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旅行期間:2015年7月8日目~9日目食事の後はいよいよ空港へ。ここでガイドのエリさんとお別れですが、実はエリさんは9月に東京ビッグサイトで開催される「ツーリズムEXPOジャパン2015」に出展するため来日するということで、一時的なお別れということになります。→エキスポの模様はこちらアシアナ航空のチェックインと出国審査を済ませ待合室へ行くとすでに人でいっぱい。こじんまりとしていますが、カフェや免税店もあったので、ちょっと覗いて見ることにしました。すると、カザフスタンのお札のデザインがされたチョコレートがあり、空港にしては価格もお手頃だったので会社用に購入。 今回のルートはソウルで乗り換えなのですが、その時スーツケースは受け取らずそのまま日本への飛行機に移されます。そのため、この空港の免税店などで100mlを越える液体物を買った場合は手荷物として持つことになるので、そのまま日本へ持って行こうとしてもソウルの手荷物検査で没収されてしまいます。ペットボトルなどの飲み物だったらそれまでに飲んでしまえばいいですが、それ以外の液体物のお土産はチェックイン後は買わないようにしましょう。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月26日
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旅行期間:2015年7月8日目最後の晩餐は、アルマトイ市内の「DASTARHAN」というレストラン。入口に、おじいさんとおばあさんの人形がいて出迎えてくれます。店内はどこかの御屋敷のダイニングルームのようなステキなデザイン。 つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月25日
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旅行期間:2015年7月8日目永遠の火を通り抜け奥に進んでいくと、目にも鮮やかなゼンコフ教会が見えてきました。=====ガイド=====ゼンコフというのは、これを建てたカザフスタンの有名な建築家の名前。1904年から1906年に建てた木造建築の建物で高さは56mある(世界第二位の高さ)。建てた後は教会として使われていて、1911年にあった大地震で倒壊しなかったことで有名になっている。日本の奈良に木造のお寺があるが、その形と似ていると言われている。中に入るときは、男性は帽子をとる。女性は大丈夫。中は基本的に撮影禁止だが、何も言われなければフラッシュなしで撮影しても大丈夫。=============== つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月22日
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旅行期間:2015年7月8日目中央バザールの後は少し歩いて、カザフ民族楽器博物館へ向かいました。博物館は、28人のパンフィロフ戦士公園の中にあり、木造のとてもおしゃれな建物。建物内はとても綺麗で展示数も多いですが、撮影禁止なのが残念。=====ガイド=====この博物館の建物は1908年に建てられたが、博物館になったのは1981年。ここの楽器は基本的にカザフスタンのもので、代表的なものとしては三味線のような二弦のドンブラがある。ドンブラは伝統的な祭りや結婚式などで今でも使われている楽器。カザフスタンで有名な歌手だった人が使っていた楽器も展示されている。楽器に使われている皮は、ラクダやヤギ、馬など様々。===============館内では60種類以上の楽器を見ることができ、真剣に見学すればけっこうな時間がかかります。カザフの民族音楽のCDも売っていて、この時は11ドルほどでした。興味のある方にはいいお土産になると思います。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月19日
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旅行期間:2015年7月8日目中央墓地で参拝したあとは、アルマトイの中心部に向かいます。ビルが立ち並ぶ街中からも天山山脈が綺麗に見えました。 初日に宿泊したホテル「OTRAR(オトラル)」にバスを停めて、サンタクロースのような風貌の現地のガイドさんと合流。ここからはそのガイドさんと共に歩いて市内の観光をします。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月17日
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旅行期間:2015年7月8日目ランチの後、約1時間ほどでアルマトイに入ります。 中心地に行く前に、途中で、日本人抑留者が眠る中央墓地へ立ち寄りました。=====ガイド=====カザフスタンには約58000人の日本人が抑留され、その内の1457人が亡くなったと言われている。アルマトイ州には約6000人が配属され、アルマトイにある3か所の日本人墓地に合わせて201人の抑留者が埋葬された。カザフスタンにいた日本人抑留者は、旧国会議事堂(現イギリス大学)、カザフスタン科学アカデミー、旧KGBカザフスタン本部(現国家警察本部)、ワイン工場などいろいろな建物を造らされた。カザフスタンにおける日本人抑留者の死亡率は2.5%で、ソ連全体では10%だっためとても低かった。シベリアなどに比べると気候が良かったというのもあるが、カザフスタン人が親切だったという理由も大きい。===============つづきを読む »(新ブログへ)
2016年02月11日
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旅行期間:2015年7月8日目国境を越えてしばらくすると荒涼とした大地が広がってきました。キルギスでは四角い形の干し草のかたまりが、カザフスタンでは丸くなっています。 つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月08日
