21~25




 陶器というのは割れて捨てられてしまっても窯跡から、あるいは住居の跡や井戸や港や川底などからそのまま出てくることがしばしばあります。作られた当初はその時々の生活用具として作られた器の類がそういう意味では簡単に時代を越えてメッセージを伝えてくれるのは不思議なものだという気がします。
 関西でも淀川からは当時の渡し舟で使われたと言われるくらわんかの類が今もしばしば発見されるようですし、いつだったか大水の後でかなり大きな須恵器の壺が見つかってニュースになったことも覚えています。以前に小鹿田の窯へ行ったときもいつの時代のものかは知りませんが川底に石に混ざっていくつもの陶片が沈んでいるのを見て、こういうのもいつか誰かが大切に拾い上げるのだろうなという気がしたものです。
 写真はやはり縁あってイギリスから届けてもらったロンドンのテムズ川で見付けたというスリップウェアの陶片です。 先日のもの よりもさらに厚手に作られたこれも素敵なもの。やはり大きな角鉢の一部ではないかと思われます。紋様やかたちはよく見る典型的なものですがこれにはこの手のスリップウェアとしては非常に例外的なことに外側の下半分くらいまで釉薬が掛けられています。発掘もののの中には今では伝世された品には見当たらない思い掛けないような多様なものがまま見受けられますが、逆に言えば数百年後まで無事姿を残す場合がむしろ極一部の例外なのだとも言えるのです。それにしても実際に手にして感じることは「スリップウェアとはオーブンに入れて鍋のようにも使った低火度釉のやきもの」ということからイメージするよりはよほどしっかり焼締まったわりあい堅くて頑丈な陶器であるということです。
 こういう小さなかけらからでも十分に全体を想像して楽しむことが出来ます。佛教美術などの場合はたとえばすでに失われた佛像の手だけとかあるいは蓮台の一部とか、紺の紙に金泥で写経されたもののほんの数行の断簡とかそういうもので全体を想いその時代の空気を感じるような観賞は極あたりまえの態度ですが、いまだにやきもののコレクターは小さな傷やひびの無い完全品ばかりを尊ぶような傾向も無きにしもあらずです。しかし古器を楽しむ場合に完全であることがどれ程大切だろうかとはいつも思います。もちろん今ある姿を次代に伝えることは大切なことであるのは言うまでもないとしても、割れたり傷のあるものはそういう時代を経た姿をそのままで楽しめばいいし、また万一壊してしまった時には日本には漆継ぎなどの素晴らしい伝統的な修理方法があります。壊れすぎて生活の中で使いにくくなったものはもう十分働いてきたものとして後はただ手に取り眺めて楽しむというような観賞の用に棚上げしてよいのだと思っています。時代を経てすでにあまりに貴重になってしまったものはやはり特に大切に守るべきもので、時折気を付けて使うのはいいとしても気楽な普段使いには向かないかもしれません。日常の暮らし、特にリラックスすべき食の関連であまり気を張らねばならないのは好ましくないような気がするのです。
(07.10.19)


22.


 これらもまた この前のもの と同じくロンドンのテムズ川で発見されたやきもののかけらです。こういうスリップウェアがスタッフォードシャーの窯場で作られたのはおおよそ200年程前のことですから、それがロンドンの街に運ばれて使われ、やがて壊れて川に投げ捨てられたのもやはり相当の昔のことでしょうからすでに大きなものはありませんが、それでもこれだけのまとまった数のものが手元にあるというのは陶工としては本当に素晴しい恵みなのです。
 これらはひとつの器が壊れたというものではなく、色も分厚さも紋様のタッチも様々なのでほとんどは別々の器の一部に違いないことと思います。かけらとはいえ個人としてこんなに沢山のスリップウェアを持っているひとはほとんどいないんじゃないかという気がします。一点の完全な器から学ぶことは確かに多いのですが、同時に多数のものを見てこそ見えてくることも少なくありません。器は壊れても美は壊れていないし、それにこのうつくしさは小さなものではありません。陶器とは文字通りその素材を表す陶とかたちを表す器との結合ですが、姿を残した鉢や皿などの完器以上にこの陶の側をより直接感じることが出来るのがかたちをすでに失ったかけらではないかとも思います。こういう意味でもスリップウェアに想いを込める陶工にとってはこの小さなかけらのひとつひとつが夢のようにうつくしい宝石のように想われます。
 これらを見ていて気付くことは焼き上がりの釉の調子や色も、また描かれた線の調子も、フェザーコームの繊細なものや大らかなものなどそれぞれでありそれぞれがそれぞれにうつくしいということです。近代の作家意識の仕事はついつい非常に小さな的を射抜くような心持ちになりがちですが、これとは逆にこのようなある種おおらかな仕事にはどう転んでもうつくしいというようなこのような場合がしばしばあるようで、こういう仕事がそのような結果を獲得していることの背後には何か学ぶべき有り様がひそんでいるように想います。
 また今まで日本で知られているものにはわりあい大きなサイズの丸型や角を丸めた角型の鉢が多く、また紋様としては黒い地の部分に黄色い線で大胆な抽象紋を描いたものと縞物はほぼ半々くらいかという印象がありました。しかしたまたま拾い集められたこれらのかけらの示すところではその厚さやカーブから想像すれば案外小さい器が多そうなのと、抽象紋のものがひとつも無く、全ては静かな縞を基調としたものばかりであることが印象的です。このことから考えられるのはあるいは器の消費地としてのロンドンの地域的特徴である可能性もなくはないと思いますが、むしろ抽象紋のものはもともと生産数が少なく大多数は縞のものが好んで作られたのではないかと考えたほうが自然かという気がします。
 またこの内のひとつ(中央の大きめのもの)はリムの付いた浅めの皿のようでこれも 先日の外側にまで施釉されたもの と同じく型成型のスリップウェアとしては非常に珍しいかたちではないかと思います。


