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「道徳教育」の重要性・復活がさけばれているような。あえて「教育」などと構えなくとも、園児・小学生でも心に残る物語を聞かされれば、人格形成にはその後大きな影響力が与えられる。権利ばかりを訴える左巻き。ネガティブ・暗さばかりを強調し、解決策に智惠が回らない左翼。妄想・独善を「デモ」というお祭りで気勢を上げる自己満足漢たち。さて明るく、心が癒やされる話が多々著されている。時に車中で読み、涙目を見られないようにうつむくこともある。そんな話。33編が纏められている。AMAZONで調べたら、続編も出版されている。先頃、機中で泣き止まない赤ちゃん連れの母子を非難したブログで炎上した漫画家がいたが、それより3年前に同じ状況があった。乗客の60代とおぼしき婦人が、赤ちゃんを取りあげ抱きしめた。心臓の音を赤ちゃんに伝えると安心して大人しくなるのだそうな。生きて成長していく過程では、さまざまな葛藤、不安に遭遇する。これを心地よく解決する先人達の智惠の物語が、「道徳教育」の一部だと思う。
2013.04.29
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NET記事を歩いていて、こんな「お遊び」を見つけた。「虚構新聞」 URL: http://kyoko-np.net/昔々、オーソン・ウェルズがラジオで「宇宙人来襲」と、やらかしたら真に受けたアメリカ人がパニックに陥ったという話は有名であるが。「虚構新聞」の存在は、ネット記事で「ジョークニュースサイト「虚構新聞」が14日、「大阪市長の橋下氏がTwitterを小中学生に義務付ける」というジョーク記事を掲載したところ、本気にした人たちがTwitterで大拡散。その後虚構新聞が公式ツイッターで謝るという事態に発展した。」という紹介で知った。「嘘から出た実」というが、虚構が現実になってしまったため、「お詫び」を掲載したことにも笑ってしまう。→ 「本来虚構記事を配信するべき本紙において、これら当該部分の虚構が現実になってしまったこ とは甚だ遺憾であり、今後はこのように記事が現実のものとならないよう、記事のチェック体制 を強化するなど、いっそうの注意を払っていく所存です。 また記事中の「死因は毒りんご」の記述についても、まもなく現実化してしまう可能性が濃厚 との情報がありますので、この点についてもあらかじめお詫び申し上げます。」風評、思いこみ、想像、捏造 ・・・フィルタリングして、事実を抽出することが難しい世の中になってきた。事実の中に作為的な想像を組み込まれると、なおさらむつかしくなる。櫻井よしこ氏の著作で、こんな本がある。 GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く ―戦後日本人の歴史観はこうして歪められたさらには、江藤淳氏の 「閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」作為的な「嘘」を見抜くためには、人生経験・情報収集能力、及び、「勘」が重要に思われる。
2012.05.23
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<福浦 ヘリ基地付近から千葉方面を臨む 2012.5.19>不幸なことに中韓、北朝鮮に関心を持ち始めたのは、教科書-歴史問題で騒がれたり、どうしようもないヤクザ国家北朝鮮が拉致を認めた頃だと思う。小泉首相の靖国神社参拝で非難されたり、朝鮮の従軍売春婦問題でアホな政治家がハメられたり・・・苛つく日々の中でブログをあさり、五十嵐らんさんの『中華的生活「多少銭?」』- 魔大陸中国な日々 三十路女の戦いの日々・・・ を楽しみに読んでいた。(現在はブログはお休み中のようである。)数年前にはタイトルに惹かれこんな本を読んだ。面白いタイトルつけは米原万里さんを思い起こす。中韓の執拗な歴史教科書への攻撃に、それならば、かの国の教科書は?と、目を通したのがこの本である。中韓の歴史教科書には呆れ果てる。で、また「面白本」に立ち返った。 私は甘辛両刀使いなので、中国人の書いたこんな本も読んだ。よく勉強していると感心したが、中国人の自惚れ臭も強い。中国人の愛国者を怒らせたという本だそうだが、どこが??という内容で、これもよく研究して書かれていると思う。さて、中国人と付き合うには「面子」を大事にしてやらなければいけないそうで、そこで読んだのがこれ。日本人のメンツと大して変わらないではないか。ただ、日本人の場合は相手をおもんばかることも多いため、面子は往々にして水面下に沈み、時間とともに互いの理解を深めていく。五十嵐らんさんや谷崎光さんの中国ビックリ本の同類がこれ。ブログでは『(新)爺砲弾(時事放談)goo版』- 大陸浪人毛沢山が写真で中国文化を紹介してますw。が、面白くランキングではトップを走っている。 http://blog.goo.ne.jp/emjesさてさて、ブログのタイトル「80后、90后」はよく目にするが80年代、90年代生まれの中国人を指す。漢人は一人っ子政策のため、彼らは甘やかされ、しかも反日強硬派の江沢民のおかげでどんな歴史教育を受けているか想像するだに恐ろしい。が、日本と同じでクソ真面目に捏造歴史を受け止めている80后はそれほどいなさそうだ。どこにでも痰を吐く、また丸見えのニーハオトイレにビックリの話がよく面白本には紹介されてきたが、北京オリンピックを境に変わりつつもあるようで、次の本は63のキーワードで現在の中国を紹介している。著者は日本に留学した中国人。キーワードのいくつかを紹介すると・ *老族(ケンラオズー):すねかじり(*は漢字が出ない。口編に「肯」)・ 房奴:住宅ローンの重圧にあえぐ。(私と同じ。)・ 負翁:高額な債務を抱える人々・ 婚活:剰女にはなりたくない。・ 煮夫:専業主夫・ 未富先老:豊かになる前に高齢化が進む・ 低炭:エコ・ 打黒:裏社会の取り締まり・ 網虫:ネット人口日本のマスコミが報じない、あるいは記者の不勉強・視野の狭さ・・マスコミ不信がとみに強くなってきている日本。もっとも、中韓はマスコミ情報はほとんど信用しないそうであるが・・事実に紛れ込む報道のウソをふるい分ける技術を身につけるのは難しい。
2012.05.19
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漫画雑誌のビッグコミックは、20代の頃から読み始めたのでもう40年以上の歴史がある。その後、姉妹誌オリジナルを含め、月に4刊以上が発行されている。が、読んだのは現役の頃まで。通勤帰宅時にキオスクで買い電車に中で読んで網棚において帰宅する毎日だった。退職する頃、気に入っていた漫画が、「あじさいの唄」。それ以前にもお気に入りの西岸良平氏が、「三丁目の夕日」でデビューしていた。さて、「あじさいの唄」は母をなくした栗之助と栗太郎とその父(浪人)の物語。私は栗**のどちらが人間の息子で、どちらが愛犬なのか忘れてしまう。アメリカ映画では犬を脇役にすると、主人公がどちらなのかわからなくなることはよくある。「あじさいの唄」は人気があるらしく、AMAZONで古本を探っても結構な値段がする。 最近では、私の嫌いな朝日系、東京新聞=中日新聞の4コマ漫画に「おーい、栗之助」で、主人公で登場している。私のジュンと私の私生活を足し合わせたようなこの4コマ!著作権侵害とは知りつつ、宣伝したい思いでブログに綴る。ゆとりある方は是非、楽天ブックスやAMAZONでご入手を。
2012.05.14
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訪問してくださる方へ。今日は長いです。いままで書こうと思っていたネタをほとんどすべて連ねています。 パスしてください。高校生の頃、「菊と刀」を読んだ。菊と刀―定訳 (現代教養文庫 A 501) [文庫] ルース・ベネディクト (著), 長谷川 松治 (翻訳) 欧米:キリスト教の「罪の文化」、対して日本の「恥の文化」。日本の庶民文化・風習にまで言及し、変わりつつあった私の高校生時代の日本からは、ちょっと昔の日本が見えた。あれから ン十年! (綾小路きみまろではありません。)こんな本に出会った。抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21) [新書] ヘレン ミアーズ (著), Helen Mears (原著), 伊藤 延司 (翻訳)以下 Wikiから抜粋ヘレン・ミアーズは、1920年代から日米両国が開戦する直前まで東洋史・地政学を研究し、二度にわたって中国本土と日本を訪れ調査した。太平洋戦争中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで日本社会について講義していた。連合国軍占領下の日本ではGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして、戦後の労働基本法の策定に大きな役割を果たした。帰国後の1948年(昭和23年)にアメリカ本国で出版された。 著者自身より同書を贈られた女性翻訳家原百代は、CIE(民間情報教育局)に日本での翻訳・出版の許可を求めたが、却下された。原の訳書は『アメリカの反省』の邦題で、講和独立の翌1953年(昭和28年)に、文藝春秋新社で出版されたが埋もれた著作となっていた(新訳版の訳者もあとがきで、後で知ったと記している)。腰巻には「マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた」とある。「菊と刀」が戦中の日本(人)研究書であるのに対し、「アメリカの鏡・日本」は終戦直後に書かれたものである。真珠湾攻撃のあと、米議会は対日戦争を満場一致で議決・・・ではなく、一人の議員が民主主義の良心を示すために反対票を投じた話をどこかで読んだ。ヘレン ミアーズは終戦後のアメリカの反省を著したのかもしれない。 さて、アメリカ側からしてみれば「太平洋戦争」だろうが、支那事変から始まる、今思えば腰が抜けるほど広大な地域での戦争は、日本からは「大東亜戦争」とよんだほうが理解しやすい。(もともと大東亜戦争とよんでいた。)大東亜戦争の前段階での日中戦争(互いに宣戦布告しなかったため「事変」といったらしい。)は、昭和の頃まではあまり著作がなかったような気がする。(私が関心がなかっただけかも知れない。)あれから ン十年! こんな本にも出会った。 暗黒大陸 中国の真実 [単行本] ラルフ タウンゼント (著), Ralph Townsend (原著), 田中 秀雄 (翻訳), 先田 賢紀智 (翻訳) * 戦前の日本の行動を敢然と弁護し続け、真珠湾攻撃後には、反米活動の罪で投獄されたアメリカ人外交官がいた! 元上海・福州副領事が赤裸々に描いた中国の真実。1933年にアメリカで出版したものの完訳。中国の戦争宣伝の内幕―日中戦争の真実 [単行本] フレデリック・ヴィンセント ウイリアムズ (著), Frederic Vincent Williams (原著), 田中 秀雄 (翻訳) * 内容(「BOOK」データベースより)宣伝工作に巧みな蒋介石軍に対し、いかにも宣伝下手な日本人 アメリカに対するプロパガンダ作戦の巧妙さ―ラルフ・タウンゼント(『暗黒大陸中国の真実』)だけではなかった!日中戦争前後の中国、満洲、日本を取材した米人ジャーナリストがいた!日米関係の悪化を懸念しながら発言を続けたウイリアムズが訴える真実とは?―。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)ウイリアムズ,フレデリック・ヴィンセント1890年生まれのアメリカ人。死没年は不明。少年時代に外人部隊に所属したり各地を放浪する冒険者のような生活を続け、その見聞を新聞紙上で発表することからジャーナリストの道に進む。サンフランシスコの新聞記者としてチャイナタウンの抗争事件を取材して有名となる。日中戦争の起る前から極東を取材旅行しながら共産主義の危険性に注目して、親日的立場から本書を執筆した。日米関係の悪化を懸念しつつ、ラルフ・タウンゼントらとともに発言を続け、真珠湾攻撃後にタウンゼントと同じく逮捕され、16ヵ月から4年という不定期刑を言い渡される戦争すなわち殺し合いに正義なんぞ無意味だろうが、互いが思い描く「秩序」を求めて最終手段に訴える「戦争」、あるいは「武力の均衡を図る」行為はなくならないと思う。平成の今は台頭する中国の軍事力強化、北朝鮮の核・ミサイル、イランの核開発・・・核・軍事力を増強しなければならない理由が私にはわからない。しかし、現実には中国は南シナ海をフィリピンと争い、尖閣は自国領土だとわめき始めている。非公式には沖縄も・・・日本国憲法の前文には日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。とある。多くの人が「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」には疑問符をつけるだろう。諸国民というより、平凡な庶民は平和を愛する。が、国家・政権は利益・地位保全を追求するあまり、しばしば平和を忘れる。庶民の私は軽佻浮薄に「戦争反対!」なんぞと叫ぶより、多様な歴史を学ぶ。おまけ。鎖国時代には戻れないが、明治維新前後の日本は・・・逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) [単行本(ソフトカバー)] 渡辺 京二 (著) 「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。 「逝きし世の面影」は読みやすく読み辛い。ただいま2割ほどの道程。封建時代は戦国時代を駆け抜けた徳川家康が願った平和な時代だったのだろう。私が受けた暗い封建時代の歴史教育は間違っていたのかしら。そいえば、「歴史教育」では最近こんな報道もあった。「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石更迭後の1951年5月3日、朝鮮戦争における中国海上封鎖戦略について上院軍事外交共同委員会で、They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security. (日本は、資源の供給を絶たれることにより、1,000万から1,200万の失業者が発生することを危惧した。日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分がその脅威から逃れる必要に迫られてのことだった) と答弁した。
2012.05.02
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<平潟湾のシーサイドラインと野島>彼女の著作に出会ったのは50歳過ぎだったと思う。最初に読んだ本は覚えていない。最後に読んだ著作は覚えている。・・・「パンツの面目ふんどしの沽券」これを読み始めた頃、女史の訃報にあった。ほとんど読み尽くしたと思いこんでいた。マスコミからの訃報報道を知った時の感覚が、40数年前の三島由紀夫の市ヶ谷での事件で受けた衝動に似ていた。・・・唐突な死。私は冷徹な正確なんだろう。三島由紀夫氏の割腹自殺にも関わらず、それまで読んでいた「豊饒の海」全4巻の最終章は未完なのかと、これが気がかりになっていた。新聞記事で最終章は「天人五衰」として完了し、原稿は渡されていることを知った。また、最終章の表題を「月蝕」にしようと考えていたことも知った。しかし、最終章を読む気にはならなかった。言っておくが、私は特に三島由紀夫ファンではない。ただ、生まれて初めて徹夜して読みふけることを覚えたのが氏の「潮騒」だったことは、記しておきたい。さて、米原万里氏の著作。私は30-40代には佐藤愛子氏の著作にはまりこんだ。どうも「書物」は紫式部以来、日本では女性の方が面白いと思うのは私だけかしら。かっこつけして、こ難しい文章表現ではなく、「自」を素直に表しているからだと思う。 AMAZONで検索して、こんなに読み残しがあったのかとすべて購入した。(まだあるのかもしれない。) 彼女は私と同年と思い、近しさも感じていたが、WIKIで調べてみると、学年は1年後輩。他人の年齢は気にしない方だと思っていたが、TVや新聞に出る年齢を見るとどうしても気にかかる。私は年相応に生きているのかしらん?拙ブログを訪問してくださる方々の幾人かの年齢もわかり、年相応の【かっこつけ】しなければと、つたないブログを書き綴る。私、1950年2月8日生です。少しだけ「自」を出してみる。夕方の散歩 カメラの性能で明るく見えますが、実はもっと暗いです。
2012.05.01
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私もジュンもまだまだ若いと思っているが、こう思うことこそが老域へ入ったことなのだろう。過日、福浦岸壁でノーリード散歩中、ジジー釣り人から「よたよたしてるんじゃないか?!」と、言われ腹が立った。ジュンは私のせいでちょっとメタボ気味。歩きは軽快とはいえないが、長距離散歩は大好きである。私は普段の仕事はコンの詰まった仕事ではないので、暇なときはPCでネット記事を貪る。だいぶ前に首記タイトルの本に出会い、興味をそそられアマゾンで古本を買っていた。わんこも介護 (朝日文庫) [文庫] 岡崎 杏里 (著) 内容紹介父は脳出血による認知症、母が卵巣がんで入院、娘である著者はその介護疲れで心のバランスを失う……。そこへ唯一の癒やし、愛犬のクロも脳出血で倒れたから、さあ大変! 22キロのメタボ犬を介護した109日間と、心温まる15年間の思い出の数々、そして犬の介護のコツと方法を、明るい筆致とホロリとする文章でつづった一冊。イラストも満載で、介護方法やグッズを図解している。 AMAZONから私自身も22年前に母が脳出血で倒れ、その当時タイミング悪く仙台営業所での「伊達騒動」を治めるため、本社からの異動を命じられ、退職も考えたが、兄と介護の件を相談した結果、異動命令を受け入れた。母はいくつもの病院を転院させられ、最後は兄の奔走で特養ホームに入ることができ、そこで亡くなった。その間はほとんど父が母の介護をし、連休前には私の帰省を心待ちにして、「外泊許可」をとっていた。年に4~5回の私の帰省と母の外泊は、両親にとって最高の楽しみだったと思う。そんな私と著者を照らし合わせながら、つらさ、葛藤を思い起こし読み終えた。【ひと】に限らずペットについても、介護本や介護用品は数多く出回るようになった。介護の実践テクニックのみならず、当事者の経験談を読むことは精神的に励まされる。・・・・・・先の大地震の被災者の方々に、私のできることは皆無に等しい。「蛇を助くものは蛇」という。その心情をわかったふりはしない。日々、テレビで見る被災者、復興への歩み・・・私が励まされているように思う今日このごろ。
2012.04.17
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書名で不吉な感じを受けたが、内容をアマゾンで検索、図書館に予約し回ってくるまでに2ヶ月掛かった。 まだ読書中だが、図書館のホームページからその内容をメモしておく。【資料詳細】 武田 徹 (著) 目次(BOOK):はじめに 殺して忘れる社会;第1章 ネットのルールと街の掟;第2章 マ スメディアの没落、ジャーナリズムの黄昏;第3章 多様化せず、格差化する 社会;第4章 リスク社会を生きる;第5章 新たな「核論」のために;第6 章 テクノロジーに飼い慣らされないために 要旨(BOOK):ネット社会とリアル社会の軋轢、マスメディアの没落、多様化せず格差が拡大 する社会、最新の科学技術に踊らされる人々…高度情報化社会の中で私たちが 「殺し」「忘れ」去った数々の事象に気鋭のジャーナリストがズバリ切り込む 社会評論集。 出版社: 河出書房新社 (2010/11/17) 産経新聞に掲載されたものを集めた評論集で、マスコミ・ジャーナリスト側からの現代の問題提起・考察集である。すなわち、マスコミ側から読者側の問題点を突いている。WEB,BLOG・・・ネットの普及とともに新聞などは購読層が激減してきているようである。中韓寄りの報道でどこの国の新聞か!と、ブログではマスコミ批判を連日目にする。あるいはネットを通した中韓との言論争い。・・・「殺して忘れる社会」では、日本庶民VS中国庶民という言い方をしている。日本人はマスコミ報道をバカ正直に受け入れる。一方、中韓は自国のマスメディアは信用せず、その裏読みをするとのネット意見もある。いずれにしろ、日本も中韓もマスコミで表に出た情報をもとに評論・自論が飛び交う。これらは足で知りえたものではなく、数多くのネット上、書籍からの情報を元に考察に至った結果だろう。これをを書いた記者はアホかというような記事に遭遇する日もある。政治家の番記者は若造が多く、こいつらで大丈夫かいなと不安を覚えることも多い。マスコミへの不信。所詮は商業ジャーナリズムとして受け止め、自ら核心を探求する努力が必要とおもう。が、信憑性も結局庶民はネットの中でさがすことになる。報道の裏側を知ることは難しい。最近では「マスコミの報道しない自由を糾弾する」という、『日本庶民』のネット言論も見受けられるようになってきた。せいぜい読書でマスコミを勉強しよう。 追:どうでもよいこと。『ジュン、めざしを食べる。』 メバル釣りで、バケツの中で死んでしまった餌=イワシは持ち帰りめざしにして酒の肴に。食べないだろうと、ジュンの鼻先に持っていったら・・・「もっとちょーだい!」。。。。。え?!
