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2011.11.20 鎌倉天園への途上大学のある調布でリストラ後、店を構えたSKの尽力で、大々的に親岳会のOB会が催された。卒業後は近しいものが、小規模に集まり近況を話し合ってはいたが、今回は16名が集まった。学園祭にあわせての開催。当初の出欠回答は思わしくなく、やるきを無くしかかっていたSKだが、次第に出席者が増え、旧甲州街道沿いの「気らく亭」で催した。遠くは山口からかけつけたSG。長野の民放に勤めていたIN、岩手で教授の鞭をとるWK氏は残念ながら出席できなかった。白髪、禿げかかった・・黒々・・の頭。一発で判る方もいれば、「だれ?」という状況も。企画のうまいSKは昔・現在の写真をPCに用意し、店からプロジェクターを借り、スクリーンに映し出す。昔話に花が咲く。あっという間の3時間。なつかしくて、話題が多すぎ3時間では終わらない。仕事を抱えているものも多く、2次会は10名ほどか。(私も残念ながら、帰宅した。)映し出した写真の希望者も多く、SKはCD/DVDで配布の約束をしたが、WEB上にアップロードして、さらに部員の近況などの連絡板を創る約束は私が・・・・。心を支えあう場の再構築である。次回の開催は・・・・・5年後・・・・「生きているかどうか分かったものじゃない!」で、来年も開催することに。幹事は・・・・酔った勢いで私が請け負うことに。忙しいこっちゃ。調布のこと、学園祭で開催した歌声喫茶「らんぷ」のこと、南アルプス、北アルプス、中央・・・卒業後、それぞれが登った海外を含む山々のこと。書き連ねたいことが、頭の中をぐるぐる回る。【親岳会】のHP立ち上げにあわせて、ネタに困った時に思い出を書いていこう。
2010.11.21
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千谷の自衛隊への「暴力装置」発言。柳田の「2つ覚えておけばよい」という、極楽トンボ発言。「オレ様をダレだと思っている」発言のチンピラ民主党議員。なにをどうしたらよいのか分からないスッカラ菅。そうこうしているうちに、またぞろシナの艦船が尖閣沖に!中国の漁業監視船2隻、夜も接続水域内で航行http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101120-OYT1T00811.htm(2010年11月21日00時36分 読売新聞)尖閣諸島の魚釣島の西北西約37キロの接続水域内(日本の領海の外側約22キロ)で20日朝、哨戒していた海上保安庁の航空機によって確認された中国のヘリ搭載型の最新鋭漁業監視船「漁政310」と別の漁業監視船「漁政201」は、同庁によると20日夜も同水域内で航行を続けた。同庁は巡視船数隻を並走させ、領海内に入らないよう無線などで警告したが、漁業監視船は「我々は正当な任務に当たっている」と応答したという。名ばかりの「魚政●●●」。シナ人民軍の囮部隊であろう。これは、読み聞きする戦前の「シナ便衣兵」を連想する。* 便衣は、中国語では「平服」を意味する語である。一般市民を装った兵士であった。。小林よしのりは便衣兵戦術は日中戦争で中国軍が大いに採用していた、また一般市民に多大な被害をもたらす為に国際法で禁止されていた、と主張している。(Wikiから)私は日中事変(戦争とは言えない日本側の事情があったそうだ。)は、ベトナム戦争と同じでゲリラ戦から始まったと思うようになってきている。経済的な豊かさを求めて、かの地を【侵略】したが、これは結果論で清族の地・満州に入植・経済的隆盛を見た漢族が、危機感を覚え戦争を仕掛けてきたと思う。(朝鮮北部への莫大な投資、満州もしかり。その後の共産中国は、国民の経済的繁栄への努力前に、支配地域の拡大に努め、チベット・ウィグルを攻めた。)民主党は甘言を弄して政権を握り、その後はまるで往時の弱体清国の様相を呈している。江戸時代最後のように「大政奉還」しようにも、返すところがない。(民主党は、中国への併呑を企んでいるのか、まさか?? しかし、千谷の発言からは、まさかとも言えないし、小沢の解放軍司令官発言も・・・!!)国民・国を思うなら、解散総選挙を即刻すべきだろう。シナの【くそ魚政船】の動きは、私のマンションのバルコニーを攻めてくる【くそ鳩】に似ている。追い払っても、追い払っても【巣】をつくり始める。逆L字構造のため、雨もよけられるためと、植木類で外的の目も避けられる。そこで、空いている鉢でバルコニ下部を埋め尽くしたつもりだったが、たった1日で狭い空間に【巣】を作り、卵を2個産んでいた。鳩であっても、叩いたりエアガンで撃つなぞは「動物虐待」になるそうである。ましてや、チャイナ漁船をたたけば・・・石垣島にレーダーサイトを作り、陸自隊員を増やすそうであるが、南朝鮮が【日本の領土・竹島】に建造物、兵を常駐させているようにいっそ魚釣島に常駐させ、防人とするのは・・・素人考えか!私が若ければ、率先して防人となり、平穏な日には中国漁船が狙ってきたと言う「カワハギ」釣りにいそしむのだが。ものごとは、難しく捉えて考えすぎると、時間ばかりが虚しく過ぎ、足が止まり、脳内空っぽの【*ん】のようになってしまう。
2010.11.20
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<皇帝ダリア : 釜利谷西にて>1週間ほど前に古巣の同僚から、喪中はがきを受け取った。相次いで、母方の従兄弟から。そして、古巣でお世話になったYEさんがこの8月に亡くなられたとのはがきが、甥の方から届いた。享年81歳。当時、御殿場に新工場が竣工したため製造部門にいたYEさんは再配置で、幸か不幸か私のアシスタントに配属された。お歳は知らなかったが、私より21年年長。社内行事の「尾瀬ハイキング」が催された時には、故郷の広島から姪を呼んで、私に引き合わせる【悪巧み】を仕掛けた。もともとは「画家」で、苦労話も聞かされていた。同じく画家のご主人にも会ったが、在職中に亡くなられ、彼女は定年前に退職した。その後は、よく海外旅行にも出かけ、毎年銀座の画廊で個展をひらき、案内状を送ってくれていた。出張の時には、時間を捻出して所蔵されているというご主人の絵を観に広島美術館を訪れたこともある。この数年、賀状が途絶え、忘れられたかと勝手に解釈していたが、4年前に脳梗塞で倒れ、鶴川の病院で加療していたそうである。知らなかったとはいえ、連絡をとる努力を一切しなかったことを、後悔する。おとといの夕方には、兄から電話が入る。シーズーの「ダイちゃん」が、16歳で亡くなった。弟分の「ゴン」も体調が悪く、投薬していると言う。その日の夜のジュンとの散歩中に、また携帯が鳴る。母方の伯父(渥美・田原町)が亡くなった。今日が告別式だったが、従兄弟には非礼の侘びをして、12月の四十九日に出る旨を伝えた。この1月からの多くの「別れ」を振り返る。<今日>告別式にも出ないで、後ろめたさもあったが、明日は調布で20年ぶりの親岳会のOB会。ジュンは留守番させざるを得ない。今日は目一杯、散歩した。 鎌倉天園に向かう。 長い階段の上で、早く来いとせかす。天園からの復路、大丸山コースを回る。 マウンテンバイクの人や、ジョギングしている方とよくすれ違う。 氷取沢に下り、金沢文庫駅にむかう。駅近くで、ボランティアで一緒する父兄のSHさんに出会い、しばし立ち話。12月の予定やら、住まいの話をして別れる。八景駅から帰宅への途上、別のボランティアグループのMKさんと会う。知己に出会い、挨拶できることにささやかな幸せを感じる。 八景駅近くの花屋の前に、花が枯れかかったファレノが¥500で出ていた。花茎の先端を切っていただき、買い求めた。残った花茎から、春にはまた楽しめそう。
2010.11.20
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平穏な1日が終わり、ブログを更新した後、登録してある「お気に入り」に目を通す。ここまで言っていいのかなー?しかし、胸がすく。 さすが、文筆に長けた新聞記者。彼女の14日のブログ。→ 菅政権に思う言葉「バカにつける薬はない」 2010/11/14 08:28http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1890416/ブログタイトル: 【国を憂い、われとわが身を甘やかすの記】永田町をうろうろしながら感じたことや、面白かった本の感想などを記し、ときに国の将来を考えたりもします 。プロフィール:政治部首相官邸キャップ。政治部の前は社会部、その前は文化部生活班に所属。趣味は読書とマージャン。至福の時間はビールを飲み、うまいつまみを食べながら、好みの本(漫画も含む)を読むこと。持病は喘息、高尿酸血症、逆流性食道炎などいろいろ。(彼女は産経新聞記者。サンケイ新聞記者は大臣の記者会見で、質問の挙手をしても、よく素通り・無視されることが多いと聞く。 ならば、ブログで「公開質問状」でもアップロードして、偏向を正してくれるとありがたいのだが。)時の政権を、ここまでボロクソにけなした文章に出会ったのは、生まれてはじめてである。しかし、私の思いは彼女と同じで、このブログのことを【記録】に残すために、今日2件目であるが、改めてWORDに向かう。(* 全文コピーを掲載したいが、著作権があり我慢。)もひとつ出あったブログ。先っちょマンブログタイトル:【中国人長官】http://subzero.iza.ne.jp/blog/entry/1888526/いわずと知れた、国会を跋扈している下衆な千谷氏のことである。民主党が共産党・中国と同じ独裁政権になるとは・・・「一度やらせてみようと、民主党に投じた方々」後悔先に立たず。
2010.11.14
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<いままでは「あさひな」を、「朝比奈」と書いていたが、「朝夷奈」が正解!>午前中は、リネツ金沢のプールでボランティア。到着前の40分ほど、防波堤をジュンの散歩。散歩後は車の中で留守番。今日の担当は、父兄から「なきむしH君」と呼ばれていて、私は「つぶやきH君」とあだ名している、背のヒョロ長いH君。プールに入ってすぐ、「お風呂」という。(プール横は風呂になっている。)ダメ!皆、体格が優れて良い中、彼だけは一番瘠せている。騙し騙し水泳訓練(バタ足)を10往復したところ、震え始めて「体が痛い」と、つぶやく。「もう2往復したら、風呂に入ろう。」その後、1往復目で震えがなくなり、結局20往復して風呂に移動した。隔週ではなく、せめて毎週ならもっと慣れてうまくなるのにと、思うが、知的障害者同士の社交心育成の要件もあるし、父兄の負担を考え(時間・費用・・)、まだ意見することは抑えている。さて、午後は久しぶりに朝夷奈の熊野神社へ。環状4号線に立つ案内板から入ると、ほれぼれする立派な樹がある。 個人所有のものなのか、名木の看板は立てられていない。一人で来ていたおばさんが、「この先はどこに抜けるんですか?」と、訊ねてきた。鎌倉・十二所に出るのだが、途中で戻ってきたらしい。下りになる鎌倉側は、いつもぬかるんでいるので、滑って転んだら厄介である。色々、話をして別れた。 熊野神社直下の木々は、間伐され周りが明るくなっていた。3 先を行くジュンはマーキング!「バチが当たるぞ!」 本殿に上がったところで、カメラのバッテリー切れ。明日から、ジュンはまた5日間の留守番。
2010.11.14
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<金沢区・野島公園 伊藤博文別邸まえで>先週、録画した「ETV特集・選《「敗戦とラジオ~放送はどう変わったのか~」》を観た。戦時中“国策の宣伝機関”として、戦争遂行を国民に訴え続けたラジオは、戦後、占領軍の監督下で再出発し、民主主義の普及に大きな役割を果たした。その一方で、米国の占領政策が、民主化から反共に重心を移すなか、ラジオは再び“政治の力学”に、ほんろうされてゆく。そのなかで、鋭い社会風刺で人気を集めた「日曜娯楽版」が消えていった。放送の公共性とは何か。残された音源と関係者の証言から、占領下ラジオ放送を検証する。NHK HPから軍国主義から民主主義へ、ベクトル方向の大転換。聴取者のマスコミへのしらけムード。しかし、当時のラジオ番組-「日曜娯楽版」が、人気を博したようである。私の生まれる以前のラジオ放送で、社会風刺が新鮮である。政府・占領軍からの横槍。当時のアナウンサーが数多く登場し、証言する。この番組制作者たちは、今のマスコミより気骨があったように感じる。*このTV番組では、当時のラジオ放送の【音】のノイズが少ないことに気がついた。編集技術で除去に努めたのだろう。いずれにしろ、コンテンツは今のマスコミ、放送関係者へのメッセージのような気もした。今は、テレビ・WEBと、情報はあふれかえっている。どこの国の新聞・テレビかと、内容の立ち位置を疑う記事・番組も多い。戦前の軍国主義からの転換で、反国家姿勢あるいは反米、中国・朝鮮寄りが「正義」だと、日本人であることを見失って「きれいごと」の夢想に酔う輩がまだまだ多い。マスコミ、政治家の言動の報道は、事実の【かけら】であり、自分なりの考えをまとめるには、さらに多くのことを調べ、勉強する必要性が身に滲みる。<今日>車の半年点検。 ジュンを乗せていく。車を預けて、散歩に向かう。カメラを向けようとしている間に、猫様には逃げられた。中学生ぐらいの子が、ブル(種類が分からない。テモちゃんと同じか?)の散歩。残念ながら、ジュンとは相性が合わなかった。 車は2年ぐらい前から指摘されていた、エアコンフィルタの交換に応じた。(あんなものが、なぜ¥4000もする!)同じくバッテリーもテスタチェックでは、黄色信号が出ていると1年半前から指摘を受けていたが、エンジン始動に不具合はない。が、折れて交換。(バッテリが¥22850で、交換技術料が¥6300・・・これも高いんじゃないの?)ま、当初の三年間のもらい事故では、随分お世話になったので、いいか。お金があれば、プリウスに換えたいのだが・・・。冬に向かい、また肥ってきた。
2010.11.13
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「軍事評論家=佐藤守のブログ日記」に、こんなことが記されていた。・・・・真偽は定かではないが、こんなメールが届いているからその一部を紹介しておこう。≪中国語ニュースで「死亡者はいない」を「死亡者がいる」と、翻訳を間違えた話がある。香港の最初のニュースでは死亡者は1名と報道、2名が海に落とされて(1名は途中で船が揺らいで落ちてしまったらしい)、そこをめがけて、中国船は襲ってきたという。一人は船員から落とされた状況で、すでにだめ、みたいだったらしい。中国“船員”はとどめをというつもりで銛で突いたのか。その後、一人は谷岡、もう一人は佐川という方らしいと言われている…≫・・・・このことは、私も尖閣ビデオを流失していただいた(千谷官房長官流に丁寧語で)以前にいくつかのブログで読んでいた。石原都知事がテレビに出演した時にも、このことを話していた。いずれも、伝聞である。もし、死亡者が出ていれば海保隊員であろうが、中国人であろうが大問題である。しかし、「海に落ちた海保隊員を、中国人が銛で突こうとした」状況はあったのかもしれない。流失ビデオの中には、海保隊員が中国やくざ船長の船に乗り込むシーンはない。柳腰(弱腰だろ)千谷に代わり、ビデオを公開したSENGOKU38氏が、昨日名乗り出たが、国益を損ねたのは、ビデオを非公開とした菅内閣か、公開したSENGOKU38氏か?事実を捻じ曲げて、経済制裁にまで踏み込んできた中国に対しては「ビデオ公開」するしかなかったのではないか。菅内閣の今回の対応を厚意的に考えれば、ビデオを「外交カード」にしたかったのかもしれない。しかし、逮捕時のビデオがまだ残っているのではないか!?情報漏洩はたしかに罪悪である。その重要性を軽くとらえている輩が、しばしば漏らすことが多い。(千谷長官も「厳秘」資料をマスコミに撮られていた。 アホか?)しかし、今回の尖閣ビデオを漏洩したした隊員は「正義感」から確信してアップロードしたのだろう。菅内閣は「国民が激怒する。」と、公開を拒んできた。しかし、私ら日本人は暴動デモを起こす中国人ではない。国民を信頼していない内閣に、政治運営の資格はない。事業仕訳のメッタ切りでは、一部疑問点を弄する面もあるが、「朝鮮人学校の無償化」費用捻出が、決まりかかっているとの報道も見る。(反日国民の反日教育が懸念されるのに、その無償化の理由さえ明らかにしない。)今の政権がやっていることは、無茶苦茶である。
