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明日から抗がん剤を始めるという日には、詳しい具体的な説明がありました。始める前に吐き気止めとアレルギーを防ぐ薬を飲む事、少しずつ点滴して血圧や様子を見て行う事、アレルギーがある場合はすぐに出るとの事でした。吐き気は人により違い、明日特に問題がなかったら、明後日は退院になるとの事でした。その後は2週間おきに火曜日に入院して水曜日に治療して木曜日帰る事を繰り返すそうでした。抗がん剤投与の当日の朝、体重を測りました。尿量を測定し、飲んだ水分の量を記録するように言われました。血圧は最高が88で最低が48で低めでした。9時前から水分の点滴が始まり、10時半に吐き気止めがつながりました。11時にタキソールの点滴が始まりました。私にはベテランの看護師さんがついたので少し安心しました。始めますと言ってほんの数滴、入った所で、顔色が変わったのか「大丈夫ですか?」と聞かれました。それからまもなく目の前が黄色くなりチカチカしました。目から火花が出るとはまさにこの事と思いました。そしてめまいがしました。すぐに看護師さんが点滴を止めて医師を呼びに行きました。医師が急いで来て、いくつか薬を点滴しました。胃腸が痛くなり、3回吐きました。酸素マスクが付けられ、心電図も付けられました。酸素濃度も指先で何回も測っていました。どうなるのかもう駄目なのかと不安でしたが、医師と看護師さんが大丈夫と手を握ってくれて少し落ち着きました。2時過ぎには酸素マスクが取れて落ち着きました。後はゆっくり休むようにとの事でした。今後の治療は検討中でしばらくかかるとの事でした。翌日朝起きたら手がしびれていました。タキソールは手がしびれる事があるとは聞いていましたが、ほんの数滴でも副作用が出るのは怖いと思いました。2日後に医師から説明がありいろいろな意見が出たけれども、エンドキサンに変える事に決まったそうでした。このアレルギーがあって変わった事は、それまで順調に出ていた便が出なくなった事でした。手術後も毎日きちんと便が出ていたのに、何日も頑張っても出なくなってしまったのです。回診に来た医師に言って、まずはマグミットをもらいましたが数日飲んでも駄目でした。そして漢方薬の大建中湯とラキソベロンをもらいました。7月19日にタキソールの点滴をして、24日まで便は出ませんでした。便が出ないまま、新しい抗がん剤の投与の日24日が来ました。今度の抗がん剤は大丈夫か聞くと、やってみないとわからないとのことでとても不安でした。アレルギーについては事前の説明では少ししか触れられなかったのですが、珍しいものなのかあまり調べてもわかりませんでした。ブログを探すと同じような体験をした人がいる事がわかりました。でも、薬の副作用については説明が少なく調べてもわからない事が多いです。がんより抗がん剤のアレルギーで死んでは意味がないと思いました。そしてアルコールが薬を溶かすのに入っている場合、注意が必要な事を知りました。アルコールに弱い人はご注意ください。
November 24, 2011
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又、間が開いてしまいましたが、術後から書きたいと思います。術後翌日の8日午後には、ベッドから立ち上がる練習をしました。頭がくらくらしてとても駄目でした。看護師さんが血圧を測りながらでしたが、私の血圧は自動の携帯用の物では測れなくて水銀柱の聴診器で測っていました。2回ベッドサイドに座る練習をしました。この日はここまでで無理しなくていいという事でした。おなかが張っていましたが、座薬と点滴の痛みどめで治まりました。9日には、簡単に立ち上がる事が出来ました。病棟の廊下を歩きまわる事も出来たので、尿の管も抜いてもらいトイレに行けるようになりました。出産後にトイレに行った時には感覚が変でしたが、この時は普通に尿が出てほっとしました。尿量はカップで測って記録するように言われ面倒でした。夕方にはガスが出て夜から食事が始まりました。夜は痛いので座薬をもらいました。10日には、背中の管とドレーンを回診の時に抜きました。下痢をしてお腹がすっきりしました。11日には傷のホチキスのような金具を取ってもらいました。入院は予定よりもっと長くなるかもと言われました。12日にはシャワーが許可されてさっぱりしました。