全776件 (776件中 1-50件目)
キータンの姪のものです。皆さん、いつもこのブログを見てくださってありがとうございます。1月28日、叔父が急逝いたしました。一昨年の10月に病気が見つかって、叔父から「もし自分に何かあったら君がこのブログを閉じてね。」と言われたとき、「そんなめんどくさいこと嫌だよ。だから、死なないでね」と憎まれ口をたたいた部屋でこのメッセージを書き込んでいます。そのとき叔父は困ったように笑っていましたが、ついこの間のことのように感じます。短い人生だったかもしれませんが、素晴らしい人達と出会い、愛することを沢山見つけ、おいしいお酒を呑み、おいしいお蕎麦をいただき、素晴らしい映画を沢山見て、姪の目から見てもうらやましくなるような人生を駆け抜けていったと思います。また、闘病中3ヶ月ほどウソのように元気になった時期があり、その間叔父は愛する人たちと会い、大好きな由布院に行き、自分の人生を見つめ直す時間を持つこともできました。最後は自分の言葉を発することが困難になりましたが、優しいスタッフさんのたくさんいる病院で大好きな人たちと一緒に、好きな音楽を沢山聴いて、静かな穏やかな時間をたくさん持つこともできました。これも皆様のおかげだと思っております。本当にありがとうございました。なお、このブログは3月31日を持ちまして閉じさせていただこうと思っております。長らくのご愛読ありがとうございました。
2009.02.07
コメント(34)
最近、東京へ行っていない。東京に行っていない。蕎麦屋に行ってない。寄席に行っていない。大分の蕎麦屋に行くのだが、東京の蕎麦屋のようにいかない。あの東京の蕎麦屋に漂う粋な雰囲気が感じられない。蕎麦を戴く前に、お酒を呑める気持ちがしない。それになにより、寄席に行けない。落語を聞けない。落語を聞きながらお酒を呑めない。蕎麦屋で、寄席で、楽しむことが……ああ。「大阪では駄目なんだろうか。大阪の落語では駄目なんだろうか」冬空を眺めながら、そんなことを考え悩んだ。春になったら、京都に桜を眺めに行こうと思ったからだ……。大阪、関西の落語家が話していたことを思い出した。「お江戸の落語といいまいと、お江戸のお客様は 落語家の所作とか着付けの粋を楽しみますな。 だから笑いだけでない、なにか違うところがあるんですわ」ふむふむ。それでは関西の落語は?「関西は、関西のお客様は笑わしてくれ、とにかく笑わしてくれ。 うん、ただそれだけですわ。それも難しいのですがね」ふむふむ、お江戸の落語、関西の落語、そうなのか。ああ、ますます東京に、東京の寄席に行きたくなった。神田の蕎麦屋に行きたくなった。寄席、落語、蕎麦……ああと叫んで、おっとと私が病人ということを思い出した。病院に通って、早くに病気を治すのが、まず、肝要だ。ああ。
2008.02.17
コメント(16)
「手足がしびれる。身体がおかしい」母が身体の変調を訴える。病院に行くと言う。最近の母のよく見せる行動だ。近くの病院に行く。病院のロビーに入って、いつも驚く。お年寄りのなんと多いことか。そして……ロビーの騒々しいこと、年寄りの社交場のようだべえ。「雪が降りよん中、よく病院に来たんな」「雪が降りよったかいのう。気がつかんかったわい」「何を言うかい。今降りよんじゃねえかい」「雪が降りよるか、雨が降りよるか、気にならんなったわい」ふむふむ、病院のロビーにはユニークな話が飛び交っているわい。「おいおい、そんコートはわしんや。人のを持って行くと泥棒や」「おっとと、失礼、間違うたわい。うん、泥棒やったらもっといいもん持って行くわい」「あんた若いな。八十過ぎに見えんわい」「七十一じゃ」「そりゃ失礼、ワシは九十じゃ、いくつに見える」「……?!?!」「昼ご飯、何を食べるかって?」「そう、あんたが何を食べるか尋ねているの」「尋ねて、どうするんや」「ワシもそれと同じもんにしようと思うや」「それじゃ教えられん」うん、メモ、メモ、メモしている暇がないほど面白い。ああ。母の病気はどうだったかって……。雪が降って急に寒くなったから母の身体がびっくりしたらしい。「漢方の安定剤を出しておきますからね」先生が苦笑いをしながら母と私を見送ってくれた。ふふふ、それで、母の手足のしびれは治ったようだ。うん、先生は魔術師のようなものだ。そう、雪の朝のひとつの騒動だった。うん、また来週かな?!?うん、私が入院している時は、母は元気そのものだったのに私が退院するといなや、病院に行く、行きたいと訴えるようになった。病院に行きたい。老人の癖というか習慣らしい。私が入院している。そちらに気が回って、自分の病気を忘れていたようだ。私の入院が最良の治療薬だったらしい。ふふふ。
2008.02.13
コメント(14)
夜、散歩に出た。静かだ。空を見上げた。暗かった。西の空に月がひそかに浮いていた。下弦の月だ。私は、実は「低い齢の月」が好きだ。低い齢の月、これから次第に大きく成長していく。そう、可能性を秘めた月だ。うん、今夜の月は「四夜の月」らしい。四夜の月は、満月や十五夜のように明るくはない。西の空にぼんやりと消えそうな弧を描いていた。これから日に日に大きくなる。そう、花が開くようにね。耳元に入れたイヤフォーンからは中島みゆきが聞こえる。冬の空に浮かぶ四夜の月、中島みゆきの歌声。私は歩調を緩めた。緩めて立ち止まり、月を眺めた。「梅が咲いているよ。庭の梅が少しだけ咲いているよ」今朝、母の呼ぶ声で庭を見た。四、五輪ぐらいだろう梅の蕾がそっと咲きほころびかけていた。「梅が咲いた。今年も春が来る」私はそっとつぶやいた。夜、散歩をようやくに終えて、庭に佇んだ。四夜の月、二分咲きの梅、病気治療中の私。「これから、みんな良くなっていくんだ」なんと子供じみたことを考えているんだ。私は微笑んだ。耳元からは中島みゆきの歌声が響いていた。 ♪行き先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢 はるか後ろを照らすのは あどけない夢 ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
2008.02.11
コメント(10)
病院に入院していると何もすることがない。寝ているか、本を読んでいるか、治療をする。後はぼんやりとするだけだ。ぼんやりとする。いろいろなことを考える。いろいろなこと……やけに幼い頃が思い出される。幼い頃は病気になると少し嬉しかった。うん、学校を休めるということもあったが病人になると、家族がやけに暖かく見守ってくれる。ふふふ、病人ということで特別待遇してくれる。そうそう、リンゴなどはわざわざ摺ってさじで食べさせてくれた。うん、スプーンではないさじである。そう、みなさんは「吸い飲み」というものをご存じだろうか。病人になると、こ吸い飲みで水を牛乳を飲ませてくれた。そうなのだ。寝ていてもこぼさずに飲めるすぐれものだ。 我が家の食器棚の端っこにいつも置いてあった。「病気になったらあれで飲ませてもらえる」そのガラス製の器というか器具を、私は羨望の目なざしで見つめた。ガラス製である。体力の弱っている病人のための器具だ。先端を割る恐れがあるということで、。ゴム製の補助ホルダーが付いていた。チューチュー、吸い飲みを使うと、不思議に病人の気持ちになった。チューチュー、吸い飲みで飲むと、不思議に牛乳もおいしくなった。チューチュー、吸い飲みで薬と水を飲むと、不思議に早く治る気がした。病院のベッドの上で、私はひたすらに「吸い飲み」を考えていた。「ハイッ、お薬の時間ですよ」看護婦さんが病室に入ってきた。「看護婦さん、吸い飲みで飲ませて欲しい」そう言いかけて、私は窓の外を見つめた。碧い空に白い雲が浮いていた。幼い頃の風景が広がっていた。
2008.02.07
コメント(12)
落語家の話を聞いたことがある。扇子一本を箸に見立てて食事のシーンを演じることがある。その際、うどんと蕎麦では、食べ様が違うらしい。手にどんぶりを持ったようにして、扇子を箸としてうどんを啜る。音は大きくすればするほど客には受けるらしい。箸はどんぶりの中をまさぐり麺を捉えてズルズルスーッとすすり上げる。そしてね、うどんの場合、箸は口元でピタリと止める。それが蕎麦の場合は違うらしい。箸はどんぶりの中をまさぐり麺を捉えてズルズルスーッとすすり上げる。ここまでは、うどんと同じだ。ただね、箸は口元を通り過ぎて、目や額で止める。そう、蕎麦はうどんと違って勢いがあるということらしい。うどんのように途中で歯でかみ切ってはいけない。スルスルズーッと勢いをつけて、蕎麦は食べないといけない。それが落語家の素振りにも出ているということだ。なるほどと思って、うどんを食べるしぐさをしてみる。ズルズルズルーッ、ゆっくりと、うん、箸は口元から離れない。蕎麦はどうだろう。ふむふむ、途中から箸が麺から離れる。オーウッ、箸が目元に来ていた。ふむふむ、落語家、恐るべしだ。明日の昼食は、蕎麦にしようかな。
2008.02.05
コメント(8)
「なにかいいことない?」昔、幼い頃、友からよく尋ねられたものだ。「うん、なにもないよ」「なにもない。つまんないの」そう、なにもない会話だった。でも、大人になった今、私はしみじみと思う。「なにもない」そう、それが非常に嬉しい。それがほっとする。幼い頃、若い頃は、何かが起こらなければつまらなかった。なにかが起これば、次になにかが起きる。なにかが起きる。変化がある。刺激がある。それが嬉しかった。それに胸をときめかせたものだ。そして今……なにもないことにホッとする。そして今……昨日と変わらない日々に気持ちが落ち着く。そして今……季節の変化だけに心がときめく。「なんにもない。つまんないの」そう言って、口をとんがらしたアイツはいない。十年前に亡くなった。通勤途中の大阪駅前で倒れた。アイツの口まねをしてつぶやいてみる。「なんにもない。つまんないの」うん、なんにもない。風邪もひかずに、おなかも壊さずに健康だ。そう、朝ご飯がおいしいかった。そう、昼ご飯がおいしかった。そう、夕ご飯が待ち遠しい。アイツにぼそっとつぶやく。「うん、なにもないけれど、それなりに幸せだよ」今日は立春、春が近づいている。
2008.02.04
コメント(10)
朝から雨が降っている。庭の栴檀の木に雀がとまっている。枯れ実をつついている。濡れながらつついている。栴檀の実、苦いはずだ。おそらくつついて遊んでいるのだろう。ふふふ、雨に中、遊んでいる。そんな光景をぼんやりと眺めながら好きな音楽を聴いている。「幸せ」という言葉を思い浮かべる。先週は、「快気祝い」を沢山してもらった。「まだ通院治療中なので……快気とは、まだまだ……」そう断っている。「通院治療などどうでもいい。 とりあえずの快気祝いをやりましようぜ」そんな乱暴に誘ってくれる方もいる。「刺身や握りなどの生ものは食べてはいけません」私はそうお願いしている。「ハイハイ、お酒はいいのでしょう。 呑める、食べられる、語れる、笑える、それで十分です」そう言って、私のために焼酎のお湯割りをつくってくれる。ふふふ、焼酎のお湯割り、ゲエッ、お湯のような焼酎のお湯割り。私の身体を考えてお湯を多く入れてくれている。その気配りにありがく思い、そのお湯そのものの焼酎を呑む。ありがたい。そう思いながら、気持ちは濃い焼酎に向いている。ああ。病気をして、健康であることの幸せを知り、病気をして、大勢の方たちの温かい気持ちを知らされる。窓から雨の光景を見ながら、健康であることを感じる。さあ、今日は何を食べようか。うん、なぜかギョーウザが浮かんだ。なぜ?どうして?ああ?
