ココ の ブログ

「過ちを正すに憚(はばか)ることなかれ」

「過ちを正すに憚(はばか)ることなかれ」
 今日の標題は自分自身に言い聞かせるつもりで掲げた。この意味は、間違いと気づけば躊躇せず直ぐに直しなさいヨという程度の意味であるが、最近、様々なことが起き、本来の自分の仕事や趣味のことに専念できなかったことを振り返って、反省も込めて吟味してみようと思うのだ。というのは、何か悪いことが起きると一般的に自分に思い当たる節がなければ他人のせいにするのが人間の性だが、仮に自分が原因でなくとも何等かの関わり合いを持ったことで起きたことは事実なのだから、その時点でもっと注意を払えなかったかどうかを考えるのである。

コーヒーハウス2CoffeeHouse
かつて常連客として語り合ったり思索した京都のコーヒーハウス

 勿論人間は一人では生活できない。生きていくには社会との関わりを持たざるを得ないのだが、その関わり具合といえば、常識の範囲内で人々は行動するものである。だが、その時点で周囲や相手に注意しつつも最低限度の疑いの目を捨ててはいけないと思うのだ。一つのHや五つのW(How、Why,Who,What,When,Whichの基本疑問)をそのような時に抱くことは人間として寂しいことではあるが、これだけ世の中が複雑化して権利意識が強くなり、常識外のことが多すぎる世の中では仕方がないのではないだろうか。

 自分の身を守るだけでなく軽々に利用されないとか、上げ足を取られないとか色々考えられるが、要は相手に対して信頼をどれだけ置くかどうかだろう。この人はこういう噂があるが果たして本当だろうかとか、優しそうな顔をしているが実際はどうだろうかという反対のことも考えるのである。そんなに人を疑ってしまえば何を信頼するのかという反論もあるだろう。確かに人の付き合いはそういものではないのだが、昔のように顔を見て判断できる時代は過ぎ去ってしまい、ポーカーフェイスの向こうに何があるかを読まなければ渡って行けない世の中になっているのも事実である。

 それは情報の発達した世の中だからこそ起きる問題なのであろう。特に、インターネットでその気になれば無限に近い情報が手に入る時代になって頭でっかちの人間が増え、人間としての基本を忘れてしまった輩がモラル以前のことを平気でやらかすのである。犯罪を犯罪とも思わず単なるいたずら程度の軽い気持ちで起こしたとしても、受けた方は真面目に判断して驚く。何故なら相手の頭の中を覗き込むことが出来ないからだ。常識で判断すれば重大な犯罪行為であっても軽い気持ちでやれば許されるだろうという安易な発想をもつこと自体間違っているのだが、それが分らなくなっているのである。

 以前、ボクは何かで行き詰まったり悩んだりした時は、故郷の京都にあるコーヒーハウスへ行って、ボーッとして時間を過ごしたものだった。わざわざ大阪から電車に乗ったり車で行くのである。「一杯のコーヒーの為に大阪から、優雅なものですネ」と常連客に言われたものだが、ボクなりの計算があって、気分転換ができた。それが出来ることで大いに価値を見出していたのだった。自分の身に自分が原因でないのに問題が起きれば、誰だって逃げ出したくなるものだ。しかし、逃げても解決しない時は立ち向かわざるを得ない。そういう時に、自分を冷静に見ることは大切だ。少しでも自分に原因の種があるか、問題を誘発するネタがあるとするなら正すに憚ることなかれである。負けるが勝ちという諺もあるのだから。


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