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今年も・・・ 奈良の古墳を中心に巡って行きたいと思っています 先日・・・帰ってくるときに見た虹です 昨年は・・・夏を過ぎてからいろいろありました (父の入院・・・パソコンの故障・・・) 仕事も忙しくなって・・・予定を立てられず・・・ と・・・愚痴っていても仕方ないので マイペースで行きましょうね ・・・よろしくお願いします
2016年01月01日
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三角点山3号墳は・・・ 三角点山の山頂のすぐ近くに在る・・・横穴式石室が開口する古墳です三角点山3号墳 小さめの石室で・・・一部石材が石室の内側に飛び出していて 入室しても・・・身動き取れないです 三角点山3号墳開口部 と 三角点山3号墳石室内部 3基の古墳(7・8・9号墳)から少し先に・・・鉄塔が立っています その先の森の中が山頂です 場所 三角点山古墳群 三角点山手前の鉄塔 と 三角点山1号墳頂の三角点 と 三角点山1号墳 その三角点山頂に三角点が有りますが・・・これも古墳(1号墳)です 墳丘の南側に石材が一個あるので 石室が在ったようです (埋まっているのかな・・・) 山頂の東側に・・・号数不明「6B-0010」墳が有ります 三角点山6B-0010号墳 と 三角点山6B-0010号墳石室内部 わかりずらいですが・・・南側に回り込むと 石室が開口しています (土砂で・・・かなり埋まってますね) 山頂から南に降りていくと・・・石室の残骸が露出した2号墳もあります 5・6号墳は・・・どこ (また・・・そのうち探しに行ってみます)
2015年12月30日
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三角点山の登山道沿いに・・・三基の石室が露出した古墳が有ります 三角点山8号墳奥壁部分 この古墳も・・・ネット初公開だと思います 石室内に入れるのは・・・真ん中の8号墳です 石室は崩れかけているので・・・ 中へ入られる方は・・・自己責任で・・・ 三角点山8号墳開口部 と 三角点山8号墳石室内から見た開口部 北側の古墳(9号墳)は比較的大きな石室だったようですが ほとんど埋まっています 三角点山9号墳開口部分 と 三角点山9号墳石室内部 7号墳は墳丘の上部に破壊された石室材が散らばっている程度です 一度見つけてしまうと・・・簡単に行けるのですが 初めての方は・・・迷うかな 競馬道入口 と 三角点山古墳への小道 三角点山は奈良市大柳生町にある標高362mの山です 行き方::競馬道と呼ばれる道を進んでいきます 競馬道1号墳横を通って15分ほど(800mほど)行くと 大きく左(南)に曲がって・・・すぐに鉄塔が見えてきます さらに進んで(2・300mほど)行くと・・・ 右手に登って行く道が有ります(火の用心の赤い立て札が有ります) しばらく登っていくと・・・左手に3基並んだ円墳が見えてきます 山頂はその少し先です
2015年12月29日
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今回紹介する古墳は・・・ネット初公開です 競馬道7号墳と8号墳としていますが・・・ (本当の競馬道7号墳と8号墳はどれなのか・・・わからないです) 遺跡地図とは・・・全く違う場所にある古墳です 競馬道7・8号墳の有る森 と 競馬道7.8号墳はここから 競馬道4号墳(ゴヨシ古墳)の東北東およそ350mの所です 一基は丘陵を東から入ってすぐの所に有ります 一応・・・競馬道7号墳としておきます 競馬道7号墳 と 競馬道7号墳石室 墳丘は明確ではありませんが・・・横穴式石室の玄室部分が露出 (最初は見落としました) 天井石は無くなっていますが 石室全長は5m程在ります 奥壁に切石が使われています(感動) 競馬道7号墳奥壁 7号墳から丘陵を西に向かって登って行くと 円墳が見えてきます(競馬道8号墳としておきます) 遺跡地図の「06B-0149」付近です 競馬道8号墳 と 競馬道8号墳開口部 墳頂部に石材が露出していて・・・石室内を覗くことができます 平らな天井石が乗せられています 竪穴式石室でしょうか 競馬道8号墳石室内部 と 競馬道8号墳の石材? この丘陵と5・6号墳の有る丘陵の間にある丘陵にも 古墳が有った(石材ら敷石が散乱している箇所が有る)と思われますが・・・ 古墳らしい高まりは有りません 探検・・・してみますか
2015年12月28日
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競馬道4号墳(ゴヨシ古墳)の道を挟んで 北西側の丘陵に・・・2基の横穴式石室を有する古墳が確認できます 競馬道6号墳のある森 と 競馬道6号墳 西側を走る道沿い(柳生カントリークラブの進入路の少し南辺り)から山内に入り 左手に回り込んで登って行くと・・・大きめの古墳が見えてきます コヨシ古墳(仮)として紹介した古墳です この古墳が競馬道6号墳かもしれません 競馬道6号墳開口部 と 競馬道6号墳中から見た開口部 羨道部分は崩れて埋まってしまっていますが・・・ かなり立派な石室だったように思われます 土砂が入り込んでいるので・・・はっきりとしたことは言えませんが 残っている玄室部分は側壁が弧を描いています(胴張り型の石室か) 競馬道6号墳奥壁部分 この丘陵を南東に進んでいくと・・・先端部分に円墳が見えてきます これが5号墳でしょうか (「奈良の名所・古跡ブログ」では競馬道4号墳として載せています) 競馬道5号墳 奈良市史には「道の北側に有って 墳丘はないが石材を露出」と 書かれているので違うようなんですが・・・ わずかに石室が開口しています 土砂でほとんど埋まっているので・・・中には入れません 競馬道5号墳開口部 と 競馬道5号墳石室内 以前より・・・少し穴が大きくなっていたので・・・ 誰か掘りました 場所などはこちら 競馬道4号墳 大柳生地区の古墳は・・・遺跡地図と場所がかなり違っているので なかなか見つけられないですね
2015年12月27日