2008.02.02
コメント(18)
「お酒を呑んでもいいのでしょう?」私は退院する時にたずねた台詞をまた言った。「呑んでもいい」と退院する時に、先生は言ったはずだ。「う~ん」エッ、血液検査の検査結果報告書を見ながら、先生がうめいている。まさか酒が呑めないと言おうと悩んでいるのではあるまいか。「エッ、お酒は駄目なのですか?」私はあわてて確認した。「いいや、お酒を呑んではいけないとは言ってはいません。ただ……」先生は苦笑いをしながら血液検査報告書を見せてくれた。「γ-GTP、血糖値、中性脂肪、すべて良好です。、木谷さんは入院して生活習慣病がすべて治っているということです。お酒を控えて塩分控えめな食事した結果がこうなったということを自覚してください」先生は微笑みながら言った。「お酒は呑んではいけないということですか?」私は同じ質問をした。「ふふふ」先生は含み笑いをして検査報告書を差し出した。「退院する時にも言いましたが、お酒はほどほどに呑んでも結構です。 ただ、この血液検査の結果を見て、健康をいつも考えてくださいな」そういうことで、私の手元に血液検査結果報告書が、今、手元にある。それを眺めながら、今夜、お酒を呑もうかどうか悩んでいる。明日から二月、春が一歩一歩と近づいている。今年の春の花ほど、私の気持ちを華やかにするものはないだろう。長期入院して、退院しての、春なのだから……。今夜はお酒は呑むまい。うん、やがて来る春を思って寝ることにしよう。うん、おそらくお酒を呑む夢を見るのだろうな。ああ。
2008.01.31
コメント(12)
「今日の夕方の六時五十六分より三分間、外へ出てください。 南西から北に向かってかなり大きな星のようなものが走りますよ。 スーッと走ってサーッと消えます。それがスペースシャトルです」夕方、友人よりそのような電話が入った。そういえば、同じ友人から去年の秋にもそのような電話が入った。電話の指示に従って、私は外に出て夜空を見上げた。秋の空に星が浮かんでいた。こんなに星が見えるんだ。ひとりで驚いた。やがて、西の空に、突然に、スーッと灯りが現れた。そうだね。飛行機の夜間灯のような感じだった。思ったよりもゆっくりと夜空を横切って、北に空にサーッと消えた。あの灯りのもと、三人の宇宙飛行士が乗船している。そう思うと、宇宙のロマンがかきたてられた。なにか胸がドキドキしたことを、今でもはっきりと覚えている。「スペースシャトルが、大分の上空を通るとよくわかったね」友人に話をすると、宇宙に関係する連中の間では常識らしい。スペースシャトルなどが今どこを走っているのを推計するらしい。ふむふむ。大分、私の家付近の上空で見られるのは、年に数回らしい。何度も通るのだが、昼間とか早朝とかで見られないこともある。うん、私とスペースシャトルの遭遇、そう考えると胸がときめく。大分で、この時間、スペースシャトルを見たのは、私だけかもしれない。うん、奇跡というより、なにか神のご加護がありそうな……ふふふ。秋の夜空を見上げて、ひとつの灯りに、私は感動した。えっ、今夜はどうだったかって……言わなくてはいけないのかな。うん、曇りで、全然見えなかったよ。ああ。寒かったな。だからこそ、秋の日のあの一瞬がとてつもなく愛おしく思えてくる。こんな私は少しおかしいのかな。男のロマンというものは、そんなものかもしれないと、私は理解している。ああ、それにしても男のロマンを感じるのは寒かったね。ああ。
2008.01.29
コメント(14)
ふふふ、おいしくて有名なトンカツ屋には行かなかったよ。健康な時、月に一度は通ったトンカツ屋には、私は行かなかった。普段は行かない研究室近くのトンカツ屋に行ったのだ。油を何回も繰り返し使っている。豚肉も悪いのを使っている。それにやけにコロモが多くて、固いトンカツ屋として知られている店だ。そう、入院している時に、私はなじみのトンカツ屋を思わなかった。去年の秋、なじみの店が休みなので仕方なく、私はそのトンカツ屋に一度行ったことがある。そうそう、このブログでも紹介したあのお店だ。その時に、味わった昔風のトンカツの味が忘れられなかった。ねえ、水飴にしても、そうでしょう。デパートの食品売り場の水飴よりも紙芝居屋のおじさんが売ってくれた砂埃の中の水飴が恋しい。変に不衛生で、変に固くて、変に甘い、そんな水飴が懐かしい。そんな想いで、私は評判の悪いトンカツ屋に行った。店の中は若者でにぎわっていた。トンカツ定食、630円、大盛りのご飯とキャベツ、肉が固くても、コロモだらけでも、大型のトンカツだ。若者は腹を満たしたい。健康な身体がそれを求めている。座って、注文すると、すぐに運ばれてきた。どんぶりに入ったご飯、味噌汁、たくあん、そしてトンカツ。食べる。固い、コロモが痛い、味噌汁は塩辛い、ご飯はパサパサしている。ふふふ、若者と一緒のものを食べている。それが嬉しい。週刊誌を見ながら、スポーツ新聞を見ながら、若者達は食べている。喰っている。みんな元気で健康だ。いい。若いということは、それだけで価値がある。固いトンカツを食べながら、唇が切れるのではないかと注意をした。「薬を飲んでいる時に、口内炎になったら大変ですからね」看護婦さんから注意されたことを思い出して苦笑いをした。うん、病人ということを忘れていなかったようだ。ふふふ。店を出た。ラーメンを食べた。トンカツを喰った。想いのいくつかは果たした。そうだね、後は中華丼かな、そう思いながら、あることに気づいた。「そうだな。夢を今一度見つけて、夢を食べなくてはね。 そうだんべえ、夢をもう一度見るのもいいかもしれない」冬の冷たい雨が降り続けるトンカツを食べた後の昼下がりだった。
2008.01.28
コメント(9)
退院して、このブログを再開する時、私は格好良く始めようと思った。「やあ、お元気!みんな、夢を持っているかい」うん、少し恥ずかしい台詞だ。そうだべえ。六十歳になっている私だ。もう少し落ち着いて、ブログを再開したいものだ。ふむふむ。病室のベッドで悩み考えた。考え考え抜いた。治療を受けながら、退院してのブログを考えている。うん、この私、やはりどこか変なおかしい人間なのだ。私は病気よりも私の性格に悩んだ。ああ。一ヶ月も入院したのだから、みんなの同情を得るべきだ。同情を得て。優しさを得て、ふふふ、甘えてもいいのかもしれないな。おっとと、そんなことを考えている自分に驚いた。うん、考えてみれば、病室では他に考えることがない。朝、起きて、血圧、体温、脈拍などの検査、そして朝食だ。そう、この朝食はじめ食事には、病気によりいろいろな制限がある。制限を知って、おのれの病気を自覚する。自覚しながら、退院したら、「これを食べたい。絶対に食べたい」と思うのだ。何を思ったっかって……ふふふ。そうだね、ラーメン、トンカツ、中華丼、この三つなのだ。病院の食事には絶対に出てこないものだ。ふふふ、ステーキや大トロのにぎりなどを思い浮かべればいいのになぜかラーメン、トンカツ、中華丼なのだ。私自身の人生がわかるような選択だ。そう、私の人生を考えた究極の選択の食事。そう、退院して、その日、私はラーメンをまず食べた。ふふふ、おいしかったというより、味がわからなかったね。そういうものらしい。うん、久しぶりに食べるものは味がわからないらしい。問題は翌日のことだ。ふふふ、トンカツ屋に、私は入った。うん、その話は、また明日ね。てへへへ。
2008.01.27
コメント(10)
今年の冬が静かに冷え冷えとした空気を漂わせています。今年の冬が何もなかったように佇んでいます。今年の冬が私の気持ちと関係なく過ぎていきます。去年の年末、今年の年始、私は病院で過ごしました。クリスマス、大晦日、正月など、一年の主な行事の中で、私は病気の治療に専念しました。「生きるか死ぬか」私は、入院当時、悩み苦しみました。病気が病気であったがために、それは深刻なものでした。「頑張るしかないのよ。治ることを信じるのよ」大勢の人から励まされました。ありがたいことだと思いながら、ただ深く感謝するだけでした。「後は通院治療で完全治癒まで頑張りましょう」医者から言われて、病院を後にしました。そして今……このブログを打っているということです。「生きている」「生かされている」そのことを実感しています。ブログを打てる喜びを味わっています。病室からいつも由布岳を眺めていました。自然はいいものだと思いました。人にどんなことがあっても、自然は四季折々の風景を見せてくれます。朝、昼、夕方と様々な姿を見せる自然は、弱気の私に生きる勇気を与えてくれました。そして……二ヶ月が過ぎました。約二が月ぶりのブログです。この大分の自然に囲まれて、ゆっくりと生きていこうと思います。相変わらずの拙いブログですが、よろしくお願いします。 なにも知らなかった日の あの素直さにかえりたい 一ぱいのお茶にも 手を合わせていただいた日の あの初めの日にかえりたい 坂村 真民
2008.01.26
コメント(17)
「キータンと私」を始めて、二年半が過ぎようとしています。ここらあたりで、少し休息をして、新しいブログを書きたいと思います。どのようなブログにするか、なかなか思い浮かびません。そこで、しばし、休息することにしました。何日、考えるのか、ふふふ、考えても同じ頭なんですがね。 今、あれやこれやと忙しいのです。そこで中途半端に続けるよりも、新しい年からまた頑張りたいと思います。突然の休止で驚きの方もいる人もいるでしょう。エッ、いない、うん、まあ、それならばそれで良しです。少しゆっくりとしようと思います。そうですね。ヒラヒラと落ちる葉っぱを一日中ゆっくり見ていたのです。ウヌッ、そんなにそんな生活を送ってみたいのです。ふふふ。六十歳、還暦です。人生ひとつの区切りなのかもしれません。これから、しばし、読書に専念しようと思います。そう、普段は読まない本を読もうと思います。そうですね。二十代の頃に読みたかったのに読まなかった本それらを静かに落ち着いて読みたいのです。 ふふふ、ブログに追われない日々をね。そこで、このひと月、パソコンに触れない決心をしました。みなさんのブログにも返事できない失礼を……ふふふ。あんたのコメントなんか気にしていないって……ああ。風邪がはやっております。お体を十分にご自愛下さい。以上簡単ですが、ブログ一時休止のお知らせまで。ブログ開始の時にはよろしくお願いします。テヘヘヘ。
2007.12.09
コメント(14)
「大分の人は鶏のから揚げが大好きなのですか?」京都のみちこ姉さんから問われた。問われたからには答えにゃなりませんだべえ。はっきり言って「好きっち」、毎日食べても「大丈夫っち」と答える。大分の県北の中津市には鶏の唐揚げ屋が無数とありフライドチキンが進出を諦めたという噂もある。「どうして大分の人は鳥肉が好きなんだべえ」と問われると「『とり天定食』があるけんな」と答える人が多いだろう。とり天定食、うん、そう「とり天定食」としか言えないっち。鶏肉にテンプラ粉をつけて油で揚げる。ただそれだけっち。テンプラ粉だけというところがミソっち。あっさりとしてるっち。二度揚げするとか、いろいろな蘊蓄を言う店があるけれど、要は、それを、アツアツのうちに喰うことっち。うん、キャベツの千切りは、これでもかってつけてるよね。テンプラつゆに和からしをたっぷりと入れてシーズンにはかぼすをつけることを忘れてはいないよね。後は味噌汁と漬け物と冷や奴ぐらい、それで「とり天定食」のできあがりっち。ふふふ、「とり天定食」が来たら、ムシャクシャと喰うべし。和からしをたっぷりつけ過ぎて辛くてもムシャクシャ。揚げたてで熱くてもムシャクシャ。そうするとね、昼から頑張られるということさ。大分の庶民の味方、「とり天定食」だね。うん、料金は普通は500円以下ね。それ以上は「とり天定食」とは言えないっち。県庁の食堂などは430円っち。泣かせるよね。ああ。「ところでなぜ大分には鶏料理が多いの?」おっと、鋭い質問をなさるね。うん、私見だけどね。「昔から、大分は、盆地、田畑が狭い、貧乏人が多かった。だから、牛肉、豚肉などを食べられなかったのさ。それで鶏肉で我慢したってことかな。とり天も本来ならトンカツを食べたかったんだよ」グスン、ああ泣けるね。今朝は雨模様の大分だわさ。うん、トンカツ定食が食べたくなったよね。ああ、精密検査の最終日、トンカツ定食が食べられるかどうか。おっととと、とり天定食の話だったわいな。ふふふふ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.07
コメント(14)
