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視床下部から放出されるオキシトシンは人間関係を円滑にし他人への信頼を高める能力に関係しています。健全な家庭環境や社会環境が個人のオキシトシン分泌を高めます。そして高まったオキシトシン分泌がストレスに対する耐性や順応性を構築します。『汝の隣人を愛することは、たわいのない事である。私はあなた方に言う。汝の敵を愛せよ。汝を迫害する者のために祈れ。』(新約聖書、マタイによる福音書)どうしてイエスキリストはこんな過酷な事を大衆に要求したのでしょうか? 怒りや憎しみはオキシトシンの分泌を抑制します。一方、隣人であれ、敵であれ、他人を思いやり愛情や友情を培うことで、オキシトシン分泌が刺激されるのです。その高まったオキシトシン分泌が個人の自律神経のアンバランスを補正し、あなた自身の健康を維持する事ができるのです。『愛』とは自己を犠牲にすることではありません。相手を愛することで、自分が健康になれるのです。その循環にオキシトシンが関わっています。他者を思いやる事によって、脳内のオキシトシン分泌が高まり、ストレスに打ち克てる強靭な身体になります。 『他人を幸せにしたければ、他人を思いやりなさい。自分が幸せになりたければ、他人を思いやりなさい。』(ダライラマ)『慈悲の瞑想』という瞑想方法があります。他人の幸せをひたすら祈り続けます。心理学者はこの『慈悲の瞑想』を応用し、Loving kindness meditation (LKM)という瞑想方法を確立しました。最近の研究報告はLKM が慢性の痛みに効果的であり、怒りや不安の軽減にも有効である事を強調しています。 他人の幸せを思う事が、結局は自分自身の癒しになっているのです。 おそらく、そのことは実はその人を癒やし、守り、永き平安と健康をもたらすものと思えます。
2014.05.28
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観瞑想を行うと、どのような事ができるかただ観る観る事によって、怒り、不安、悲しみなどが減り、小さくなることは前に述べたとおりでも、人の心の中には上記だけなのだろうか?そういう物が減っていく、なくなっていくと消しきれないものが残ってくる静かで、平安で、そして上に述べたものが無くなってくる反作用として、喜びのような、優しさのようなものがうっすらとあるようにみえる。これが慈悲心の正体ではないだろうか?慈悲は作るというより、もともと根源としてあり、それが上に述べたものに覆われていたので、はっきりと現れなかったのではないだろうか?だからこそ、だんだんと全てのものをそのような眼で観ると言うか、そのように変化してくるように思える。そして、探し求めていたこの方に会うことができるのだと思う。よき観る人よ よき観る人に真観 (真実の眼で観る)清浄観 (清浄なる眼で観る)廣大智慧観 (ひろき智慧の眼で観る)悲観 (悲(karuṇā)の眼で観る)(及)慈観 (慈(mettā)の眼で観る)常願 人は常にその出現を願い常瞻仰 そして仰ぎ見る
2014.05.27
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お釈迦様は、紀元前500年くらい(南伝より)紀元前五世紀今年、お釈迦様の誕生地の遺構が発見された事は、前に述べた放射性炭素の調査記録から、おそらく南伝の記述が正しいように思える没後に第一次結集それから100年後に第二次結集が起こり、大分裂がおこるマウリヤ朝アショカ王(阿育王)紀元前304年生まれ 紀元前232年没 紀元前3世紀このときにお釈迦様の遺骨八分割された七つから、多数の仏塔が作られたそしてその残った一つが二〇世紀に発見された事は前に述べたこの大王の時に第三次結集がおこる。(南伝による)紀元前三世紀 ざっと200年経っている事がわかるこの間仏教の記録は、口伝によって伝えられてきた。それがどのような物であったか、このときにたしか、金属にお経が書き込まれた模様、まだ発見されていない(どこかに埋められてあるだろう、見つかると大変な事になるだろうが)このアショカ王の息子の時期に、スリランカに仏教が伝わった おそらく紀元前3世紀末元々の仏教の根拠地は、現在のインドのビハール州から始まっている。おそらく一番古い形式のものは、ここにあったのだと思うが、もはや滅びてそれがどんな物であったかは、わからないスリランカに伝わった物から、現在の南伝の上座部の仏教が始まっている。現在の上座部は、部派仏教の流れから言うと、分別説部赤銅鍱部と言われているある意味当時主流派(有部、正量部、大衆部)から見ると、相当違いがあるようにみえる。ちなみに大乗(マハーヤーナ)は大衆部から出てきている最大主流派は、有部(説一切有部)これはアショカ王没後50年くらいしてから、現れている紀元前二世紀(紀元前200年~紀元前100年)が成立年代その有部の経典は漢訳経典として現在に伝わっている。