真のレーサー



●マンセルの再来か
そう、琢磨です。比較的古いファンの人、特に小生のようにナイジェル・マンセルが大好きだった人には、トラック上での琢磨の姿にマンセルをダブらせる人も多いはずです。カナダGPの予選、PPさえ期待されたところに、最終コーナーでの360°スピン!! 「うあ~~!! やってもーたああ!!」と叫んで大笑いでした。多分、「がっかりした」とか「もっと落ち着けば良いのに」という意見の方もさぞ多かったでしょうが、小生はあれで、琢磨大好きになりました。「良いぞ!マンセルみたいだ!!」と直感的に思ったのです。勝っても勝ってもチャンピオンになれず「無冠の帝王」と呼ばれ、フェラーリでも大暴れしてウイリアムズに戻って、1991年に最強の車でも(チーム含め)チョンボが多くて最後には涙を飲み、1992年にやっと、ブッちぎりでチャンピオンになったあのマンセルです。

あのオッサン、本当に見ている者を楽しませてくれました。終始、「優勝かリタイア」という暴れん坊、でも本当にプロでした。小生、F1をまともに見始めたのが1988年だったもので、それ以前のピケやプロストとの直接対決は見ていないのですが、1989年からフェラーリに乗って、ダメと言われていた車で開幕戦でいきなり勝ち、ハンガリーでは12番手スタートから抜いて抜いてついに優勝(当時は再給油が禁止されていましたから、要は全部コース上で抜いたわけです)してしまったのを見て、すっかりファンになりました。勝てるレースで大チョンボ(例えば1991年のカナダでも、あと2周までトップを走りながらヘアピンの立ち上がりで間違えてエンジンを切るスイッチを押してしまいリタイア、とか)して、血の気が引くぐらいのがっかりを味わわせてくれたり、いつだかのオーストラリアGP(当時はアデレード)で大雨のレースで720°大スピン(戻っちゃうのが信じられない)をやってみせたり。あと、1992年のモナコでの、セナとのバトルは有名ですよね。とにかく、ハラハラドキドキ、足掛け4年応援して、やっと1992年にチャンピオンになった時は、本当に泣きましたよ。

琢磨には、それと同じスリリングでチャレンジングな魂を感じるのです。彼も、常に全開、「前にいる奴は誰であっても抜く」というウガウガ走法ですよね。ポイント狙いなんで意味がない、とにかく誰よりも速く走って、誰よりも前に出る、という心意気です。レーサーだったら、本来そうあるべきなのです。

2002年のジョーダンでは車が悪かった事もあり、本当に悪循環の連続で評価の対象にもならなかった上に、レギュラーシートを失って、小生も当時 別の独り言 に「イギリスF3チャンピオンや、マカオを勝って来た実力がある。ハッキネンだってテストドライバーをやって後にチャンピオンになったし、琢磨にはまだ将来がある。でもBARの車には将来の期待も薄い。」と書いたものですが、車がハマッてるだけに良い方に予想が外れつつあるなと思っています。結果的に2002年は、最終戦の日本で5位入賞して騒がれていましたが、小生にとっては「何で2ポイント取っただけで大騒ぎしてんだ」と思ったものです。そんな器の小さい奴じゃない、と思ってましたから。そう、始め遅い車で走って、移籍してテストドライバーからレギュラーになって、急に車が良くなって、という流れでも、ハッキネンにも似ているのですね(ハッキネンの場合、マクラーレンでレギュラーになってからしばらくは、車がダメでしたが)。今年中に1勝は必ずすると思っていますから、来年も車が引き続き良くなれば、いよいよミハエルとのタイトル争いが見られるかもしれません。