2010.11.11
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民主党政権になってから、イライラ感をつのらせる毎日である。この苛立ち感を、ブログでぶちまけたいのだが、筆が立たない。日々の安心・安全を託す国家公安委員長が「岡崎トミ子こ議員」。先には韓国で×印された日の丸の前で、デモに参加している。国会で指摘されても、居直り・欺瞞の弁をしていた。そのような中で、他の方が書かれる記事、ブログ、報道に目を通す。尖閣問題。ならず者・中国人船長(人民軍?)に、【正義】を貫くこともできず、(*)ビデオをYou Tubeにアップ・流出させた犯人探しで口を濁し、外交のまづさへの反省もない政府。(*船に体当たりをするなんぞ、ヤクザ国家中国でも犯罪だろ!!)今日、仕事の合間にメルマガなどに目を通していたら、私の思いと同じ内容をうまく著している記事に出会った。以下にメモして、少しでも苛立ち感を冷静にさせたい。尖閣ビデオ流出で見えた「おかしな国・日本」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101107-00000549-san-pol【抜粋】・・・・・ 国家機密が流出したことは国家の危機管理能力を問われるゆゆしき事態ではあるが、悪意に満ち満ちた警視庁公安部の情報漏洩事件とは違う。映像を見る限り、中国漁船が故意に衝突したのは誰の目にも明らかであり、むしろこれほどの「動かぬ証拠」を政府が隠し続けていたことの方が理解できない。義憤に駆られ、職を賭してビデオを流出させる公務員が出てもちっとも不思議ではない。今回の流出がなくても、いつか誰かが何らかの方法で映像を流出させただろう。それが新聞を含めたマスメディアへの情報提供ではなく、ネットだったのは時代の流れなのか。それともマスメディアへの信頼が著しく低下している証拠なのか。そのへんには複雑な思いも残る。・・・・ビデオ映像はこれまでの中国側の主張がいかにウソと欺瞞に満ちたものだったかを白日の元にさらした。にもかかわらず、中国の崔天凱外務次官は「日本に誠意があるなら、困難を克服し、(日中関係の修復を)妨害しないよう最大限の努力をすべきだ」とビデオ流出を非難した。中国外務省は、日本側が中国漁船に嫌がらせ行為をしたために衝突が起きたと指摘し、「日本の行為自体が違法だ。いわゆるビデオ映像でこうした真相を変えることはできず、日本側の行為の違法性は隠せない」とする報道官談話を発表した。 誠意がなく、真相をねじ曲げているのはどちらかは言うまでもない。首相はビデオ映像を本物だと認めているから真相究明を指示したはずだ。それならば、映像を流出させた犯人を探すよりも前に、まず中国政府のまったく筋の通らないコメントに反論すべきではないのか。中国側の事件後の一連の言動と行動に謝罪を求めるべきではないか。・・・・ここまで日米、日中関係を深刻になったのは、ひとえに民主党政権の外交・安保に対し、あまりに無知で無責任だったからではないか。ロシアのメドベージェフ大統領があえてこの時期に北方領土を訪問したのも、菅首相が目の前の外交案件にほおかむりを決め込もうとして、足元を見られたからだろう。その反省がなければ、事態打開は望みようもない。・・・・日本は本当におかしな国になってしまったのか。それとも政治家だけがおかしな国の住人なのか。後者ならば、まだ救いようがあるのだが…。(石橋文登)もひとつメモ(私のお気に入りのJBPressから)日本を襲う死の病、全共闘、弁護士、社会主義これで韓国、中国に勝てると言うのか!2010.11.06(Sat) 川嶋 諭 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4798プロフィール:川嶋 諭 Satoshi Kawashima早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立。記事内容はURLで。2010.11.7 横須賀・鷹取山にて
2010.11.09
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<鷹取山への途上にて> 横須賀・鷹取山へのルートはいくつかある。神武寺方面から、国道16号沿いの雷神社前から、田浦方面から・・ジュンを連れて初めて登ったのは、神武寺からである。このブログをはじめる直前で、そこには「なんじゃもんじゃの樹」というのがあり、このタイトルにいただいた。登りは車も通れそうな幅広い道。 途中の右側に以前から、頂上への近道があったが、きれいな階段に整備されていた。楽でありがたいが、こんなところにも税金が投入されるのかと思うと、借金財政・景気浮揚・雇用確保・・・複雑な気持ちになる。 頂上の台地では、大勢のグループがロッククライミングを楽しみに来ていた。 ここは砂岩質で、ハーケンを打った後が数多く残っている。危険なため、岩登り禁止の立て札も健在。 立ち入り禁止の看板を無視して、フェンスを乗り越え波止めで釣りをする人達をよくニュースで見かけるが、ここでの岩登りは許可を取ればOKのようだ。行政は「自己責任での冒険」を認め、救難出動せざるを得なくなった場合は、関係者から費用を徴収して、財政不足を補うべきと、思う。登山での遭難救助の費用はどうなっているのだろう?(私が現役の頃も、莫大な費用がとられるという話だったが・・)田浦方面へ歩を進めた。 この石仏は昭和40年ごろ、地元の彫刻家が製作したとのこと。 道を間違えて下りてしまった。 住宅地に咲く「ホトトギス」の花を撮らせていただく。 国道16号線で帰る。追浜の商店でレモン(檸檬という字は書けないが、カタカナより好きである。)が3つで¥100!焼酎割りに入れよう。(ブログによると、K爺さん宅では、柚子が豊作とのこと。うらやましい!)他に何かないか見渡したら、バナナが2房でこれも¥100。結局、4点購入。 さて、昨日釣ったカワハギ。3枚におろして、今日薄つくりでふぐ刺しのようにして、肝和えで飲んだ。(現場で血抜きしておかないと、ピンク色になってしまうが、やはり、透き通ったような薄つくりのほうがおいしく感じる) 明日からはジュンとは、帰宅後の夜道の散歩。
2010.11.07
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こんなのが10匹揚がれば、私は御の字なのだが・・もー我慢できない。台風14号が去った後のカワハギは、大爆釣!久比里の船宿ホームページによると、竿頭95匹!!(ホントかいな???)今月の釣りクラブの例会はカワハギだが、私は20年ぶりのOB会(親岳会)があるので欠席。お先に単独行。で、どの船宿にしようか迷っていた。久比里の御三家はいずれにしろ混むだろう。みのすけ丸、山下丸、山天丸・・山天が無難なところか。と、他の船宿のホームページを開いたら、地元八景の弁天屋、一之瀬丸も、今週あたりからカワハギを始めている。出船時間は7時半。久比里の方が釣り場ポイント(千葉・竹岡沖)まで近いが、出船は8時。ならば、地元からの方が帰宅は早くなる。弁天屋に決定。それでも混雑するだろう、と、4時起きで目覚ましを設定。・ ・・・・・寝坊した!!!!前日、おむすびを作ったり、道具・しかけの準備で、遅い就寝だったが、同行する釣り仲間がいれば起きたのに・・・牛乳を飲んで、あわてて出かける。ジュンは慌てふためく私を、キョトンとして見送った。6時20分頃、船宿で手続きをする。先着組みは、皆さんアサリを剥いている。 私は横着で冷凍アサリをいただく。 右側の親子連れは、早々に良形のカワハギを揚げた。しかもカワハギは初めての小学生の方!正真正銘のビギナーズラック(失礼)?(息子さんの方が釣果はよかったので、腕の差か。) そのうち、久比里の船団の近くに来た。 案の定、みのすけ丸は満員常態。(30名ぐらい!) もっともこちらも、22名ほど乗船。数回「おまつり」になったが、たいしたことはない。隣りの方は一荷であげる。目標20匹だったが、実釣果は書きたくない。(クソー)25cmの、まあまあの良形が来たことで、よしとしよう。(船中では、30cmに続き、32cmが揚がった事をメモしておく。レギュラーサイズを10~20釣るより、帰宅後、捌く事を考えると大型1匹の方が望ましいが、「曳き」を楽しむことを考えると、数を釣りたい)帰路、八景駅前の果物屋さんにおすそ分けして、電車で帰る。昨年、今春と伊豆・富戸へカワハギ釣りに誘ってくれたIZさん(7月に旅立たれた。)夫人にも届けようと、電話するも不在。電話を置いたら、ジュンはここぞとばかりに、散歩を要求してくる。 今日は追浜方面を回る。日が落ちるのは早い。横須賀方面からの野島。5時20頃。 明日の日曜日は24時間一緒だよ。鷹取山にでも行こう。
2010.11.06
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朝のニュースで驚いた。NETに投稿された尖閣ビデオの衝突場面までが放送された。【政治ブログランキング】の上位は、ほとんどこの話題で持ち切り。先には警視庁のテロ文書の漏洩。もっと前には海自のイージス艦の電波周波数の漏洩。昨日のNHK クローズアップ現代は、極秘情報公開サイト【Wikileaks】:ウィキリークスについて放送していた。そして今朝は尖閣ビデオのネット漏洩。中国の狂人船長による衝突シーンの録画時間は4時間ほどと、報道されていたが、今日は10時間との報道も見かけた。一部の国会議員だけがダイジェスト版を視聴したが、何もしない・できない輩が見ても意味がない。政官側は、国民を見誤って(見下して?)公開しなかったのだろう。あるいは中国のゴリ押しに、嵐が過ぎ去るまで頭を抑えて、対策を考えることから逃げ通そうとしたのだろう。(と、思わざるを得ない。)毎日新聞報道の、尖閣ビデオ:故意にぶつけている…地元漁師ら不安と不満 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101105k0000e040046000c.html・・・・「比嘉幸秀さん(49)も「衝突は確信犯。釈放されたのはやはりおかしかった」と語る。その上で「逮捕時に映像を公開し、後に『中国との関係上、釈放する』という説明があれば、国民は納得したのではないか」と語った。・・・・この比嘉さんの意見に同感。庶民の仕事にしても、なにごとにつけても、適切な対応から逃げていては、余計な仕事が群れをなして追いかけてくる。鈍管・極楽とんぼに仕事(政治)は任せられない。・・・・・と、政治に情けなさを感じた一日だった。【危機意識】の欠如は政治だけではない。(高齢)登山者の準備・勉強不足による遭難など・・・庶民の中でも数えあげればればきりがない。ま、自分の身だけでも守る勉強・訓練をしていこう。就寝前の「グリニーズ」(ジュンの歯磨き)
2010.11.05
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<能見堂跡から釜利谷・横横道路方面を望む。>台風明けの久比里のカワハギ船は、95~40匹と爆釣!祝日の3日は、船宿はいずれも大混雑するだろうと、諦めた。で、ジュンと六国峠ハイキングコースを金沢文庫駅側から攻める。入り組んだ住宅地の中を、登り口に着いたら・・・案内板に×印が。ルートにがけ崩れがあって、入口は閉ざされていた これ幸い、帰って部屋の掃除を・・・と思ったが、別ルートへの案内チラシが用意されていた。んーん。ジュンの顔を見れば、決行か!以前、釣りクラブで花見をした能見堂跡へ上がればいい。と、足を進めたらすぐ案内表示が。 ハイキングを楽しむ人たちが増えてくる。 配水塔付近では、道をふさぐほどの人手。手前の左側の道を行ったら、氷取沢のゴルフ練習場に出てしまった。 ここも、大勢の人が球を飛ばしていた。 ちょっと早いが、もう帰ろう。 帰宅して、久比里の船宿のホームページを見る。竿頭40匹・・・ 行けば良かったかな。ダイエットに成功したと思ったら、冬に向かいまた肥り始めた。
2010.11.03
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<称名寺の参道>休日のジュンとの散歩は、長距離コース。いつも山方面の釜利谷・金沢自然コースか、海の公園・称名寺コース。たまに、電車か車で遠征コース。台風一過の今日は、称名寺コースへ。 侍従川沿いの遊歩道でリードを外す。 スタコラ先を行き、私がついてくるのを確認するため振り返る。 室の木歩道橋をわたる。 今日は室の木公園にちょっと寄りたがり、丘に上がる。 眼下に夕照橋。 夕照橋を渡り、駐車場横を野島公園に向かう。 あさり獲りの時は、リードに?ぎっぱなしにされるので、長靴スタイルの私を見て、嫌がるのだが、今日は先をきって進む。 野島公園の砂浜は横浜市で残された唯一の砂浜だそうである。私もボランティア登録しているが、すでにどなたかが流木類を集積して下さっていた。 野島公園を出て、シーサイドラインの下を海の公園に向かう。 金沢漁港を横目にして、海の公園へ。今日の鴨下丸は1隻だけが出船した模様。 海の公園のバーベキュー広場から入る。 どんぐりがたくさん落ちている。小学生の頃は、シイの実を見つけると独楽を作り遊んだが・・・そういえば、熊の出没ニュースで今年はどんぐりが少ないから、人里に現れるというような事を言っていたが・・・ 砂浜では運動部の選手が、仰向け四つんばいの姿勢で歩くシゴキ?を受けていた。指導教員は竹刀を持ってわめいている。私の中学生の頃も、なぜか体育教師は男女とも竹刀を持って授業していた。体育教師の伝統的なシンボルなのかしら?歩を進め、称名寺に向かう。 称名寺・赤門手前の薬王寺の掲示板。「腹の立つことは明日にのばし・・・」昨日は、「いきいきセンターまつり」のお手伝い。雨で寒い中、合羽を着て駐車場の管理を担当。ゲート前に立つ。混雑が予想されたため、事前登録車以外は周辺の有料駐車場にいってもらう。簡単な仕事のように見えるが、口車で何とか入ろうとする輩、「そんなこと聞いてないぞ!」と、グチグチ文句をいうジジー。主催者の連絡ミスで登録メモに記載されていない方の抗議。来場者・主催者ともに腹の立つことがあったが、それ以上にニュースの中国の対応に腹が立っていたので、ジジババの抗議なんぞは屁でもない。 赤門前には金沢文庫館のイベント案内。「仏像のみかた」一昨日に糸井重里監修の「いいまつがい」を読んでいたせいか、ひらがなの「みかた」を、「味方」と勝手に想像し、独りで笑う。(最近はPC/携帯の普及で、難しい漢字を使うことが多くなった反面、ひらがな使用も多くなっているような気がする。) 称名寺の赤門。 右を見上げ、 左を仰ぎ、 境内に入る。ジュンは今日の散歩ではわがまま放題。北条顕時、北条貞顕の墓のあるほうに行きたがる。 ジュンの得心後、帰宅の途につく。 帰宅途中、ジュンのリードを外し、私は一服。通りすがりの女性に呼ばれ、ジュンが尻尾を振り振りご挨拶。抱かれたジュンは、満足な一日だったか。
2010.10.31