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旅行期間:2015年7月8日目コルダイの国境に近づくとだんだんと車が渋滞してきました。国境近辺は撮影禁止です。 国境では、バスの中の荷物はスーツケースも含めすべて持ち出し、出国と入国審査を受けます。凸凹の地面をスーツケースを転がすのはなかなか大変で、この暑さの中ではけっこうつらい。国境となっているチュー川を渡りますが、この「チュー」は、ビシュケクも含んだこのあたりの州の名前だそう。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月07日
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旅行期間:2015年7月8日目いよいよこのキルギスとカザフスタンの旅行も実質今日が最終日となりました。朝起きて、ホテルのバルコニーから外を見ると天山山脈が綺麗にお目見え。朝食を食べて8時に出発。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月04日
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旅行期間:2015年7月7日目キルギスの伝統音楽の夕食を満喫したあとは、近くのスーパーマーケットへ行きました。店内は日本のスーパーと変わらない感じで、品数も豊富。時間がそれほどなかったので、とりあえずキルギス産の蜂蜜と紅茶をターゲットに物色。エリさんに聞きながら、他に乾燥ヨーグルトもゲットし、いいお土産ができました。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年02月02日
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旅行期間:2015年7月7日目今日のホテルは2日目に宿泊したAk Keme(アク・ケメ)ホテルです。 つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月27日
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旅行期間:2015年7月7日目バスの中で、キルギスの若者に人気のチョコパイのおすそ分けがありました。=====ガイド=====オリオンのチョコパイで、キルギスの若者に一番人気。パッケージには、ロシア語、ウクライナ語、カザフ語、アゼルバイジャン語、アルメニア語、グルジア語、ウズベキスタン語で説明が書いてある。韓国や北朝鮮でも人気で、北朝鮮ではお金の代わりに渡したり、これをあげるからこっちへ逃げて来いのようにも使われているという話がある。===============また、キルギスのスーパーマーケットで買えるおすすめのお土産を聞いてみると、コニャック、乾燥ヨーグルト、ショル、はちみつなどがあるとのことでした。スーパーには、今日の夕食後に寄る予定です。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月24日
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旅行期間:2015年7月7日目1時間ほどでコチコルに到着。大型バスが不釣合いな住宅街の路地に入っていくと、かなり大きめの民家の前に着きました。 つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月21日
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旅行期間:2015年7月7日目もとの大型バスに乗り、舗装道路を走り始めます。今まで走ってきたオフロードを体験する前は、舗装されている道路なのに揺れるな~と思っていたのですが、今ではもう天国のよう。ここでバスのマイクも使用できるようになったので、昨日1泊したソンクル周辺についてのガイドがありました。=====ガイド=====ソンクルとは、「一番最後の湖」という意味。長さ28km、幅17kmあり琵琶湖の0.4倍くらいの大きさで、水深は最大16m、平均で8mというかなり浅い湖。標高が3000m以上あるため、冬は-40度まで下がり、湖には70cmくらいの氷が張る。夏は20度くらいまで暖かくなる。ユルタに泊まる手配は麓にある小さな会社が行い、予約が入ると上まで伝えに行く。天山で見た固有種「シュマルハウセニア・ニュドランス種」は、中央アジア原産で7~8月に花を咲かせる。高地の湿った場所に自生し5~6年生きた後花を咲かせて死ぬが、その際に綿帽子の種が飛び新たな場所で芽を出す。===============つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月20日
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旅行期間:2015年7月7日目途中で何度か写真ストップをしながら高度を下げていきます。来るときに通った道ですが、進む方向と時間帯が異なるので、また違った風景に見えました。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月16日
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旅行期間:2015年7月7日目今朝の朝食は、薄いパンケーキにミルク粥など。昨日の夕食もそうでしたが、電気も水道も通っていないこのような僻地で、こんな食事がいただけるとは思っていませんでした。 食後は荷造りをして出発の時間まで近くを散歩していると、たくさんの羊とヤギの集団が湖畔を歩いてきました。羊飼いに上手く追い立てられ、ひとかたまりになって近づいてきます。これまでも羊の放牧には何度か出会いましたが、ここで見たのが一番規模も大きく、周りの壮大な風景ともあいまってかなり見ごたえがありました。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月11日
