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昨日のブログにコメントありがとうございました。母は汗っかきで暑さに弱いし、足腰が悪くて歩くのも大変ですが、最寄り駅まで行けば銀行や買い物に行けるので良かったです。主人がいるとゆっくり買い物が出来ないので送迎だけしてもらいました。まだ昨日は朝は曇っていて少しは涼しかったので良かったです。好きな物が買えて好きなものが食べられるのはありがたいし幸せなことだと思います。入院中は売店にも買い物に行けなかったので、早く自由に買い物がしたいなと思っていました。母と娘だと何歳になっても元気なら一緒に買い物に行けるのはいいものです。私は兄弟はいないので、母が元気で長生きでありがたいです。私は息子しかいないので娘がいたら良かったなと思います。退院後はだいたい今まで通りに食べられるようになりました。ただ辛い物や油が多い物、繊維が多い物には気をつけています。体重は退院後もほとんど増えず、入院前より5キロくらい少ないままです。以前きつめだったズボンでないとぶかぶかではけないです。私はがんで手術をしたわけではないし抗がん剤を使っているわけではないのですが、退院後は抜け毛がひどくなりました。洗髪をしたらかなりの量が抜けるし、普段もぱらぱらあちこち落ちています。このまま抜け続けたらと思うと心配です。全身麻酔や手術によってストレスがあったり、体が弱っていると抜け毛がひどくなることもあるようです。私は続けて2回も全身麻酔をしているのでその影響もあるのかなと思うし、栄養状態も良くないのかなとも思います。入院中洗髪できなかった期間が長かったのも良くないのかなと思いました。皮膚もしばらくカサカサがひどい時期もありましたが、退院後1か月くらいできれいになりました。抜け毛も自然に少なくなって欲しいです。
August 21, 2024
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昨日のブログにコメントありがとうございました。退院してからは早く感じます。家で自由に過ごせて好きなものが食べられるようになって本当に良かったです。食べ物に関しては特に食べてはいけないものは言われていないです。自分で消化が悪そうなものや油が多い物、繊維が多いものはあまり食べないように気をつけています。今までも麺類特にラーメンでおなかが張ることが多かったのであまり食べないようにしています。そうめんやうどんや焼きそばも一人分だと多いので半量ぐらいにしています。からあげやメンチカツやとり天はそれぞれ別の日に一つくらい食べましたが、大丈夫でした。牛肉のモモのステーキも少し脂がありましたが大丈夫でした。天ぷらやカレーは食べていないです。特に制限は無いと言われてもまたお腹が痛くなったら困るので考えながら食べてしまいます。薬は今回の入院の前まで大建中湯を飲んでいましたが、手術後は飲んでいないです。便秘気味で以前は酸化マグネシウムを一日6錠飲んでいたのが2錠でちょうど良くなりました。今は外科の医師に言われた通りにタケキャブと整腸剤のミヤBMだけ飲んでいます。その他は朝骨粗しょう症の薬のビビアントと夕食後アレルギーの薬を飲んでいるだけです。医師に言われた通り毎日シャワーで傷を洗っています。やっと血や膿は出なくなりました。入院中はスマホしか使えなかったのであまり腸閉塞についてネットで調べられませんでした。最近調べても他の病気よりも体験記は少ないように思いました。ブログがあったとしても腹腔鏡手術やイレウス管の挿入の体験ぐらいです。私のように腹腔鏡手術と開腹手術の2回をやったり、胃管やイレウス管を長く入れていたり、食事を1か月近くもとらなかった人はいないようです。下痢が続いたり、傷口がなかなか治らなかったり心配になることもありましたが、調べても情報は無かったです。私は癒着しやすい体質でさらに小腸も普通より長かったようです。癒着をはがして小腸の狭くなっているところを切ってつなげているので今は良くなったようです。何回もレントゲンやCT検査で確認しているので大丈夫だと思います。2回も手術と思いましたが思い切ってやって良かったと思います。貴重な体験を書いて残して行こうと思っています。
June 21, 2024