2012.02.28
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日本の12月と8月は開戦、敗戦の記事・番組をよく見るようになったのはこの数年のことではないだろうか。バブル崩壊後は特にこの風潮が強くなってきたと、私が感じているのは不勉強だったせいかもしれないが。自信をなくし、自虐的な歴史観を抱くようになったのは敗戦による。日中戦争(「戦争」とは言わず、「事変」とよんでいた。理由があるのだろう。)に並行して、太平洋戦争に突入したのが70年前の今日12月8日。日本人の心理としては、宣戦布告通知が遅れ、事実上奇襲攻撃になってしまったことにうしろめたさを抱くのは自然だろう。(しかし、最後通牒を発して行われた戦争はどのくらいあるのだろう。しかも、日米戦争に関しては米側の「ハルノート」最終版が実質的最後通牒である。)いまでは開戦の張本人はフランクリン・ルーズベルトであるとの考えに至っている。私の小中学生の頃の歴史の時間では、F・ルーズベルトは大恐慌後のアメリカ経済を「ニューディール政策」で復興させたと学ばされ、好意的な評価だったが、どうもこれは間違いだったようである。今日の新聞には「ルーズベルトの責任・日米戦争はなぜ始まったのか」著者:チャールズ・A・ビーアド(1874-1948)の和訳が近々出版されるそうである。*当時は米政府の圧力で売れなかったそうである。日中戦争(あえてこの表記を使うが)については、辛亥革命で清を倒した孫文の後、後継者の蒋介石の時代には、またぞろ軍賊が割拠しだし、治安はまた乱れ始め、警察行動で抑えにかかった日本軍は、規律のだらしない中国兵、便衣兵(ゲリラ)に対し、泥沼に落ちていった。(それはちょうど、米軍がベトナム、アフガン、イラクで泥沼に落ちた現代と重なって見える。米国はつくづく学ばない。)いまも変わらないようであるが、中国は法治ではなく人治(即ちコネ、賄賂)で、国際法なんぞは自分の都合のいい所だけ受け入れる。しかも、南北朝鮮と同じく、うそ・捏造がうまい。今日、いろいろWEBを渡り歩いていたら、【日米戦争はなぜおきたか:久保有政氏】http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/rekishi06.htmを見つけた。私の思いを代表している秀逸な記述だと思う。まだ読んでいないが、加藤陽子氏の【それでも、日本人は「戦争」を選んだ】も興味大である。(加藤氏は今日のテレビ、BS歴史館「真珠湾への7日間-」に出演されていた。)歴史は掘り起こすものだと思う。30年前、私は始めての海外旅行・・ではなく米国出張の機会を与えられた。(会社としてはご褒美のようなものだった。)米英仏独、メキシコ、ブラジル・・世界中の営業マンがオレゴン・ビーバートンに集まり、新製品のトレーニングにかこつけた親睦会のようなものだった。そんなある夜、同僚の小林とホテルのラウンジで飲んでいたとき、アリゾナから来ていた営業マンが同席していいかと寄ってきた。Of course. Please.私の英会話はなかなか覚束ない。が、対面していればある程度理解できる。彼は開口一番、「あのとき、俺の爺様はパールハーバーに居たんだ」・・・・しばしの沈黙。そのとき何を話したか覚えていない。しかし、その後の連日のパーティーやらワークショップではなぜか彼のほうから近づいてきて、テーブル上の新製品をいっしょに評価しあった。私の下手な英語は中々通じず、同席のメキシコから来ていた少し年配の営業マンが私のへぼ英語を通訳してくれたりもした。日米開戦70年の今日、30年前のアメリカでの私のいい思い出がよみがえる。
2011.12.08
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中国語は知らない。唯一覚えたのは、「マイタン」=お会計という言葉。20年ほど前、会社の後輩どもと香港にグルメに行ったときに教わった。正直なところ、その頃まで、あるいは最近までシナ人をバカにしていた。「面子」を大事にするシナ人のメンツとは?理解できなかった。WEBを遊んでいて、「中国てなもんや商社」という本を見つけた。 中味は 内容(「BOOK」データベースより)ほんの腰掛けのつもりで入社した大阪の貿易商社で中国を担当したところ、首の入らないTシャツや開かない傘を送ってくるから大変。クレームをつけても相手は馬耳東風。華僑の上司にしごかれ、一人、中国に出張し格闘しつつ見えてきた日中ビジネスの深い闇と希望の日々を赤裸々に描く爆笑ノンフィクション。 自分の利益に関係なければ、「没問題」と言い放ち、「他人」や「社会」には責任感ゼロのシナ人。下手なマスコミ記事より、シナ人理解には役に立った。中国に仕事で赴き、シナ人に辟易していたもう一人の女性が著した本。 昨日届いた。そのタイトルがうまい! → 「人を食う中国人、割りを食う日本人」明日から読む。日本女性はつおい。なでしこジャパンの先輩方は大勢いる。その著作は全部読破した米原万里さん。(惜しくも亡くなられてしまった。私と同年齢。)彼女が抱いていた好奇心を、研究書のように著した本。 「パンツの面目、ふんどしの沽券」タイトルで惹きつけられる。メス海水で芋を洗うことを最初に覚えた宮崎のメス猿。長野の温泉に浸かることを行ったのは小猿らしい。私は雄であるが、注意してメス族を観察すると、その偉大さ、「面子」が見えてくる。 暑中お見舞い申し上げます。 城ヶ島にて。
2011.09.09
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横浜・金澤区・福浦にて タンポポの群生今年から本はできるだけ買わず、市の図書館で借りるようにしている。2度読むことはほとんどなく、書棚の肥やしになるだけだから。しかし、ネットで予約を入れても中々順番が回ってこない!我慢できない時は、仕方なくAMAZONで古本を探し購入する。この「国家の命運」は、しかたなく購入した1点である。 著者はしばしばニュースで登場されていた藪中三十二氏。外交・・文化の異なる外国との国益をかけた交渉。大臣がサインする前の、相手国との武力をともなわない戦争をするようなものである。相手国との交渉はもちろんのこと、自国向けにも納得される折衝をしなければならず、かといって手の内をさらすわけにもいかず・・交渉に当たっては、ジレンマの連続だったであろう事が伺える。日本のアホなマスコミが、相手国の当事者に先にインタビューに行き、藪をつついて蛇を出すようなことをしでかすことも嘆いていた。外交の舞台裏を深く記すことはできないのだろうが、私は営業職が長かったせいで、この本で訴えていることが理解しやすかったように思う。それにしても、公共図書館で無料で本を借りるということは時間をとられる。次の新書は、図書検索しても出てこなかったので、これもAMAZONで購入し、今日届いた。・・・・「政権交代の悪夢」 著者の阿比留瑠比氏はサンケイの記者で、彼のブログは読み始めて5年ぐらいになるか。首相になる前から「イラ菅」といわれていたが、今では私だけでなく多くの人をイライラさせる菅氏ではなかろうか。怒髪天を突き、書き上げた本のようである。最近のブログからも、国壊菅氏在 津波襲沿岸 呑家壊原発 残存瓦礫山宰相好会議 自己避決断 政府船頭多 混乱船上山 (国壊れて菅があり、津波が沿岸を襲い、家を呑み原発を破壊し、残るはただ瓦礫の山である。宰相は会議を好み、自らは決断を避け、政府は船頭多くして、混乱し船山に上っている)・・・・この危機の時代に菅首相という「歩く人災」「引きこもる風評被害装置」を首相にいただく最大不幸にめぐりあわせて、こういう低劣な政治的人間が位人臣を極めるような政治の構造的欠陥は何とかしないといけないと改めて思うに至りました。以上抜粋地震、津波、原発汚染・・・そして人災。行動力・決断力なく、口先だけで泳ぎ昇進する輩がいる組織は民間会社にもある。不幸なことである。
2011.04.22
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著者:趙 無眠 訳者:富坂 聰訳本タイトル:「もし、日本が中国に勝っていたら」 文春新書2007年2月第1刷「もし、・・・」とあるように、歴史家でもない【趙 無眠】 (長沙基礎大学物理学部卒業)という人物が著した日本観である。内容は第1章 複雑な感情第2章 日中 与えあう影響第3章 侵略の歴史結論 中原に入る。あっという間に読み終えた。読後感は【田母神論文】のシナ版のようなもの。田母神氏はその論文で航空幕僚長を解かれたが、趙無眠もこの論文で「趙氏はいまネット上で民族的なグループからの攻撃の的にされ、“四大漢奸”(裏切り者)とよばれている」そうだ。田母神氏が野に下ってから、愛国的な方々から圧倒的な支持が増えたのと裏腹な状況で、彼我の国情の相異を感じる。AMAZONの読者レビュー(1件のみ)は、どこが中国の愛国者を激怒させたのかわからない。と、あったが全く同感。【中国の愛国者】どころか、【日本の私】が激怒したくらいである。第3章から結論の中では、「日本が中華民族に加わることを中国は受け入れられるのか?」「日本が中国に加わる方法」という記述がある。中国をアメリカ合衆国のような感じで解釈している。中国は趙無眠が指摘するように、漢族以外の外部民族、すなわち蒙古、満州族(女真族)などに支配された経験がある。しかし、それも次第に中華文明(漢文明)に飲み込まれたという、ご都合主義である。そして、征服されながらも、その民族を飲み込んで中国は大きくなってきたという。一方、アメリカは南部やハワイを武力を背景にして合衆国を創建してきた。(日本の義務教育では学ばない?!)さて、政治的に早熟だったのか、日本は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや。」と、中国さまが頭にくることを古代に宣言している。中華主義からは離れ、独自色でその後はヨーロッパ文明とも出会った。幸か不幸かアメリカにより、黒船:大砲で開国させられ、あっという間に列強入り。そして、原爆で撃沈。日本は物まね文化と揶揄されながらも、経済の復興とともにオリジナルの基礎研究も進み成果が出てきている。S.ハンティントンは「文明の衝突」で、世界の文明を中華文明ヒンドゥー文明イスラム文明 日本文明東方正教会文明 西欧文明ラテンアメリカ文明アフリカ文明 の8つに分類している。経済力で世界から認められ、あるいは脅威を抱かれても、日本が受容され始めたのは食文化やアニメなど。歴史を振り返ると浮世絵が当時のヨーロッパの画家たちに影響を及ぼしている。中華文明が日本を飲み込むことは考えられない。「日本が中華民族に加わることを中国は受け入れられるのか?」・・・この発想からは己惚れた中華思想が紛々とただよう。(ここが私の頭にくるところ)中国、朝鮮での反日教育・歴史捏造は有り難いことに、日本の先の大戦での検証・研究を後押ししている。戦勝国のプロパガンダに溺れた左翼は、次第に消え行き本当の左翼に代わっていくだろう。趙無眠はこの先も歴史を学び続けるのだろうか?