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競馬道1・2・3号墳は競馬道沿いに在りますが・・・ (競馬道1号墳・競馬道2号墳) ほかの古墳は北側の旧道沿いに在ります (石室の確認できる古墳は5基以上) 4~8号墳は・・・どの古墳のことかよくわからないのですよね~ 競馬道4号墳のある森 と 競馬道4号墳墳丘 競馬道4号墳は 奈良市史には「旧須川村に通じる道の南側に石材を露出して在る」と書かれています ゴヨシ古墳として紹介されている古墳が4号墳と思われます (この辺りの古墳で道の南側にあるのは・・・この古墳だけ) 山内に入って少し北に進んでいくと・・・ はっきりと古墳と認められる形(径18mほどの円墳)で在ります 競馬道4号墳石室 と 競馬道4号墳奥壁部分 墳頂は陥没していて 天井石の無い横穴式石室が露出しています 場所などはこちら ゴヨシ古墳 墳丘の北側のすそ付近に石材が露出していますが 競馬道4号墳北の石材 これも古墳でしょうか
2015年12月26日
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オクノガワの塚穴「6B-0035」と呼ばれる古墳です 天井山2号墳開口部 と 天井山2号墳墳丘 道路のすぐ脇に有るのですが・・・意外と見つけにくい古墳 塚穴と称される古墳には・・・間違いなく石室が有ります (もしくは・・・過去に石室が有った) 天井山2号墳は 天井山古墳群で唯一石室が開口しています 開口部はとても狭いですが・・・石室内に入れますよ天井山2号墳奥壁 小さめの石を丁寧に積み上げて築かれていますね 天井山2号墳石室袖部 天井山古墳群は・・・奈良市青少年野外活動センター周辺に分布する古墳時代後期の古墳群です 現状13基が確認されています 付近にいくつか古墳が有りますので これも古墳かな~~~と思いながら探してみてもよいですね 場所などはこちら 天井山2号墳 天井山1号墳 ・ 天井山9号墳 ・ 天井山11号墳
2015年12月25日
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大柳生盆地の南東に単独で築かれている古墳です水木古墳遠景 1977年に水道管を埋める工事をしていて発見されたそうです (参照;水木古墳説明会資料) 夜支布山口神社の森(この森の中には数基の小円墳が残存しています)の東側 田んぼの向こう・・・斜面に復元整備されて保存されています (奈良市の文化財に指定されていますよ) 墳丘の周縁には1~4段の石積が廻っています (径約16mの円墳です) 水木古墳 と 水木古墳石室 横穴式石室は下段部分だけしか残っていませんが・・・ けっこう大きめの石室だったことがわかります 水木古墳墳丘 と 水木古墳石積み 場所などはこちら 水木古墳 夜支布山口神社近くに『柳の森古墳跡』の石碑が有ります 柳の森古墳跡 柳の森古墳は・・・この石碑の南東50mのところに在った・・・そうです その近くの道路脇に・・・でっかい石が塗りこめられてます (古墳と関係ある石なんですかね) 場所などはこちら 柳の森古墳跡
2015年12月24日
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田んぼの中に石室が残る古墳って・・・珍しいですね 帯解狐塚古墳「8B-0024」とも言われます帯解狐塚古墳 道を車で走っていると・・・建物の陰に隠れて見逃してしまいます (見学自由ですが・・・場所を確認してから行ったほうが良いです) 田んぼの中なので・・・かなり墳丘は削られてしまっているようです (現状が径10m程の円墳状をしています)帯解狐塚古墳墳丘 画像のように・・・墳丘は藪に覆われています (笹に覆われているので・・・石室を見るにはかき分けて入っていきます) 南に開口する横穴式石室ですが・・・ 南側の開口部と北側の奥壁部分も石材が抜かれて どちらからでも石室に入れます 奥壁側から見た石室 と 南側の開口部 でも・・・大きな天井石が1枚だけ・・・かろうじて乗っかっているだけなので ちょっと怖いかな 場所などはこちら 帯解狐塚古墳
2015年12月19日
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五つ塚古墳群から少し西にきれいな溜池が有ります 竜王池と呼ばれてますが・・・南側に小島が有ります (竜王社が祀られています) 大川池塚古墳と竜王池 この小島は・・・なんと・・・古墳 (遺跡地図では「8B-0030」径4mの円墳とされています) 竜王社が祀られているので『竜王池』なんですが・・・何故古墳の名前は大川池塚なのか 南側に小川が流れています・・・これが大川なんでしょうか? 大きな川ではないですが・・・ この竜王池は古墳の周濠を広げた溜池です 大川池塚古墳鳥居 と 大川池塚古墳竜王社 径4mとされていますが・・・おそらく築造当初は比較的大きな古墳だったのでしょう もしかしたら前方後円墳だったのかも 場所などはこちら 大川池塚古墳 円照寺山道の鳥居 と 円照寺山門脇古墳 竜王池の北側に赤い鳥居が有ります この鳥居をくぐって進んでいくと・・・円照寺「山村御殿」の山門前へ行けます その手前に2基の円墳が有ります (茶山塚とも称されます) 岡山稲荷神社の北側です 古墳の周りは柵が有り・・・何故か『猛犬注意』の札が掛けられています 1号墳「8B-0028」は一辺約12.5mの方墳 2号墳「8B-0029」は径8mほどの円墳らしいです 墳頂には横穴式石室が在ったような窪みがあるそうです 円照寺山門脇古墳手水石 と 円照寺山門脇古墳石材? 柵の前にある石は・・・石室材のように見えますが・・・ ちがうかな 場所などはこちら 円照寺山門脇古墳
2015年12月16日
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ほとんど知られていませんが・・・二基の古墳で石室が確認できます 円照寺宮墓の裏山にある数基の円墳で構成される古墳群です 円照寺墓山3号墳石材 と 円照寺墓山3号墳前 一基は・・・宮墓を右側に回り込むと大きな石材が2個見えています 墳頂に宝篋印塔が建てられている古墳(円照寺墓山3号墳「8B-39」)です (径14m・高さ2m程の円墳) 横穴式石室が隙間から覗くことができます (懐中電灯がいりますよ) 円照寺墓山3号墳墳丘 と 円照寺墓山3号墳石室 羨道部は・・・埋没あるいは破壊されているようです (両袖式らしいので・・・残っているのかな) もう一基は宮墓の東側・・・墓山3号墳の南東側にある径14.5mの円墳です (円照寺墓山古墳「8B-38」です) 上から見た円照寺墓山古墳 と 円照寺墓山古墳墳丘 と 円照寺墓山古墳前の管理小屋 墳頂付近に小さな穴(20cmほど)が開いています 3号墳とほぼ同規模の横穴式石室ですが・・・ やや小ぶりの石で築かれています 円照寺墓山古墳狐穴 と 円照寺墓山古墳石室 穴は開いていますが・・・中は覗けません (カメラを突っ込んで撮ってみて) 違いを比べてみると・・・面白いかも 場所などはこちら 円照寺墓山古墳群 ほかにも数基の古墳が有ったようですね
