全22件 (22件中 1-22件目)
1
↓カルカッタ上空(インド)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-飛び立ってしばらくするとヒマラヤの山々が見えてきました。世界の屋根は相変わらず雄大で、真っ白な雪を被って連なっています。その山岳地帯を抜けると、今度は真っ平な平地が広がってきました。どうやらインド上空に入ったようです。そして、あっという間にカルカッタに到着。優しいジェントルマンはここで降りていきました。バンコクまで行く乗客は、機内でしばらく待機します。ほどなく離陸。インドは機内からの眺めだけでしたが、ブータンと違って「密集」してる感じを受けました。カルカッタからバンコクまでの間に出た機内食はインドらしくカレーです。今回もそうですが、ドゥルック航空の食事はなかなか美味しいものでした。ドゥルック航空の機内食疲れも出たので、あとはほとんど熟睡。バンコクにはほぼ定刻通り17時過ぎに到着しました。トランジットの場合は入国の必要がないので、飛行機を降りた後はそのまま空港内で時間をつぶすことが出来ます。日本行きの飛行機は23時すぎの出発なので、まだかなり時間がありました。そのため私たちは、一旦17時30分に解散して、20時30分に再び集合することになり、それまでは各自自由に過ごすことになりました。このスワンナプーム国際空港は世界一広い空港として有名で、翼を広げたように横に広がった建物は、端から端まで歩くとかなりの時間がかかるそうです。私は一度それをやってみたかったので、お土産を探しながら歩いてみることにしました。通路は広く、両側にたくさんのお店がならんでいます。そのため、まず、片側のお店を見て、折り返してもう片側のお店を見て行くことにしました。途中派手なモニュメントがあるところが、ちょうど中間地点です。休憩を挟みながら往復で1時間30分ほど。かなり見ごたえがあります。一通り見た後、目をつけておいたお土産を買いました。スワンナプーム国際空港時間になったので集合。ここで、大阪組とお別れです。東京組みも、日本へ着いたら流れ解散なので、実質ここでお別れになります。(でもだいたい荷物のターンテーブルのところでまた会う)チェックインを済ませ待合室へ。そこまでの移動もかなり時間がかかりました。眠い目をこすりながらしばらく待ち、搭乗。機内はとても空いていて、3席分すべて使えました。お陰で横になって寝ることが出来たのでとても快適に過ごすことができました。早朝7時。 寝ていたので、あっという間に成田へ到着。バックパックをピックアップしみんなと別れ、荷物の宅配をして帰路につきました。明日から仕事ですが、家に10時すぎに着いたので、その日はゆっくり休むことが出来ました。--総評--今回は、新国王の戴冠式見学という特別なツアーだったため、詳細なスケジュールはわからないままの出発でした。実際は、写真が撮れなかったり、思った以上の混雑だったりいろいろとありましたが、最高の天気に恵まれる中、国王との対面もはたし、オプションでしたが、見事なブータンヒマラヤやタクツァン僧院も見ることが出来ました。ブータンを旅行していて感じたことは、伝統的な文化が息づく反面、開発がどんどん進められているということです。建設中のホテルがあちこちにあり、人々はみな携帯電を持っていました。ブータン常連の人が言うには、ここ5年で随分変わったということです。それでも初めてきた私にとっては、首都のティンプーでさえ、ブータンののどかさを感じられたくらい、かなり魅力のある国でした。人々は穏やかで人懐こく、治安もすこぶる良好なので、ゆっくりと休むために訪れるにはとてもいい国だと思います。中央ブータンの方に行くと、もっとブータンらしい風景を見ることが出来るそうです。ブータンを旅行するのは個人では難しく、原則、ガイドとともにツアーで周ります。観光客は、1人1日220ドル(2008年11月現在)支払わなければならないという決まりがあり、その中には、基本的な旅行費用(宿泊、食事、ガイド、交通費)が含まれています。そのため、ブータンに入国して旅行が始まったら、自分の行きたいところをどんどん言った方がいいそうです。(限度はあると思いますが)今回は本当にいろいろな体験ができ、充実した旅行となりました。まだ行ったことのない方にはオススメの国です。---ブータン旅行記おしまいサイトにブータン旅行記を掲載しました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月14日
コメント(6)
↓ドゥルック航空(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-パロ空港の建物の外で、ガイドのGさん、Tちゃん、ドライバーのTさんとお別れです。ここで偶然、ドチェラ峠の案内をしてくれたガイドのKさんにも再会!どうやら他のお客さんを送りにきたようです。みんなとお別れの挨拶をし、建物に入りました。荷物検査とボディチェックを受け、チェックインカウンターに荷物を並べます。このとき、出国の時必要な、出入国カードが見当たらないことに気づきました。恐る恐るYさんにあの~ないんですけど…と申し出ると、もう一度探してみてください。絶対ありますから!と落ち着いて自信たっぷりに断言されました。確かに捨てた覚えはないので、落としたとかしてない限りどこかにあるはず。もう一度、何度も探した貴重品の手荷物をガサガサ見てみました。すると、ファイルの間に黄色の紙が。あったー!近くにいたメンバーの人を巻き込んで大喜び。これでブータンから出国できます。(さっきまでは帰るのが惜しかったのに)それにしても、さすがは添乗員さん。あらゆる事態に慣れてらっしゃる。ほっと胸をなでおろし、Yさんがチェックインの手続きをしている間ベンチに座って休憩です。ブータンの空港では、一度荷物検査を受けて中へ入ると、お土産物屋さんやトイレがその外側にあるので、入るときにもう一度持っている荷物の検査を受けなければなりません。そのため、出るときはすべての荷物を置いて、残っている人が荷物番をするのが一番ラクな方法です。パロ空港しばらく待ち、チェックインが終わったので出国審査を受けます。さきほど発見した出国カードとパスポートを提示し、無事出国。待合所に行くと、数軒のお土産物屋さんがあったので入ってみました。ここで、他のメンバーから、ドゥルック航空のプラモはとてもレアで、日本では売り切れらしいという情報を聞き、ひとつ購入してしまいました。確かに、世界に2機しか飛んでいない飛行機なので飛行機好きな人の間では結構貴重なのかもしれません。他にも、これで最後だしという思いから、キラを着た人形がぶら下がってるキーホルダーとか、いかにも「お土産」というものを買い込んでしまいました。そうこうしているうちに、あっという間に搭乗の時間です。建物を出て、飛行機までのんびり歩いて、タラップを上りました。これでブータンの綺麗な空気ともお別れです。機内に乗り込みチケットに記載してある席まで行くと、そこはエコノミークラスの一番前でした。前に座席がないので広々しているし、圧迫感がありません。ラッキー3席あるうちの真ん中でしたが、まあ良しとしましょう。通路側は、同じツアーのメンバーの人で、窓側にはブータンのビジネスマンがきました。その男性は、民族衣装のゴではなく、パリッとスーツを着込んでいます。そして、私たちが観光客とわかると、一言、窓側に座りますか?ヒマラヤが見えるしと、なんともジェントルマンな感じ(?)に、嬉しいことをおっしゃってくれました。私は喜んで、いいんですか?ありがとうございまーす!と、ありがたく座席を移動。通路側にいたメンバーもひとつずれて真ん中にきました。今日は天気もいいし、きっと綺麗に見えるでしょう。優しいジェントルマンは、経由地のカルカッタで降りるということで、それまでの間、いろいろな話をしました。12時前、定刻通りにいよいよ離陸。機体はゆっくりと動き出し、世界一離発着の難しい空港から飛び立ちました。さよなら、ブータン。(そして、無事に離陸してくれ~)見る見る小さくなる町と迫る山々。飛行機は大きく旋回しながら、ブータンの地を後にしました。山間を飛ぶドゥルック航空→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月13日
コメント(2)
↓ヒマラヤに抱かれた廃屋の古城ドゥゲ・ゾン(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-11月10日いよいよブータン最終日になってしまいました。今日もいい天気です。本当に今回はお天道様に恵まれました。このホテルは山の斜面に建っているので、私の部屋からは外の景色が良く見えます。朝起きて、部屋のベランダに出ると、朝もやに包まれた山間の村や田んぼが昇ってきたばかりの朝日に照らされていました。家々からは早くも煙が立ち昇り、朝食の準備を始めているようです。パッと見は日本の田舎とそっくりですが、ところどころに建つダルシンが、かろうじてブータンらしさをかもし出していました。なんだかホッとする風景です。ホテルから見る早朝のパロパッキングを済ませたあと、朝食に向かいます。食堂に入ると、サンサンと朝日が差し込み、壁一面の窓からはブータンの山並みが一望できました。ビュッフェスタイルの朝食は、トーストと卵焼き、その他少々という簡単なものです。Yさんから今日の予定の説明があり、朝食後すぐに出発しました。8時、オーナー夫妻とお別れし、バスに乗り込みます。久しぶりに全員揃っての乗車になりました。まずは、パロの市内を通り抜け、チョモラリを見に行きます。私たちは昨日すでに見ましたが、今日は他のメンバーと一緒に二度目の見物です。向かう車中で、YさんやGさんがブータンについての簡単なガイドをしてくれました。ブータンの伝統的な家の窓は、男性性器と女性性器をシンボルとした形をしていて、屋根と建物の間には隙間があり、そこから風を入れて干草などを乾燥させているそうです。また、家を建てるための木を一本切ったら、代わりに3本の木を植えなければならない決まりがあり、自然をとても大切にしていることもわかります。他にも、ブータンは世界で唯一の禁煙国で、法律で喫煙を禁止しているそうです。へえ~と感心しているうちに、到着。昨日行った場所よりちょっと手前のポイントです。ここからは、農村の向こうに低い山、そしてチョモラリという景色になっていて、昨日とはまた違った姿を見ることが出来ました。今日も雲ひとつなく、真っ白なピークが綺麗に見えます。チョモラリ(7316m)とは「女神の聖なる山」という意味で、地元では「神が棲む山」として崇められている神聖な霊峰です。そのため、この山に登ることは禁止されているとか。みんなそれぞれ写真を撮り、再び出発。女神の棲むチョモラリその後、昨日行ったタクツァン僧院を見れるポイントで写真ストップです。改めて下から見ると、よくあんなところに建てたなと再度感心させられました。そして、その場所まで登った自分にも感心。道は険しかったけど、行って本当によかったと思います。次は、今は廃墟となったドゥゲ・ゾンへ向かいます。 ドゥゲ・ゾンは、1647年にブータンとチベットが戦ったとき、その戦場となった場所に勝利を記念して建てられた城です。