2011.01.10
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夜学に通っていた二十歳の頃。講義の後、親友SKと互いの狭いアパートを訪問し合い、彼からはいろいろ興しろい本を紹介された。その中のひとつが、A・ビアスの「悪魔の辞典」 アメリカの短編小説家が書いた、皮肉あふれる面白い【辞典】で、今でも人気があるようだ。A・ビアスの作品はその後、全集が出ていることを知り、まとめて購読。ほとんど忘れてしまったが、その中に芥川龍之介の「藪の中」の原典を読み、ネタをパクった芥川に少々興ざめしたことを覚えている。(さらにその後、芥川がA・ビアスについて言及している文を見つけ、ビアスを見下したように、翻案したことを記しているにつけ、ますますあきれたことを覚えている。 *ただし芥川小説は好きだった。)さて、今日WEB新聞を読んでいたら「"明鏡 国語辞典"北原 保雄;」が紹介されていた。PCの普及で、漢字の使い分けが進んでいるように感じるが、気づかず誤った使用をしてしまっていることが多い。で、早速AMAZONのマーケットプレースで発注した。 AMAZONのホームページから抜粋。「夜が明ける/朝が明ける」「ボールを打つ/ホームランを打つ/三割を打つ/四番を打つ」の違いが分かる、文型を踏まえた意味の分類と解説。漢字の使い分けによって生じる微妙なニュアンスの説明。送り仮名、公用文の表記など、インターネット時代必須の表記情報の詳説。語の生きた使い方が分かる、豊富な用例。同レビューからBy terano -かつて国語辞書は、書けない漢字を調べるのが用途の一番目だった。ワープロやパソコンの普及によって、この用途は必要性が低くなった。代わって重要になったのは、同音語の使い分けである。校正がしっかりしていると思われる老舗の出版社の週刊誌でも「追求/追究/追及」の使い分けを間違えていることがしばしばある。この辞書は、そんな時代の国語辞書としてふさわしいもので、是非とも上記の「追求/追究/追及」や「穴を開ける/空ける」の使い分けについての説明を読んでみて欲しい。ついつい、だらだら書き込んでしまうブログ。簡潔な表現に悩み、タバコも増える。(値上げで止めるチャンスだったが!)辞典を読んで、漢字の魅力を再発見しようと思う。
2010.12.07
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<衝動買いした球根ベゴニアは大正解だった。>日経ビジネスオンラインから送られてくるメルマは、紹介タイトルが多すぎ、とりあえず関心を呼ぶタイトルのURLで開き、【お気に入り】に追加しておき、あとから読むようにしている。今日は、毎日が日直。「働く大人」の文学ガイド 『80. 「わかってる」と主張する人は「わかってる人」か? 上野千鶴子『ニッポンのミソジニー』 Ausor:千野 帽子 を読む。千野 帽子氏の記事は彼女らの世界を知っていないと難解な点が多い。上野千鶴子氏の名前はフェミニストおばさんとして、名前だけを知っていた。しかし、【ミソジニー】が何なのか分からず、誘蛾灯に飛び込む虫のように興味津々となった。【ミソジニー】とは・・・千野氏の記事ではミソジニーとはもともと「女嫌い」のことで、上野さんの専門分野であるフェミニズムのキーワードとしては政治的文脈で使われる言葉です(ただし、フェミニズムの名で呼ばれる考えかたはきわめて多様らしく、この分野のタームはフェミニストによってその使いかたが異なる可能性があります)。私は「女嫌い」かもしれない。で、あれば、私は【ミソジニー】ということになる。いやいや、「女嫌い」というより女性が苦手である。君子危うきに近寄らず。千野氏の記事中【女の世界】のことが、上野千鶴子氏の文章から引用紹介されていた。興味深い表現なのでメモしておく。男は男同士の世界と、男と共にいるときの女しか、知らない。あたりまえだ。男のいない場所で、女同士が共にいるときに、女がどんなふるまいをするかを知らない。女だけの集まりに男がひとりでも登場すれば、女のふるまい方は即座に変わるから、女だけの世界をついに知ることがない。 だが、女は女が男のいる場所でどうふるまうかと、女だけの場所でどうふるまうかの落差を知っている。若い頃、会社のロッカールームから出てきた同僚が、あきれた雰囲気で「女があんなにスケベーだったとは思わなかった」と、隣接したロッカールームで彼の存在を知らず、しゃべくりあっていた女性たちに、しらけていた事を思い出した。【女だけの世界】は、おぞましいものではないかいな?と邪推している。やはり若い頃、セールスプロモーション業務で新人女性を展示会(休日開催)の要員に指名したら、こっぴどく苦情を言われたことがある。弁解がましく、「リーダー的存在の〇さん(女性)と相談したら・・」と説得したら、火に油を注いだようで、「あなたは女の世界を知らない!相談できるわけ無いじゃないですか!」と叱られた。女性は上司であっても男には強いが、女同士ではそれなりの立場があるようで・・さて、興味をいたく抱かされた千野 帽子さんの記事は80回目。過去記事に目を通すのは時間がかかりそう。しかも、この80回目の記事中、(『ニッポンのミソジニー』第7回「女子高文化とミソジニー」は紀伊國屋書店ウェブサイト内で全文読めます)と、上野千鶴子氏の記事まで紹介されていた。そして、その第3回目のタイトルは【女好き男のミソジニー】。通勤途上では、このところ超短いジーンズで、脚を魅せつける女性に悩まされる。40年ほど前にも【ホットパンツ】が流行った。現役の頃、ひとまわりも歳の違うアシスタントの若い女性から、「男の人って、スカートが短くて、髪の長い女の人が好きなんですってね。」と、冷やかされた。20歳の頃はキリスト教の聖書に関心が高かった。そんなおり、「あー、神様。あなたは女までお造りになりました。」という一文が面白かった。男にとって「女の世界」は、はやぶさが持ち帰ったことを祈っているイトカワの砂のようなものかもしれない。
2010.06.23
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忙しいとき&気忙しいときは、ついつい読まずにフォルダに分類して、これを読まないうちに、次のメルマが届いてしまう。「勝てば官軍、負ければ賊軍」太平洋戦争の敗戦から、60余年を経て「自虐史観」を見直す動きに、私が関心を持ちだしたのは、中国・韓国・朝鮮からの教科書・歴史認識への干渉からだったと思う。自らの誤認識・不勉強を棚に上げ、他人・他国を糾弾する輩は、ゴキブリのように、どこにでも徘徊している。日本での不幸は、自国をさげすんで正義漢面する輩が、闊歩していることではないかいな、と思う。そんな中、下記メールマガジンの記事に目がとまり、購読し始めてから数年過つ。平河総合戦略研究所 [メルマ!:00133212] 甦れ美しい日本 第614号◎佐藤 守 大東亜戦争の真実を求めて 269"荒木肇 [メルマ!:00174026]" 「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」 & 陸軍史あちらこちら 荒木肇 "伊勢雅臣 [メルマ!:00000115]"JOG-mel No.651 沖縄県民20万人を救った二人の島守(しまもり)(上)国旗掲揚や、国歌斉唱、国を愛するというと、すぐ【戦争】に直結させてしまうパブロフの犬のような日本人も多い(ように思う)。小中学校での教育やらマスコミ報道の影響で、犬が【お手】をするように、反射的に【戦争反対】と叫ぶ単純な人も多い。私は心底、戦争を忌避するために、戦史を読む。追: 「大東亜戦争」が、「太平洋戦争」のことであるのを知ったのは、切手蒐集をしていた小学生の頃である。大東亜戦争記念という切手が発行されていたのをカタログで見つけたからである。日中戦争と一言でいうが、「支那事変」など【〇〇事変】と言っていた。律儀に国際ルールを守ろうとして、【戦争】にはしたくなかったからのようである。きわめて多くの方々の、努力の賜物である戦史を読んだり、TVで観たり・・感謝して、今日届いた荒木氏のメルマの冒頭文を貼り付けておく。陸軍史あちらこちら-(68) 荒木肇 「便衣隊と日本軍」いつもご愛読ありがとうございます。この場をお借りして、新刊のお知らせを致します。 『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか--安全保障と技術の近代史』が7月初めに出ます。発行元は(株)出窓社(でまどしゃ)です。www.demadosha.co.jp180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-7-303 電話0422(72)8752 『日本人は19世紀の中頃からおよそ1世紀あまり、戦争をくり返してきた。それまでは、農産漁村で働き、商売に精を出し、国防など「お上のすること」と考えてきた人がほとんどだった。近代国家の成立に必要な鉄も、石炭も、資源もろくにない国が、いきなり列強が力を振りまわす国際社会に放りこまれた。 ぎりぎり食えるだけの米と、わずかな軽工業しかもっていなかったちっぽけな国が、大国との2度の戦いに挑んだ。どちらの戦争も、かろうじて切り抜けて独立を全うできた。この博打に勝ったことは事実である。その時々の実態を、技術と、教育の目を通して見直してみよう、そう考えて、この本は書かれた』(本書の「はじめに」より抜粋) 私は学部時代、近代教育史のゼミにいました。そこでの学びの中で、大正末期からの地方青年団活動や、実業補習学校、併設された青年訓練所などの制度、日露戦後からの教育制度改革などの変遷を知りました。 それらは、当時、誰からも関心がほとんどもたれていませんでした。同世代の学生たちからは『そんな、滅んでしまった制度など調べて何になるのか。いま、目の前の世界の状況を知るべきだ』などと罵られたものでした。 ただ、教授たちの世代からだけ、温かい支援や励ましをいただけた、それがほのぼのとした思い出になっています。教官たちはそれぞれが学徒兵として入営し、多くは陸軍士官として軍隊勤務の経験がありました。 「いいヤツほど戦場で死んだね」、「俺たちなんか、言っちゃ悪いけどさ、おつりの人生なのよ」、「○○先生なんか大尉だったよな。ぼくたちが少尉、中尉だったんだから、あの戦争も負けるわけさ」などと、酔いながらの戯言でしたが、それでいて目には真剣な光があったことを忘れてはいません。どなたも学会での主流ではなかった……などと申し上げては師に対して失礼ではありますが、筋を通された方々だったと思い出しています。 日本の近代はおよそ10年ごとに対外戦争をくり返してきました。戊辰戦争(1868)、西南戦争(1877)という内乱を経て、1894(明治27)年には日清、1904(明治37)年には日露の両役、1914(大正3)年には世界大戦を戦います。この後、シベリア出兵(1918~1922年)があり、1927(昭和2)年には山東出兵、翌年には済南事件、そして1931(昭和6)年の満洲事変。こんなピッチで戦争を続けていて、人々の気持ちはどう変わっていったのでしょうか。そして、未曾有の敗戦を味わい、いまのような戦争観や平和観、安全保障観をもつに至りました。 本書は、私の「勉強ノート」でしかありません。歴史学者の論文を読んだり、研究者の本を読んだりしても、私には分からないことが多すぎました。この本は、疑問の数々をつむぎ、納得できる解があれば、それらを結びつけ、たくさんの先人たちの成果を集めて、だんだら染めにした1枚のボロ切れのようなものです。よろしければご笑覧下さい。
2010.06.16
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世間を知るということは難しい。日頃の生活は平凡なものだが、TV・新聞、ネット情報などなどで、関心事に触れ、憤ったり、不安を覚えたり、感激したり・・そして豊かになる。随分前から、朝日新聞の政治姿勢に不信を抱き、いつしか産経新聞に鞍替えした。3年前には職探しをあきらめ、新聞もとらなくなりWEB上で各紙の記事を読むようになった。産経はWEBで記者ブログを読むことができ、紙面には載らない記者による裏話のような内容が掴める。WEB上の新聞記事は、粗方がUPされているが、私の能力では検索漏れが起きやすく、その後、産経のNetViewを購読するようにした。(最近では日経がようやく電子新聞発行に踏み切ったが。)さて、私はマスコミ人の悩みは知らない。(ほとんどの方もそうだと思うが。)偶然、英国人記者が著した『「ニッポン社会」入門』という新書を、読む機会を得た。 記者が真面目に取材して、真面目な記事を送っても編集者に切られたり、換骨奪胎される憂き目によくあうそうである。編集者は読者受けする内容を期待し、また彼の先入観で記者の原稿を書き換えたりすることもあるそうだ。この本を読んでいて、ネット上で問題になった毎日新聞の「WaiWai変態報道」事件を、思いおこした。*この件は【Media Patrol Japan 】の「文/三橋貴明(作家・経済評論家)」に詳しく書かれている。/http://mp-j.jp/modules/d3blog/details.php?bid=20 閑話休題【Media Patrol Japan】で、「マスコミ依存の国民」という記事に関心を持った。http://mp-j.jp/modules/d3blog/details.php?bid=112&cid=25著者は 宇田川敬介氏(コンサルタント・ジャーナリスト)。この記事に前後して、「口蹄疫災害とマスコミ批判」と、「懲りずに口蹄疫禍のマスコミ批判について」を掲載している。宮崎県での口蹄疫禍は、風評被害を避けるため当初、報道規制がとられたようだ。そのマスコミに対して、ネット上で批判が興り、マスコミ人として問題提起のため、内情を事実を追って記したものと理解している。報道記事とは別にテレビのドキュメンタリー。NHKを筆頭に、多くのドキュメンタリーを見ることができる。昨年の【ジャパンデビュー】は、ひどい番組でいまだに尾を引いている。しかし、偶然運よく元NHKプロデューサー桜井均氏の、「テレビは戦争をどう伝えてきたか」(2回シリーズ)を、放送大学で観た。時の流れの中で、「太平洋戦争」の捉え方が、被害者としての閉じこもった日本から、当時のアジアへ眼が開いていき、加害者としての日本を見つめ直す方向へのドキュメンタリー番組の変遷を解説されていた。講義の中では不特定多数の視聴者を慮って、【映像処理】をどうするか、喧々諤々の議論をしたことも話されていた。歴史の事実を深く掘り起こし、国内外の政治家の嘘・捏造・矛盾を見抜きあふれる情報の中から、マスコミ、ネット論者の意見を篩(ふるい)にかける。そして自分なりの判断をする。・・・・・・・・・・・・・・・ 口、筆が重くなる。参考メルマガ:【世界の新聞「101紙」の視点】
2010.06.01
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国民読書年今年は国民読書年だそうだ。知らなかった!日経ビジネスON LINEの『小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」~世間に転がる意味不明』で、はじめて知った。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081022/174784/→ テーマ 「iPadは、本棚なきコトバダイバーたちを生む」この記事を書いている小田嶋氏も、つい3日ほど前に知ったと書いている。「国民読書年」を知らしめるメディアの広告は?・・・「コトバダイブしよう」というCMがそうなんだそうである。社団法人 ACジャパン http://www.jimaku.com/company_cm/ac/ac910.html「最近の若者は読書をしなくなった。」という指摘は、私が若いころから言われていた。この指摘は誤認もはなはだしい。(と、思う)例によって「最近の若者は・・・」という、古代エジプト時代から年寄りに云われてきた類であろう。あるいは売れない文士の愚痴か。売れない小説家が「3冊買えば、枕にもなります。」という、陳腐な戯れごとが耳に響く。「読書」を紙の媒体による活動と定義すれば、読者は確かに減っていると思う。しかし、PCがいきわたり、高速通信インフラが携帯を普及させた今、紙媒体は極論すれば不要である。著作権の切れた小説など代表的なものは、『青空文庫』で無償でダウンロードできる。 青空文庫のHP: http://www.aozora.gr.jp/紙の本を読む感覚での[ビューアー]も、いろいろな種類がダウンロードできる。情報の電子化で戸惑っているのは出版・新聞・雑誌業界だろう。「国民読書年」は平成20年、国会決議されたとのことだが、「読書行為そのものの振興」が目的というより、業界を助けるため?と、穿った見方をするするのは私だけではないと思う。国会決議だの、各種イベントでの「後援」で名前を出す役所など言葉だけで、実が伴っていない。庶民は議員の決議だろうが、権威ある団体・役所の支援・支持(?)があろうが、ほとんど気に留めない。権威を取得した者が、その威光ある名前貸しを許可するだけで、「お代官様、ありがとうごぜーやす」と、庶民が感謝するような時代ではない。成功したら権威者の手柄、失敗したら当事者の責任。「笛を吹く権威者」に対するシラケ風潮が、はなはだしい時代だと感じる。(本を読め!と云う者ほど実は読んでいないのでは? 決議に賛成する者はその内容をどれほど理解しているのか?という疑心暗鬼が心を飛び交う。)ところで、この「国民読書年」を、「もの書き」をしている人々は、どれだけ知っているのだろう。「もの書き」を生業としている人以外にも、日々の生活の中で必要な業務日誌や日記は、多くの人がつけている。心に思ったこと、感動したこと、今日したことを記録する。日記は個人的な記録とは云うが、その書き手は他人が読むことを想定して綴ったりしている。ブロガの思惑は多種多様だろう。面と向かった会話でなくとも、遠く離れた顔も知らないブロガとコミュニケーションがとれるいい時代だと思う。(昔は1対1の文通くらいか。)さて、同じく日経ビジネスON LINEでこんな記事に遭遇した。『日本語は今や、ウェブ上で全世界でもっとも流通している言語だといわれるまでになった。しかも、読む人間より、書く人間の方が圧倒的に多いのだという。それほどまでに人々が文章を書いている一方で、相手に何かを伝えることの難しさは、むしろ増えているように思える。「誰もが発信者」、そんな史上初のシチュエーションを迎えた今、いったい私たちの「コミュニケーション」はどこに行くのだろう。広告の世界でクリエイティブディレクターとして活躍する岡康道氏と、コラムニストの小田嶋隆氏が、高校時代の同級生という縁から始まった「伝達」について、ゆるゆると語り尽くす…はずだったのだが? 』人生の諸問題 ~ウェブ時代のコミュニケーション作法(笑) から 岡 康道、小田嶋 隆、清野 由美 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090512/194399/音声でのコミュニケーションではなく、メールやらブログを通したコミュニケーションが華やかな時代だと思う。口頭で表わされた忘れてしまいがちな言葉も、メディアに残されていれば反芻してその表現に思考を深めたりもする。そして、その中から知識や感動を得る。こんな記事も見つけた。『43年前に指摘された「コンピュータ病」』いまだ完治せず、重要な情報はITでは得られないhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100329/213711/?P=1&ST=spc_bi疑問に思ったこと、調べたいことはあらかたWEB上で解決できる。「重要な情報」は、多くの事実を検索し、さらに足で探さなければ見つからない。「重要な情報」を咀嚼し、自己の頭で統合し新たな考えがまとまり、言葉で綴り、さらに考察する。【国民読書年】は、そんなきっかけを創る年だと理解しよう。
2010.04.06
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読むきっかけとなったのが、産経に掲載された櫻井良子氏の下記の表記。「ハンチントンは世界の文明を8分類し、日本の文明は日本ただひとりが打ち立てた文明だと定義した。」【櫻井よしこ 麻生首相に申す】皇室存続の仕組み作れ 2009.4.9 03:45 からhttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090409/plc0904090346004-n1.htm【ハンチントン】を検索したら多数が出てきて、サミュエル・ハンチントンにたどりつくまで少々手間取った。「文化と文明」の言葉・概念の違にはいつも戸惑う。アマゾンで検索し、分厚いオリジナルは枕にしかならないと判断し、ダイジェストとも言うべき新書版を手に入れた。 中古品で価格はほとんど送料のみ。発行は2000年1月だから、米同時多発テロ以前のものである。9年が経過し、サブプライム問題で端を発した経済不況の今でも世界の文明の基調は変わらない。同時多発テロは欧米対イスラム文化の対立として勝手に理解してきたが【8分類された世界文明】とは、以下の通り。西欧(米を含む?)・アフリカ・中国・ヒンドゥー(インド)・イスラム・日本・ラテンアメリカ(南米を含む?)・東方正教会(ロシア)読んでいくと日本は国と文明が囲われている稀有な国家だと再認識する。ただし内容は文明ではなく、国際政治を論じているものである。新書版の腰帯には売らんがために、「日本は孤立する」のキャッチコピーが、あてがわれているが、著者はむしろ米国の孤立を憂いている。外からどのように見られているか、気にするのが日本人。「日本人とユダヤ人」から、「ジャパンアズナンバーワン」まで多くの本を読んだ。バブルがはじけた頃から、この類の本には興味が失せ仕事に埋没。仕事を辞めてからは特亜関連に関心が移った。そのためか「文明の衝突」は、雑誌かなにかで紹介欄を読んだ記憶があるが今日まで読むきっかけが得られなかった。歳で視力が弱り、長時間の読書はつらい、眼がかすんでくる。パソコンで見やすい大きさのフォントで読んでいるせいかもしれない。ひょっとしたら出版不況は「若者の文字離れ」ではなく、高齢化に起因しているのかも?若いときにもっと沢山読んでおけば良かった。
2009.06.06
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犬と死に別れた経験のある人は、大切な物語を持っている。日々、愛犬に【うるおい・癒し】を与えられている多くの人はブログを書く。「親の死と愛犬の死」は、その悲しさの数十倍に値する「楽しかったこと」を、永らく記憶の中で反芻させる。そして物語をつくる。 ピピ毎日届く【日経ビジネスオンライン】の記事で、場違いではと思ったが写真のヨーキー【ピピ】の連載物語を読んだ。【ペットを看取るということ 天国の犬からの宿題】第3話:「この犬、返品したら?」。獣医の言葉に私は驚き、発奮した。http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_42156_415174_164(読まれたい方はURLのコピペでどうぞ)著者は獣医に「おかあさん」と言われ戸惑ったそうだが、私はワクチン注射に赴いた時「おとうさん」と呼ばれて、保護者の責任の重さを感じた。散歩途上の見知らぬ人との立ち話で聞かされた、愛犬との別れの話は数知れず。人は孤独の中では生きられない。生きとし生けるもの、無機的ではあるが自然物、過去・現在に継がれている著作物・知識・・・愛する対象を無限に持つ生き物が【人】だと思う。さて映画・テレビ・・・経済的にはあまり豊かではない南洋の紀行ものでも必ずと云っていいほど犬は脇役で登場する。愛犬は物語をさらに豊かにしてくれる主役を食う脇役である。国家間とか民族間のおろかさによる問題が発生する以前の古代から人に愛された存在。ノーベル平和賞ものだと思う。ジュンは主役!
