みんなのハッピー、まず自分から ~ ライフコーチ さりー★kaneshigeの長野田舎あそび

留学したかった高校時代


AFSという機関を使って、費用は安くいくことを考えました。当時のお金で100万円弱のお金を用意し、試験に合格することが必要でした。
もちろん、表面上に出ている100万弱のお金以外にも余分なお金はかかるはずです。
親は、そんなお金を工面することは出来ないといいました。

そこで、私は、成績を下げずに、当面必要とされる100万円を貯め、試験に合格したら、行ってもいいかと交渉したところ、親は賛同してくれました。

成績は学年で常に一桁にいました。上位3位に入ることもありました。
そんな成績を維持しつつ、演劇部を辞めて、アルバイトを始めたのは高校2年の初夏のことです。1年でお金を貯め、次の試験で合格し、3年の秋に留学することを夢見ていました。

平日の夜、自宅から自転車で数分の関西風のお好み焼きやさんのバイトに入りました。当時時給650円。高校生にはとても魅力的な金額でした。
厨房での準備とフロアを担当していました。夏休みはスーパーのレジ、朝市も出勤しました。そんなことを数ヶ月、成績も維持し、アルバイト自体も楽しみながら、留学の準備を少しづつしていたある日、先生に呼び出されました。

私の通う学校は、アルバイトが禁止だったのです。
先生に事情を話したところ、校長のところへ行けと言われ、校長とふたりで校長室で話しました。
私の留学したい思い、親の賛同を伝えたうえで、訴えました。

高校生にとって大事な勉強もおろそかにせず、上位をキープしていること、やましいアルバイトをしているわけではないこと、目的を持ってお金を貯めていること。

裕福な家に生まれたものは、苦労せずとも留学できるのに、お金がないからといって私はあきらめたくない。私は今の私にできることを精一杯やりたい。

そんなことを切々と訴えました。

校長が、そんな私に言ったのは、「そんなにアルバイトがしたいなら、アルバイトのできる学校に行けばいいだろう」「親を呼んでこい」

アルバイトができる出来ないなんて、中学生の私にはわからないし、考えていなかった。留学したいと思ったのは高校に入ってからです。

結局、親も私も校長に会うつもりでおりましたが、あとで担任から言われたのは
「親を連れてきてもだめなものはダメだ」

と、納得のいく答えはもらえませんでした。

そのとき、学んだのは、世の中の不条理というか、スジが通っていても、ルールはルールという・・・なんていうのでしょう、そういうものっていうのが、これからもきっとたくさんあるんだろうな・・ということでした。悔しかった。

後日談としては、その後も私は、表に出ない裏のアルバイトを継続していました。
今思えば、返って怪しげなバイトに入るケースもあるんじゃないかと思います。

私の場合、人目に触れないところでのバイトで、親の賛同を得られるバイトは限られていましたし、どう計算しても目標金額にたまらないことがわかりました。
親は内心、ほっとしていたと思います。

それでも、学校制度に屈したくなかったこと、大好きな部活をやめてまでの想いを大事にしたかったのです。また、高校卒業後の進路も、大学に行かせてもらえないということがわかっていたので、どう転ぶにしても自分のお金は用意したかったのです。

一目に触れないアルバイトというところで、パン屋の早朝アルバイト。朝5時から7時30分まで働きました。
また、高校3年生の夏はみんなが受験勉強している中で、ひとり、野辺山の高原野菜農家に住み込みでアルバイトをしていました。

高校卒業時には、50万円を貯めていました。


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