ココ の ブログ

冬枯れの頃(8)

冬枯れの頃(8)

 北朝鮮のドンが死んで極東アジアの国際情勢が大きく変化しようとしている中、年末も1週間ばかり残すだけとなって、来年こそはと希望して毎日ベートーベンの第9交響曲を聴いている。第4楽章の合唱の部分になれば同じ様にドイツ語で一緒に歌うのだ。飽きもせず何回も繰り返して聴き、歌っているといよいよ年末の気分に成って来る。耳を悪くしたベートーベンは、自分の作曲したばかりの9番目の交響曲の初演コンサートでタクトを振ったものの演奏が終わっても後の聴衆の熱狂的な拍手と声援が聴こえず、演奏が成功したのかどうか不安もあって振り返る事も出来ずにいた。それをアルトの女性歌手が想い余って彼をリードして聴衆に向けさせた事で初めて成功を知ったという逸話がある。音楽家にとって音が聴こえなく成った苦しみを察するに余りあるものの、実に感動的な場面である。

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 彼は音が聴こえなくなってからもフォークを咥え、ピアノに当てながら、その振動で音階を身体で感じて作曲に専念していたという有名な話もあって、その壮絶なまでの生き様を知るにつけ益々彼の執念とも言える生涯に敬意を払いたくなる。其処までして何かに没頭した事がボクにはあったろうかと忸怩たる想いにもなるのである。建築家にとって目が不自由になって見えなくなる事が、それに匹敵するのだろうが、ボクなんか五体満足で居ながら大した事もせず六十数年生きて来ているのを幸せとしなければ罰が当たるだろう。尤も、三年前に突発性難聴になって左耳が不自由になってしまったが、それでも半分は聴こえるまで回復したのだから良しとせねばならない。この歳になれば何かと身体に異変を感じるのも仕方の無い事だろう。後何年生きるか知らないが健康で在りたいものである。

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 これまで、自分の来し方の中で様々なタイプの経営者やリーダーと呼ばれる人々と出逢ったが、一流と言われながらもこれぞという人が存外居ない事を知るにつけ、人間というものは完璧な人というものが実は居ないのが本当ではないか、それが人間である証ではないかと想う様になったのも歳のせいだろうか。「そういうお前はどうなのだ?」と問われる迄も無く、ボクなんか俗物の小物に過ぎないのは分かっているが、それでも京都人だけに批判力だけは人一倍旺盛なのだ。これまで京都人の癖を何度も書いて来たが、京都人が日本人の代表の様な言い方をするのを快しとしない人も居るだろう。しかし、木曽義仲を信州の山猿だとか徳川家康を狸親父と看過し揶揄して来た京都の町衆の批判力も、あながち的を射ていただけに代表的日本人と見做しても良いだろう。

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 京都に千年の都が在っただけに伊達に時の権力者を批判して来ただけでは無い町衆の底力は馬鹿にならないものがある。日本三大祭りの祇園祭を観てもそれが言える。あの時代に今でも困難と言われるフランスのゴブラン織りを大量に発注し、輸入し、祭りの山車の飾りにした事や、明治期には琵琶湖から水路を曳いて(疏水)水力発電を日本で初めてインフラとして設け、電灯を灯し、電車を走らせた町衆の財力に感心するのである。東京遷都のせいで京都が寂れ、戦後は東京一極集中が加速され商都であった大阪までもが疲弊してしまった。東京はしかし、福島原発のメルトダウンで被爆都市になってしまった。人々はそれを薄々知りながらも半分は恐怖の中で生活をしているのである。大津波と原発事故で東北は半ば死の街と成り、過疎化を助長させ、関東もこれ以上の拡大は望めなくなってしまった。

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 政府のその後の対応が、まるで脳性麻痺に掛かってしまった様に何も出来ず、やる気も見られず凋落の一途を辿っている。唯、税金を上げる事しか頭に無く、町衆(国民)の底力を曳き出そうともせず、役人と政治家と財界人だけが日本国民の様に考え、一般大衆は税を納めるだけの奴隷の様に考えていると言われても仕方が無い状態なのである。国民の大多数は「そんな事を考える連中なぞ一列に並べて機関銃で撃ち殺してしまえ」と心では想っているのでは無いだろうか。それが本当に成れば革命である。フランス革命は市民から起きた。60年安保闘争は学生と市民から起き、天安門のデモは学生から起きた。アメリカの市民運動は政府の傲慢と失策に批判する動きである。世界各国で政府に批判する市民運動が広まっている。それをやっきになって鎮圧しようとする政府との対立は激化する一方だ。

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 来年こそは良い歳に成って欲しい、否、今よりも悪くならないで欲しいと人々は願う。その為にも我々はしっかりと政府を見張り、その嘘を見抜かねばならない。黙って居れば彼等を認めた事に成り、満足しているかの様に勝手に解釈されてしまう。何せ、国民は税金を払うだけの生き物としか考ない輩なのだ。インターネットなぞという代物が出来た為に余計な事をブログやツイッタ―で言いふらす連中が増えて困っているのが政府である。あの強権で知られる中国でさえも余りにも増え過ぎたインターネットに対応も出来ず、さりとて電波を管理するプロバイダーの閉鎖に追い込めば自分達が逆に追い込まれる事を知っているだけに二進も三進も行かなくなっているのが現状である。政府批判は国民の人間らしく生きる為の当然の権利であり義務でもある。それを代弁するマスコミが政府に媚を売る様では自分で自分の首を絞めている様なものである。民主主義の原点に戻さねばならない。

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