ココ の ブログ

居眠りをするココ(7)

居眠りをするココ(7)

 作家で無くとも自分を冷徹に観察し冷静な思考をする人が居る。その一人が修行僧だ。内面的に自分を極限まで追い込んで座禅をし沈思黙考する事で精神が研ぎ澄まされて行く。最初の内は雑念ばかりが浮かび、それを排除するだけで苦労するという。しかし、20年も続けていると人間的に落ち着き、後進の指導にあたれる様に成る。一口に20年と言うが、暗い内から起き、掃除をし、冬の厳しい寒さの中で何の暖房も無い道場で座禅を組む辛さも、真夏の暑い最中に汗をたらたら流しながら藪蚊に身体中を射されて痒くても耐え、街中を托鉢して廻るのも修業の内だから文句も言わず疑問にも想わず黙々と続ける。並みの人間には出来ない事だ。学生や社会人が真似ごとで禅道場へ通うのとは訳が違う。

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COCO-031(カーペットで横に成るココ)。

 訳が違うと言ってもやらないよりやった方が人間的に深みを増すという。かつて仏教が栄えた頃のインドの修行僧と同じ事を遠く離れた日本で現代でも行われている。インドからシルクロードを経て中国に伝わった仏教は本家のインドでも中国でも大昔に廃れてしまった。それが吹き溜まりのような小さな国の、果てしも無い大海原を背に逃げ様が無い島国で生き残った。そういう地理的な背景もあるが、人々の心に深く住みついて1300年経った今も続いている。単に日本人に合っていた宗教であったという理由だけでは理解し難い。何故なら日本には神道があり、その他の宗教もあったのに仏教だけが隆盛を極め今も脈々と続いているのには余程の因縁があるようにボクには想えるのだ。それは仏教が他の宗教と違って復讐する事なく「絶対無」という概念を謳っているからだ。

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COCO-032(デスクに乗って、庭に出たいとポーズするココ)。

 それに引き換え西欧の「目には目を、歯には歯を」と謳う宗教は戦争ばかりしている。中東の宗教も同じだ。日本人は決して争いごとを望まない民族でもなく、時の権力者の征服慾や止むにやまれぬ外国の圧力で戦争をした経緯もあるぐらいだから民族的な理由で仏教が栄えた訳でもなさそうだ。近代国家の理念が入り込んで来た明治期以降、西欧化されて来たせいで「目には目を、歯には歯を」という考え方が日本でも普通になってしまった。その分、仏教の理念が国民から薄れて行った事は事実だ。日本で英雄視される豊臣秀吉も加藤清正も朝鮮半島では単なる侵略者でしかない。立場や観方が変われば評価も違って当たり前だ。ユダヤ人はナチスにホロコーストされて世界から気の毒な民族だと同情される反面、パレスチナで今度は逆に自分達がパレスチナ人をホロコーストして平気で居る。

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COCO-033(台所で横に成るココ)。

 海外のマスコミを遮断して虐殺するから世界に知れ渡らないだけで本質はナチスと何等変わらない。だからボクは単純にアンネが可哀想だと同情はするものの、それ以上の事はユダヤ人に関して抱かない。人間は皆同じなのだ。悪も正義もごっちゃ混ぜにしたのが人間だからだ。その中で、善だけを見詰める修行僧は一種の学者の様なもので世の中を浄化する役割を担っている人々だと考えている。そんな修行僧でも自殺をする。脱落して俗界に戻る人も居る。本能に目覚めた人々には耐えられない修業なのだ。いわんやペットのココですらココであり続けるには動物本来の本能と食欲の塊である事が基本である。それ以上の能力は単なる付け足しであり余芸の様なものだ。腹が減れば「ニャア」と啼き、外へ出たければドアの前でジッと待つのもココの本性のままだ。それで我々は癒される訳だ。

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COCO-034(庭のココの指定席で横に成るココ)。

 「猫に小判を」と願っても無駄なのだ。変な人間の理性をペットに押しつけてもナンセンスでしか無いのである。本能で生きる事は強いものである。見栄も外聞も気にする必要が無いからだ。人間だけが変な理性をかざして本能をひた隠しに隠す。本能は煩悩として修業の邪魔だと言う訳だ。ところが本能をむき出しにした民族が地球上ではびこる。憎まれっ子世にはばかると言われる通り、理性が彼等に負けてしまうのである。隣国がそうだ。様々な理不尽な事を平気で仕掛けて来て日本の理性に揺さぶりを掛ける。それに乗った方が負けとばかりにジッと我慢の日本は世界から同情されこそすれ裏側では腰ぬけと嘲笑される。「目には目を、歯には歯を」がまかり通る世界だから日本も強く成れとエールをおくられているのかも知れない。しかし、日本は仏教国で理性の国である。

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COCO-035(ボンネットに乗って玄関を観るココ)。

 日本の良織派は絶対無の理念を忘れないのだ。「驕れるもの久しからず」と平家の事を言ったのも仏教思想からだ。争い事を避け、出来るだけ事無かれ主義で行こうとする。しかし、諸外国はそれを許さないのだ。ハムレットの心境に成ったところで世界は同情してくれず「基本的には自分の事は自分で守りなさい」と言う。それが大人の行動だからと言うのだ。そんな事は言われなくとも百も承知なのだ。日和見主義と言われようとも一番被害の少ない方法を模索しているのだと政府は言うかも知れない。だが、一番被害の少ない方法とは何を根拠に言うのか。どれ位のスパンで被害を少なく見積もるのか。誰にも分らないが、結果論で判断してくれとでも言うのだろうか。それではリーダーシップも糞も無い。成り行き任せでしかないと言う事だ。福島原発の核燃料処理も成り行き任せで行こうとするのだろうか。勝手な解釈の「絶対無」は困る。(つづく)

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