ココ の ブログ

繁華街(5.談合が消え、電子入札へ)

繁華街(5.談合が消え、電子入札へ)

 警察をはじめ役人や補導員が取り締まらなければならないような物騒な繁華街なぞ無くせば良いではないかと想う人も居るだろう。「自分は、ああいう下品な俗化した場所になんか絶対に行かない」とか「不良や893がたむろする場所なんかに、うちの子に限って行く訳がありません」と大見栄を切る大人に限って、一旦そこに足を染めざるを得なくなって通う羽目になると簡単にはまり込んでしまうものである。少年少女時代は勿論、青年時代にも繁華街なぞに足を踏み入れた事のない人々は、所謂免疫力を持っていないから一旦染まると目をキラキラさせながら通う事になる。唯それだけで不良になったとは言えない迄も、何か家族間や自分の心に隙間風が吹いていると脆くもそういう未知の世界に引き込まれて行く。

補導員
繁華街の夜(1)。今日も補導員がパトロールする。

 ボクなんか小学時代に同級生と映画館に行って、帰りが余りにも遅いので親達が心配して迎えに来た事があった。勿論、子供達だけで映画に行く事を許した親達は、映画館へ行く事なぞ危険とは考えていなかったものの、当時は三本立てというのがあって5時間も上映時間が掛かるものがあったのだ。それを知らなかった親は、子供の帰宅が余りにも遅いので何かあったのでは?と迎えに来た訳だ。子供にすれば「大げさな、何事?」と逆に心配したものだ。そもそも、教育活動の一環として映画鑑賞という時間があって、文部省推薦の映画を生徒が揃って観に行く事もあった。つまり映画慣れしていた訳で、ボクなんかよく親に連れられて行った分も含めると毎週のように映画館へ行っていた。当然ながら大人用の映画だ。

.シネコン
繁華街の夜(2)。シネコンに人々が群がる。

 そういう環境で育つと、子供はおませに成る。だからボクなんかは子供でありながら頭は既に大人になっていたのだ。「あなたは、あの頃から既に考え方が大人でしたネ」と述懐したのは、一昨年の春、実に51年振りに小学校の同窓会に初めて参加した時の恩師の弁だった。そういう意味では扱い易い生徒だったのだ。が、逆に言えば教師は手の内を見透かされて扱い難い生徒であったのかも知れない。51年振りに会ってお互い懐かしく想い出話をする内に、ボクの様々な行動を想い出した先生は「あなたは、既に大人だった・・・」と言わざるを得なかったという事は、相当手こずった生徒であったのだろうとボクなりに想ったものだ。実に印象深い生徒だったのだろう。

同窓会
繁華街の夜(3)。今日も同窓会が開かれている。

 その証拠に、51年振りに観るボクの事を半分以上の出席者が覚えていた。違うクラスの生徒までが懐かしがって話しかけて来たものだ。ボクは51年も経っていれば顔と名前が一致しないだろうと、アルバムをスキャンしたプリントを持参していて、それでも最初から最後まで分からない相手が数名居た。しかし、大抵の老人の顔が幼い頃の面影と重なって来ると人間の性格や個性なんて幾つになっても変わらないものだと想った。歳相応の話し方や身振りを観ていると、51年もの年月は人間を成長させ、仲が悪かった相手でさえ変わりなく話せる自分に意外にも柔軟な感性を感じるのだった。我の強いボクのような人間でさえも、51年も会わなかった同級生には誰彼と無く親しみを覚えるのだった。

高級料亭
繁華街の夜(4)。夕方から続々と料亭に車が横付けされて行く。

 それが歳の功というものだろうか。子供の頃の好き嫌いは他愛も無いものだ。大人の社会はそういう感情は押し殺し社交辞令であっても円満に付き合うものである。それが仕事や政治の場なら尚更、目的の為には演技をするのは常識だ。言わば談合という場ではお互いの利益の為に妥協点を見出す。だからこそ料亭での密談というのが昔から続いて来た訳だ。料亭は当然ながら繁華街にありながら少し閑静な雰囲気の場所にある。それは出入りが人目に付かないように配慮した場所の取り方をしているからだ。役所の近くにあって繁華街の喧騒からも少し間を置いた一角に料亭はある。当然ながら料亭の女将は絶対に口が堅い。ペラペラしゃべる女将なぞ失格だ。それは既に役割を終えた過去の人と観て良い。

電子入札
電子入札になれば談合が無くなるだろうと言われているが・・・。

 政権が変わって料亭に閑古鳥が鳴き出した昨今では商売替えをするか客層を変えなければ料亭は生きて行けなくなった。政治家も役人も世間やマスコミの目が怖いから行かなくなり、精々、ホテルのバーで軽くやるぐらいになった。今は携帯があるから車という密室で話が出来る。日本独特の料亭談合は昔話になってしまったのだ。更に、不景気になれば安価な店が流行り出す。だから今は大衆酒場が全盛である。サラリーマンが仕事の帰りに一杯やるには絶好の場所だ。カラオケもだ。他には、公的工事発注の入札に向けての談合も、電子入札が採用されるようになってからは無くなりつつある。あるとすれば入札者が全員、上限金額で入札する程度だが、そうなればクジで決める事になるから不確実な受注という事になる。(つづく)


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