このファドのお店の話は、以前にしたことがあるべえ。そう、心が沈むと、なぜかこのアルファマ地区の話をしたくなるんだべえ。何百年も前から変わらない風景を残している地域、それがアルファマ地区なんだ。洗濯にしても、洗濯場という水があふれ出ている場でみんなで洗う。そうなんだべえ。洗濯機でないんだべえ。すべてが手荒いなんだべえ。女性の腕の太いこと。あの腕でバシッと叩かれたら、おとこの顔は……ああ。そういえば、アルファマではおなご衆の笑顔が見られおとこ衆の姿が見えなかったよな。そうそう、アルファマのファドの店の話だ。まずは、やけにやせた男が出て唄い始めた。ファドというとアマリア・ロドリゲスを思うからか、男が出て意外な気がしたべえ。航海に出た男性の無事を祈る歌、それがファドと考えていた。航海に出た男性が早く帰りたいという歌もあったのだ。ふふふ、そうだろうよ。それが歌というものなんだよな。男の唄う声にも哀しみが溢れている。「サウダーデ」ポルトガルの哀しみが感じられたべえ。二曲目、曲調が明るくなった。オット、ロングスカートの女性がふたり出てきて踊り始めた。回るとスカートがフロアーを掃く。白いゴミがパーアッと舞い立つ。ああ。先程の女性が後部の座席をとってくれた理由がわかったべえ。テヘヘヘ。次は、女性の歌手が登場した。アコーディオンを抱えた爺様が、やっと間に合ったという風情で背後に座った。ギター、ギター、アコーディオン、三人のバック演奏が揃った感じだ。ポルトガルギターが一分間ぐらいせつないソロを奏でる。女性が静かに唄い始めた。低く押し殺した声だ。もちろん意味などわからないべえ。でもねえ、哀しくなるんだべえ。旅に出ているというせつなさもあったんだべえ。うんにゃ、それだけでないんだべえ。なんと言ったらいいんだべえ。「生きている」そう、それがむやみに哀しく思えてくるんだべえ。哀しく哀しく思えてね、次にね、「哀しくても、生きていかなくちゃいかんべえ」そんな気持ちになってくるから不思議だ。ワインを呑みながら、ファドを聴きながら、ひとときが過ぎた。しばらく楽しみ、店をそっと出たんだべえ。暗い路地が続いていた。ファドの店が何軒かあるのだろう。あちらこちらから低く哀しくファドの響きが洩れていたんだべえ。「そうだよな。とにもかくにも生きてさえいれば、楽しいこともある」私は、自分なりの結論を見つけて、ゆらりゆらりと路地を歩いたべえ。それは冬間近の、遠い異国のアラファマという小さな街角だった。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.06
コメント(10)
旅に出る楽しみは地元の音楽を聴くことだ。最近、身体が弱って伏していると、旅をした時のことを思い出す。旅をした時のこと、そう、音楽とともに想い出が蘇ってくる。ヨーロッパの最西端のポルトガルを旅したことがある。リスボン・アラファマ地区、日本でいうと下町のようなところだ。裏町の風情が漂い、ベランダには洗濯物が揺れていた。驚いたのは七輪のようなものでイワシを焼いていたのを見た時だ。日本と同じ方法だ。家の表に七輪を出して、煙をもうもうとたてながら焼いている。日本では見かけなくなった風情が漂っていた。そうだよな、ヨーロッパでは見かけないアラファマだけの光景だったね。そのアラファマ地区も夜になると呑み屋街へと変わる。ふふふ、呑み屋街といっても、日本の繁華街とは違う。暗い街灯に照らされて石畳が鈍く輝く。やけに静かだ。そう、ネオンサインなどはない。人通りはまったくない。酔っぱらいの爺様など歩いていない。そう、静かだ。静かというより、沈黙が漂っている。そこを歩いて、観光マップに書かれた店らしき建物のドアを押す。そう看板もなければ客引きの姿もない。ないないづくしの呑み屋街だ。恐る恐る扉を開く。店の中も暗い。天井もやけに低い。ここでファドを聴きながら、料理を食べられるのだろうか。私は疑心暗鬼に落ちていた。奥の方から、肥えた女性が近付いてきた。「食事かい。ちょうど良かった。空いている席があるよ」ふふふ、店はがら空きのようだった。私は女性に案内してもらって店の奥の席に座った。「ここが一番いい席だよ。ゆっくりしてくんなまし」そんなことを言っているのだろう。私は何もわからなかった。ポートワインを頼もうと思ったが、昼間呑んでその強さに参っていた。赤ワインの落ち着いたものを頼んだ。驚いた。一本五百円程度だった。それもなかなかの味なのだ。食事をしながらワインを呑んでいると、店も半分が客で埋まった。先程の女性がステージに立った。おっと!司会もするらしい。ギターを持った男が調弦を始めた。ポルトガルギター特有の哀愁ある音色が店内に響いていた。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.05
コメント(6)
昔、そう二十年前の初冬の頃だ。初めての海外、ヨーロッパを旅したことがある。ひとり旅、一ヶ月、戸惑いの旅だった。寒かった。落ち葉、美しいというものではなかった。黒くどす汚れ、ジャンソンの「枯葉」など連想できなかった。空は灰色でどんよりと曇って、なにか暗い旅の日々が続いていた。そんな中、街角にストリートミュージシヤンが演奏していた。寒い風が吹く中、ひたすら演奏していた。若者が多い日本とは違い、老年の人や南米の人が多かった。バイオリンやギター、トランペット、フルートなどが演奏されていた。クラッシックやら映画音楽などが弾かれていた。テクニックかあればあるほどもの哀しく聞こえた。南米の人達は家族であろうか。軽快なサンバのリズムを奏でながら唄っていた。明るい歌なのであろうに、なぜかもの哀しく聞こえた。もの哀しく……その頃のヨーロッパでは格差社会が始まっていた。華やかなブランドものの店の陰に、そういう貧しさが隠されていた。物乞いの子供や老人、街のあちらこちらには落書きが書かれていた。ソ連の社会主義が崩壊しようとしていた。東西ドイツが合併した日に、私はドイツにやっと入った。ベルリンまで行きたかったのだが、フランス近くの田舎の駅のホームに佇んでいた。社会主義が崩壊して、資本主義になる。自由が来る。みんな、そう思っているのだろうか。八時頃、街の方向に花火が上がった。ホームにいた人達から歓声があがった。「おまえ、日本人か?」金髪の若者が話しかけてきた。私は頷いた。「俺、アメリカ人だ、自由バンザイだ」彼は大きく手を挙げた。私は手をあげることができなかった。資本主義、自由、果たして、それだけで幸せが来るのだろうか。初冬の見知らぬ駅で、私はぼんやりと考えていた。あれから年月が流れた。世界にもいろいろなことが起きている。みんな幸せになっているのだろうか。なぜか、そんなことを考えてしまう歳の瀬である。うん、酒を断っているせいか、暗い話題になってしまう。失礼。ああ。ああ、旅に出たいよな。旅に行って来た人の話を聞くと、より旅情がかきたてられる。ああ。 “旅に発つ 夢を抱きて 日々過ごす 沈む夕陽に 心揺さぶる 希 淡 ”人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.04
コメント(8)
「今晩の6時26分頃、スペースシャトルが大分でも見られるよ」夕方、兄から突然に電話があった。ふふふ、兄からの電話、珍しい。禁酒をしている私を励ますためなんだろうか。早めに夕食を終えて、大分川の土手を散歩した。師走の6時過ぎ、たっぷりと陽は暮れていた。風は吹いていなかった。なんとなく生温かかった。師走とは思えなかった。空は曇り模様だった。これでは見えないやと思っていたがちらほらと星は見えた。うん、雲の合間に見えるかな。私はぼんやりと空を見上げていた。そう、こんなに空を見上げるのは久し振りだ。昔はよく空を見上げたものだ。いつ頃からか、夜空を忘れていたような気がする。子供の頃は、夜空に憧れていたものな。身体が弱って禁酒をしてぼんやりとしていると空を見上げると、なんとなく元気になったような気持ちになる。時間は6時25分を過ぎた。空は暗いだけだ。やはり見えないのだろう。諦めようとした。すると、西の方から飛行機のような灯りですーっと走るものがある。飛行機ならエンジン音がするのだが、静にすーっと過ぎるだけだ。おお、あれがスペースシャトルなのか。高度200kmから600kmを保ちながら飛んでいる。おおーっ、突然に、気持ちが高揚してきた。あれが、あの中で、何人かの人達が過ごしている。そう思うと、なにか感動と尊敬の念が湧いてきた。そしてね、いつまでもぼんやりと見つめていた。すると何故か涙がこぼれてきた。あのスペースシャトルから見る地球、小さいのだろうな。その小さな中で、怒り、泣き、叫び、笑っている人がいる。それが「生きる」ということなんだろうな。そう偉そうに思っていると、光はスーッと消えた。小さな短い宇宙ショーは終わった。少しの元気をもらったような気がした歳の瀬だった。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.03
コメント(9)
師走、十二月、昔はなぜか浮き浮きしたものである。今はなんとなくせつない。街は以前よりも華やかになっている。建物や通りしはライトアップされ美しく彩られて街灯放送やオーロラビジョンからはムードある音楽が流れしかし、なんとなく心が明るくならない。どうしてなんだろう。街角に佇み、しばし考えてみた。昔は金がなかった。昔は仕事に追われていた。昔は疲れていた。でもね、なにかキラキラしてものがあった。そうだね、「憧れ」というか「希望」があったんだ。それらは小さな「夢」だったのかもしれないが将来に対して「期待」を持てて「祈る」ことができた。両親も元気だった。兄弟も元気だった。まわりには大勢の仲間がいた。遠くには便りを交わす友がいた。多くの元気と勇気をもらっていた。金では買えないなにか「ゆたかな」ものをもらっていた。私は街角に佇んでた。昨夜から街々はよりライトアップが激しくなっていた。私は戸惑いながら佇んでいた。「生きる」とは何だろう。そう思って、歩き始めた。風が吹いてきた。コートの襟を立てた。「どんなことがあっても生きていかなくちゃ」誰かの声がした。振り返った。誰もいなかった。六十、そう六十歳になっても戸惑っている。ふふふ、「だらしないよな」とつぶやきため息をもらしてしまったゴメンゴメン、弱気になってしまったよな。誰に言うともなくひとりごちると、街はずれの神社に寄った。誰もいない神社の境内にイチョウの葉っぱが次から次へと散っていた。そうだよな。このイチョウ、誰が見ていなくても散るんだ。毎年、美しく彩って静に散る、それを淡々とくり返すんだ。ふふふ、生きていくんだ。どんなことがあっても生きていくんだ。そう思うと、心が温かくなってきた。落ちてくるイチョウの葉にいつまでも顔をさらしていた。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.02
コメント(10)
驚いた。女性はせつない夢を見ないらしい。これは前々から、私は不思議に思っていた。「由布院の旅館に泊まるとよくせつない夢を見ます」由布院の女将さんにそんな話をしたことがある。「おかしなことをおっしゃる、ホホホホホ」女将さんは愉快そうに微笑んだ。「エッ、何を笑うのですか?」「だって、せつない夢を見るっていうからおかしくて」「せつない夢って見ませんか?」「せつない夢って見ませんよ」「エッ、せつない夢って見ないのですか?」そこから夢談義が始まった。私とみなさん、どうも見る夢の類が違うようだ。「楽しい夢」「怖い夢」「悲しい夢」そう、みなさんの夢、どうもこの三種類に分かれるらしい。せつないという中途半端な夢は見ないらしい。どうも夢というのは極端な場面のものしかないということだ。だから夢というらしい。ゲエッ、私のようなせつないおぼろげなものは「幻影」「うつつ」「ボケ」などというものらしい。ボケの症候の人達が追い求めるのが「せつないもの」らしい。ウソーーーオッ!!!私は叫んでしまいましたがな。いいですか。私の見たせつない夢のひとつ。畦道を一生懸命走っている少年がいる。それをよく見ると幼い時の私だ。どうも宿題を忘れて家に取りに帰っているらしい。「頑張れ、転ぶな」なんと私が応援をしている。その私、なななんと、雲の上からのぞき見をしている。「頑張れ、転ぶな、急ぐな」そう幼い頃の私に声をかけながら、私は泣いている。そして……目を覚ますと、私の頬に涙が残っている。こういうことを、みなさんは経験ないと言うのかかかーーーあっ。今日から十二月、酒を断って一週間が過ぎた、よく夢を見る。ふむふむ、今夜もせつない夢を見るのだろうか。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.12.01
