ココ の ブログ

運転(2)

運転(2)

 若い頃、フランス映画で「男と女」というのがあって随分影響を受けたものだった。その頃、ボサノバが流行っていて、それを聴きながら昼と無く夜と無くドライブして遊んでいたのだった。社会人になって建築家の卵だったボクは夢は大きく持っていたのに意外にも気が小さいと言うか一人で海外へ行くには躊躇して行けず、映画の主人公の様な生き方に憧れた割には日本国内ばかりをデザイン・サーベイと称して遊んでいたのだった。地方の田舎の農家や民家で面白いのがあると写真に撮ったり地方都市にある有名建築家の作品を観て廻ったりしたのだ。そんな暇があるのなら海外へ出かけて本物の有名建築をデザイン・サーベイした方が勉強になったのだろうが、何故か日本から出られなかった。その理由は経済的に自由に車で廻れるのは日本しか無いと思い込んでいたのだ。しかし、それは間違いだった。

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 と言うのは大学時代の友人の一人に単独でブルーバードをアメリカに運び込んで大陸横断をしたのが居たのだ。勇気があるというよりも無謀だと想ったものだった。彼の場合は実家が金持ちだから出来たのだろうと勝手に思い込んでいたのだったが、実際はあちこちのスポンサーを探して資金を募ってやり遂げたのだった。そういう事はボクには真似が出来なかった。つまり臆病者というか小心者だったのだ。日本国内だけでデザイン・サーベイが出来ると想ってしまった事自体うかつだった。つまり、風土や人種や気候も大事な要素なのにそれらを無視して、日本は明治期以来、西欧文明を取り入れてしまってそれを乗り越えていると勘違いしていたのだった。だから仕事の合間に車で自由に廻れる事で目的が達成出来ると想ったのだ。言わば自分の弱点の言い訳をしていたのだと想う。

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 しかしながら、お蔭で車の運転技術は上手くなり、タクシー・ドライバーと競争しても負けない程の自信が出来ていた。いよいよ建築で喰えなくなったらタクシー・ドライバーにでも成れば良いとは冗談にも想わなかったが、高校時代の友人で政治運動が過ぎて中途退学した男が実際にタクシー・ドライバーになっているのを観て複雑な想いをしたものだった。進学校だっただけに彼の能力がそれでストップしてしまった事を惜しんだのもあった。卒業していい歳になってみて遥か昔の事を想い出し、人生はそう変わるものでもない事が分かって来ると、高が中途退学したからと言って彼の能力がストップしてしまったと想ってしまった不遜さが恥ずかしくなる処だが、仮に中途退学せず卒業していたとしても彼は彼なりに今と変わらぬ生き方をしていたのでは無いだろうかと想ったりもする。 

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 つまり、単なる車の運転技術の問題ではなく、人生の舵取り(運転)の問題である事に若い頃は気付かなかったのだ。後悔したところで遅いが、先日も書いた通り想った事の半分近く達成したのだから良しとしなければならないのだろう。決して弁解の為に残りの人生を生きるのだけは止めておきたいものである。そう言えば、昨夕、大学の恩師から運転中に電話があった。運転中なので一旦断って、帰宅してから掛けなおし30分ほど長話をしたのだが、毎年この時期になると思い出した様に電話があり、今年もそんな時期になったのだなと歳時記の様な気がした。男の長話なぞ絵にならないが、先ずは健康の話が続き、次に旅行の話、そして酒の話となって、近々、大阪梅田で一緒に飲みましょうという事で終えた。リューマチで杖をついているという話をされていたがご高齢な割には元気そうな声だった。

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 車の話ついでに言えば、今耐震補強工事で監理している府立高校の校長は通勤にベンツに乗って来ている。ガードマンに「誰のベンツ?」と聴いて「校長先生のです」と言われ、この頃の教員は高給取りだなと想ったのだが、そうではなく、アメリカで弁護士をしていて、大学時代の同級生の大阪府知事に勧められて民間から応募し抜擢採用されたそうで、年齢は41歳と全国で一番若い校長だという。だから逆に年収は落ちて、弁護士時代に稼いだ金で買った車なのだろう。時代も変わるものである。ドイツでは警察のパトカーにベンツが使われているのは国産車だから当然の事だが、我々日本人からすれば奇異の目で見てしまう。むしろ日本の車がドイツの警察のパトカーに使われでもしたらドイツ人が奇異の目で見てしまうだろう。尤も、日本の高速道路ではポルシェのパトカーが走っている。

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 「処変われば品変わる」というのは昔の言い回しだったが、今は物流面が発達して国際化も進み「処変われど品変わらず」というのが珍しくも何とも無くなってしまった。だから珍しいものが無くなりつつある時代で、通貨の違いと関税の問題を別にすれば価値ある物は何処ででも価値はそのまま通用し、価値も無い物が唯珍しいだけで珍重される時代は消えつつあると言って良いだろう。それは人間にも言える事であって、権力を持っているからと言って威張って居られるのはその権力が及ぶ処での事であって、何も知らない人々にとっては無関係な事だから無力になってしまう。それでも裸の王様の様に自分だけが偉いと想っている人は案外多く居るもので、世界中何処でも通用する人間は我々が想っている程は居ないものである。世界共通の基準というものは心に響く宗教的なものなのだろう。(つづく)

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