しかし、勝ったとは言え、きっと多くの人が祖国のために死んでいったのでしょう。そのせいか、田畑の中の丘の上にポツンと立つ姿は、なんだかとても悲しげに見えました。ドゥゲ・ゾンを後に、最後にブータン最古の寺キチュ・ラカンへ向かいます。このお寺は、当時チベットを統一した最初の王ソンツェンガンポが、同時期、チベット全域に影響を及ぼしていた魔女の力を封じ込めるために建てたという言い伝えがあります。車道から田んぼのあぜ道に入り、丘の上に上ると、そのお寺がありました。ブータン最古の寺キチュ・ラカン小さな門から中へ入ると、桜の木が3本(2本だったかも)ありました。これは、昔日本から送られたものだそうです。ブータンの人には花見をする習慣がないそうなので、いつかその時期に訪れて、ブータンの人と一緒にどんちゃん騒ぎきたらなと思いました。さらに、門をくぐって本堂へ続く中庭に入ると、今度は一本のみかんの木があり、たくさんの実をつけていました。高地で寒いブータンの地で、このようにたわわに実をつけるのは、聖地のパワーがあるからだと言われているそうです。不思議なみかんの木靴を脱ぎ、本堂へ入ります。内部には、千手千眼十一面観音像がたくさん祀られていて、奥の部屋には、ご本尊が静かにたたずんでいました。そして、ご本尊の正面の床には、一箇所だけ足の形に磨り減って窪んだ場所があります。この窪みは、1000年以上もの間、ここへくるブータンの人々が五体投地をしてお祈りしたことによって自然とできたものだそうです。私たちも、その場所に立ちお祈りすることが出来ました。1000年にも渡るたくさんの人の想いを受け継ぎ、そして次へ繋いだような、そんな神聖な気持ちになりました。ここでお参りができたという、満足感と共に、なぜかほっとした安心感というのも感じました。なんともいえない穏やかな気持ちになり外へ出て、お堂を囲むマニ車を回しながらキチュ・ラカンを後にしました。これでブータンでのすべての観光は終了です。のどかな農村の風景を見ながら、一路パロ空港に向かいました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月12日
コメント(4)
↓国技の弓道(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-帰り道では、行き以上にたくさんの人と出会いました。アメリカから来た人、タイから来た人、ブルガリアから来た人…本当にさまざまな国から訪れていました。そしてどの人も一様に、ここへ来れたことを喜んでいました。中には、80歳近いようなおじいさんが、杖をついて登りながら、今まで80ヶ国ほど訪れたが、ここが一番だと、息を切らしながら感動していました。確かに私も、感嘆の声を上げながら歩いていたような気がします。崖の斜面の急坂を登りきると、もうあとはほとんど下るだけです。近道をしながら、第一展望台まで戻ってきました。ここで昼食です。レストランに入ると、真ん中にあるテーブルにすでに料理が用意され、みんな好きなものを取って食事していました。席がいっぱいだったので、天気もいいし外で食べることにします。木陰に腰を下ろし、ブータンの山並みを見ながらのんびりといただきました。ブータンの人は良く食べる聞いていましたが、それは本当らしく、同行してくれたTさんは、ごはんを山盛りに盛って黙々と食べています。それなのにメタボな人があまりいないのは、それだけ体を動かしているのでしょう。ずいぶんのんびりした後、そろそろ出発。帰りは下りなので急な道をショートカットしていきます。このぶんだと、駐車場まで30~40分で着くでしょう。若干滑りながらも、あっという間に下りることができました。あ~楽しかった!スッキリした気持ちで車に乗り込みパロの町へ戻ります。途中、ブータン名物の「唐辛子の日干し」を発見したので、写真ストップ。屋根の上の唐辛子さらに行くと、広場で弓道をしている人たちを見つけたので、ちょっと見学しにいくことにしました。すでに、いくつかのツアーの人たちもいて、見学しています。長細い広場へ入ると、左手の端っこに弓矢を構えた男の人たちが数人、矢が飛ぶコースの向こう側に、踊りの練習をしている女の人たちがいました。Tちゃんと一緒に、矢が飛んでこないタイミングを見計らって、踊りの人たちのほうへ、矢が通るコースを横切っていきます。でもなんだか、矢を放とうとしていたらしく、あぶなーい!あぶなーい!という声が飛んできました。慌てて走り抜けます。タクツァン僧院は無事乗り切ったのに、危うく矢にやられるところでした。命がけで渡りきると、そこではキラを着た女性たちがゆる~い踊りを踊っています。その周りを、地元の人や観光客が取り囲んで見ていました。ブータンの民族舞踊私は以前、弓道の経験があるので、そっちの方が気になり、踊りを少し見てから、離れたところでやっている弓を見学しに行きました。この道場(会場?)でみんなが使用している弓は、西洋風の新しいもので、日本の竹の弓とは違いました。それは、「弓道」というよりは「アーチェリー」です。的までは150mほどもあり、視力に自信のある私の目でもここからは点にしか見えません。その遥か遠くの的まで届かせるために、弓矢を若干上に向け放ちます。そして、見事当たると、雄たけびを上げながら喜びの踊りを舞うのです。それはとても野生的で、なんだかアフリカの狩猟民族のようでした。見学させてくれたお礼を言い、再び踊りの方へ戻ります。そして今度は、ちゃんと安全を確認して渡る人たちに紛れて(←一番安全)コースを横切りました。そこには、ビール片手に見学する人やつまみを食べながら休憩する人などが、いつ矢が飛んでくるかもわからない場所で、のんびりとくつろいでいます。若干コースからは外れていますが、経験上、何かのはずみでコースアウトすることは大いにあると思うのですが、たぶん弓道を国技としているブータンでは、そんな失敗はないのかもしれません。そののんびりチームの中に、弓を持ったおじさんがいたので、写真を撮らせてもらえないかお願いしてみました。おじさんはほろ酔い(?)も手伝ってか、ご機嫌でこうか?それともこうする?といろいろなポーズをしてくれました。おじさんの腰には五色の布が垂れ下がっていたのですが、それは、弓道の腕がいいという証なのだとか。Tちゃんがその説明をしてくれると、おじさんはちょっと照れくさそうに笑っていました。ポーズをとってくれた弓道のおじさん他にいた観光客も引き上げ始めたので、私たちも車に戻ります。予定には入っていませんでしたが、いい体験をすることができました。最後にパロの町で買い物です。待ち合わせ時間を決め、Tちゃんたちと一旦別れました。町でお土産を買うチャンスはこれが最後なので、めぼしいお店を見つけては、品定めをしていきます。結局時間を目いっぱい使って買ったものは、スモールサイズのマニ車。ブータンらしいお土産をゲットできました。集合時間の5時。陽が傾き、あたりはもうすっかり山の影に隠れてしまいました。山間にあるブータンでは、空はまだ明るいのに、地上はすぐに日陰になってしまいます。陽が落ちるととたんに気温が下がり、日中との寒暖の差が激しいのがわかります。無事Tちゃんたちと合流し、寒くなる前にホテルへと戻りました。今日はブータン最後の夜です。メンバーのみんなともすっかり打ち解け、夕食時には大変盛り上がりました。メインは、Tちゃんの着物の着付け。戴冠式のために持ってきた人が着付けてくれることになったそうです。みんなの拍手に迎えられ、着物姿のTちゃん登場。着物姿のTちゃん着物に合わせて、いつも下げている髪もアップにしていました。ブータンの女性は髪をアップにすることはないらしく、これも初めての体験だそうです。やはり外観が日本人と似ているので、とても似合っていました。本人もかなり喜んでいて、実は今日一緒にいる間も今日は着物を着せてもらうのとうれしそうに何度も話していました。着心地を聞いてみると、キラも着物も締め付けるのは一緒なので、そんなに苦しくないそうです。みんなで写真を撮りながら、いろいろな話に花が咲き、最後の夜を楽しく過ごしました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月11日
コメント(4)
↓姿を現した崖の斜面に建つタクツァン僧院(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-さきほどいた山頂のお堂を遠くに見ながら、同じ道を少し戻ります。再びタクツァン僧院への道へ出ると、しばらく上りが続き、その後、マニ車のお堂とタルチョのアーチが現れます。そこを抜けると、崖の上に出て一気に視界が開けます。緑豊かな山々が幾重にも折り重なり、それは素晴らしい風景が飛び込んできました。この辺りから徐々に、タクツァン僧院もすぐ近くに見ることができるようになります。そして、道は一気に細く険しくなり崖の斜面に突入です。崖っぷちの道ああ、これか…「崖を下り、よじ登る」昨日聞いた話を思い出しました。崖の端っこまで行くと、その足元に細くて急な階段状の道が谷底へ向かって続いています。谷は深すぎて、その底は見えません。滑って転がり落ちたら、ただじゃすまないでしょう。今まで何度か山登りをしてきたので、それほどの恐怖は感じませんでしたが、ここがブータンだということで、安易に怪我はできないという思いから気が引き締まります。ゴールの僧院は、谷底を挟んだすぐ向こう側に見えていました。その僧院からは、こちら側の崖にたくさんのタルチョが渡されていて、谷を吹く風に気持ちよさそうになびいています。その風景は、日本で見た写真そのままでした。やっと見れた景色に感動しながら、ジグザグに斜面を下り、なんとか滑り落ちることなく、このルートの底の橋まできました。この橋の脇には、崖の上から滝が流れています。谷底へ流れ落ちる滝橋を渡り、今度は今まで下ってきた道を反対側に見ながら、僧院までの最後の階段を登っていきます。あと少し…急な階段が続きますが、聞いていた「よじ登る」ほどのものではありませんでした。まずはタクツァン僧院の門に到着。タクツァン僧院の門門をくぐり、さらに建物までの階段を上ります。そして、ついに受付のある入り口までたどり着きました。トータル3時間弱でのゴールです。着いてみると、なんだか、第一展望台までの道のりより、「きつい」と聞いていたそこからの方がラクに感じました。Tちゃんが入り口で受付をしている間、そのすぐ脇にある広場に行ってみました。そこからは、反対側の斜面が正面に見え、たくさんの観光客が登ったり下りたりしているのが見えます。崖っぷちの道受付が終わったTちゃんに呼ばれそこまで戻ると、カメラを含む全ての手荷物は置いていかなくてはならないとのこと。しかし、ロッカーなどはなく、そこらへんに置き去りにしていくしかないので、パスポートなどの絶対無くせない貴重品だけズボンのポケットにつっこんで持って行くしかありません。私の場合、腰に巻いていたウインドブレーカーも置いていけと言われたので、入れるポケットに限りがありました。さて、さらに階段を登りいよいよ中へ入ります。崖の途中にへばりつくように建てられているため、どこへ移動するにも階段を登ったり下りたりしなければなりません。標高3200mに建つタクツァン僧院は、「虎の棲家」という意味があり、8世紀に、ブータンにチベット仏教を伝えたグルリンポチェが虎に乗ってやってきて、洞窟の中で瞑想したとされる場所です。