シャワーは予約制で30分なので好きな時間を取るのと時間が短いのが大変でした。15日には教授から説明があり、CTや摘出した細胞からは異常がなかったと言われました。ただし、前に摘出した細胞が悪性だったので、今後の治療があるとの事でした。説明は先生に急用があり夕食後になりました。癌細胞の大きさはほぼそろっているが、まれに巨大核細胞があるのと明細胞癌なので抗がん剤が必要で6クールやるとの事でした。1クールやったら退院との事でした。抗がん剤の一つはイチイという垣根に使われる木の皮を煎じて作った物で、一つは白金の電離を利用したものだそうでした。1期で良かったと言われ、5年生存率は80%だと言われました。末梢神経にしびれが出る事もあると聞いてそしてそれは治療法がなく仕方がないとの事で少し心配になりました。16日には看護師さんからもっと詳しく説明がありました。その時、アルコールは大丈夫か、お酒は少しは飲めるかと聞かれ、ほとんど飲めずアルコール綿でもかぶれる私は心配になりました。それでしつこく看護師さんに聞きましたが、不安が現実のものとなってしまいました。長くなるのでそれは又次回に書きたいと思います。
November 17, 2011
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前回書いてからだいぶ日数が経ってしまいました。前回は手術の説明まででした。手術日は1日延びましたが、それまで準備がありました。2日前には、もう消化の良い食事に変わっていました。下肢静脈瘤の疑いのための検査はすぐに終わりました。この時は足だけだったせいか造影剤は大丈夫でした。結果はその日のうちにわかり特に問題がないとの事でした。水分をたくさん採って造影剤を早く出すように言われました。麻酔科医が説明に来て、ぜんそくがないかなど聞かれましたので、子供の頃には気管支ぜんそくがあり、アレルギー体質だという事は伝えておきました。下剤を飲み始めたので、夜にはもう便が出て、1時間半くらい寝て目が覚めたら寝られなくなりました。その後おなかが痛くなり4回ほど便が出ました。12時過ぎに寝られないと看護師さんに言ったら、12時過ぎにはもう睡眠薬は出ないと言われずっと起きていました。前日には、もう飲み物以外は口に出来ませんでした。お風呂に入り下剤を飲みました。お風呂でおなかの下の毛を剃るように言われましたが、前回の手術から2週間くらいしか経っていないので傷口が心配だと言ったら、看護師さんが剃ってくれました。便が4回出て看護師さんに見せたらまだ固形部分があるとの事で、夜8時に洗腸してやっと合格が出ました。夜寝られないと言ったら点滴をしてくれましたが、かえって胸がドキドキし心配で寝られないと思ったので止めてもらいました。止めたらドキドキが治まりました。私は睡眠薬は合わないようです。かえって寝られなくなりました。心臓の方は心電図を付けましたが大丈夫でした。手術当日は、6時に浣腸しました。トイレが部屋に無いので大変でした。7時に麻酔準備薬を3種類飲みました。家族が朝早くに来てくれました。8時20分には麻酔室に運ばれました。前日ほとんど寝ていないので、名前や何かを聞かれマスクをしたらもう寝てしまいました。気がついた時には部屋に戻っていて酸素マスクがついていました。息苦しくて気持ちが悪くなりました。えへんと痰が切れないといけないそうでした。血圧もかなり低くて体温も上がったり下がったりで氷枕をしたり電気毛布をしたりしました。しばらくして酸素マスクは取れましたが、体は全く動けませんでした。苦しかったけれど何回も看護師さんが来てくれて心強かったです。手術は自分ではわかりませんが、腸の癒着がひどくて剥がすのに時間がかかったそうでした。リンパ節は検査用に最小限取っただけだそうで、見た目はきれいで転移もないようだとの事でした。
October 18, 2011