コメント(8)
最近、通勤路を変えて歩くようにしている。なぜって……新しい発見があるからである。いや違う。昔の想い出が蘇ることがあるのだ。路地裏の木柵の向こうに白い花が咲いていた。ああ白い花が咲いている。以前なら、そう思うだけだ。それが今は違う。「ああ白い花だ。ああ、あの時も白い花が咲いていたよな」そう思って、しばし佇み、遠い昔へ思いを馳せる。どんな想い出だって……ふふふ。そうだよね。すべてがせつなくも愛おしい想い出ばかりだ。なぜか、楽しい想い出よりも、せつない想い出が蘇る。想い出とは、そのようなものかもしれない。最近、酒を断っているためか、いろいろな夢を見る。昨日は夢を見て気づいたら泣いていた。目を覚ました自分も泣いていて驚いた。そして部屋を見渡したら、ひとつのマットを見つけた。どうしてあのマットがあるのだろう。私は驚いた。三十年前に、ある女性からもらったマットなのだ。夢も三十年前の想い出だった。そう、ふふふ、語るには歳を老い過ぎて恥ずかしい。それほどに幼くもせつない話だ。ふふふ、想い出、やはりすべてを美しく変えてくれる。その小さなマットを眺めながら今夜はどのような夢を見させてくれるのか少し微笑みながら少し恐れながら夜を待つ私である。うん、想い出はすべて美しい。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.30
コメント(8)
酒を呑まないということ。風邪をひいてから酒を控えている。だから夜がなんとなく淋しい。今日、病院に出かけた。最近の病院はあの臭いがしない。昔はあの臭いだけで病気が重たくなったものだ。待ち時間は相変わらずだ。それにお年寄りばかりがやけに目立つ。うん、私もまあその中のひとりと思うと苦笑いが出てくる。このロビーで、悲喜こもごものシーンが展開するのだろうな。そう思いながら、文庫本を読んでいるとなぜかいろいろなことを考えてしまう。六十年間である。六十年間、よくぞ生きてきたな。そう思うか、わずか六十年というべきか。いろいろなことがあつたよな。病院のロビーというのに、私は青春時代を思い出していた。むちゃくちゃなことをやってきたような感がする。「ふふふ」とひとり笑いをしている自分に気づく。いやはや、そのような自分がもの凄く愛おしくなる。そして今、こうやってPCを向かっている自分を昔の自分が見たらどう思うだろうか。「時は過ぎていく」その言葉をひしひしと感じるこの頃である。おっと、私の名前が呼ばれたようだ。読みかけの文庫本を閉じて立ち上がった。そう、文庫本、この小さな本が私をつくってくれた気がする。この小さな本を読んで、笑い泣き奮い立って、人生の旅を続けてきたのだ。ふふふ、おっと何を今頃そう思うかと佇んだ。病院のロビーにいるのに、寒い荒野にひとりいる気がした。そうだよな、昔の私、旅人のような気持ちになったものだ。ああ、今はひとり、なぜか懐かしい青春。深夜のラジオからはひとつの曲が流れてきた。「サウンド・オブ・サイレンス」だ。おっとと、酒を呑まずに書いたので、ふふふ、哀調じみたブログになってしまったわい。ふふふ、それではオヤスミなさいな。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.28
コメント(10)
「母が由布院に行きたかったと言っていたのです」先日、お母さんを亡くされた友人から電話があった。「母の供養といってはおかしいのですが、由布院に行こうと思います」友人はお母さんを由布院に案内する気持ちなんだろうな。私は思った。友人は早朝の高速バスで大分に着くという。うん、私は悩んだ。早朝から開いている食堂など由布院にはない。私はある旅館の主に頼んだ。「朝食だけをつくつて戴きませんか?」そこの旅館は温泉も一般客に開放していなかった。宿泊客を大切にする小さな旅館として知られていた。私は事情を話した。主の顔が崩れた。「わかりました。宿泊のお客様の朝食が終わる頃にご用意しましょう」微笑みながら言った主の次の言葉が忘れられない。「お母さんもご友人の方もお疲れですから、温泉にまず浸かって下さい」当日、友人をその旅館に案内した。紅葉に彩られた緑の小径に、友人は驚いていた。「こんな旅館で朝食ができるのですか?」私は何も言わずにフロントに近づいた。「お荷物など貴重品をお預かりします」フロントの担当者は普段どおりの対応をしてくれた。朝の湯煙が漂う温泉に入った。「あああーっ、ひと息つける。やっぱり温泉っていいですよね」「お母さんも女性風呂に浸かっていると思いますよ」友人は遠くを見る目つきをした。温泉から上がると、食事の場に仲居さんが案内してくれた。一番端の静かな席だった。友人と友人の知人、そして私は座った。「まずは地ビールで乾杯をしますかな」私は友人に微笑みながら言った。地ビールで乾杯した。湯上がりのビールはおいしかった。仲居さんが朝食の準備を始めた。友人と私達はビールを呑んでいた。仲居さんが御飯と味噌汁を持ってきていた。ビールを呑んで、少しお酒を呑む気でいた。「朝から呑んでもいいですか」と主には了解を得ていたのにそんなに早く御飯や味噌汁を持ってきてと、私は苛立った。仲居さんは、私の苛立ちに関係ないような顔をした。仲居さんは、私や友人の前でなくひとつ席をつくり始めた。御飯とおみそ汁と漬け物と箸とコップをキレイに並べ終えた。「お母様のお席です。みなさまでお食事をゆっくりと楽しんで下さい」友人は呆然としていた。お母さんのことを思い出しているのだろう。私は旅館の主の気配りに感謝していた。「それでは、もう一度乾杯しますかな。 お母さん、由布院へようこそいらっしゃいました」紅葉の由布院の朝、それはそれは透きとおるような青空が広がっていた。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.26
コメント(8)
■秋の東京散策~浅草演芸ホール 翌朝、雨が降っていた。その人と私は朝食をとるとチェックアウトの用意をした。「忙しいのも考えものです。ゆっくりと過ごされているキータンさんが羨ましい」その人は午後に大分での会議が待っているらしい。その人がホテルのフロントですました顔で精算していた。私はカードを握りしめていた。さあ、いくら請求されるだろうか。昨夜、インターネットで調べていた。10万以上請求されるかもしれない。私は半額を払おうと思っていた。ふふふ、思っていただけれどね。「はい、ご請求は一切ありません」フロントマンは微笑みながら言った。どうやら講演会の主催者の方で支払いが終わっていたようだ。私も思わず微笑んだ。その人は何もなかったような顔を見せた。「そのようですよ。それではキータンさんゆっくり遊んでくださいな」その人は空港に向かうリムジンバスの停留所に向かっていった。うん、私は浅草に向かう地下鉄の入り口を目指した。雨の仲見世、浅草寺の前、線香の煙が漂っている。六本木や汐留とは違って、江戸情緒が残っている。私は静かにお参りをした。浅草寺はお参りするとお参りをした気持ちになれる。何をお参りしたかって……ヒミツ、秘密だべえ。前回お願いしたことのお礼なんだべえ。お参りして、雨の仲見世を見つめていた。「さあ、これからどうすんべえ」私はザックを担ぎ考えた。そう考えながらも、私の足は浅草演芸ホールを目指していた。 ホールの前、のぼりがはためいていた。法被姿のおにいさんが景気をつけていた。ふふふ、これが浅草なんだよな。私の気持ちはもうウキウキである。お酒と肴を右手に持って入場する。本日の昼の部のトリは三遊亭園歌師匠だ。ふふふ、出は大分出身の三遊亭歌彦さんだ。浅草で大分出身の落語家の話を聞ける。なんとなく嬉しくなる。十二時前、開演はもうすぐだ。太鼓が鳴る。おはやしが快く響く。私は酒を開けた。グイッと一杯呑んだ。三遊亭歌歌彦さんが飄々と出てきた。「ようこそおいでで……」この三日間の東京の旅、楽しかった。愉快だった。おいしかった。これでまた頑張られる。これで沢山の元気を戴いた。ふふふ、今年も残り後一ヶ月十日足らず、新しい年が来る。もう少し田舎で生きていこう。田舎もいいもんだべえ。都会の東京の素晴らしさを知れば知るほど田舎の良さも教えられた。ふふふ、そう想いながら、寄席で笑っている私がいた。そう、それも人生、キータンというひとりの人間の人生なんだべえ。“行くも旅 止まるも旅のこの世なら しばし佇み 明日を夢見ん 希 淡”人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.24
コメント(10)
■秋の東京散策~湯島天神 講演会の話は省こう。ただね、東京の人達も悩んでいることを知らされたね。自分達の住んでいる町でいかに生きるか。そう、都会の人達も、みんな幸せに生きていきたいのだ。ふふふ。田舎は悩んでも悩み続ければいい。都会では悩んでいたら、いつの間にか状況が変わる。そう、田舎では早急に変わらない。永遠に変わらないこともある。ふふふ、田舎では悩んでいるうちは「生きている」んだべえ。東京はどんどん変わるから取り残される。取り残されるのは構わないけれど、生きていく環境が消えてしまうこともある。やはり、「生きる」には、田舎が一番だべえ。講演会で、その人の話や、他の偉い人達の話を聞きながら私はしみじみと思ったべえ。テヘヘヘヘ。夜、ホテルの方から宴を催したいと申し出があった。その人は私の顔を見た。私の顔がおびえているように見えたらしい。その人は丁寧に断ってくれた。ほっ。「ふふふ、ホテルの夕食はあなたは嫌がるだろうと思ってましたよ。 さあ、行きましょうか。おおかたの検討はつけてあるのです」その人は隠し事を披露するかのように微笑んだ。 その人が案内してくれたのは、湯島の「シンスケ」という居酒屋だった。ふふふ、小さな居酒屋だったが、田舎ん坊の私にはぴったりの呑み屋だった。老舗の居酒屋らしい。ウヌッ!居酒屋に老舗などあるのかな?!?!とにもかくにもおいしい肴で酒を楽しめた。東京はこんなところがあるから楽しい。酔って酔って、湯島天神にお参りをする。これが東京なんだべえ。有名な小説に書かれている湯島天神だ。酔って「金色夜叉」の舞台の湯島天神を歩く。思いもよらぬ夜となった。月は見えなかった。明日は雨のようだ。ふふふ「雨男」の本領発揮ということだろうか。でもね、その日のホテルでは熟睡できなかった。酔っても酔っても、広いベッドでは寝付かれなかった。田舎ん坊ということを改めて知らされて、なぜか、嬉しくなったべえ。テヘヘヘ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.22
コメント(14)
■秋の東京散策~東京タワーの見える部屋 ホテルマンが部屋に案内してくれた。私はその人を後を恐る恐る付いていった。ふふふ、田舎ん坊にはホテルの緊張感とは苦手なものなのだ。「ここでチェックインをお願いします」ホテルマンが丁寧に言った。やけに静かな部屋だった。コーヒーとケーキが出された。チェックインからケーキ???その人は、なにごともなく、さらさらとサインをしていた。辛党でケーキは絶対に食べない私がケーキを食べていた。そう、何かをしないと不安だったんだべえ。「それではご説明をします。 このラウンジではいつもお飲み物、夜にはカクテルやお酒が自由にお呑みができます」ヘーエッ、自由にお飲み物、なななんとお酒も自由、夜になると、おつまみはチーズなどのオードブルが用意されるらしい。「5階フィットネスクラブのプール、ジム、サウナなどをご自由に利用して下さい。 お部屋のインターネットも無料でございます。 18階ノミーティングルームも無料でご使用して下さい。 なお朝食は一般とは別に20階にて朝食を用意しております」ヘエーッ、なんとなく金持ちのような気持ちになってきた。しかし、考えたら、私には無用なものばかりだべえ。今回の旅での最大のサプライズが展開されていた。おっとー、サプライズは、これだけてはなかった。泊まる部屋に案内されて、私は言葉をなくしてしまった。 ドアを開けると、部屋の中に、なななんと長い廊下があった。次のドアをあけるとリビングルームがあった。フエーッ。リビングルームの横にはパソコンとミーティングルームがある。フエエエーッ。ベッドルームも広かった。そこにもレストコーナーがあった。バスルームには広々とした風呂があった。これが東京のホテルのエグゼクティールームというらしい。 エエエエグゼククククティールーム、言うこともできやしねえ。田舎ん坊はウェルカムフルーツの豪華さにも参っていた。その人は平然とフルーツを食していた。こんな部屋に泊まる人がいる。別世界と思っていた部屋に私は唖然としていた。次に、私の心配が脳裏に浮かんだ。料金はいくらかかるのだろうか。これを割り勘にしてもいくらになるのだろう。フフフフ、田舎ん坊の貧乏根性ということだ。後からわかったのだが、このようなルームはひと部屋借りたら何人泊まろうと料金は変わらないものらしい。それを早く言ってくれたら、田舎ん坊は落ち着いたのに誰も教えてくれない。チェックアウトまで誰も教えてくれない。その人の講演会の主催者が支払ってくれたらしい。そうだよな。主催者のひとりがホテルの支配人なんだものな。それよりも、田舎ん坊は気持ちがなんとなく落ち着かない。広すぎる、部屋が多すぎる、どこで休んでいいのかわからない。テレビにしても三台ある。間違った。風呂にも一台あった。ああ、普通のホテルの狭いシングル部屋に戻りたくなったよ。 それになにより、部屋のカーテンを開けると、なななんと、東京タワーが遙か彼方に見えた。そう、この部屋のもうひとつの目玉、東京が一望できた。うん、ここは確かに、都会、東京だんべえ。ああ。田舎ん坊はただ黙って霧でぼやける都会の街並みを眺めていた。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.21