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動物の中で「笑う」のは人間だけだそうである。動物と人間の、その違いを研究している方もいるだろうが、私はその論文をさがしたことはない。「笑い」とは違うが、「嬉しそうなしぐさ」をする動物は結構いそうな気がする。毎日一緒にいるせいか、ジュンの「しぐさ」のみならず、「顔の表情」からも、喜怒哀楽がわかる。さて、日曜日に水泳の付き添いをした知的障害者のT.YK君がゴール目前で、急に苦しそうなしぐさをして、私をあわてさせた。着いてから大声で笑い出し、「どうした?!」と聞いたら泳いでいるうち、コメディー番組を思い出し、可笑しくなったという。ホッとしたが、私も思い出し笑いはよくする方である。「笑い」もクスッから、体が疲れるほどの大笑いまで色々ある。「笑い」のきっかけは、お笑い芸人の番組、コメディー映画・漫画・・・会話。一人で勝手に想像(創造)するひとり笑い。(他人が見れば気味悪いかな)中学生のころ、名古屋駅前から栄町まで、何かのイベントで行進させられ、いつまでも見えるビルの屋上広告の「大日本インキ」を見て、「大日本インチキ」という言葉を独りで連想して、肩が震え始め、周りの級友たちから、「どうした!」と彼らも、もらい笑いをしながら訝しがっていたことを思い出す。いまでも街中で見る看板、ポスターなどから勝手に変えて独り笑う。「あいさつで、みんなのこころがわになるよ。」という標語を見て「あいさつで、みんなこころがわりになるよ」などなど・・・・ブログからも笑わせてもらっている。「爺砲弾」は、ランキングの存在を知らなかったが、偶然そのコーナーに遭遇し、上位に位置しているのをみて納得。さらっとした笑いは、「つれづれなるモナカ」・・犬ブログ。このブログで笑いネタ本の紹介があった。 "日本語でどづぞ?世界で見つけた爆笑「ニホン」誤集 (中経の文庫)"柳沢 有紀夫; 文庫; ¥ 1 "世界ニホン誤博覧会 (新潮文庫)"柳沢 有紀夫; 文庫; ¥ 155"言いまつがい (新潮文庫)"糸井 重里; 文庫; ¥ 1早速AMAZONのマーケット・プレイスで発注した。通勤電車の中で読んで、独り笑いしてしまうのは、はばかられるかな。
2010.10.26
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<福浦ヘリ基地へ散歩>中国内陸部で反日デモがお盛んのようで、連日報道される。一方、日本でも反中デモが行われているが、マスコミは無視のようである。日本のマスコミが反中デモを報道しなくとも、ブログには数多く紹介されている。こちらは「粛々」と行われているようだが、中国のそれはデモというより「暴動」。「反日」であれば、独裁国でもデモが認められるようで、実態はその格差・就職難に不満を抱く人民の、政府への形を変えたデモで、中国政府は警戒感を強めているとの報道がなされている。中国の官製デモは、天に唾ならぬ、痰を吐いているといったところか?さて、今朝のサンケイに、尖閣を狙う中国の姿勢について、面白い表現の記事を読んだ。【土・日曜日に書く】ワシントン支局長・佐々木類 国際世論の醸成を2010.10.24 http://sankei.jp.msn.com/world/china/101024/chn1010240309001-n1.htm・・・・「日本がかたくなに過ちを重ねれば、中国は強烈な報復措置をとる。その結果はすべて日本側が負う」 まさに、「粗暴な大国の顔をさらした」(仏紙ルモンド)発言だ。日本や欧米国家ならおよそ使わない下品な言葉遣いは、ミサイル発射実験などで耳にする気合の入った平壌放送そっくりだ。北朝鮮と同根であることを中国自身が認めたようなものだ。 庭に埋蔵金が埋まっていることを知った強盗が隣人の家の玄関ドアをけ破り、「昔からここに家があるのを知っているからおれの家だ!」と土足で上がり込む。家主は強盗に気兼ねして近所に真相を知ってもらおうともしない。・・・・・このブログを書き始める前に、再びサンケイWEBを開く。案の定・・・中国でチベット族のデモも拡大 中国語教育の強制に反発http://sankei.jp.msn.com/world/china/101024/chn1010242042014-n1.htm次はウィグル自治区でデモ発生か?前江沢民は反日教育を推し進め、歴史を歪曲までしようとした。(南京事件)次期国家主席と目される習近平は江沢民の後押しがあったという。この先、何を学び、どうでてくるのか?日本は武器輸出三原則を緩め、景気を回復し、就職難の若者を自衛隊で教育・訓練することも考えるようになるのだろうか?<今日>久々のプールでの介助ボランティア。リネツ金沢に向かう途中、福浦でジュンと散歩。 今年の背高あわだち草は背が低い。ヘリ基地までを往復し、岸壁に戻り、数多く出ている釣り人の釣果を覗く。時間が迫ってきたので、リネツ金沢のプールに向かう。 プールではYK君を担当。すでに独りで泳げる。私はついていけない。若い彼には、休まずどこまで往復できるかやってみようと、4往復にチャレンジした。 次回は5往復を目指そう。ボラの帰途、八景ダイエーの中のノジマに寄る。プリンタが不調で、ポイントが¥9000近くあるので、一番安いものを購入。この2年間は、百円ショップで詰め替えインクを買い使用してきたがインクヘッドをクリーニングしても、改善されなくなってきたので、買い換え時と判断した。事前にWEBで調べたら約¥5000-6000。 店頭で値札を見たら、なんと¥3980。そのインクカートリッジより安いではないか!本体で稼がず、消耗品で利益を上げようとする商売の歴史は長い。コピー機、古くはプリントごっこ。メーカーはインクカートリッジの再生品商売にもっと力を入れてもよいのでは・・・。銀行はサラ金商売を取り上げて、自らサラ金化してきているのに。 <福浦岸壁の歩道にて。2010.10.24>
2010.10.24
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釜利谷緑道への途上、好きなブルーの花。名前が分からない。*今日は写真が多い。以前1日の制限容量を超え、再編集に時間をとられたので、小さく処理した。よく読ませていただく【K爺さん】のブログでは、専用アルバムからのリンクを教えていただいたが、ズボラな私はタグを貼るのが面倒で、パスさせていただく。 緑道に入り、すぐ尾根への向かうダラダラ坂を上る。これが、意外に疲れる。 ほどなく、横横道路下のトンネルへ。 トンネルを抜けるとすぐ階段。 金沢の海、シーパラダイス、釜利谷の住宅地。 階段はまだまだ続く。 ボチボチ厭になる。が、ジュンはいたって元気。 階段が終わり、山道になる。 右側のルートはズーッと未整備である。 メインルートの案内板前に出る。ここにはベンチがある。 さらに鎌倉天園に向かう。 土曜日で行きかう人も多かった。中にはマウンテンバイクで上ってくる人も。 天園はまだかいな。 ようやく到着。 天園にはいくども来たが、早すぎ峠の茶屋は開店前の日が多かった。で、今日は9時半過ぎに出て、2時間弱で到着。ジュンはハイキングが何よりの楽しみ。私は・・・・・ おでんで一杯がお楽しみ。昼間に飲む酒はよくきく。 今日はキャリーバッグを持っていないので、鎌倉側には降りず、Uターン。 往路では気がつかなかったが、倒木の手前には「倒れてなるか!」と頑張って天に伸びている樹木。 今日の犬連れは私だけだった。 マナー違反だが、リードは外したまま釜利谷緑道を目指す。次回はキャリーバッグを背負って、鎌倉側に降り、巡り廻って電車で帰ろう。* 7月に亡くなられた釣りの先輩、IZさんも学生時代から山が好きで、鎌倉天園もよく登ったといっていた。が、一度不吉な場面に遭遇し、天園には2度と行かないと言っていたが・・。
2010.10.23
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BSフジの20:00からのプライムニュースで、前原外相の長い発言を放送していた。「日出る国の外相、覇権主義に陥ろうとする国に物申す。」・・という感じ。拙速な日中首脳会談を否定 前原外相2010.10.15 22:13http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101015/plc1010152214023-n1.htm真に正論だと思う。以下に前原外相に関する記事のURLの一部をメモしておく。前原新外相に期待感 米政府2010.9.17 16:18http://sankei.jp.msn.com/world/america/100917/amr1009171619009-n1.htm韓国紙が前原外相を「次期首相候補」2010.9.18 13:49http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100918/kor1009181351006-n1.htm
2010.10.22
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テレビの番組表で録画候補を探していて、「『戦争責任を議論する』-ハーバード白熱教室」が目につき、金曜日に観た。(→ ETV特集「ハーバード白熱教室@東京大学 日本で正義の話をしよう」)東大・安田講堂で開催されたサンデル教授の講義の模様は、同様なシーンをアメリカ映画でも見ていたような記憶があり、関心を引き込まれた。観終わって再放送をNHKのHPで検索したが、今春再放送も終わっていた。(12回にわたる講義は、DVDとして12月に発売されることが分かった。)それでも、この日曜日には「『白熱教室』の衝撃」が放送されることを知り録画して今日観た。私の宿命は「降れば土砂降り」で、会社に届いていた日経新聞の日曜版の付録NIKKEI MAGAZINEを開いたら、「サンデル教授、日本を語る-正義の哲学と伝統的な価値観」 の記事が・・・NIKKEI MAGAZINEの記事のごく一部を書き写すと、・ ・・・米国や日本だけでなく、おそらく全ての成熟した先進国家が共通して抱える悩みは深く、複雑だ。まだ貧しく、何もなかったけれども、夢と希望だけは輝いていた昭和半ばの時代へのノスタルジーを多くの日本人が共有する現状は、それを端的に示している。・・・・・・・・ 冷戦が終わり、グローバリゼーション(国際化)がすすむ反面、米国やロシア、欧州、そして中国など世界では国家や民族などをよりどころとした不健全で排他的なナショナリズムが若い世代を中心にもたげつつある。日本も例外ではない。教授のロンによれば「愛国的であること」は決して間違ってはいない。だが、そのためには自らが所属する共同体の「過去」にも責任を負わなければならない。・・・・・・・・ 日本が真の意味で21世紀にも責任ある大国として世界で活動していくためには「過去」の問題から逃げてはいけない。それから目を背けずに正面から向き合い、乗り越えない限り、日本は「正義」を世界に示すことはできないのではないだろうか。「米マサチューセッツ州 ケンブリッジで、春原剛」 から。WEBで「白熱教室」のキーワードで検索しても、サンデル教授は人気急上昇中。仕事の合間に多くのことを調べ読んだ。「コミュニタリアニズム」・・サンデル教授。コミュニズム(共産主義)とは違う、共同体主義。西部氏のサンデル教授批判。(その内容は難しくて、飛び散る用語を調べていくうち、記憶力が衰えてきている私はURLやらキーワードをメモせざるを得なかった。)私が観た番組は11月12日に再放送されるようだ。(以下 NHKのHPから)11月12日(金) 総合 午前1時~2時30分 (11日深夜)ETV特集「ハーバード白熱教室@東京大学 日本で正義の話をしよう」(再放送) 「ハーバード白熱教室」が日本で実現した。サンデル教授が来日、東京大学で千人を超える受講者と正義について議論を行った。本家ハーバードを上回る白熱の講義を伝える。そして「白熱教室JAPAN」が始まります!ハーバード大学のような教授と学生による自由闊達な議論「白熱教室」は日本で実現可能なのか。11月21日から毎週日曜日午後6時、日本の各大学で繰り広げられている日本の白熱教室を紹介します。詳細はまもなくお知らせします。「ハーバード白熱教室」のDVD12巻はNHKでは¥17000。You Tubeでも見られそうである。で、AMAZONで次の本を購入した。さて、「ハーバード白熱教室@東京大学 日本で正義の話をしよう」では、若い人たちの様々な考えを教えられ、心強く感じた。初老の私も議論は下手だが、学び続けていることを若い方々に訴えたい。
2010.10.18
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今月の例会はワラサ。あまり気乗りがしなく、先週独りで葉山からカワハギに出かけたので、欠席通知を出していた。が、急に欠員が出て参加することになった。2時起き。3時過ぎにHKさんを送迎して、松輪へ走る。(ワラサシーズンは駐車場が混み、昨年は停められなかった!)今年のワラサは不漁のようで、2時間ぐらいやってダメならその後は真鯛に変えようと言うことだった。最初は、私の右隣、オオトモのTJさんにホーボーがきた。続いて右舷ミヨシのNTさんに塩焼きサイズの真鯛! 本命のワラサはなかなか当たらない。 他船の様子を見ても、揚がっていないようだ。苦戦!結局、同じくNTさんに1本きただけで、真鯛ポイントに移動。真鯛ポイントでは、ようやくHKさんに良形がきた。 トホホの例会だった。1時半頃に沖上がりして松輪漁港に戻ってきたら、小さな岩礁に4名ほどが乗り、釣りをしていた。 尖閣列島も彼らのような強者に守ってもらいたいものだ。私の釣果は・・・ 小さなイサキ。・・・・ANさんに持ち帰ってもらった。私はと言うと・・・ NTさんからいただいたソーダ鰹1本。これは刺身にして味わった。 普段なら誰かにあげる魚だが・・・来月は20年ぶりの山岳部のOB会で参加できない。他日にまた独りでカワハギに行ってこよう。 3時半頃、帰宅。帰るまもなくジュンと追浜方面へ散歩。9歳のジュンは人間なら私と同年齢ぐらいだろう。が、私は散歩途上、腰が痛くなってきて公園のベンチで数度休憩。ジュンに煽られて、薄暗くなる頃、帰途に着いた。早朝からトホホの1日だった。
2010.10.17
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ノーベル平和賞が他のノーベル賞と、ちょっと違うなと感じたのは、佐藤元首相が受賞した時だった。若かった私は、ベトナム戦争真っ盛りでベトナム戦争への反対どころか、アメリカ寄りの発言をした人がなぜ受賞に値するのか不可解だった。受賞理由はその後、平和裏に沖縄返還交渉を果たしたこと、非核三原則を宣言したこと・・・で、そんなものなのかと、あまり感激を覚えなかったことを記憶している。佐藤元首相については、吉田茂首相が亡くなられた時、東南アジアにいて涙したという報道で、親近感を覚えた。そして、その後の返還にまつわるドキュメンタリー番組で彼の指導力がよく理解できた。さて、尖閣で油断のならない危険な隣国になりつつあることはよくわかった。毒ギョウザどころではない!まさに、中華帝国・覇権主義国家を目指しているように感じる。尖閣事変で日本のみならず、世界の中国への視線が悪い方へ変わったと思うが、劉暁波氏へのノーベル平和賞授与は外交姿勢に、相次いで中国内政の現状にも関心を呼び起こしたものと思う。仕事の合間にJB PRESS掲載のノーベル平和賞受賞、中国内で高まる改革の声公開書簡は民主化を促すか~中国株式会社の研究~その802010.10.15(Fri) 宮家 邦彦 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4651を読んだ。劉暁波氏の釈放を求めて香港でデモする活動家〔AFPBB News〕* 写真以下無断借用です。すみません。「08憲章」は、マスコミでよく登場するが、目を通すことは無かった。冒頭の抜粋 (WEBで日本語版を読むことができる。)08憲章(日本語版)一、まえがき 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」 に署名して10周年である。長い間の人権災難と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であ り、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。二、我々の基本理念三、我々の基本的主張四、結語現代中国に関心のある方は是非読んでおくべきであろう。冒頭に「市民的及び政治的権利に関する国際規約署名して10年(今では12年)」と、あるが、これには知的所有権を守ることが謳われ、上海万博もこの署名が無ければ、開催は認められなかった。「国際法」に疎かった時代に日本は尖閣を領有したと、中韓台湾は愚痴をこぼすが、もともと戦争を出来るだけ避けるための国際法だと思う。「法律は知らなかった、疎かった」では、許されないものである。中国は眠れるブタから暴れブタになるのだろうか?内なる法治主義運動が静かに、急速に広まることを願う。久しぶりに釜利谷緑道から金沢自然公園への山道を歩いた。明日の釣り例会は欠席のつもりだったが、欠員補充で急遽参加することに・・ワラサより真鯛を揚げたい。ジュン、ごめん。お留守番だぞ。