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手術から5年経っているのでだいぶ詳しい事は忘れてきています。それでも手帳に毎日書きとめていましたので読むと思い出します。あまりいい思い出は無いですが。退院後も通院日誌は必ずつけています。 入院前日に病院から二人部屋が用意できたと電話がありました。私の病院は入院患者が多く混んでいるので、いつも次回の3週間後の入院の予約を退院時にしていました。病室が満室で遅れたり、希望の部屋がとれないこともありますが、私は運良く希望通りになりました。入院前に美容院に行って髪を短くしてもらいました。そして緊急入院ではないので持ち物もしっかり自分で用意出来ました。2006年7月4日に入院しました。検査など済んでいたので直接入院受け付けをしました。混んでいましたが手続きを終えて、病室を教えてもらい行きました。私はそれまで出産ぐらいしか入院していなかったので、またこの病院とはまだ前の週に初めて来ただけでなじみが薄かったのでドキドキしました。その日に手術の説明があるとの事で、主人と行きましたが、教授は外来が終わってからなので7時過ぎになりそうだとのことで、主人は一度家に戻りました。体温や血圧を測り、採血して、担当看護師さんに説明を受けました。スケジュール表も渡されました。この日のメインは手術の説明を聞く事でした。結局夕食後の7時過ぎにやっと呼ばれました。メモを取ろうとしたら、医師が手術説明書の用紙に絵や字を書き説明しました。下肢静脈瘤の検査が必要だとの事でした。この検査の結果によって手術の仕方が変わるとの事でした。腸や尿管を破損したりすることもあるとか、もしものことを聞くと怖くなりましたが、説明はさすが教授でわかりやすく詳しかったです。こちらは実際の説明の時に医師が書いたものです。こちらに同意のサインをしました。この時、民間療法はしないように、何かやりたい時は必ず相談するように言われました。又、手術日が一日延期になり、手術するのは教授ではなく別の医師に決まりました。教授が自分はかなりの数の手術をしていると言っていたのでご自分でするのかと思っていただけにちょっと不安に思いました。よく本などで実際の手術数は本当にその医師が全部やったとは限らないといいますが、なるほどと思いました。でもこの時の執刀医は教授が一番信頼がおける医師だということで納得し、この医師とあいさつをして、お願いしました。そのあと、中心静脈カテーテルや麻酔、輸血の同意書などサインが必要な書類が多いのには驚きました。この時は腸閉塞に関しては手術後すぐだけかと思っていました。
September 27, 2011
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紹介された大学病院を出たのは4時過ぎで家にはやっと6時ごろ着きました。ほぼ1日がかりでした。長い1日でしたが、あっという間に手術予定が決まり順調に術前検査も終わりました。後から他の人に聞くと、結構検査漏れがあったりして、ほぼ全部一日で終わるのは珍しいようでした。夜下腹部痛があり、眠れなくて心配になりました。主人が最初入院した近くの産婦人科に電話すると、大学病院を紹介したのだからそちらで聞くようにとの事で診てもらえませんでした。紹介してしまったらもう面倒な患者には来て欲しくないのだなとちょっとがっかりして嫌な感じがしました。それでも助けてもらって紹介もしていただいたのだから文句は言えないなと思いました。大学病院も救急を診てくれるので電話をしました。とりあえず家にある痛みどめを飲むように言われました。それでノーシンを飲みましたがやはり痛くて眠れませんでしたし、今度は3回下痢をしました。又電話をして聞くと今度は下痢止めを飲んでそれでも悪かったら翌日外来にかかるようにとの事でした。翌日はMRI検査が予約してあったので念のため婦人科外来も診てもら事にしました。MRI検査は初めてでしたが、イヤホンで音楽を聞くように言われましたが、工事のような大きな音がうるさかったです。でも寝ているだけだったので痛みもなくよかったです。13時頃やっと外来で呼ばれました。教授ではなく若い医師でした。夜の痛みの事を言ったのですが、検査後の痛みはだんだん弱くなるので大丈夫との事でした。それでもあなたの言っている事がわからない、痛みどめが欲しいのか下痢止めが欲しいのか聞かれました。家にある薬を飲んでいいとの事でしたがせっかく行ったのでビオフェルミンだけもらいました。検査の痛みの事はわかってもらえず、そういう時には痛みどめを飲めばいいというような事を言われました。もう2度と子宮の検査は嫌だと思いました。翌々日の7月1日に教授から結果を聞くことになっていたのですが、退院後続けて遠くまで病院に通うのがつらかったので、家族だけでは駄目かを聞いたら、なんで自分で聞かないのかと怒ったように言われました。そしてもう出ていた結果を見て、血液が固まりやすくなっている、でも術後だからかなとも言われました。