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コーサラ国に、 バセナーディ王と、そのお妃のマッリカー夫人がいました。 マッリカー夫人は釈迦に深く帰依する、敬虔な仏教徒でした。 ある日、バセナーディ王は王城の高楼に登って、 ふと、傍らのマッリカー夫人に語りかけました。 『このひろい世に自分より愛しいものがあろうか』 『王さま、私には自分より愛しいものはありません』 当然、バセナーディ王は、 この自分のことを一番愛しいと言ってくれるものと期待して マッリカー夫人に語りかけただけに、 その返事にガックリと失望するとともに、 その問いをあらためて自分に問いかけてみて、 自分もまた、夫人と同じであることに改めで気づかされるのでした。 しかし、この想いは人として正しいのだろうか? そう疑問に思った二人は、釈迦にそのことを尋ねます。 『人のおもいはいずこへもゆく。 されど、己より愛しいものを見出すことはない。 どんな人にも、己はこの上なく愛しい。 されば、己の愛しさを知るものは、他を害するなかれ』 それが、二人を前にした釈迦の言葉だったのです。
2014.12.17
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慈悲の対象は、どこなんだろうかと考えたときひとつだけ見落としてあるように思えるのです。まわりのだれか?とか実はそれはわたしではないのかと思えるのです。だから観る目は優しい一番大切なじぶん世界で一番いとしいものは自分でしかありえないからだから、このじぶんを観る目はやさしいことになるのでは?なにか、慈悲においてこれが見逃されているように思えるのです。
2014.12.17
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お釈迦様のような正等覚者は分別説者人間を徹底的に分析しその道を説いている人だからと称していたからこのような名前がついていたらしい
2014.12.12
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貪りと怒りの両方を、私たちは観察することができる。一方が存在している時はいつも、他方がそこにあるのです。何かを欲しいと思う時には、それを得られるかどうかに関する不安が存在している。これはとても辛いことです。実際のところ、欲望とはそれ自体が痛みであり、不完全さなのです。何かを求める時はいつも、私たちは不完全さを感じていて、この不完全さが痛みです。ウジョーティカ
2014.12.11
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数えることなしに呼吸とともにいることができるなら、もうそれ以上数えないでください。数えることが、後には別の障害になるからです。それらは単に、数字に過ぎませんからね。私たちは数字を理解しようとしているのではありません。身体の感覚を、理解しようとしているのです。初心者というのは、瞑想をはじめたばかりの人ではありません。初心者というのは、この集中の壁を乗り越えていない人のことを言うのです。ですから、あなたは長いこと瞑想をしてきたかも知れませんが、もし一定の段階を乗り越えていないなら、あなたはまだ初心者の段階なのです。ウジョーティカ
2014.12.11
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この2500年前の仏教の年表を作って見て、気がついた事はお釈迦様とその弟子達の寿命の長さなのです。異常と行っても良い当時は抗生物質などのマトモな薬も無い状態において、なぜこれだけ長寿であるのだろうか?と言う点です。当時のインドの平均寿命は、推定で20歳代これは乳幼児死亡率が異常に高い為にこの様な低い数値になりますがそれにしても、多くの普通の人は40歳くらいで亡くなることが普通の状態だと推定出来ます。これがなぜそうなのかについていろいろな事がわかってきましたので、述べてみたいと思います。まず清潔を心がけていると言う点、これは以前述べましたように歯を磨くことを始めたのは、お釈迦様です。また沐浴の習慣つまりお風呂に入るという事これらは身体は不浄であるという教え(不浄観)が、そうさせてきたものと考えます。また、生活態度を見てみると、労働などの肉体労働は原則してはいけないと言うことから、身体の負担は相当小さかったことが読み取れます。昔の労働は、ともかく長時間でかつ過酷であり、そのことが大きく寿命を縮めていた事が推定できます。どの様な生活であったかについては、現在のミャンマー等の上座部の修行記録などが手に入るようになりましたのでその様子をうかがい知ることが出来ます。日本のお坊さんなどが勉強のため上座部で修行してみての感想として、日本と比較するとある意味ここは天国作務などはなく、ただ瞑想をしていれば良いだけで、食事の手配やその他様々な日常業務をする必要は無いからと言う感想でした。おそらく昔からこのような状況であったと推定されます。またけがなどをすると、感染症に対してひとたまりも無いでしょうが、静かにしていると言うことはそのような危険から離れていると言うことです。争わないと言う生活態度は、危険から離れていることを示しています。栄養状態としては、乞食と言うことなので、栄養が十分な状態では無かったようですが、当時の一般人もそんなにまともな食事はとれていないと言えます。しかしそれ以上に、重要なかつ現代人が最も必要としている重要な部分があります。それは、こころの問題なのです。実は体を防御する免疫は、こころの状態によって左右されることが、近年わかってきました。「病は気から」の根拠が科学的に実証 http://www.jst.go.jp/pr/announce/20141125-2/交感神経によるリンパ球の体内動態の制御が、ストレスが加わった際に完成防御という免疫の本来の機能が損なわれる、つまり「ストレスによって免疫力が低下する」ことの一因となる可能性を示している。ということです。じつは今まで述べてきた心は何で作られているかという前に書いてきたこと体からきている、苦は緊張を伴っている、緊張は交感神経の発現、苦にまみれている事は、常に交感神経緊張状態にある、これは自動的に免疫力が低下することにつながるでは、これが消えてしまえば、免疫力は相当向上することを予感させるのです。具体的にはどうするかについては、前に書いてありますがだから、長く生きてこれた一因ではないかと思われるのです。ウ・ジョーティカの言葉として この段階では、多くの身体的な病も消えてしまいます。精神的なものだけではなく、現実の身体の病気もまた消えてしまうのです。パッサディ(軽安)とピーティ(喜)、これらは非常に近いものですが、素晴らしい治療的な力をもっています。多くの恐怖症や不眠症もまた、克服されます。
2014.12.09
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きがついた想いは起こる、絶え間なく起こる、でも無我であるなら、これは私では無いであるなら、なにもこの想いにこだわる必要がなくなるから、掴んでしまう必要も無いからしかしそれにしても、この体、ろくなものしか考えださないものだね でも大切なこの体だからその想いを優しくだだっ子の子供を観ている様に、観ていよう
2014.12.03
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と言うことに気がついたどんなものも崩れ去り、そして去って行くものであるとあるよく考えていれば、苦しい事、悲しいこと、つらいことでもその思いは、時間とともに崩れ去り、過去の彼方に消えてしまうものだから無常って、何も無いんだ、今良くても、それも過ぎ去っていくから思いを観れば、全て崩れる、そこに永遠に留まることはできないのだから、当たり前の事だから常に今ここに居れるように
2014.12.03
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