コメント(10)
■秋の散歩~江戸風情 新橋駅前で、私は大分からの人を待っていた。今日の予定はその人の講演会に出席するためだ。講演会は昼過ぎからだ。ふたりともに午前中は完全に空いていた。「江戸の街並みを案内しましょうか?」そういうことで、その人を待って、私達深川の江戸資料館に行くことにした。深川、人形町……十年前の東京勤務の時、よく通ったところだ。清澄仲町駅を降りて階段を上った。東京は階段が多い。上る。下りる。とにかく歩く町だべえ。 江戸資料館前には何台かのバスが止まっていた。修学旅行生が入っている。資料館の中はやけに混雑していた。昔の江戸の下町を再現した路地を歩き、昔の江戸庶民の生活を知らされる。狭い一間、土間、蒲団、タンスが一個、台所道具のみ。「昔は貧乏というより、倹約ということなんでしょうね」火事が起これば一瞬に消えてしまう。保存するツールのなかった江戸だ。狭い住居、江戸の人々がグルメや娯楽に走った理由が少しわかった。生きることは、その「刹那」をいかに楽しむということだんべえ。次は深川の清澄庭園だ。庶民とは違う明治の大富豪岩崎弥太郎の庭だ。東京の中に、このような静かなところがある。なかなかのものだ。オットトト、新婚さんが写真を撮っている。今日は秋の良き日なんだべえ。その人と、私は、佇み、撮影の邪魔をしないように見つめていた。「ああ、若いっていうことは、いいですね。きらきら輝いていますね」ふたりは羨ましげな視線を向けていた。深川を後にした。清洲橋を渡る。隅田川から吹いてくる風が快い。「秋ですね、いいですね、しかし風景はすっかり変わってしまったですね」その人は立ち止まって隅田川の両岸をを見つめていた。両国から佃島まで、高層ビルが立ち並んでいた。これは江戸ではないよな。東京だ。明治座前から曲がって、人形町の甘酒横丁を歩く。ここもすっかり変わっていた。昔の蕎麦屋がビルになっていた。池波正太郎さんが通ったという薮蕎麦屋だ。せいろを頼む。ふふふ、冷や酒を注文したかったけれど……講演会。今夜の楽しみだべえ。辛抱、辛抱、辛抱は「辛さを抱えて耐える」ということなんだ。 ホテルに行く途中、水天宮に立ち寄る。その人は真剣に祈っていた。どうもお孫さんが産まれるらしい。ふふふ、水天宮は安産の神様なんだ。神社の前には、マタイティの専門のお店が多くあった。ふふふ、その人はお参りして、お守りを買っていた。おじいちゃんにとっては講演よりも大切なことなんだろうな。ホテルに入った。向こうからホテルマンが微笑みながら近付いてきた。ふふふ、ホテルマンはその人の到着を待っていたようだ。テヘヘヘ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.20
コメント(13)
■秋の東京散策~日本橋亭 「どこだろう?」私は路地に入って目的の寄席を探した。マンションたらけの住宅街だ。銀座、日本橋にもこのような人が住んでいるところがあるんだべえ。おお、コンビニがあるべえ。ベランダに洗濯物を干してあるべえ。生活感を感じて、私は、なんか、変な感動をしていた。あった、『大江戸日本亭』、なんとそのマンションの一階にあった。入り口前に数人の人がたむろしていた。待ち合わせか何かであるんだべえ。その人をかき分けて切符の売り場に行った。オバチャンとオジチャンが微笑んで迎えてくれた。「当日の切符はありますか?」「ハイハイ、ありますよ、おひとり?二千円ね」中へ入った。座布団が畳に敷かれている。完全に昔の寄席風だ。おっとお隣のじいさんふたりが弁当を開けてお酒を呑んでいる。ふふふ、私は切符売り場に戻っておばちゃんに尋ねた。「ここは、飲み物、食べ物、持ち込みOKなの?」「OKもなにもなんの、腹が減ったら聞けないよね」「おお、ちょっと表に出てきていい?」「アア、いいよ、そこを右に行くとコンビニがある。酒とお弁当を売ってるよ」弁当を食べながらお酒を呑む。気持ちは良くなってくる。これが寄席だべえ。 今夜の演目はね、講談、一龍斎貞心さん一門のの会なのだ。講談なのだ。人情話で有名な一龍斎貞心さんの講談だ。まずは一龍斎貞寿という女性の講談師が登場する。「好男子なのに 和服を着た女性の講談師とは これいかに 希淡」うん、さわやかな話っぷりだったべえ。次は一龍斎貞秀という講談師だ。途中で登場人物の名前をど忘れしたのか、扇子をパンパンと叩いていた。その慌てようが面白かったべえ。寄席の中は笑いでいっぱいになった。次は俗曲の春風亭美由紀が粋に出てきたね。三味線を片手に都々逸や新内流しを披露してくれた。「ヨオッ!ミユキッツ!」酔いが深くなっていく。最後は師匠の一龍斎貞心さんの登場だ。「先程、弟子の貞秀がど忘れをしましたよね。 出番直前にお題を変えるように言ったんだ。突然で忘れた。すいやせん」弟子の失敗をすぐにフォロウする。さすが人情話の貞心さんだ。泣いた、笑った、酒に酔った、話に酔った、人の想いに酔った。ふふふ、百人ちょっとのこじんまりとした講談会、ほのぼのと終わったね。終わるといなや入り口に師匠や弟子が並びお礼を言う。ふむふむ、お礼と言うより、世間話や激励の声となっているべえ。いいべえ。「ああ、いいよな、これが江戸なんだよな」日本橋亭を出ると、吹く風は冷たかった。ほろ酔いの頬には快かったべえ。東京の秋は深まっていた。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.19
コメント(8)
■秋の東京散策~銀ブラ 黄昏ゆく銀座を歩いていた。四丁目から一丁目を目指していた。何を思うこともなく何を探すでもなくブラブラと歩いていた。俗に言う「銀ブラ」だべえ。銀ブラとは銀座をブラブラすることと理解していた。モガ・モボと呼ばれる人が闊歩しはじめた大正時代から使われた言葉らしい。銀ブラは仕事や買い物といった用件は特になく、なんとなくブラブラと歩く。私は、長い間、そう思ってたんだべえ。「ああ、こうやって銀座をゆったりと歩ける。 平和って安全安心に過ごせる。ああ、銀ブラっていいべえ」そう思って歩いていた。今までも今も……。驚いた。「銀ブラ」の本当の意味は違っていたらしい。ゲエッ、銀ブラときどっていたヤツはどうしたらいいのだろう。うん、本来の「銀ブラ」という言葉はね……。「銀ブラ」という言葉は、本来「銀座でブラジルコーヒーを飲む」というらしい。大正時代の当時、銀座では「カフェー・パウリスタ」が有名だったらしい。そこに集う文人たちが、使い出したらしい。「今夜、銀座のパウリスタでブラジルコーヒーを飲んで話をしよう」それを略して、「今夜、銀ブラしようか」と言っていたらしい。うん、銀座を楽しもうということに変わりはないけれどね。そうそう、銀座の散策を楽しめばいいんだべえ。銀座はクリスマスイルミネーションで彩られていた。ひとりで歩く。淋しくはなかった。せつなくはなかった。銀座をカップルで歩いている人は少ない。銀ブラは、孤独を楽しむツールかもしれない。そう思うと、急に、大勢の友達を思い出してしまった。今、生きている自分、たえきれないやるせなさが押し寄せてきた。黄昏の銀ブラ、華やかであればあるほど大勢の友達の笑顔を思い出してしまう。酔ってはいないのに、私はゆらゆらと銀座を歩いていた。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.17
コメント(12)
■秋の東京散策-国立科学美術館 うい~いん、かなり、いい気分に酔っぱらったべえ。聚楽台の玄関の階段を上りきると上野のお山に出た。おっとと、西郷さんが待っていた。青いテントのおじさんが秋の日を浴びて文庫本を読んでいた。「気持ち良さそうだな」と想いながら傍を通ったらなんと本を読みながら居眠りしているようだ。ああ。なんという穏やかな光景なことだんべえ。国立科学博物館の入り口に立つ。なんと叫んでいる男がいる。どうも特別展示で「ロボット展」を開催しているらしい。特別入場券というものを買わされて、別の入り口から入らされた。科学博物館も特別展示をして稼ぐということなんだろう。国立の建物も自主運営を迫られているということなんだろう。科学や文化に携わる人間が金の後を追うようになっている。青いテントのおやじさんの文庫本を読んでいる姿が脳裏に浮かんだ。この国はおかしいだんべえ。日本のロボットの歴史が展示されていた。江戸時代のからくり人形、鉄腕アトムなどのアニメ、機械産業などなど。そして、デモストレーションとして「アイボ」の実演があった。 ここにも観客が大勢いた。やっぱり東京だべえ。でもよ、そのアイボくんの動きがリアルなんだべえ。田舎に連れて帰りたくなったんだべえ。農作業を応援して欲しくなったんだべえ。アルコールを呑む私より、電気を食うアイボくん。ふふふ、アル中気味ののろまな私よりは確実に働くだろうな。そして肝要の科学博物館へ入る。改装されたと聞いていた。入ってがっかりした。なにかお金をかけて立派にしただけなのだ。イタリアのレオナルドダヴィナチ博物館を思い出した。素朴な簡素な博物館だった。しかしね、子供たちが遊びながら科学を知ることができた。大人達も童心に戻って科学の世界に入り込んでいけた。日本の博物館って、どうしてお金をかけるわりに、好奇心がわかないのだろう。酔って館内をうろうろしていたら迷子になった。出口がわからなくなった。どうすんべえ。なんとお土産売り場の向こうに出口があった。科学の博物館で商魂のたくましさを教えられたべえ。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.16
コメント(8)
■秋の東京散策~上野駅・聚楽台 早々に町を後にした。上野を目指した。国立科学博物館が、去年、全面改装されたと聞いていた。美術の次は科学と方向を変えた。ふふふ、昔は「少年の科学」というような雑誌を購読していたこともある。ふふふ、購読、毎月、本屋の店員さんが配達してくれていた。あの新刊の香りがたまらなかったね。それはともかく、上野駅に着いた。まずは昼食をとることにした。普通の昼食では賢くない。東京らしい上野らしい店を探した。終着駅は始発駅の上野駅の近くにある「聚楽台」という店に検討をつけた。大正時代創業、長い間、上野駅の食堂と愛されていた。「現在も昔の雰囲気を残している大衆食堂」と、ガイドブックに掲載されていた。長い階段を上りながら気持ちは不安になっていく。やけに古めかしい。やけにお年寄りが多い。戻ろうと思うと、階段を上って来た団体に押し返された。ああ。店内に入る。畳席と椅子席、都会なのに温泉センターの雰囲気だ。メニューを見ると、日本料理やら中華料理やら洋食やら訳がわからない。ふむふむ、これくらいまでレトロとなると、こちらも完全な田舎ん坊になるべえ。 「ポテトチーズ」」「アサリバター」「豆腐サラダ」を注文してね、私は「日本で一番おいしい」と書かれた?ビールをお願いした。日本で一番おいしいとメニューで宣言している。ふむふむ。それにしても、東北弁やら薩摩弁やら方言が飛び交っている。ゲエッ、間違えた。中国語やハングルを話しているグループが多い。外国からの団体様には簡単に日本料理を味わえるということらしい。そうだよな。西郷さんの銅像もある。アメヤ横町もある。それになにより、東京では、爺様、婆様の姿の多い地域だ。そして、アジアからの旅行者が多い。う~ん、なんともしれない不可思議な町だ。そうだよな。九州からの変な旅行者もいるんだべえ。てへへへ。日本一おいしいというビールを呑んで次は熱燗に移っていた。ほどよい燗付け具合だ。そう、科学少年時代に戻るにはもう少し酔わなければならない。ああ、酔っていく。秋の陽射しが弱くなっていく。ふむふむ、「ALWAYS・三丁目の夕日」の世界を感じながら私は上野駅前のアメヤ横丁の混雑を窓からボケーーーッと眺めていた。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.15