2009.06.03
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人や著作物や映画との出会いは、私には【偶然の産物】であることが圧倒的である。マスコミなどでお目にかかる有名人の中には、私が好かない方も多い。随分前に亡くなられてしまった【開高 健さん】は、当初は好かない有名人の一人だった。しかし、現役の頃、社員食堂に【開高 健さん】の講演案内が張られており受講費は会社負担とあったので、仕事でむしゃくしゃしていた私は定時に切り上げ、虎ノ門の会場に向かった。教室くらいの小さな会場で、一番に到着してしまい、鼻を突き合わせるような一番前の席を陣取った。講演の初っ端、彼は持参したワインの口を開け来場者にも勧めながら、話を始めた。今にも落ちそうなオンボロ飛行機に乗り、南米の奥地に出かけ皆の知らない【洋ラン】が咲き誇っているとか・・・その当時、私はシンビジウムからデンドロ・・・ 手の届く範囲の洋ランに凝り始めていた。(開高氏は釣り-オーパで有名だったが、私が釣りに嵌まったのはずーっと後のことである。)講演の主催は【日本秘書教会】で、終了後振り返ったら参加者は全て女性でビビッタ記憶も残っている。この講演に参加してから、それまでの身勝手な私の先入観は霧散した。釣りにのめりこんでからは、開高さんが「雨後の水たまりを見つけても、そこに釣り糸を垂れたくなる」と言っていることに、全く同感だった。(ただし、私の釣りの動機は開高さんの影響を受けたわけではない。)ひょんなことから、好きでもなかった人に好感を持てるようになることに幸せを感じる。食べ物でも嫌いなものが減っていくのは健康的なことである。【開高 健さん】と似たような存在が、【C・Wニコル氏】だった。彼のことはGT HAWKINSのコマーシャルと自然愛好家であるということくらいしか知らなかった。なんとなく、暗い感じがして好きにはなれなかった。ところが、メルマガの書評で彼の著作【誇り高き日本人でいたい】を氏が幼い頃、再婚した母の連れが【C・Wニコル氏】に気に入られるかを気に留め、弁護士を通して氏に「お母さんの名前がニコルに変わったのは知っている?」と訊ねたら、「知っていますとも、僕もニコルになりたいです」と、言って義父を男泣きさせたというくだりが紹介されており、興味を引かれた。このところ【浪花節】が大好きな歳になったせいかもしれない。早速、アマゾンで検索し購入。アマゾンの商売はうまい。読者の書評やら、五つ星評価やら、「読まれた方はこんなんもこうてます。」と、追加購入を煽る。のせられて、【人生は犬で決まる】も買ってしまい、今日読み終えた。 私は読後感は書かない。が、先の【誇り高き日本人でいたい】では、氏はイギリス-ウェールズ出身のケルト人だと主張していたことが印象的だった。(ただし95年に日本国籍を取得しているとのこと。)イギリスのことは歴史などでよく知っているつもりだったが、UK(連合王国)とかグレートブリテンとか、どれが本当の国名なんだ?と、どうでもよいことが気にかかっていた。イギリスはイングランド・スコットランド・ウェールズ地方に分かれており、なるほどUKかと理解する。日本と同じ島国であるということは、小学生の頃から授業で教えられたが、隣に相性の悪いアイルランドがあることが、韓国・北朝鮮を隣にする日本とますます似てくる。関心がとめどなく分裂症のように、あちこちに飛ぶ。なにかわからないが、読後にうれしさがこみ上げたのだろう。好きな方がまた増えたのはありがたい。【人生は犬で決まる】は愛犬家をひきつける書名だが、なるほど私の後半人生はジュンで決められているようだ。
2009.04.22
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前にも書いたが、私は読むことが遅い。斜め読みの能力に甚だ欠けており、ざっと斜め読みをすると頭には何も残らない。たまに関心をひきつける小説やら随筆などを読むと、ほっとする。疲れないからである。新技術の記事なども関心を呼んだものは、さらに調べていく。さて、今日は 「軍事評論家=佐藤守のブログ日記 」 :半島と尖閣の危機http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20090409を読み、そこで紹介されていたサンケイの「【宮家邦彦のWorld Watch】深刻な安全保障上の「現実」」http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090409/plc0904090801006-n1.htmをNetViewであらためて読む。【サンケイNetView】は開くのがめんどうになってきて、ほとんどMSNサンケイニュースで間に合わせているが、紙面とは違い読み落としをしやすい。この記事には北朝鮮崩壊後の日本への懸念が記されており、素人の私なりにも色々な考え・予想が浮かぶが、今日はまとまらない。NetViewをめくっていくうち、電力供給における「スマートグリッド」の記事に目が移るが、これも考察は後日。1面の 【櫻井よしこ 麻生首相に申す】皇室存続の仕組み作れhttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090409/plc0904090346004-n1.htmハンチントンは世界の文明を8分類し、日本の文明は日本ただひとりが打ち立てた文明だと定義した。の【ハンチントン】が気にかかった。Wikiで調べたら人名やら地名やら「ハンチントン」がうじゃうじゃ出てくる。類推して、「サミュエル・P. ハンチントン」を探り当てる。そして、彼の著書「文明の衝突」にぶつかる。以前このキーワードは見かけたことがあるが、私には関心をよばなかったたようだ。Wikiで検索し要約的に内容を読む。「文明の衝突」が著されたのは1993年。私にはWikiの記述だけでも難しい。が、関心を呼び起こす。Amazonのページを開く。分厚い本は挫折するだろう。で、新書版の「文明の衝突と21世紀の日本」を購入した。もちろん古本。価格は¥25、送料¥340。ネットオークションでたまに経験する、送料の方が高い!何時間もかけて遠方に出張し、打ち合わせ時間は1時間足らず。・・・ということに似ている。そんなことはどうでもよい。「文明の衝突」を読んで、国際関係のニュース理解が新たな視点を得られるか・・・お楽しみ。
2009.04.09
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会田雄次さんの「アーロン収容所」を読んだのは20歳代後半だったと思う。氏が招集され、ビルマで敗戦をむかえイギリス兵により俘虜になったときのことを書いた内容である。今この「アーロン収容所」をWEBで調べてみると、イギリス人を知るための好著として紹介している方もいた。私はイギリス人のことよりも、その中で俘虜になったときの【リーダー論】が面白く記憶に残っている。それは俘虜になる前の軍隊のリーダー、俘虜になってからのリーダー、帰国を目前にしてからのリーダーがそれぞれ異なって頭角を現してきた、という部分である。集団がおかれた状況が変化した時、個々はそれぞれの持ち分を発揮して自ずとリーダー交代する日本人!その後も何冊か、氏の本を読んだが記憶に残っているのはこの本である。さて、サンケイNetViewで【昭和正論座】という、過去の【正論】が掲載されこの15日はその会田雄次さんの「各論賛成、総論反対を提唱」が目にとまった。氏が少しへそ曲がりな人だなと感じたのも、その後の彼の著作からである。それでも私は好きな方だった。(私も少々へそ曲がり)昭和正論座から一部を拾う。(ただし、お気に入りなのでほとんど)http://sankei.jp.msn.com/life/education/090215/edc0902150632000-n5.htm総論賛成、各論反対というのは私たちの性癖のようになっている。自分個人の利害に関係してくると、それまでの正義人が急転エゴイストの本性を発揮するからであろう。しかも私たち日本人は、司馬遼太郎氏がかつて指摘したように観念論に熱中する国民である。観念論、つまり抽象的総論に熱狂し、それで激論し、それで徒党を組み、相互に激論し憎悪し合い、はてしない肉体的衝突さえくりかえす。・・・もうすこし判りやすくいうと私たちは、いつも心の中で自分の利益、つまり各論を、何とかうまく正反対の総論、つまり社会正義の形、いいかえれば本音にうまくたてまえの衣を着せようと狙っている国民ではないかということである。・・・・要するは私たちの勇ましい総論・大義名分論はすぐ「バレ」てしまうのである。若者や主婦たちの主張だけに限らない。もっとも老獪(ろうかい)なはずの政治家だって本質的な差はない。これは功利的に見たって損なやり方である。雉も鳴かずばうたれまいに、余計なことをいうから、すぐそのエゴイズムが判ってしまい、その心情の陋劣さを軽蔑されるという結果を生む。日本国内でそういう偽善や似非社会正義がまかり通っているのは、その正当さのためではなくて多人数や圧力団体とかいった徒党の力のせいである。・・・飢餓下にある未開発国への食糧援助だってそうだ。数年にわたり食糧を送って餓死をふせいだとする。それ自体は立派なことだ。だがその結果は必ず人口が急増という宿命を持つ。だが不作は一定期間をおいて確実に訪れる。今度は前の数倍の悲惨な状態になる。それを救えぬとしたら、その前に援助した国は悲劇を数倍化した責任者ということになろう。援助にはその国の生産力の増大や人口抑制をはじめ、複雑な条件を考究しそれとからみ合って進めねばという論が有力な所以である。現在の飢餓は単純な行動や感情論ではどうにもならないのである。といって私は緊急援助や個々人の善意の行動が不要だとか、いけないなどと言っているのではない。むしろその逆だ。ただそれをやたらな総論の主張へと短絡させるのを不可と指摘しているだけなのである。 福祉や援助など善意の主張や、行動にしてさえこうである。個人や地域や団体のエゴイズムを感情的に総論へ短絡させ、強引に主張することが一般化したらどうなることか。日本人は本来その傾向が強いのだ。現在でもその露骨な表現が至るところで噴出している。それが社会の混乱と国内外からの義憤と侮蔑(ぶべつ)を招きながらまだ大事に至っていないのは一般国民の良識がブレーキ役を演じているからであろう。しかし、このままで行けば各種の圧力団体の暴力的風潮がこのブレーキを破壊し、全国民がそれと同じ行動に出る公算がすくなしとしない。それが真の日本の沈没のときであろう。各論賛成、総論反対の立場を主張する所以である。(あいだ ゆうじ)(湯) 産経新聞「正論」欄の35周年を記念し、当時掲載された珠玉の論稿を再録しています。この記事は昭和50年4月3日付けのものである。サンケイの担当者も【珠玉の論稿】と表しているように、今も通じる御意見である。何もいえず、会田雄次さんに「賛成!」<昨日・今日>今年は暖かい。暮れ頃からももひき(スパッツと言ったほうがイメージが良いが)を、穿いていたが、1月に風呂上りではくのを忘れ、そのまま今日まで来ている。今日のサンケイでは曽野綾子氏が【透明な歳月の光】で、「年をとると人生がよく見渡せるようになる人と、段々周囲が見えなくなって利己主義になる人に分かれるようだ」とのたまわれている。私は鈍感になってきているのかしら。それでも、ジュンとの散歩ではやたらと鼻水がたれクシャミ三昧。花粉症には敏感である。人生は見渡せていない。
2009.02.16
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産経新聞に【法廷から】という紙面がある。のを25日に知った。http://sankei.jp.msn.com/topics/affairs/6961/afr6961-t.htm【裁判員制度】が始まるのを前に、裁判の実態を知ってもらうために連載しているのだろう。裁判官が浮世離れした存在になってしまったために、民間の実態に則した判断を手助けするためかと解釈しているが・・・【とんでも裁判官】も存在し、昔も鬼頭何某やらという、三木首相に電話でオレオレ詐欺まがいのインタビューをした輩がいた。最近ではストーカーをやらかしたバカがいる。どうも人というのは、【職能と品格】は別にできているらしい。大学教授、弁護士、政治家・・・ いにしえなら【聖職】といわれて無条件に尊敬を集めた職業人の中に【腐ったリンゴ】が発生すると、その権威に従おうという眼差しは軽蔑に変わり、社会は方向を失う。願わくば、両者をあい備えた人物に裁判官になっていただきたいものであるが、その裁判官の選任は法律に則っているのだろうが、最終的には人が決める。民間でも官でも選んだ、あるいは推薦した人物をも一蓮托生で責を問うことが、人の品格を見抜くのに必要に思うが、いまのところは大臣を選んだ首相のみが任命責任を問われる時代のようである。さて、私が裁判員に選定される確立は絶対ないと思っているが、皆がそう思っているらしくTVでは【裁判員制度】のコマーシャルがしばしば放映される。 しかし宝くじが当たる確率よりは裁判員に選定される確立の方が高いと思う。サンケイの【法廷から】を読んでいると、生々しく光景が目に浮かび、かつあきれる。【裁判員】に選定されるということは、視野を広げて生き方・この社会を見つめなおす機会なのかもしれない。以下、サンケイの連載タイトル【法廷から】「甘いこと言うな!」弁護人の一喝に縮みあがる薬物所持の暴力団員11.21 【法廷から】「汚い男」…裏切った男に言い放った薬物使用の女11.18 16:00 【法廷から】自宅で“大麻ガーデニング”あきれた3児の父11.15 10:37 【法廷から】「笑っちゃうんです…」緊張感ゼロ、薬物使用の男性被告11.13 13:29 【法廷から】検察官もキレた! 事故を起こして逃げた被告とその父11.12 16:11 【法廷から】痴漢かつストーカー…懲りない卑劣男の仰天手口11.9 14:01 【法廷から】夫婦で薬物使用 4歳児の母親をしかった“人情”裁判官11.8 10:10 【法廷から】「言葉軽すぎ」 裁判官をキレさせた薬物所持の男11.6 14:46 【法廷から】大家さん、被害者…周囲の“温情”に感謝する傷害事件の被告2人11.5 【法廷から】浮気繰り返す妻に夫が木の棒で…11.3 11:52 【法廷から】性癖否定、でも児童ポルノ収集の被告 涙の謝罪に母は…10.31 12:01 【法廷から】裁判官に“3つのお願い” 窃盗繰り返す69歳男10.29 11:09 【法廷から】妻の妊娠中に痴漢 父親になったばかりなのになぜ…10.28 14:07 【法廷から】“ドタキャン”キャバ嬢にキレた男が…10.26 15:44 【法廷から】モニョモニョ余罪を“自供”しかけた振り込め関与の31歳男10.25 11:12 【法廷から】妹の義母を脅迫した41歳女性の“姉妹愛”10.22 14:14 【法廷から】“振られた”腹いせに脅迫メール 同性愛者32歳男の片思い10.21 11:53 【法廷から】大阪駅通り魔 被害妄想の女の勝手な言い分10.18 18:35 【法廷から】「反応が見たかった」 ネットで“殺害予告”の24歳男10.18 11:07 【法廷から】刑務所暮らし38年 79歳男の反省なきスリ人生10.17 14:35 【法廷から】不倫に恐喝…それでも添い続ける妻10.16 12:20 【法廷から】「兄の役目」パチスロ店経営の弟のため証言台に10.15 14:35 【法廷から】突発的犯行? 現金入りの郵便物を奪った24歳男10.11 10:32 【法廷から】「結婚考えていた」と“言い訳” 14歳少女を性の対象にした43歳男10.9【法廷から】寛大な被害者に“感謝” 75歳の元タクシー運転手10.7 14:47 【法廷から】81歳「老いらくの恋」の果て…10.5 17:20 【法廷から】鼻すすり、ミルクを残す… 育児ノイローゼの結末10.3 17:11 【法廷から】“幽体離脱願望”が大麻栽培の理由?9.28 17:22 【法廷から】泥棒が泥棒を刺した理由9.25 11:32 【法廷から】「どちらかが死ぬしか終わりはない」 交際相手殺した女の情念9.23 11:17
2008.11.27