2010.10.16
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<野島公園>干潮時間は6:53、潮位58cm。今年6回目のあさり獲り。5時に起床予定だったが、変な夢を見て4時に目が覚めた。明るくなり始めた5時半ごろ出発。夕照橋たもとの有料駐車場は時間制ではなく、私にとってちと高いので管理人が来る前の、遅くとも7時半までには引き上げる予定だった。ところがアサリは小さな稚貝が多く、味噌汁の具程度の数しか獲れない。時計を見るとまだ6時半。潮が引いた後の糸状の藻を退けてみたら、これで隠れたつもりか、大粒のアサリが数粒現れた。で、掘らずに藻を取り除けるようにしたら、そこそこの収穫になった。7時前に引き上げる。駐車場管理人の小屋のシャッターはすでに開いていた。カサゴ釣りの客の車が数台、新修丸の船宿の前に停車して道具を下ろしている。今度の連休は私もカサゴに出かけるか。帰宅後、フジの報道2010で前原大臣の番組を観ながら、酒蒸しで朝から一杯。野島には出かけたものの、ほとんど散歩にならなかったジュンは不満をあらわにする。ひさしぶりに、山道を釜利谷に出かけるか。 釜利谷西から関谷を降り、小川アメニティに出る。 ポツンと彼岸花が咲いていた。笹下釜利谷道に出て、完全閉店したがその後、経営者が変わったらしく新たに開店したDO ITのNewトンカチの店内を覗いてみた。道具類を探すのにちょっと不便になったなと感じていたが、ちょっと安心。文庫駅の方へ歩を進めたらギョ!マクドナルドがなくなり、セブンイレブンに建て変わっていた。私の近所も、ドラッグストアのクリエイトが大きな店舗を建設し始めた。すぐそばには同じドラッグストアのサカイヤがすでにあるのだが・・・移り変わりと競争の激しさを思うが、今の若い人たちは受験競争は私らに比べれば無いも同然だろうが、就職・仕事の厳しさは私らの比ではないだろう。せめて、明日は今日より良くなると楽天的なアホになってもらいたい。
2010.10.03
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(コピペを含め、長文です。が、関心のある方には濃緑のコピペの一読を。)相手を論破するには、その言い分に耳を塞ぐことなく、かの考え方を掴み一段と高いこちらの論拠を示す必要がある。それは、直接的な利害のないオブザーバー、即ち世界を味方にする上でもきわめて重要である。中国漁船のチンピラ船長の海保船への衝突事件は、日中双方にとって尖閣領有の問題があるからこそ、互いに引けない問題になっている。何事につけ、「事案」への勉強・研究と対応策を練ることは、人として当たり前のことだが、さらに素早い決断・行動と責任を果たすためには、極楽トンボ的日常生活に浸っていては、時間が過ぎ行くだけである。民主党政権に代わった時、心配だったのは「外交・防衛」だが、不安は的中した。自信喪失の自民党、以下野党の群れ。今は日本が、中国の侵略されっぱなしだった、清の時代に退化しているような諦め菅がただよう。中韓のマスコミ報道は、たまに目を通すが(その日本語サイト)、メルマガで、「人民日報」掲載の“「釣魚島は中国領」中国の言い分”が紹介されていた。大切に思われるので、以下にメモする。"桐鳳柳雨 [メルマ!:00148000]" 【世界の新聞「101紙」の視点】1日分【101紙】「釣魚島は中国領」中国の言い分☆====================================================================独断と偏見はご容赦!【最近の社説の、ここに注目】======================================================================28日付「人民日報 日本語版」『釣魚島はなぜ中国固有の領土なのか』の社説。『釣魚島沖で9月7日、中国の漁船が日本海上保安庁の巡視船に拿捕(だほ)され、船員が違法に拘留された事件をきっかけとして、中日両国間で懸案となっている釣魚島問題が再び全世界の関心を集めている。』『釣魚諸島は中国固有の領土である。早くは1561年、明朝の中国古代地図に釣魚島が中国福建省の海上防衛区域として記載されている。』『さらに清朝・康煕皇帝の冊封使として琉球王国を訪れた徐葆光の琉球録『中山伝言録』にも釣魚諸島に関する確かな記載があり、琉球王国の権威的な学者の見解として「琉球の姑米山(沖縄の久米島)は琉球王国の西南端にある主山、つまり国境線上にある主島」と説明されている。』『事実、釣魚島つまり日本側の言う尖閣諸島に関する記載で1868年の明治維新以前のものは見られない。』『『日本外交文書』第18巻の記載によると、明治政府は1879年に琉球国を編入した後、釣魚島に領有権を示す標識(国標)を立てるため、1885年から3回にわたって秘密裏に調査を行った。』『そこから得られた結論は「『中山伝言録』に記載されている釣魚台(台湾・香港での呼称)、黄尾島、赤尾島などと同一の諸島に属する」ため、「清国との領有権交渉にかかわる」が、「現在の情勢とは合致しないように思われる」というものだった。』『ここから、釣魚島は占有された土地であると当時の日本政府がすでに認識していたことがうかがえる。』『ところが1894年7月に日清戦争を起こした日本は、下関条約の締結を間近に控えた1895年1月、勝利を確信すると、釣魚島に国標をひそかに設置した。』『そして同年4月、下関条約の締結により、台湾および付属諸島が日本に占領されることになった。』『1945年の日本降伏以降、釣魚島は台湾に属する島としてカイロ宣言に基づき中国に返還されるべきであった。』『だが第2次大戦後、沖縄を領有した米国は1953年12月、いわゆるサンフランシスコ講和条約に基づき、経度線と緯度線による線引きで釣魚諸島を沖縄の一部として区画した。』『一方、中国政府は早くから、サンフランシスコ講和条約の違法性と無効性を主張していた。』『しかし1971年6月、日米間で沖縄返還協定が締結される際、沖縄の施政範囲が見直されることはなく、中国政府および国民から激しい非難が起こった。』『これを受け、米政府は同年10月、「施政権を日本に返還するが、主権にかかわる問題には全く抵触しない」「釣魚諸島をめぐる全ての紛争は当事者間で解決すべき事項とする」との見解を表明した。』『中日間の領有権問題で、米国はいまも中立の立場を貫いている。』『1972年の中日国交正常化、1978年の平和友好条約締結を背景として、中日双方は両国関係の大局にかんがみ問題を棚上げする道を選んだ。』『しかし日本は冷戦後、釣魚島問題における態度を一転、強硬な姿勢を示した。1996年8月、当時の池田行彦外相は「中国との間に領有権問題は存在しない」と述べ、釣魚島を日本固有の領土とする立場を強調した。』『21世紀に入り、米ブッシュ政権の発足後、アーミテージ副国務長官はイラク戦争などで日本の支持を獲得するため、「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本政府の施政下にある。日米安保条約は日本の施政下にある領域に適用される」との見解を表明した。』『米国のお墨付きを得たことで勢いづいた当時の小泉政権は、釣魚島への管理を本格化させていった。』『今回の漁船衝突事件には以上のような歴史的背景がある。さらに特筆すべきは、日本で現在、今回の事件に乗じて「防衛計画の大綱」に釣魚島問題への対応を盛り込もうとする動きがみられることだ。』『こうした動きは両国の戦略的互恵関係をひどく損なうものである。』『両国に与えられたもう一つの選択肢は、戦略的互恵関係の枠組みの下、敏感な問題の解決策を模索することにより、戦略的相互信頼を築き、両国関係の障害を取り除きながら前進することである。』メルマがの発行人 桐鳳氏のコメントは私も同様な意見を抱く。以下、桐鳳氏のコメント日本のメディアからは当然のことながら、「尖閣諸島は日本の領土」という主張しか聞かれない。そこで公平に、釣魚島(尖閣諸島)がなぜ中国固有の領土なのか、中国側の言い分も聞いてみたい。『1561年、明朝の中国古代地図に釣魚島が中国福建省の海上防衛区域として記載されている』『さらに清朝・康煕皇帝の冊封使として琉球王国を訪れた徐葆光の琉球録『中山伝言録』にも釣魚諸島に関する確かな記載があり』『釣魚島つまり日本側の言う尖閣諸島に関する記載で1868年の明治維新以前のものは見られない』以上の一節。要するに、日本側は国際法上の「無主地先占の法理」を主張するが、それが正しいのならば釣魚諸島を最初に発見したのは中国であるのだから、中国に領有権が生ずるということだろう。また、日本からすると、1970年頃に尖閣諸島周辺海域を調査した際、膨大な海底資源が眠っていることがわかり、それを境にして突如中国が領有権を主張し出したという印象もある。それについては社説で、『1971年6月、日米間で沖縄返還協定が締結される際、沖縄の施政範囲が見直されることはなく、中国政府および国民から激しい非難が起こった』からだとしている。以上、納得されただろうか。(桐鳳)国際法上の「無主地先占の法理」から、その上の論拠の構築を目指さなければ、今回の中国の素早く卑劣な対応に対し、もたもたして拙劣な政府の対応では「戦略的互恵関係」の構築など、まさに絵に描いた餅になってしまう。*「サンフランシスコ講和条約」は言葉は知っていたが、熟知とはいえなかった。中ソは参加せず、韓国は米国を口説き落としたものの、英国の反対で参加できなかった。詳細はWikiで知った。政治家は選挙対策でエネルギーを奪われるのであろうが、外交・防衛についてはもっとブレーンを育てるべきである。下世話なマスコミ・世論に振り回されすぎである。
2010.10.02
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・ ・・・・・・・・ を、逃してしまった。喫煙癖は実は病気なんだそうだ。今日からの値上げを機会に、禁煙をするつもりであった。意志力が弱い私ゆえ、自信はなかったが・・・・・・仕事で厚木駅を降り立ち、ビルに向かう途中、案の定買ってしまった。0時までは300円、6時間後は410円。そのうち、経済的に止められるだろう・・・と、思っていたが、某ブログでゴールデンバットは140が200円とのことを知り、これもまたいいかな?と、思って帰宅後、WEBを開いたら以下の記事が、たばこ:値上げ 「旧3級品」愛煙家の強い味方? 安価が魅力6銘柄 /鳥取毎日新聞 10月1日(金)15時23分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101001-00000192-mailo-l31 1箱200円なら、いままでより50%ダウン。やめられないかな????
2010.10.01
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尖閣沖領海内でのシナの不法漁民、事もあろうに海保の船に衝突させ、対応に戸惑いながら逮捕に踏みきり、「国内法にのっとり、粛々と対処する」という動作ののろい、高齢化ニッポンの対応。対するシナの素早い報復。・ ・・ 1万人の訪日観光団の中止、閣僚級の交流中止・・レアアースの輸出中断。・・これらのシナの対応を見ていて、青龍刀をめったやたらに振り回す中国人と、相手の隙をうかがい一刀両断を決める、日本刀を連想した。振り回しすぎて息が切れたのか、今日の中国外務省:羹報道官おばさんはちょっと休憩か? 軟化のきざしの報道があった。連日、この事件の成り行き報道の記事・ブログを閲覧している。尖閣諸島が日本の領土であることは、明々白々であり、昔、尖閣沖で遭難したシナ漁民を救った日本に、当時の中華民国から感謝状まで届いていることも今回の事件をきっかけにあちこちのブログで知った。日中の不信は、このシナ漁民の不法をさらに超えた不当な尖閣の領有権の主張にある。関心のある方はご存知の通りシナ&台湾は、尖閣諸島周辺の海底に石油・天然ガスが豊富に埋もれていることを、国連の調査で発表された1970年以降、急に領有権を主張し始めた。 転勤でやむなく家を空けていたら、市役所が庭に柿やら蜜柑がたくさんなっていますよと言った途端に、隣人がこれは家のものだと理不尽ないいがかりを言い出したようなものだ。尖閣の島は個人所有物で、内閣府が4000万を払って借り受けているという番組もあった。自衛隊を駐屯させよという議員も出てきているようだが、それはそれとして私はこの周辺海域を、完全養殖に目途を立てた近大マグロの海洋牧場に出来ないのかしらと考える。利用を考えなければ、尖閣が掠め取られること必定である。日本が海底油田を開発すれば、「日本が資源大国になってしまう・・」とほざいたシナ人のインタビュー記事も見受けたが・・。政権が不安定な国というものは、不満が鬱積している国民の目をそらすために対外的な軋轢をおこすものだが、これは今の日本にも当てはまりつつあるのでは?と考えるのは穿ちすぎか。今日29日に至り、シナが軟化したとの報道が飛び交ったが、これは決して保釈した日本への寛容などではなく、同じ問題が起きている西沙諸島・南沙諸島の周辺国の連携、そして漁夫の利を得るアメリカに対する警戒心から出た打算であろう。シナが賢明であれば、「ハルノート」を突きつけられ、我慢に我慢を重ねた挙句、大東亜戦争を決断した日本人の気質を理解しておくべきである。さて、WEBには地方紙47社が合同で立ち上げている、47ニュースというのがある。URL→ http://www.47news.jp/47topics/e/181092.phpこの中に尖閣問題に言及した各紙の記事が束ねてある。その一部をメモしておく。【特集-緊迫・日中関係】日中不信は悲しい背後にあるのは中国式覇権主義だろうか【四国新聞のコラム】…尖閣諸島沖での、中国漁船衝突事件で、中国人船長が釈放された。事件以後の、中国側の相次ぐ強硬姿勢などをみると、決して秋空のようなスッキリ気分にはなれない。背後にあるのは中国式覇権主義だろうか。 石平さんの「中国『悪魔の辞典』」(小学館)を開くと「中華思想」の項に「世界中で自分たちが一番偉くて正しい、と思い込むために作られた思想的根拠。このような思想の持ち主たちは、自分の過ちを絶対認めないことを不動の信条とする」とある。 「化外(けがい)の民」が衝突事件を立件しようが、しまいが、かの国は「鉄則を貫くために、詭弁(きべん)と強弁と責任転嫁を常套(じょうとう)手段として用いている」ということか。 「秋風や親疎別ある両隣」(五十嵐播水)。日中不信は悲しい。(N)(2010年9月26日)全文はこちらこれを書きながら、WEBを再チェックしていたら、こんな記事が目に飛び込んできた。露大統領、対日本で中国に同調姿勢「北方領土必ず行く」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100929-00000618-san-int日中不信で漁夫の利を得ようとする輩はこんなところにもいる。政府もぼやぼやしていないで、海保に衝突してきたシナ漁船のビデオを早く公開、世界中に発信して、中国に「謝罪と賠償」を要求すべきである。(いまさらビデオを証拠資料として裁判まで保管非公開していても、釈放してしまった船長をシナは返さない。)
2010.09.29