コメント(14)
■秋の東京散策-東京ミッドタウン 「凄い人混みだったべえな」田舎ん坊は国立新美術館を早々に後にした。美術館に入って絵をゆっくり鑑賞できないのはおかしい。田舎ん坊はひとりで怒っていた。怒りながら周囲を見渡した。驚いた。やけに高い建物が伸びていた。248メートル、停電したらどうするんじゃろう。田舎ん坊はいらぬ世話を考えた。その建物を中心に、コンクリートだらけの街並みが広がっていた。ガラスが多く使われているせいかまぶしかった。田舎ん坊は瞳を細めた。「東京ミッドナイトタウン」というらしい。夜の街に、昼間、佇んでいる。ため息が出てきた。都会んしは、何を考えちょるかわからん。田舎ん坊は空を見上げた。おっと、サントリー美術館が入っていた。「鳥獣戯画」の展示をしているらしい。megumegu姉さんが出かけたというものらしい。行こうか、行くまいか。今回はパス、もう絵はいい。美術館は、疲れる、行かないと決めた。ふふふ、田舎ん坊でも事前の調査はやっている。上野の西洋美術館の「ムンク」、日本橋のブリジストン美術館の「セザンヌ」それを予定したのだが諦めた。美術館巡りを辞めた。美術館巡りは辞めた。時間は十分にある。田舎ん坊はゆっくりと周囲を眺めた。また驚いた。「東京ミッドタウン」と書かれている。エッ、東京ミッドタウン……。私が勝手に「東京ミッドナイトタウン」と勘違いしていた。う~ん、勘違いにしても怖ろしいことじゃ。 富士フイルムの展示場があった。ディズニーの写真を展示していた。静だったのでこっそりと入った。ふむふむ、ディズニーの美しさをしみじみと感じた。案内の女性っちいうか、レディーが近付いてきた。案内のレディーのセレブさに、私は早々に退散した。ふむふむ、セレブっち何ちいうじゃろうな。そう、こん街は若い人だらけだ。やけに格好つけたスタイルの人ばかりだ。田舎ん坊が入れるようなお店はひとつだにない。しかし、それにしても、やけにキレイだった。タバコのポイ捨てなどは一本だにない。枯葉も散っていない。弁当の空もない。ゴミ箱もない。なんとなく落ち着かなくなった。草が生えていない。木が葉を揺らしていない。犬が走っていない。子ども達が騒いでいない。うん、やはり田舎が一番だべえ。田舎ん坊は変なところで納得していた。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.14
コメント(16)
■秋の東京散策-フェルメールの絵 六本木駅を降りた時に感じた。六本木、若者の街、そう思っていた。しかし、私の歩く方向にやけに年寄りの姿を見つける。ふふふ、年寄り、私もそのひとりなんだがね。ななんと着物を着た女性もいるではないか。歩いていくと、年寄り達がどんどん私と同じ方向に歩いている。うん、国立新美術館に、私は向かっていた。新しくできた美術館ということもあるのだろうか。やけに人が多かった。やけに女性が多かった。やけに年寄りが多かった。美術館開館記念として「オランダ風俗画展」と称されて開催されていた。ふふふ、そう、話題としてフェルメールの絵が展示されていた。ゲゲゲエッ、これはどうしたことなのか。ななななんとチケット売場に列ができていた。私も並んでチケットを購入して歩いた。歩いた。歩いた。そう展示場までかなりの距離がある。入り口、ゲエッ、ここにでも行列ができてた。私はもうここで並び疲れていた。場内に入って驚いた。すべての絵に人がたむろしている。つまりゆっくり絵を鑑賞できない。人をかき分けなくては絵を見られない。目玉のフェルメールの絵にたどり着いたのは美術館に入って一時間後だ。ななななんと四重並列の列ができていた。諦めた人のために遠くから見る席もあったがなななんと、そこも列ができていた。ああ。私は前方の列に並んだ。フェルメールの絵に出会うまで、十五分かかった。絵の前に来ると、おっと、怖いガードマンのおやじさんが叫んでいた。「立ち止まらないで歩いて……早く前に歩いて下さい」見えない。見えそう。見えた。消える。消えた。ああ、フェルメールさんよ、さようなら。 それを、私は二度並びくり返して見た。そして完全に疲れた。フェルメールの絵はどうだったかって……覚えていませんがな。出口のショップで売られていたフェルメールの絵はがきで「これがフェルメールか」と確認している私が淋しかったべえ。ああ。さあ、これからどこに行こうかと思いながら足はもうしびれていた。時間は昼をとっくに過ぎていた。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.13
コメント(10)
■秋の東京散策-1・立ち食い蕎麦屋「さあ、何処へ行こうか?」羽田空港ロビーを歩きながら、私は考えた。外を見た。秋晴れの穏やかな様相だ。絶好の散策日和だ。「フェルメールだ」散策日和なのに美術鑑賞を選んだ。つい最近オープンした国立新美術館に行くことにした。そこで「フェルメールの絵画展」が開催されているらしい。羽田からモノレールで浜松町に行き、大門から六本木への地下鉄に乗る。乗る道すがら、探したのは、ふふふふ、立ち食い蕎麦屋だ。久し振りの東京だ。久し振りの立ち喰い蕎麦屋だ。おいおい、ちょっと待てよ。折角の東京だ。本格的な蕎麦屋に入ってまずは冷や酒を呑む。ほろ酔い気分でゆっくりと美術鑑賞もいいではないか。ふふふ、気分転換、江戸風な蕎麦屋を探す。まだ朝の十時過ぎだ。そう、蕎麦屋は開いていない。またまた方針転換、立ち食い蕎麦屋だ。六本木駅に着いた。階段を上がる。ゲエッ、予想をはるかに超えた光景が広がっていた。東京ミッドナイトタウンというらしい。ここには立ち食い蕎麦屋などがあるような雰囲気はない。坂を下りて旧六本木の交差点を目指す。ふふふ、立ち食い蕎麦屋のあるような街並み、私の勘が働く。ふふふ、ありました、ありましたよ。「富士そば」がね。自動チケット販売機がある。暖簾がある。エッ、ドアがある、美しい、椅子が置かれている。何なのだ!これはどうしたのだ。立ち食い蕎麦屋が変わりつつあるとは聞いていた。女性や子供にも対応した店に変わりつつある。実感した。「春菊天そば」を頼む。「ありがとうございます」オットトト、愛想のいいアンチャンが叫ぶ。十五秒でできたのはさすがだ。値段もそんなに高くない。麺がおいしくなっている。春菊天も期待を裏切らない。しかし、美しくなっている。風が入ってこない。ああ、昔の立ち食い蕎麦屋はどこに消えたんだ。少し汚くて、少し猥雑で、風がビュービュー吹いてくる。疲れた人の横顔、そこに伺える少しの希望の微笑み、ああ立ち食い蕎麦屋よ。街も変わる。人も変わる。立ち食い蕎麦屋も変わるのかもしれない。そういうことを知らされた旅の始まりだった。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.11
コメント(16)
ゴーゴー喫茶に行くベエ、行くベエ。そうなった。行くベエとなったのだが、やはり少しは踊りを覚えていきたい。さあ、どうすんべえということになった。ふふふ、夏休み、冬休み、都会から戻ってきた友人に教わった。そうなんだ。彼らはアイビールックという格好いいスタイルをしていた。「平凡パンチ」の表紙のようなブレザーを着ていた。そうそう、当時の最新情報は、「平凡」や「明星」という月刊誌やふふふ、「平凡パンチ」や「プレイボーイ」という週刊誌が主だったね。それらの月刊誌や週刊誌にゴーゴーの振り付けが書かれていた。それらの振り付けを想像力たくましく見ながらベンチャーズやビートルズの曲に合わせて練習した。スパイダーズの「青春・ア・ゴーゴー」というGSは参考になったよね。堺正章、井上順の振り付けを、私達は食い入るように見た。そうそう、マチャアキの格好、ミリタリースタイルといってねホテルのドアーボーイの服装をしていたね。ふふふ、私達はそこまでは真似はできないよね。そう、学生服しか持っていないヤツもいたんだ。学生服しかというより、学生服しか着なかった。田舎の理系の学生、ほとんどの学生が学生服姿だった。そう、後は作業服だったんだべえ。うん、遊ぶ、呑む、勉強する、それで不自由はしなかった。そうだろう。日々の学生生活に女性はいなかった。女性の視線を気にする必要はなかった。合コン、そんな言葉さえなかったよな。フムフム。そう、そう、ゴーゴー喫茶の話をしていたんだべえ。ふふふ、ゴーゴーはひとりでも踊れる。みんなで踊れる。つまり、女性同伴でなくても行けたんだ。ひとりで勝手に音楽に合わせて踊れば良かった。手をくるくる回しながら、身体をくにゃくにゃさせる。ウマイ仲間になると、右に左にと跳ぶ。堺正章などは手も回すだけでなくて前に後にと上手に操っていた。うん、私にゃあ恥ずかしくてそこまではできなかったがね。それにね、音楽に合わせて踊る。それがいかにむずかしい知らされたんだべえ。うん、田舎のゴーゴー喫茶、私は何度行っただろうかね。手の指を使って数えられるぐらいかな。ああ。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.03
コメント(8)
ダンスは苦手だ。女性と手を握る、恥ずかしいこともあるが私は踊りというものを知らない。踊ったことがあるダンスといえば……。そう、ゴーゴーぐらいだろうか。ゴーゴーというダンスがはやったのは昭和四十年のはじめだった。都会ではもう少し早かっただろうが、当時の流行というもの、田舎では都会より一年ぐらい遅れてやってきた。そうだろう。洋画なども一ヶ月から二ヶ月遅れていた。流通の関係もあったけれど情報のツールが少なかった。主な情報源は、映画や月刊誌やラジオだけだった。そうそう、あの頃は映画館で五分から七分間のニュースを上映していた。プロ野球やプロレスなど、映画館のニュースで見た歓声をあげていた。歓声をあげるだけでない。拍手さえしていた。映画を見ながら都会に憧れたものだ。「ゴーゴー喫茶」が都会ではやっているらしい。映画のニュース画面で、若い男女が気違いのようになって踊っている。都会のあいつら、どこか頭がおかしくなっている。なんであんなにくねくねと踊るんやろう。そう思いながらも、私達はゴーゴーというものに恐れながらも憧れた。そして半年後……田舎の町にも「ゴーゴー喫茶」ができた。そう地下にできたのだ。喫茶店が地下にできた。田舎の喫茶店は外を見ながらコーヒーを飲んでいた。それが窓のない地下に喫茶店ができた。偉いこっちゃ。とにもかくにも「ゴーゴー喫茶」はできた。しかしね、誰も踊れないから誰も行かない。ふふふ、勇気ある仲間が出かけてねその先達の話を驚きおののきつつ聞いた。ふむふむ、このような場合に先達というのだべえ?サクラというかゴーゴー喫茶が都会から雇ってきた若いヤツが教えてくれる。教えてくれる。うん、サクラの真似をすればいい。そう、ただ、身体をうごかせばいい。それにサクラのアンチャンやネエチャンが格好いいらしい。行くベエ、行くベエ。そうなった。行くベエとなったのだが、やはり少しは踊りを覚えていきたい。さあ、どうすんべえということになった。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.02
コメント(12)
