悠太郎(☆KALEIDOSCOPE☆)

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Gooood morning Vietnam!(2)


今の時間入れるホテルがあるのかなと心配していましたが、
駅前での客引きも多く心配は直ぐに吹き飛びました。

 アーリーチェックイン費用を取らず送迎付き、朝食つきで10ドルというホ
テルにチェックイン。朝8時位まで寝ました。

 そのホテルは旅行代理店もやっていて、シンカフェを名乗り、
トレードマークも良く見ないと違いが分からないくらい似ていました。

 本家のシンカフェからかなり離れているのですが、
そのホテルの界隈に数社の偽シンカフェがありました。

 ハノイはバイク等の量がホーチミン市よりずっと少なかったので、
自分でも運転できるかなと思い、バイクを借りて走り回りました。
最初はちょっと戸惑いましたが直ぐになれました。
いつでも自分が好きな方向へ行く等勝手気ままな運転の出来るベトナムは
素晴らしく運転がしやすいです(ホーチミン市以外)。

 取りあえずホーチミン廟へ向かいます。
どこにバイクを置くべきか悩んだ後、数台おいてある場所に止める。
歩いて少しすると有料の駐輪場があり、そこに入れなおします。

 ホーチミン廟を外から見て衛兵交代のシーンを見てから、
内部に入ろうとすると、警備の人にピーと笛を鳴らされてしまう。
ちょっと当惑しましたが、今日は月曜日であるということに気づきました。

 ほとんどの場所が閉まっている。げげ~です。
とりあえずホアンキエム湖に向かいます。

 ステファン達と夜の待ち合わせ場所であるファニーという
アイス屋さんを確認する。
そして、本物のシンカフェのあたりに行こうとしますが、
(走行中に)エンジンが止まってしまうので、
立ち止まってガソリンを見ました。中は空でした。

 どうしたらよいのか迷っていたら、そばにいたバイタクのおじさんが
然るべきところに連れて行ってくれました。
そこでは大き目のサラダオイルのペットボトルの中にガソリンを入れた
女性が現れました。
 3Lはなかったと思いますが、30,000ドン(以下千の位未満を取って30ドンのように表示)。

 街中にほとんどガソリンスタンドを見つけられない都市で
このサービスは値段が高くてもありがたいです。
 ホアンキエム湖周辺は一方通行が多くぼやぼやしていると
湖の周りを何周もしてしまうことになります。
そうやって何周目かしたとき水上人形劇劇場を発見し、
午後4時からの回を予約しました。

 昼食を食べてから、ドンスアン市場に行きました。
リュックやかばんを扱っている店でつかまりました。
ちょうど中型のバックパックがほしいと思っていたところでした。

 選んでいると声をかけてくる英語を話す女性、
なんとレイチェルでした。先ほどリュックを買ったらしい。
デイパック位の大きさで180ドンだったという(高いと思う)。

 これから自分は4時の回の水上人形劇を見るんだけど、
というと彼女はありがとう思い出させてくれて、といい市場をあとにしました。

 自分は55Lの某有名ブランドのバックパックを15ドルから初めて
最終的に11ドルで、おまけに小さい鍵
(これだけでも2ドルすると言っていました)もつけてもらいました。
ドンでやっていたらもっと下がっていた感じでした。

 月曜日開いている場所として、ホアロー監獄がみつかりました。
ちょうどお昼休みを終わったばかりでした。
午後一番の入場、バイクは敷地内に入れてくれとのことで、入れました。
監獄の狭い空間に足かせをされ固定されている囚人の扱い方が紹介されていて
ショックを受けます。
余りにも息苦しすぎる。建物は綺麗に保存されています。
昔の敷地の半分以上はハノイタワーといわれるビルになってしまっているそうです。

 その後パリのガルニエを模倣したというオペラ座を外から見て、ベトナム最
初の王の銅像を見てホテルに帰ろうとしましたが、うまく帰れません。
何度か挑戦したのですが、だめでした。街中がバイクで込み合ってきたので
劇場に向かいます。

 想像していたよりかなり立派でした。
言葉が分からないながらも、人形劇自体楽しめました。
それにしてもどうやって操っているのだろう。
秘密であるらしい。

 劇場でレイチェルに再会し以後行動を共にする。
郵便局(私はここで記念切手を買いました。少数民族の家屋をテーマにした一
連の切手でした)、彼女の宿の下、彼女がフィルムを出していたDPE
ショップに行き写真を撮りに行く(丁度、私のデジカメの電源が切れていた時
の写真で、彼女は2冊注文してくれていました。
中を見て気にいったので1冊を貰い代金を払おうとすると、
嫌いな写真があったら買う必要はないのよ、
本当に1冊丸買いでいいの?
と言ってきます。
この辺結構シビアなんですね。
何枚いらなくて何千ドン差し引きなんてめんどくさかったのでしませんでした。
それに皆良く取れていました。)。