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昨日のブログにコメントありがとうございました。研修医の誤診に関しては救急車で救急外来がある病院に運ばれたからと言って安心出来ないものだなと思いました。救急外来も受け入れてくれない病院が多いですが、診れる医師がいなくて誤診されるなら断られた方がいいのかなと思ってしまいます。私が今年入院した大学病院は救急外来もあるし、それぞれの科にかかっている患者なら電話すると夜間救急で診てもらえます。救急車だと遠くの知らない病院に搬送されてしまう事もあるので、腹痛の症状がある時には外来でかかっているこの大学病院に電話して行くようにしています。今年はしばらくぶりでしたが、翌日まで待つのも辛かったので電話しましたがつながるまで時間がかかりました。さらに症状を看護師さんに伝えて受診の必要があるか聞いてからでないと行けないようになっていました。その時夜間料金がかかってもいいかと何回も聞かれました。それでもいいと言って受診したのですが、そのまま入院した場合は別料金は取られないようでした。私が行った時も最初は若い研修医で大丈夫かなと心配になりました。でも症状をよく聞いてくれたし血液検査やレントゲン検査やCT検査をすぐするように指示は出してくれたので良かったです。結果が出てからは別の医師も診てくれてそのまま入院することが出来ました。病室もちょうど空いていて良かったです。今回の腸閉塞は前の手術の腸の癒着が原因になっています。その最初の手術は卵管捻転で卵巣に腫瘍がわかったためにしました。この時は救急車を呼びましたが、受け入れ先がなかなか見つからず近くの産婦人科医院でやっと受け入れてくれました。大学病院や市立病院だったらもっと原因をよく調べたのでしょうが、私が婦人科系の腹痛かもと言ったので婦人科の検査だけで運良く見つかりました。主に出産のための開業医でしたので、血液検査や細胞のの結果も検査センターに出して時間がかかり、CTの機械も無かったです。そのため卵巣がんとわからず他の大学病院で再検査再手術することになりましたが、原因がわかり痛みは良くなったことはありがたかったです。でもここで2回手術したことで腸の癒着がひどくなってしまったようです。私のように婦人科系の手術後に腸閉塞になる人もいるようですが、複数回起こったり、手術が2回必要になる人はめったにいないそうでした。体験記を見てもなかなか出てこないです。
June 20, 2024
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昨日のブログにコメントありがとうございました。昨日は2か月ぶりに生協の宅配の人とあいさつが出来ました。母は自分で注文は出来ないのですが、私がスマホで注文したものを受け取ってもらえたので良かったです。私がいない間は買う量も少なかったですが、冷凍品なども含めて在庫がもうほとんどないのでこれからは買う品が増えそうです。少しずつ片付けて家計簿も4月分までは付け終わりました。英語クロスワードパズルもだいぶ終わっています。まだ退院後買い物などの外出はしていないです。買い物は必要な物を書いて主人に買ってきてもらっています。食事も以前よりは少なめですが、少しずつ食べられるようになりました。ただし、夕食後は少し胃のあたりが張ってもたれて苦しかったりします。それでも横になり休むと消化されて大丈夫でした。今は整腸剤2種類と酸化マグネシウムしか飲んでいないのですが、普通の硬さの便が出るようになって良かったです。酸化マグネシウムも一日2錠でちょうどいいです。今まで飲んでいた薬はどうするか消化器内科の先生に聞こうと思います。手術後大建中湯を飲んだ時もありましたが、下痢がひどくなって中止していました。毎日シャワーに入って傷口を洗っているのですが、まだ少し膿や血が出ています。それでもだんだん少なくなっています。明日は退院後の外来の診察に行ってきます。今までずっと診ていただいていた消化器内科の先生の診察も同じ日に予約してもらうので、水曜日になりました。明日はまず消化器内科に行って診察してもらってから、血液検査のための採血をしてレントゲンの検査をして外科に行くことになっています。二つの診療科に行き、検査の結果も待つので時間がかかりそうです。病院までは主人が車で送ってくれるので助かります。終ったら一緒に買い物に行って帰る予定です。台風が近づいているし、今夜は雨が強くなるようですが、明日は晴れるようで良かったです。
May 28, 2024
