Juria’s Room

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神の作品である私たち


エペソ2:10

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」

1.神の一方的な選びによって救われた。

エペソ1:4節に「神は世界のおかれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のないものにしようとされました。」とあります。

このように、主は御前で聖いものであるように願っておられます。
しかし私たちは、日々の生活の中で不平、不満、ねたみ、憎しみ、許さない心、など神様の喜ばれない思いをもってしまい、喜ばれない行動に走ってしまうことが多々あります。

しかし、私たちは、神の一方的な選びによって、」今この場所にいることが出来るのです。神の子供らしく、いつも主の前に悔い改め、清い器として歩んでいくことが出来るように祈らなくてはいけません。

2.良い行いまでも備えてくださった。

神は私たちが良い行いをするために造られ、またその良い行いまでも備えてくださいました。とあります。

私たちは、キリストにあって選ばれた者であるにもかかわらず、自分勝手にまるで自分の命のように生活しています。

そんなとき私は、どのようにしたら神様は喜ばれるだろうか?
イエス様ならどのようにしただろうか?と祈ってみます。そして徹底的に悔い改め、御前に清いものとしてくださるように神に祈ります。

そして神様が備えてくださっている、良い行いのうちを歩むことが出来るように祈ります。
私たちの歩む、一番良い道を神様はご存知で、備えてくださっていますから、私たちはその道に沿って歩んでいかなくてはいけないのです。

しかし私たちは人間です。わかっていても、どうしても罪の中引っ張られていってしまいます。
思いの中で、行動の中で罪を犯してしまいます。
それでも、とにかく毎日主の前に悔い改め、イエス様の血潮で清めていただくように、徹底的に祈らなくてはいけません。
悔い改めるならば、イエス様はどんな罪でも許してくださるお方だからです。

ローマ14章8節に「もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私達は主のものです。」
とあります。

イエス様は、御自分の命をお捨てになるほど、私たちを愛してくださいました。私達はその愛に答えなくてはいけません。
私たちの命は生きるにしても、死ぬにしても主のものなのです。
神が造られた美しい作品なのです。
ですから、いつも御前で清くあることができるように、常に悔い改め、
主の備えてくださった良い道を歩み、主の愛に答えることができるように生きていきましょう。

そんな私たちの姿からイエス様の香りが放たれ、まだイエス様を知らない人がイエス様を知っていくことが出来たらとてもすばらしいのではないでしょうか。

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