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旅行期間:2015年7月7日目ユルタで一晩過ごした翌朝は夜明け前に起床し、大草原の向こうから昇る日の出を鑑賞。その後、朝食までまだ時間があったので、近くの丘の上に登ってみることにしました。遠目にはなだらかな丘に見えましたが、実際に登り始めると結構な急斜面で、すでに標高も高く空気が薄い場所のためなかなかしんどい。ただ、辺りが平なので、少し登るとみるみる展望が開けてきました。丘の麓には大きなソンクル湖が広がり、その脇に私たちが宿泊したユルタが見えます。 息を切らしながら30分弱で頂上までたどり着くと、今まで丘に隠れて見えなかった天山の雪山が現れました。今いる場所の標高が3000mを越えているので、それほどの高さは感じません。遠くに目を転じると曲線を帯びた地平線が見渡せ、辺りの草原では、何頭もの放牧された馬が朝日の差し込む静まり返った空気の中でのんびり草を食んでいます。※頂上からの360度の絶景は、こちらの動画でご覧ください。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月07日
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旅行期間:2015年7月6日目ソン・クル湖畔の草原には、遊牧民のユルタがいくつか固まって設置されていました。今夜はこのユルタに宿泊します。このユルタ群には食堂やキッチンもあり、ちょっと離れたところにトイレがあります。キッチンではすでに私たちのための食事が作られていました。手洗い用の水入れバケツに水をくんで入れる燃料になる馬糞干されている羊の皮地面を見ると、小さなエーデルワイスの花があちこちに咲いています。つづきを読む » (新ブログへ)
2016年01月02日
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旅行期間:2015年7月6日目天山山脈の固有種シュマルハウセニア・ニュドランス種の鑑賞後、再び車に揺られて高度を上げていきます。背の高い木はすっかり姿を消し、広大な草原と山並みがどこまでも続いています。遠くに見える山の頂や道中に、雪が残っているところもありました。 坂を登りきると、今度はほとんど平らな平原が広がり、その中の道をひたすら進んでいきます。このあたりにくると、放牧されている家畜の数も増えユルタや遊牧民の姿も現れ始めました。冬には雪に覆われ通行不可になる地域のため、今の時期にしか見られない光景です。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月27日
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旅行期間:2015年7月6日目山道を下り渓谷の中へ入って行きます。山間には草原が広がり、ポツポツと集落も見えました。高山植物が咲いているところで写真ストップしながら進んでいきます。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月23日
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旅行期間:2015年7月6日目鷹匠の実演を見た後、本日の宿泊地ソンクル湖畔へ向かいます。 1時間ちょっと走ると、オルト・トコイ貯水池に到着。山間に広がる大きな池は鮮やかな青色をしていてとても綺麗です。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月21日
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旅行期間:2015年7月6日目次は鷹匠による鷹狩の実演を見学するのですが、途中、車に乗った鷹匠と落合いそのまま会場となる草原へ向かいます。草原へ着くと、鷹匠は自分の車から鷹を取り出し腕に乗せてやってきました。 =====ガイド=====この鷹は7歳で体重は4キロ。もう一匹いてそっちは8歳。1歳のころから調教している。狩りをしないときは落ち着かせるために目隠しをしている。足の力だけで獲物を殺すことができ、2キロ先の獲物が見える。鷹の飛び方にもテクニックがあり、最初は獲物を狙っていないような感じで飛んでいき相手を油断させて襲う。この周辺で有名な鷹匠はこの人と、あともう一人いる。===============鷹匠は、鷹狩についての説明をしながら、腕にのった鷹の羽を広げさせるようにしてくれたのですが、その広げた姿がなんともかっこいい。そして、いよいよ実演。彼のこどもが獲物となるウサギを野に放ち、それを谷の上から狙わせます。その様子はキルギスの動画ページに掲載しているのでご覧ください。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月16日
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旅行期間:2015年7月6日目バスでは、イシククルの伝説のひとつとされる話がありました。=====ガイド=====昔王様がいて、その娘がある貧乏な青年を好きになった。娘はその青年と結婚したいと思ったが、貧乏だと言う理由で王様が反対し、青年を戦争にやってしまった。青年はその戦争で亡くなり、娘は非常に悲しんだ。イシククルは、その娘が流した涙でできたもので、湖の水がしょっぱいのは涙だから。湖の形は人の目を形をしている。================ブラナの塔に纏わる伝説でもそうでしたが、キルギスには悲しい伝説が多いのかな。その後もう一度トイレ休憩で泊まったところは、グランドキャニオンのような景勝地でした。片側にはイシククルが広がり、道を挟んだ反対側に赤茶けた岩山が連なっています。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月14日