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30代の頃は歴史小説を読みふけった。ちょうどそんな頃だったと思うが、テレビで女流作家のトーク番組をたまたま観て、「小説とは点で現れる事実を基にして、点と点をつなぎ合わせる作業です」と、いうような意味合いのことを話されていることに、なるほどと感心したが今もこの視点は変わらない。さて田母神論文については、氏は歴史には私同様素人であり【論文】というほどのものではないという指摘は同感する。(指摘される方々は、少しく軽蔑の意味合いを感じるし、自ら右派系だと思っている人は、内容に新鮮味は感じないし論文というほど精緻さは認められない。書いた当人も直後、「これほど問題になるとは思わなかった」と言っている。)しかし【自虐史観】と揶揄される左派に対して、【差別】されてきた右派にしてみればその大元である太平洋戦争開戦への契機・理由を、【何故?】という思いで調べなおし【戦勝国や植民地からの非難】で萎縮しがちな姿勢を、あらためて正したいと考えるのは自然な成り行きだと思う。*私にしてみれば戦後教育の影響もあっただろうが、今で言う左派寄りの言論に安心感を抱き、20歳の頃はノンポリで右に傾き始めたのは中韓による内政干渉、執拗な謝罪と補償要求である。・・・ 教科書-靖国問題-慰安婦問題 ・・・同じ東アジア圏とはいっても、彼我の慣習・文化の根底での違いを日々読み感じる。そして彼らの国家ぐるみでの虚実をまぜこぜにした非難に、あきれ困惑し、これが右へと舵をきらせる。【論文問題】の議論はテレビでもちょくちょく拝見し、国会ではこれからだが【金融危機・景気対策】は先にしていただきたい。【歴史】を読み解くためには、【腹が減っては戦は出来ぬ】から。右派系のブログやらメルマガをよく閲覧するが、【伊勢雅臣氏】のメルマガが届いた。(伊勢氏の バックナンバーを読む ⇒ http://www.melma.com/backnumber_115)今回は先の【論文】を支援するような内容で【近衛文麿の戦い(上) ~ 日本を戦争に引きずり込んだ「見えない力」 戦争を阻止すべく、近衛文麿首相は日米首脳会談実現に全力を上げたが、、】小学生の頃の歴史授業では、宣戦布告せず奇襲攻撃を行ったと習ったが、大人になりかけの頃読んだ本では、駐米大使が【暗号化された最後通牒の電報文】の解読で間に合わなかった事を知る。そして太平洋戦争に関してよく出現する【ハルノート】。内容を知らず、これこそ米国が日本に突きつけた【最後通牒】という表現を目にするが、ようやくハルノートの解説に目をとおした。入門者向けのWikiの記述では、【日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。概要は以下の10項目からなる。】→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88短気な素人=私にしてみれば確かに最後通牒に値する内容である。田母神論文ではコミンテルンの暗躍を指摘しているが、日本も対露戦にはロシア・コミンテルンを利用していたとの話を聞いた事がある。国家間の謀略、疑心暗鬼、エゴは今も変わらないと思う。北朝鮮対米国、イラク&アフガン対米国、ロシア対NATO(グルジア問題)・・・点にしか過ぎない【歴史資料】から、今を生きるための【糧】を紡ぐのが小説。歴史に学び、過誤を繰り返さないように努力するのは政治。その政治を選ぶのは国民。世界的な金融危機、景気不安でも戦争がおきないことが、第2次大戦の犠牲で得た貴重な歴史教訓だろうなと思う。* 予備校に通っている頃、数学の先生が「源氏物語の作者は複数いるというのが定説になっているが、このことが解けないのは文学者が数学を学ばないからだ」と、面白いことを余談で話してくれたが、歴史にも数学の知識が必要な気がする。
2008.11.09
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それぞれの分野でのトップの両氏が辞任・解任され、彼らの主張の根底になにか類似したものを感じてならない。端的に言えば【自虐史観】へのイライラ感。私自身がこれを抱いているから、勝手に同調しているだけなのかも知れないが。自国-日本の近い過去について、戦勝国やら南北朝鮮の主張を鵜呑みにし、小さくなって反省し続けていれば、好意的に接してくれるのかしら?この日本での生活が安全・快適で外国からも尊敬されるのかしら。少なくとも尊敬されることはなく、経済的に豊かであれば被害者側はクソ面白くなく、あわよくばその富を掠め取りたくなる。個人同士でもいい争いになったときは、相手の過去の非をあげつらえば萎縮して黙り込む。(夫婦喧嘩のときの女性はこの手を良く使うようだ)いくどもその【非】を利用されれば付き合いはやめたくなるし、最悪は逆切れしてしまう。【喧嘩両成敗】という言葉は外国にはあるのだろうか?今日、米大統領に選出されたオバマは「政治で解決できないこともある。そのときは国民の皆さんの協力をお願いしたい」と言っていたが、政治はナマモノで真実がどうであれ現状を生きていくためには目をつぶり、その時々の環境で最適の知恵を振り絞るシステムだとは思う。さて、田母神論文に関して多くのブログやメルマガ、社説・報道などを読みかつ読み続けている。ウーンと唸って読ませていただいた記事がNBonlineで配信された。伊東 乾 氏の 伊東 乾の「常識の源流探訪」 【KY空幕長の国益空爆 不用意な情報発信は危機管理意識の死角から】http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/冷静な目線で論評していた。米国のピリピリした空気と比較すれば、まさに不用意な情報発信がいかにリスキーか、という危機管理意識の欠如を指摘せねばなりません。本人も周囲も全く自覚していない、こうした軍紀の弛みが、自衛隊としては一番の問題で、省内からも苦情続出という意味を、ご本人が正確に理解しなければいけません。「記者会見」を報道したメディアが全く気づいていない様子なので、第一に指摘したく思います。個人として田母神さんという人は、きっといい人なのだと思います。人情家で信望も厚いのでしょう。しかし、現役の航空幕僚長に求められるのは、確かな見識に基づく、脇の締まった危機管理能力で、自分の思いに振り回されて、本心を触れ回るなどということは、将たるもののするべきことではありません。田母神氏は訳がわからないまま「定年退職」となってしまいましたが、問題の根をうやむやにすることなく、後任の幕僚、幕僚長諸官には、その自覚を明確に持ってもらわなければ、麻生首相のいう「再発防止」は絶対に繋がりません。インド洋での給油法案(テロ特措法)が参院で引っ掛かっているようだが、現在までのところ現地自衛艦が攻撃されることはなく、日本は【多大な貢献】と自画自賛。本当に生命がかかる、命をかける職務ならどんな仕事にしろ言葉・表現方法を選び、行動はタイミングと万全さを考える。個人的には田母神氏には【論文】の内容をさらに裏打ちすべく【研究】を続けていただきたいのだが・・・
2008.11.05
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僅か9ページの論文だが、読ませていただいた。その前に大手新聞の社説を読んだが、予想通り。空自トップ更迭 歴史観封じてはならない【サンケイ】2008.11.2 03:17http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081102/crm0811020318002-n1.htm空幕長更迭 立場忘れた軽率な論文発表(11月2日付・読売社説)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081101-OYT1T00763.htm空幕長更迭―ぞっとする自衛官の暴走(朝日新聞)http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1ブロガの多くの記事は私の偏りもあるだろうが、【マスコミによる言論封殺】的な表現が多く、論文に肯定的な感が強い。もちろん、私も肯定的なのだが論文の根拠に主眼を置き読んだ。【歴史】というものは埋もれていくものであり、その時代に生きているものたちは必要に応じてこれを掘り起こし、その日の新たな【糧】とする。勝者は常に戦後処理で自分に都合のよい事実を構築し、敗者を貶める。豊臣秀吉の明智光秀に対する戦後処理は、今は多くの小説で光秀への同情も現れてきているが、典型的な例だと私は思っている。韓国は早速反発抗議し、中国は迅速な防衛大臣の対応(解任)で特に大きく反発はしていないという。論文では中国・朝鮮での当時の政策にも触れている。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。私を含めて日本人として誇りを持ちたいと願っている者にとっては、心地よい論文ではあるが多くの商業ジャーナリズムは批判的である。朝日は「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」「我が国は極めて穏当な植民地統治をした」「日本はルーズベルト(米大統領)の仕掛けた罠(わな)にはまり、真珠湾攻撃を決行した」「我が国が侵略国家だったというのはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」――。 一部の右派言論人らが好んで使う、実証的データの乏しい歴史解釈や身勝手な主張がこれでもかと並ぶ。朝日の社説には同意できない。いつもながら自らの新たな勉強・研究に背を向け独善で片付けている。田母神氏の論文の根拠は、「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」 「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」 「朝鮮総督府統計年鑑」 「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」 「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。以上が、論文中でも記されているが、【右派言論人らの身勝手な主張】というのは、朝日の不遜であろう。ま、朝日も身勝手な主張を繰り返すので【商業ジャーナリズム】のひとつとして流し読みしておこう。先の【ヴェノナファイル】とは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録(暗号)をまとめたもので、37年もかかって解読し(1980年のレーガン政権時にようやく解読完了)1995年に一般公開されている。私はこの【ヴェノナファイル】は田母神氏の先輩である佐藤守氏が、メルマガ【甦れ美しい日本】に【大東亜戦争の真実を求めて】のタイトルで連載し、紹介していたので知った。両氏とも自衛官であり歴史家ではない。しかしその主張はさらに検証する価値はあると思う。朝鮮半島になめられ、中国に毀損され、ロシアに北方領土を侵略され・・・米国は犯罪国家をテロ支援国家指定から外し・・・小切手外交から脱却して、毅然と誇りを持った意思決定を・・との焦燥感を読み取ったが、【身勝手な】中国・南北朝鮮の歴史観に付和雷同するばかりのチャラチャラした左派は歴史を掘り起こして自己を見直すということができるのだろうか。(チャラチャラ:女性がことさらに気取るさま。また、服装が安っぽく派手なさま。)政治はその時その時を生き延びる手段ではあるが、過去を振り返り新たな事実を見つけ、将来を方向付けるのも政治だと思う。田母神論文:http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
2008.11.03
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2日ほどメルマガやらブログを開かなかったら、適切さを欠く表現だが【ゴミ屋敷】のように溜まってしまった。私は【本】でも斜め読み能力が著しく欠けているが、この際ざっと目を通して関心のあるキーワードを見つけたものをチェックしておき、あらためて精読することにした。その一つが、サンケイの福島香織氏のブログ。http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/773489/北京から異動してブログタイトルが【北京・官邸趣聞博客】に変わった。10/30付けは コメント蘭がいっぱいなので、ここでまとめてお返事。■コメントの中で、私を女の敵とおっしゃった方へ。■バカな質問をする記者を擁護したことが腹立たしい、メディアのかばい合いだ、という方へ。■ちなみに、福島がナイーブな質問、というのですぐ連想するのは、やっぱり江沢民・前国家主席に青筋をたてさせた香港記者の質問だろう。■マスコミをマスゴミと呼ばれる方へ。■産経が劣化している、という方へ。■新聞社入社がコネばかりだと信じこんでいらっしゃる方へ。■新聞記者がブンヤに甘んじていてはいけない、と思われる方へ。■最後に、麻生首相、麻生内閣について。ま、普段の生活でも女性の方が【もの言い】は、はっきりしていて小気味よく感じることの方が多い。私が【政治ブログ・ランキング】で読むブログは、その情報源は圧倒的に【商業ジャーナリズム】からのネタである。私はブログネタにはしなかったが、中川大臣が会見時に国旗をおいていたことに異論を唱えた北海道新聞や、麻生首相にホテルでの飲食が多いんでないかい?とケチをつけたスットコドッコイ記者。記者の感覚がおかしいんでないかい?と(独善的に)批判できるのも自由社会とネットのおかげ。さて、活字離れ(ホント?)とか出版不況といわれるが、ネット社会で構造が変化しつつあるのはいずこも同じ。(私は紙面をPCで読めるため、サンケイNETVIEWにしているし、購読料も紙よりはるかに安い。)また、農業でさえ米・野菜を作っていさえすれば、という時代ではなくなって来ていると思う。ここのところ、【みのもんたの朝ズバ】や【報道ステーション】はあまり見なくなり、もっぱらNHKニュースやワールド・ビジネス・サテライトになってきている。(あとは、メルマガ、NBonlineなどで情報補間)【偏向】が少ないと感じるからで、さらに関心を呼んだニュースは民放や各紙ではどのように言っているかをチェックすることも多々ある。新聞記者も書く記事によって厳しい批判にさらされるが(ネットで)、ゆめゆめ的外れな誹謗・中傷ブログにより、記者が肉体的・精神的な傷害に遭わないよう気をつけて読んだり、書いたりしておきたい。このことを気づかせてくれたブログ記事だった。以下抜粋■まず、批判を承知で私のスタンス、気持ちを正直にいおう。自分の所属新聞社の論調にそった質問をしただけで、ネット上で実名をさらされ、写真も添付され、匿名の大勢から罵倒され人格に対する誹謗中傷を行われたのをみて、かばいたくなったというのが正直なところ。■世界中、あらゆる国で権力者は、記者から意地悪な質問を受ける。コメント欄で書き込んでいる方もいたが、実際、その意地悪な質問をいかにスマートにかわすか、あざやかに切り返すか、多くの民主国家では権力者は研修をうけたり、訓練するそうだ。それが、大きな権力を持ち責任をになうリーダーの資質の一つとみなされている。これは大企業、多国籍企業のトップもおなじことで、私の知り合いのリスクマネージメント会社社長は、北京の外資系企業トップに対して、記者会見の記者のあしらい方の研修を行っていた。■事実がどうかは別にして、建前として記者は権力に対等に向き合うことができる。だから第3の権力と呼ぶ。たしかに、日本のように若い未熟な記者が最高権力者に直接質問する国は少ないかもしれないが、ベテラン記者だって、ナイーブ(幼稚)な質問をする。彼らの目的は権力者を怒らせることで、その本音を引き出すために、わざとナイーブな揚げ足をとるような質問をするのだ。問題の本質とは違う、そういう質問をする、それは新聞記者として正しい姿か?と問われれば、異論はあろう。
2008.10.30
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読み物との出会いは、まさに一期一会。本屋をぶらつき、興味を引いた本を衝動買い。電車の中吊り広告で関心を引く記事を見ての雑誌購入。ブックレビューで紹介された本は、購読することは少ない。メールマガジンはあまりにも数が多く、【NBonline】位だったが、ここに連載されていた、【宋 文州】さんのコラムが気に入り終了と共に彼のメルマガを申し込んだ。同じ中国人のコラムでは、昔、週刊ダイヤモンドに連載していた、邱永漢氏を読むのが楽しみだった。さらにそれ以前は名前を忘れてしまったがフランス人のコラムもおもしろかった。あっというまに歳を取り、人が書いた短文は気軽にしかも無料かつ自宅で読めるようになった。ひょんなところから、佐藤 守氏の【軍事評論家=佐藤守のブログ日記】を閲覧するようになり、http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/そこに、【平河総合戦略研究所】の存在を知り送付を申し込んだ。無料サイトの宿命で申し込んだ記憶のないメールも届き、碌にチェックもせず【削除】していたが、気まぐれに開いてみたら、「お、便利そう!」というメルマガ一覧が紹介されており、ついつい纏めて申し込んだ。【伊勢雅臣】氏 ■■ Japan On the Globe(557)■ 国際派日本人養成講座 ■■【「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」】【e-hokiマガジン[官公庁新着情報]】【宮崎正弘の国際ニュース・早読み】【時事用語のABC】【忙しいあなたの代わりに新聞読みます】【世界の新聞「101紙」の視点】【『大前研一ニュースの視点』メルマガ事務局】つまみ食いになりがちだが、サンケイの記者ブログのように執筆者の【癖・立ち位置】がわかるので、新聞記事より身近に感じて読みやすい。
2008.08.23
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この5月頃から読み書きに倦んでいた。飽きっぽい性癖は治らない。久しぶりにブログ「つれづれなるモナカ」を開いたら、チャリ男(ポメラニアン)の写真が出てこない。このブログは私がブログを始める以前から気に入っていたものである。ひょっとしたらという悪い予感はいつも当たる。5月14日にチャリ男ことチャーリー君は齢11年で亡くなっていた。ブログ上では悪役にされていたが・・・ ブログ 「つれづれなるモナカ」 5/14から無断借用 ごめんなさい。 → http://clubmonaka.blog9.fc2.com/当然ブログでしか知らないが、寂しい思いがつのる。チャーリーは作者きなこ氏のご両親が可愛がっていた愛犬だが、作者の父君の他界により日本からきなこ氏が在住するニュージーランドへ。ニュージーランドではすでにゴールデン・レトリバーのモナカ君がいる。その2頭とのニュージーランド生活を綴ったブログだが、面白おかしく興味を引き、いまではアイリスのホームページ「犬といっしょ」に「ニュージーランド犬通信」(→ http://www.iris-pet.com/wan/)も連載している。「去れば日々に疎し」というが、不思議なことにブログや小説などで日々ふれあっていると、登場人物・作者・ペットさえ他人とは思えなくなってくる。24時間一緒にいるジュンとも、あと10年くらいで別れが訪れるだろう。どんなに未来を予測して今を大切にしても、後悔は必ずついてまわると思う。せいぜいジュンと楽しんで、無為な時間をなくしていこう。