2015年12月13日
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崇道天皇の八嶋陵へ行くと・・・その前の私道に 大きな穴が開いています八嶋陵前古墳 始めて行ったときは・・・ なにこれ 危ないな~ などと思った程度で・・・あまり気に留めてなかったのですが 古墳の石室の石材らしい・・・ おおきな石がいくつも転がっています 「八ツ石」と呼ばれているそうですす 動かすと祟りがあると信じられているらしいです この古墳を壊した人は・・・たたられたのですかね でもそのままにするのなら・・・道の真ん中に残さないで・・・ 違うところに道を通したらよかったのにね八嶋陵 ところで・・・八嶋陵は塀で囲われて見えませんが 古墳ではありません 場所などはこちら 八嶋陵前古墳
2015年12月11日
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五つ塚古墳群から東へ・・・200m程でしょうか 七つ塚古墳の森 森の中に盗掘された状態で六基の古墳が有ります 七ツ塚のはずなんですが・・・ もう一基は・・・確認できませんでした 七つ塚古墳盗掘穴 と 七つ塚6号墳の石材 すべて横穴式石室を有する円墳ですが 残念ながら・・・すべて盗掘されています 一番東側の6号墳で3個の石材が確認できる程度です 場所などはこちら 七つ塚古墳群(山町) さらに東へ200mほど行った(道の北側の森に入ってすぐの)ところに きれいな墳形を保っている円墳が有ります 8B-0050古墳 遺跡地図の「8B-0050」かな 径18mほどで・・・周濠跡も残っています 狐穴が有るので・・・石室が残っているのかもしれません 周りにある古墳は みな盗掘され原形を留めていないのですが・・・ 何故この古墳だけきれいな形をしているのでしょう
2015年12月11日
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奈良市の文化財に指定されている古墳群です 名前の通り・・・五基の円墳と方墳がW型に並んでいます 五つ塚古墳群 円照寺宮墓前の・・・とってものどかな道沿いに在る古墳です 説明板が建っている所が1号墳(円墳です)で・・・順番に号数が付けられています 3号墳と5号墳も円墳です 谷側に有る2号墳と4号墳は方墳です 2・4号墳が新しく・・・少し後から築かれたようです(7世紀ごろ) 五つ塚1号墳 と 五つ塚2号墳 と 五つ塚3号墳 石材が露出している古墳もあります かつては横穴式石室が開口していたそうですが・・・ 保存のため埋められてしまっています(残念) 五つ塚1号墳石材 と 矢痕のある石材 場所などはこちら 五つ塚古墳群
2015年12月10日
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磚積の特異な横穴式石室をもつ古墳です とっても残念なことに・・・この石室を見ることはできません 宮内庁が陵墓参考地として管理しているためです 石室全長は約16mも有ります 「榛原石」とよばれる流紋岩質溶結凝灰岩の板状石材を積み上げて造られています 平面が正方形に近い玄室と二か所の柱状の張り出し部で区画された羨道が有るようです 床面を含め石室内部全体に漆喰が塗られていたようです 内緒でちょっと覗いてみましょうか 黄金塚古墳の石室羨道 と 黄金塚古墳の玄室 被葬者は舎人親王とも言われますが・・・築造は7世紀中頃とされるので 御多分に漏れず・・・年代が合わないようですよ 墳丘は現状では一辺約27m 2段の段築が認められますが・・・3段かもしれないそうです 場所などはこちら 黄金塚古墳 現地には案内表示がほとんどないので・・・見つけづらい古墳です (迷わないように・・・事前にちゃんと調べてから行きましょう) 帯解黄金塚古墳北西側 と 帯解黄金塚古墳南東側 平成16年に石室南部の発掘調査が行われ 墳丘裾に沿った石列と南側一面に石敷が検出されました 陵墓地外にも古墳の外装施設が広がることがわかりました 平成21年に組合式石棺が出土 田中古墳「8B-0077」と名付けられています シズカ塚古墳南側 と シズカ塚古墳北側 北北西300mほどの処に・・・こんもりとした小さな森が有ります シズカ塚古墳「8B-0026」と呼ばれていて・・・鈴鹿王の墓との伝承もあるようです シズカはスズカが訛った 一辺17mの方墳らしいのですが・・・墳丘はものすごい藪 わずかに見える墳丘は・・・かなり削られて原形を留めていないように見えます 発掘しても何も出てこないの出すかね 場所などはこちら シズカ塚古墳
2015年12月09日
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大和野菜のレストラン「清済の里 粟」の敷地にある古墳です ヤギさんもいますよ 斜面に築かれ・・・横穴式石室が開口しています 下から見上げると円錐形のきれいな墳形が見られます 石室内にも入ることができますよ けっこう立派な石室です 高樋弁天塚古墳開口部 と 高樋弁天塚古墳袖部 開口部の上に「辨財天」の石碑が置かれています これが古墳の名前の由来ですね 以前・・・この石をヤギさんが落としちゃったことが有るようです 高樋弁天塚古墳奥壁 と 高樋弁天塚古墳天井石 場所などはこちら 弁天塚古墳 「プロジェクト 粟」さんのホームページ ここは・・・のどかなとても良いところですよ 高樋弁天塚古墳上から
2015年12月08日
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白川溜池の北側に在った小規模の古墳群です 和爾小倉谷2号墳 堤防の造成で消滅してしまいましたが・・・ 移築整備して古墳公園として公開されています 白川溜池 と 和爾古墳公園 移築されているのは三基で・・・かなり丁寧に移築されていますよ 公園に入ってすぐに有るのが1号墳(径約16mの円墳) 現状墳丘のみですが・・・石室全長約3.3mの片袖式の横穴式石室が在ったようです 埋められているのですかね・・・ 出土品として須恵器の杯・鉄刀・鉄鏃が有り・・・6世紀前半の築造 和爾小倉谷1号墳 と 和爾小倉谷2号墳石室 2号墳は古墳群の中では比較的大きな石で石室が作られています 墳丘はほとんどなかったようですが・・・方墳らしいです 隣にある3号墳は・・・2号墳の半分の大きさしか無いのですが 玄室には上下二段に分かれて敷石があったようです 下段は少し大きめの石(人頭大)が敷かれ・・・上段には小石が敷かれていました つまり・・・修復して・・・奈良時代ごろまで追葬されていたんですね 和爾小倉谷3号墳石室 場所などはこちら 和爾小倉谷古墳群
