ココ の ブログ

春と夏の間(5)



春と夏の間(5)

 今朝は春も過ぎたというのに肌寒く暖房を入れたが、青く晴れ渡った空の朝日は流石に若葉の頃の清々しさの中にも少々眼に強い陽射しだ。このところぐずついた天気模様だったから早速、カメラを取り出し撮ってみた。ココは朝飯に集中して未だ書斎にまではやって来ない。その内、のっそりと現れてパソコンの上に乗って「早く庭に出して頂戴!」というポーズをとる筈だ。7時過ぎだが家人は未だ起きて来ない。日曜だからゆっくり朝寝坊しているのだ。ボクにとっては日曜も平日も同じく早朝から目が覚めて、先ずトイレで用を足し、その次にはココの餌を作ってやるから同じパターンだ。それでもココにとっては遅い時間だから、5時頃からボクを起こしに掛かる。「お腹空いたよう、起きて頂戴、早く早く!」と啼かずにベッドの上を飛び跳ねて合図する。

My Garden-1
My Garden-1

 さて、昨日も書いたが、自分の才能の限界を知るということは大事なことである。それは見極めとも言える。人生の進路を決める為の見極めは、大抵の人は悩むものである。それは慾が絡んだりプライドが勝ったり家庭の事情であったり、更には下手の横好きもあるだろう。才能も無いのに役者や歌手や作家になっている人は案外多く居る。中には下手でもファンが応援してくれる場合があるから本人は余計にその気に成って止めようとはしない。益々増長して大スターになった気に成る。困ったもので、それが大方の人々の公害になっていることに気がつかないから処置なしである。憲法で保障された基本的人権なのだから何に成ろうと自由なのではあるが、その辺りの履き違えの人々は死ぬまで治らないだろう。だから嫌な人は無視するしかない。見ざる聞かざる言わざるに徹すれば良いのだ。

My Garden-2
My Garden-2

 しかし、身近な人物にそういう人が居る場合は悲劇である。忠告する訳にも行かず認める訳にもいかないから見ていて内面的な葛藤をおこす事になる。尤も、何も感じず評価や批判もできない人なら無害だから何ともない。ところで、そういう事には敏感な頭の良い老人が居た。かつて、ボクのクライアントだった彼は、元軍人で政界の大物とも交流があって、政治経済にも明るかった。最後に会ったのはもう7年ほど前になるから既に亡くなっていると想うのだが、7年前にお別れのように東京からボクに会いに来た事があった。当時で90歳ぐらいだった彼は、天皇(昭和)が宿泊された山口県の老舗旅館の主と無二の親友だった関係で、その息子や娘や甥っ子と親戚付き合いのように面倒を見、東京の自宅に息子を下宿させ教育もした経緯があった。

My Garden-3
My Garden-3

 お蔭で息子は医者になり、東京で開業して一応成功者になった。だからその家族は今も安穏と暮らしているのだが、妹の方は大阪に嫁いでいて夫とは別にマンション経営をしていた。だから経営的手腕があるように思えるが、総ては老人のアドヴァイスで動いて順調に経営出来ていただけだった。そういう関係だったから老人が関西に来る時は彼女の家に寝泊まりして活動していた。余分な経費が掛からず賢い旅行者兼アドヴァイザーだった訳だ。尤も老人は戦後、関西に本社がある大手の製缶工場の取締役だったから関西の地理にも明るく、その後、会社を辞めて東京に引き揚げた頃にボクと知り合ったのだった。ボクが東京に単身赴任していた頃には彼の山中湖の別荘にも行ったことがあった。

My Garden-4
My Garden-4

 長々と老人の背景を書いたが、話は、大阪の宿泊所にしていた家の甥っ子のことである。大阪のマンションが老朽化してきて経営も下火に成りだした頃、丁度バブルも終焉期に差しかかっていたのだったが、上手い具合に商社の寮として買い取りたいという話があって老人の勧めで売却し数億円の金が舞い込んで来たのだった。次にその金の運用だが、老人の指南で京都市内に未だ手つかずで残っていた千坪ほどの竹林を共同で購入した。そこにお茶とお華の文化教室を兼ねたウイークリー・ホテルを建てる計画だった。マネージャーとして老人の未婚の娘が予定されていた。資金は折半の計画だったから売却益の半分以上は未だ手元にあり、子供の居ない夫人は甥っ子の願いをきいて大阪ビジネス・パーク(OBP)に中華レストランの売りが出ていたのを購入したのだった。(つづく)

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