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<台風の影響もほとんどなく、9/26の今日の福浦は太公望で埋まっていた><このところ、まあまあのサバが揚がっている> <ボランティア活動先のリネツ金沢近くでも、太公望たちが竿を投げていた>日本語は相手を罵倒、けなす語彙数が朝鮮やシナに比べると甚だ少ないそうである。したがって、北朝鮮が日本を非難する報道や、今般のシナ漁師の不法行為に対するチャイナの日本非難の「翻訳報道」は、受け止める側・日本ではソフトな感覚しかもてないであろう。それでも、過去の北朝鮮の日本非難のチンピラ・メッセージや、今般のチャイナの横暴な言動には、開いた口がふさがらなく、応酬する言葉が見つからないのが実のところではないだろうか?チャイナ漁船の領海侵犯については、韓国も悩まされ拿捕しているそうであるが、日本に対する今般のシナの反応は、尖閣を念頭に揺さぶりをかけたことは間違いはない。内政的には「人権」どこ吹く風のシナが、日本の法治による暴走漁民逮捕に、過剰・・国を挙げての報復。反日の旗の下に国家を作り、国体を維持しているチャイナ・朝鮮は、残念ながら、その国民が日本を知れば、その体制が揺らぎ、内政が覚束なくなる・・と思う。そんな、弱点を突くことは簡単であろう。宣伝ベタな日本ではあるが、相手の弱点を突くのを良しとしない、日本の文化がいつも正攻法に走り、対応も後手後手に回る。最近知ったことだが、シナ人の半数以上が日本はいまだに軍国主義の国だと思っているそうである。それゆえ、領海を侵犯し逃げ帰れば、「英雄」としてチャイナではたたえられる。13億のシナ人を抱える人民軍国家。今般の反日デモは小泉首相の靖国参拝時に比べれば、規模は抑えられているようだが、シナ共産党の官製デモであることには変わりがない。目的は最終的には尖閣、沖縄への侵略・・・遠大な戦略である。ならば、シナの目を東シナ海からそらせるには、チベット・ウィグル自治区に火をつけ、タイ・ベトナム・フィリピン・インドネシア・・オーストラリア・・・米国と国際法を楯にシナ包囲網を作ることだろう。また、日米+インドに対抗して、シナはパキスタンを取り込もうとしている。外交とは将棋やチェスに似ている。「点」の課題を解決するには、「面」を見なければ負けてしまう。日本が米国と開戦に至った根拠は、理不尽な「ハルノート」を突きつけられたことによる。我慢に我慢を重ねた結果のヒステリーのような暴挙だったと思う。「中華主義」の横暴に我慢を重ねて、また暴発するのはまっぴらゴメンである。日中の「戦略的互恵関係」の中には相手の弱点を突き、これを改めさせるのも含まれる。シナの弱点・・・! 独裁内政であろう。
2010.09.26
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沖縄・尖閣諸島近海で起きた中国漁船衝突事件は、歴史で学んだ盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)を思いおこされる。仕掛けたのはどちらか?法治国家として聖徳太子(憲法17条)以来、明治期に欧米流の「法治」を学んだ日本と、「人治」で国家を築いてきて「国際法」には疎いのではないかと思われる中華主義&共産主義の独裁国家。この1年、チャイナがその経済的台頭でうぬぼれ、南シナ海でフィリピン、インドネシアの島嶼をその海軍力で奪い、第1列島線、第2列島線を構築しようとしている報道に接する。関心をひき、読ませていただいた記事のタイトルとURLを列記しておく。改善する中国人の“対日”イメージ 変わらぬ日本人の“対中”悪印象~日中共同世論調査から浮かぶ中国人の「自信」と日本人の「不安」 【特別寄稿】言論NPO代表・工藤泰志 http://diamond.jp/articles/-/9421中国漁船衝突 米、尖閣は日米安保の対象 組織的な事件と警戒 2010.9.16 23:04http://sankei.jp.msn.com/world/china/100917/chn1009170010000-n1.htm日本の帝国陸海軍と人民解放軍の類似点その新たなる使命とは~中国株式会社の研究~その752010.09.10(Fri) 宮家 邦彦http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4418尖閣問題で日中関係は再び冬の時代に戻るのか中国が犯した2つの誤算~中国株式会社の研究~その762010.09.17(Fri) 宮家 邦彦 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4477社説:日本と中国で関係修復を2010.09.16(Thu) Financial Times http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4469軍事大国へ突き進む中国の暴走を抑えよ歴史に学び、いま日本がやらねばならないこと2010.09.17(Fri) 織田 邦男 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4468他にも多々あるが、きりがないので省略する。人類の5人に一人は中国人だという。CHAINA=支那(シナ)の人治ならぬ人智はひょっとすると、その人口数に物を言わせて「数撃ちゃ当たる」で、「知的所有権」を盗み、「国際ルール」なんぞ意識にないように思われる。約束した政府高官の訪日を、感情に赴くまま?なのか、政治的小細工なのか?一方的に反故し、面子(メンツ)を保とうとする。インド、東南アジア諸国、オーストラリア・・・・そしてアメリカによる包囲網。中国は崩壊したソ連の轍を踏むような気もする。「中国漁船衝突事件」は、中国人民軍(中国政府の監理下にはないそうである)が、フィリピン、インドネシアと話し合うことなく、その島嶼を侵略し建造物まで構築した甘い経験から、政治空白の中の日本を試そうとした「冒険」とも思われる。(選挙屋=小沢一郎(政策無茶苦茶。政治音痴で目上にはゴマ擂り屋。チャイナ朝貢外交者。)が、代表・首相になるとチャイナは踏んだのか? 菅も外交・防衛についてはアホの極楽トンボだが、空白中の取り巻き・官僚が優秀だったのか、運がいいのか、代表選後翌日の円高対応は、うまくこなした。)尖閣諸島では、ルーピー鳩山が軽率な発言をし、すぐさまフランケン岡田が、「領土問題は存在しない」と突っぱねたが、これはミンシュ党の外交姿勢では数少ない正当な自己主張である。今日の菅政権の内閣改造では、前原氏が外相におさまった。すこし、ほっとする。前原氏は国交相就任直後では、ヤンバダムで貧乏くじを引いた。またまた、普天間基地問題・対中関係・対米関係・為替介入で貧乏くじを引いたのかもしれないが、私としては応援したい唯一の民主党員である。(苦労が人を大きくすると信じている。)さて、「中国漁船衝突事件」では、海保船にぶつけた船長はそのことを否認しているそうである。ショックで彼の母親が死亡したとの報道もあった。(中国政府の意にある報道機関の嘘かも知れないが・・)*後進国に生まれた弱者が嘘をこくのは常態である。嘘をつくからますます弱くなる。先進国で教育を受けた輩が嘘をこいて、バレれば後はない。「嘘をついてはいけない」という教育は、決して道徳的なものではなく、最終的には自分が損をし、回りさえも迷惑・損をするという実利的な人智である。まだ、報道されていないのは「中国漁船の衝突まで」の、ビデオ記録である。下手に配信すれば、中国はまた毒ギョウザ事件の時のように、小細工・反論を弄しかねない。*日本の調査捕鯨でのシーシェパードの攻撃シーンは、反捕鯨国の操作されたマスコミ報道・ドキュメンタリ(文字・写真・映像)より説得力がある。ただし、虚構を意図して編集操作された画像・映像が配信されれば、誤解を招くことは映像・画像に興味の深い私にしてみれば、許せないことだが・・ → コーブ:アカデミー賞を受けたドキュメンタリーもどき映画など!!「中華主義」に目覚め始めている中国に、「国際ルール」を目覚めさせるのは容易ではないだろうが、日本としては「日出づる国、日没する国に物申す」姿勢を貫かなければ、歴史の退行を招きかねないと思う。
2010.09.17
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<2010.9.11 16:40頃 福浦 横浜へリポート>テレビが壊れて1週間。テレビがない生活もいいではないかいな?と我慢できたのは、1日だけ。テレビのない初日は、ほとんど使っていない7インチ画面のDVDプレーヤーで、私が生まれる以前の映画を楽しんだ。 → ノートルダムのせむし男、美女と野獣、戦艦バウンティ号の反乱(1935年)翌日からは4インチほどのワンセグテレビを復活させた。そして今日の昼過ぎ、REGZA32インチが届いた。39インチでも良かったかなと思う。テレビが故障中でも、外付けHDDレコーダは録画を務め、容量がパンクしていた。その中から、映画「チャーリー」を見た。チャーリー・チャプリンの伝記映画である。監督はリチャード・アッテンボロー。映画「ガンジー」を撮っている。 ところどころチャプリンのモノクロが映し出される。私もほとんどを観ていたので、懐かしさが混じりあう。チャプリンの映画は日本人も、その「なにわぶし」的ストーリーで好きな方が多いのではと思う。私がとりわけ好きなのは、「街の灯」である。
2010.09.11
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半休をいただき、ボランティアグループ「助さん」からいただいた案内の「救急救命講習」に参加した。6月には仕事の必要上、「防火・防災管理者講習」を受講したが、救急救命の実技までは及ばなかった。知識としては人工呼吸や心臓マッサージ、AEDの機能は知っているつもりだったが、浅はかだった面は否めない。マネキン相手に声をかけ、呼吸を確認し、周りの人の中から119番への確実な通報依頼、その他の人にはAEDを探して持ってくるように依頼する。待つその間は、人工呼吸と心臓マッサージの継続。100回/分のリズム、2回の人工呼吸・30回の心臓マッサージ。実技に及ぶと、人工呼吸時に鼻をつまむのを忘れたりする。心臓マッサージは乳頭戦の間。体重をかけ、胸骨を折ってしまうのではとの不安もよぎるが、心臓が止まることを考えれば、それでもマッサージを続けたほうが良いとのコメントを聞いた。(骨は生き返れば復活可!)救急救命は早ければ早いほど助かる確率は高い。AEDは要否を自動判定する。呼吸が止まる。・・・と言うことは心臓機能が弱まっている。・・・血流の低下。血が一番回るのは脳。対応が遅くなればなるほど脳細胞が死滅し、助かっても後遺症が残る場合もあると言う。心肺停止の場合はAEDが持つ心電計機能で、作動に及ばないそうである。私の誤解-間違いは心肺停止をAEDのショックで復帰させるものだとばかり理解(誤解)していた。「AED」は通勤時・ジュンとの散歩時に、よく見かけるようになった。場所を明確に覚えるようにしておこう。
2010.09.06
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<2010.9.5 福浦岸壁>こんなに長い猛暑は初めてではないのだろうか。勤め先のビルではエアコンのトラブルが続出。コンプレッサ交換も3件に及んだ。自宅の居間のエアコンもリモコンが効かなくなった。が、本体のボタンで何とか動く。さて、金曜日帰宅後テレビを点け、ニュースを見ていたら電源が切れた。スイッチを繰り返しいれても、瞬間は入るもののすぐに切れてしまう。購入したのは9年前。BSデジタル・地上アナログのブラウン管タイプ。ネットで安く購入したが、重く(28型)、一人でテレビ台に載せるのに苦労した。9年前の製品とはいえ、修理できないことはないのだろうが、ハイビジョンの画像も少し劣化してきているのでこの際買い換えることにした。今使用している外付けのHDDレコーダ(シャープ製)が便利なので、追加としてHDD内蔵の液晶テレビにした。容量は500GBで、32インチ。価格は8万弱。ソニーと東芝製を比較し、ジャンル検索機能が東芝にはあり、価格も安かったのでこちらに決定。ネット通販では6万そこそこだったが、前回の苦労で近くの量販店で購入。10年保証にも加入した。エコポイントやら店のポイントを価格から差し引けば6万そこそこ。工高時代の親友が名古屋で電気店をしていたが、30年ほど前は目玉商品として13インチテレビが3万で、彼は納品・設置の手間隙を考えれば売れないほうがいいと、ぼやいていたのを思い出した。付加価値の高い「仕事」はどこにあるのだろう。私の時代は漠然と、「明日は今日よりよくなる」と楽天的に社会に臨んでいた。今の若い人たちは同じく漠然と「明日は今日より悪くなる」と考えているそうな。病は気からというが、景気も気から・・・か?
2010.09.05
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8日は1週間早めた釣りクラブの例会-ライトタックルアジだった。先月24日はジュンを連れて、今年4回目のアサリ獲り。自分の食べる分だけの予定が、面白くてついついクーラー一杯に・・・。おすそ分けをと、6月にカワハギ釣りにお誘いいただいたIZTさん宅に電話をしたら、市大病院に入院されているとのことだった。その日は、MRさん・STさん宅におすそ分けして、IZTさんの回復を待った。8日の例会は大漁ではなかったが、アジ゙・サバのおすそ分けをと、IZTさん宅に電話した。奥様が出られ、・・・・・ 「旅立ちました。」 7月30日。身内だけで弔いをすませたとのことだったが、帰途、釣り姿の恰好で立ち寄った。車中にはお渡しするのをすっかり忘れていた、昨暮れのカワハギ釣りでの写真があり、おすそ分けと一緒に奥様に手渡した。話をするうち、いい年こいて恥ずかしいが、顔がくしゃくしゃになってきた。9月にまた来ましょうと、富戸港の久丸、川上ペンションにもお願いしていたのだが・・最後に電話で話をしたのは、7月上旬の釣りクラブの総会の帰途。カワハギ釣りの好きなメンバーを誘い、今度は5-6名で富戸に行こうと話をしていた矢先の他界。思えばIZTさんは思いっきり人生を楽しんだのではなかろうか。3年前に胃ガンを切除し、昨4月のイサキ釣りのおすそ分け以降、急速に近づき、富戸には以来、都合3回出かけた。カワハギ釣りは4回。昨年8月の釣行時には、すでに大腸への転移は分かっていたが、奥様は元気になるのであればと、釣行を許されていた。彼は手術後もタバコ・酒をやめなかった。近在でのハイキングもしていた。彼の健康状態への私の認識はあまりにも楽天的過ぎた。アホである。IZTさんとは1回り半、歳が違うが、彼の生き方は羨ましい。2人だけでの釣行で、車中、互いの半生を話し、趣味が登山、園芸愛犬・・サラリーマンには向かなかったかな?などなど色々な点で息が合った。先立たれたことは悲しく、それ以上に淋しい。歳をとるということは、しばしば淋しさを味わいながら、回りを楽しくさせ、自分も楽しく、残りを謳歌することなのかもしれない。
2010.08.11
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<2010.7.21 福浦>暑い!!!!!平日は6時半ごろ出て、帰宅は18時ごろ。ジュンの散歩はたまに早く起きた時、5時半頃から最寄り駅周りを散歩する。いつもは、帰宅後。汗にまみれてまだ不快な中、ジュンは散歩の隙を覗うべく私を注視する。散歩を頭に描くだけで伝わるようで、エッサホイサと跳びはね、散歩を強要する。まだ、汗ばむシャツを着替えることなく、車中のクーラーを効かせ、福浦岸壁に向かう。 ヘリ基地方面へ向かったら、昔飼っていたコロに似た赤毛の犬を連れた方が後をついてくる。しばし待って、話をした。12歳だそうだ。犬が苦手の筈のジュンも迎え入れる。住まいを尋ねたら、工場で飼っているそうで、もう1頭18歳のビーグルがいるそうである。残念ながら写真を撮り損ねたが、また会えるだろう。私の楽天的な性格の原点は、「また、会える」という期待感である。
2010.07.21
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<2010.7.17 観音崎 自然博物館側から>出勤前にジュンにあと5日だから、・・4日だから・・3日だからと、言い聞かせ、留守番をさせる日々。3連休がやってきた。初日は観音崎へ。 ジュンは涼しそうなトンネルに向かう。 日陰と太陽が気持ちいい。 散歩は涼しい日陰に限る。 戦没船員慰霊碑に上った。 博物館側の海水浴場の方がきれいな感じがする。 2日目。本当は釣りクラブの例会で、ジュンは留守番の予定だったが、船宿の身内の不幸で急な中止。MRさんからのお誘いで、たこ・キス釣りに。八景の船宿は釣り客で一杯。 たこは不調で、キス釣りに変更。 キスは爆釣。 2時ごろ沖上がり 3日目。福浦岸壁へ。 アスファルト面は熱く、草むらを散歩。 あっという間の3連休。今度の土日はどこに行こう。
2010.07.19