数年前、家の近くで殺人事件があった。アパートに住んでいた独居老人が刃物で切られて亡くなった。私の住んでいるところは、昔から、犯罪とは関係ない穏やかな地域だ。物騒な時代になったものだ。付近のおじいさん、おばあさんは嘆いた。犯人はすぐには見つからなかった。ある日の夕方、ふたりの男が私の家に来た。大柄な男、色黒な男、警察のものだと手帳を見せた。ふむふむ、テレビそっくりのシーンが、私の前で展開された。「最近、怪しい人間を見かけませんでした?」男は手帳を構えて質問してきた。「見かけませんね。あの付近は行かないところですからね」私は頭に手をやりながら答えた。緊張していた。男は手帳に書き付けると次の質問をした。「○○日の夜の三時頃、どこにおられました」男はそっけなく質問してきた。おっと、私のアリバイを確認しているらしい。フムフム、テレビと同じだよなと思いながら、私はまた頭を掻いた。「う~ん、よく覚えていませんが、寝ていたことは確かですよ。 夜中の三時なら、二階でいつも熟睡していますからね」そうだろう。夜中も夜中の三時だからな。「そうですよね。三時頃は寝ていますからね。 仕事ですからね、不躾な質問してすみません」手帳をつける男、私の目をじっと見つめる男、ふふふ、テレビの主人公の気持ちになってきた。翌日、違うふたりの刑事が来た。やはり同じ質問をしてきた。まだ、私は疑われているのだろうか。ふふふ、私が殺人犯なのか。私は再び緊張し答えながら思った。「刑事さんも大変だよな」事件はあっさりと解決した。アパートのお婆さんの隣りに住んでいた若い男が犯人だった。 最近、アパートの前を通ることがあった。私が殺人犯としてアリバイを質問された。あの時の緊張した瞬間を懐かしく思い出していた。ふふふ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.11.01
コメント(14)
東京で働いていた時のことだ。渥美清さんが亡くなった頃だ。なんとなく葛飾の柴又に行きたくなった。大分から友人が来る度に、私は柴又へ案内していた。だから、柴又通とはいかなくても良く知っていた。京成金町線の「柴又駅」を降りた。平屋の平凡な駅だ。駅を降りるといつもなら帝釈天を目指していた。その日は時間はゆっくりとあった。自動改札口を出て、駅前をぐるりと眺めた。広場の隅にラーメン屋があった。簡素なプレハブな造りだった。小腹が減っていた。冬の冷たい風に押されるように店内に入った。メニューがカウンターの上に書かれていた。驚いた。無数というか数多く書かれていた。しょうゆ、味噌、チャーシャ、もやし、ここまでは想像できた。ごぼ天、ころっけ、月見、てんぷら、なんとなく呆気にとられた。ごぼ天ラーメン、聞いたことも喰ったこともなかった。それらに気持ちが惹かれたが、平凡だが味噌ラーメンを喰った。味はまあまあだった。ただ、厨房が奧にあって見えなかった。白い制服の姐さんかぶりをした女店員がひとり気だるそうに働いていた。うん、柴又らしいといったら柴又らしいと思った。値段は驚くほど安かった。立ち喰い蕎麦屋のような安さだった。店を出て振り返って驚いた。ラーメン屋の隣が立ち食い蕎麦屋だった。立ち食い蕎麦屋とラーメン屋、多角経営をしている。そうなのか。立ち喰い蕎麦屋で使う具をラーメンに載せている。変てこなメニューに納得すると、ごぼ天ラーメンを喰いたくなった。あれから十数年が過ぎた。来月、東京に行く。柴又に行こう。何のために……ふふふふ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.31
コメント(16)
空港へはなるべく早く行くように努めている。理由は別にない。ただ、不安なのだ。遅れて乗務員にせかされて、一番最後に機内に入る。「あんたのせいで出発が遅れた」他の乗客からの視線が怖い。実際に、肩を竦めながら乗ってきた人を、私は見ている。苦笑いをしながら乗ってきた。そうだろう。謝るのもちょっと変だ。威張って乗れば、なお変だ。威張って乗ってきた人を、私は知っているが……。苦笑いでもするしかないのだろうな。それゆえに、早めに空港に着く私だ。時間は十分にある。そこで、人間ウォッチングを楽しんでいる。それにしても、空港では走る人が多い。この前などは、サービス係の女性が走っていた。その後をコートを着たビジネスマン風な男が走っていた。男を促しながら、女性は走っていた。大変だな。私は見ていた。そして、驚いた。なんと男は携帯電話をしながら走っていた。走るサービス係の女性、携帯電話をしながら女性について走る男。職務に忠実に頑張っている女性。なんともしれないことをしている男。やれやれ。私はため息をついた。そうそう、このような光景を見たこともある。搭乗手続きが始まっていた。次から次へと乗客がチケットを差し入れ口へ入れていた。係の女性は手際よく乗客に半券を渡していた。外国の乗客が横から出てきた。係の女性に話し始めた。乗客はずらっと並んでいる。外国人はなにかむにゃむにゃ尋ねている。おう、これはややこしいことになるな。私は思っていた。すると、係の女性が英語で答え始めた。しかも、流ちょうに話す。これはすごい。私は拍手をしたくなった。いや、それどころではない。半券を乗客へ私ながら、話をしている。係の女性は外国人の顔を見ながら話している。しかし、女性の手は勝手に動いている。しかも、的確にだ。これはどうしたのだ。神業ではないか。私は惹きつけられてじっと見ていた。やがてわかった。乗客が差し入れ口にチケットを入れる。その際に、カチッという低い音がする。それを女性の耳は聞き逃さない。カチッという音とともに、手を広げ、半券を取り、サッと差し出す。カチッ、サッ、カチッ、サッ、カチッ、サッ……そして外国人と話す。うぬうぬ。私はそれをじっと見つめていた。それにしても、女性とは偉いものだ。うん、最近、しみじみとそう思う。書き終わって、このエピソード、一度書いたことがあったけと思った。思ったけれど、仕方ないよね。ふふふ。ああ、歳はとりたくないよね。そう思いながら、空港の人間ウォチングをしたくなっていた。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.29
コメント(12)
昔の遊びは単純だった。ゴム飛び、くちく、パッチン、びー玉、かくれんぼう、二重エス、缶蹴り……。まだある。しかし、すべてが単純だ。ルールもすぐわかる。道具などはいらないのが多かった。たとえいるとしても、それも単純だった。そんな遊びの中に、突然入ってきたニューフェイスがあった。ホッピングとフラフープだ。それにしても、単純だった。ホッンピングは飛ぶだけ。フラフープは輪を回すだけだ。それでも、皆、工夫しながら遊んだ。遊びながらいろいろなことを考えた。ホッンピングは飛ぶだけだ。ただ、ひたすら飛ぶだけだ。私は要領が悪いからあまり飛べない。せいぜい十回程度だ。悔しい。だから、それなりの理由を考えた。「一度にあまり飛ぶと、胃下垂になるんだ。だから、僕は十回でやめる」小学生だったのに、胃下垂という言葉を、よく知っていたものだ。我ながら、おのれの悪知恵に呆れる。当然、皆は信用しない。「バスガイドさんに胃下垂が多いのは、バスの中で跳ぶからなんだ」当時の道路は舗装されていなかったから、バスは大きく揺れた。揺れるたびにバスガイドさんが跳び跳ねていた。私は、それを根拠にした。バスガイドさんに胃下垂の人が多いかどうかは知らなかったが……。フラフープは体で丸い輪を回すだけだ。上手な人間は首や足で回していた。不器用な私はやはり十回程度しか回せなかった。また、私は悪知恵を考えた。「一度に何回も回すと、腸捻転になるんだ。だから、僕は十回でやめるんだ」腸捻転……我ながらすごいことを考えたものだ。今でも、悪知恵はあるほうだが、胃下垂や腸捻転などの発想はできない。昔の単純な遊びだったが、その中で、昔の子供はいろいろなことを考えた。パソコンゲームなど、複雑な遊びをしている現在の子供は、どんなことを考えながら、どんな大人になるのだろうか。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.28
コメント(8)
父が亡くなった時だ。地方公務員だった父は御用納めの師走の二十八日に亡くなった。通夜は二十九日、葬儀は三十日、みなさん、休みを取る必要もなかった。葬儀なども、年末年始ということで、なんとなく過ぎていった。「律儀だったお父さんらしい亡くなり方だよな」母や兄妹と話をしたものだ。律儀といえば、父ほど律儀な人はいなかった。酒のディスカウントの店ができても、近所の酒屋から取っていた。「ずっと昔からのおつきあいだ。父さんが生きている間は続ける。 定価販売が一番信頼できる。安くする。定価をどう考えているんだ」酒屋の主も真面目な人だった。お酒、お米、塩など、すべてを定価で売っていた。次から次にできる近所のスーパーなどに客を取られていた。それでも、父は酒屋とのつきあいを辞めなかった。お中元にもらうタオルや、お歳暮の暦に「これだから定価販売の信頼できる店とのおつきあいは嬉しい」父は無邪気に喜んでいた。父の葬儀が終わって、初七日の夜、玄関に酒屋の主が現れた。お酒を二本ぶら下げていた。「お酒を注文していないのですが」私はやんわりと断りを入れた。主は頭を深く下げて控えめに言った。「正月で遠慮していたのですが、ご主人にお参りをさせてくれますか」酒屋の主は父の位牌に酒を備えてそれから、手を合わせて丁寧にお参りしてくれた。「ご主人のような方にお客様になって戴き、酒屋冥利につきました」酒屋の主は淋しそうに言って帰っていった。母も兄弟も私も、父の律儀さを改めて教えられた。父が亡くなって、酒屋の主も亡くなった。酒屋は自動販売機と煙草販売が中心となった。付近の八百屋や魚屋の姿も消えた。お互いの信頼を大切にし合っていた昭和が遠くに去った気がする。そう、定価販売の店が少なくなった昨今、そう、賞味期限や名称詐欺など信頼を失う事件が多い昨今、定価販売にこだわっていた父のことをなぜか思い出してしまう。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.26
コメント(12)
昨夜の十三夜の月、なんと美しかったことよ。雲ひとつない静かな秋の夜の空間にぽつりと浮いていた。遠い昔を思い出せる雰囲気を醸し出してくれた。短い人生で一番嬉しかったことは何だったろうな。最近、哀しいことばかりが続いているためかふとそんなことを考えてしまった。私は家の付近を流れる川の土手を歩いていた。冬枯れようとしている土手の草原に腰掛けた。ススキの穂を一本ちぎりくるくると回してみた。くるくると、くるくると……時間がどんどん遡っていく。そうだよな。嬉しかったこと、そうだよな、どんなことだろう。五十代、四十代、三十代……いろいろな想い出が蘇る。大学生、高校生、中学生、各時代が流れていく。幼い私が土手を走っていく。嬉しかったことを思い出そうとしているのになぜか気持ちはせつなくなっていく。これはどうしたことなんだろう。思い出す嬉しかったことがもう戻ってこない。私は、知らぬ間に、そのひとつひとつを確認していた。そして……その想い出の人達に会うことができない。会うことが出来ない。話をすることもできない。多くの人達との想い出、すべてが嬉しかったことなのに……。叫んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、いろいろな顔が、いろいろな光景が走り過ぎ去っていく。ああ、私はため息を吐いた。空を見上げた。十三夜の月を改めて眺めた。これからこのせつなさは深まるに違いない。ひとりになれば、時が過ぎて行けば行くほどこのせつなさは、私の心を締め付けるに違いない。私は思った……それならば、このせつなさを楽しもうと思った。せつなさに浸りながら、多くの過ぎて行った人達を思い出そう。思い出して、よりせつなくなって、自分の人生を生きる。そうだよな。それも生きるということなんだよな。そう思った瞬間、私は何かに肩を叩かれたような気がした。慌てて立ち上がり周囲を見渡して夜空を見上げた。十三夜の月がゆっくりと動いていた。時は流れていた。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.25
コメント(16)