だいたい、ミハエルに対抗できるような「キャラクター」が、現状のF1ではいないんですよ。小生が良く使う表現でいえば、ミハエルは「スーパー(超一流)」で、他は「並の一流」なんです。その中でも、モントーヤやライッコネンには期待していたんですが、やはりパンチに欠ける。セナやプロストがまだ現役バリバリだった頃に出てきたシューマッハから感じた、あの衝撃は、上記の2人やバトンなんかからは、全く感じられない。バトンなどは、たまたま車が良くて他がダメなだけで連続表彰台を得て、にわかに注目されてはいますが、ただの「失敗しない一流ドライバー」なだけで、「レーサー」ではないですよね。そんな中で琢磨は、下位カテゴリーでの実績はもちろん十分、ジョーダンの時は空回りばかりでした。しかし今年は、カナダまでは予感ばかりで結果が付いて来ませんでしたが、その時点でとやかく言う必要は全くないと思っていましたよ。それどころか、前述のカナダの予選での大スピンで、「こりゃ本物だ」と確信したものです。実際、速い。爆発的にね。決してきれいではないけど、ベネトン時代のミハエルだって、ものすごく鋭い走り方だったのですから。同じ日本人だからではない(そう、小生は別に、F1ブームの頃に中嶋を応援しているような口ではありませんでした)、あの、人を惹きつける(良くも悪くも)トラック上での姿というのは、人をがっかりさせるのも含め、ただの一流ではない証拠なのです。だいたい、例えば右京にしたって、いつだか(‘94~95年頃だったか?)のカナダで4位を走っててリタイアした時、どれだけハラハラして、どれだけガッカリしましたか? 同じ日本人だから、一応気に留めはしたたものの、「そうかい」ぐらいなもんだったでしょ?

●優勝至上主義
話は飛びますが、そもそも現代F1で、昔は当然だったドッグファイトがあまり見られなくなった大きな原因のひとつは、おかしなポイント制にあると考えます。古来、当然「優勝」が最も栄誉あるものであるのは変わらないと思われていますが、本当でしょうか。現代のF1では、抜いて抜いて、がんばって優勝を重ねるよりも、2位や3位を数多く取ってポイントさえ多く積み上げれば、1勝もしなくたってチャンピオンになる事は、かなりの確率で起こり得る事なんですから。現に昨年のライッコネンが、危うくそれに近い(6勝のミハエルを抑えて、1勝でチャンピオン)事をやりそうになってましたからね。現状のルールのままあと10年もやったら、絶対に(賭けても良いです)そういう状況が生まれますよ。

ではどうすれば良いか。ポイント差を、昔のように戻す(1位から6位まで、10、6、4、3、2、1)だけではダメですね。まず、勝利数をチャンピオンシップの最優先事項にすべきです。そして、同数で並んだら獲得ポイントを比較する。更に獲得ポイントは、優勝者は20、以下6位ぐらいまで10、5、3、2、1、ぐらいで良いでしょう。つまり、6位に入賞した時に「この1ポイントが、チャンピオン争いの上ではシーズン後半に意味を持って来る」なんていうコメントをチームやドライバーから聞けないようにしてしまうのです。何しろ、ひとつでも前に出る事が、ドライバーにもチームにも大きな意味を持つようなルールにする事です。そうしたら、ポイントを取る事を最大の目的として、レース本来の姿であるはずの「オーバーテイク」のリスクを犯さない、なんていう馬鹿げた思考はなくなり、本来の「レース」が戻って来ますよ。

現状のルールである以上、今のF1は点取りゲームでしかなく、「誰よりも速く走り、誰よりも前でゴールする」という、純粋な「レース」の持つ単純明快な原理が全く適用できなくなっていますからね。こんなにつまらないルールはないです。