2015年12月06日
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ボウジ1号墳は珍しい横口式石槨墳ですボウジ1号古墳石槨 残念ながら・・・石槨の下部しか残ってません しかも・・・落ち葉で埋まって見えないことも・・・ ここは奈良と大阪の県境(奈良県人なので・・・県境です) 信貴山のどか村の臨時駐車場背後の山中に有る・・・三基の古墳群です (もっと在ったようですが・・・確認できるのは三基だけ) 見つけるのは・・・苦労するかも・・・ 案内表示などは全く有りません(知ってる人に連れて行ってもらったほうが無難ですね) ボウジ2号墳墳丘 と ボウジ2号墳石材 2号墳と3号墳は完全に破壊されていて わずかに石材が残っているだけですが・・・横穴式石室が在ったようです 見つけても・・・面白くも何ともないです ボウジ3号墳 と ボウジ3号墳墳丘 1号墳も見つけにくいので・・・見つかると「有ったー」と叫びたくなりますよ 上から見下ろしながら探すと・・・石室が見えないので かなり見つけずらいです 元気な方は・・・駐車場側から斜面をよじ登ったほうが見つけやすいでしょう 上から見たボウジ1号墳墳丘 と 駐車場から見たボウジ古墳群のある丘 場所などはこちら ボウジ古墳群
2015年12月03日
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松山古墳は大和でも屈指の大型円墳です 周濠もはっきり残っていて・・・ 生い茂る木の間に・・・墳丘も見ることができます 墳丘は2段築成で・・・径52m・高さ5.4m 額田部地区で最も古い時期の古墳・・・古墳時代中期初め(5世紀初め)頃のようです 場所などはこちら 松山古墳 西側の道沿いに西嶋古墳も有ります 県道と住宅によって削られ・・・大きく変形しています 径約32mの円墳とされますが・・・松山古墳と同程度の規模だった可能性もあるそうです 出土遺物は全く無く、築造時期は不明 サンジョ山「8C-0022」ともよばれるようです
2015年11月21日
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県道の下の保存されている古墳です 豊富な副葬品が出土した古墳です 全長50m程の前方後円墳(後円部径26.5m・高さ5m、前方部幅36m・高さ5.5m)です 前方部墳丘の一部が北行き車線側に有りますが・・・ ものすごい藪となっているので・・・立ち入り不可能 1966年の調査で・・・後円部から2ヶ所の埋葬施設が見つかっています 北側の棺は長さ約4m、幅約0.8m 画文帯二神三獣鏡、冠帽金銅片、琥珀・銀製の首飾り、金製細環、鉄刀、鉄剣、馬具などが出土 南側の棺は長さ約3.9m、幅約0.6m 人骨が残り、碧玉管玉の首飾り、銀製耳飾りなどが出土 ともに、高野槙の木棺を粘土で覆った粘土槨で 北が男性、南は女性が埋葬されていたようです 西側の民家脇に堀ノ内古墳も有ります 堂塚山「8C-0016」とも呼ばれていたようです 現状は単なる土壇といった感じで・・・全く原形をとどめていません (以前訪問した時は・・・木が生い茂っていたのですが・・・) 径25mほどの円墳とされていて・・・わずかに北東側が弧を描いています 場所などはこちら 額部狐塚古墳 堀ノ内古墳
2015年11月20日
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推古神社古墳と船墓古墳の中間あたりに小さな神社が有ります 祠が古墳状高まりの上に有りますが・・・これが鎌倉山古墳でしょうか 遺跡地図では消滅となっていて・・・場所も少し違うようですが 道を挟んで東側の森の中に在ったのが鎌倉山古墳だと思われますが どう見ても・・・古墳に見えます すぐ北側に額田部五輪塔群が有ります (場所はこちら 額安寺五輪塔) 通称「鎌倉墓(かまくらばか)」と呼ばれています (一番大きな五輪塔は忍性菩薩の墓です) そのすぐ西側に史跡額田部瓦窯跡も有って・・・見学できますよ
2015年11月19日
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船墓山「融通寺」の本堂裏手に有る古墳です 推古神社古墳より一回り大きな前方後円墳だったようです 条里図のX線解析によると・・・全長60mになるそうです 本堂裏の進入路の北側・・・森の中にわずかに墳丘が残されています (大部分は破壊されています)(遺跡地図の「8C-0015」) 額田寺伽藍並条里図に瓢箪型に描かれているそうで・・・「額田部宿禰先祖」と記載されているとか・・・ 築造は・・・墳丘から採集された埴輪片から6世紀前半~中頃ごろと推定されています 場所などはこちら 船墓古墳
2015年11月18日
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聖徳太子創建の熊凝寺跡『 熊凝の精舎 くまごりのしょうじゃ』とも伝わる額安寺 の・・・すぐ近くに有る古墳です 推古神社の本殿が墳丘の南側に建っていて・・・ 古墳の形ははっきりしていません 全長41m程の前方後円墳らしいのですが (後円部径約26m・高さ約2m、前方部幅約23m・高さ約2m) 神社のおかげで・・・ かろうじて墳丘が残った・・・という感じですね 埋葬施設なども・・・もちろん不明 埴輪片が若干採集されているので・・・古墳と判断されています 遠くからでもよくわかる大きな鎮守の森のなかに有りますよ 場所などはこちら 推古神社古墳 付近には・・・いくつかの古墳が有って古墳群を形成しています
2015年11月17日
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大和民俗公園内に在る古墳群です 菖蒲園の北側の丘に有るのですが・・・全く案内表示も説明も有りません 古墳が有ると認識している人は・・・皆無でしょうね 遊歩道「里の道」沿いに並んでいます 4基ほどの古墳(たぶん円墳)が確認できます 一番はっきりとわかるのが北側にある2号墳「7B-0071」 1号墳と3号墳は墳丘の上に遊歩道が通っているので・・・判りずらいです 4号墳は・・・遊歩道の入り口に有ります 特に見ても・・・面白くはないですね
2015年11月16日
