今日も他人事

今日も他人事

Caligula Overdose SS 決断




―――この世界は。

孤独で、不安で、どうしようもないぐらい真っ暗で。

生きることは苦しくて、どうせいつかみんな必ず死に絶える。

だから、現実は嫌い。生きてたって意味がない。

幸福な夢を見続けられるなら、私は死ぬまでずっと眠っていたい。

それが私の、願い。







「それがお前の選択か」

ソーンの真紅の瞳が私をまっすぐに捉える。

失望と憎しみに満ち溢れた瞳。

射抜くような視線を私は正面から見据えた。

「もう……終わりにしよう。ソーン」

それは私と"彼"にしか理解できないやり取りだっただろう。

帰宅部の誰にも。笙悟にも。彩声にも。アリアにも。

きっと分からない。

ルシードとソーン。最後に残った二人の楽士。

二人だけの密約。

そして、決別。

「……いいだろう。お前も、現実と共に消し去ってやる」

低い声でソーンが呟く。

その全身に楽士の力を漲らせ、禍々しい魔槍を握りしめる。

まるで鏡を見ているみたい。

目の前にいるのは私自身に他ならない。

メビウスという名の鳥籠で生き続けることを願い、現実という名の地獄を否定し破壊しようとするもう一人の私。

以前、私を楽士に誘ったソーンの目に間違いはなかった。

ソーンと私は確かに"同志"だったんだから。

私を楽士に引きこむというソーンの計画は大筋で正しかった。

私は成り行きで帰宅部に加わったに過ぎない。

鍵介と同じ、楽士と帰宅部の挟間を彷徨っていた脆い存在だった。

いや、現実を憎んでいるという点では、鍵介よりも楽士向きだったに違いない。

だから、ソーンの選択は間違っていなかった。

なにより、私自身がそれを認めている。

……ただ一つ。大きな誤算を除いて。

 ソーン、あなたは私を帰宅部から切り離すべきだった。

 私には現実に戻りたい理由なんてこれっぽちもなかったけど。

 私の大切な仲間達には、戻らなければならない理由があったのだから。

 "死"に囚われ続けているソーンに、私の気持ちはきっと分からないだろう。

 私は、帰宅部として過ごし過ぎた。

 もうソーンと同じ道を歩むことはできない。

 私にできるのは、あなたを楽にしてあげることだけ。

……身勝手だけど、それが僅かの間でも一緒に過ごしたあなたへの手向け。

私はカタルシスエフェクトを発動させ、両手に拳銃を構えた。

かつての"同士"を迎え撃つ為に。





「大丈夫だよ」「怖がらないで」

壊れた人形のように、μはその言葉を呟き続けている。

私達の負の感情を浴び続けて、彼女はすっかり変貌してしまっていた。

純白だった衣装は漆黒に染まり、天使のように無垢だった以前の姿とは似ても似つかない。

私達のせいだ。

私達のせいで、μはおかしくなってしまった。

μが声を上げる。凄まじい衝撃が全身に襲いかかる。

その叫びに吹き飛ばされないように耐えながら、私はじっとμを見据える。

……不思議。

今にも体が引き裂かれようと軋みを上げている状況なのに、私は思わず微笑を浮かべていた。

―――怖がらないで。あなたを楽園につれていってあげる。

 変わらないね、μ。

 あの時も、そうやって、貴女は私に手を差し伸べてくれたね。

 嬉しかったよ。本当に。

 ひとりで苦しんでいる時、誰かに優しくしてもらえることが本当に嬉しかった。

 あのね、μ。

 私が他の人達に優しくしようと思えたのはね。貴女のおかげなんだよ。

 貴女の優しさに触れたから、私は他の皆にも優しくなろうとできたんだ。

 だから本当は、μを否定したくはなかった。

 ずっと、ずっと、このメビウスで暮らしていたかった。

 だから、ソーンの誘いにも乗ったんだ。

 帰宅部として活動しながらも、楽士としてこの世界が少しでも続くように妨害しようとした。

 それが、みんなへの裏切りだと分かっていても。

 この楽園で、貴女のことをずっと守ってあげたかった。

 でも、現実を壊すことは……私にはできない。

 みんなの気持ちを知ってしまった今となっては、もう。

 現実は嫌い。本当ならずっとここにいたい。

 でも、皆の願いを踏み躙ってまで、私はそれを貫くことはできない。

 ごめんね、μ……私、そんなに強くないんだ。

μと目が合う。悲し気な瞳だ、と思った。

痛々しくて、とても苦しそうで。

暴走を続けるμへと私は銃口を向ける。

「今、楽にしてあげる」

そして、トリガーを引いた。







重い瞼をなんとか持ち上げ、私は布団から体を引きはがした。

最初、自分がいる場所が分からずに戸惑い……それから苦笑した。

ここは私の家だ。

本当の、現実の世界の。

夢から醒めたんだ。

私はちらりと横を見る。

当然、ここにいるのは私ひとりだ。

ひとりぼっちの、私だけ。

私はぎゅっとシーツの裾を握りしめた。

後悔なんてない。これは私自身で選んだことなんだから。

ただ、この寂しさだけは拭い去ることはできない。

胸にぽっかりと穴が開いたようなこの感覚だけは。

……スマホが鳴ってる。

ぼんやりとスマホを手に取る。WIREに着信1件。

着信元のIDを見て、私は思わず目を見張った。

だって、そのIDは私が今一番会いたかった人のもので。

もう二度と会えないだろうと、どこかで諦めていたんだから。

「おはよう、彩声」

……馬鹿やってるなぁ、私。

聞こえる訳ないのに、思わず声が出ちゃった。

なんでかな。目元がぼやける。

そういえばイケPが言ってたっけ。

嬉しい時も涙って出るんだぜ、って。




もうメビウスは残っていない。

夢は終わった。

私達はこの現実という名の地獄で生きていくしかない。

……だけど、あの時に心を通わせた人達とのつながりは、まだ残っている。

私のスマホには、沢山のWIREのIDが登録されていた。

帰宅部の皆。それに、楽士の皆。

それだけは、夢じゃなかった。



昼下がり、私は構内で電車を待っていた。

……変、じゃないかな。

現実の姿で彩声と会うのはこれが初めて。

分かってもらえるかどうかは気にならない。

本当に心配なのは、"私"を分かった時にどんな風に思われるか。

その方が、私は怖い。

でも……それでも会いたい。

会って、話をして、触れ合って、それからーーー

思考を遮るように電車がホームへと近づいてくる。

私はイヤホンをはめ、電車へと乗り込んだ。

他人でぎゅうぎゅうの満員電車。

窓の外に見えるのは知らない誰かが住んでいる高層建築群。

見慣れた面白みのない現実の光景を見ているだけで、生きていくのが嫌になる。

……もしも。

もしも、私があの時、違う選択をしていたら。

果たしてどうなっていたのだろうか。

そう考えそうになる弱い自分に気付く度、私は頭を振る。

過去は変えられない。一度下した決断は変えようがない。

皆、自分の選んだ道を進んでいくしかないんだ。

私はそっと目を閉じ、車内の壁にもたれかかる。

暗闇の中、μの歌声だけが響いていた。

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