また有部が、精密なアビダルマ哲学を作り上げた。これは南伝にも伝わっている。仏教の考え方をあらわしたものだ、非常に精緻であり、正直相当勉強しなければ理解できる物では無いと思う。しかし、非常に仏教を説明できる物として、重要な物であると言える。有部の本拠地は、インド北西部にあった。これはインドの政治の中心が、ガンダーラ地方が主力になってきているところから、それに属する有部が有力なったのも頷けるミリンダ王の話もこの時代の話(メナンドロス王)紀元前一世紀(紀元前100年~紀元ゼロ年)頃に大乗経典である法華経などの思想が現れ始めたようなガンダーラ語樺皮巻物写本が発見されているが、炭素14の年代測定から、紀元後1世紀を中心に書写されておりその中には、紀元前1世紀に遡る数値を示す巻物も存在している経典として成立するは紀元前後、経典成立としては、般若経が最初だろうと思える。紀元後一世紀(紀元ゼロ年~紀元後100年)経典がどんどん作られ始めたと言える。この時期当時最強のクシャナ朝のカニシカ王が、現れているが推定で紀元後150年くらいと推定されている。紀元後二世紀(紀元後100年~紀元後200年)この頃からガンダーラとマトーラで、仏像が作られ始めている馬鳴尊者が出ているのも、このカニシカ王の時代龍樹もこの二世紀の人物 カニシカ王よりやや後に属する、この人の根拠地はインド中部になっている。天才であり、大乗(マハーヤーナ)の根元がここにあるこの時代、二世紀中頃に安世高が中国にやってきて、経典の漢訳が行われ始めている安般守意経(アーナ パーナ 数息観)もここで伝わった。たしか観世音の事を光世音と訳したのも、彼だった。おそらくこの訳が観世音の本質を突いているように思う。瞑想に通じていた人物に思える。鳩摩羅什が西域より中国に来たのは、4世紀(西暦300年から西暦399年)で、多くの仏典の漢訳を行った。現在の日本で読まれる経典は、この訳につながっている。かれは西域のクチャ出身で幼少期インドに行っており、その後中国にきている。この4世紀の終わり頃に法顕が中国から、行きは陸路でインドに向かい、帰りは海路で中国に戻っている。彼の記録から、当時のインドの仏教の状況がよくわかる。経典についてはつまりお釈迦様からざっと500年くらい経ってから、書いたものが作られ、今に伝わっている。つまり今の日本で言えば、応仁の乱の頃の話をようやく今の時代に文章化したという気の遠くなる時間が経っている。この間は教えは、口伝で伝わっていた、この間の間違い、付け加えられたものは、相当あるだろうと思える。500年間の伝言ゲームが行われたと言っても良いと思う。じじつ経典は、時間とともに、どんどん増えている現在の上座部のパーリー語の南伝大蔵経の成立は、もっと新しく、紀元後五世紀ぐらいでスリランカで成立しているらしい、またその時の編者が、清浄道論で有名なブッダゴーサ(仏音)6世紀初めには、宋運という人物が生き返り陸路を通して、インドに行っている。6世紀後半には、天台智ぎが中国で出ている。瞑想の論書である天台小止観、摩訶止観を表している。6世紀後半には、日本では聖徳太子が出てきている。夢殿の存在で知られているように、瞑想を行っていたと思える。7世紀前半に、三蔵法師で有名な玄奘三蔵が、中国からインドに向かっている(この頃から密教化が起こり始める)7世紀後半には、義浄という人物が、行き帰り海路にてインドに行った記録がある。そして、11世紀からイスラムの侵入が始まり、13世紀になってインドより仏教は消失した。さて伝えられた経典、その教えについてはどれにしても相当な付け加えと、変化があるので、本当にどれが正しいとよくわからないと言うのが本当だろうと思う。どれもある程度は本質を含んでいるが、それは自分で探して行かざるを得ないのだろうこれこそ自灯明(自分をよりどころとして)法灯明(伝えれた教えをよりどころとして)なのだろうと思う。しかし、お釈迦様の教えとは何だろうかと思ったとき、もっと簡単なものでは無かったのかと思える。その根拠は、いくら調べても無いが ここまで書いて自分でも笑ってしまった。ただ南伝の修行法が伝わっているので、それを参考にしている。非常にわかりやすいしかし、何か違和感がどうしてもあった。それは、自分が大乗が伝わった日本にいるからだと思える。でも大乗がなぜあのような、空想的な経典になっているのか、その意味がどうしても理解できないと言うかそれで信じろとは、とうてい思えない状態、つまり実感がないからだとおもう。現在残っている大乗仏教は、何かが落ちているように思える。これもそれがなにか根拠が無いのだが、何かが足らない、だから実感が無いのだとおもう。自分でもそうだった、なんでこんな事をしているのか、実感が無いからわからないといえると思う。でも、どうも上座部の修行法をしてみると何か出てくる。始めた理由は、なにかできそうだなと言うことから始めたのだけど、とんでもないものが出てきたと言うのが本当の所です。でも、おかしいことに、自分では簡単な事にみえるのですが、どうもそう簡単な事では無いこともわかりだしたところなのです。頭の切り替えみたいなところだろうと思うのですが