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黒田大塚古墳から西へ・・・田原本町から三宅町に入ったところに 線路を挟んで二つの古墳が有ります 南側の民家脇に有るのが天王塚古墳「11A-0034」です 径16mほどの円墳だったようです 南側が特に削られているようです 小屋が建っていたようですが・・・今は有りません 北側から見ると・・・墳頂にはクヌギの木が生えているので 絵になる古墳ですね 天王塚って名前が気になりますね・・・ 牛頭天皇を祀る祠でもあったのでしょうかね 場所などはこちら 天王塚古墳 北側の田んぼの中に有るのが芝ぞえ古墳「11A-0032」です 全長50mほどの前方後円墳と考えられています 現状は径30mほどの円墳状をしています 墳丘は高さ1~1.5mほどで・・・平らになってますね 果樹や竹などが植えられています 幅13.5~14mほどの周濠が有ったようですよ
2015年11月11日
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桃太郎のモデルともいわれる吉備津彦命のふるさとにある古墳です 現状は全長70mの前方後円墳 周濠を含めた本来の全長は86mだそうです 墳丘の周りには馬蹄形をした幅約8m・深さ1mほどの周濠がありました 後世に周濠は埋め立てられ・・・墳丘の周囲が削り取られていきました 現在は古墳の周囲は公園として整備され・・・ 昭和58年3月15日に県の史跡に指定されています 舗装されている遊歩道は周濠の跡です このあたりは第7代孝霊天皇の黒田廬戸宮跡と伝えられます この古墳は・・・孝霊天皇のもがりの墓ではないかという説もあるそうです 場所などはこちら 黒田大塚古墳
2015年11月10日
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西大塚古墳は笹鉾山古墳群の4号墳です 坊主山古墳とも呼ばれているようです 笹鉾山1号墳から西へ・・・踏切の向こうに見えてきます 径15mの円墳 遺跡地図では消滅となってますが・・・ かなり削られていて・・・現状は径10mほど 特に南側と墳頂が削られているように見えます 横穴式石室が有ったのでしょうか? 元旦に金鶏が鳴くと伝承が有るそうです 場所などはこちら 西大塚古墳「笹鉾山4号墳」 少し南・・・民家に挟まれて 笹鉾山5号墳の墳丘も残っています 10mほどの円墳とみられていますが 南北5m・東西10mほどの細長い形をしています 高さは2mほど有ります 田原本町は・・・こういう小さな古墳が結構大事に残されていますよ
2015年11月08日
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田んぼに囲まれて・・・よく目立つ古墳です 古墳の上には稲荷神社が鎮座しています(稲荷平野神社) 現状は長方形をしていて・・・以前は古墳とは思われていなかったようです そう言う訳で・・・前方部前には家具工房の民家が有ります 全長96mの2重周濠を持つ東向きの前方後円墳です 笹鉾山1号墳「11A-0070」です (現状は東西約50m・南北20~28mの長方形) 築造は6世紀前半と考えられているようです すぐ北側28mのところに2号墳(径19.5mの円墳)が有りました (今は畑の下・・・すでに消滅しています) 顔に入れ墨のある馬子の埴輪などが出土したそうです 道を挟んでさらに北側の田んぼの中に・・・3号墳もあったようです
2015年11月07日
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最近の発掘調査で・・・ピラミッド状の古墳だったことが確認された古墳です 蘇我稲目の墓ではないか・・・と言われてますね 蘇我稲目は石舞台古墳の被葬者とされる蘇我馬子のお父さんです 世界遺産である高句麗(現在は中国・吉林省集安市)の「将軍塚」によく似ているらしいです 高句麗人の女性2人を妻にしたという記述が日本書紀に有るそうなので 高句麗と密接な関係があったようです 石舞台古墳から・・・歩いて10分ほど とても近くにあるのですが・・・ 観光客はほとんどなく・・・普段はとても静かです 石舞台古墳とは・・・えらい違い・・・ 横穴式石室が見れて・・・しかも石棺まで見学できる古墳は 明日香でも貴重です 付近には・・・棚田100選で知られる『稲渕の棚田』も有って ロケーションも最高ですよ 場所などはこちら 都塚古墳
2015年10月26日
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倶留尊山へは曽爾高原から登ってきました曽爾高原 この時期は・・・ススキ見物で 駐車場へたどり着くまで・・・やっぱり時間かかりました お亀池の横から正面に見える尾根へ・・・ 風が強くて冷たいので・・・汗もほとんどかきませんでしたよ曽爾高原のお亀池 展望所の奥にある・・・二本ボソへ・・・ 管理小屋が有って・・・入山料500円ナリ(私有地らしい・・・) で・・・ボソって・・・どういう意味 日本ボソからは・・・すぐ近くに倶留尊山が見えてます 日本百名山らしい・・・二本ボソから見た倶留尊山 腹ごしらえをしてから・・・いざ 快調に歩いていきました・・・が・・・あちこちにロープが張ってありました 岩もゴロゴロ 山頂は・・・割と広々していて 眺めも良かったです 倶留尊山から二本ボソを望む・倶留尊山の紅葉 風になびくススキがきれいですね 夕日に照らされるススキもいつか見に来たいです 曽爾高原のススキ
2015年10月25日
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やっぱり・・・この巨石墳はすごいですね 天井石のうち南側の天井石は77トンもの巨石が使われ 全体の重量は2300トンに及ぶと推定されています 使われている石は・・・通称飛鳥石と呼ばれる石英閃緑岩 この石を使った石造物は・・・明日香のあちこちで見ることができますね 蘇我馬子の桃原墓である可能性が高いとされていますが 天武天皇を仮に葬り奉った場所とか 本居宣長の「管笠日記」には 都塚古墳と対として・・・それぞれ推古・用明という各天皇の墓との伝承を持っていた とも書かれています 墳丘は上段部分の封土が流失しており形状不明です 都塚古墳がピラミッド状の方墳であったことを考えると やはり方形だったでしょうか 完成する前に壊されてしまった可能性も有ると考えてます 桃原墓は蘇我馬子の死後2年経っても完成していなかった記録が有ります 石室内からは凝灰岩片が出土しており 本来は家形石棺が安置されていたと考えられています 復元された石棺が敷地の南側に展示されています 昭和50年代に調査された時に 石舞台古墳の下層にはいくつかの小規模古墳があったことが確認されました つまり・・・これらの小規模古墳を破壊して石舞台古墳は造られたようです 小規模古墳は7基・・・径(または一辺)8~18ⅿ 墳形は円または方形で・・・埋葬施設は7基とも横穴式石室でした 1号墳が両袖式なのを除いて他はすべて片袖式のものです 遺物としては須恵器や耳鐶・釘などが出土しています これらの古墳から出土した遺物や石室の形態から6世紀末頃の築造だと考えられ 石舞台古墳が作られる直前までこれらの古墳群の造営が継続していたことが分かります この古墳群は・・・東に位置する細川谷古墳群との関連が考えられています 場所などはこちら 石舞台古墳石舞台古墳
