「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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今日も他人事
Caligula Overdose SS 決断
―――この世界は。
孤独で、不安で、どうしようもないぐらい真っ暗で。
生きることは苦しくて、どうせいつかみんな必ず死に絶える。
だから、現実は嫌い。生きてたって意味がない。
幸福な夢を見続けられるなら、私は死ぬまでずっと眠っていたい。
それが私の、願い。
1
「それがお前の選択か」
ソーンの真紅の瞳が私をまっすぐに捉える。
失望と憎しみに満ち溢れた瞳。
射抜くような視線を私は正面から見据えた。
「もう……終わりにしよう。ソーン」
それは私と"彼"にしか理解できないやり取りだっただろう。
帰宅部の誰にも。笙悟にも。彩声にも。アリアにも。
きっと分からない。
ルシードとソーン。最後に残った二人の楽士。
二人だけの密約。
そして、決別。
「……いいだろう。お前も、現実と共に消し去ってやる」
低い声でソーンが呟く。
その全身に楽士の力を漲らせ、禍々しい魔槍を握りしめる。
まるで鏡を見ているみたい。
目の前にいるのは私自身に他ならない。
メビウスという名の鳥籠で生き続けることを願い、現実という名の地獄を否定し破壊しようとするもう一人の私。
以前、私を楽士に誘ったソーンの目に間違いはなかった。
ソーンと私は確かに"同志"だったんだから。
私を楽士に引きこむというソーンの計画は大筋で正しかった。
私は成り行きで帰宅部に加わったに過ぎない。
鍵介と同じ、楽士と帰宅部の挟間を彷徨っていた脆い存在だった。
いや、現実を憎んでいるという点では、鍵介よりも楽士向きだったに違いない。
だから、ソーンの選択は間違っていなかった。
なにより、私自身がそれを認めている。
……ただ一つ。大きな誤算を除いて。
ソーン、あなたは私を帰宅部から切り離すべきだった。
私には現実に戻りたい理由なんてこれっぽちもなかったけど。
私の大切な仲間達には、戻らなければならない理由があったのだから。
"死"に囚われ続けているソーンに、私の気持ちはきっと分からないだろう。
私は、帰宅部として過ごし過ぎた。
もうソーンと同じ道を歩むことはできない。
私にできるのは、あなたを楽にしてあげることだけ。
……身勝手だけど、それが僅かの間でも一緒に過ごしたあなたへの手向け。
私はカタルシスエフェクトを発動させ、両手に拳銃を構えた。
かつての"同士"を迎え撃つ為に。
2
「大丈夫だよ」「怖がらないで」
壊れた人形のように、μはその言葉を呟き続けている。
私達の負の感情を浴び続けて、彼女はすっかり変貌してしまっていた。
純白だった衣装は漆黒に染まり、天使のように無垢だった以前の姿とは似ても似つかない。
私達のせいだ。
私達のせいで、μはおかしくなってしまった。
μが声を上げる。凄まじい衝撃が全身に襲いかかる。
その叫びに吹き飛ばされないように耐えながら、私はじっとμを見据える。
……不思議。
今にも体が引き裂かれようと軋みを上げている状況なのに、私は思わず微笑を浮かべていた。
―――怖がらないで。あなたを楽園につれていってあげる。
変わらないね、μ。
あの時も、そうやって、貴女は私に手を差し伸べてくれたね。
嬉しかったよ。本当に。
ひとりで苦しんでいる時、誰かに優しくしてもらえることが本当に嬉しかった。
あのね、μ。
私が他の人達に優しくしようと思えたのはね。貴女のおかげなんだよ。
貴女の優しさに触れたから、私は他の皆にも優しくなろうとできたんだ。
だから本当は、μを否定したくはなかった。
ずっと、ずっと、このメビウスで暮らしていたかった。
だから、ソーンの誘いにも乗ったんだ。
帰宅部として活動しながらも、楽士としてこの世界が少しでも続くように妨害しようとした。
それが、みんなへの裏切りだと分かっていても。
この楽園で、貴女のことをずっと守ってあげたかった。
でも、現実を壊すことは……私にはできない。
みんなの気持ちを知ってしまった今となっては、もう。
現実は嫌い。本当ならずっとここにいたい。
でも、皆の願いを踏み躙ってまで、私はそれを貫くことはできない。
ごめんね、μ……私、そんなに強くないんだ。
μと目が合う。悲し気な瞳だ、と思った。
痛々しくて、とても苦しそうで。
暴走を続けるμへと私は銃口を向ける。
「今、楽にしてあげる」
そして、トリガーを引いた。
3
重い瞼をなんとか持ち上げ、私は布団から体を引きはがした。
最初、自分がいる場所が分からずに戸惑い……それから苦笑した。
ここは私の家だ。
本当の、現実の世界の。
夢から醒めたんだ。
私はちらりと横を見る。
当然、ここにいるのは私ひとりだ。
ひとりぼっちの、私だけ。
私はぎゅっとシーツの裾を握りしめた。
後悔なんてない。これは私自身で選んだことなんだから。
ただ、この寂しさだけは拭い去ることはできない。
胸にぽっかりと穴が開いたようなこの感覚だけは。
……スマホが鳴ってる。
ぼんやりとスマホを手に取る。WIREに着信1件。
着信元のIDを見て、私は思わず目を見張った。
だって、そのIDは私が今一番会いたかった人のもので。
もう二度と会えないだろうと、どこかで諦めていたんだから。
「おはよう、彩声」
……馬鹿やってるなぁ、私。
聞こえる訳ないのに、思わず声が出ちゃった。
なんでかな。目元がぼやける。
そういえばイケPが言ってたっけ。
嬉しい時も涙って出るんだぜ、って。
もうメビウスは残っていない。
夢は終わった。
私達はこの現実という名の地獄で生きていくしかない。
……だけど、あの時に心を通わせた人達とのつながりは、まだ残っている。
私のスマホには、沢山のWIREのIDが登録されていた。
帰宅部の皆。それに、楽士の皆。
それだけは、夢じゃなかった。
昼下がり、私は構内で電車を待っていた。
……変、じゃないかな。
現実の姿で彩声と会うのはこれが初めて。
分かってもらえるかどうかは気にならない。
本当に心配なのは、"私"を分かった時にどんな風に思われるか。
その方が、私は怖い。
でも……それでも会いたい。
会って、話をして、触れ合って、それからーーー
思考を遮るように電車がホームへと近づいてくる。
私はイヤホンをはめ、電車へと乗り込んだ。
他人でぎゅうぎゅうの満員電車。
窓の外に見えるのは知らない誰かが住んでいる高層建築群。
見慣れた面白みのない現実の光景を見ているだけで、生きていくのが嫌になる。
……もしも。
もしも、私があの時、違う選択をしていたら。
果たしてどうなっていたのだろうか。
そう考えそうになる弱い自分に気付く度、私は頭を振る。
過去は変えられない。一度下した決断は変えようがない。
皆、自分の選んだ道を進んでいくしかないんだ。
私はそっと目を閉じ、車内の壁にもたれかかる。
暗闇の中、μの歌声だけが響いていた。
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