 さて待ち合わせ場所のファニーにやってきますが、
レイチェルは待ち合わせ場所はここではないような気がすると言ってきました。
 向こうにあった同じ様な名前のレストランだったのじゃないかななんて言い出したので、
はいはい、行きましょう。その代わり湖約一周しなければならないよ、
一方通行なんだからと伝えました。
女性が何か言い出して要求することがあったらむやみに逆らうと
あとでどうなるか。うい~、まだ~むです。

 本当はそのファニーという店レイチェルが言い出してステファン達が
店の場所をおしえてくれたのです。
彼女は完全に忘れているようです。

 一周して同じ様な名前のレストランに行きましたが、
どうやっても似た名前の店ではありません。
ファニーに行きます。こんなに寒いのにアイス屋で待ち合わせする
はずがないとか、彼らが予約したのは彼らの宿の直ぐ前にレストランだから、
わざわざこんな遠くの店を指定するはずが無い等ごねていました。

 とにかく約束の6時半まで、ここで待って見ましょうというと。
来るはず無いけどねなんてのたまわっています。
6時半を過ぎると彼女は勝ち誇ったよう。
これからどうするつもりなんだろうと考えていると、
3分遅れで二人が来ました。
律儀なフランス人で約束の時間には5分くらい遅れていくものといった
習慣をしっかり守っているのでした。
 メラニーから、あらアイスは注文しなかったの?
折角美味しいアイス屋で待ってもらっていたのに!といわれました。
 そこはフランス風アイスクリーム屋ということでした。
彼らは後から来てアイスを頼んでいましたが、
節約家のレイチェルはカフェを飲んでいたのでそれ以上はという感じでした。


 ステファンが予約したお店に移ることにしました。
ステファン達は歩いて、私とレイチェルは私のバイクで移動です。
そこでまた悲劇が。

 そうガス欠です。それまで調子よく走っているのに、
急に全く動かなくなるんだから困ったものです。
とりあえず近くにガソリンを持っている人はいない。
長い距離をバイクを押して行く破目に。

 途中で何人にもガソリンを持っているか尋ねるが、
ベトナム語しか通用しないようでした。

 途上でブラッスリーの前に何人かウェイターの人達がたたずんでいたので、
ガソリンの件を聞いてみました。
ガソリンスタンドはここから1km位離れているとの事。

 少し期待を込めて、いいアイディアがあるか聞いてみる。
初めにチューブを取り出しサイホンの原理で他のバイクから
ガソリンを取ろうとしてくれましたが、
所有者(多分この場所に工事か何かで来ている感じの人でした)はダメだ
という。最終的には、上司と思われる人が一番若い人にバイクでガソリンを買
いに行かせてくれました(500ccのペットボトルを持たせて)。

 待っている間、この店でビールでも飲んであげよう、
とレイチェル。さすがアイルランド人、
ひと時もアルコールのことは忘れないらしい。

そして、用意が整いバイクで機嫌よくレストランへ。
もういないかもしれないねと、レイチェル。
うん、多分ねと、私。
到着して、店の中彼らを探すが直ぐにみつかる。
なんと飲み物も頼まずに待ってくれていました。

 メラニーはエビのタマリンドソース、
ステファンは豚肉のトンポーロウ風煮こみ、
レイチェルはなんと、鍋もの。
私は鶏肉づくし。

 ベトナム・ダラット産のワインを頼みます。飲んでみると無難な味。
フランス人の意見を聞きたくなりました。
ステファンに品評してもらいます。
美味しいとだけの答え。突っ込んで聞いてもライトボディだねとのこと。
外国のことを良く知るフランス人は違うなと思いました。

 皆と集まるのはこれが最後、住所等は交換しているものの
二度と会えないとも考えると、感傷が湧き出てきます。

統一鉄道をハノイからサイゴンまで乗り継ぐというのは、
今回の旅の目的の一つである。
寝台車(しかもソフトベッド1階)での移動なので
何もきついことはないけれども、日程的にはかなりぎゅうぎゅうです。

 11日朝、6時に目を覚ましてしまう。コーヒーが欲しくなったので、
ホテルの従業員がロビーで毛布を被って寝ている脇を通って、
外へ。しばらくうろつくものの朝食のフォー(ベトナム風うどん?)の
屋台やお店は沢山あるものの、コーヒーが飲めそうなところが見つからない。