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旅行期間:2015年7月6日目ガガーリンが良く訪れたバルスクーン渓谷を後にし、元来た道を戻って行きます。山道では散水車も見られ、この道が鉱山会社によってきちんと整備されているのがわかります。道中、エリさんが途中で買ったというキルギス名物の乾燥ヨーグルトをみんなに配ってくれました。ちょっと癖のある味なので、お試し用に小さな袋でも売っているとのこと。袋にはキルギス語の他に、ロシア語、カザフスタン語も併記されています。ひとつ食べてみましたが、かなり、しょっぱすっぱい。とても味が濃いので、お酒のおつまみに合いそうですが、確かに好き嫌いが分かれそうな感じ。私もこれは初めて食べる味でした。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月11日
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旅行期間:2015年7月6日目標高2200mほどのバルスクーン渓谷に下り立つと、自然とため息が出てしまうような美しい場所でした。険しい山肌には「ユキヒョウの涙」という名の滝が水しぶきを上げ、山間の緑の草原にはのんびりと馬が草を食み、その草原には水量の豊富な川が流れ、なんだかファンタジー系の映画の中にいるような感じです。まずは、草原の真ん中に建っているガガーリンの銅像へ。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年12月01日
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旅行期間:2015年7月6日目しばらくは広い畑や草原が広がっていましたが、バルスクーン渓谷へ近づくとだんだんと山が迫ってきました。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月30日
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旅行期間:2015年7月6日目7時半、カラコルの宿を出発。まずは、宇宙飛行士のガガーリンが好んで訪れたバルスクーン渓谷に向かいます。 =====ガイド=====今日の移動時間は長いので、キルギスの文化や伝統について説明する。キルギス人の生活ビシュケクに住んでいる公務員の月収はだいたい200ドルくらい。これはけっこう安いので貯金するという習慣はあまりない。ほとんどをその月に使ってしまい、中には足りなくなって知り合いに借りる人も多い。また、公務員でも銀行員でも、本業が休みの週末などに自分の車を使ってタクシーのアルバイトをしたりしている。すると合わせて300ドルくらいの収入になる。ビシュケクにはドルドイバザールという中央アジアで一番大きいと言われる市場があるが、そこでバイトをする人も多い。田舎の方ではほとんどの人が農業をやっている。キルギス人の収入は少ないが、みんな、国は貧乏だが自分たちが貧乏だとはあまり思っていない。なぜかというと、食べ物も美味しいし綺麗な自然にも恵まれているから。田舎の方の生活は、部屋にトイレやシャワーがなかったり、キッチンもちゃんとしたものがない家が多い。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月27日
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旅行期間:2015年7月6日目「GREEN YARD」の朝食はフロント脇の明るい部屋でいただきます。真っ白なテーブルクロスがかけられたテーブルの上には、数種類のジャムやパンなどが並びいかにも美味しそう。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月20日
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旅行期間:2015年7月6日目早朝、部屋の窓から外を見るとちょうど朝日が昇り始めたところでした。今日もいい天気です。さっそくカメラを持って周辺の散歩に出発。ゲストハウスの前の通りに出ると、丘の向こうにカッコいい山の山頂が顔をのぞかせていました。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月19日
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私のサイトの世界の旅行記にキルギス・カザフスタン旅行記の5日目分のまとめ記事を掲載しました。【内容】朝焼けに染まる幻想的なイシク・クル湖を見ながら早朝散歩。ホテルを出発してからは湖を望む岩絵野外博物館やプルジェヴァルスキー博物館を見学しカラコルの市内観光へ。世界でも珍しい木造のドゥンガンモスクやジャイカのショップに立ち寄り、その後カラコル渓谷のフラワーウォッチング。夕食は市内に戻ってコーカサス地方の料理を堪能した。今日の宿は居心地の良いゲストハウス「Green Yard」に宿泊。つづきを読む » ((新ブログへ)
2015年11月18日
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旅行期間:2015年7月5日目今日の宿は、カラコル市内から少し離れた場所にある「GREEN YARD」。ホテルではなくゲストハウスで、普通の家の部屋を貸しているようなアットホームな感じです。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月17日
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旅行期間:2015年7月5日目カラコル渓谷から一旦ホテルに戻り、そのまま夕食へ向かいます。今日のレストランは、カラコル市内にある「FAKIR」。観光客むけのお店ではなく、町の人たちご用達という感じです。 今日のメニューは、サラダ二種、肉と野菜のカフカス(焼いたものという意味でコーカサスの人向けに作られた料理)、パン、デザート。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月16日