2015年10月24日
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北今市古墳群は・・・香芝市の北今市に在った3基の古墳群ですが・・・ 中和幹線建設に伴ない・・・丘陵ごと消滅 馬見丘陵公園内に移築され保存されています 1号墳は径約20m・高さ約5mの円墳でした 移築された石室と石棺には・・・立派な覆屋が建てられてます が・・・石室の石材は・・・それらしい形に並べて有るだけです 横穴式石室は・・・南南東に開口していて 組合せ式家型石棺が二基並べて有りました 蓋石は盗掘の際に割られていましたが・・・ほぼ完存しています ところで・・・この石棺は・・・本物なのでしょうか 2号墳の石棺は・・・すぐ近くの陸橋の下 この古墳は石室は無かったようです つまり・・・直接石棺が埋められてたんですね 備え付けのパネルを見ると・・・人骨が入っていた・・・ まさか・・・この中には・・・無いですよね 場所等はこちら 北今市古墳群 参考;香芝市北今市古墳群 現地説明会資料資料(2005年9月4日)
2015年10月19日
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平常宮跡のすぐ北側にある前方後円墳です が・・・前方部は消滅・・・現在残っているのは後円部の一部のみです それでも・・・径100m以上の円墳状の墳丘が残っています 本来は・・・ 墳丘の全長253m・前方部の幅164m・後円部の径147m 前方部を南に向けた前方後円墳でした 以前は前方部跡に元の墳形を示す石列が並べられていましたが どこかわからなくなっちゃっています この市庭古墳は・・・平城宮造営の時に・・・削られてしまいました 神明野古墳のように完全に平削されてしまった古墳も たくさん在ったようですよ 奈良とは・・・平らにならして作られた城(都)という意味もあるとか・・・ なんで・・・後円部だけ残されたのかは・・・諸説有るようですね 発掘調査で・・・ 葺石・くびれ部分両側の造り出し・二重濠の一部分なども確認されています 円筒埴輪や動物埴輪などが出土しているそうです 築造時期は古墳時代中期前半(5世紀前半)と推測されています この板石は何でしょうかね?? 現在は・・・第51代平城天皇の陵に治定されています 市庭古墳「平城天皇陵」 平城天皇は・・・奈良時代から平安時代にかけての天皇 もともとあった古墳に・・・この天皇は追葬されたんでしょうか
2015年10月17日
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非常に小さい前方後円墳でした・・・ 復原全長約18.5mの前方後円墳で・・・周濠があります (周濠を含めた全長は約24m) 県内では最も小さく、近畿圏内でも11番目に小さい前方後円墳です 宗教施設の敷地にあるので・・・写真は撮ってません 墳丘は後世に削られ・・・後円部は復原径約15mです 周濠底からの高さは0.5~0.9mくらい残っていました ヤイ古墳は、6世紀中頃(古墳時代後期)に造られました 奈良市内では6世紀以降の前方後円墳はこれまで発見されておらず 奈良市域の最後の前方後円墳として位置付けられます 埋葬施設は不明です(木棺直葬と思われます) 周濠内から・・・古墳時代後期の埴輪・須恵器・土師器が出土しました 奈良市内には・・・こんな埋没古墳がたくさんあります
2015年10月16日
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宝来山古墳の西側・・・集落の中を歩いていると 田圃や道路が弧を描いているところが有りました 航空写真で見ると径100mほどの円形と見れます 古墳の跡と考えてよさそうです 田圃が周濠跡だとすれば、幅15m程ですので 径70mほどの円墳が在ったのでしょうか(兵庫山古墳より一回り大きかった?) 遺跡地図の「5C-81」です 中心部には民家が建っており・・・敷地はやや高くなっているようです この辺りは・・・田園が広がっていた所で 開墾されてしまったのでしょうね 南側或いは西側に前方部があった可能性はないのですかね 垂仁天皇陵の西側であり安康天皇陵とするのは考えすぎですね ただ・・・安康天皇陵は垂仁天皇陵より広い兆域を有していたようですから・・・やはり無理ですね
2015年10月15日
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先日の日曜日に・・・近つ飛鳥へ行ってきました 今年の古墳探検のスタートには・・・ちょうどいいかな・・・ と・・・思って行ってきました が・・・やはりまだ早いですね・・・暑かった 近つ飛鳥博物館 と 一須賀古墳群説明版 まずは『近つ飛鳥博物館』を見学 正直言って・・・古墳群を見学するより 面白かったです さて・・・古墳見学に出発B-9号墳 整備された遊歩道を歩いて・・・いくつかの古墳を見学していると 石棺のレプリカが有る古墳を発見 近くにはほかの古墳群から移築した古墳の石室もありました (残念なことは・・・石室の向きが間違ってる・・・) F-2号墳 と D-4号墳 それにしても・・・たくさんありますね・・・ でも・・・なぜか物足りない おなかがすいてきたところで・・・展望台に到着 第2展望台からは・・・王家の谷が一望できます第2展望台より 大汗かいて・・・登ってきたところに とっても気持ちいい風が吹いてました しばらく休憩してから 山の中にあるK群とL群も見学 最後にJ群を通って博物館まで戻ってきました J-8号墳 と I-2.3号墳 残念ながら どの古墳も・・・同じようなものばかりで 少々食傷気味でした・・・ 子供たちも多く来ていたので・・・築造当初の姿に復元した古墳が有っても・・・ なんて思ったのですが・・・ さて・・・次の古墳探検は・・・紅葉シーズンが終わってからにします
2015年10月06日