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昨日のブログにコメントありがとうございました。しばらく家を離れていると自分の家なのに違和感があって不思議なものです。入院中は電動ベッドで家は布団なので寝た時の感じも違うものです。私はベッドの方が寝やすいし好きですが、主人は嫌いなそうです。トイレが近くにありいつでも行けるのは安心です。やはりスマホよりパソコンの方がブログは書きやすいです。食事はまだ少なめに食べています。どれくらい食べてもいいかわからないですが、無理せず消化の良さそうなものを食べています。特に貧血だとか栄養不足だとは言われていないし、食事制限のないのは楽です。薬は今整腸剤と酸化マグネシウムを調整して飲んでいるだけですが、それで調子はいいです。病院によって違いますが、今回入院した大学病院はレンタル出来るものが多いです。何も家から持って行かなくても必要な物は一式レンタルできます。でも全部借りると高くなるので、私はコップやお箸や歯ブラシや歯磨き粉やシャンプーやボディソープなどは家から持ってきてもらい、パジャマとタオルだけレンタルしました。パジャマは汚れる事が多いし、点滴などもするので袖も長くない方がよく借りた方が便利です。だからほとんどの患者さんはレンタルを利用しています。退院してしばらくしてから請求書がきたら、コンビニで払えばいいのは便利です。家族も洗濯の手間が省けます。下着や靴下や紙おむつなどもレンタル出来るようになっていてすごいなと思いました。クリーニングのサービスも別にありました。私は食事が始まってから下痢になることが多かったので、途中から紙パンツと吸水パットにして買ってきてもらいました。レンタルより買った方が安いものもあります。売店に行けませんでしたが、必要な物は頼んでおけば買ってきてもらえたのも便利でした。入院中の病気の事はまたゆっくり詳しく書こうと思います。
May 23, 2024
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19日のブログにコメントありがとうございました。20日の13時頃主人が迎えに来て無事退院しました。退院する時に外来の予約を外科だけでなく今までお世話になっていた消化器内科の先生のも入れてもらいました。来週の29日の同じ日にしてくれました。それまで悪かったら予約前にも連絡して行っていいそうでした。薬は整腸剤と酸化マグネシウムだけもらいました。今の所大建中湯は飲まなくていいようです。荷物は多くなってしまっていましたが、カートが借りられたので良かったです。帰りに着る服を持ってきてもらいましたが、痩せてしまったのでズボンがゆるかったです。入退院窓口は午後でもいっぱいでしたが、退院の会計はそれほど待たずにすみました。20日の夜は少し食べ過ぎてもたれた感じがあったし、夜も急に寝るところが変わったのでよく寝られませんでした。昨夜はだいぶ慣れてよく寝られました。食事も消化のいいものを少なめにしています。昨日ずっとパソコンを使っていなかったので久しぶりに使ったら、途中で止まったりしてブログが書けませんでした。今日からはやっとパソコンでブログが書けるようになりました。やはりパソコンの方が書きやすいです。約2ヶ月入院している間に庭もだいぶ変わっていました。少しずつ又書いていこうと思います。
May 22, 2024
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昨日のブログにコメントありがとうございました。以前は隣の駅の駅ビルの中にCDショップがあったのですが、今は駅ビルが改装中なので又戻ってくるのかわからないです。最近CDを買うのはだいたい生協で10%引きで買えて宅配の時に配達してもらえて便利です。以前はクラシック音楽のCDもだいたい3千円くらいしていましたが、今は古いものだと千円台で買えて安いなと思います。時々スーパーで古いCDを安く売っているときもあります。今はまたレコードやカセットテープも復活してきたようで、私などはカセットテープやCDの方が愛着があり好きです。私がクラシック音楽が好きになったきっかけは小学校の時上野の文化会館でオーケストラの演奏を聞いた事です。その頃確か山本直純さんが「オーケストラがやってきた。」と言う番組をやっていてそれを見るのも楽しみでした。学校の音楽の時間のレコード鑑賞で聞いた曲からも好きになりました。中学生の頃は音楽室にはカラヤンポスターが貼ってありました。