1998年4月19日に火事で全焼してしまいまい、その後、懸命な復旧作業により2004年に復旧。その時資材を運ぶために作られた道が、現在、タクツァン僧院への登山道となり、以前よりはラクに訪れることができるようになったそうです。細い木のはしごのような階段を上って、最初の部屋へ入ります。とても狭い部屋でしたが、大きな仏像と僧侶が一人いました。ここで、4人で五体投地をして、僧侶から聖水をいただきます。聖水は、片方の手でもう片方の腕を支え、手のひらに注いでもらい、それを飲みます。何箇所かで聖水をいただきましたが、みんなハッカの味がしました。お参りを終えてはしごを下りると、何やら大盛り上がりしている場所がありました。そこには、数人のブータンの人が集まっていて、大笑いしています。見ると、大きな岩がひとつ祭られていて、そこで何かしているようでした。その岩にはひとつの小さな窪みがあり、目をつぶって穴に指が入ると願いがかなうという言い伝えがあるそうです。みんなは、それに挑戦しているところでした。さっそく私たちも彼女たちが見守る中、挑戦です。親指を前に突き出し、2,3メートル離れたところから目をつぶって歩きます。ゆっくり近づき、イメージした場所に指を押し当てるとはずれ3回挑戦しましたが、みんなダメでした。他の人も全員全滅。どうやら願い事は叶いそうもなさそうです。気を取り直して、次の部屋へ向かいます。中へ入ると、ここにも大きな仏像がありました。先ほどと同じように五体投地でお参りをし、聖水をいただきます。この後、グルリンポチェが瞑想した洞窟があるというので見に行きました。その入り口は岩の割れ目にあり、人一人がかがんでやっと通れるくらいの小さなものです。階段を登って入り口までいき、洞窟を塞いでいるドアを開けました。そーっと中を覗き込むと、真下に向かってぱっくりと穴があいています。そこからは外の光が差し込み、ここに落ちたら自動的に崖の下まで落ちていくことを意味していました。洞窟というより、穴です。ここのどこで瞑想したんだ?と思ってよく見ると、穴の手前に、かろうじて一人座れる(かもしれない)スペースを発見。瞑想したならあそこだろうと思い、しっかりと見ておきました。ビビリながらも全員覗き込み、僧院のマニ車を回したりしながら出口へ向かいます。デポしておいた荷物を身につけ、下山開始。気分は達成感でいっぱいで、帰りの登りはまったく辛くありませんでした。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月10日
コメント(4)
↓7314mのチョモラリ(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-11月9日今日も他のメンバーと別行動で、タクツァン僧院へのハイキングツアーに出かけます。昨日一緒にドチェラ峠に行った女性と二人での参加で、ガイドにはブータンツアー同行のTちゃんがついてきてくれることになりました。ドライバーは、Tさんというまじめで小柄な青年です。今日も朝からいい天気。山を登るので、天気が気になっていましたが、これなら問題ないでしょう。まずは、ブータンの霊峰チョモラリが見えるポイントへ向かいます。30分ほどで、ある小さな村に着きました。普通の道路脇に車を停め、外に出ると、真っ白な万年雪を被ったチョモラリが手前の山の間からちょこっと頭を覗かせていました。本当にちょこっとなので、ここからではそれほどの感動は正直ありませんでしたが、本格的なトレッキングなどで、もっと別の場所から見たらすごい綺麗だろうなと思います。写真も撮ったところで、いよいよタクツァン僧院への登山口に向かいます。再び30分ほどで到着。森の中の駐車場には、すでに何台かの車がとまっていました。そして驚いたことに、そのうちの一台が、今回のツアーで私たちが利用した旅行会社と同じ会社が主催する別のツアーだったのです。そちらは、まだ始まったばかりで、これから16日ほどかけてブータンを周るそうです。うらやましいと思いつつ、私たちは4人で先に出発しました。タクツァン僧院へは、車で途中まで登るコースと、麓から歩いて登るコースの主に二つのルートがあり、私たちは、Yさんに絶対こちらでと念を押されていた「麓からコース」で登ることになっていました。でも、実際歩いてみて、「タクツァン僧院ハイキング」を堪能するには、やはりこちらのコースに限ると思いました。移り変わる景色も素晴らしいし、何より全部歩いた!という満足感を味わうことができます。どうしても歩く自信のない方は、駐車場に馬が待機しているので、それに乗って登ることも可能です。行かれる方は、ぜひ「麓からコース」で登ってみてください。さて、「麓からコース」の素晴らしさをまだ知らない私は、タクツァン僧院への道はきついとさんざん聞かされていたので、登りきれるかどうか少々不安を感じつつ歩いていました。車の駐車場から森に入ると馬の駐車場があり、そこを通り抜けるとだんだんと登山道になってきます。早くもその途中から、遠くの切り立った崖に立つタクツァン僧院が小さく見えました。麓から見えるタクツァン僧院あそこまで登るのか…さらに自信がなくなってきます。昨日聞いた経験者の話では、第一展望台まではそこそこの登りが続くが、そこから先が特にきつくて、道は崖のような場所に続き、(せっかく登ったのに)その急なところを下って、最後はよじ登る感じらしいのです。しかし、ぜひ訪れたい場所だったし、こんなに天気にも恵まれたのでもうがんばるしかないでしょう。少し登ると、水で周る大きなマニ車のお堂が森の中に現れました。お堂は3つあり、斜面の上から一列に並んで建っています。木漏れ日がキラキラと降りかかり、とても美しいものでした。そこを通り過ぎると、登りの傾斜がぐっときつくなります。しかし、道自体はとても歩きやすく、普通のスニーカーでも大丈夫でした。(地元の人はサンダルの人も)登山道は木のない所も多くあり、強い日差しが容赦なく照りつけます。幅広の帽子を被り、日焼け止めもたっぷり塗っていますが、チリチリと肌が焼かれているのを感じました。暑いのが苦手な私にとっては(しかも風邪気味)、結構息が切れます。途中、他の国の観光客とも出会ったりしましたが、お互い苦しげに挨拶を交わすのがやっとでした。杖をついてがんばる観光客休憩を何度もはさみながら、ゆっくり登り、ようやく最初の峠を越えました。そこはかなり広く、視界がぱーっと開けています。マニ車のお堂やお土産物屋(ゴザの上に並べてあるだけ)があり、とても日当たりがいいので、広場の真ん中では犬も眠りこけていました。その脇には馬がつながれていて、そういえば途中で馬に乗っている人に追い抜かれました。山頂の様子ここからはタクツァン僧院も見ることができ、目線がほとんど同じなので、それだけ登ってきたという実感が湧きます。そこから少し歩くと、第一展望台に到着します。登り始めて2時間ほどで着きました。ここにはレストランとトイレがあり、ほとんどの観光客が立ち寄っています。レストランの前にある狭い広場には、テーブルと椅子が置かれており、僧院を眺めながら休憩することができます。私たちもそこに座り、クッキーとお茶のサービスでホッと一息つきました。15分ほど休憩してから再び出発です。第一展望台→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月08日
コメント(4)
↓郵便局(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-さて、ティンプーの町に戻ってきました。まずは、最初にお願いしていた郵便局に行ってもらいます。旅先の国で切手をお土産に買う人は多いと思いますが、ブータンの切手はCDの形をしたものとかユニークなのがあるのでぜひ欲しかったのです。日本の知人へのお土産用にもいいので、結構な枚数を買いました。次に、すぐ近くにある国営のお土産物屋さんへ行きました。国営ということで、品質は間違いないそうですが、その代わりそれなりの値段がします。ただ、店内で宅配も扱っているし、せっかくの記念の品を買いたい方は、ここでの買い物がおすすめです。買い物が終わった後は、今日の最後の訪問地、メモリアルチョルテンへ向かいます。このチョルテンは、3代目国王ジクミ・ドルジ・ウォンチェックの追悼碑として1974年に建てられた比較的新しいものです。私たちが訪れたときもたくさんの参拝者がいましたが、学生は学校帰りに、社会人は会社帰りにみんなお参りしていくそうです。私たちも、みんなに混じって、時計回りにチョルテンの周りを歩きお祈りします。3回まわって、同じ敷地内にある巨大なマニ車を回して参拝終了。 メモリアルチョルテンこれで、3日間滞在したティンプーとはお別れです。日が暮れる中、一路、今日の宿泊地パロに向けて出発しました。他のメンバーとは、パロのホテルで合流です。真っ暗な山道を1時間半ほど走り、無事パロに到着。市内からは少し離れた山の上にあるホテルまでは2時間といったところでしょうか。ロビーに入ると、ちょうど他のメンバーが部屋の鍵を受け取って、それぞれの部屋に向かうところでした。今日はこれから、ドツォと呼ばれるブータンの石焼風呂に入れるとのことで、休憩もそこそこ、さっそく準備をします。夕食前に、希望者全員を入浴させるため、一人10分しか割り当てられなかったので、私は、他の女性と3人で足だけつかることにしました。私たちの時間になり、ログハウスのような立派な浴場へ入り、その部屋の真ん中にある湯船に足をつけます。お湯はかなり熱くなっていて、すぐに体も温かくなってきました。ドツォ湯船は石を入れる部分と、人が入る部分と2層になっていて、石が入るところには太いパイプが外から渡されています。お湯が冷めてきたらストーン(石)、ストーン(石)!と外に向かって叫ぶと、熱く焼かれた石が、ものすごい音をたてながらパイプを通って湯船になだれ込むという仕組みです。あっという間の10分でしたが、汗ばむくらいあったまりました。さて、お風呂のあとは夕食です。宿泊客は私たちだけのようで、食堂は貸しきり状態でした。このホテルは、ティンプーで泊まったホテルと同じ経営者で、こちらはその奥さんが取り仕切っているそうですが、この日はティンプーからだんなさんもやってきて、おもてなしをしてくれました。そして、パロに滞在する今日と明日の夕食では、飲み物を無料で飲み放題にしてくれる大サービスぶり。横にいる奥さんの冷ややかな目を気にしつつも、気前のいいだんなさんは、他にも、ティンプーでラチューをプレゼントしてくれたり、とても良くしてくれました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月07日
コメント(4)