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<2010.7.14 18:30頃、金沢区・福浦にて>昨年ごろから、プレジャーボートはもちろん釣り船も乗船中のライフジャケット着用が義務付けられてきた。いまのところ乗船時に貸し出してくれるが、船宿のホームページを見ていると、持参を促し始めている。私は沖釣りを始めたころ、ウレタン製のライフジャケットを購入して数度持参したのだが、ウザッたくてそのうち無くしてしまった。夏は暑いし、冬は着膨れになり、ウレタン製のライフジャケットはかさ張るし、釣りを始めると脱ぎ捨てて釣り座の座布団になってしまう。さて、月に2回ボランティアで知的発達障害児のプール介添え・水泳訓練をしているが、ちょこっと自分も泳いでみた。・ ・・ ほとんど泳げない! 体力の衰えもあるのだろうが、力配分・リズムが乱れてみっともないこと・・ これでは教えられている方は上達できるわけがない!で、ネットオークションで安物を応札した。海に落ちたとき、自動的に膨らむタイプは雨や潮吹雪で勝手に膨張しないかと手動式のものを選んだ。も少しすればもっと安くなるだろうと、落札できなくて当然の¥5000で、あてずっぽにしていたら、落札してしまった。 そういえば、愛犬用のライフジャケットも出品されていた。 ジュンは昨年、泳げることを証明してくれたが、年に数回乗船する。買うか!? <福浦岸壁にて>
2010.07.14
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昨土曜日は紹介された小川動物病院に診てもらいに行く予定でいた。ところが、4時ごろから「起きろ、起きろ」前脚で引っ掻いて、眠い私の目を覚ます。もすこしねかせろと、ベッドで抱きしめ2時間ほどまどろむ。6時ごろ、暑くなる前に散歩に出る。山コースに行こうとしたら、海コースに引っ張る。 野島に向かう。 アオサが砂浜に打ち寄せるようになった。アサリはまだまだ獲れるようだ。 出口近くのベンチで一服。ジュンは草叢を散策。 完成した野島橋を遊釣船がくぐってくる。 海の公園でジュンとアイスクリームを分け合い、称名寺に向かう。まだ9時前だったが暑く、境内では雨で出来た水たまりに腹ばいになっているキャバリアを連れた方が、苦笑いしながら挨拶してくる。ジュンは復活。 今日は、リネツ金沢でボランティア。留守番させようと思ったが、クーラーボックスに氷を入れ、車中での留守番に備え、一緒に出かけた。時間前に岸壁を散歩。釣り人が大勢出ていた。ボラ終了後、ジュンをメンバーに紹介。帰宅後、投票に出かけようとしたら雨!また、同乗して出かける。明日からはジュンはまた留守番の日々になる。この4日間は4時半ごろ起床。早朝散歩をした。明日もか。昨暮れに開花期を知らず買ったトルコ桔梗が咲いた。
2010.07.11
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ジュンと荒崎にドライブ散歩に行ったとき、公共駐車場の管理人がジュンを手招きして呼び寄せた。犬より人の方が大好きなノーリードのジュンは、私を置いて走りよる。1時間ほど散策し、戻ってきて管理人としばし立ち話。彼は最近愛犬柴を亡くし、「こんなことを言うと、不遜かもしれないけれど親を亡くしたときより悲しい」と、思いを吐露した。私も小学生の頃、コロの死で絶望という言葉の意味を体で知った時、いろいろなことを考え、親が死んでもこんなに悲しいのだろうかと、夢にまででたコロに思いを馳せたことを思い出す。2週間、調子がおかしかったジュンの元気は復活した。十中八九、私より先に逝くであろうジュンの未来には背を向けて、今日の元気なジュンと、今のありがたさを噛み締める。
2010.07.09
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〇〇賞の選考委員には、しばしば世間知らず、アホが紛れ込む。私にはエンターテイメントと思える映画【ザ・コーブ】も、米アカデミー賞が与えられたそうであるが、数年前の米下院での【朝鮮売春婦決議案】と同列の問題のように思える。報道にせよ、ドキュメンタリーにしろ【事実を核】にし、独善的な考えを【表現の自由】を楯にして表すのは、民主主義の社会では許されるべきである。軽薄な右翼は【上映禁止】を訴え、騒いでいるようである。報道やドキュメンタリーを指弾するなら、【表現の自由】を基とし、その過ちを丁寧に挙げて、表現方法・手段の適切化を考えていかなければならない。上映禁止や発禁圧力は愚民を産み出すだけである。それでも、愚民は表現者の嘘・捏造を見抜く能力を磨かなければならない。一歩づつでも・・・・・いつか、賢人になれる。7/4 荒崎にて
2010.07.07
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7月4日の日記。2週間ほど前からジュンの様子がおかしい。散歩には出たがるが、歩く時の姿勢は首をうなだれ上目づかいで前を見る。先週の伊豆・釣行で同乗し、平常に戻ったと思ったが、その後は元の木阿弥。仕事を得て半年。平日の孤独な留守番がこたえるのか?当初の6年間は孤独に耐えた。私の失業で3年間は24時間一緒だった。同じような症状は、24時間一緒だった昨6月にも発症した。医院では「精神的なものだ」と片付けられ、納得がいかず精密検査もしてもらったが、肉体的には全く異常無しだった。おとといは、釜利谷の山コースを散歩し、症状は緩和したと思われた。 釜利谷小川アメニティーにはカルガモがすぐそばにいて、ジュンが近づいても平気で逃げもしなかった。 途中、雨にたたられ合羽を着せたものの、ずぶ濡れになりそうで抱っこして帰宅した。そして、4日は早くに眼が覚め、思いつきでK爺さんのブログによく紹介される【荒崎】に出かけることにした。公営駐車場のすぐ手前でおばあさんから手招きされ、料金は半額とのことで私設の駐車場に停め、ジュンを降ろしたらすっ飛んでいく。ジュン、復活。 荒崎は私もジュンも初めて訪れる。 まだ9時だが蒸し暑く、ライフジャケットを着用した親子が海中を探っていた。 あちらこちらで、幼い子供連れの家族を見かける。 ジュンと磯歩きを楽しむ。 1時間ほど巡り、蒸し暑さが不快で帰宅しようと思ったが、地図を見ると和田海水浴場がすぐ近く。足を延ばすことにした。ここは、駐車場は無料。 車を下りたジュンは、すたこら砂浜に向かう。ちょっと待て。「海の公園」は、このシーズンはお犬様は入場禁止になっている。ひょっとしたらここも・・・。 ジュンを抱いて看板に近づいたら、警告は私向けだった。即ち、「禁煙」。神奈川県では海水浴場も今年から禁煙になったニュースは見ていたが・・ ライフジャケットを着た小学生たちが、波打ち際で戯れ沖合いではカヌーを楽しんでいた。 海での朝寝を楽しんでいる方も・・・ ぼちぼち、帰ろう。元気が戻り、いい1日だった。<Photo>1日の容量制限オーバー。別の機会にアップ。 が、今日5日。散歩の半ばで、また不調。八景駅前の果物屋さんに立ち寄っても、恢復しない。追浜の動物病院が名医で、是非一度見てもらうようにすすめられた。ジュンが不安定だと私もおかしくなりそうである。私のためにも、土曜日は医院にかかりに行く。
2010.07.05
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<2010.6.26 夕方の伊豆・富戸港>昨年の8月、11月に続き、IZさんからカワハギ釣りのお誘いを受けた。いつもながら、お膳立て・費用はIZさんが負担。せめて、交通費くらいはこちらでと言っても、押し問答になってしまい、結局甘えた。6月のカワハギはIZさんも初めてという。五目釣りになるかもしれないので、釣り餌を買ってくるなら、(冷凍)剥き身アサリ以外に、オキアミや青いそめを持って行ったほうが良いと言われ、送迎前に釣り具屋に立ち寄った。(生の剥き身はIZさんが3人分+αを用意してくださっていた。)26日は遅めのブランチ(死語か?)で、昼ごろジュンを同乗してIZさん宅に向かったが、気遣いの足りない私は昼食を済ませたか確認しないまま、奥さんの笑顔で送られ、鎌倉を抜けて134号線で富戸に向かった。IZさんからタバコを買いたいと言われ、西湘バイパスのパーキングで休憩。3年前、胃の切除手術を受け、今でも通院されているが、酒・タバコはやめられなく、昨年もペンションでご一緒に晩酌した。奥様も承認済のようで、今回の釣行も「元気になる基になれば、かまわないから」と、明るく対応してくださったので、こちらも気が楽である。(釣りクラブの同世代のHKさんは、ペースメーカーが体内にあり、喫煙を禁止されているが、いつも隠れて吸っている。女性の【感】のするどさは、もちろんHKさんも承知のはずだが、泳がされている?)さて、パーキングでタバコ4箱と、寿司おむすびを買われたIZさん、車中で空いた小腹を満足させていた。(食が太いことは、周辺の人間にしてみても安心感を増す。)16:30頃、城が崎・川上ペンションさんに到着。この1週間元気が失せていたジュンが復活。食堂でご主人とIZさんが歓談している間も、「勝手知ったる・・」とばかりに、あちこちうろうろ。建屋に入る直前におしっこを、外でしていたので、安心していたら、奥さんから「廊下の突き当たりで、大をしていた」といわれ、昨年と同じく小さくなる。ジュンとは夕食前に富戸港へ散歩。途中、でかいプードルを連れた方や、4頭飼いで散歩している若い女性も見かけた。 富戸港の入り口ではこんな看板も。 当然だろう。公共の場所で愛犬の糞の後始末をしない不心得者は多い。 ペンションに戻り、岩風呂で汗を流し、ビールをいただいた。それから盛りだくさんの夕食。ハンバーグを残してしまい、これはあす、船中で食べたいからとお弁当にしていただいた。(晩餐を写真に撮れば良かったが、私はこんなときに気が回らない。)IZさんともども、お銚子を2本あけ、睡眠タイム。まだ20時。 そのうち、寝入った。5時40分ごろ、久丸に向かう。船長はすでに待っていた。ペンションのご主人Kさんが、早々に良形○○ガシラ(名前を忘れた)をあげる。塩焼きや、煮つけでおいしいそうである。教えられなければ、私はリリースしていただろう。 誰も遊んでくれないジュンは、さっそくふてくされる。 順調にカワハギをあげていたIZさんに、良形のカワハギが。 弱雨だが、海はほとんど凪。ジュンは、遊んでくれよと船中を回る。 私もまあまあの形があがったので、シャッターを押してもらった。 外道は、トラギス・エソ・ベラ・チョウチョウウオ・カサゴ・カナガシラ・・多彩。そして、・・・・ キタマクラのトリプル。Kさんは五目どころか八目になったと言っていたが、魚の活性が高く、存分楽しめた。14時、沖あがり。釣りをしている最中、小型船が横付けし、船長となにか話をしていたが、マルイカ釣りの船で、お土産として3人に6杯ずつ買ってくれていた。ラッキー!帰途、コンビニで追加の氷を買っていこうかと思っていたら、これもまた、船長が車で戻り、大量の氷を持ってきてくれた。何から何まで、まったくありがたい釣行日だった。IZさんは9月もお願いしますと、船長に依頼していた。船長の話では7、8月のカワハギはやめたほうがいいらしい。朝は私の1台しかなかった車も、多くが停められていた。富戸はダイバーたちのスクールでもある。また、腹の立つ映画「ザ・コーブ」で指摘された太地港に共通した歴史もある。 写真では干潮だが、昨8月はジュンが左の岸壁から海に飛び込んだ?のか、落ちたのか不明だが肝をつぶした。そのときの代船ひろし丸の船長は、「タモで犬をすくった(救った)のは初めてだ・・」と、ジュンのこの1件はいつまでも語り草になる。ペンションに戻り、Kさんは釣果を確認。 IZさんのクーラー。 本命カワハギは3人とも15-20くらいだと思う。ピラフをいただき、15時ごろ出発。遅くとも19時ごろには帰着できるだろうと思ったが、いつも悩むのは小田原厚木道路経由、東名・横横で帰るか、湘南道路をもどるか。遅い帰宅での釣魚の下処理が大変に思われたので、釣りクラブのMさんに電話しておすそ分けすることに。湘南道路は二宮まではすいすい進んだが、その後の渋滞で19:30頃IZさん宅に帰りついた。Mさん宅では「もう、夕食を用意してあるから」といわれ、ジュンと一緒にあがりこんだ。夕食をいただいてから、そそくさと、もう1件SCさん宅に届ける。自宅に着いたのは21時まえ。あれこれ片づけ、残った自分の分の下処理。カワハギの肝はほとんどなかったが、1匹だけが産卵前で、卵と肝もそこそこ大きかった。食材を買うのをやめて、冷凍庫のイサキ、マルイカ他を片づけていかないと・・・ ジュンはペンションの愛犬「ポテトちゃん」にも少し慣れてきたか。IZさんは筋力の低下が著しいが、食が太いことが喜ばしい。9月がまた楽しみである。
2010.06.28
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<衝動買いした球根ベゴニアは大正解だった。>日経ビジネスオンラインから送られてくるメルマは、紹介タイトルが多すぎ、とりあえず関心を呼ぶタイトルのURLで開き、【お気に入り】に追加しておき、あとから読むようにしている。今日は、毎日が日直。「働く大人」の文学ガイド 『80. 「わかってる」と主張する人は「わかってる人」か? 上野千鶴子『ニッポンのミソジニー』 Ausor:千野 帽子 を読む。千野 帽子氏の記事は彼女らの世界を知っていないと難解な点が多い。上野千鶴子氏の名前はフェミニストおばさんとして、名前だけを知っていた。しかし、【ミソジニー】が何なのか分からず、誘蛾灯に飛び込む虫のように興味津々となった。【ミソジニー】とは・・・千野氏の記事ではミソジニーとはもともと「女嫌い」のことで、上野さんの専門分野であるフェミニズムのキーワードとしては政治的文脈で使われる言葉です(ただし、フェミニズムの名で呼ばれる考えかたはきわめて多様らしく、この分野のタームはフェミニストによってその使いかたが異なる可能性があります)。私は「女嫌い」かもしれない。で、あれば、私は【ミソジニー】ということになる。いやいや、「女嫌い」というより女性が苦手である。君子危うきに近寄らず。千野氏の記事中【女の世界】のことが、上野千鶴子氏の文章から引用紹介されていた。興味深い表現なのでメモしておく。男は男同士の世界と、男と共にいるときの女しか、知らない。あたりまえだ。男のいない場所で、女同士が共にいるときに、女がどんなふるまいをするかを知らない。女だけの集まりに男がひとりでも登場すれば、女のふるまい方は即座に変わるから、女だけの世界をついに知ることがない。 だが、女は女が男のいる場所でどうふるまうかと、女だけの場所でどうふるまうかの落差を知っている。若い頃、会社のロッカールームから出てきた同僚が、あきれた雰囲気で「女があんなにスケベーだったとは思わなかった」と、隣接したロッカールームで彼の存在を知らず、しゃべくりあっていた女性たちに、しらけていた事を思い出した。【女だけの世界】は、おぞましいものではないかいな?と邪推している。やはり若い頃、セールスプロモーション業務で新人女性を展示会(休日開催)の要員に指名したら、こっぴどく苦情を言われたことがある。弁解がましく、「リーダー的存在の〇さん(女性)と相談したら・・」と説得したら、火に油を注いだようで、「あなたは女の世界を知らない!相談できるわけ無いじゃないですか!」と叱られた。女性は上司であっても男には強いが、女同士ではそれなりの立場があるようで・・さて、興味をいたく抱かされた千野 帽子さんの記事は80回目。過去記事に目を通すのは時間がかかりそう。しかも、この80回目の記事中、(『ニッポンのミソジニー』第7回「女子高文化とミソジニー」は紀伊國屋書店ウェブサイト内で全文読めます)と、上野千鶴子氏の記事まで紹介されていた。そして、その第3回目のタイトルは【女好き男のミソジニー】。通勤途上では、このところ超短いジーンズで、脚を魅せつける女性に悩まされる。40年ほど前にも【ホットパンツ】が流行った。現役の頃、ひとまわりも歳の違うアシスタントの若い女性から、「男の人って、スカートが短くて、髪の長い女の人が好きなんですってね。」と、冷やかされた。20歳の頃はキリスト教の聖書に関心が高かった。そんなおり、「あー、神様。あなたは女までお造りになりました。」という一文が面白かった。男にとって「女の世界」は、はやぶさが持ち帰ったことを祈っているイトカワの砂のようなものかもしれない。
2010.06.23