2014.05.25
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これはあくまで私の解釈です。わたしは幸せでありますようにから始まる言葉これらは、この慈悲なる物、おそらく全ての人の中にあるものを、呼んでいる言葉にみえます。じつは、これらが今まで言ったように、自分を幸せにしてくれるものなのですからであれば、人であればだれもが、どんなひとであれ、これはあるはずです。これをどう呼びましょうか仏と呼びましょうか、またそれを観世音と呼びましょうか、弥勒と呼びましょうか、大日如来とでもよびましょうか?それともキリストとでも呼びましょうか、人の中にある、なにか良きもの、五蘊が落ちたあとに残る、何も無いのだけど、大切な物の存在を日々思うのです。生きとし生けるものが幸せでありますように と
2014.05.25
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慈眼視衆生と言う言葉観ている対象は、自分です。そして福寿海無量、限りない良きものをもたらすことになるでしょうこの眼で観ていると、不安などはいち早く消えていきます。この眼で常に観るなら、あとは経典が教えるとおりです。上座部の修行体系を行ったその中から、この言葉が現れてきたのでしょうでもこの言葉の意味は、この修行体系から離れていったことで、本当の意味がいつしか忘れ去られたようにみえます。私はこう思っています。
2014.05.25
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私も動揺します。でもそれに対処する方法は、観る事に、気がつく事にあったとはその奥には、深く静かに優しく、おそらく良きもの、人の良きものが、誰でも持っているそのもの
2014.05.20
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大掃除をすることになりましたが、やっていくと飽きる物です。でもなぜか、飽きないというか、別に好きでやっているわけでもなくずっと続けられるのです。また、動いているので疲れるはずなのですが、あまり疲れないただ、動作を気をつけている(認識しているというか、Satiだとはおもいますが)事をしていただけです。思考がでると、というか出る寸前で、気がつくと、それは歩く気づきまたは、息の気づきの中にかき消えていきます。歩く事を観る、息を観る、そして身体全てを観ている、気づいていると言う事です。そして、その端々に、気づいているときに、優しいというか、良きものの喜びという、ものすごく薄いものですが常に漂う、だから疲れないのでしょう疲れると言うことは、身体の疲れ以上に心が疲れを倍加させてしまうのでしょう。何が起こっているのかはわかりますが、そういうことなんでしょう。
2014.05.20
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>「寂しい・悲しい」というのも、仏教心理学では「怒り」の一種なんだそうです。>悩む」という感情も。>負の情緒は、どれもが怒りにつながっていると考えるべきなのでしょう。
2014.05.11
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自分の心を観る事をしているとこころの勝手なおしゃべりが、減ります時間はかかりましたがただ静かに、否定も肯定もせずに、ただ心に浮かぶ思いを観ています。必ずこの思いは消えていく心は消え去っていく物、無常なんですね自分が見ている物も、実は自分の認識物、作り上げた物だからこれも無常なのでしょうね
2014.05.09
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これが観えたとき般若心経が何を言っているのかが、自動的にわかると思います。
2014.05.08
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もしこれが観えたとき、自分の全ての行動は実はこうなっている事に気がつかれるはずです。この事は何を表しているかと言うと、分離できるならですよ捕らえられる物はどうしようもありませんが、捕らえる物の方は自分ですから、何とかなるはずです。その事は、必然的に自分の全ての思いを手放し、その外に居る事ができるはずです。はじめはその分離智は小さいはずです。でもそれが積み重なってくると、どうなるかおそらく触覚作用が一番わかりやすいので、歩行瞑想や呼吸瞑想が瞑想の基礎としてあるのは、このためと思います。実は聴覚でも、視覚でも同じように観ることができるのですが、ものすごいスピードで一体化するので難しいとおもいます。おそらく一体の物として巻き込まれてしまいますから一体の物と、おそらくそんなことすら気づきもしないでしょう。しかし、これが実はよくよく観ると、分離しているこの事は、良くこのように言われることがあると思います。「物事は受け取り方しだいで、どのようにも変わると」この事だと思います。前にも書いていますが、実はこの世界の認識は、主観的にならざるを得ないのです。でも実はそれを客観的な事実と誤認しているのが、私を含めた人間の姿では無いかと言うことです