↓マニ車のお堂に供えてあるツァツァ(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-ところどころにある水でまわるマニ車のお堂などに寄りながら、来た道と同じ道を下っていきます。行きにチェックをしたところで、牛や馬が放されていたのでちょっと散歩。ブータンでは、基本、みんな放し飼いで飼われているようです。そのあと、チベット人が経営しているという売店でサモサをおやつに食べました。ブータンでチベット人が作るインドのサモサ。なんともブータンの国の位置を表していると思います。続いて、ブータンらしい棚田が綺麗に見える高台や、ティンプーの町が一望できる道路脇など、ポイントにくるたびに車を止めて、先生と一緒に写真撮影をしました。今でこそ、写真が大好きな先生ですが、以前は、観光客がいろんなところで写真を撮るのが理解できなかったそうです。でもあるツアーのガイドをしたとき出合った写真家にいろいろと写真の撮り方などを教わってから、すっかりはまってしまったとか。今では、お客さんよりも熱心に写真を撮ってしまい、早く行こうとせかされる側になってしまったそうです。たくさん寄り道をしながら、ティンプーの町の入り口にあるシムトカ・ゾンへ行きました。ここは、僧侶の学校にもなっているブータン最古の城です。ラチューを肩に掛け正装し、中へ入ります。夕暮れ時ということもあり、見学者は私たちだけのようでした。ほとんどの僧侶もお勤めが終わっているらしく、本堂のほうにはあまりいません。そのせいか、とても静かで、仏様の前に立って拝んでいると自分まで静かな気持ちになりました。本堂から外に出て、その周りを囲む高い建物の間の回廊を歩きます。壁にはマニ車が並び、空を見上げると、月が青白く輝いていました。旅してるという実感が、お腹の底から湧き出てくるような感じを覚えました。こういうゾクゾク感を味わいたくて、旅行がやめられないのかもしれません。ひととおり見学した後、犬に見送られて本堂の門から出ました。そこで、全員の集合写真を撮ろうということになり、シャッターを押してくれる人を探すと、ちょうど近くに数人の僧侶を発見。先生が彼らを呼びとめ、撮ってくれとお願いしています。若いお坊さんは、快く引き受けてくれましたが、どうやら一眼レフで撮ったことがないらしく、操作方法がわからないようでした。すかさず先生が使い方の指導をし、フレーミングを決めています。他の僧侶たちも、なにが始まったんだと、興味深げに集まってきました。一眼レフを持ったお坊さんは、初めての体験にとても楽しそうにカメラを触っていますが、そのぎこちない姿がとても愛らしく、私たちも集まった僧侶もみんな笑いがとまりません。撮り方を教える先生とがんばるお坊さんやっとのことで写真を撮ってもらいましたが、それを見ると、人は首から下が切れ、ピントもずれ、斜めになっているという、非常に残念な作品になっていましたが、それを見たみんなは再び大笑い。それぞれのカメラを他の僧侶にも貸してあげて、お互いの写真を撮りあう、大盛り上がりの撮影大会となりました。写真を送ってくれと言うので、日本に帰ったら先生経由で送るという約束をし、僧侶たちと別れました。思わぬ異文化(?)交流ができ、きっかけを作ってくれた先生に感謝です。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月06日
コメント(2)
↓ドチェラ峠からのブータンヒマラヤ(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-11月8日。快晴!今日は、他のメンバーとは別行動で、ガイド兼ドライバーを頼んで、ブータンヒマラヤを一望するドチェラ峠へ行きます。参加したのは、同じツアーできた4名。(女性2人、おじ様2人)もともと、そのうちの一人が事前にこのツアーを申し込んでいて、あとの3人が追加料金を払って、それに便乗させてもらったというものです。今日は、本当はキラを着る予定はなかったのですが、ブータンヒマラヤと一緒にキラを着て写真を撮りたいという思いから、一緒に行くもう一人の女性と、朝ホテルで着付けてもらいました。出発まで少し時間があったので、朝のティンプーの町を散策することにしました。今日もスタジアムでイベントがありますが、昨日のような行列はもうできていません。ちょっとその様子を写真に撮りたかったのですが、残念です。スタジアムの脇を歩いていると、戴冠式のときにも会場にいた、どこかの日本のテレビ局の撮影隊がいました。レポーターの女性が晴れ着を着ていたのですぐわかります。スタッフの人に聞いてみると、「世界不思議発見」の撮影で、放送は来年の1月10日だと言うことです。戴冠式の模様を詳しく見れると思うので、興味のある方はぜひご覧ください。世界不思議発見の撮影隊さて、そろそろ時間なのでホテルへ戻り、ガイドのKさんと合流。日本語は話せないので英語のみの案内となりますが、写真好きの面倒見のいい青年で、そのお陰で、後々、とても楽しいツアーになっていきます。朝9時、乗用車に前二人、後ろ三人乗り込み出発です。天気もすこぶるいいので、綺麗に山並みを見ることが出来るだろうと期待に胸がふくらみます。人や牛や犬がのんびり行き交う山道を順調に登っていきます。途中、ドチェラ峠へのチェックポイントがあり、そこでガイドさんがなにやら手続きをして、さらに上へ進みます。しばらく行くと、うっそうと茂っていた木々がなくなり青空が広がりました。ティンプーから約一時間、標高3200mのドチェラ峠に到着です。ひろい広場の端っこに車を止めて外に出ると、目の前に、雪をかぶったヒマラヤ山脈が一列に連なっていました。うわーーその見事なパノラマに一同大歓声。それは雲や霧で隠れることなく、完全な姿を見せてくれていました。観光客も数えるほどしかいなく、まさに独り占め状態。一回目にしてここまで完璧に見えるとは本当にラッキーです。しばらくそこでヒマラヤを堪能したあと、そのそばある、たくさんの仏塔が立ち並んだ小高い丘へ登ってみました。青い空と白い仏塔、その向こうにはブータンヒマラヤが連なり、それはどこを向いても絵になる風景です。これはまさに、「ブータンヒマラヤとキラを着た私」というテーマで写真を撮るにはうってつけでした。さっそくお互いに写真の撮りあいです。Kさんにも頼んで、一緒に撮ってもらったりしていたのですが、このあたりから、写真好きのKさんによる写真教室になってきました。細かい立ち位置やポーズの指示が入り、熱心にベストショットを狙ってくれます。そのうち、自分で撮った写真をKさんにチェックしてもらってアドバイスを仰ぐようになり、いつのまにかみんなKさんのことを先生と呼ぶようになっていました。仏塔での撮影を終えた後は、その向かい側にある僧院へ向かいます。坂道と階段を登り、まずは僧院の脇にある展望台へ。そこからもまた見事なヒマラヤの山々を拝むことができました。先生による記念撮影をした後、僧院の入り口で靴を脱いで中へ入ります。この僧院は、入り口から絢爛豪華な装飾がされ、黄金色のドアを入ると、天井の高い本堂の壁一面に、仏様や王族の歴史を表した絵が描かれていました。そして祭壇には、ブータン各地の僧院で見られるグルリン・ポチェの像も祭られています。その前では地元の人が五体投地をしてお祈りしていました。そろそろお腹がすいてきたので、峠から車で少し行ったところにあるレストランに行きました。ここは最近出来た(まだ一部工事中)観光客用のレストランで、壁一面の窓からはヒマラヤが一望できます。ドチェラ峠もどんどん観光地化していくのでしょう。料理はビュッフェ形式で、外国人用に辛いものはありませんでした。ドチェラ峠のレストランお腹がいっぱいになった後は、近くの山道を散歩です。レストランから出て歩き始めると、そこで寝ていた犬が一匹私たちに着いてきました。とてもおとなしくて、私たちのペースにピッタリ合わせて歩いています。ただ、中には凶暴な犬もいて危険なので、注意が必要だと先生が言っていました。ガイドの犬山道からは、さきほどよりさらに近くにヒマラヤが見えました。しばらく行くと、どこからか子供の叫ぶ声が聞こえたので、ふと目を下に移すと、がけの下の山間にある一軒の家から、一人の女の子がこちらを見上げていました。先生に聞くと、山道を作るためにインドからきた人たちだということで、そう言えばこれまでにも、いろいろな工事現場でインド系の人が働いていました。女の子のお母さんも出てきたので、軽く挨拶を交わし、これ以上進んでもいいポイントはないというので、ここで折り返して散歩は終了。犬も私たちと一緒にレストランまで戻って、また昼寝を始めました。私たちは再び車に乗ってドチェラ峠を後にします。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月04日
コメント(4)
↓晩餐会の会場タシチョ・ゾン(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-午後は、民族衣装に着替え、ティンプーの市内観光に出発です。まずは、昨日の戴冠式が行われたタシチョ・ゾンへ向かいました。ここは、ブータンの政治と宗教を担う最重要機関で、国王の執務室も併設されています。今回の戴冠式を祝う晩餐会も、招待客を集めこの中で行われたそうです。ゲートに着き中へ入ると、昨日とはうってかわって、ほとんど人がいませんでした。国王が出入りする入り口には赤いじゅうたんが敷かれ、数人の警備兵が立っています。私たちは、その入り口とは別のところから中へ入ることが出来ました。写真撮影もOKとのことなので、今までのを取り返すべく、みんな思い思いにシャッターを切っています。中庭では、晩餐会の準備が着々と行われており、丸いテーブルの上に食器が並べられていました。準備風景を横目にみながら、ある一角へ案内されました。そこは、昨日の戴冠式の玉座があった真上の階で広いバルコニーになっています。普段は入れないようですが、今回は他の観光客がいないからか、特別に入れてくれました。最初のドアをくぐると暗い空間が少しあり、それを抜けると、眼下に昨日の会場が広がり、その向こうにブータンの山々が連なっています。バルコニーには、何本も柱が立ち並び、壁には何枚もの大きなタンカが飾ってありました。みるからに貴重そうなもので、あとで気づいたのですが、戴冠式のために撮った国王の写真の後ろに、ここにあるタンカの一枚が写っていました。こんなすごいものを実際に見れるなんて、なんてラッキー!みんなで興奮しながらタシチョ・ゾンを後にしました。次に向かったのはドゥプトプ尼僧院です。そのすぐ近くの道路脇からはティンプーの町を見下ろすことが出来るので、そこで写真を撮ってから僧院へ向かいました。中へ入ると、尼層はみんな戴冠式へ行っているらしく、一人もいませんでした。そのため、本堂の中は見ることが出来なく、外からの簡単な見学のみです。続いて、ティンプー市内を一望するには定番のテレビ塔へ行きました。山道をどんどん登っていくと、たくさんのタルチョやダルシンがはためく高台へ出ます。一番頂上まで行って、そこから景色を見ながら歩いて下っていくと、ティンプーの町が山間に広がっているのが見えました。首都とはいえ、このように全貌を見ると、とても小さな町だというのがわかります。高台から、車で少し下ったところにあるタキンの保護区には、国獣であるタキンが飼育されています。ここには10頭ほどのタキンが飼育されていますが、タキンは通常、3000m以上の高所でしか生息できず、現在は、ブータン、ミャンマー北部、中国の雲南省の一部にしかいません。国王が、動物を狭い檻に入れることを好まなかったため、ここは、かなり広い敷地(といっても山そのもの)の一部を、フェンスで囲っただけのもので、人間がその脇にある狭い道を歩き、運がよければタキンが近寄ってその姿を見れるというなんとも自然を大切にした施設です。