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冬の京都(5)

冬の京都(5)

 清水寺の参道として観光客で賑わう通りの一つに産寧阪(さんねいざか)という階段状の坂がある。友人がこの辺りに住んでいて今では年賀状のやり取りをする程度の付き合いだが、彼は独身時代に三人で一緒に設計事務所をやり掛けていた時の仲間で、模型作りがプロ級の腕前だった。今は建築の仕事から離れて埋蔵文化財の研究をしていて、毎日の犬の散歩に産寧阪を通っているそうである。わざわざ観光客の多い処を通らなくても良さそうなものだが、表通りは車の交通量が多くて危ないらしく、裏通りの方が安全で上り下りが適当な運動量になり格好の散歩コースになっているのだろう。以前はボクもよく此処を通って名物の七味唐辛子を買って帰ったものだった。しかし、地元の人間は観光客の多い処には余り行かないもので、ボクなんか京都を離れて36年になるから一種のお上りさん気分で居られるから気楽なものである。

京都(21)
京都(21) 清水(きよみず)の産寧阪風景。

 産寧阪を見て独身時代の友人と一緒にやりかけていた設計事務所の事を想い出した。もう一人は京大の大学院を出た優秀な男だったが、惜しいかな経営手腕が無い上に身勝手で、直ぐに切れて喧嘩をするので周りを困らせたものだった。半年ほど一緒にコンペの仕事を二つ三つやっただけで閉鎖してしまったが、コンペには一つ通ったから、その時の経験は無駄では無かった。そしてボクは彼と別れて海外へ修業に行く準備をしていた。ところが、運命の出会いと言うか、急に結婚をする事となり、新婚生活を安定させる為に大手の企業に就職し結婚したことは以前にも書いた通りである。そこで人生の選択肢が替わったのである。それが良かったのか悪かったのか分からないが、後悔はしていない。海外を建築修業して廻った日本の建築家は多いが、西欧建築のモノマネでは詰らないという気が働いたのもあった。

京都(22)
京都(22) 詩撰堂の雪。

 実際は、欧米の建築を通して西欧文化と西欧科学とを繋ぐキリスト教がベースに成っている思想を学び、建築の真髄についての哲学を学ぶべきだったのだろうが、その当時はそういう気も無く、考えも其処まで及ばず、単なる外面的な模倣では詰らないと想って居た程度だった。ところが、大学の恩師が趣味で手掛ける五重塔に興味を持ち、子供時分から触れ親しんで来た数寄屋にも関心が向き、道元の「正法眼蔵」を知り、利休の「茶の湯」を知るにつけ、自分の進むべき建築の道がおぼろげながら観えて来た事もあって、数寄屋建築の棟梁や寺院建築の棟梁とも交わる様に成り、ようやく建築家としての生き方が決まったのだった。だから結局は海外での建築修業はしなかったものの、同じ事を別の方法で国内でやれたと想って居る。要は、その気に成れば何処に居てもできるものだと言う事が分かったのだ。

京都(23)
京都(23) 大原寂光院の雪。

 ところで、友人に語学の堪能な男が居て、英、独、仏、中、朝の各国語を自由自在に操れ、ボクも大いに影響を受け、学生時代は海外の観光客相手に彼と一緒にボランティア案内した事があった。だから京都の寺社仏閣をよく廻った事もあり、四季折々の風景にも詳しいのだが、その中でも観光シーズンでは無い冬場の京都の方が印象が強いのは寒さで緊張していたからかも知れない。尤も、白人は日本人よりも寒さには慣れて居るせいか決して「寒い」という言葉は聴かなかった。京都育ちのボクなのに底冷えのする真冬なぞ身体の芯から冷えるので、出来る事なら年中、爽やかな秋の気候の土地で暮らしたいと想ったものだった。秋は快適な気候の割には短く、あっという間に過ぎ去ってしまう儚さとでも言うべき寂しさを伴って居てボクの最も理想とする季節だったから憧れも強かったのだ。それに似た春は逆に嫌いで、夏に向けて蒸し暑く成って行くのが嫌だった。

京都(24)
京都(24) 南禅寺の雪。

 それは、やがて来るあの夏のムッとむせ返る蒸し暑さを連想させ、本番とも成れば毎日が辟易とさせられるのだった。そのくせボクは6月生まれで、あのじけじけする気持ち悪い気候が嫌で仕方無かった。ひょっとして、その暑さから逃れたくて京都を出たのかも知れない。しかし、行く先々で暑さからは逃れられず、北海道にでも移り住むしか無いと想った事もあったのに、青年時代に工事監理をしていた現場のゼネコン監督から「この工事が終われば北海道で仕事をするのですが、一緒に行ってやりませんか?」と誘われた事があったのを断ってしまった。旅行でこそ一周した事のある土地だったが尻ごみをしてしまったのだ。そんな事ぐらいで怖気づく様では海外へ建築修業に行けないのではないかと危惧したものだったが、欧米人を観光案内している頃は真剣に行きたいと願って居たのだった。

京都(25) 冬枯れの桂離宮。.
京都(25) 冬枯れの桂離宮。

 振り返ってみれば、ボクは進取の気概を持ち、常に新しい事を言いながらも案外保守的で臆病者だったのかもしれないと想う。京都の冬を様々な経験で彩った青年時代の事柄や大阪や東京に出て仕事をして来た事柄も全部狭い日本での井の中の蛙でしか無かった。幾ら英語やドイツ語、フランス語を話せても、いざ現地で仕事をするとなると単なる観光旅行の様な訳には行かない事は百も承知だったし、その為の覚悟もし準備もした筈だったのに結局は観光旅行でしか実現しなかった。反対に、大阪事務所の共同経営者であるデザイナーなぞは、マンハッタンのセントラルパーク横にマンションを所有し仕事もして来た実績があるのに、其処では日本国内の仕事ばかりをしていたという。夫々に思惑があったにも拘わらず違う行為になってしまった事を皮肉っぽく笑うよりも、何処で何をしようと考える事は同じ筈であると言える。それなら京都や大阪であろうが、東京やN.Y.であろうが何処ででも同じなのだと自分に言い聞かせ仕事をしても良い。冬の京都を想い浮かべながらそう考えたりする。(つづく)

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