2008.07.27
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日本では「口がうまい人」というと、なにか胡散臭い人という意味合いをもたれる。特に「営業」ではそうである。実は私は30年近く営業職に係わったのだが、口下手であった。「議論」は口でするものだが、妙を得た言葉が次々に出てくる方々がうらやましい。しかし、日本人はどちらかと言うと口下手な人が多いのではないかいなと思う。それでも、得意分野に関しては負けることは少ないだろう。少ない言葉で、本質をずばりと言い抜く能力は持ち合わせていると思う。さて、文章表現力はなかなか伸びず、ブログも滞りがちである。他人の書いたものに目を通す日々が多いが、流されがちで身につかない。ただ、マスコミ報道の限界が見えてきたことがこの1年の収穫か。表現の自由のない隣国で、悪戦苦闘している福島記者の苦労が以下のブログで読み取れた。 北京趣聞博客 蟄居解禁 http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/533947/また、しばらく投稿されていなかった五十嵐らん氏のブログには、Sharpens you upフリスクを口に入れたような、すがすがしさを覚えた。 中華的生活 「言論の自由の侵害」ってのは、なんなのよ?(また長文失礼) http://plaza.rakuten.co.jp/chinalifecost/diary/200804070000/ 思い込みたいんだろうけどさ(靖国・補足) http://plaza.rakuten.co.jp/chinalifecost/diary/200804130000/社会・政治に関する思いも、付和雷同するのではなく自分の考えで、つたなくても記していこう。ジュンはフリスクではなくグリニーズが好き
2008.04.14
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絵も文章も日々書いていなければ、だんだん表現能力は劣ってくる。体力は言うに及ばない。読解力も同じである。これらを義務のようにこなしていると、次第に味気がなくなってくる。食事も同じである。できるかぎり、おいしくいただきたい。好きなものを読みたい。おもしろかった事を残したい。日々数百件も届くスパムメールの中から、NBonlineや平河総合戦略研究所、ソフトブレーンからのメルマガを抜き取り、目を通す。「バカの壁」で有名になった養老孟司さんはあまり好きではないが(虫が好かないとはよく言ったものだ)、NBonlineのコラム「養老孟司先生のタケシくん虫日記-言葉とモノの関係を、ムシの専門用語から考えてみる」 がなぜか気になり、読んでしまう。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080215/147282/?P=1・・・・・なぜこういうふうに、言葉にするのか。言葉にしようとすると、よく見ざるを得ないのである。言葉にしなければ、だいたいこんなものだ、で済む。言葉にしようとすると、それでは間に合わない。詳細に見ないといけない。同時に、共通部分にはきちんと名前を付けておかないとならない。・・・・いま目のまえにある虫を観察する。それを「きちんと」やる最良の方法は、絵を描くことである。絵にするためには、ていねいに見なくてはならない。とくに見えている各部分のプロポーションなどは、絵でも描かなければ、仔細に吟味することはない。それを言葉にする、つまり記述しようとしても、似たことになる。触角の三番目の節が妙に長い。小説ならそう書いても済むかもしれないが、科学的なつまり客観的記述ではそうはいかない。二番目の節の二倍半ある。そんな書き方をする。そのためには、結局長さを計らなくてはならない。・・・・・・・ それぞれの業界には、それぞれの記述の仕方がある。殺人事件が起きて、警察が調書を作るときには、司法の言葉が使われる。自分のやったことを、司法の言葉で書かれると、俺のことじゃないと、ふつうの人は思うはずである。それを新聞や雑誌は、ジャーナリズムの言葉で書く。新聞で自分のことを記事にされた人は、やっぱり俺のことじゃない、と思うはずである。だから「記事が正確ではない」と怒る人が多い。しかしそればしばしば正確さの問題ではない。表現の問題なのである。ものの読み書き、食事・料理も急くとなにも残らない。じっくりと詳細を味わいながら、頂く様にしていこう。それにしても、毒ギョウザと中国の農薬、オバマとクリントン、清徳丸とあたご、東アジアサッカーの不信審判、・・・・モノ(事)が多すぎ言葉が見つけられない。
2008.02.22
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営業職を25年以上していたためか、「商売、商人」という言葉に敏感だった。甲州商人、近江商人は彼らが通ったあとにはペンペン草も生えないなどと云われ、どうも「商人」という言葉は士農工商の影響か、受けが悪い。「営業職」もピンきりで、畏れられる営業もあれば、忌み嫌われる営業もある。社会人一年生で「営業」の勉強をしたときは、教えてもらえる人など無く、また、直截的な教本など勿論無い。ただ、ある本で「営業とは情報の伝達人である」という表現に感じ入った記憶があるのみである。さて、日本では甲州・近江の商人が有名だが、国別ではやはり中国・インドが有名だったが、この歳になって新説を見ることになった。日本マクドナルド創業者の故・藤田田氏は、こう言い残している。 「商売が巧いとされる華僑3人が束になっても、1人のインド人には勝てるかどうか。そのインド人が3人束になっても、1人のアラブ人と同じぐらい。そのアラブ人が3人束になっても、1人のユダヤ人には敵わない。しかし、そのユダヤ人が3人束になってかかっても、1人のアルメニア人には敵わない」 ・・・アルメニア:商人と美人の狭間で 日経NBonlineからアルメニア・・・?よく知らない国である。ただ米下院でオスマン・トルコによるアルメニア人大虐殺の非難決議がなされようとしたとき、トルコの猛反発で議決が見送られたという報道で知っているぐらいである。NBonlineの記事ではアルメニア人の「商売・商法」はまったく窺い知れないが、国のおかれた立場からすると「朝鮮」に似通っているような気がする。著者のスティーブ・モリヤマ氏はこの記事で 『薔薇の名前』で有名なイタリアの哲学者ウンベルト・エーコは、「人間は、記憶の消去ではなく、上書きによって、忘却する。非存在を生むのではなく、存在を多重化することによって、忘却するのである」と喝破しているが、本当のところ、この問題は複雑すぎて筆者にはよく分からない。民主党、共和党、トルコ政府、アルメニア系ロビー、ユダヤ系ロビー、「古い欧州」の国々、アラブ社会など、様々な利害関係者の思惑が複雑に絡み合っていて、歴史認定は一筋縄ではいかない。 ただ1つ感じるのは、歴史というものは政治的思惑が決めるべきものなのだろうか、という素朴な疑問である。と記している。 ちょうど、NHKのハイビジョン特集「ハプスブルク帝国」を見ていて、国家の複雑さを感じていた。 「商人」からは外れてしまったが、今後のため記しておきたい。<今日>今日届いた宋 文洲さんのメルマガには、痛いことが書いてあった。テレビや新聞からの受け売りの国家天下論を好む人が多いのです。そんなママゴトをする前に個人のことを真剣に考えてほしいものです。日本が困っているのは正に日本という国家に依存する個人が多すぎるところです。・・・・・・・・・・・中略日本に依存しない日本人こそ日本に貢献できるのです。私は高邁なことを言わずに静かな信念を持ち、小さな行動を続ける人々を尊敬しています。国民に依存する「政府・役人」もいると思うが、私は受け売りでない「国家天下論」を考えたい。と思っているが、勉強不足で歯がゆい思いの毎日。私の小さな行動は「平潟湾沿いプロムナードの土・雑草除去」。もうじき完了と思いきや、ジュンと野島方面に行ったらまだまだ・・・注意してみれば整理すべきところは延々とある。野島では追浜の方から来たという老婦人が、愛犬の散歩がてら海に入ってアサリを獲っていた。「恥ずかしい」などと言っていたが、そんなことありませぬ。忘れていたが、明日はプレジャーボートで「カワハギ釣り」のリベンジだった。私もアサリを獲りに行くべきだった。これ以上腰を痛めたくないので、野島入り口近くの「あさりや」さんに剥き身をお願いしに立ち寄る。3時頃までに作っておくとのこと。2時過ぎに出かけたら、途上小学生の女の子からジュンの名前を尋ねられた。率直に尋ねてくる子は可愛い。幾度か経験しているが、何故か聞いてくるのは100%女の子である。日本男子は遠慮がちに黙ってジュンを触りに来る。卑弥呼の時代に帰るんだろうか。大丈夫か日本!。
2007.11.22
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電車に乗る機会が極端に少なくなった。14日はアルバイトで厚木へ。車内の中吊り広告に目がいく。普段、中吊り広告を見ていないと浮世離れしてしまったような気分になる。たまに乗ると、さながら美術館めぐりのように、車内の広告を見ながら移動してしまう。広告は「生活文化」だと思う。さて、文藝春秋はこの数年読まなかったが、「教養立国ニッポン」と題した藤原正彦さん(「国家の品格」で一躍有名に)が投稿している。また、「犬と私たちの10の約束」で著名人10人が愛犬との記事を寄せている。雑誌は「幕の内弁当」みたいなところがあって、これを食べながら厚木に向かうことにした。横浜駅のホーム売店で探し、相鉄で海老名までの途上「・・10の約束」は丁度読み終えた。犬と毎晩寝ている私は「ひょっとしてヘンタイ?」と思っていたが、兄嫁やら寺島しのぶさんも同じことをしているのを知り、ちょっと安心。帰途は藤原氏の「教養立国ニッポン」に目を通すが、これは本腰を入れて読み直したい。同じことを感じ、憂いている人は多いのではと教養のない私は思う。
2007.11.15
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毎日、多くの方たちのブログを読ませていただいている。個人的な日常生活を著したもの、面白おかしい話を創造したものや集めたもの、全く多岐にわたり選ぶのに困るし、読みきれない。関心が高いのはやはり「社会・政治」になるが、ほとんどのブログの起点はマスコミ情報になる。新聞・出版業界はネット時代で危機感を強めているというが、第一次情報源としての地位は将来も変わらず重要だろう。執筆した記者にしてみれば、紙面の制約上掲載し切れなかった内容を自らのブログで補填もできるし、調べた根拠の出典をも掲載し信頼性・誤解を避け、さらに読者からの貴重なコメントも得られる。さて、10日は沖縄集団自決訴訟の裁判報道を受けブログが賑わった。多くは新聞記事の切り貼りが多いが、良くまとめられていたのがぼやきくっくりFC2版 沖縄戦集団自決問題まとめ(1)一方、訴えられている大江氏を擁護するブログも見つけた。文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』「誰も読んでいない沖縄ノートの記述」両者とも2回にわたり掲載している。大江氏の「沖縄ノート」記述の問題部分は、沖縄タイムスの「鉄の暴風」から影響を受け、氏が現地取材もしないまま著したことを曽野綾子氏が著作で指摘している。「沖縄ノート」が歴史教科書に大きな影響を与えてきたことは間違いないであろう。そして現在も「検定撤回」でかまびすしい。大江氏は裁判で『官軍民共生共死』という言葉を出されたそうだが、多くの日本人は当時の「日本軍の文化」を仕方なく受け止めざるを得ないだろう。大江氏「隊長が命令と書いていない。日本軍の命令だ」裁判の要点は「自決を命令せず、沖縄ノートで名誉を傷つけられた梅澤隊長、赤松隊長の弟」の審議だと思う。沖縄ノートが著されてから37年。大江氏にはその主張を軍へとずらすのは別として、詭弁を弄せず、存命の元隊長の主張、遺族年金を受け取るために致し方なく虚偽申請したという事実を受け止め「孫引き」の功罪を正面から弁明していただきたい。
2007.11.12
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産経の「やばいぞ日本」は終了したかと思っていたら、第4部が始まった。【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(1)一片のパン「幼いマリコに」今までは、日本と日本人のなごむ話・いい話・感動した話・泣ける話(2ちゃんねるをメインに、日本と日本人についての和む話・いい話・感動した話・おもしろい話・泣ける話などを集めています。・・ ブログタイトル説明から)を探っていたが、最近はあまり秀作が見受けられない。ぼやきくっくりFC2版 の外国人から見た日本と日本人(1)にも読んで心地よい話が2回にわたり紹介されていた。20代の頃に読んだ「東京大空襲 早乙女 勝元 (著)」では、空襲で逃げ惑う中、出産が迫った妊婦に道を空ける当時の人々が著されていて、当時の道徳・マナーに感動・感激したものだった。その後、阪神大震災でのボランティアを見て以降、まだまだ捨てたもんじゃない日本人!と思った。地震・台風で年がら年中予期せぬ不幸に見舞われる日本の人を思う「生活律」と思う。人は災難に遭ったとき、本領が出る。記者たちが心配するほど、日本人の「心の底」は荒れていないと思っている。
2007.11.06
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インフォメーションとは、定見なく、かき集められてきた生情報やデータであり、一方のインテリジェンスはそれらに分析や加工を加えた情報のことである。例えば、敵の暗号通信を傍受し、解読に成功したとしても、それは所詮、ただの文字列や数列であり、インフォメーションに過ぎない。既存の人的情報や文書などと照らし合わせることで初めてインテリジェンスとなる。 荻野 進介 氏http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070904/133984/?P=1 日経 超ビジネス書レビュー からマスコミ情報は「インテリジェンス」であるべきだと思うが、その質が問題。むしろ、たまにブログで秀逸でインテリジェンスに満ちた知見に出会う。陸軍のある軍人が書いた次の文章が現在も光る。「情報収集の目的は、『事象の実体を客観的に究明する』にある。ところが日本人は主観を好む。主観は『夢』であり『我』である。これは己個人に関する限り自由であるが、我観及び主観を国家の問題に及ぼすにおいては、危険これより甚だしきはあるまい」 ・・・・ 同じく 荻野 進介 氏から私も「社会・政治」に関しては、できるだけ「主観」を避けようと様々な情報・文献から情報を得るが、どうしても主観に陥りやすい。「テロ特措新法」に反対する民主党小沢代表のインテリジェンスは「客観的」なのだろうか?単に政権奪取の「夢」を描いていると思うのは、私の主観か。
2007.11.01
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広辞苑が10年ぶりに改定されたとのニュースがあった。「辞書を引く」などという行為は、最近した記憶がない。もっぱら、WEBによる「辞書」に頼っている。岩波書店の編集者は「紙による辞書のメリット」をあげていたが、WEBによる辞書・Wikipediaでは、関連した用語がリンクされ、読み通して得られる知識ということでは、やはり「紙」に優ると思う。さらに、シャボン玉のように消えていく「新語」は、紙の辞書では見つからない。さて、最近「KY」なる略語に良く触れるのでWikipedeiaで調べてみると、KY-「空気読めない」または「空気読め」の略。2006年秋頃から東京地方から流行し始めた言葉(ギャル語)。「空気を読む」能力では、犬は天才だと思う。さらに、私自身もが気がつかない行動パターンを把握し、先読みして行動する。日本人は以心伝心-良かれ悪しかれ「空気を読む」傾向が高いと思う。「場の空気が悪い」と、行動・発言を抑制してしまう。しかし、文化・習慣の異なる人との付き合いの中で、こちらの一方的な解釈で「空気を読んだつもり」に陥ってしまうのは、誤解を生じる。特に外交・ビジネスでは、空気を読みながらも問題点を正確に浮き彫りにして、後々のために明文化しておくことが重要になる。河野洋平氏の朝鮮慰安婦問題での「河野談話」や、中国での遺棄化学兵器処理への対応など、「空気を読んだ」最悪の行為であろう。人は「ポチ」に安住していては食えない。K(空気)Y(読めない)でいい ブログ「外交と安全保障をクロフネが考えてみた。」から
2007.10.24