ブータンの国獣タ・キンそして、私たちは運がよかった。一頭のタキンがフェンスのすぐ向こう側まで来てくれたのです。その姿は、頭が羊、体がヤク(牛?)という非常に変わったもので、エサとしてあげた近くの草をモグモグする顔は、とても愛嬌のあるものでした。最後に、今回の戴冠式のお祝い期間中のみ設置される「CENTENARY GROUND」というイベント会場に寄りました。もう日も暮れかかっていますが、これからが本番と言わんばかりに続々と人が集まってきています。入り口のすぐ脇には、大きな野外ステージが設置され、その脇を通り奥へ行くと、連なったテントのお店が伝統的なお土産から、本、電化製品までいろいろなものを売っていました。さらに進むと、なんと移動式の遊園地が登場。聞くところによると、この時のためにインドからやってきたとか。ジェットコースターに、コーヒーカップ、観覧車はインドのおじさんが一生懸命手で回していました。どれも小さな乗り物ですが、みんなにとっては初めての遊園地らしく、たいへんな盛況振りです。民族衣装のブータン人、袈裟をきたお坊さん、そして小さな子供まで、みんな本当に楽しそう。私たちは乗りませんでしたが、なんだか見ているだけでもワクワクした気分にしてくれました。最初はあまり期待していなかったのですが、とてもいいものを見れた気がします。もう少しいたかったのですが、時間切れになったので、後ろ髪ひかれつつ、ホテルへと戻りました。観覧車を回すおじさんと泣きそうな子供ホテルの部屋に荷物を置いた後またすぐ集合し「コロネーションウォーク」へ出かけました。すっかり暗くなったティンプーの町を一回り歩きます。ホテルから、たくさんの屋台が連なるスタジアムの脇の道を通り、町外れの郵便局、たくさんの人と電飾で飾られたお店が並ぶメインストリートへと進みます。そこで、ずっと探していた、今回の戴冠式の記事が書かれたBUTAN OBSERVER新聞がワゴン車で販売しているのを発見。すかさずみんなで買い始めると、近くにいた地元の人も、なんだなんだと集まり、つられて買っていました。特別号なのか、普段からそうなのかわかりませんが、カラー写真がふんだんに使われたとても豪華な新聞です。そこから少し行くと、初日に寒い思いをした時計台の野外ステージで、またイベントをやっていたのでのぞいてみました。相変わらずの人の多さでしたが、なんだか今回はやたらに盛り上がっています。MCの人が観客に盛り上がってるかーいのようなことを叫ぶと、大勢の観客がいっせいにおーーと返す。何回かそれを繰り返すと、またゆる~い踊り(これは変わらないらしい)が始まります。それをしばらく見学したあと、夕食のためにホテルへ戻りました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月02日
コメント(6)
↓第四代国王から第五代国王へ戴冠@BHUTAN OBSERVER 新聞(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-ゾンカ語でのスピーチは、内容こそわかりませんでしたが、ゆっくりと落ち着いた話し方で、十数分(数十分かも)にわたるほど長いものでした。遠目に見ていましたが、国王はスピーチの間、原稿などを読んでいる様子はなく、集まった国民のほうへずっと顔を向けてお話されていました。世界一若い国王が話されたこの心のこもったスピーチは、多くのブータンの人たちを感動させたそうです。後日、新聞で英訳されたスピーチの内容が掲載されていたので、せっかくなので全文(もっと長かった気もするけど)をご紹介します。---BHUTAN OBSERVER 新聞より掲載元:http://www.bhutanobserver.com/2008/11/page/3It is with immense joy that we are gathered together on this most auspicious day.In these last 100 years the dreams and aspirations of our forefathers and the vision of our Kings have been fulfilled beyond all expectations. The wise and selfless leadership of our kings, the sacrifice and hard work of generations of Bhutanese and the special bond between the People and King have given us this unique and special nation ? a jewel of the earth. Two years ago, at a time of profound change I came onto the Throne as a young King. You, my people, in the spirit of generations past, worked with me with complete faith and gave me your wholehearted cooperation and goodwill. Thus, in these two short years while we have taken gigantic steps towards strengthening our nation, we have done so in a calm, deliberate manner in complete harmony. It is with great pride that we stand as new democracy, having successfully completed an unprecedented and historic transition.Yet we must always remember that as our country, in these changing times finds immense new challenges and opportunities, whatever work we do, whatever goals we have ? and no matter how these may change in this changing world ? ultimately without peace, security and happiness we have nothing. That is the essence of the philosophy of Gross National Happiness. Our most important goal is the peace and happiness of our people and the security and sovereignty of the nation.Our generation of Bhutanese have been gifted a strong, dynamic nation by our forefathers. I am confident that as long as we are willing to work with their commitment and dedication and follow their example we can bring greater peace, happiness and prosperity to our country.I am confident because I know the worth and character of our people. You are the true jewel of this nation. As citizens of a spiritual land you treasure the qualities of a good human being ? honesty, kindness, charity, integrity, unity, respect for our culture and traditions, love for our country and for God.Throughout our history our parents have upheld these values and placed the common good above the self. My deepest concern is that as the world changes we may lose these fundamental values on which rest our character as a nation and people. It is critical that we are able to recognize Bhutanese character irrespective of how far we look back into the past or into the future. The Bhutan we see is vastly different - unrecognizable even - when compared to the Bhutan in the time of our first King. Yet, the character of our people and the nature of our fundamental values have remained unchanged. Henceforth, as even more dramatic changes transform the world and our nation, as long as we continue to pursue the simple and timeless goal of being good human beings, and as long as we strive to build a nation that stands for everything that is good, we can ensure that our future generations for hundreds of years will live in happiness and peace.It is not because I am King that I ask these of you. Destiny has put me here. It is with immense gratitude and humility that at this young age, I assume the sacred duty to serve a special people