2014.05.03
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呼吸の観察、入息出息観察する時(アーナーパーナサティ)、入る息に「入る」と気づき、出る息に「出る」と気づくことです。この気づきをよくよく観てみると 実際の動き 名前付け 入る 「入る」 出る 「出る」 一つのセットと観ることができませんか?と言う事なのです。実際の動きとは「捕まえられるもの」であり、名前を付けるものは「捕まえるもの」になります。実際の動きが色(マーナ)であり、名前を付けて捕まえている心の働きの方が名(ナーマ)と呼ばれる事になります。ここで、呼吸を気づき続けていて作業は、一つの行為と思っていたものが実は二つに分離され認識できるの事に気がつきませんか?このように見えたとき、その気づきこそ名色分離智と呼ばれるおそらく仏が発見された智慧と考えています。では、つぎにこのような智慧をあなた得たら、次は何が起こるでしょうか?
2014.05.03
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心を観る、観察する、マインドフルネスと言うもの止観、それらは自分にとって、不安を激減させてくれた。不安の原因が自分にあることを教えてくれる事を教えてくれる瞑想は、どんなときでも、目を開けても、閉じても、歩いても、食事をしても、全てが瞑想になっている不安がなくなると言う事は無いけど、激減し、その苦しみも、おどろくほど小さくなった。それは、ただ自分の心を観ること、ただ前に静かにただ観るだけそれだけで、苦しみを与えてくれた物が、一気に晴れて消えた原因は自分に、それは自動的に、名色分離になっていることに気がつくそれは心を押さえつけるのでも無く、否定するのでも無く、ごまかすのでも無く、おそらく理解すること理解が深まれば、いくら探してもこの理解しかできないなら、もはやその物は消滅することが理解できる心は静まる、前も書いたように静かな巨大な波立たない鉄板の様な心があることが認識できる。観れば良いのだと思う。ただ静かに生きとし生けるものが、幸せでありますようにと、良い言葉だとおもう。そして、これらのことは、実は日本にも間違いなく伝わっている事が強く理解できる。気がつかないだろうけど、実は様々な所に、静かにその扉があることがみえます。
2014.05.02
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この物語を、そのまま解釈してみます。この事は、前に述べた名色分離智で観るとどういう事になるかなのです。一息の間に生死があるのでは無いかと言うことなのです。考えすぎかもしれませんが人は実は一息の間に生まれ、死ぬ、そしてまた次の息で生まれ、死ぬを繰り返しているこれは輪廻の思想そのものの様に見えます。あまりにも有名なこの一節此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。— 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)
2014.05.02
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このような話が残っています。人生は一息 釈尊(釈迦)の弟子の一人が、釈尊に人生は何年ですか? と 問いかけました、しかし答えは返ってきませんでした。 さらに弟子は問いかけた。人生の長さを、60年、50年、20年、10年、5年、1年と、さらに1日ですかと、釈尊は答えず黙想したままでした。 弟子は更に問いかけようと一息ついたその時に釈尊は答えられた。 『人生はその一息』と仰せになりました。その意味とは以下に書いてあるのですが 釈尊は私達に、一日をいや一瞬を大切に生きてこそ価値ある人生が送れる事をお教えになられたのです。 『人生は一息』心して噛み締めたい言葉ではありませんか?この話自体いつ作られたか、よくわかりません。おそらく後代に付け加えられた物だとは思います。たしかに、その意義は上記の様に解釈して良いと思いますが私には、どうしても違和感が残っているのです。
2014.05.02
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