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http://sankei.jp.msn.com/world/korea/071009/kor0710091654001-n1.htm呉善花さん 母の葬儀で“帰国”拒否される理由は日本での「反韓国的な活動」で韓国当局から入国禁止措置が出ているためという。彼女の著作は多く読ませていただいたが、日本に帰化していることは知らなかった。反日的な韓国人・在日を日本当局は?・・・ 日本はどこよりも自由な国か。http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071009it06.htm?from=top親族ウソで「死なせ」忌引不正取得、京都市が53人処分京都市は9日、環境局や区役所、小学校などの職員43人が「親せきが亡くなった」とうそをつくなどして有給の服喪休暇(忌引)を不正取得していたとして・・・まったくー。「釣りバカ日誌」では、浜ちゃんも親戚全てを死なせていたが・・・本当にやってしまうとは。呆れる、バカか。他の自治体職員は?・・・同じ不正をして「京都観光」に行ってたりして。http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071008it12.htm金総書記「日本人拉致被害者はもういない」…南北会談で犯罪者は嘘をつくものである。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071009i105.htm小沢氏団体がマンション賃貸収入、6年間で1700万円以前にも報道されていたのに、揺れる新聞社の報道。ネタ切れか。与野党を批判してマスコミの面目躍如http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071008id24.htm北方領土問題、露に封印論も…官民フォーラムhttp://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20071009i302.htm露の富豪・経済人、来月上旬に来日…日本の技術に関心かロシアとの付き合いは難しい。ウォッカ漬けにして「返還協定」にサインをさせる?http://sankei.jp.msn.com/world/america/071009/amr0710091737004-n1.htmアルメニア人虐殺非難決議案 米下院外交委で採択へ【ワシントン=古森義久】90年以上前のアルメニア人虐殺に関して当時のオスマン帝国を非難する決議案が米国下院外交委員会で10日に審議されることとなった。オスマン帝国を継承した現在のトルコ政府は、同決議案が事実の一方的解釈であり、その採択はトルコと米国との関係を深く傷つけるとして激しく反対しており、日本糾弾の慰安婦決議案とも類似する局面が注視される。米下院外交委はなにをするところ? 自国がしてきた非道を見詰めなさい。原爆投下、ベトナム戦争、古くはインディアンの虐殺・黒人奴隷の酷使・・・もっとあるでしょ。
2007.10.09
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いつも読んでいる産経WEBがマイクロソフトと提携し、リニューアルした。 日本では朝日、読売、毎日と3大紙を相手にし、どちらかといえば「保守系」だが、アサヒる朝日に嫌気が差してきた私にしてみれば、ニュースと共にIZA欄をリンクし記者ブログ・ユーザブログのコーナーまで設け、新たな「マスコミ姿勢」を示しているところを評価している。紙面の情報量に比べれば、サイト情報はやはり限られるが「産経NetView」が安価で紙面そのままが閲覧できるし、初老の人間にしてみれば文字の大きさが好みに設定できるので便利でこれに目を通す毎日である。「紙」を資源回収に出すめんどうさもない。「新聞屋」にしてみれば、インターネットの隆盛は存亡の危機を感じるのだろうが、3大紙に比して読者数・販売店数の少なさが「サンケイの冒険」を促したのだろう。出版界も不況だというが、多くのブロガがそのコンテンツの出版にこぎつけているということは、まんざらでもない証ではないのだろうか。昔から芥川賞やら**賞を狙って「小説家」になりたいと、密かに思っている人は私の回りにもそこそこいた。ま、賞を狙っているブロガはいないと思うが。次はテレビだがデジタル放送が始まる大分前に「テレビ東京」の方の講演を拝聴したときがあった。インターネットで動画配信なぞまだまだズーッと先の話と考えていた頃である。民放ゆえハイビジョンにしたところで、スポンサーから広告料を上げさせてもらえるわけでもなく、その双方向性を利用してスポンサーサイトに引き込んでいけるよう、今で言うところの「アフィリエイト」で増益をはかれないか試行錯誤しているとおっしゃっていたことが記憶に残っている。デジタルテレビの普及率がどの程度か調べていないが、コマーシャルではURLを宣伝するスポンサーが多いので、まだまだこれからか?「楽天」や「ライブドア」がTBSやフジに攻勢をかけた時は、「新たな時代!?」が来るかと期待したが残念ながら停滞模様。「メディア」で大切なのはコンテンツの「質」と「信憑性」メディア側にとって大切なのは「賢明な読者」リニューアルした産経WEBの初日で目に付いた記事は「お気に入り」に登録している福島香織氏のブログhttp://sankei.jp.msn.com/economy/it/070930/its0709301438002-n1.htm【記者ブログ】中国インターネットのあした 「・・・中国共産党はネットを思想・言論統制に風穴をあける、と脅威を感じて、きりきり締め付けて、敵視しているのかと思えば、なんとネットを積極利用すれば、共産党はもっと効果的に思想宣伝、言論統制、世論掌握ができるといいだした。・・・」別に中国でなくとも「権力を持つマスコミ報道」には、それなりにこちらも勉強が必要。<今日>夜中に地震があった。1日から始まる「緊急地震速報」は開始直前で作動しなかった。いずれにせよ、大地震でなくて良かった。今日はアルバイトで厚木へ。雨で中断した草刈りは明日から再開。何日かかることやら・・・
2007.10.01
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28年勤めた会社はジョイントベンチャーで、製品マニュアルは英文だった。さる大学の教授から「和文の取り説はないの」と訊ねられ、「教授なら英語はお手の物では?」と、ずるい逃げの手を打っていたが、注意事項・操作・原理・校正法・回路図・部品リスト等からなる分厚いマニュアルの「操作」部分は、仕事の片手間ながら仲間内の誰よりも数多く翻訳した。キレイに作りたい願望が強く、ワープロが10万を切った時は「コネ」でさらに安く入手し、 S/Nがなんと1番だった。(後に買い替え、この「ルポ」は親しい後輩に譲った)今思えば、国内同業でこんなに充実したマニュアルを添付していた企業はない。米国の底力を思い知らされる。さて、今日「体の取扱説明書」が届いた。歳をとったので「オーバーホール」には手遅れかもしれないが、できるだけ医者の世話にはなりたくないのでマニュアルを取り寄せた次第。まだ読んでない。健康のことはあまり留意してこなかったし、検診で引っ掛かるのは季節病みたいな「胃潰瘍」ぐらいだったので、成人病とか今ならメタボなんぞ・・「何それ?」という感覚だった。この前までは、「体」のことより「ニッポン人」のことのほうに関心が強かった。 なにをするにも、「体が資本」の意味があらためて身に滲みる。別に体調不良でもないが、人並みに過ごしたい。ブログを書かれている方たちは皆さん出版に意欲的なようで、私では何の力添えもできませんが、「お気に入り」に登録している方々の本をここに紹介して一助とさせていただきます。 婆とボクの日々 あきてもさん http://plaza.rakuten.co.jp/chuuko1234/newひめようこのワーキングロード ひめようこさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/himetyann/一歩さん http://plaza.rakuten.co.jp/sirasu3/禿げ1723さん http://plaza.rakuten.co.jp/noritake17/も出版されていますが、またいつの日か。私自身は出版には関心がございません。今日も草取り・・・ ハー(ジュンのため息)
2007.09.25
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私は男である。しかも、男尊女卑の傾向が(少し)ある。しかし、「書き物」については男性より女性作者のものを読むことの方が多いような気がする。女性ながらすごいと思うので、余計記憶に残るからなのかも知れない。ブロガも女性の方が多いような気がするが、本当のところはわからない。ここのところよく目を通す女性ブロガは、・国を憂い、われとわが身を甘やかすの記: 阿比留瑠比さん・北京趣聞博客: 福島香織さん・つれづれなるモナカ: きなこさん・ぼやきくっくり: くっくりさん・中華的生活「多少銭?」:五十嵐らんさん読んでいて、その内容がカラッとしていたり、背中を向けて舌を出しているような、男では表せない表現をところどころに見つける。「本」は以前は佐藤愛子さんの著作をよく読んだが、一昨年前からは米原万里さんの本に没入していた。が、残念ながら昨年急逝された。ニュースで知ったときは三島由紀夫の割腹自殺のとき受けたショックが再現。その死と共に、もう氏の著作は読めない・・・という残念な思いが。ところが、まだ読んでいない本がその後出版されていることを最近知った。 最後に読んだ本は「パンツの面目ふんどしの沽券」タイトルは面白いが、内容は彼女が少女時代から疑問を持ち続けていた下着-パンツの歴史のまじめな研究書。ブログから出版した「人を食う中国人、割を食う日本人」 という本の五十嵐らんさんもタイトルでの商才があると思う。なにか皆さん「共通点」があるなと、あらためて気がついたら「女性」でした。そういえば、紫式部も清少納言も。戦地に赴く弟を思い「君死にたもうなかれ」を発表した与謝野晶子も。古代からすでに「強い女性の時代」だったような気がする。
2007.09.06
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光市母子殺害事件の弁護側精神鑑定人、野田正彰氏と評論家の宮崎哲弥氏の「バトル」が産経新聞に掲載されている。【コラム・断 野田正彰】宮崎哲弥氏に反論する 8/4【コラム・断 宮崎哲弥】続・精神鑑定医への疑問 8/15【コラム断 野田正彰】再び宮崎氏に 8/16「バトル」という表現は両氏ならびに産経新聞に対して失礼かもしれないが語彙力のなさで他に適切な表現が思い浮かばない。8/4の野田正彰氏のコラムでは最後に「無知は力なのか。」とあり、8/15の宮崎哲弥氏は「無節操は力なのか?」と「捨て台詞」のようにしめくくっているため「バトル」が最適表現とした。私自身は議論や言論バトルは下手・苦手なほうだが、過去の経験を思い浮かべると満足感の得られた議論は充分な知識を持って、感情的にならず淡々と思うことを述べさせていただいたときのみである。そのときの心境は自分を突き放したような、且つ話している内容に最後まで責任が持てるという自信があったときである。そんなときは相手の反論も充分に耳に入ってくる。感情的というか激昂してものをしゃべると、たとえ相手を言い負かしても後で釈然としない自省心に襲われる。「Take it easy !」とは米映画によく出てくるせりふだが、軽くて重い意味がある。さて野田氏の1回目の反論コラムには「犯行時の精神状態に到(いた)るためには、当然、本人の生活史を調べ、性格分析も行う。にもかかわらず、どこから盗み見たのか、「被害者に義母を見て、その先に母親を見ている」といった断片を引用し、「『精神病か否かの診断』に当たるのだろうか」と非難している。精神医学も司法精神医学も知らず、検事でも弁護人でも裁判官でもないので本件についてもよく知らず、凶悪犯罪事件を食い物にしているにすぎない。母の自殺、幼児期からの虐待の意味など、まったく理解できずにいる。これらの煽(あお)りによって、辞職させろという攻撃が多数大学にあった。無知は力なのか。」とある。この「コラム」は野田氏が多くの人たちから攻撃を受け、「感情的」に書きなぐったのではないかという思いがする。1.「断片を引用し」は確かに可能な限り慎まなければならない。 これはマスコミがよく引き起こす。読者・視聴者すなわち私は「断片の報道」で 事態を判断してしまう。2.「精神医学も司法精神医学も知らず、・・・」からは野田氏は「専門バカ」に陥り、 公器としての新聞で訴えるのなら「素人」を見下したような表現ではなく、 説得力を持った表現を苦しんで考えるべきである。このコラムを読む前に光市母子殺害事件の安田弁護士が本村氏を「法律も知らないくせに・・」といったという一文を何かで読んでいた。もしこの一文が事実であるならば、お二人は「未熟なプロ」としか言いようがない。私事でいえば私のような者でも「電子測定器」のプロとして、これを必要とはしないが関心をもっている方々にも理解しやすいよう説明の仕方・表現に苦しみ、マーケットを広げたい・売上を伸ばしたいスケベ心でアプリケーションノートを作り・訳してきた。「こんなことも知らないのか」という、現場ではありがちな罵声も40歳を過ぎた頃から反抗心を煽るばかりで互いにマイナスになることに気づき、心底から改めた。さて、野田氏の勤める大学へは「辞職させろという攻撃」が多々あったそうだが、おそらく卑怯な匿名が圧倒的であろう。「法治国家」でこんな的外れなことを訴え・攻撃する、理性を失った「人治社会」は改めなければならない。(人治社会が悪いとはいわないが)「プロフェッショナル、プロフェッサー」とは常に冷静に物事を判断し、的確で分かりやすい表現で無知の私に教えてくださる方々だと思っている。そんなプロの言論に数多く接したいものだ。
2007.08.17
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私にとっては長年の願いだったネット新聞がようやく実現した。 「いままで新聞も読んでいなかったの」と言われそうであるが、WEBで各紙の主要記事に接していただけである。このNetViewは月額¥420。内容は紙と同じ。最も永く勤めていた会社を退職し、このマンションに引っ越してからネット接続は管理費に含まれているため、節約策として新聞購読は止め情報源はWEBとTVぐらいになってしまった。とはいっても、日経のメルマガやらBSデジタルによるチャンネル増加で接する「情報」は以前には比べ物にならないほど増大している。WEBで記事を読んでいくと、検索の容易さ・リンクから泥沼に陥る事もしばしばである。しかもこのところ「動画」にリンクしていくページも多く「情報選択」の姿勢をしっかりしていないと、軽薄な好奇心のみでは無為な時間つぶしで自分の「集中力」を失ってしまいそうになる。新聞の購読勧誘は忘れた頃にやってくるが、朝日新聞だけは以前「論調が合わないし、廃刊を望んでいるから」と嫌味をいったら二度とこなくなってしまった。末端の勧誘員と思っていたのだが、私には×印をつけたのだろうか。「紙」による新聞のうっとおしさは、なんといっても読み終わった後の溜まった「資源ごみ」。よくドラマなどで「あんた、出かけるついでにゴミをおろしといてね。」というシーンがよくあるが、今ではこの横着な主婦の気持ちがよくわかる。これだけネットが発達して、いまではNTTが「光」で家庭のTV視聴を目論んでいるというのに、新聞社はまだ「配達」なのか。もっとも急激な革新は販売店や配達員を路頭に迷わせることになるが。本来はまだ仕事をしなければならない私だが、「新しい職業、企業の形態はどうなっていくのだろうか」過去のしがらみ、思い入れが大きいと冒険ができない。産経新聞は朝日、読売、日経、毎日に次ぐ購読者層をもつ新聞だと思うが、ブログサイトIZA!などネットに対する姿勢が評価され、マイクロソフトのポータルのニュースサイトを毎日から奪ったそうである。(9月から)「判断・決断」の大切さは「終戦特集のTV番組」を見ていても思い知らされる。私は追い詰められる日まで「情報」の中を泳いでいそうである。<本日のメモ>昼頃まで寝てしまった。このところジュンは私がPCに向かうと寝室のベッドの下にもぐりこむようになり、「暑いのに・・・」と思っていたが意外と涼しいことを知った。状況適応力はひょっとしたら私より優れている?18:00近くなった今、出てきて「散歩」を要求する。行って来ます。
2007.08.12
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人目を気にするのは日本人の特性のようで、特に日本人以外からの評価に重きを置く。心地よいときもあれば、ううん?と思い知らされたり、誤解だ!と反駁したり。20代の頃は週刊ダイヤモンドに連載されていたフランス人(名前は失念してしまった)のコラムを読むことが楽しみだった。その後は、今も健在の邱永漢氏のコラムを読みあさった。多くの人が通ってきたであろう海外の方々による日本(人)の評価に関する読書三昧。そのうち読もうと思っている明治期のアーネストサトウの「一外交官の見た明治維新〈上、下〉」高校生のときに読んだ「菊と刀」そんな日本人の性向を汲み取って書かれた「ユダヤ人と日本人」1980年代からは経済(のみ)に自信を持ち始めた日本について、多くのガイジンが本を著した。この1年、メールで届く日経ビジネスオンラインで紹介されている【宋文洲の傍目八目】を読むのを楽しみにしていた。写真で拝見するのみで生の宋文洲氏を見たことはないが、桂文珍さんを髣髴とさせる面立ちで、それまでの自分の苦労を忘れ・隠し、他者を快くさせようとする笑顔がジュンとの散歩途上でよく見つける地蔵仏に見える。今月で終了するとのこと。残念だが今後は宋文洲氏のメルマガを期待する。宋文洲の傍目八目 あなたが気づかない、おかしくそしてすばらしい日本失うことの重要性「傍目八目」は今月でもって終了させていただきます。今後、本当に個人の宋の発信を必要と感じる方々にメルマガを送りたいと思います。どうぞ に「メルマガ希望」の一言を送ってください。毎月2回ほど送らせていただきます。もちろん無料です。