and country. Throughout my reign I will never rule you as a King. I will protect you as a parent, care for you as a brother and serve you as a son. I shall give you everything and keep nothing; I shall live such a life as a good human being that you may find it worthy to serve as an example for your children; I have no personal goals other than to fulfill your hopes and aspirations. I shall always serve you, day and night, in the spirit of kindness, justice and equality.As the king of a Buddhist nation, my duty is not only to ensure your happiness today but to create the fertile ground from which you may gain the fruits of spiritual pursuit and attain good Karma.This is how I shall serve you as King.I cannot end without addressing our most important citizens - our youth. The future of our nation depends on the worth, capabilities and motivation of today’s youth. Therefore, I will not rest until I have given you the inspiration, knowledge and skills so that you not only fulfill your own aspirations but be of immense worth to the nation. This is my sacred duty. A strong motivated young Bhutan guarantees a strong bright future.The future is neither unseen nor unknown. It is what we make of it. What work we do with our two hands today will shape the future of our nation. Our children’s tomorrow has to be created by us today.I end with a prayer for Bhutan - that the sun of peace and happiness may forever shine on our people. I also pray that while I am but King of a small Himalayan nation, I may in my time be able to do much to promote the greater wellbeing and happiness of all people in this world ? of all sentient beings.Tashi Delek-----このスピーチの中でも、ブータンの国王らしいというか、感動したのが、あらゆる面において、私が治世している間は、国王として、決してあなた方を統治するつもりはありません。 私は、親としてあなた方を守り、兄弟としてあなた方を守り、息子としてあなた方を守るつもりです。私は、すべてをあなた方に与え、何も保持するつもりはありません。…まだ若干28歳の若者が、一国のトップに立ち国民にこう宣言したのです。その肩にはきっと、私たちには想像できないほどの大きな責任がのしかかっていることでしょう。今まで、いろいろな国の偉い人が同じような意味のことを口にしているのを度々聞いてきましたが、そのほとんどが「言葉」だけで終わっているような気がします。ブータンがそのような諸外国と違うのは、実際にそれを実践し、国民も実感していることだと思います。だから、言葉のひとつひとつが真実味を帯び、国民からの絶大な信頼を得ているのではないでしょうか。いたるところで、テロや戦争が起きているこの地球上に、まだこんな国が存在していたなんて…これは私にとって大きな発見であり感動でした。ほんの表面だけしかまだ知りませんが、実際ブータンに行って、ブータン国民の王族に対する敬愛振りを目の当たりにしたとき、両方の関係がうまくいっているということは明明白白でした。いつまでもこのままでいてほしい…訪問者の勝手な思いですが、心からそう思います。感動のスピーチの後は、雰囲気はガラッと変わり、お祝いのプレゼントの献上や踊りが披露されました。プレゼントのひとつの親子象(生きてるやつ)が入場したときには、会場から大きな歓声が上がっていました。どうやら初めてナマで見たようです。その後、お昼過ぎまで踊りを見学し、まだ途中でしたが、ランチのためにホテルへ一旦戻りました。会場で配られた戴冠式のプログラム→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年12月01日
コメント(4)
↓チャンリミタン・スタジアム(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-11月7日。今日は、ホテルの近くのチャンリミタンスタジアムで戴冠式のイベントが行われます。余談ですが、このチャンリミタンスタジアムは、2002年6月30日に行われた、FIFAワールドカップの世界最下位を決めるブータン対モントセラノ戦が行われた場所です。最下位を決める試合といっても、両国にとっては世界注目の大舞台のため、大変な盛り上がりをみせました。試合中には犬が二度ほど乱入し、相手国の選手は、何度も飛行機を乗りついでやっと着いたと思ったら、食中毒と高山病でバタバタ倒れていったとか。おかげで(失礼)、ブータンのドルジ選手がハットトリックを決め、その他1得点を獲得し、4-0で圧勝したそうです。しかし、トロフィーは2つに分割し両チームに分け与えられ、なんとも心温まるワールドカップのもうひとつの試合になりました。ちなみにこの模様は後に「アザー・ファイナル」というドキュメンタリー映画になりました。(といういうより、映画を撮るためにこの試合が企画されたらしい)紹介文:2002年6月30日、FIFAワールドカップ決勝戦の6時間前、アジアの別の場所で行われていた最下位を決める“もう一つの決勝戦”ブータンvsモントセラト。その両チームの選手たちの夢と希望を試合前から追った感動のスポーツドラマ。---さて、今日も民族衣装を着て参加する予定でしたが、すでに長い行列ができているとのことで、急遽、着付けは取りやめて並びに行くことになりました。列は、いつも男性用と女性用に分かれて二列できているのですが、警備員の人の了承を得て、私たちは、空いている男性用の列に並ぶことが出来ました。今日も昨日と同様、カメラの持ち込みは禁止です。荷物検査と金属探知機のゲートを通り抜け、スタジアムの入り口でブータンの国旗の小旗をもらい、会場内に入ると、すでにたくさんの人で席も通路もいっぱいでした。私たちは、係りの人に外国人用に用意された特別席へ案内されました。なんだか、昨日も今日もこんな待遇を受けて申し訳ないです。シートが敷かれたその一角には、インドや欧米から来たであろう人々が集まっていました。そして、なぜか持ち込み禁止のはずのカメラを持って撮影していたり、無礼のはずの帽子を被っている人がたくさんいたのです。あとで知ったことですが、そういうルールをきちんと守ったのはドイツ人と日本人だけで、そのことで各方面からクレームがあがり、次の日のカメラの持込はOKになったそうです。それにしても、その国のルールを守らないのは、訪問者としてどうなのか疑問を感じました。今日も雲ひとつない青空が広がり、強い日差しが容赦なく降り注ぎます。帽子がないので、さっきもらった小旗でかろうじて日影を作り、国王が登場するまで、また数時間の待機です。だんだんロースト状態になってきたころ、次々と招待客や王族、首相が集まり始め、そしてぜひ拝見したかった第四代国王も現れました。しかし、遠くてお顔までははっきりとわかりません。残念…元国王は席に着くことなく入り口の門のところで待ち、インドの大統領やソニア・ガンディーなどを迎えていました。第四国王と第五国王@BHUTAN OBSERVER 新聞10時半をすぎたころ、ようやく新国王が到着。お父さんである第四国王と一緒に親子仲良く、VIP席と玉座のある中央の階段を上っていきました。そしてやっと本日のイベントが開始です。すでに何時間もスタンバッていた軍隊や警察の行進が楽隊の演奏と共に行われ、国王がジープに乗ってフィールドを一周。玉座に戻った後、スピーチが始まりました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年11月30日
コメント(6)
