは40代以降、小説と言うより佐藤愛子氏等等の面白おかしい文庫本を探して楽しませていただいてきている。1昨年には本屋で偶然見つけた米原万里氏の文庫本(ヒトのオスは飼わないの)が火を点け、彼女の著作はあらかた読破した。*昨年、逝去されたことは私にとっては20歳のときに三島由紀夫が自殺した時と同じくらい衝撃だった。現実に向き合う姿勢は、女性のほうが私には大いに教えられる。男はどうも「夢物語」が多くひどいときには抽象的に過ぎ面白くない。老いについての認識と覚悟が遅すぎた私であるが、暗澹となりがちな気分を吹き払って楽しいことを抽出して女性に負けずブログにあらわしていきたい。参考までにキーワード「老い」でInfoseekブログを検索したら21321件、Yahooウェブで検索したら275000件。 他人様はどのように「老い」を漕いでいるのだろうか。
2007.02.23
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