外来にかかってとても嫌な気分になりました。同じ事を言うにしても言い方がもっと優しく言えないものかなと思いました。この医師とはその後も何回か診察を受けましたが、相性が悪かったようです。でも他の患者さんとも問題があったのか、数年後にはだいぶ変わりかなり感じがよくなりました。上手く自分の症状を伝えるのは難しいと思いました。術後9日だったのに医師はそれぐらい経てばもう普通と同じだと軽く言われましたが、自分も同情して欲しい甘えがあったのも事実ですが、少しは優しく接して欲しいなと思いました。結局、7月1日は主人と一緒に結果を聞きました。家を6時半に出たので、7時半頃には病院に着いて5番目でしたが、9時過ぎに呼ばれました。術前検査では特に問題が無く転移もないとの事を言われただけであっという間に終わりました。朝早くせっかく病院へ来たのにこれだけで終わりかと思うとむなしい気持ちになりました。3日後には入院するので、これなら主人だけでもよかったかなと思いました。
September 13, 2011
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2006年6月27日の5時に緊急入院した病院を退院しました。紹介先の大学病院の教授が翌日に診てくださるとのことで、急に退院が決まりましたのであわただしかったです。家にあった本に出ているくらいの有名な医師でしたので、ちょっと遠いけれどいい病院を紹介してもらえて良かったと思いました。最初の病院の医師は私には癌とははっきり言いませんでしたが、大きな病院で診てもらった方がいいといいインターネットで調べてその教授とコンタクトを取ってくださいました。翌日、7時に家を出て8時半頃病院に着きました。初めて行く所ですので緊張しました。紹介状があっても問診票をいろいろ書きましたし、その後も若い医師からいろいろ聞かれました。思ったより早く11時半頃診察室に呼ばれました。ここで初めてはっきりと卵巣の明細胞癌であることを告知されました。私のように早期で発見されるのは珍しくだいたい分かった時には目も当てられない事が多いとの事でした。この癌は悪性なので早めに残りの卵巣や子宮を摘出して抗がん剤治療をする必要があると言われました。前の病院の医師は早期できれいに取れたと言っているが、自分が診ないと本当に何期であるかは分からないとの事でした。セカンドオピニオンをしても同じ意見だろうとの事で手術に同意しました。普通なら3カ月待ちの所を、7月6日に手術の予定を入れてくださいました。手術が決まったので、その為の検査をその日のうちにやるように言われました。血液検査、尿検査、X線検査の他に呼吸機能や心電図もやりました。CTはキャンセル待ちでしたので、遅い昼食を食べていた3時半頃になりました。MRI検査はどうしても当日には駄目で翌日になりました。子宮体がんの検査を初めてやりました。ガーゼを入れられ、3時間後に抜くように言われましたが、抜いたら出血して痛かったです。夜眠れないと言うと、元気になる薬と言ってグランダキシンを出してくれました。結果を聞きに7月1日に来るように言われました。入院予約の手続きもしたりして4時過ぎまでかかりとても疲れました。夜は急に下腹部が痛くなり下痢をして大変でした。詳しい事は次回にしたいと思います。
September 8, 2011
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近くの病院ですので、5分くらいで着きました。もう病院でも待っていて車いすに乗せられました。すぐに子宮を検査したら、右の卵巣が10cmほどに腫れていて、卵管がねじれたために痛みが出ている事がすぐにわかりました。痛みどめの注射をしましたがなかなか治まらず、朝まで激痛に耐えて一睡も出来ませんでした。痛みどめは数時間待たないと使えないとかで、数時間後にもう少し強いものを注射して少し落ち着きました。手術するかどうかは院長先生と相談して決めるとの事でした。個人病院で主にお産が多いので、CTや検査室はないそうでした。エコー検査だけで手術が出来るのか心配でしたが、特に病気が無い人なら大丈夫との事で承諾書を書きました。なにしろ痛いのが早く治まって欲しかったです。8時前に院長先生がいらしてすぐに手術が来まりました。決まったらすぐにおなかを消毒され、剃毛されました。早さにびっくりしました。局所麻酔で医師二人で手術をしました。