 さて、ここでこの素晴しくそして貴重な蒐集がはたしてどういう訳で実現し得たのかということを書き留めておかねばなりません。考えてみれば数百年も昔にイギリスの窯で作られ、当時のロンドンの人たちの暮らしの中で使われやがて壊れて捨てられたそのかけらが今はぼくの手元にあるということはいかにも不思議なことだと想われます。それは英国に住むChatenay夫妻との思い掛けない不思議な御縁と特別な御厚意のおかげなのです。 
 この前のものを送って頂いていただいたのは自分にはもはや習慣になっている「スリップウェア」や「slipware」の語句でのインターネット検索の収穫でしたが、これに大変満足しあんまり感激したものでお礼のメールを書きました。そこには20年も前にイギリスの古いスリップウェアを見て陶工になったというようなことや、このかけらが長年スリップウェアに熱をあげているぼくをどれほど歓ばせたかということや、まだまだ探せば他に見付かりはしないかと、そしてこういう素晴しいものをぜひとももっともっと探して下さいというふうなことをそれはちゃんと伝わったかどうかはわかりませんが拙い英文で書いたのです。それはただこちらの気持ちを伝えればよかっただけなのですが、それに対して思い掛けないことにまだいろいろ拾ったものがあるので興味があるようならば差し上げますというふうな大変好意的な返事をいただいたのです。まだ他にもあるということにもですがそれ以上にこの親切な申し出はぼくを大変驚かせまた歓ばせたのは言うまでもありません。会ったことも無い外国の方に対してあんまり厚かましいのも気が引けはしたのですが、届いた写真はあまりにも素晴しく、これを差し上げると言われれてしまえば断ることなど出来るはずもなくとうとう送って頂くことになりました。
 聞けば古いものがお好きなようでスリップウェアばかりではなく他のものも大切に集めておられるということで、遠い国にも自分と同じふうな方がおられると嬉しくなりました。先方もきっと東洋の島国でスリップウェアなどに熱をあげている人がいるということに興味を持って下さったのかと思ったのですが、何度かのメールのやりとりの後でいつも返事が遅いのは英語を書くのにてこずっているのだということを書いたところ、氏の奥さんが日本の方であるということや船乗りであったおじいさんが1920年代に(それはくしくも濱田庄司によって初めてスリップウェアが日本に運ばれたちょうどその頃のことなのですが)日本に来られたことがあるというふうなことを知りました。氏自身も何度も日本には来られたとのことで、氏と日本との間にはすでに結ばれた深い御縁があった訳です。
 そういうことで最初は拙い英語で時間をかけてメールを書いていたものの、それならばと面倒な内容は奥様に通訳をお願いして日本語ですませているのも申し訳ないのですが、外国語で用件のみを最小限に記したメールだけだったらこのようなお付き合いにはならなかったかもしれないとは思っています。この御夫妻の御厚意なくしてこのような貴重な資料が日本に来ることは考えられなかったことで本当にありがたいことと感謝しています。長く大切に保存して時間をかけてじっくり学び、受け取りたいと思っています。

 御夫妻からは今回紹介したスリップウェアばかりではなく他にも様々な美しく興味深いものを頂戴したのですがそれらについてはまた何かの機会に紹介出来ればと思っています。また折りをみてスリップウェアのかけらを探してみますとは書いて下さっていましたが、ありがたいことに先日もまた多数の陶片を見付けてさっそく送り届けて下さいました。そのうちひとつは薄手に作られた外側が細めの縞物で内側にも黄色い釉薬が掛けられたおそらく小さなカップかなにかと思われるものでした。他のものもそれぞれが多様な調子のうつくしいものでした。非常に違うというものではないのでここには出しませんが資料はさらに充実したものとなりました。重ね重ねありがたいことです。
(07.12.8)


23.
SLIPWARE

 スリップウェアについての素晴らしい図録が出版されたのでお知らせします。これはまだあまり日本ではその出版を知られていないのではないでしょうか。
 『 Slipware in the collection of The Potteries Museum & Art Gallery 』というタイトルの本でこれはイギリスの代表的なやきものの産地であるストークオントレントにある The Potteries Museum & Art Gallery の図録です。この博物館については 「スリップウェア物語 9」 で紹介した『芸術新潮』にも記事がありましたが、たくさんのスリップウェアを収蔵していることで有名です。この博物館のスリップウェアをまとめた大変素晴らしい図録が本書です。
 先年の日本での大規模な展覧会の折りに「スリップ・ウェア図録刊行委員会」によってに刊行された日本人の眼が選んだスリップウェアの決定版とも言うべき『英国のスリップウェア』と並んで、これは英国側での決定版と言ってよいような素晴らしい図録で、今まで日本ではあまり紹介されることもなかった種類のスリップウェアの数々などを含むより幅広いスリップウェアの全体像を知ることが出来ます。
ロンドン博物館 のサイト(スリップウェア物語19 参照)は発掘された資料についてその産地などなかなか興味深いものでしたが、ぼくはまだ写真を見るばかりで読めていないものの本書にもまた現地の博物館ならではの興味深い研究成果が反映されていることと思います。少しづつでも学んで行きたいと思っています。
 先に述べた『英国のスリップウェア』も限定出版につきすでに稀覯本となってしまった今、より手軽なかたちでもスリップウェアについての一冊が望まれますが、本図録は洋書とは言えネットを通じて簡単に手に入りますから最善の資料として広くお薦め出来るものです。

 考えてみればスリップウェアについての文献資料の一覧は未だ纏められていないように思うので自分には不相応な役割で完全なものは望めませんが少しづつ纏めてゆきたいと思います。
(08.2.18)


24.



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