夏休みにはNHKホールでのコンサートにも行ったものです。ピアノもレッスンを辞めてからも好きでしたので好きな曲は楽譜を自分で買って弾いていました。でも難しい曲は弾けず、でもピアニストの演奏を聞くのは好きでした。好きだった中村紘子さんも羽田健太郎さんが早くに亡くなってしまいましたが、最近は清塚信也さんやハラミちゃんが好きになりました。子供の頃に音楽に関しての素晴らしい演奏や楽しくわかりやすい話を聞くと、興味を持つ人がもっと増えると思いますので、清塚信也さんや葉加瀬太郎さんなどに頑張ってもらいたいです。昨日は朝から胃腸の具合が悪かったです。便は3回出ましたがお腹がすっきりせず、朝が食パンとゆで卵とバナナ、お昼も消化のいいものを少しだけ食べました。いつも飲んでいる薬を朝昼飲みましたが、夕方頃からは時々おなかも痛くなり食欲もなく夕食は食べず、大建中湯を飲んだのですが良くならず、吐き気もしてきたので吐き気止めをもらっていたなと思い吐き気止めといつも飲んでいる胃腸薬を飲みました。座っているのも辛くなり横になったら少し楽になり、そのまま寝るのには早いのでしばらく座ってテレビを見ていました。早めに寝ようとしましたが、時々おなかが張ったり吐き気がしてなかなか寝られず、やっと夜遅くなって寝ることが出来ました。病院に行こうかなとも思いましたが、寒いし動くのは面倒だし、薬が飲めたので様子を見ようと思いました。今朝起きた時には便が出たので、腸閉塞になりかけても腸は動いているようなのでいいかなと思いました。大建中湯を飲んで食パンとバナナを食べていつもの薬は飲めました。吐き気は無くなりましたが、時々おなかが痛くなり水様便が午前中は何回も出て、お昼に同じように薬を飲みおかゆだけ食べましたがやっと腹痛も治まりました。しばらくは消化のいいものを少しだけ食べようと思います。このところ叔父さんからもらったのではっさくや干し柿や干し芋を毎日食べていたので消化が悪かったのかなと思います。食事も少し多かったのかなと思うのでしばらくは胃腸を休ませようと思います。
March 23, 2024
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7日のブログにコメントありがとうございました。母はその後ふらふらした感じは少しは良くなったようです。目が回るような感じはなく歩くとふらっとしたり後ろに引っ張られる感じがするそうでした。めまいの薬は毛細血管の血流をよくする薬のようです。いぜんからめまいはすることがあって大学病院の耳鼻科で検査したこともありました。6日の朝も眼科を止めて内科に行こうか迷ったようですが、眼科は予約してあって何とか行けそうだというので無理して行ってしまいました。主人が送迎すればよかったのですが、近くの駅までのバスがあるのでそれで行くから大丈夫というので一人で行ってしまいました。帰りはタクシーに乗ろうかとも思ったようですが電車とバスで帰ってきたのでそれも良くなかったようです。バス停から家までは近いのですが北風が強かったので、耳も詰まった感じがしておかしくなったようです。でも耳は夜には治ったと言っていました。北風が強い時や寒い時は外出は良くないのかなと思います。私も風が強い時に外に出ると耳がおかしくなります。今日の葬祭センターの写真撮影は無理だと思って昨日断りました。まだこれからも機会はあるようなので雨で寒いようなので無理しないことにしました。家の血圧計は私が測っても1回目は少し高くなりました。2回目は正常値でした。やはり少し壊れているかもしれないです。母が毎月行っている内科はほぼ院長先生が一人で診ています。耳鼻科に行かなくても聴力やめまいの検査も出来る事がわかりました。ただし小さい病院なので聴力検査をするのはレントゲン室だったりして、レントゲンの撮影を待ってもらったりしていました。患者さんは高齢者が多いですが、咳をしている親子も来ていました。小児科も診ています。さらにコロナワクチンやインフルエンザの予防接種や胃カメラの検査もやっていました。看護師さんは大勢いますが、いろいろやっているのでとても忙しそうでした。めまいの検査も看護師さんがパソコンにつなげて機械を操作してやっていました。医師が胃カメラの検査に入ったと聞こえていたので時間がかかるのかなと思っていたら、めまいや聴力の検査が終わった事にはもう診察をしていてすぐに呼ばれました。めまいの薬をもらえて良かったですが、薬がどんどん増えています。医師も聞かないし、忙しそうなので、もういらない皮膚がかゆい時につける薬や足がつった時に飲む漢方薬も毎回くれるようです。黙っていると毎回溜まっている薬も出されてしまうようなので今度は言うと言っていました。11時半頃終わったのですが、土曜日なのにまだ大勢の患者さんがいました。医師一人でよくやっているなと感心します。さらにこの医師は訪問介護もやっているのがすごいと思います。60代で私と同じくらいの年齢ですが、忙しすぎて大丈夫かなと心配になります。急に気温が下がったので体調が悪くなる人も多いと思いますので、皆さんも気を付けてください。