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<2010.6.21の夕日>昨20日の日記。6月の例会は、間口港・喜平治丸でマルイカ。天気予報では雨だったが、このところはよく外れる。3時起床。5時集合。Hさんを同乗して、4時40分ごろ漁港に到着したが、数台の車が港から出てきた。晴れたので、乗り合いの釣り客で混んだ様で、あぶれた客が松輪に向かったのかもしれない。しかし、いざポイントに向かうとシケで、うねりが大きい。 しっかり掴まっていないと、座っていても甲板に叩きつけられる。 うねりを見ちゃダメ!というのにTさんは、1杯揚げてすぐダウン。私はイカ・蛸釣りは苦手で、久しぶりというか、【マルイカ】は初めてだった。事前に釣り雑誌やWEBで情報を学んでいたが、実戦は異なる。イカとはいえ、どうやらカワハギ釣りの要領に似ている。乗り物酔いには強いが、私は1杯のみのトホホ。 透明だったマルイカは、レジ袋に入れたら赤く変身。アカイカといわれるゆえん。11時ごろ沖上がり。船宿でラーメンをいただく。女将が、5人分しかないけど釣果が思わしくなかった方は持ち帰ってくださいと、冷凍されたマルイカが供された。私が手を挙げたのはもちろんである。来月の例会は徳エム丸でマダコ。苦手な軟体動物の釣りが続く。つ抜けなかったものの、Hさんに「私はイカのエンペラーは好きなんです。」と、話したら彼も同じで、おいしいですよねという。彼が嫌いだったらエンペラをいただこうと思ったのに・・・・残念!留守番させたジュンとは、帰宅後すぐ追浜方面へ散歩。雨がポツポツ。昨日はまったく不運な日だった。
2010.06.21
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忙しいとき&気忙しいときは、ついつい読まずにフォルダに分類して、これを読まないうちに、次のメルマが届いてしまう。「勝てば官軍、負ければ賊軍」太平洋戦争の敗戦から、60余年を経て「自虐史観」を見直す動きに、私が関心を持ちだしたのは、中国・韓国・朝鮮からの教科書・歴史認識への干渉からだったと思う。自らの誤認識・不勉強を棚に上げ、他人・他国を糾弾する輩は、ゴキブリのように、どこにでも徘徊している。日本での不幸は、自国をさげすんで正義漢面する輩が、闊歩していることではないかいな、と思う。そんな中、下記メールマガジンの記事に目がとまり、購読し始めてから数年過つ。平河総合戦略研究所 [メルマ!:00133212] 甦れ美しい日本 第614号◎佐藤 守 大東亜戦争の真実を求めて 269"荒木肇 [メルマ!:00174026]" 「海を渡った自衛官─異文化との出会い─」 & 陸軍史あちらこちら 荒木肇 "伊勢雅臣 [メルマ!:00000115]"JOG-mel No.651 沖縄県民20万人を救った二人の島守(しまもり)(上)国旗掲揚や、国歌斉唱、国を愛するというと、すぐ【戦争】に直結させてしまうパブロフの犬のような日本人も多い(ように思う)。小中学校での教育やらマスコミ報道の影響で、犬が【お手】をするように、反射的に【戦争反対】と叫ぶ単純な人も多い。私は心底、戦争を忌避するために、戦史を読む。追: 「大東亜戦争」が、「太平洋戦争」のことであるのを知ったのは、切手蒐集をしていた小学生の頃である。大東亜戦争記念という切手が発行されていたのをカタログで見つけたからである。日中戦争と一言でいうが、「支那事変」など【〇〇事変】と言っていた。律儀に国際ルールを守ろうとして、【戦争】にはしたくなかったからのようである。きわめて多くの方々の、努力の賜物である戦史を読んだり、TVで観たり・・感謝して、今日届いた荒木氏のメルマの冒頭文を貼り付けておく。陸軍史あちらこちら-(68) 荒木肇 「便衣隊と日本軍」いつもご愛読ありがとうございます。この場をお借りして、新刊のお知らせを致します。 『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか--安全保障と技術の近代史』が7月初めに出ます。発行元は(株)出窓社(でまどしゃ)です。www.demadosha.co.jp180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-18-7-303 電話0422(72)8752 『日本人は19世紀の中頃からおよそ1世紀あまり、戦争をくり返してきた。それまでは、農産漁村で働き、商売に精を出し、国防など「お上のすること」と考えてきた人がほとんどだった。近代国家の成立に必要な鉄も、石炭も、資源もろくにない国が、いきなり列強が力を振りまわす国際社会に放りこまれた。 ぎりぎり食えるだけの米と、わずかな軽工業しかもっていなかったちっぽけな国が、大国との2度の戦いに挑んだ。どちらの戦争も、かろうじて切り抜けて独立を全うできた。この博打に勝ったことは事実である。その時々の実態を、技術と、教育の目を通して見直してみよう、そう考えて、この本は書かれた』(本書の「はじめに」より抜粋) 私は学部時代、近代教育史のゼミにいました。そこでの学びの中で、大正末期からの地方青年団活動や、実業補習学校、併設された青年訓練所などの制度、日露戦後からの教育制度改革などの変遷を知りました。 それらは、当時、誰からも関心がほとんどもたれていませんでした。同世代の学生たちからは『そんな、滅んでしまった制度など調べて何になるのか。いま、目の前の世界の状況を知るべきだ』などと罵られたものでした。 ただ、教授たちの世代からだけ、温かい支援や励ましをいただけた、それがほのぼのとした思い出になっています。教官たちはそれぞれが学徒兵として入営し、多くは陸軍士官として軍隊勤務の経験がありました。 「いいヤツほど戦場で死んだね」、「俺たちなんか、言っちゃ悪いけどさ、おつりの人生なのよ」、「○○先生なんか大尉だったよな。ぼくたちが少尉、中尉だったんだから、あの戦争も負けるわけさ」などと、酔いながらの戯言でしたが、それでいて目には真剣な光があったことを忘れてはいません。どなたも学会での主流ではなかった……などと申し上げては師に対して失礼ではありますが、筋を通された方々だったと思い出しています。 日本の近代はおよそ10年ごとに対外戦争をくり返してきました。戊辰戦争(1868)、西南戦争(1877)という内乱を経て、1894(明治27)年には日清、1904(明治37)年には日露の両役、1914(大正3)年には世界大戦を戦います。この後、シベリア出兵(1918~1922年)があり、1927(昭和2)年には山東出兵、翌年には済南事件、そして1931(昭和6)年の満洲事変。こんなピッチで戦争を続けていて、人々の気持ちはどう変わっていったのでしょうか。そして、未曾有の敗戦を味わい、いまのような戦争観や平和観、安全保障観をもつに至りました。 本書は、私の「勉強ノート」でしかありません。歴史学者の論文を読んだり、研究者の本を読んだりしても、私には分からないことが多すぎました。この本は、疑問の数々をつむぎ、納得できる解があれば、それらを結びつけ、たくさんの先人たちの成果を集めて、だんだら染めにした1枚のボロ切れのようなものです。よろしければご笑覧下さい。
2010.06.16
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<福浦のヘリ基地>昨日は帰宅後、焼酎を飲みすぎて寝入ってしまい、以下は昨日の日記。午前はリネツ金沢で、障害者のプールでの定例介添いボラ。5時ごろ目が覚めたが、曇り空。ジュンは留守番に・・・と思ったが、この天気なら車の窓を開けてボランティア中は、中で待っていてもらおうと、7時半に家を出た。時間はあるので、福浦岸壁に停めてしばし散歩。 駐車監視員制度ができてから、釣りを楽しむ人々のためか、日・休日は周辺が駐車OKになった。南側のヘリ基地方面を散歩。 5本を投げ、寝入っている釣り人さん。 危険なのだが、北側ではテトラに出て釣りをしている方々も。 今日は好釣のようで、メバルやら海タナゴ、キス、メゴチ、ベラ・・バケツを覘かせて頂くと、まあまあ釣果はあがっていた。アナゴをあげている方もいた。朝早くやってきたのか、すでに横になって寝ている方々も・・・ジュンはかまって下さる釣り人たちに走り寄り、ご機嫌に。1時間ほど散歩して、リネツ金沢へ。今日はボラ5名、障害児3名。私はMKさんと2人でYK君をみる。HT君はフロート板を掴んでボラの支え無しに泳いでいる。一所懸命の顔がなぜか楽しそうに見える。(今までは、すぐあがりたがっていたのだが・・)次のことは父兄には口には出せなかったが、昨夏、私を追って乗船しようとしたのか、海に落ち(あるいは自ら飛び込んだのかは不明)、肝をつぶしたが、「犬掻き」で泳いでいるジュンを見て、嬉しさがこみあげたが、夢中に泳いでいるHT君を見てそんな心境を思い出した。今日はサッカー第1戦。カメルーン。しっかり寝たので、最後まで応援する。
2010.06.14
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<夕照橋と野島 6/12>大潮。今日の干潮時間は10:47頃。前回はAさんを誘い、全てお渡しした。(してしまった。)暑さが厳しくなってくるので、そろそろ潮干狩りも終盤か。で、今日出かけることにしていたが・・・朝寝してしまった。8時ごろ起床。あきらめかけたが、9時ごろ野島に出かけた。すでに、夕照橋駐車場は満車。自分の1-2日分の食い扶持だけでいい。11時前にはあがった。粒は小さくなってしまったが・・・まあまあの収穫。 キャンプ場で、しばしジュンと遊ぶ。 そろそろ帰ろうか。 日差しが強いが、風は気持ちいい。それでも汗をかき、夕照橋たもとで休憩。ここでアサリを獲っていた人に見せてもらったら、蛤ほどの大きなアサリばかりバケツ一杯。(羨ましい)しばしの立ち話で、やはり中国人の集団に話題が移る。仕事にしてるんじゃないか?多分そうだろう。侍従川沿いで帰る。面白い雑草発見。段々花を咲かせながら、新東京タワーのように上に伸びてきている。 12時過ぎに帰着。悪い癖とは思いつつ、酒蒸しでレモン割りを飲む。インスタントラーメンで昼をすませ、昼寝。<バラエティーな日>威嚇する鳩の鳴き声で眼が覚めた。北側2つのベランダは先週、3つの巣を撤去した、鉢で作れないように塞いだが、また別の場所に作られている。ここも、塞ぐ。しばらくしてから、また鳴き声が聞こえる。逆L型の縁の間を4号鉢で塞いだが、その狭い空間に2羽の鳩が居座っている。花の支柱で突いても、逃げようともしない。巣を片付けた私への抗議・・・「居座りストライキか」。追い払うのはあきらめた。涼しくなった夕方、大道方面へ散歩。スーパー前で球根ベゴニアが、「買って」と並べられていた。手前に気に入った色彩のものがあったので、ついつい買ってしまう。店内に入るとき、トウモロコシも発見。1本だけ買う。夕食前に焼く。私が口にする前から、ジュンが飛び跳ね欲しがる。落ち着いて食べることも出来ず、そこそこ食べてジュンに渡す。 あっという間にきれいに食べつくす。ヒルズから届いていた郵便を開く。「体重管理ハンドブック」だった。あーあ。 ジュンのダイエットへの道のりは遠い。 球根ベゴニアを見ていたら、20歳の頃母が上京。新宿御苑を案内し、この花を見て、やたら触る母にポロンと落ちるかもしれないから、触らないでと注意しても、聞かない母を思いおこした。4足歩行でも臀部が肥る。ダイエットというのは、自分のことでなくても厳しさが必要。長生きのためにダイエットしてちょーだい! ジュン。
2010.06.12
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多くの知識をまとめ、自分なりのひとつの新たな知見結果を得る方法にKJ法というのがある。このKJ法は40年ほど前に、数学教授から余談として紹介されたものである。* KJ法(-ほう)は、文化人類学者川喜田二郎(東京工業大学名誉教授)がデータをまとめるために考案した手法である。データをカードに記述し、カードをグループごとにまとめて、図解し、論文等にまとめてゆく。KJとは、考案者のイニシャルに因んでいる。共同での作業にもよく用いられ、「創造性開発」(または創造的問題解決)に効果があるとされる。・・・・ Wikiから抜粋当時、早速、新宿の紀伊国屋に出かけたら、B5やA5サイズのカードが並べられていたので、流行ったのだろう。(その後も、今でも重宝、利用されていると思う。)MS-DOSは面倒だった。MS-Windowsになってから、爆発的にPCが普及した。マルチウインドウとは言っても、与党のマニュフェストのように、期待はずれだった。知識を凝縮した代表語をノートやカードにちりばめ、統合して新たなものを編み出す努力をする。基本的な発想はKJ法もWindowsも同じである。しかし、なかなか創造-アイデアをひねり出すののは難しい。そんなことを思い浮かべながら、Windows7の新しいPCを用意してくれていた勤務先の社長Nさんには感謝している。しかし、Windows7も前宣伝ほどはスピードは速くない。セキュリティソフトのせいもあろう。いつまでたっても、PCが使いこなせない私にも責任は重いが。風呂でKJ法を思い出したら、20代の頃のことが色々浮かび上がってきた。一浪しても学部試験は落ち、電通夜間短大に通うことにして上京。アルバイトをしながら、学部への捲土重来を目指したが、体力のなさに親岳会に入部。私は【ペースメーカー】で同期やら先輩に罵倒されながらも、OB、先輩、同輩、後輩の人とのつながりに価値を見つけ、勉学はほどほどにしかしなかった。(工業高校だったので講義に新鮮味を得られなかった。)その中で新たな生涯の親友も出来た。大学のあった、調布市。通算15年余りを過ごした。今は横浜で7時半に出社し、8時に社長と朝のNHKドラマ【ゲゲゲの女房】を見る。水木しげる氏が調布在住などとは全く知らなかった。調布のあちこちを紹介するエンド画面が懐かしい。親友はリストラ後、調布に戻り、奥さんと補聴器専門店を開業している。彼には不義理をしている。ジュンを連れて、一度訪ねてみよう。
2010.06.11
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<勤務先ビル中庭で 6/8開花>3年間遊び、ジュンとは午前、午後の散歩が続いた。その間、リーマンショックで株は現金にしておくべきだったと、・・後悔先立たず。80歳計画は3年で頓挫。悪いことは重なるもので、賃貸しているマンションは空き家に。借金の比重が重くなる。年金受給の歳を迎え、再就職が決まったら、空き家も住人が決まった。女性のブログをよく読むが、「人生なんとかなる。」という方が多い。なるほどと、感心する。社長のNさんからは、ジュンとの時間が制約されるけど・・・と、言われ少しだけ躊躇もしたが、80歳経済計画が頓挫していては、背に腹は変えられない。そして、今月は5ヶ月目を迎えている。ジュンには「あと、5日」、「あと4日」・・・「あと2日」、「明日は1日一緒だぞ」と、言い聞かせマンションを出る毎日。散歩はいつも帰宅後の夕間暮れ。(釣りでは【ゆうまづめ】とか、朝なら【あさまづめ】というが、辞書にはなかった。)帰宅して、玄関を開けるとジュンが飛び出してくる。6時のニュースを見て、90分のレギュラーコース。ブログに貼り付けるジュンの写真が少なくなってきたので、カメラを持つ。散歩道で雑草が可憐な花を開いている。 雪見橋袂でリードをはずし、ジュンに「写真を撮らせろ」と、ふり向かせる。 7-8枚撮って、「このぐらいでいい」と、声をかけるとご機嫌な顔をする。 開花した雑草に目が移る。 平潟湾に入る頃、薄暗くなる。<平潟湾とシーサイドライン> ハーネスに着けたライトを点灯する。 ここにも、知らない花が満開になっている。昼間に撮ればもっと鮮やかなのだが・・・ 「あと1日」で、ジュンと24時間一緒。あさっては、またアサリ取りに行きたいのだが。
2010.06.10