2007.06.25
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たぶん、WEBで書評か何かを見たのだろう。購入して積読だった本を開く。 愛犬より先に逝ってしまったみきちゃんを思うシロの話。ジュンと生活するようになってから増えに増えた犬にまつわる本。その中から、読み疲れしない一気に読み通せる本を選んで再読する。 言葉が通じない分、思いが切ない。言葉は通じるのに理解しがたいのが、ペットを放棄する人。 いつでも里親募集中それでも、予測できなかった自分の未来で、ペットを手放さななければならなくなった人の辛さ・悲しさのことも思う。このホームページを知っていたら、ジュンとは出会えなかっただろう。女々しくなる。 こんな日もある。
2007.05.30
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恥ずかしながらというか社会人失格というか、安倍内閣の公約だったという「イノベーション25の策定」はまったく知らなかった。たまたま昨日の読売の社説で知り、早速WEBで調べる。・・・・・・・・・・・・・・ 相当な量がある。 中間報告が85頁、その他会議での付帯資料が山ほどある。シンクタンクによる世界の「イノベーション政策」の比較検討の考察コラムもある。とりあえず、本命の「イノベーション25 中間報告」に目を通した。記述はフランクで素人にも読み易いし、「日本が墜ちていかないよう、方向を示したい」というさけびのようなものを受け止めた。私が関心がなかったのは「イノベーション」という言葉の陳腐さからだと思う。しかし、このイノベーションは『単なる「技術革新」という狭義の概念ではなく、広く社会のシステムや制度をも含めた「革新・刷新」である。』(高市大臣のWEBから)3.グローバル時代の日本の立場と課題:(中間報告から)日本は東アジアに位置する島国であり、急速に成長する巨大な人口を抱える中国、インド、さらに朝鮮半島、東南アジア等のアジア諸国と地政的、歴史的に関係が深い。一方で、過去100年以上にわたる米国、西欧との濃厚な関係と、この20世紀後半50年の経済成長成功モデルの価値観だけで21世紀の日本の舵取りをすることはできない。この数年の日本の経済回復にはアジアと米国の経済成長に負うところが大きく、各企業は本格的な構造改革と国際市場経済での競争力を高める不断の努力を怠ればグローバル経済では負け組みになる。グローバル時代には、絶え間ない起業家精神とスピードが重要だ。大企業でも例外ではない。自分たちの「強み」と「弱み」を認識しながら、イノベーション戦略、すなわち、生活者のニーズを意識しつつ、経済的価値と社会的価値の創造を戦略的に進めることが重要である。また、生活者とは「日本人ばかりではない」ことに十分留意する必要がある。日本の強みには「ものづくり」、「完ぺき主義」、「凝り性」等、一方で弱みには「閉鎖的精神構造」、「俯瞰的国際的視点の弱さ」、「個人力の弱さ」、「お上頼み心理」等がある。従来の日本にとって「強み」と一見認識されていた「組織人間」などもある面では弱点となっていることも否めない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・イノベーションは、基本的に既存の「出来上がった」組織、価値の創造的破壊であり、革新的であり、したがってはじめは小さな隙間市場(ニッチ)なのである。この隙間を早く、広く国内外の市場に拡大し、社会を変え、既存企業破壊と新企業を成長させ、既存の企業や社会体制を大きく変え、創造的に破壊していくことなのである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.イノベーションを起こす条件:ダイナミズムに富む社会創造性豊かな新しい先端は思いがけないところ、思いがけない発想から往々にして生まれる。「異」(異能、異端)が大事なのである。ノーベル賞を受けた人たちの業績や、社会を大きく変えた人たちが育ってきた背景を見てみると、多くがその時代の「異」、「出る杭」、「時代の変人」が出やすい、伸びやすい社会的条件、環境を見て取ることができる。「異」を抑えない、いろいろな「異」がぶつかる機会が多い環境を構築する必要がある。世界の歴史を見ても成熟した企業や社会では破壊的「イノベーション」は起こりにくく、変革を起こしていたのは「異」であり、「時代の変人」なのである。研究の成果をいかに早く、社会に、生活者に届けるか、生活者のニーズを開拓するか。これらの研究や発明、発想のシーズの意味を理解し、改良し、他の技術や発想と組み合わせ、資金を提供し、事業化するのは、必ずしも大学人の仕事ではない。そのようないろいろな「異能」の人たちの適切な融合を生みやすい環境が、イノベ-ションを生みやすい「場」として多くの人をひきつける。日本総研 南條有紀氏のコラムから抜粋(3)日本の「イノベーション」が国民の理解・支持を得るには 欧米諸国における「イノベーション」の主な目的は、以下のように要約できる。 A.米国: グローバルな産業競争力の強化・維持 B.英国: 競争力の強化と国民の生活水準の向上 C.ドイツ:産業活動の活性化と雇用の創出 米国における「イノベーション」の究極的な目的は、軍事(安全保障)の面で世界のトップを維持しつづけることであり、歴史的に国民も自然にこれを支持している。これはあくまでも米国の極めて特殊な事情に由来する。これに対して、英国とドイツの「イノベーション」の目的は、“産業面での競争力強化し、そのメリットを国民が享受する”ことを強調している。 我が国の第3期科学技術計画における「イノベーション」は、“社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術”を実現する手段の一つとの位置付けで、その目的が極めて曖昧である。 我が国では、科学技術に対する国民の理解が不十分と言わざるを得ない。最先端の技術を駆使した製品に囲まれて生活していながら、欧米の先進国に比して科学技術の恩恵を享受しているという実感が薄い。 国民が科学技術の重要性を十分に理解し、「イノベーション」の意義を認めることこそが、我が国の「イノベーション」の原動力となる。そのためには、米国のような“漠然とした世界一の競争力”ではなく、英国やドイツのように“経済の活性化”や“雇用の創出”といった具体的なメリットを目的として挙げることが不可欠である。これこそが個別の政策課題を進めるにあたって、国民の絶大な理解と支持を得る重要なポイントとなる。ブログの文字数制約が心配なのと、イノベーション25の他の資料に目を通したいので、以上で終了。 (WEBでは「イノベーション25」キーワードで山ほど出る)
2007.05.28
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思っていることが中々うまく表現できないことが多い。特に何かを研究していることはなく、世間に役立つことをしているわけでもなく、ただテレビや新聞社のWEB、そしてブログを閲覧して日々思ったことを自分もブログに書く。新聞にあるまじき解釈に苦しむいいまわしや、この記者は新米か?当事者に怨念があるのか?と思わせる報道表現・内容に接すると、自分が記者より年寄りであることを切に感じる。TVの普及時には「速報性」で新聞の劣位が云々いわれたが、それでもじっくり読んで考えるという点とオピニオンリーダーであるという権威が新聞・雑誌を生き延びさせてきたと思う。一方、WEB・通信の進歩とともに個人レベルでの意見・考えがたやすく公共の場で表すことができるようになり、その気になればTVのように映像でのアップロードも可能になった。オピニオンリーダーであるとの立場からやたらと政治の批判をしているマスコミに、異論・反論がブログで沸きあがる。私にしてみれば、政治vsマスコミは与党・野党のように感じる。また、権威を持つマスコミvs個人ブロガが与党・野党に見える。著名なニュースキャスターは「閣僚」のように個人ブロガたちからの批判にさらされる。新聞については署名記事が圧倒的に少なく、○○新聞として偏向意見が非難の矢面に立つ。それでも、読者の調査力はすさまじく記者を調べ上げて糾弾するブログもたまに見かける。記者の姿勢・考え方が判れば読む側もそれなりに理解し易いのだが、中々姿が見えない。サンケイWEBでは記者ブログがあり、報道の行間を読ませてくれる。阿比留瑠比記者の 「国を憂いわれとわが身をあまやかすの記」ブログからともあれ、斜陽産業の代表的存在である新聞が生き残っていくためにも、もっと謙虚な姿勢が必要だろうと、最近はよく考えています。宮崎県の東国原知事が定例記者会見を減らそうと提案し、記者側が反発している問題でも、テレビで見ていて「ああ、そんな偉そうな言い方をしていたら県民の理解は得られないだろうに」と記者側の質問の仕方が気になります。自分では県民のために言っているつもりなのでしょうが…。提訴された朝日の記者も、偉そうに知ったかぶりをして謝らなかった結果、こういうことになったのかもしれませんね。 1つ、記者が偉そうな点について言い訳をしてみます。私自身の10数年前の経験(もはや古すぎるかもしれませんが)では、地方の役場など(中央官庁ではそんなことはないと思いますが)で取材をする際、丁寧にへりくだってお願いすると、かえってなめられてぞんざいな対応を受け、偉そうに高飛車に聞くと、すぐ答えてくれるということが何度かありました。決して威張れた話ではないし、いま考えると恥ずかしいのですが、こんな経験を繰り返すうちに、自然に偉そうな記者ができあがっていくのかなとも考えました。新聞は時に応じて速報性からは少し開放された「特集連載」を組んでくれる。政治・経済・社会・教養・・・これらの特集報道は熟慮されているだけに、私には小説とは別の重い価値がある。世界中のWEB情報を調べて物申す個人ブロガの意見も秀逸なものが多い。これからの新聞に期待される事は、「また、新聞のあり方について、「活字はもはや速報たりえない。五輪や大リーグで日本人が活躍したとき、ローマで1日遅れの日本の新聞を買うことがあります。なぜか。日本人選手の活躍をもう一度味わいたいから。もうひとつ。記者の解釈を読みたいからです」と、「記者の解釈」が新聞の命綱であると塩野さんは強調した。」塩野七生さん講演 「戦争ほど悪はない」 から抜粋私の思っていたことが、掲載されていた。
2007.05.26
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サンケイブログで何時も上位を占めるブログに「エイッ ̄! かんしゃく爆発」というのがある。ブロガは反日教育をもろに受けて、韓国から来日している若い女性のようで、呉善花氏と比べては呉氏に失礼だが、固い頭さえ揉み解せば元々聡明な女性と思われる。読めば日本人なら激辛朝鮮料理を食べさせられたように爆発する。彼女は日本に「火病」を伝染させるために?、または気を引くために・・・・???いずれにせよ、炎上しないで上位を走り続けていることは尊敬に値する。中韓のパクリ行為は名を馳せているから、権利者にはお気の毒としか言いようがないが、前述のブログのパクリというより、パロディー的ブログを見つけ笑ってしまった。 「エイッ ̄!かんしゃく爆発中」このブログのテーマ 「劣等感との戦い」の中に「ムカついたら笑韓」-YouTubeのビデオ映像がリンクされており、これでまた大笑いしてしまった。[PV][爆]韓国版キューティーハニーこのブログを書いてる今でも思い出し笑いをしてしまう。内容はタモリクラブの空耳アワーのようなもので、下ネタに近いので嫌いな方にはお勧めできない。(また無理無理当て嵌めている)ま、感情的になってあれこれ考えるより、このパロディーは頭を冷やしてくれる。両ブログは小学生の頃の学級会で、男女が分かれて言い争いをする場面に近いが、勝負は・・?それと「慰安婦問題」は【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 安倍総理訪米と慰安婦問題の行方で私は諭された気がする。抜粋:特に良かったのは「20世紀は人権を無視した時代であり、日本にも責任がある。同情の意と謝罪の念を表明する」という総理発言である。
2007.05.14
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読書をしてもしばらくすると、中身をほとんど忘れてしまう。映画も同じ。読書が「糧」なら、私の場合○○○と同じように排泄されてしまうようだ。度重なる転勤・引越しにも拘わらず、再読もしないくそ重たい本もすべて本棚の飾りにしてきた。この狭いマンションを終いの棲家と決めたとき、あらかたの本は知人にあげたり捨ててしまった。アルバムのそばに「葉隠」が残っていた。中学時代に理科の教師から、大人になったら読んでみろ。と教えられた本である。20歳のときに神田の古本屋で見つけた。現在でも楽天ブックスで検索すると70余り出版されているようである。頭に残っている教訓はひとつだけ。「疑われるようなことは決して、してはならぬ」ある武士が出仕途上、腹の具合が悪くなり、もよおしてしまった。(公衆トイレなど当時あるはずがない)さる武家のお屋敷に頼み込んで、奥様のこころよい了解のもと借りることに。すっきりしてトイレから出て、脱いだ袴をはこうとしたところに・・・主人が帰宅。証人がいない状況では不義密通の嫌疑は弁明の余地なし。こんな名誉、命にかかわることでなくとも、無実の証明が困難なことは、今でも起きうるだろう。誤解が生じる事はよくあるが、その誤解がこちらに伝えられずに一人歩きされるのが一番怖ろしい。逆にこちらが悪く受け止めてしまったときは可能な限り状況を推察する。時間がかかる。先輩、同僚、後輩達にあの時のことを確認する年齢になってしまった。
2007.05.13
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狛猫?私は仕事でも私事でもトラブルが発生して、白黒の判断がつかないとき「こりゃ、藪の中だ」という言い方をしてきた。周りにいた人たちが「藪の中」の意味を理解してくれたか否かはわからない。原点&原典は芥川龍之介の小説「藪の中」。普段の会話で使っている人は、結構多いと思うのだが。この話は黒澤明の「羅生門」で映画化された。(どうして羅生門というタイトルにしたのだろう? 羅生門という小説もあるのに。)以下 アマゾンから引用内容(「BOOK」データベースより)山中の薮で発見された男の死体をめぐって繰り広げられる7人7様の証言。真実は最後まで明かされず、読者はいつしか深い薮の中へ迷い込む…。『今昔物語』から着想を得て、みごとにドラマ化した傑作短編は作者の人生観を色濃く反映している。カスタマーレビュー『広辞苑』が次のように成語扱いしている。 【藪の中】(芥川龍之介の同名の小説から)関係者の言うことが食い違っていて、真相が分からないこと。 私見によれば、これは芥川の意表を突いた小説構成で、 (1)創作ノート開陳法 (2)裁判証言羅列法 とでも言うべきものをうまく利用していると思う。すなわち、 (1)三通りの筋書きをそのまま提示 (2)七人の食い違う証言を並べただけで、裁判をしないで、読者任せ。 このような投げやり手法で成功して名作の地歩を確立している(雅)他人の評価は様々で面白い。芥川龍之介の小説はすべてを読み通してはいないが、短編ということもあり私には馴染みやすかった。「芋粥」は教科書にも引用されていたし、「鼻」・「杜子春」・「蜘蛛の糸」も小中学生の頃に読んだ。特に「蜘蛛の糸」はエゴイスティックな俗人を皮肉っており、教訓めいた話だが私は好きである。さて、上京してから親友になったSがビアスの「悪魔の辞典」を紹介してくれた。以下にその内容の一部をWEBから拾って紹介。筒井版『悪魔の辞典』から(講談社)花嫁 「幸せいっぱいの見通しが過去のものになった女」政治 「主義主張の仮面を被った利害のぶつかり合い。 私利私欲のためになされる公の行為」電話 「悪魔の発明である。不愉快な人物を遠ざけておく 便利さをいささか阻害するもの」戦争 「平和のためのかけひきから生まれた副産物」年 「三百六十五回の失望がやってくる周期」喜び 「最も不愉快でない形の落胆」歩行者「自動車から見れば、動き回り(しかも声まで出す)、 道路の一部。「友情とは、天気がよければ2人乗れるが、悪いと1人しか乗れない程度の大きさの船」こういう、皮肉?が大好きな性分で作者を調べた。短編作家アンブローズ・ビアス(1842-1914?)で晩年は不明。社会人になって経済的にゆとりができた頃、ビアス全集を購入してすべて読んだ。その中に、なーんだ芥川龍之介(1892-1927)の「藪の中」は彼からのパクリじゃないか?という短編があり、ビアスを不憫に思った。芥川龍之介がビアス作品をパクッたのかどうかは、「藪の中」である。(2007.5.6記)
2007.05.07
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