October 9, 2023
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7日のブログにコメントありがとうございました。息子は七夕の誕生日なのですぐに覚えてもらえるようです。今年29歳早いものです。生まれた年の平成5年は冷夏で涼しくて助かりましたが、お米の生育が悪かったので翌年はお米が足りなくなったのを思い出します。せっかく昨年秋に福島勤務から東京勤務になったのに家には戻らず少し残念です。でも親に頼らず自立出来たのは良かったと思います。福島にいる時インフルエンザや帯状疱疹に罹った時は一人で大変だったようですが何とか頑張れたようです。一人暮らしだと健康が一番心配です。東京ならまだ近いので何かあってもすぐに行けるので安心です。まずは私が元気でいなければと思います。4回目の新型コロナワクチン接種の予約が行きつけの病院で出来て良かったです。同じ日の同じ時間ですが、母は一ヶ月に一度行く内科、私はリハビリに行っている整形外科の病院です。母はもっと早く出来ればいいのですが、いつも行く内科では予約枠がすぐにいっぱいになってしまうようです。私が行っている整形外科は毎週土曜日の予約が空いていました。リハビリと一緒に出来るように金曜日の午後が予約出来て良かったです。いつも主人に車で送ってもらっていますが、歩いても行けるので便利です。手首とおしりを骨折して約2ヶ月になりました。退院してからも約1か月です。もう2週間前くらいからは杖が無くても普通に歩けるようになりました。ただ一人で長い距離を歩くのはまだ心配です。退院してしばらくは起き上がる時も長く座っていてもお尻が痛かったのですが、今は全く痛みはないです。杖はいつまで使った方がいいかは医師からの指示はなかったです。手首の方はこちらの近くの病院で2回診察をしてもらって、小指側の靭帯を痛めないように1か月サポーターを付けるように言われてやっと来週で1か月になります。サポーターを取っていいかは来週レントゲンを撮ってから、作業療法士さんが手の専門医に聞いてくれるそうです。サポーターを取れて手を裏返しても痛みが無ければいいのですが、問題がある場合は再手術になるかもしれないのは怖いです。毎週2回ずつリハビリに行っていました。まだサポーターが外せないので指を動かすリハビリです。まだ小指はよく曲がらず、中指は伸ばすのに抵抗があります。でも前や後ろにそらせる角度は順調に良くなっているようです。傷の近くをもむとピリピリ感があります。金属と皮膚が癒着すると良くないようで、リハビリの時はもみほぐしてもらっています。整形外科は月曜日はとても混むのでレントゲンも混むというので、来週の予約は水、金曜日にしました。手術後2ヶ月だと標準的には2キロまでは重いものを持っていいそうで、3か月だと制限がなくなるそうです。サポーターを取って普通に動かして痛みが出なければいいなと思います。左手はあまり動かしていないので筋力や握力がかなり落ちているようです。肩で代償しているので肩が痛くなっているのが辛いです。初めて骨折して、骨折すると治るのに時間がかかる事がわかりました。私は左手で良かったですが、利き手だったり足だったらもっと大変だったと思います。
July 9, 2022