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先月、ボランティアグループ‘助さん‘の会長NMさんから、6/6(日)にKケアセンターでイベントがあるので、お手伝いができるかとの問い合わせがあり、二つ返事でOKした。ケアセンターは山の斜面に、段々畑のように施設が建てられている。その脇を幾度かジュンと散歩した事がある。先遣隊は昨日、テントなどの設営。今日は、施設職員の指示に従っての、イベントのお手伝いと、設営の撤去。学園祭のようなものである。ジュンも連れて行きたかったが、人出の多寡が分からないし、犬を極端に怖がる障害者のいる事を知っているので、留守番。10時集合、11時開催。 職員の下、施設利用者の家族や、複数のボランティアGが、運営を進める。私の担当は「お楽しみコーナー」。内容は、ヨーヨー釣り、金魚すくい、ボーリングの3点セット。来場者は4-10歳くらいのお子様が主流。少々ビビッタ。あまりに幼い子は扱ったことがない。こまっしゃくれたガキや、ダダをこねる子供がきたらどーしよう。そんな親はもっとめんどくさいかもしれない。 杞憂だった。皆、素直で可愛い子ばかりだった。私の担当は主にヨーヨーだったが、金魚すくいより人気がある。列をなして、券を提示されチェック印を押して、コヨリ糸の釣り針を渡すのだが、すぐに払底し、「ちょっと、待ってね」と、作りながら「持ち帰りは1個だけね」と、ルールを説明しなければならない。忙しいことこの上ない。ヨーヨーは1時過ぎに無くなり、「お楽しみコーナー」は、金魚すくいとボーリングだけで、景品(ボランティアの寄付品)を2個渡すことにした。(職員の機転)模擬店などのイベントは実質2時までで、3時から玄関前でビンゴゲームが始まった。 ちっちゃな子供を相手にすることを楽しみ、これはボランティア活動なのかと、疑問を抱きつつ、3時にお開き。その後、テントやら、テーブル・提灯などの撤去。テントは近隣の小中学校からも借用していた。ヨーヨーが無くなり、金魚すくいのコーナーも交代して、受付をしたが、女の子の方がうまい!頑張れ! 日本男子!職員からは、「またお願いします」と言われたが、早くも来年の楽しみが出来た。帰宅後、ジュンとレギュラーコースの散歩。ちっちゃな子供達は可愛かったが、今日のジュンはそれ以上に可愛かった。
2010.06.06
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昨日は寝すぎて眠られず、録画しておいた番組を深夜に見た。ETV特集「"死刑裁判"の現場~ある検事と死刑囚の44年~」視聴後、ますます眠られなくなりこのブログを書き始めている。書く前に、タイトルなどの間違いがないか、見落としたところがないかWEB上で確かめてみる。その中で、番組を詳細に記述し考察しているブログに出会った。→ 「試稿錯誤 雑念妄想を記録したい」 Autor:古井戸 さんこれは裁判員制度の問題ではない。日本の司法システムに正義はあるか、の問題である。 URL: http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2010-05-31このブログでの考察は圧巻である。ルーピー鳩山氏は、国会で「人の命を大切にしたい」と、演説した。訴求力に乏しく、その言葉は鳩の産羽毛のように軽く感じた。人の言葉というものは、経験を踏襲して初めて他者に説得力をもつ。死刑廃止論者は弁護士のみならず、大臣・政治家の中にも多いと思う。しかし、存続論者は85.6%にのぼるという。私自身も、光市母子殺人事件では、死刑にすべきと考えた一人である。理解に苦しむ殺人事件は、日本のみならず米中・・世界中で起こっている。死刑になりたくて殺人を犯すものまでいる。なぜ、なぜ、なぜ・・・と、考えながらも、傍観者の域を出ることができない。生まれ、親・人に愛され、次第に他者を愛するようになる。対象は人から、動物、植物・・・自然へと広がる。これは教わることではなく、知らないうちに身につくものだと思う。愛されなかった、否、虐待を受けて育った!幼くとも、近所で多くの人たちと接する社会で育てば、他者に愛され、愛する事への可能性は見出せただろう。それもできない、閉じこもった家庭・社会が多くなっているような気がする。なにかというと、「プライバシー保護」が喧伝される。見えない何かで、齟齬が生じている。アメリカでの銃乱射事件、日本での秋葉原事件。容疑者はいずれも孤独で、閉じこもった人物だった。経済成長に湧く中国でも、理解不能な殺人事件が起きている。警察、検察、裁判は事後処理機関である。予防策は政治などに任せきりではなく、不幸な事件を知った時、個人個人が考えていくべき社会の課題だと思う。日々の「幸せ」を、人とのふれあいの中に掴む。苦しい時もある。しかし、これは永遠に続くものではないことを頭に叩き込んでおくべきである。一時の苦しさから逃れるために、死・殺人を犯す。その先は、予想だに出来ない苦痛が待っている。しかも、当人のみならず、親兄弟、友人、検察官、弁護士、裁判官をも巻き込む。私は社会人への成長は、教育ではなく遊び、仕事を通じた他者との接触にあると思う。明日・・いや今日はKケアセンターでのフェスタのお手伝いボラ。どんなふれ合いが待っているかいな。愛犬ジュンとの生活も9年目になった。犬も社会性を培うため、3ヶ月は親元で成長させたほうが良いとのアドバイスを本で知り、ブリーダーさんにはその間預かってもらった。ジュンのおかげで、日々幸せである。
2010.06.06
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4月の例会(千田港・かどや丸)は散々な釣果。リベンジをと、5月には布良港に仲間内4人で、松栄丸に出かけたが、たった14匹と、返り討ちにあった。悶々として、土曜日の午後船で3度目の正直を狙おうとしたら、社長Nさんからは、平日を休んでいいから、との厚意に甘え、今度はTJさんを誘い2人で出かけた。(前回、誘わなかったため恨まれたくなかったし、車中での仮眠をゆったり取りたかったので、2名だけで出かけた。)23時前に出発。2時ごろ船宿に到着。集合時間は4時なのに、すでにオオトモ、ミヨシの釣り座札は無くなっていた。結局、胴の間の札で我慢。風もなく好天に恵まれた。(前回は1.5号ハリス、3mは、風で一人マツリに悩まされた。) 写真を撮る間も惜しく、「こんな小さなので撮るの!?」と、言われたが、ご勘弁を。 目標は抑えて30匹。8時ごろまでには17匹くらいが揚がり、今日は楽勝と思いきや、後半で苦戦。外道・・うまづらハギにエサをとられる。オキアミをイカタンに変えても襲ってくる。結果、イサキ29匹、ウマヅラ5匹、メジナ1、終了間際の曳きでイサキ!と、思ったらタカベ。 帰りは、富浦インター近くの健人館で、野菜・花を仕入れ、ラーメンの昼食。館山道を走るうち、睡魔に襲われ、海ほたるで休憩。糖尿で禁止されているTJさんはアイスクリームが大好き。禁止されているのは「家だけ」と、一緒にヨーグルトソフトの小を食べた。送迎後、IZさん宅におすそ分け。奥さんしかいなかったが、喜ばれるのは嬉しい。(ボランティア活動で一緒になるMKさんにもあげたかったが、彼も奥さんも、魚を捌けないとのことなので、いつか捌いてから届けよう。)一人寝にさせていたジュンが、帰宅を歓迎。ゴメンなーと抱きしめ、そそくさとイサキを選びお隣にもおすそ分け。ついで、散歩がてら、八景駅前の果物屋のオバサンにも届ける。立ちっぱなしの釣りで、腰が痛い。平潟湾沿いのフェンスにつかまり、ストレッチ。帰宅したら、眠くなり今日の昼まで惰眠をむさぼった。自分のイサキは今日捌いた。 もったいない気もするが、小さめのイサキは7匹ほど開きにした。白子や卵を抱えていた。(後ろめたさに襲われる。)ウマズラは2匹残したが、まだ肝が大きいと喜んだら、これも卵だった。(右写真の右側) ようやく、イサキにありつく。1日目は塩焼きと白子。 Nさんは私らの前日に、3名で出掛けていたが、20匹もいかなかった。私の今年のイサキは終了と話したら、彼はまだまだ・・・今度は仁平丸でと、闘争心を燃やしていた。2週間後は例会-マルイカ。その翌週は、IZさんのお誘いで、伊豆・富戸へ泊まりこみでカワハギ。(ジュンも同行)今月は、釣れ釣れなる月である。
2010.06.05
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その言語能力を疑わざるを得ない鳩山首相が、昨日辞任表明した。その場その場で相手が喜ぶ言動を放ち、自らも自己陶酔し、しばらくすると忘れたかのようになる。(鳥類はすぐ忘れるというが・・・) 「国民の皆さんが聞く耳を持たなくなってしまった」。・・・鳩山首相 当り前である。なぜ聞く耳を持たなくなったのか、鳩山氏は考えたのだろうか!口先三寸で売り逃げをする営業マンは、すぐにボロが出て立ち行かなくなる。 辞任で残念なのは、短命な政権が4代続いたこと。いきあたりばったりで、日本は政情不安の国のひとつに挙げられていくのだろうか。 暇に飽かせてWEB上の報道やらブログを読む。これらを読んでも政治の展望は見えないので、時間の無駄と、今これを書いている。 今日までに読んだ首相の言動を嘆く記事は、女性のものが秀逸なので、メモっておく。 以下、女傑2人の記事<辞任前> サンケイから【櫻井よしこ 鳩山首相に申す】首相は戦後教育の失敗例 (5/13)http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100513/plc1005130344003-n1.htm 冒頭だけ抜粋『 鳩山由紀夫氏の存在は、戦後日本の家庭教育および国民教育の失敗の代表的事例として、歴史に刻まれるだろう。 普天間飛行場の移設問題に関連して、首相は「政権を掌握する中で、野党の時代には見えなかったものが見えてきた」と語った。 沖縄の米海兵隊が日本に対する脅威への抑止力として機能していることに気づかなかったが、「学べば学ぶほど」「海兵隊のみならず」「米軍の存在全体の中で」「すべて連携して」「その中で抑止力が維持できる」ことがわかったと吐露したのである。 野党時代にはわからなかったというが、野党になる前は与党自民党最強の派閥、政権中枢のポストを握り続けた田中派の一員だったではないか。「ワシントン・ポスト」紙で「ルーピー」という侮蔑(ぶべつ)的形容詞を首相に冠したアル・ケイマン氏流の表現を借りれば、「おい、ユキオ君、君は一体、何十年間政治家をしてきたんだい」ということになろう。 1986年の当選から今日まで24年間、実に四半世紀近く衆院議員として「国民の皆様」の「いのちを守りたい」として働いてきた結果が、抑止力について基本的な理解さえ身につけずに現在に至ったのだとすれば、失礼ながら、首相にお支払いした幾億円かの議員歳費は文字どおりの無駄金だった。こういう歳出こそ、まっ先に事業仕分けしてほしい。・・・』 <辞任後> 日経BPから【河合薫 辞任なんかじゃ許されない、鳩山首相が落とした"影"】首相は一体、何に価値を置いていたのか? http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100601/214710/国民のみなさんが徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってしまった......。そう言って鳩山由紀夫首相は辞意を表明した。 もし鳩山首相が企業のトップだったら、社員たちはやる気を失い、仕事だけでなく人生にまで満足感を得られず、生きる力さえ失い、会社は崩壊している。 国民が失ったのは"聞く耳"ではなく、もっと重たいものだったということに、鳩山首相は最後まで気付いていない。こう思わざるを得ないほど、辞任の理由の一つに挙げた米軍普天間基地の移設問題で鳩山首相が下した結論の罪は重い。 最悪である。最後の最後で本当にがっかりした。普天間問題に関して言うなら、実は私は、「鳩山首相はやってくれるんじゃないか」とひそかに期待していた。就任当初から多くのメディアは「県外移設なんて、やれるもんならやってみな」といった報道を繰り返していたが、私は恐らく数少ない「きっとやってくれる」と信じていた一人だったと思う。 首相が辞任しても、沖縄・普天間基地問題は、なんら糸口が見えない。 辺野古沖反対!基地反対を叫ぶ女傑(彼女を入れれば3人目)党首は、木(沖縄)を見て、森(日本)を見ていない。ましてや、木が生い茂る山(世界)など、さらさら見えていないだろう。 私には辞任した鳩山氏のように、【腹案がある】などとハッタリをかます痴性はない。あー、どーなることやら? *櫻井氏の記事で知ったが、鳩山由紀夫氏は政治家一家としては、4代目になるそうである。3代目で身上は莫大なものになったようだが、4代目は日本を・・・ も、ひとつ記事で見落としがちだが、鳩山氏は小沢氏だけだなく、北海道日教組からの違法献金で摘発されている雑兵議員K女子も道ズレにしているようだ。 今日は職場からのUP。(こっそりと・・・) で、携帯のジュンの写真しかない。 深夜にはTJさんと布良港に走る。初めての休暇取得。目標30匹。1日早く3人で出かけた社長Nさんから昼過ぎ電話があった。ダメダッター。目標には、およそ届かなかったとのこと。餌のアドバイスをいただく。釣るぞー!
2010.06.03
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世間を知るということは難しい。日頃の生活は平凡なものだが、TV・新聞、ネット情報などなどで、関心事に触れ、憤ったり、不安を覚えたり、感激したり・・そして豊かになる。随分前から、朝日新聞の政治姿勢に不信を抱き、いつしか産経新聞に鞍替えした。3年前には職探しをあきらめ、新聞もとらなくなりWEB上で各紙の記事を読むようになった。産経はWEBで記者ブログを読むことができ、紙面には載らない記者による裏話のような内容が掴める。WEB上の新聞記事は、粗方がUPされているが、私の能力では検索漏れが起きやすく、その後、産経のNetViewを購読するようにした。(最近では日経がようやく電子新聞発行に踏み切ったが。)さて、私はマスコミ人の悩みは知らない。(ほとんどの方もそうだと思うが。)偶然、英国人記者が著した『「ニッポン社会」入門』という新書を、読む機会を得た。 記者が真面目に取材して、真面目な記事を送っても編集者に切られたり、換骨奪胎される憂き目によくあうそうである。編集者は読者受けする内容を期待し、また彼の先入観で記者の原稿を書き換えたりすることもあるそうだ。この本を読んでいて、ネット上で問題になった毎日新聞の「WaiWai変態報道」事件を、思いおこした。*この件は【Media Patrol Japan 】の「文/三橋貴明(作家・経済評論家)」に詳しく書かれている。/http://mp-j.jp/modules/d3blog/details.php?bid=20 閑話休題【Media Patrol Japan】で、「マスコミ依存の国民」という記事に関心を持った。http://mp-j.jp/modules/d3blog/details.php?bid=112&cid=25著者は 宇田川敬介氏(コンサルタント・ジャーナリスト)。この記事に前後して、「口蹄疫災害とマスコミ批判」と、「懲りずに口蹄疫禍のマスコミ批判について」を掲載している。宮崎県での口蹄疫禍は、風評被害を避けるため当初、報道規制がとられたようだ。そのマスコミに対して、ネット上で批判が興り、マスコミ人として問題提起のため、内情を事実を追って記したものと理解している。報道記事とは別にテレビのドキュメンタリー。NHKを筆頭に、多くのドキュメンタリーを見ることができる。昨年の【ジャパンデビュー】は、ひどい番組でいまだに尾を引いている。しかし、偶然運よく元NHKプロデューサー桜井均氏の、「テレビは戦争をどう伝えてきたか」(2回シリーズ)を、放送大学で観た。時の流れの中で、「太平洋戦争」の捉え方が、被害者としての閉じこもった日本から、当時のアジアへ眼が開いていき、加害者としての日本を見つめ直す方向へのドキュメンタリー番組の変遷を解説されていた。講義の中では不特定多数の視聴者を慮って、【映像処理】をどうするか、喧々諤々の議論をしたことも話されていた。歴史の事実を深く掘り起こし、国内外の政治家の嘘・捏造・矛盾を見抜きあふれる情報の中から、マスコミ、ネット論者の意見を篩(ふるい)にかける。そして自分なりの判断をする。・・・・・・・・・・・・・・・ 口、筆が重くなる。参考メルマガ:【世界の新聞「101紙」の視点】
2010.06.01
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