↓王冠を被ったブータン国王@BHUTAN OBSERVER 新聞(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-次々と大臣や僧侶が集まり、ブータンの宗教界のトップであるジェ・ケンポも登場です。神聖な雰囲気の中、粛々と儀式は進められていきました。まずはジェ・ケンポによるお祈りが行われ、吉祥の物が捧げられます。今日の朝に行われたVIPのみの式で、前国王から正式に戴冠された、ブータンの国鳥であるワタリガラスをモチーフにした王冠もお披露目されましたが、今回は被りませんでした。一通りの儀式が終わった後、選ばれた人たちが、直接国王にタカを献上しに玉座のある上段へ集まりました。その30人ほどの人たちの中に、車椅子に座ったかなり年老いたおばあさんがいました。最初は関係者かなと思ったのですが、あとで聞くと、あの人は歳が105歳で、ちょうど今年建国100年のブータンにおいて、初代国王から今回の新国王までずっと見てきた人だということで招かれたそうです。そのおばあさんは、車椅子からなかなか立ち上がれずタカを渡せずにいたのですが、それを見た国王は自ら玉座から降り、そのおばあさんの前まで行ってタカを受け取っていました。(日本の政治家も見習えー!)おばあさんは感激のあまり感涙。そして、いよいよ国王と対面できるときがきました。対面と言っても、国王が会場内を練り歩き、お付の人がタカを受け取ったあと、記念のコインを渡すというものです。でも、これがすごかった。国王は再び自ら玉座を降り、2万人もの参列者ひとりひとりにコインを手渡していったのです。立つなという指示があったので、みんなは座ったままだったのですが、そのためにずっと腰をかがめて配っていました。さぞかし疲れるだろうと思いましたが、そんな様子は微塵も見せず、それどころか、時折かがみこんで抱擁したり、笑顔で挨拶したり…ありえない…日本じゃ絶対ありえない国のトップが行うその献身的な姿に私たち日本人グループは、すっかり感動させられてしまいました。そして約一時間後、ついに私たちのグループのところへいらっしゃいました。代表してYさんがおめでとうございます。お祝いするために日本から来ました。と国王に言ったところ、ありがとうございます。ブータンでの滞在を楽しんで行ってください。と、私たちに向かって言ってくれました。きゃーー泣きそう…コインを受け取るとき、この言葉をかけてくれたとき、国王と見つめあった(ほんの数秒だけど)ことは一生忘れないでしょう。そのときもらった台紙付のコインは、サランラップにくるんで大事に飾ってあります。 国王に直接いただいた戴冠式の記念コイン日も傾きはじめ、コインを受け取った人から会場を出るように指示されました。もう少しいたかったのですが、仕方なく退場です。出た後は、歩いてホテルまで戻りました。ホテルまで戻る途中、ビールでも買って帰ろうかと入ったお店で、戴冠式の生中継がテレビでやっていたのですが、まだたくさんいる人たちに、変わらず腰をかがめて配っている国王の姿が映っていました。この国の王様はすごい心からそう思いました。きっと「国の上に立つ」ということに対しての考え方が、諸外国とは根本から違うのでしょう。国民に愛されている王族だとは聞いていましたが、それも納得です。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年11月29日
コメント(12)
↓望遠で撮った戴冠式の会場内(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-さて、やっとのことで会場に入場。私たちが案内されたのは、玉座がすぐ目の前の、場所的にかなりいい席です。左側に玉座があり、正面には踊りが披露されるテープで囲われたステージがあります。最前列で、国王も踊りもよく見えますが、床は堅い石で屋根はなく、強い日差しが容赦なく照りつけてくる屋外の会場。しかも会場内では、帽子の着用は無礼にあたるため禁止されているので、念のため持ってきたスカーフで日よけをするしかありません。みんなもいろんなものを使って日光を遮断していました。お尻に敷くものも、昨日の野外フェスティバルで学習したのでしっかり持参。数時間待機をしなければならないので、このスカーフと敷物は大いに役立ちました。そうこうしているうちに、およそ2万人が収容できる会場はあっという間に満席になり、いよいよ開幕(?)国語であるゾンカ語で開会の挨拶のあと、国王が登場されるまでの間、ブータン各地から集まった踊り手たちによる、それぞれの地域の踊りが披露されました。みんなこの日の晴れ舞台のために綺麗に着飾り、大勢に囲まれたステージでちょっと恥ずかしそうに踊っていました。真っ青な青空と、真っ白なゾン、そしてカラフルな民族衣装のコントラストはとてもとても美しいものでした。時刻はお昼時。まだ国王はやってきません。ステージでは、踊りの演目も一巡し、二度目、三度目となっています。予定では、国王は12時か1時くらいにくるだろうということなので、今のうちにお昼を食べることにしました。朝ホテルでもらった、竹で編んだブータンのランチボックスを開けます。中には、アルミホイルに包まれたジャガイモの煮込みや鶏肉、ジュースなどが入っていました。お腹もいっぱいになり、またしばらく踊りを眺めていると、にわかに会場がざわめき始めました。待つこと3時間ちょっと、ついに国王の登場です。民族衣装のゴに、王族の黄色のカムニを纏った長身の男性が、会場の入り口から護衛とともに現れました。ジグメ・ケサル・ナムゲル・ ワンチュク国王その様は、王というよりは芸能人的な華やかなオーラを放ち、集まった民衆に笑顔を向けて玉座へ向かっていきます。国王は、そのハンサムないでたちから、諸外国の多くの女性からアプローチを受けているとのことですが、ブータンの国王はブータン人としか結婚はできないそうで、すでに恋人もいるとの噂です。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年11月28日
コメント(4)
↓巨大なトンドル(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-ブータン2日目の11月6日。今日はいよいよ、今回のツアーのメインイベント、第五代国王の戴冠式です。私たちはそれを見学すべく、朝から民族衣装の「ゴ」と「キラ」に着替えました。ツアー参加者の中には着物を持参している人もいて、みな気合が入っています。民族衣装は自分で着れないので、ガイドさんやホテルのスタッフに着付けてもらいました。ここで、キラの着方をご紹介しましょう。1.キラ専用のブラウスを一番下に着る。2.おおきな長方形の一枚布を体に巻きつけ、肩でコマと呼ばれるピンで前後の布を留める。3.ウエストを帯でギュギュッとしばる。(けっこうきつい)4.きれいな刺繍のされた上着を羽織り、胸元をブローチで留める。5.袖を折り返す。6.一番最初に着たブラウスの襟を少し上着から出す。7.ラチューと呼ばれる正装の時に使用する長い布を左肩にかける。キラの着付け着心地は日本の着物の簡易版という感じで、以前、弓道で袴を着ていた私にとっては、この感覚はとてもなじみのあるものでした。男性のゴは、膝丈のスカートのようなもので、正装の際は、カムニという白い布を肩にかけます。着替えた後、国王に献上するカタ(白くて薄い布)の渡し方を練習し、さっそく出発。せっかくなので、ホテルの外で集合写真を撮りました。すると、派手な一団で目立ったのか、外国人観光客がよってきて、ブータン人でもない私たちの写真を撮り始めました。さらに、なぜか日本の着物が人気で、着物姿の人は何枚も撮られていました。撮影大会のあと、まだキラに慣れないので、ぎこちない歩き方で車に乗り込みます。雲ひとつない戴冠式日和の天気の下、会場となるタシチョ・ゾンへ向かいますが、その途中、町を見下ろせる高台からタシチョ・ゾンを見ると、建物の一面を覆い尽くすほどの巨大なトンドル(タンカ)が垂れ下がっていました。その中のひとつは、12年ぶり(確か)の公開ということで、とても貴重だそうです。しかし感動もつかの間、ふと視線をずらすと、タシチョ・ゾンへつづく一本の道に、かなり長い行列ができているのが見えました。みんな今日の戴冠式を見学するために集まってきた人たちです。予想外の人の多さに、YさんもGさんも驚いて、急いで会場に向かいました。戴冠式の行列タシチョ・ゾン近くの駐車場で車を降ります。残念ながら、会場内へのカメラの持ち込みは禁止という連絡が舞い込み、仕方なく車に残して向かうことになりました。これにはみんなガッカリです。入り口へ向かう途中、タシチョ・ゾンの方から車が何台かやってきました。車内を見ると、王族の方たちが乗っていて、私も含め周りにいた人たちは大興奮。手を振ると笑顔で振り返してくれました。窓も開けっ放しで、すぐ触れそうなくらいの距離です。この無防備さ加減…なんともブータンらしい光景でした。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年11月25日
コメント(6)
↓戴冠式前日のティンプー(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-パロの町を満喫した後は、いよいよ戴冠式の行われる首都ティンプーへ向かいます。この戴冠式のために綺麗に整備されたという道路を快調に進んでいくと、また、旗をもった子供たちの集団が各所にいました。道は深い山間を縫うようにはしり、道の片側は切り立った崖になっている箇所もあります。聞くと、やはり事故が起こっているようで、最近では、家族連れが乗った車ががけ下に転落したそうです。テンジンさん(ドライバー)、君の腕にかかっている!でもテンジンさんは、運転がとても上手でそんな心配は無用でした。何箇所かの検問を通り、1時間半ほどでティンプーに到着。私たちはツーリストということで、途中、封鎖されていた新しい道を通してくれました。観光客用の車には「ツーリスト」とかいた証明書を張っておくのですが、これは、ブータンを旅行するうえでは、なくてはならないものだそうです。ツーリスト証明書町に入るとさらに厳重な警戒で、いたるところに警官がいて警備や交通規制をしていました。お陰で、ホテルはすぐそこなのに、グルグルと町の中をしばらく迂回する羽目に。お祭ムードの町は、人も車もいっぱいです。車を降り、規制のテープをくぐって、やっとホテルに到着。部屋に荷物を置いた後、夕食の時間まで同室の人と町を散策することにしました。ホテルの前の道にはたくさんのお店が軒を連ね、色とりどりの電飾で装飾がされています。そしてやはり、こんなに人がいるのに、まったく声をかけられません。外人だということで、チラチラとは見られますが、それだけです。さらに、けっこう街中を歩いたのですが、ホームレスの人を一人も見ませんでした。国民総幸福量ブータンの掲げる政策です。もちろん、問題も多く抱えているはずですが、この町の様子は、まさにその効果のあらわれではないでしょうか。しばらく歩き回って、すっかり暗くなったころ、ボディチェックを待つ人の行列を発見。近くにいた警察にあそこに並んでくださいと言われたので、なんの列が聞くと、フェスティバルが行われるとのこと。おもしろそうなので、並んで広場の中に入ってみました。すでに多くの人が、すり鉢状の会場に座っています。日も暮れどんどん気温が下がり、予定時間を結構過ぎた頃、なんとなく始まりました。ゆる~い感じの各地の踊りが次々と披露されていきます。寒い…こんな野外劇場での観覧は予定していなかったので、上着を着ていませんでした。寒そうにしていると、隣に座っていた親子がどこからかダンボールの切れ端を持ってきて、これに座れと、私たちにくれました。ありがたくいただき、その親子ともすっかり仲良くなりました。夕食の時間になったのでホテルへ戻りましたが、ブータン初日から楽しい思いができました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年11月24日
コメント(8)
