meiのあったかほ~む

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中国脱出~韓国釜山へ

@おことわり。。このページすごく長くなりますが、ご了承下さいませ
                               (^^;


さて、2泊3日の汕頭視察を終えて、次は上海での工場視察である。

広州の空港まで見送りに来てくれた商社の方は、まだこの後2ヶ月間汕頭に
滞在なのだと憂鬱そうな顔でうつむいていたのである。
私達が一緒のとき、商社の方は大きなキャリーバック一杯のインスタント食品を披露してくれた。メニューは、『パパはちび6、ママはちび3』のちびろくラーメン、お米、あさげゆうげ、のりたま、うめぼし、おかか、塩醤油ミソ。。。持って来れる限りの食材を詰め込んで来たのである。夜な夜な彼は、蝋燭の明かりの中、電気コンロでラーメンや御飯を炊いてくれたのである。。。
確かに現地の食事は丸3日続くとうんざりなのである。。。
でも彼は私らが帰った後も一人残り蝋燭とともにこの食事を続けたのである。とっても過酷な環境である。

空港での別れ際に、『万が一、飛行機が飛ばないとか、アクシデントがあったら、漢字で書くんだよ!我、望、帰国、日本!!!』って言って心細く笑うのだった。
確かに当時の広州は週2便しか飛んでいなかったのだ。

さてやっとの思いで上海入りであるのだが、ここがまた大変だった。
空港のイミグレーションでそれぞれが個室に連行されたのだ。。。。
両脇を中国人民服に身を固めた保安員に抱えられ取り調べ室へ。。。。
この取調室。ラストエンペラーで皇帝ふぎが取り調べを受けていた様な木の椅子と机だけなのだ。
別になんにも悪い事していないのだ。が、日本人は当時珍しく何しに来たのだ!っと後で判ったが、個別に聞きたかったらしい。っと言っても言葉が通じず、そうこうしてる内に迎えの人が出て来ないのを心配して見に来てくれて事情をはなしてやっと諦めて解放してくれたのだったが、かなり恐かった。彼等はにこりともしないのだ。能面の様に無表情なのだ。
頭をかすったのが『我、望、帰国日本!!』だった。。。。

またまたやっとの思いで上海の街へ。

さすがにド田舎な汕頭から来たら上海は都会に思えた。
ここでの滞在も2泊3日。
泊ったホテルは老舗の『上海大廊』という高層ホテルでそこのスペシャルスイートだったのだ。
ここは揚子江のほとりに建っており眺めは最高だった。
下を見ると運河のほとりに腰をおろしてこのホテルを見物している人が沢山いたのだ。現地のかたの観光名所だそうだ。
上海の中級階級の方の月給が日本円の¥4000である。
このホテルのスイートは一泊日本円の¥8000である。我々からしたら嘘見たく安いのだが、中国の方にはとんでもないものなのだ。

夜は対岸にある『和平飯店』というホテルにあるジャズを聞かせる店に行った。ここには上海在住の日本人のジャズバンドの方々が出演されていて我々が行ったら『さくらさくら』など日本に名曲を夜通し演奏して下さったのだ。

さて翌日、またまたボンネット型トラックで3時間かけ工場へ。
道々は汕頭と同様である。
工場到着。さすがに上海の大手メーカーである立派な工場であった。
そこの社長幹部が総出でお出迎え戴き、そのまま中華飯店へお昼に連れて行って戴いた。
大円卓に数々の料理が並んだ。。。すばらしい料理である。

どうぞどうぞ!っと薦められ戴き始めた。どれもおいしかった。
が、ちらっと横を見たら同行の女性が私をじっと見つめてそれ食べたの?って聞くので『うん!おいしいよ!』っと2口目を食べたのだ。
『それなんの肉か知ってる?今、そとで歩いてたでしょ。。。ワン子。。』
って、『。。。。。』沈黙である。。。
しかし、中国は4つ足の生き物は椅子とテーブル以外すべて食材になってしまうのだぁ~。。。悲しかったけど、郷に入っては郷に従えなのだぁ~!
っと半ばやけになって老酒をあおってしまった。。。
っと、同行の男性をみたら???様子がおかしいのである。。。
ろれつが廻っていない。。。そう言えばさっきから、『カンペイ!カンペイ!』と声がしてたのは、工場の社長と白酒を一気飲みしていたのだった!
この白酒72°もあるのだ。しかし空けると降参するまで飲み続けなければならない儀式だったのだ。さすがに社長は慣れていて平気だったが、彼は意識不明になって両脇を抱えられここでも別室へ連れていかれたのだった。

