ココ の ブログ

一年目の福島原発事故(7)

一年目の福島原発事故(7)

 中国は沖縄を属国にしたくてウズウズしている。火事場ドロボーの様な日本の周辺諸国が東北大震災や福島原発事故のどさくさに紛れて領土や領海を侵略しようとしている。ロシアは日本の北方領土四島を手放さず、共同開発しようと揺さぶりを掛けて居る。韓国は竹島を占拠して自分の国の領土にしようと国民運動までして焦っている。日本政府は一体何を怯えているのか負け犬の遠吠えの様な態度で具体策や主張すべき事もせず国内では弱い者いじめをして国民の不満のガス抜きばかりをしている。内弁慶の馬鹿丸出しである。どうしてこんな精神薄弱的な政府が出来上がってしまったのだろうか。幕末の日本の危機を感じた若者達が立ちあがったあの気慨は何処へ行ってしまったのだろうか。冷静に考えれば、その時代にも立ちあがった若者達を狂信的に反対し弾圧する人々も居たのだった。あの新撰組もそうだった。今も体制側に立つ人々が自分の保身の為に反対している。

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 つまりは理屈では原発推進派も自分達の主張が間違っている事を知りながらドップリとそれで良い目をしている状況を放したくないだけの事なのだという事に気が付く。自分さえよければ犠牲者が出ようが一向に構わないし気にもしないのである。エゴの塊と化した連中は権力で反対派を抑えつけようと焦る。その焦りがコストダウンへと走り、絶対しておくべき不可欠な対策を取らず手抜き工事という形となり事故を起こしてしまう。事故を起こせば覆い隠そうととする。多少の犠牲者は出ても仕方が無いとする身勝手な考え方で底辺に居る原発労働者を放射能漬けにしておきながら自分達は素知らぬ涼しい顔でワインを飲んで居る訳である。以前のブログで、そんなに原発が絶対安全と主張するなら何故皇居のお堀傍に原発を設けないのかと問うたことがあった。それなら大都会に送る為のロスの大きい送電施設なぞ設ける必要も無いのだ。

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 ところが事故が起きる可能性を否定出来ない連中は「陛下の居らっしゃる処に原発なぞ失礼な」と言い、事故が起きて死んでも仕方が無いと目する人々が住む海浜の僻地に設けるのである。原発施設が出来る事でそれまで貧しかった生活が潤う事になった僻地の人々は金で魂を売った人々として地元でも対立し、建設反対派は村八分にされるか出て行かざるを得なくなってしまう。それでも残って反対運動をする人々も居る。そして数十年の年月が経ち反対する人々もやがては原発に慣れ親しんで行くのである。哀れというか、そういう人々の事を天皇陛下は意識下において喪服を来て追悼記念式典に出る。出さされていると言っても良い。権力者側に操られ、政治的意見も述べる事も出来ずに黙々と祈る事しか出来ないのだ。近代国家とか民主主義の概念が出来上がった筈の現代社会で未だその様な古い体質のまま国家が存続する事に奇異な気持ちを抱かない人は居ないだろう。

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 そういう矛盾を抱えた国家は崩壊の運命に向かっている様なものである。崩壊に至らなくとも矛盾を抱え恩恵に浴している人々は精神的負担を心の片隅に持たざるを得ず、歪んだ精神状態で生活をするから表情は厳しくなり、やがては心身を病む事に成る。皇室や政治家、悪徳官僚や政商の家庭はそういう病巣を持った状態だから哀れな人々とも取れる。其処で何も知らず平和に過ごして来た子供は、ある日ふと何気なくその疑念に気が付いた途端、心の中の人生が変わって行く。人間ならばそう感じるのが自然である。昔なら出家し精神の安寧を願う生活に入ったであろう。ところが現代社会はそれすらもさせてくれないのである。陛下とか閣下と呼ばれて有頂天に成る人も居るだろうから人生は分からないものである。生まれついた星の下、自分ではままならぬ人生を歩まねばならない人は哀れである。哀れと感じない人は幸せである。

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 東北大震災(福島原発事故)一周年記念追悼式典の前後からマタイ受難曲を聴きながら亡くなった人々の鎮魂を祈っている。ボクは事故責任者の逃げ回る姿や怠慢に怒りを込めて意志表明のブログを書いたり、その存在の整合性が無い原発を批判する事ぐらいしか出来ないが、それでも少しでも世間の人々に知って貰えれば役だっているであろうと心安らぐのである。時代は決して後退しないのである。遅々として進まない様に観える民主化も人々の眼ざめと意識改革で僅かではあっても変化して行くものである。決して諦めてはならない。火事場ドロボーの様な国々の人にも家庭があり家族も居るのだ。そういう愛しい人々を養うのに他国の人々の権利や自由を奪ってでも自国の為と想う矛盾に平気で居られるのは何故だろう。身勝手と言ったところで川向うの火事のようにしか映らないのなら知らしめるべきである。国際紛争とは概してそういう類のものが多い。

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 目には目を、歯には歯も時には必要である。憲法9条改正が悪の様に言う人が居るが、そういう人はキリストの様に右の頬を打たれれば左の頬を差し出すのだろうか。死刑廃止論者は自分の可愛い子供が理不尽に殺されても矢張り死刑廃止論を唱えるのであろうか。理想論では物事は解決し難い。矢張り現実社会に生きる以上は現実的な方法を用いる方が具体的である。ドロボーに「そういう事をするものではありませんヨ」と優しく諭すよりも、現場でとっ捕まえて裁判に掛けて処断するのが一番分かり易く相手も理解せざるを得ないだろう。処断されるのが嫌ならドロボー行為は起き無くなるだろう。それでも尚ドロボー行為を続けるなら更なるきつい処断をすれば良い。最終的には戦争に近い威嚇行為が必要になるかも知れない。北朝鮮のスパイ漁船を日本の領海内で海上保安庁が銃撃し沈め、引き揚げて晒しものにした途端にスパイ漁船は現れなくなった事例もあるのだ。(つづく)

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