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夢と現実の狭間で








彼が初めて話し掛けてくれた時の言葉がこれだった

場所は市立図書館の跡地、ストーブが煌々と焚かれた猛吹雪の日だった

この日私はある女性の誘いで、市民吹奏楽団の練習を見に来ていた

その女性はここの団員さんでサックスとバイオリン担当

普段は自宅にて音楽教室の先生をなさってた

M先生と仰います

プラーグより10歳年上

埼玉県に住んでいたM先生はN響にも参加するほどの技量の持ち主

愛する旦那様の元へ嫁いでうちの実家地方へやってきたのだ

後に私が高校へ進学してから3年間に渡り

ピアノとサックスを教えて下さった







M先生:
  『彼女、私のお友達なの(^^ゞ 彼氏に立候補したい人がいるなら今のうちよ(笑)

  でもまだ“ぴちぴち”の中学生よ、若いでしょう(爆)』

とM先生はその場に居合わせた団員さん達に

ユーモアたっぷりで私を紹介して下さった

どのようにしてM先生と知り合い、ここへ連れて来て頂いたのかと言うと

中学3年生の秋に、友達の誘いで市民吹奏楽団のコンサートへ行った時のこと

M先生のソロのサックスを聴いて、目からうろこが落ちるほど

魂を抜かれたかのように弾き付けられたからだ

それで、コンサートが終わった後で

プラーグは気がつくと楽屋へ向かっていた

『すみません、突然の失礼をお許しください

私は音楽はマドンナくらいしか知りません

でも今日生まれて初めて生のサックスを聴いて

心を奪われました

チェッカーズの尚之がサックスを吹いているのを見て

かっこいいって思ったことはありました

でも自分で吹けるようになりたいって思ったのは

今日が初めてです

どうしたらそんなにうまくなりますか?』

そして先生は快く私を誘って下さったのだ







初めて行った練習場

でもその大雪から殆ど誰も来ず、練習は無しでお開きになった

初めて行った私は勿論かなり目立ち、そして彼が話し掛けてくれたのだ

凄く緊張したのを覚えている

でもリクさんに対して覚えた緊張感は

他の大人の人達に対して覚えた緊張とは明らかに違っていた

それが何か、当時はよく分からなかった

この時私は中学3年生、彼は21歳だった

クラブ活動も卒業し

高校進学へ向けての受験勉強に追われていた時期でもあった








当時私は超高校級と言われるほどのバレーボールの選手だった

背筋力200kg以上もある、大人顔負けの馬鹿力から撃たれるアタックは

他の中学生は及びも付かないほど、かなりの攻撃力と破壊力があった

それで県内の有名私立高校と、隣接する公立高校から

バレーボール部に入る事を条件にした推薦入試の案内がきた

私立からは授業料免除の話しまで出た

でも私は中学生ながらに自分の限界を感じていた

練習のし過ぎ、そしてその馬鹿力から肩を壊していたのだ

そして成長が止まった

これ以上身長は伸びないであろうことも予測できた

162cm・・・

アタッカーとしてはもう駄目だ

そう自覚していた

“攻めのセッター”が欲しい

両高校の監督の誘いはこうだった

高校入学を機にセッターへの転身・・・

当時、全日本では中田久美選手が攻めのセッターで大活躍していた

それでセッターの重要性もよく分かっていた

中学の監督(プラーグの担任の先生)もそのお話しを進めて下さった

先生自身も攻めのセッターとしてかなり有名で

実業団から誘いがあった方だった

でも中学生にバレーボールを教えたい夢があり

中学の先生に赴任された







監督ともよく話し合い、正直な自分の気持ちを伝え結論を出した

『私は将来、先生のような厳しくて温かい

学校の先生になりたいです

放課後はバレーボール部の指導に当たって

1人でも多くの生徒にバレーボールの楽しさを伝えたいって思っています

そのために進学校へ入学して、国公立の大学へ進学したいんです

だからバレーボールは大学へ入学するまでお休みして

高校では勉強に力を注ぎます

先生になることは、私を虐待から救ってくれた先生への恩返しでもあるんです・・・』

そう、当時監督は私が長年父から受け続けた虐待に気がつき

父と戦って下さった

7月29日の日記●私が非行に走らなかったのは…●

先生は私にバレーボールに打ち込ませることで

将来への希望と生きていく自信をつけて下さったのだ

そして先生と数年に渡って築き上げた信頼関係を通して

人と人との繋がりの大切さと温かさを教えて下さった

この先生との出会いがなかったら

多分プラーグはグレて、確実に少年刑務所へ行っていたと思います






プラーグの住んでいた地方高校の進学校に

女子のバレーボール部は無かった

そこへ進学するとバレーボールは出来ない

でも他校へ進学しての国公立大学進学は厳しい情況であった

受験者の例が殆ど無かったのだ

アタッカーとしての限界を感じつつも

バレーボールを身近に感じていたい気持ちは変わらなかった

しかし、私はサックスと出会った事で

今まで未知の世界であった音楽の世界に踏み込もうとしていた

それが彼との絆を深めていくものと将来なりえるのであった




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≪続く≫



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