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私は出産する33歳まで働いていましたがその頃は特に保険には入っていませんでした。病気をしなかったら掛け捨てになってしまうのはもったいないと思いましたし、まだその頃は貯金をしていれば少しは利息がもらえました。結婚した時に主人が入っていた保険に私も家族として入れてもらいました。そして息子が生まれてから郵便局の人に勧められて息子の学資保険に入る時に自分も勧められた簡易保険に入りました。毎月その地区を集金する方がいて2万円ぐらいずつ払っていました。その時の保険は年間にもいくらか払い戻しがあり、さらに20万円ずつ5回満期になるまでお金がもらえました。それでもう一口100万円の保険が出来ました。その後もう一つずらして入った保険もありましたが入院する少し前に入ったので給付額は少なめでした。20年間の積み立てでしたので入院した時に3つの簡易保険に入っていたので思ったよりたくさん給付金がいただけました。医師に証明書を書いてもらうのに1カ月くらいかかりましたが、郵便局の人が自宅に来てくださって待ち時間も無く手続きが早かったです。その頃は一度お金を銀行から下ろして病院の会計に払いましたが、今は先に高額療養費の証明書があると決まった額だけ払えばいいようですしカードでも支払えるようになったようです。12年も経っているとだいぶ変わってきました。私は同じ月に20日程入院して手術してその後抗がん剤を一度やって退院しましたが、その後は2泊3日で入院しながら抗がん剤治療をしてその時のお金も出ました。その後2回腸閉塞で入院した時も10日くらいだったのでそちらももらえました。私の保険は3日以上の入院でもらえましたが、入院している時にも他の患者さんから1週間以上入院しないと出なくて一銭も貰えなかったという話をよく聞きました。がん保険は入っていなかったのですが、がんになってからは入れなくなりました。他の医療保険も告知が無いと入れないものは入れないことが多かったです。だから保険は病気をしない若いうちに入っていた方がいいようです。息子が就職した時いろいろ調べてみましたが若い時から入ると掛け金がかなり少なくて済み長く払ったとしても得の様でした。さらに今の時代の医療にあっているのでいいなと思いました。今は若くても病気をしたりがんになる人も増えてきたので保険に入るなら若いうちから入った方がいいと思いました。ただあまり毎月の支払いが多いと退職後は負担になるものです。主人も保険が見直せるものは見直しましたが、人間ドックで特に変化が無くても要観察になってしまうと特約が付けられないものもあるようです。保険を考えるなら若いうち元気なうちの方がいいと思います。でも病気にならないと掛け捨てになるならかえって無駄になるとも思いますので貯金しておけばいいという考えもありそれはその人がよく考えて決めていただきたいと思います。一度がんになるとその後後遺症が残ることもありしばらくは経過観察で検査が続き医療費はかかるものです。私も10年間手術した病院に経過観察に通いました。6年目くらいからは年に2回になりましたが遠い病院まで行くのは交通費もかかりました。手術後腸閉塞になってからは毎月消化器内科に通っています。一度がんになるといろいろお金がかかるものです。
October 11, 2018
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毎年書いているのですが、12年前の6月20日明け方からのお腹の激痛があまりひどいので救急車を呼びました。今までにないくらいの激しい痛みで食あたりとは違うなあと思いました。3時間くらい我慢しましたが治まらずどんどんひどくなるので午前3時頃救急車を呼びすぐに来たのですが、受け入れ先が市立病院、今消化器内科で通っている大学病院では受け入れてもらえませんでした。私がもしかしたら婦人科の方の痛みかもと言ったら、近くの産婦人科医院に連絡してくれてその病院で受け入れてもらえました。産婦人科も普段行っていないと緊急では受け付けない所も多いようですが、運よく受け付けてもらえました。私は息子の出産は大学病院でしたし特に今まで異常も無いので婦人科の検診をしていませんでした。すぐに診察してもらい右の卵巣が腫れて大きくなり卵管がねじれていることがわかりました。腹痛の原因がすぐにわかって良かったですが、翌朝になって応援の医師が来ないと手術が出来ず、血液検査などの結果もすぐには出ないそうでした。痛み止めの注射も効かず手術まで我慢するしかなかったです。こんなに痛いのでは悪い病気でもうこれで終わりかなとも思いました。朝8時頃になったら急に手術が決まって、大きくなっていた卵巣を摘出したら痛みも無くなりました。きれいに取れたしもう片方の卵巣は異常が無さそうなので残したとのことでした。その後5日ぐらいで退院できるというので良かったと思っていて、私にははっきりと病理検査の結果が知らされていませんでした。