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茅原大墓古墳とホケノ山古墳の間・・・田んぼの中に有る古墳ですツヅロ塚古墳とツクロ塚 ツクロ塚「11D-0516」は径約10mの円墳と思われますが・・・ 北半分は削られて半円状になっています ツヅロ塚古墳「11D-0515」は径30mの円墳状です 纏向形前方後円墳(ホタテ貝式)の可能性が指摘されています 墳丘裾に石積みが見えますね・・・巻野内石塚古墳とおんなじ・・・ この周辺には・・・ほとんど墳丘は残っていませんが 他にも箸中狐塚古墳「11D-0517」(円墳・径約5~6m)や藤が森古墳「11D-0552」・石神塚「11D-0518」(円墳・径約20m 横穴式石室?)・馬塚古墳「11D-0524」(墳形不明、横穴式石室)などが在ったようです
2015年10月03日
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地元では倭佐保姫やまとのさほひめの御陵として永く保存されてきました ほとんど円墳(径72m・高さ9m)にしか見えませんが・・・ 北側に低い前方部(高さ1m)が有ります この前方部は長さも短く(15m)・・・帆立貝のような形の前方後円墳です 墳丘に登ってみると・・・大和三山や二上山など 大和盆地も良く見渡せます 平成23年の発掘調査で・・・盾に人の頭を載せた4世紀末ごろの埴輪が 西側の周濠から見つかっています 後円部中断西側に小さな祠が有ります 倭佐保姫は垂仁天皇の妃ですが・・・ 政権に反逆の軍を起こした兄の佐保彦との狭間で苦悩し・・・一緒に焼け死んだ悲劇の姫です 火の中で誉津別命を出産したと伝えられます 西側の小池と南側の丸池は周濠の一部だそうです 場所等はこちら 茅原大墓古墳 すぐ西側には・・・全長45mの前方後円墳の毘沙門塚古墳が在りましたが・・・ 消滅してますね・・・茅原毘沙門塚古墳
2015年10月02日
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巻野内石塚古墳の南東側に4基の古墳様の高まりが有ります 北側に有るのがサシコマ塚です 調査されていないので・・・詳細不明 現状は・・・径約13mの円墳状です 径20m以上の円墳だったでしょうか 道を挟んで西側にも古墳が有ったようですが・・・ 削られて・・・全くわかりません サシコマ塚の南に有るのが小川塚西古墳です 現状は・・・径35m程の円墳状です 測量調査がされていて・・・一辺約41mの方墳に復元できる可能性があるようです 周囲には幅約9~14mの周濠も有ったようです この古墳も石塚古墳と同様に・・・ 回りに石垣が有ります(葺き石が施されていたようです) 東側に並んで小川塚東古墳が有ります 完全に平にされているので・・・古墳には見えないです 径25mほどの円墳状ですが・・・前方後円墳かも知れません かつては・・・この2基合せて小川塚古墳と呼ばれていたそうです さらに南側に僅かに残っている高まりが小川塚です これは・・・古墳かどうかも不明です ホケノ山古墳から北へすぐなので・・・ついでに見学してみましょう 場所等はこちら 小川塚西古墳
2015年09月30日
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かなり削られて、円墳のように見えますが・・・ 纒向型の前方後円墳のようです 纒向型の前方後円墳は・・・前方部が短く低いタイプ(ホタテ貝式) 墳丘全長と後円部・前方部それぞれの長さが3:2:1の比となることが特徴です 古い古墳ですが・・・ホケノ山古墳と同様に葺き石が施されています 大きさはホケノ山古墳のちょうど3分の2 ホケノ山古墳を盟主とする同時期の古墳と考えられています その葺き石は・・・周りの石垣に利用されているようですね この古墳は・・・太平洋戦争末期に削平され そこに高射砲か対空機銃の砲台が設置されていたようですよ 墳頂からは・・・埋葬施設の検出や遺物の出土はなかったようです 埋葬施設は・・・どこに在ったのでしょうか 周濠跡から・・・弥生時代後期最終末期から古墳時代初頭の土器が出土しているそうです 場所等はこちら 巻野内石塚古墳
2015年09月29日
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三輪山麓では・・・横穴式石室と石棺が残る数少ない古墳です 大神神社の境外末社の富士神社・厳島神社社殿裏に有ります 知らないと・・・見落としてしまいますね 封土は無くなっていて・・・石室がむき出しになっています 開口部(南側)は・・・巨樹の根が絡みついて・・・ふさがっています おそらく・・・古墳時代後期に造られた円墳だったと思われます 社殿の裏側(北隅)から・・・石室内に入ることができます (神様にお参りしてからにしましょうね) 羨道部に刳抜式凝灰岩製家型石棺が見えています 中に・・・カメラを突っ込んでみると・・・ 見事に加工されてますね 場所等はこちら 弁天社古墳 富士神社・厳島神社
2015年09月28日
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コスモスが満開です まだ・・・少し早いかな・・・ と・・・思っていましたが・・・ 早咲きの畑は・・・ごらんのとおり満開 南側の畑は・・・変わりコスモスが咲くようですが まだ・・・先のようです 彼岸花も・・・まだ頑張って咲いています 広々としていて・・・ かぜも・・・心地よかったです みなさん・・・撮影に夢中ですね
2015年09月27日
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石室は県内でも屈指の大きさです この古墳は・・・田圃に囲まれた・・・ 線路脇の畑に有るのですが・・・ 畦道を通らないと行けません 始めていく人は・・・どこから行くの・・・と迷うこと間違いなしです 封土はほとんど無くなっていて・・・墳丘の正確な形は不明です 一辺40m以上の方墳ではないかと推測されているそうです 石舞台古墳ほどではないですが・・・全長17.3mもある大きな横穴式石室です 構造が水泥北古墳とよく似ているそうで・・・同一の設計によるものではないかと考えられているようです 石室内には・・・石棺の蓋石が見えます 昭和33年の発掘調査では・・・石室内部からは凝灰岩製の組合せ式の家形石棺が3基が出土しました 須恵器なども出土しています また・・・羨道部分から鉄製の釘も出土していて・・・ 木棺が追葬されていた可能性も指摘されています 4基も棺が収められていた古墳って・・・少ないですよね 場所等はこちら 狐塚古墳
2015年09月26日
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墳丘横に棚機神社が鎮座しています 古墳の形は分からないほど削られていますが・・・ 墳頂に盗掘坑があり・・・天井石が露出しています 横穴式石室が有ったようですね ここは「棚機の森」と呼ばれる所です たなばたさんとよばれているようです 谷(現在は南阪奈道路が通っています)を挟んで 反対側には平林古墳が有ります 織姫・彦星を思わせるような位置関係?なのかな 場所等はこちら 棚機神社古墳