仕方ないのでフォーのお店を冷やかしながら、コーヒーある?って
聞いてみるが、無いらしい(とベトナム語で言ってくる)。
暇だからお店の繁盛振りを見学することに。

 頼んでもいないのに、コカコーラが出てきました。
この際たくさん写真を撮らせてもらおう。
お母さんと一番下の男の子が店を切り盛り、
2人のお兄さんは奥で牛肉を捌いています。
取りあえず、鳥のフォーを頼んで置きました。

 皆の写真を取っているとお父さんも登場です。
自家製のどぶろくを飲ませてくれました。
急に体が暖かくなってきました。

 お客が少なくなった隙にお母さんが食事を始めます。
そういえば、僕のフォー・ガー(鳥のフォー)はどうしたのだろうか。
改めて聞きなおすと、鳥はやっていないとの事。
そういえば鳥インフルエンザの問題、やっていましたね。

 あらためて、フォー・ボーを出してもらいます。
おつゆの熱さだけで調理された牛肉大丈夫なのかなと思いながらも、
美味しく頂きました。

列車の出発時間が14:40なので、半日時間つぶしをしなくては。
とりあえずホテルには12時までいられるので、のんびりしていよう。

チェック・アウト後は近くのハンザ市場へ、
ここは昨日のドンスアン市場とは趣が異なり、
多くの人は地元の人で、観光客はそれほど多くない。
ここでラーメン(バーミ・ガー)とチャーハン(ソースが濃い)の昼食を
取り、市場を見学。

やはり朝の取引が多いのか、おばさんたちはトランプをしている。
ベトナムは米の種がかなり多いと聞いていました(マンガ「大使閣下の料理人」参照)。
5~6種類ぐらいの大きさや形状の異なる米が店一杯広がっていたので、
写真を撮らせてもらいました。

その後乾物屋を冷やかしていると、乾燥エビがありました。
ちょっとつまんで美味しかったので買うことにしましたが、
値段を見ていませんでした。1キロ?と言われたので、半分と伝えました。
値段を聞いてびっくり150,000D(以降千の位を省略して150Dとします)、
 もうパッキングしてあったので要らないともいえず、お買い上げになってしまいました。

 ホテルに戻り、フロントにいた中国系ベトナム人の劉君と
お話をしました。結婚しているのか?
と聞かれたのでいやと答えると、僕もそうだといってくる。

 しかし、ベトナムの人と来年結婚するらしい。
ベトナム女性の素晴しさを語り始めた。まず、優しい。そして知恵がある、
子供をよく面倒みる、財産をよく管理するなど色々です。

 挙句の果てには、あんたも今度ハノイに来るときは、
嫁さんを探しに来れば?僕が色々セッティングしてあげるよ、と言われ、
一瞬というか二三日まじで考えてしまった(う~)。

 彼女が少し日本語勉強して、あんたが少しベトナム語を勉強すれば問題な
い!との言葉。

 そうこうしているうちに2時になったので、車を出してくれというと(丁度
宿の車はいなかった)、タクシー呼んだよ、との事。
約束と違うと訴えると、日本人がものの1$をけちるなんておかしいと言われ
る。まぁいいや。駅に向かう。

 駅に着くと10分位で改札が始まる。
一等寝台なんて初めて乗る。
しかも新しく出来た優等列車SE1なので、
寝台車も真新しい。感動。中国製らしい。

 外を見るとハノイA駅裏側には越南鉄路と書かれた古い車両がつながっていた。

 しばらくすると、同席の人がけたたましくやってくる。
3人の女性、おばあさんとおばさん2人、
やかましく話しかけてくるが全てベトナム語。
シンチャオを繰り返してニコニコするのみしかない。

 車両担当の人が来るとおばさん達は退席する。
分かったこと、老人の一人旅行だから、何かあったら力を使って
相手を倒して欲しいこと、偶然行き先が同じのニャチャンで
しっかり下ろしてくれること。
長い時間だから話し相手になってやってほしいとのこと。

 おばあさんは1階で、上は本来ハネムーンの若い男女が来るはずだったのが、
近くの1階の空いている2階へと移る。
交代にやってきたのが高校生くらいのお兄ちゃん。

 この場所ではおばあさんをたてることに。3人でぼんやりしているが、おば
あさんが突然がなりたててくる。
怒っているわけではない、話し相手がほしいみたいだ。

 でも私はなんの役にも立たない。お兄ちゃんが適当にあしらってくれる。
少し寝ようということで3人床に着く。あたりが暗くなる位の時間に、
なんてお弁当が配られる。

 ご飯と3品あと水(一等寝台の特権かと思っていたら、
ハードシートの人にも配られたみたい)。
あまり美味しいとは言えなかったけど、
取り合えず、お腹を満たしてくれるのでありがたい。
食事がくるとおばあさんは少年をたたき起こす、
かなり攻撃が激しい。少年は仕方なく降りてくる。
3人での暖かい食事、楽しかったです。
食事を終えるとおばあさんは論議してきます。
私も身振り手振りで分かるところは請合いますが、
ほとんどは少年との会話に。