●レギュレーションの裏にある「レース」とは無関係の事情
現代のF1は、やらなくても良いのにアメリカのレースから輸入したルールが多く取り入れられていますよね。

まずセーフティーカー。アメリカでは「ペースカー」と呼ばれ、スタート(ペースカーの先導によるローリングスタート)から大活躍ですが、これには意味があります。アメリカのレースはオーバルや市街地が多かった事もあり、外側は全て壁という危険な中で安全性に最大限配慮して行なわれるため、スタートも停止状態からのスタンディングスタートではなく、全車がほぼ同じ速度からのローリングスタート。これにより、スタート失敗した車に後続車が突っ込むなんていう危険性が極小化されます。あとは、レース中に事故や故障車が発生した場合に、即導入されて、安全が確保するまで全車を先導する。これには、TV中継の上でCM時間が取り易いという、アメリカらしい思想も関係していましたが。それをF1に安易に持って来たのが間違い。F1では、昔はレース中に重大な事故が起こった場合、赤旗でレース中断。変則2ヒート制になりました。また75%以上レース終了していればレース成立で、赤旗終了、というのは現在でも残っていますね。特に、スタート直後(2周目まで)に赤旗が出たら、レースのやり直し、つまりクラッシュした車も、スペアカーで再スタート(ただしピットスタート)ができました。これにより、スタート直後に多くの車が絡んでリタイアしてしまっても、元の台数で仕切りなおして、レースが見られた訳です。こうしてみると、見ている方にとっては昔の方が良かったように思いますが、何がそうさせないか。単にTV中継の都合です。要は、アメリカ式よろしく、セーフティーカーが入っている間はCMが流せる訳です。また中断によりレース時間の延長もないので、TV局にとっては他の番組への影響も少ない。ドライバーやチームのためのルールでは、全くないのです。

次に再給油。これも、古来からF1では禁止されていたものが、94年からでしたっけ、OKになりました。これもアメリカ式ですが、アメリカではペースカーの頻度が高く、ペースカーが出ると皆一斉に給油・タイヤ交換します。これをしなかったり、量を加減したりで、順位が入れ替わってレース戦略が複雑になるのです。アメリカのレースで使う車は、F1と違いオーバーテイクのし易い(空力的にも、ブレーキも)ものなので、これによってグリーン中(通常のレース中)のオーバーテイクがなくなるという事もありませんし、かえって速い車が順位を下げた所から挽回するのを見られる。また実力差があっても上位進出のチャンスが誰にでも生まれ、各チームのスポンサー的にもTV露出時間が多くなるため、興行的な有利性もあります。また、そもそも赤旗再スタートしなくても、十分に出走台数が多いのもアメリカの特徴です。が、F1ではさにあらず。そういうアメリカの特性をどこまで研究したのか知りませんが、ただ安直に、「レース戦略が面白くなる」という触れ込みで導入されてしまいました。結果、空力的に非常に洗練されたF1では、前車のスリップストリームに入ろうものならたちまち自車の空力バランスが崩れてコントロールが難しくなるため、コース上でリスクを犯して抜くよりもピット戦略で順位を上げる、という考え方が主流となってしまった訳です。

最近で最も酷いのが、予選方式ですね。「一番速いF1が見られる」のが以前の予選だった訳ですが、何でしょうか、去年からの遅い、つまらない予選は。しかも給油戦略に更に複雑さを加えて、本来の、ドライバーによるコース上のガチンゴ勝負はどこかに置き去りにされ、遅い車が軽くて速い車を抑えるというつまらないレースを助長しているだけです。昔の予選の、最後の3分間に数台の順位が劇的に入れ替わるポール争いというスリル(終わった後、「スポーツを見た」という爽快感があった)は、今の予選には皆無ですからね。これも、全ての車が平等にTVに写るという対スポンサーのメリットだけが重視され、本来の自動車レースとは違う世界に入ってしまってますね。少なくとも、レース前に燃料を入れちゃいかんという馬鹿なルールは、早く止めるべきです。そして、昔と同じにとは言いませんが、1アタックのみというのも止めた方が、白熱した予選が見られますよ。

●レーサーとは
こうして考えてくると、現状のF1はレースではなく、広告をつけた車が淡々と自分の順位を走っているのを、退屈にTVで見るだけの、自動車ショーのようになってしまっていますよね。そんなところでは、琢磨のような「ファイター」は必要なく、とにかく最後まで走ってTVに写ってろ、という話にしかならない訳ですよ。そんなのを見ても、最近見始めた人や、他のカテゴリー(下位フォーミュラでも、耐久でも、アメリカのレースでも、ラリーでも、2輪でも)をあまり見ない人には、そういうもんだと思い込んで、琢磨のやっている事が気に入らないという話になるのかも知れませんよね。違うんですよ。琢磨のやってるのが、本来のレースであり、琢磨が「真のレーサー」なんです。そういう意味じゃ、モントーヤと(スーパーではないにしろ)、ミハエルぐらいが、バリバリのレーサーなんです。熱い奴を見て、熱くなれる。そんなレースが見たくはありませんか?

平成16年7月1日

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