↓パロの町(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-食事の後、パロの町を散策することになりました。集合時間を決めて、自由に歩き回ります。パロの町は、戴冠式を祝うための五色の旗で彩られていて、建物自体が色鮮やかなのに、さらにこの旗が加わり一層華やかになっていました。通りには、民族衣装のゴやキラを着た人たちがのんびりと行きかい、放し飼いの犬たちが陽だまりで昼寝をしています。街角でのんびりする犬あ~なんて平和なんだこういう感じの国では、みんな歩く早さもゆっくりだし、野良犬ものんびりしていたりします。でもこのとき、今までいった国の「のんびり」とは少し違う何かを感じました。のんびりしているんだけど、何かが違う…それは、客引きがいないということ。店の前を歩いていても、お店に入っても、商品を売ってやろうという気合の入った人にまったく会わないのです。他の国では、必ずと言っていいほど、しつこく付きまとってきたり、声をかけてきたりしました。でも、ここには一切そいうのがない。お好きにどうぞという、ぜんぜん商売っ気のない商売人ばかりです。物足りないと感じる人もいるかもしれませんが、そういうのが苦手な私にとってはとても心地のいいものでした。だから、他の国とは違う「のんびり感」を感じたのでしょう。お陰で、ブータン滞在中は、そういうのに気をとられることなく町を歩くことが出来ました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンの写真を掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年11月23日
コメント(8)
↓パロ・ゾンとタ・ゾン(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-ブッダの世界を垣間見た後、パロ・ゾンの外壁を見ながら坂を下っていきます。雲も取れ、青空がのぞいていました。少し下りて、パロ・ゾンへの小さなゲートをくぐるとほどなくして屋根付の橋カンチレバー橋が現れます。屋根付のカンチレバー橋パロ・チュー(パロ川)に架かるその橋は、ブータンの伝統様式の橋で、ブータン各地で見ることが出来るそうです。この橋を渡りきって、川沿いにでると、手前からパロ・チュー、カンチレバー橋、パロ・ゾン、タ・ゾンと並んだ風景を撮影できるのでお勧めです。ここから車で少し走り、パロの町で昼食です。町中に近づくにつれ、まるで何かのテーマパークかなにかのような風景が広がってきました。ブータンの伝統建築で建てられた家々はみなカラフルで、花柄などのかわいらしいペイントがされています。またこの時期、ブータン人の食事には欠かせない唐辛子が軒先や屋根の上に干され、それも見事な色彩を放っていました。町の一角にあるレストランに入ります。内装も外見に劣らずかわいらしい装飾が施されていました。今回のメニューは、ブータン人の主食であるご飯と、数種類の副菜、そして、ブータンの家庭料理エマダチです。ブータンの家庭料理エマダチブータンの食事は世界一辛いと言われていますが、エマダチはその代表的な料理のひとつです。見た目は白く、とても辛そうには見えませんが、その主な材料がチーズと唐辛子ということなので、やっぱり当然辛い。本当に辛い。でも、これは外国人用で、本物はまだまだこんなものじゃないとのことです。こんな辛いのを毎日食べていて体がおかしくならないのか、いったいどんな舌をしてるのか、食事の中にもブータンワールドを見た一時でした。→人気ブログランキングへ--------------ブータンのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞチベットの壁紙→こちらからどうぞ
2008年11月21日
コメント(8)
↓パロ・ゾン内部(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-懐かしい風景を見た後は、国立博物館タ・ゾンへ向かいます。ここはもともと、パロ・ゾンの見張りのために建てられた要塞で、1968年に国王の寄付で今の国立博物館になったそうです。ここには、ブータンの歴史を物語る農具や民族衣装、珍しい切手などが展示されていて、中でもGさんお勧めの、諸外国から集めた歴代国王の貴重な写真は興味深かったです。丘の上に建つ国立博物館その後、お祭りが催される広場に寄った後、圧倒的な存在感を漂わす、パロ・ゾンへ行きました。真っ白な壁が日の光を受けて聳え立つ姿はまさに圧巻。映画「リトル・ブッダ」のロケ地ともなったパロの最大級の建物です。その内部へ続く橋の上に、たくさんの僧侶が集っていました。みな赤い袈裟をまとっていて、白い城によく映えています。下は7,8歳くらいの子から上は10代半ばか、後半くらいの子まで様々で、みんな気軽に挨拶してくれました。中へ進むと、まさにアートと言えるような建築が並んでいます。細かい模様が描かれた深紅の欄干が渡された真っ白な壁が、いくつも折り重なるようにして青空へ聳え立っていました。その上階の欄干には、何人かの僧侶がもたれかかり、階下の僧侶と楽しそうに談笑している姿がありました。なんだか、別世界の風景を見ているような不思議な錯覚を覚えます。ここでは運よく、ここに住んでいる子供の僧侶の部屋を見せてもらうことができました。小さな部屋にはところ狭しと生活用品が置かれ、壁には国王の写真も飾ってあります。こんな小さなうちから親元を離れて修行をしている子供もいるのだと、知識としては知っていましたが、実際に生活する場を見て改めて実感しました。→人気ブログランキングへ--------------ブータンのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞチベットの壁紙→こちらからどうぞ
2008年11月19日
コメント(6)
↓農家の脱穀風景(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-いよいよブータンで唯一のパロ空港に到着。とても小さな空港なので、飛行機から地面に降りて、そのまま徒歩でイミグレーションの建物に向かいます。乗ってきた人みんなが、ワクワクしているのが伝わってくる感じで、興奮気味にあちらこちらで写真撮影をしていました。パロ空港ブータン伝統建築の建物に入ると、手作り感たっぷりの木で作られたブースが3つ(4つだったかも)ほど並んでいます。そこでパスポートと出入国カードを渡して入国審査を受けるのですが、このとき、出入国カードの残りをバラで返されるので、なくさないように出国するまで大切に保管しておきましょう。イミグレのあとはターンテーブルで荷物を受け取り、税関を通るのですが、ツアーということもありノーチェックでした。無事、入国完了。空港から出ると、今回のガイドのGさん(男性)とTさん(女性)が出迎えてくれました。二人とも、ブータンの民族衣装である「ゴ(男性用)」と「キラ(女性用)」を着ています。学校や仕事などのときは、この衣装の着用を義務付けられているそうなので、空港で働く人たちもみんな着ていました。車に乗り込み、さっそく出発です。戴冠式のために、各国から偉い方達がお見えになるそうで、それを迎える学生や子供たちが旗を持って沿道に連なっている場所が何箇所かありました。たまに私たちにも手を振ってくれたりして、みんなとても人懐こいです。ここでGさんから面白い話を聞きました。今回、インドからの要人も来るが、パロの空港は、世界の中でも最も離発着が難しい空港のひとつだから、その人たちが乗る飛行機のパイロットは、パロの空港に無事着陸するため、ブータンのパイロットの指導の下、なんども実地訓練をしていたそうです。しばらく走ると、パロの町を一望できる小高い丘の上にきました。ここで写真ストップです。眼下には、刈り取りが終わった茶色い田んぼが何枚も広がり、その奥の民家の軒先では、農家の人たちが脱穀をしているのが見えました。なんだか、日本の田舎の風景とそっくりです。初めてきた国なのに、なつかしい感じがしたのは私だけではなさそうでした。→人気ブログランキングへ--------------ブータンのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞチベットの壁紙→こちらからどうぞ
2008年11月18日
コメント(10)
↓パロ空港(ブータン)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-早朝3時30分にホテルを出発し、空港へ。ドゥルック航空のチェックインカウンターには、すでに、お坊さんや各国の観光客らしき人々で賑わっていました。今日は、2機の飛行機がパロまで向かい、いずれも満席とのことです。時間まで待っていると、Yさんからうれしいお知らせが。当初、カルカッタ経由だったが、パロまで直行になったということ。これはラッキーです。それだけブータンでの滞在時間が増えるというもの。出入国カードを受け取って、さっそく機内に乗り込みました。小さな飛行機ですが、機内はとてもきれいでゆったりしています。隣の席の人は、ブータンの人でした。普段はフィリピンで働いているらしいのですが、今回の戴冠式のために帰国したそうです。その人が、親しげにキャビンアテンダントの人と話しをしていたので聞いてみると、なんと、彼の元クラスメートだとか。さらに、今回のフライトのキャプテンが従兄弟だということで、ブータンの小ささを早くも体感することになりました。しばらく飛んでいくと、左前方にヒマラヤの山々が見えてきました。そろそろ到着です。パロの空港は、山間のわずかな平地に作られたもので、そこの離発着は、世界で最も難しいと言われているそうです。着陸が近づくと、山が両側に迫り、その間をぬう様に飛んでいきます。そこらのジェットコースターよりスリルを味わうことができるので、怖い物好きの方は、一度試してみてください。→人気ブログランキングへ--------------ブータンのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞチベットの壁紙→こちらからどうぞ
2008年11月16日
コメント(10)
↓タイスキ(タイ)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより-旅行期間11月4日~11日-11月4日。今日からブータンへ出発です。始発の電車とリムジンバスを乗り継いで成田空港に到着。まだ人もまばらの中、今回のツアーの添乗員Yさんと合流し、早々にチェックインを済ませました。東京組は10人、大阪組4人の計14人のツアーです。今回のブータンまでのルートは、成田→バンコク→カルカッタ→パロという予定で、一日目はタイのバンコクに一泊します。バンコクまでは、お気に入りのシンガポール航空で行けるので、飛行機の長距離移動が嫌いな私も、若干気がラクでした。今、タイへの観光客が激減しているので、機内も空いていたので快適です。ほぼ定刻にバンコクに到着。バンコクは雷雨でした。着陸できないんじゃないかと心配していた現地のガイドさんと合流し、ホテルへ向かいます。テレビなどでは、バンコクでデモが発生していて混乱しているという情報が流れていますが、見たところまったくそんな気配はありませんでした。ガイドさんも言っていましたが、混乱しているのは一部だけで、みんなの生活はいつもと変わらないということです。ホテルはとても豪華で、乗り継ぎのための宿泊にはもったいないくらいです。外は雨なので、夕食までの時間は部屋でゆっくりしていました。今日の夕食は、ホテルのレストランでタイスキです。ここで、大阪組の人たちと合流。今回も今までに増して、旅なれた人たちが多く、楽しい話が聞けそうです。→人気ブログランキングへ--------------チベットの壁紙→こちらからどうぞ
2008年11月14日
コメント(10)
全22件 (22件中 1-22件目)
1