 食事が終わると係りの人が来て切符を取り上げて
硬いプラスティックのカードに引き換えていきます。
「このカードを持っている旅行者は車上で尋問されない」
と書かれています。
そして車内用のぞうりも用意してくれる。
車内では懐かしい80年代ポップスがかかっている。早めに眠りにつきます。

 12日朝、7時頃に目が覚める。
朝食はミー・ボーのカップラーメン。
車内にお湯の施設があるのでそこで汲んでくる。
おばあさんは相変わらず少年をたたき起こしている。

 少年と私とで頂きます。
おばあさんはお腹がすいていないみたいでしまいこみました。

 列車の進行方向が逆になっていましたどこかの駅で、
スイッチバックしたのだろう。

 しばらく車窓を見ながら大人しくしていました。
このおばあさんは何のためニャチャンに行くのだろう。
多分家族がいるのだろうけど旧南ベトナム地域、
激しい戦争の傷跡がおばあさんの脳裏に残っているのだろうなぁ。

 私はアジアではお年寄りをとても大切に扱いたいと思っています。

 というのも、自分の経験では欧州のお年寄りは自分勝手な人が多いような
気がするので。

 さて11時頃になりましたあと1~2時間でニャチャンです。
お昼ごはんが回ってきました。
おばあさんはカップラーメンが食べたいからと、
おばあさんの分のお弁当も、私に食べきりなさいといってきました。
量的には問題なく食べ終わります。

 これ以後おばあさんは少年に絡まなくなりました。
私と、どうやって列車を降りるか検討会議を開こうとしています。

 大丈夫ですよ、これくらいの荷物ならいっぺんに持っていけますから。
それと、荷物運びの人々に荷物を取られなければいいんですよね。

 といって降りる時間に。
少年は手伝うつもりは無いらしい(別に構わないけど)。
12時50分着

 列車を降りようとすると、荷物運びみたいな人がたくさんいて、
おばあさんを守ってあげようと思っていると、
おばあさんは手振りで渡してくれという人がいました。
息子さんです。ものすごく感謝してくれました。
「あなたなしでは私の母はしっかりと旅行できなかったでしょう」と
英語で言ってきました。そんな大袈裟な。

 私は次の日の夜のサイゴン行きの寝台チケットを買うため切符売り場に。
しかし昼休みなので(12:30~13:30)、再オープンするまで待つことに。

 沢山のバイタク、シクロ、タクシーが集まってきます。
何で街中まで行くかは切符を買ってから、条件で決めることにする。

 時刻表を見るとS9は廃止、S7は運転していないとの事で、仕様が無いの
でニャチャン発のSN1のハード寝台を予約する。

さて、タクシーでダイビングショップへ向かう。
明日はスピードボートを予約していたはずだが、
現地の受け入れ係り(ベトナム人)は
今の季節はスピードボートはでないと言ってきました。

 取り合えず、誓約書等を書く。
ダイビングショップの社長が出てきて、
明日は他に5人スピードボートに乗るから大丈夫、
船は出しますとの事で、
どうなっているんだと思ってしまいました。

 このショップ、フーコック島とコンダオ島でも事業を展開しているので、
そちらに行くこともあろうかと思い決めました、
ライバル社にはコンタクトも取らなかったです。

 泊まるホテルにピックアップしてもらってたどり着く(バイクで)。
明日のダイビングが終わり(シャワーを浴びたい)、
出発が19:00なので、18:00までのレイトチェックアウトをお願いすると、
プラス5ドルでOKでした(宿代15ドルでそれにプラス)。

 エレベーターの無いホテルの5階の一番人気のあるらしいいい部屋があてが
われました。

 ちょっとテラスに出れば。大迫力の海が見えます。

 一落ち着きしてから、浜辺を散策しました。
結構人がいます。でもシーズンではないので現地の人の方が多いよう。
友達を砂に埋めていたずらしている男の子たちがいました
(いじめではないです)。
早速仲間に入れてもらいました。
埋めてある身体の部分に絵を描いたり造形したりして遊んでいます。
小学5、6年生くらいでしょうか。のんびりしたビーチで良いです。

 ただ波打ち際がかなり谷のようになっていて、
引き潮のときかなり体を持っていかれしかも急に深くなっていました。
私には泳げない浜辺です。

 夜はインド料理でバターチキンとサモサ、ピラフを食べ、サンミゲルの
大瓶を飲みました。

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