秋晴れの空の下、ゆっくりと研究室への道を歩いていた。さわやかな風が吹いていた。気持ちが良かった。立ち止まって、大きな背伸びをした。幼稚園の園児だろう。六、七人の子ども達とすれ違った。ふふふ、みんな素直そうな顔をしていた。私にもあんな頃があったんだよな。そう思いながら、ひねくれたおのれの今が淋しくなった。ふふふ、思いながらいつの間にか口ずさんでいた。そうだよな、昔の子供はよく唄ったものだ。 ♪お手つないで 野道を行けば みんな可愛い 小鳥になって 歌をうたえば 靴が鳴る 晴れたみ空に 靴が鳴る 五時過ぎ、久し振りに仕事をしたためか気持ち良かった。西の空に夕陽が浮かんでいた。秋の夕陽、そう呼ぶのにふさわしいせつないまでの茜色だ。ふふふ、また、私はいつのまにか唄っていた。そうだよな、昔の子供は手をつないでよく唄ったものだよな。 ♪夕焼け小焼けで 日が暮れて 山のお寺の 鐘が鳴る お手々つないで みな帰ろう からすといっしょに かえりましょ夕食を終えて、付近の川の土手を歩いた。十三夜の月がぽっかりと浮いていた。手を後に回してゆっくりとゆっくりと歩いた。そうだよな、昔の歌は、お月様やお日様をよく歌にしていたよな。うん、お月様の歌、そう思ったら、またまた、唄っていた。 ♪デタデタツキガ マルイマルイ マンマルイ ボンノヨウナツキガ先月、亡くなった友人の顔が浮かんできた。彼の顔は細くて三日月のようにやさしかった。なぜ亡くなったんだよ、五十歳、若いよ。「来週、呑みながらゆっくりと先輩の話を聞かせてください」君はそう言っていたのに……。明後日は満月になる月を眺めながら私はいつまでも低く口ずさんでいた。 ♪あれ松虫が 鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりん あれ鈴虫も 鳴き出した りんりんりんりん りいんりん 秋の夜長を 鳴き通す ああおもしろい 虫のこえ
2007.10.24
コメント(8)
立ち食い蕎麦屋に入ると驚かされることがよくあった。とにかく店によっていろいろなメニューがある。「これなんだろうな」好奇心をかきたてるものやら「ふむふむ、これこれだろうが、本当かな」半信半疑のものやらふふふ、いろいろありますわい。その中のひとつに、「ちくわ天」というものがあった。十数年前にこれを見つけた時は大体の検討はつけられた。でも、どんな感じで出されるのだろう。頭の中が混乱しながらもチケットを買ってカウンターに置いた。おやじさんは何も答えずにつくり始めた。蕎麦麺を湯切りに放り入れて湯につけて五秒足らずで、湯をさっさっと切ってどんぶりに入れてつゆをオタマジャクシでかける。ふふふ、ここまでは理解できた。ゲエッ、ちくわ一歩まるまるが現れた。そう、まるまる一本が揚げられている。フエーッ、なんたるちあ、サンタルチア!!!そそそそれが、二本載せられていた。ふんにゃ。そう無造作に蕎麦の上に載せられて薬味のネギとわかめをパラパラとかけられてカウンターにどかんと置かれた。「さあ、どうじゃ、喰えっていうもんだ」そういう感じで、私の前に「ちくわ天蕎麦」は現れた。「すいません。参りました」私はひとことつぶやいて喰い始めた。ああ、朝から参ったよな。そう、それは通勤途中の中目黒の立ち食い蕎麦屋だった。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.23
コメント(8)
向こうからいかついおやじさんが歩いてくる。どうしてあんないかつい顔をしているんやろう。人生によほど不満があるんやろうな。そう思って、目を合わせないようにして前に進んだ。おお、おやじさん、歩き方はちゃんとしているではないか。背筋をちゃんと伸ばしている。足もすーっすーっと軽やかに出している。しかし、顔がどうもやけにいかつい。怖い。私は遠くを見る素振りをして歩いた。そう、変にかかわりあいになると面倒だ。そうそう、変人には近寄るべからずだ。おやじさんが近寄る。私も近寄る。ふたりが交叉しようとした瞬間……おお。「おはようさん」おやじさんがいかつい顔を壊して頭を下げた。「おおお……おはようございます……」私は慌てて挨拶を返した。おやじさんは何事もなかったかのように歩いていった。ふえーっ、私はヨレヨレと歩きながらうん、先入観はいけないと、少し反省した。そう、最近の私、このように挨拶を交わされる人がなぜか多い。土手を歩いていても、路地裏を歩いていても見知らぬ人なのに、すれ違う時に挨拶される。その度に、どぎまぎしている自分にあきれる。何も慌てる必要はない。ただひとこと挨拶を返せばいい。「こんにちは」それだけで何か儲けた気がする。そんな気がする……やっとその境地になったといってもいい。「おはよう」そんな境地になっている私の傍を小学生が声をかけて追い抜いていった。「おおお……おはよう」私は慌てて声を返した。小学生ははるかかなたを走っていた。うん、私、まだまだ、その境地にはなっていないようだ。しかし、気持ちはいい。季節は秋。
2007.10.22
コメント(12)
チケットを買って出しているから勘定する必要はない。「お愛想!」たら「お勘定!」たらの変な言葉を言う必要はない。お愛想、お勘定は、店の側の隠語らしい。さあ、麺を喰った。さあ、どうやって立ち食い蕎麦屋を出るか。うん、そういうことだ。参ったな。店を出る機会を探さなくてはいけない。取りあえず食い終わった器を返却口に戻さなくてはいけない。「返却コーナー」があればそこに置けばいい。なければカウンターの隅にでも置けばいいだろう。そう、食い終わったまま出ていくのはエチケットに反する。そうだろう。おやじさん、おばさん、ひとりしかいない。器を回収したり、カウンターを拭く余裕などない。ふふふ、今では、多忙な時間、人を増やしている店もあるらしい。昔は、とにかく、働いている店員はひとりだった。そう、それが立ち食い蕎麦屋だった。喰うも孤独なら、つくるのも孤独だったのよ。孤独なる店よ。おお孤独なる人生の旅人よ。器をとにもかくにも戻した。つゆをこぼしたなと思ったらフキンで拭いておく。後からの客が嫌な思いをしなくて済む。カウンターを拭いてあげたからと言って、店員からお礼の言葉は出ない。お礼の言葉など期待してはいけない。それになにより、フキンがじとーっと濡れているのが気持ち悪い。ああ。無愛想、沈黙、孤独、店の中に漂っているだけだ。「ごちそうさん」そういうかけ声もかけなくていい。かけると店員が驚いて顔をあげる。そういうことはない。おそらく作業をしながら「無関心」の表情を見せるだけだ。愛想を言わなくていい。水を出さなくいい。勘定をしなくていい。カウンターを拭かなくていい。そう、店員は蕎麦をつくる作業に没頭している。そう、爪楊枝でもくわえて、そーっと出ていくしかない。そう、そーっと出て行く。いたずらに声などかけてはいけない。ただ、ひたすらに、そーっと出ていく。「喰ったなあ」そういう満足感を感じなくていい。立ち食い蕎麦屋を出た瞬間に、あなたはモードは次の行動に切り替わる。そうだろうね。普通の蕎麦屋に入って出た場合には、蕎麦屋の雰囲気を引きずる。なかなか「次のモード」に切り替わることができない。それがね、すぐに切り替われる。ふふふ、それが立ち食い蕎麦屋のいいところよ。さあ、立ち食い蕎麦屋を出た瞬間から、あなたは次のあなたなのだ。ふふふ、でもね、田舎坊の私、思わず言って出てしまう。「ごちそうさん」人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.21
コメント(14)
そうそう、立ち食い蕎麦屋の店の中の説明をしていなかったね。この説明をすると、少々せつなくなるんだ。何故って、そう立地条件が悪いということが前提となるからだ。何をつくってもはやらないだろうな。仕方がない。立ち食い蕎麦屋でもやるか。そんな想いでつくられるのが、立ち食い蕎麦屋なんだ。ヨシッ、立ち食い蕎麦屋をつくって儲けて儲ける。ふふふ、金持ちになってやるべえ。頑張るべえ。立ち食い蕎麦屋、間違っても、そのような動機からつくられていない。ふむふむ、最近の立ち食い蕎麦屋は少々事情が違っているようだ。とにもかくにも、だから、昔の立ち食い蕎麦屋は悲惨だった。ガード下の隅っこの三角形となる斜めになる場所とか、階段下の天井が斜めになって何もできないところ、そのような場所が多かったね。だから、窓なんかはもちろんない。厨房に面したカウンター以外のカウンターは壁に面して細長くか角が曲がってつくられていた。そう壁を見ながらひたすら蕎麦を喰うという店だった。ひたすら喰うといっても、時には息を吸いたくなる。壁に向かって吸うしかない。何もない壁に向かって息を吸う。うん、なんとも言えない孤独を感じる瞬間だべえ。それにね、やけに暗かったね。裸の蛍光灯がちらほらしかなかったね。そう喰うだけだから、それで十分だった。壁には『新そば』と書かれた古いポスターが貼られている。うん、昔、やる気が少しあった時代の名残だね。うん、これは昔の立ち食い蕎麦屋の話だね。今はすっかり変わっているようだ。うん、それはともかく蕎麦を食い終わってどうするか。その話をしようと思っていたのに……。ああ、時間がきた、明日の話だね。テヘヘヘヘ。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.20
コメント(4)
立ち喰い蕎麦屋には何もない。テレビもない。スポーツ新聞もない。漫画週刊誌もない。だから、ひたすらに蕎麦を喰うだけだ。新橋の立ち喰い蕎麦屋などは暗かったな。やけに暗かった。店の照明も暗かったけれど、店員も暗かった。話をしない。無駄話を一切しない。つゆをかきまぜたり、麺の数を数えたりしている。薬味のネギを切ったり、カウンターを拭いたりしている。店の中が静かというより暗い。だから、客は蕎麦を喰うことに専念しなければならない。それにね、蕎麦も味わうというほどでもない。そう、ほどほどの麺につゆなのだ。そうだよね、コシがあって風味があったら立って食べるのは、蕎麦に対して失礼に当たるというもんだ。立ち食い蕎麦よ、お前も淋しいよな。場が場であったならそれなりの想いで食べられたろうにね。客が立っているがためにひたすら喰われるだけだ。そうだろう。ほとんどの客がひとりだ。二、三人と連れだっての客はいない。みんなひとり、みんな孤独なのだ。そうだよな。今、思い返すと、客も孤独なんだ。蕎麦を喰っている背中には「孤独」という文字が見えたもんな。そうだよな。孤独な都会には孤独な立ち食い蕎麦が似合っている。うん、私はせつなくなった。ああ、立ち食い蕎麦よ、ああなんと淋しくもせつない蕎麦よ。そう思うと、ただひたすら喰うしかない。喰う、すする、喰う、すする、喰う、すする。孤独な作業は五分とかからない。つゆの中を一度かき回して、麺が残っていないことを確認する。つゆは全部飲まない。しょうゆ辛い。血圧に悪い。ふふふ、立ち食い蕎麦屋で身体のことを考えている。これも孤独のなせる技なのだろうか。ああ、蕎麦を喰い終わった。さあ、どうすんべえ。ふふふ。このままでは店を出られないのだ。(つづく)人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.19
コメント(12)
最近、東京の地下鉄で自動改札口が故障して混乱したらしい。田舎の大分でも同様のことが起きた。大分に地下鉄は走っていない。バスのカードリーダーが故障した。ある日、バスに乗ろうとしてカードリーダーにバスカードを入れようとした。入らない。最近、目が薄くなったので入らないのかと焦った。焦っても焦ってもなかなか入らない。「そのまま乗って下さいな」運転手がマイクで叫んだ。バスカードさえ入れることができなかった。ああ、歳はとりたくなてものだ。私は疲れていた。おっとと、次のバス停、乗客がバスカードを入れようと戸惑っている。「そのまま乗って下さいな」運転手が、また、マイクで叫んだ。どうもカードリーダーが故障しているようだ。歳のせいではなかった。ホッとするとともに、そう思った自分が情けなかった。さあ、降りるとき、どうなるのだろう。私は少し興奮してきた。混乱、絶叫、阿修羅、いろいろな状況を想像した。想像はいとも簡単に砕けた。「そのまま降りて下さい」運転手のひとことで乗客は静々と降りた。ふん、つまんないのと思ったが、次第に喜びに変わってきた。百六十円、払わなくて良かった。儲かった。ふふふ、私はひとりほくそ笑んだ。それから、三日後、またもカードリーダーの故障のバスに行き当たった。おう、これで、またも百六十円儲かる。ふふふ。バス停に着いた。乗客は降り口に向かった。おばあさんがカードを入れようとした。「それ壊れているから、そのまま降りて下さい」」運転手が冷たく言った。おばあさん、なんと財布を取り出した。なんと財布を盗りだして現金で払った。「乗ったらお礼を払うのはあたりまえじゃ」おばあさんは何もなかったかのように降りていった。ふむふむ、私も仕方なく財布から現金を取り出して払った。なにか百六十円を損した気持ちになっていた。気持ちになっていたけれど、おばあさんの言葉を思い出した。「乗ったらお礼を払うのはあたりまえじゃ」 そうだよな。最近、みんなあたりまえのことを忘れている。私の気持ちは秋の空のようにさわやかになっていた。ああ。人気blogランキングへ←ランクアップのために良かったらクリックして下さいな!
2007.10.18
コメント(11)
全776件 (776件中 1-50件目)