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旅行期間:2015年7月5日目カラコルの市内から一旦ホテルによって荷物を置き、そのまま小型バスに分乗してカラコル渓谷へ出発。町とは反対方向の山の方へしばらく走っていくと渓谷のゲートに到着し、そこからさらに山道を登って行きます。広がる草原には馬や羊が放牧されたくさんの花が満開に咲き誇りとても綺麗。ガタガタ道を15分くらい行くと、終点の駐車場に到着。ここには大きなホテルがあり、その脇にスキーのリフトが設置されていました。 =====ガイド=====冬も夏も観光客がきて、冬はスキー場になる。このあたりは2300mくらいだが、これから上がるところは標高3000mくらい。高山植物を見ながら、スキー場をハイキングしながら登って行く。================さっそく歩きはじめると、小さな花が咲いているのが見えてきました。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月15日
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旅行期間:2015年7月5日目ランチのあとは、カラコルの街中の観光です。 =====ガイド=====カラコルは、ロシア人が初めて攻めてきた土地だと言われている。9世紀のはじめごろは、ここの人口の60%はロシア人だった。町は、ロシア人とウクライナ人によってつくられたが、1910年、中国から中国系イスラムのドゥンガン人が来たため、ドゥンガン人とウイグル人の数が多くなった。町の中心はカラコルバザールになる。カラコルというのは「黒い湖」という意味で独立後にその名前になったが、ソビエト時代は「プルジェヴァリスク」という名前だった。詳しくいうと、1920~1955年までは「プルジェヴァリスク」と呼ばれ、その後一年間だけ「カラコル」、そしてまた「プルジェヴァリスク」になり、独立後に「カラコル」に落ち着いた。================まずは、世界でも珍しい木製のドゥンガンモスクへ。女性は入口でスカーフを借りて、それで頭を隠してから中へ入ります。=====ガイド=====ドゥンガンモスクはドゥンガン人が建てたもの。ドゥンガン人とは、中国から逃れてきたムスリムの人たち。民族的には、ウイグル族ではなく漢人の回族。木だけで作られたモスクで、これはキルギスだけ。入口にはアザーンの時間が書かれている。================ つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月13日
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旅行期間:2015年7月5日目見学後、ちょっと遅めのランチに向かいます。今日のお店は、キルギス語で「歓迎する(料理の)セット」という意味の「Dastorkon」というレストラン。店構えも店内もとてもおしゃれです。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年11月10日
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旅行期間:2015年7月5日目スキタイ人のクルガン(お墓)から、50分ほど走るとプルジェヴァルスキー博物館に到着。 つづきを読む » (新ブログへ)→これまでのキルギス・カザフスタン旅行記はこちら
2015年11月09日
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旅行期間:2015年7月5日目丘を下って、イシククルと天山を見ながら一路カラコルへ。=====ガイド=====これからカラコルに向かうがだいたい3時間くらい。湖の向こうにある山がテスケイアラトー(日が当たらない場所の山)、反対側がクンゲイアラトー(日が当たる場所の山)。クンゲイアラトーは、カザフスタン側から見るときは、カザフ語でイリスキーアラタウ(イル川の方の山)と呼ばれている。================ つづきを読む » (新ブログへ)
2015年10月14日
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旅行期間:2015年7月5日目8時半ホテル出発。今日は、岩絵野外博物館を見学後、カラコルへ向かいます。博物館へはホテルから30分ほどで到着。高台にあるので、イシククルと天山山脈が綺麗に見渡せます。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年10月13日
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旅行期間:2015年7月5日目朝食の時間になったので、別棟にあるレストランへ向かいます。外に出るとツアーメンバーの一人がいて、あっちでパンを焼いていると教えてくれました。さっそく、花咲く庭をつっきり行ってみます。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年10月11日
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旅行期間:2015年7月5日目早朝、朝日が昇ると同時にイシククル湖畔に散歩に出かけてみました。朝の空気はまだヒンヤリとしていて気持ちいい。人もまばらな砂浜に出ると、ちょうど朝日でピンク色に染まり始めていました。湖の向こうにはうっすらと天山山脈が連なっているのが見えます。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年10月05日