2015年09月21日
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国の史跡として保存されている古墳です 全長55mの小型の前方後円墳ですが・・・とても大きな石室が有ります 石室は見瀬丸山古墳に次ぐ第2位の長さ・・・だとか 入れないので、それが実感できないのはとても残念です 開口部に近づくと自動的に照明が点灯するので 羨道部にある組合式家形石棺の底石が見れます これで・・・我慢するように・・・ってことなんですね 墳丘には登ることができて・・・後円部より前方部の方が高いのが 実感できます・・・葺き石も有るよ 場所等はこちら 平林古墳 この古墳のまわりは・・・桜がたくさん植えられているので 春に行くのがお勧めです
2015年09月20日
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畑山古墳群は・・・競馬道沿い(主に南側)に分布しています ほとんどが径10m~15mほどの円墳で 横穴式石室を有しています 競馬道1号墳から南に山内へ入っていくと・・・円墳がいくつも見ることができます ほとんどは、石材が表面に露出している程度です 谷になった所で・・・ 墳頂に大きな陥没穴の有る円墳(前方後円墳か双円墳かも?)で横穴式石室が2基開口しています 西側の石室は・・・天井石が無くなっているので大量に土砂が流れ込んでいます 東側の石室の方が状態は良いですが・・・羨道部が崩れているので入室は難しいです 場所などはこちら 競馬道無名墳 かなり・・・競馬道を進んでいくと・・・ 道沿いに径20mほど有る円墳が見えてきます 無名墳ですが・・・僅かに石室が開口しています 土砂でかなり埋まっているので・・・石室の規模は不明です こういう無名墳を見つけると・・・うれしくなります 場所などはこちら 大柳生畑山無名墳
2015年09月10日
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競馬道2号墳は・・・横穴式石室の羨道部が残っています 墳丘頂は大きく陥没しているので 玄室部分は完全に埋まっているようです そんな訳で・・・石室の規模は分かりません 競馬道1号墳から少し進んで・・・右手にカラフルな旗をつけたロープをくぐって 左手の丘陵を登って行きます 丘陵の上部にある径15mほどの円墳なので・・・ 簡単に見つけられそうなのですが・・・初めての人は たぶん・・・迷っちゃうと思います この古墳の西側には・・・いくつか石材が露出した場所が並んでいます (遺跡地図では・・・南に古墳が並んでいるようになっています) 場所などはこちら 競馬道2号墳 1号墳の南側(道の反対側)に3号墳が有るようですが・・・ はて どれでしょうか・・・ この辺りの古墳は遺跡地図が参考にならないです
2015年09月09日
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奈良市の東部「大柳生」には・・・横穴式石室が残っている古墳が たくさん有ります とっても・・・探検し甲斐の有るところです 案内標識も無く・・・もちろん説明版などありません 地元の人でも知らないのかも・・・ ここ数年・・・冬になると・・・毎年のように探検してます そして・・・競馬道と呼ばれる古道が有って・・・ けっこう大きな石室の有る競馬道1号墳が・・・道沿いに有ります 径22m以上の円墳とされています 見た感じでは・・・明らかに前方後円墳の形をしています 全長は36mほど 墳丘を登ると・・・南東方向に開口する横穴式石室が有ります 開口部は狭くて・・・ちょっと入りにくいですが 石室内はかなり広々としています 全長8.5m以上・玄室長約4m・幅1.7m・高さ2m 羨道幅1m・高さ0.9m 中は真っ暗なので懐中電灯必須です 尚・・・石室に入るなら・・・冬がよいです 夏は石室内は蒸し暑く・・・かび臭く・・・カマドウマがたくさんいる 場所などはこちら 競馬道1号墳
2015年09月07日
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久しぶりの登山のためか・・・ 年のせいなのか・・・心臓がバクバク・・・ 何度も・・・休憩・・・ おまけに・・・山頂手前で・・・ふくらはぎがつった (イテテテ・・・木段途中で座り込んだよ) 標高1000m近くだと・・・もう9月なのに まだアジサイが咲いてました アジサイとススキのコラボが見れるとは・・・ もう少ししたら・・・高原がススキで覆われて・・・綺麗だろうね 駐車場にはアレだけ車が止まっていたのに・・・山頂は人影まばら・・・ お昼時は・・・とっくに過ぎてるからだね・・・ 登ってくる時は・・・それほど多くの人とすれ違わなかったので・・・ みんなロープーウェイに乗ってるのかな・・・ ゆっくりしていたいけど・・・駐車場は5時で閉まるので・・・下山 歩いて降りるつもりでしたが・・・ 足に違和感が残っていたので ロープーウェイに乗っちゃいました (完全にいいわけです・・・)
2015年09月06日
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久しぶりに山を登ろうと・・・ 御所市に有る葛城山のロープーウェイ駅へ・・・車で・・・ 駐車場は・・・ほぼ満杯・・・1000円でした まだまだ暑いのに・・・けっこう来てるのですね ゲートを開けて出発 (8年前を思い出しながら登っていきました) 10分ほどで・・・櫛羅の滝へ到着・・・ すでに・・・汗びっしょり 写真撮って・・・しばし休憩・・・汗もすぐに引きました さらに上に有る二の滝へ・・・ が・・・なかなかたどり着かない・・・ こんなに登ったっけ・・・などと独り言を言いながら 汗だくで30分ほどかかって・・・到着 この滝へは・・・途中の分岐を谷へ降りていきます・・・10分ほどね (途中で下界が見下ろせます・・・ビュースポットがありますよ) 行者の滝とも呼ばれていて・・・役行者が修行した滝・・・とも言われてますよ 水量は少ないので・・・打たせの滝としてはちょうどいいのでしょうね 急な谷を再び登って・・・分岐まで戻って・・・ さて・・・ここから山頂までは・・・ まだ1時間ぐらいかかりました
2015年09月06日
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