ココ の ブログ

晩秋(2)

晩秋(2)

 最近、ゴルフ・クラブを三本買い替えた。クリーク(5番ウッド)をフェアウェイ・ウッド(中空の金属ヘッド)に、2番アイアンをユーティリティ・ウッド(中空の金属ヘッド)に、パターを別に新しい型のものにである。夫々の特性を充分吟味し考えて注文したから練習場で試し打ちをして想った通りの出来なので満足している。パターはこれまで二本づつ持っていたピン型とマレット型の他にマレット型の改良版セミ・マレット型である。パターは練習場では無く書斎のカーペットで試していて、多分に精神的なものと想うのだが予定通りの成果が出ている。ゴルフは昨年の10年ぶりの再開時から比べると随分上手くなった。スコアにして10は良く成った。それでも、かつての全盛期に比べると未だ五つは悪い。最高に良かったスコアでは80を切っていたから90代では平均的な成績だ。

GOLF-001
ゴルフ練習場-001

 この調子で行けば来年辺りからはそろそろ90を切るだろう。しかし、エイジ・シューター(自分の年齢と同じスコア)に成るには未だまだ先の話になりそうだ。70代の前半が年齢的にゴルフをする限界だろうからエイジ・シューターの成績はハンディキャップにしてシングルという事になる。月例会でも上位に入れる。が、上位入賞者は毎回入れ替わる。その理由はコンペの上位入賞者のハンディキャップは毎回減らされるからで、その度にハンディキャップはシングルに近づき、更にはシングルになれば今度はゼロに近づくからだ。シングル・プレイヤーは、常にクラブを手にして居ないと腕が落ちるという。少なくとも毎日クラブは握っていないと感覚が鈍るという事だ。何でもそうだが日頃の練習が腕前を維持させる。スポーツ選手は勿論の事、音楽家もビリア―ドも同じ事が言える。

GOLF-002
ゴルフ練習場-002

 プロでも無いのだから適当に楽しめば良いとは分かっているのだが、つい成績が気に成る。そこが凡人の考えなのだろうが、上手く成り過ぎても仲間から嫌われるものだ。アベレージ・ゴルファーとは90前後で廻る人々の事を指し、ハンディキャップも18と、上手くも下手でも無い気楽なラインである。その辺りのドングリの背比べが勝った負けたと楽しめる頃合である。シングル・プレイヤーは勿論上手なのだが、一緒のレベル同士なら良いが、下手な人と一緒に廻るとまどろっこしくて面白く無い。下手な方も気持ちが萎縮してしまって心から楽しめず面白く無いだろう。ワ―ワ―、キャーキャー言いながらやっていた初心者の頃は楽しかった。スコアを気にし出すと少しづつ上手くは成って行くが余り面白く無くなる。ところが、去年の再開時から1年が経った今年の夏、考え方が変わった。

GOLF-003
ゴルフ練習場-003

 たまたま月例会で台風の様な雨の日に出くわし、途中で中止になって風邪を引きそうになった事や初夏の炎天下で熱中症に成りそうな苦しいプレイをしていて「自分は付き合いとは言いながら、何と馬鹿な事をしているのだ」と白けてしまい、夏場は月例会に行かずに練習場だけで我慢していた事があった。そして秋になって久しぶりに月例会に参加して、これまでに無いプレイが出来、スコアもある程度まとまった。そして、自分なりのゴルフがようやく見えて来た気がして面白く感じたのだった。逆に同じ組のプレイヤーが途中から無口になって自滅して行ったのも冷静に観察出来、矢張りイギリス人が考えたスポーツだけあって、相手の成績が悪くなればこちらが良く成るという皮肉なものである事も分かった。これまでに無い良いプレイが出来たのは常識に捉われずに自分流でやったからだった。

GOLF-004
ゴルフ練習場-004

 つまり相手を意識し過ぎて自分の本来持っている技や癖が出せないままプレイをして来た事に気付いたのだった。そう想い始めるとクラブも自分に合わないものを交換してみようという気にもなって三本替えたのだが、それが想いの他上手く行く事も分かってゴルフが楽しく成った。「何だ、そうだったのか、簡単なものだ」と自分の固定観念が解けた瞬間、球筋も良く成って、やっと自分なりのゴルフが出来るようになったと言う訳だ。しかし、もう年齢的には若くは無い。昔の様に一人でコンペに参加すると言う事も出来なくなった。そういう気力も馬力も無くなったのだ。無茶も出来なくなった。老人のゴルフとまでもは行かずとも若さでガンガン飛ばすだけのプレイでは無く、それでも中年グループと同等の飛距離も出せるだけに引けもとらない。これが自分流だというラインがやっと見え出したという処だ。

GOLF-005
ゴルフ練習場-005

 想えば長い間やって来たものだ。30歳から始めて今では68歳だ。途中10年ばかり中座していた分、内面的な勉強になって自分を見詰め直せる事が出来た様だ。この歳になってやっとゴルフが面白く自分で楽しめるように成った。昨年、庭の芝生を植え替え、10ヤード程のピッチング練習を毎日やっていると、クラブもボールも身体の一部になった様で想い通りの処に打てる様になった。子供時分からスポーツ万能選手で来たのが社会人に成ってからは全くと言って良い程、スポーツをやって来なかったが、やっとその弊害からも解き放たれ元に戻った気もする。自分で工夫する事も面白い様に出来、矢張り慣れが身体に馴染んだせいだと想われる。この頃の晩秋の肌寒い空気が、次回の月例会で今年は最後のグリーンに成りそうだ。何も無理をする事は無い。楽しめるギリギリの線で楽しめば良いのである。(つづく)

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