彼は午後は全滅だった。工場視察の間、事務所で寝ていたのだった。
素晴らしい完備の工場視察を終えて、酔っぱらった彼を乗せまた、がたがた路を上海へ。
途中、彼は何度も『っとっと止めてぇ~』を繰り返し、外でハアハアゼイゼイやっていたのだった。。。

まぁ、仕方ないのである。。。

翌日も別の工場視察であった。
ここ昨日とは違いかなりの旧い工場でもっと遠くにあった。
トイレのことはあまり触れていなかったが、ここは広い部屋にコンクリートの穴が掘ってあって、使用後は隅にあるバスタブから柄杓で水をくんで自分で流すのであった。まだ部屋だからかなり良いのだ。

到着は早朝出ても昼過ぎに到着であった。まずは工場視察をし、夕方食事のご招待を受けた。ここでも工場役員から係長まで総勢20名の方々と私ら一行であった。
ここでは本当にシンプルな中国地元料理だった。
鳥の唐揚げ。。。全身お頭足付き。となりの工場の方が親切にもお頭と足をどうぞどうぞ!っと取ってくれたのだ。。。
『っげっ!』っという顔になったら、隣にいた商社の方に『だめだめ!無理しても嬉しそうに食べてあげなさい!彼等にとってこの料理は一生に何度も食べられることじゃないんだからね!』っときつく言われ、目をつむって食したのだった。
次に出て来たのは、何やらウナギのようなもののぶつ切りスープだったのだが。。。。よう~く見るとうろこ?みたいのが。。。。へびだった。。。
シンプルに白湯スープにショウガが入ったものだった。
もう、どうにでもなれ!状態で我々一行は無表情になっていたのだった。。

どうやってホテルに戻ったのか?記憶がないのだ。
そんなにお酒は飲んで無かったが、記憶を抹消したかったのだろう。

あぁ~~!明後日は、やっと中国脱出である!

翌朝、出発までの間、おみやげコーナーを見ていたら『日本人ですか??』
って声をかけられた。振り向くとおじさん二人。
出張で来たのだそうで、中国に着て初めて日本人と逢いました!ってうれしそうだった。

さてさて、やっと搭乗である。
やっと日本ですねぇ~!って喜んで、取り敢えず大阪だから、たこやき食べよ~なんて喜んでいたら。
伊丹空港ではトランジットのため、外に出れないは、時間もないは、通過だけだったのである。。。やだぁ~~~!!!ここで降りるよ~~~っとさすがに泣きが入った。
駄目だ!行くんだ!っと先日の酔っ払いに手をひっぱられ引きずられていったのである。
っと、そこに一件のうどん屋発見!!
まっしぐらである!
ここの『けつねうどん』生涯忘れません。

諦めて、韓国釜山に到着した。
出迎えに来て戴いた工場の社長さんとっても紳士で日本語も話して戴き、本当にありがたかった。
中国での長旅をねぎらって戴いたのだ。
韓国の日式はお美味しくないから、おさしみ食べましょうっと生け簀のところへこれの美味しかったこと!
夜は夜でチゲ鍋のおいしいお店へ。なんて馴染む味なんだろうっとぺろっと戴き社長さんは良かったねぇ~疲れをここで落として行きなさい!ってとってもやさしかったのである。ひぃ~~ん。。。(::)
うれしかったよぉ~!

その社長さんに貴女の韓国名は『テンファンキョウジャン』って読むんだよ!っと教わった。
それから次の日、別の工場へ伺った時に、韓国名で言ってみたらとってもうれしそうに『ああ!そうですかぁ~』っと喜んでくれた。
私は現地にいったらその国の言葉であいさつやありがとうを言うように心がけている。最低限のマナーだと思っている。

いろんな事があったが14日間のアジアン出張は無事終了したのである。

初めてのヨーロッパ



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