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私のサイトの世界の旅行記にキルギス・カザフスタン旅行記の4日目分のまとめ記事を掲載しました。【内容】おとぎの国のような花が咲き乱れるチョンケミン渓谷のフラワーハイキングをし、一路「中央アジアの真珠」と呼ばれるイシク・クル湖へ。国際的な一大リゾート地でシーズン中のこの時期にはたくさんの観光客が訪れていた。チョルポン=アタの港から船を一隻貸切りクルーズへ出発。キルギスを代表する真っ青な湖と南北に連なる天山山脈の景色を見ることができた。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月17日
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旅行期間:2015年7月4日目部屋で少し休んでから、別の建物にあるホテルのレストランで夕食です。混んでいるせいか、団体のせいか、狭いテーブルにきゅうきゅうに座らされ食事開始。今夜のメニューは、サラダ二種、レンズ豆のスープ、スパゲティ、パン、果物など。ブラックチェリーはさっき寄った露店でエリさんが購入したものです。 料理はなかなか美味しくてボリュームもあり満足でしたが、置く隙間もないのにどんどん新たな料理を運んでくるし、ビールはぬるいし、全体的に今回の旅行の中ではイマイチでした。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月16日
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旅行期間:2015年7月4日目クルーズを終えホテルへ向かいます。直行すれば30~40分ほどのこと。途中、道端に出ているお土産屋さんに寄り道。蜂蜜や果物の他に、魚の干物や毛皮などちょっと変わったものが売っていました。 その後さらに果物屋さんでスイカとメロンを購入。=====ガイド=====スイカ228ソム、メロンが343ソルで昨日買ったものとほぼ同じ。でも今回は量り売りでこんな端数まで払ったが、ガイドさんが値切らないのかなと思ったが、そういうことをするのはキルギスでは男の役目とのこと。================つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月14日
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旅行期間:2015年7月4日目しばらく右手に湖を見ながら進むとクルーズの出発地チョルポン=アタの港に到着。 ここからクルーズ船一隻を貸し切って、中央アジアの真珠とも言われるイシク・クル湖の船旅です。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月11日
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旅行期間:2015年7月4日目13時、ホテル出発。村を抜け早朝一人で訪れたチョンケミン川の橋のところで写真ストップ。今日はこれから2時間半ほどかけてイシク・クル湖に向かい、まずはイシク・クルのクルーズの予定です。途中、奇岩地帯や川の周辺に大小の湖沼が点在する湿地帯を通っていきます。特に説明はありませんでしたが、この奇岩もなかなかの迫力があり観光地になっているようでした。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月10日
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旅行期間:2015年7月4日目宿に戻ったあとは、ランチまで少し時間があったので、中庭のブランコで遊んだり東屋で昼寝をしたりして過ごしました。外の日差しは強烈ですが、東屋の日陰に入ると涼しい風が通り過ぎ気持ちいい。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月07日
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旅行期間:2015年7月4日目墓地を抜け、花の間を掻き分けるようにしてさらに登っていきます。もうこれ以上に行っても花はないかなというあたりまで行くと、チョンケミン渓谷が一望できる高さまで来ていました。足元には野草の花が咲き乱れ、その向こうにはパッチワークのような畑と家々、そしてその背後になだらかな山並が連なっています。花のいい香りも風に運ばれてきて、なんともすがすがしい。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月03日
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旅行期間:2015年7月4日目朝食後、宿の人の案内で近所の野原にフラワーハイキングに出かけました。朝行った川の方とは反対方向です。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年09月01日
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旅行期間:2015年7月4日目たくさん歩いた後は朝食です。眺めのいいダイニングルームで、まわりの景色を見ながらの朝ごはんは格別。 つづきを読む » (新ブログへ)
2015年08月31日
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旅行期間:2015年7月4日目早朝6時前、夜明けと共に朝の散歩に出発。広い庭をつっきり裏口から出てみると、まるでおとぎ話に出てくるような風景が広がっていました。山の向こうから差し込む朝日の中に、草を食む馬やヤギ、牛、鶏などが現れ、これでもかというほどの長閑さをかもし出しています。そして、それらのまわりには、古びた農機具や草原の中に建つ小屋、遠くに連なる雪山などがあり、なんだかその景色全体が映画のセットのようにちょっと非現実的な空間に思え、突然その中に入ってしまったような不思議な感覚でした。つづきを読む » (新ブログへ)
2015年08月30日
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