大きくなった右の卵巣だけ摘出し、左側は残したそうでした。肉眼では特に問題なくきれいに取れたとの事でした。膨らんだ卵巣は水のようなものが入っていて中身が出たらしぼんでしまったそうでした。一応病理の検査をするけれどもほぼ良性だろうとの事でした。血圧が下がってしまいしばらく回復室にいましたが、二人部屋に移りました。嘘のように痛みはなくなりましたが、麻酔が切れると傷が痛くなりました。エコノミー症候群を防ぐために足に厳重に巻かれました。早く歩いた方がいいとの事でしたが、翌日は血圧が低くて無理で無理しないようにとの事で術後3日目から歩きました。歩けるようになってから尿管が抜けてトイレも行けました。食事も重湯から順調に始まり、すぐに普通の食事になりました。3日後くらいに担当医から、いつご主人は来れますかと聞かれました。主人には病理検査の結果を話したようですが、私は聞いていなかったので1週間ぐらいで退院できると思っていました。順調に回復していたのですが、担当医がご主人は何と言っていますかと何回も聞いていたのが気になってはいました。あとで母に電話をした時、病理の検査が悪かったとのことを聞きました。主人は話せなかったようです。病理の結果が悪いので結果が出次第、検査センターが至急に連絡をくれたようで、担当医もあわてていたようでした。この検査センターは私が入社試験を受けて受かったのに辞退した所だった事を後で知りびっくりしました。5日目で抜糸をして傷口を見て順調だとの事でした。そこでこのあと大きな病院で診てもらった方がいいとの事で、特に行きたいところが無かったら医師がインターネットで探した病院に行くようにとの事でした。紹介先の病院とは電話で連絡してくださったそうでした。持っていく紹介状や検査結果も渡してくれました。その病院は千葉県にあり遠いなと思いました。自分が出産した近くの大学病院ではないのが不思議だと思いましたし、そんなに大変な病気なのかと思いました。退院後すぐに行くように言われました。6日入院して一度家に帰りました。久しぶりの家はやはりいいなと思いました。留守中の家の事息子の事は母がやってくれて助かりましたが、物がどこにあるかなどわからない事が多く大変だったようです。緊急手術だったので入院に必要なものはあとから持ってきてもらいました。この病院は飲みものの自動販売機があるくらいで売店が無いのでいるものはみんな持ってきてもらいましたが、駅前にあり何より家から近いのは便利でした。
September 1, 2011
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もう卵巣がんの手術から5年を過ぎましたが、又最初から今までの経過を振り返ってみようと思います。私は生理が4年生の終業式の頃に初めてありました。5,6年生の頃は生理の頃にいつも熱が出て体調が悪くなりました。毎月何か月も続き腎臓が悪いかもと言われましたが、小児科に通い次第に良くなりました。20歳ぐらいの時、生理以外に出血があり初めて産婦人科で検査を受けましたが、排卵時の出血だとかで、心配がないとの事でした。結婚前だと産婦人科は行きにくいもので、恥ずかしかったです。31歳で結婚する前に異常がないかどうか診てもらいましたが、特に異常はないそうでした。32歳で自然に妊娠し、普通分娩で出産しました。34歳で初めて人間ドックを受けましたが、何も異常はありませんでした。その後、皮膚科や風邪などで内科に行きましたが、血液検査もしていませんでした。2006年46歳の6月20日の夜に急に腹痛がありました。18日頃から生理になり、買い物に自転車で行っていてちょっとだるくていつもと違うなあと思っていました。20日の夜中の2時に腹痛で目が覚めました。食あたりの腹痛の時には、下痢するものですが、腸ではない感じでした。最初は何とか耐えられましたが、3時過ぎからは冷汗も出て歩くのもやっとのくらいで今までにない痛みに襲われました。おかしいと思い主人を起して、救急車を呼んでもらいました。救急車はすぐに来ましたが、近くの市立病院も今消化器内科で通っている大学病院でも断られました。私は生理だった事もあり、生理と関係あるのかと思いもしかして産婦人科の痛みかもと救急隊員に言いました。それで近くの産婦人科病院に救急で運ばれました。
August 27, 2011
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