主人や母には病理検査でがんが出たと知らされたようでした。私は退院前にこのまますぐに退院できないと医師から説明を受けて初めて知りました。受け入れ先の大学病院雄婦人科をインターネットで探してくれてそこに退院後すぐに行くように言われました。まだ手術後5日くらいで電車で1時間くらいかかる紹介された大学病院に行き、又すぐに手術が必要だと聞かされました。こちらもあっという間の出来事でよくわからず、がんだということでとても不安でした。その後7月7日にもう一つの卵巣や子宮などを取る手術をしてさらに抗がん剤治療を6クールやりました。このことがきっかけでこのブログを始めましたが、その時は常に再発の不安がありました。卵巣がんは症状が出た時にはかなり進んでいることが多く早期で発見できたのは運が良かったようです。その後抗がん剤によるアレルギーや肝臓の異常、白血球の低下などいろいろ体調が悪くなりました。さらに2回手術をしたことで腸の癒着がひどくなり、腸閉塞で2回入院しました。腸閉塞の時大学病院で緊急で2回同じ医師に診てもらえて、それが今の消化器内科の主治医になっています。私は運よくすぐに手術を早くしてもらえましたが、だいたい早くても2カ月は待たされ、血液検査の結果に異常があったりするとさらに先に延ばされるようでした。私の場合先に運ばれた病院は受け入れてくださったのがありがたいですが、病院内で血液検査やCT検査は出来ませんでしたので2回手術をすることになってしまいました。これからも私の経験が参考になればと思い書いていきたいと思います。がんと言われても早期なら私のように12年生き続けていけることが希望になってもらえればと思います。
June 21, 2018
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先日主人が再検査でCTを撮った結果を今日聞きに行きました。軽い肺気腫の疑いだけで大丈夫だったようです。人間ドックのCT検査の結果にも書かれてあったようで同じだったようです。人間ドックだけでは胸部レントゲンだけですが、たばこを吸っていて気になるそうで痰の検査とCT検査は毎年追加してやってもらっています。気になるなら煙草を吸わなければいいのにと思いますが、止められないようです。肺気腫はたばこが原因の事が多いようです。重症になると呼吸が苦しくなるようです。母親ががんで亡くなったこともありがんには気を付けているようですが、軽いうちにタバコをやめてもらいたいです。私はたばこにアレルギー反応があり息子も喘息なので吸って欲しくないのですが、自分の部屋や外で吸っています。たばこを吸っていると病気のリスクはずっと高くなるし、高齢になるとその影響も出てくるようです。私のいとこも65歳を過ぎてCOPDになったし、高校の担任も70歳を過ぎてからいろいろな病気になっています。私は臨床検査技師学校の時の解剖の実習でたばこを吸っていた人の肺が真っ黒なのを見て衝撃でした。だいたいたばこは吸えませんが怖いなと思いました。見たら吸えないと思います。息子はたくさん服を着込んで札幌に出張に行きました。こちらも今日は寒いのでこちらから着て行っても良かったと思います。いやがったりうるさがっていましたが、靴に着ける滑り止めの器具も持たせました。一番暖かいヒートテックやセーター、ズボン下も着て冬用のコートを上に着ました。厚手の靴下をはいてマフラーや手袋もして真冬の時と同じです。今日は1泊して明日は新潟に行き帰ってくるようです。新潟も雪のようです。風邪を引いたり転んだりしなければいいのですが、帰ってくるまで心配です。
November 20, 2017
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昨日のドクターGは急に話がかみ合わなくなった60代の男性でした。定年後は家事を手伝ったりよくいろいろ先回りしてやってくれる普段はまめに働くご主人が急に話していることがおかしく様子が変わったということでした。意識障害があり脈が遅くなっているとのことでした。最初10種類の病気があげられましたが、検査の結果などから最終的に脳炎か脳梗塞かに絞られました。この人の場合は朝まで元気で変わりなかったということで急性に起こる病気だとわかりました。脳炎は急には起こらないそうでした。脳に障害が起こった原因はCTを撮影し、大動脈解離だとわかりました。朝お弁当を作った後、奥さんが違う場所にいた時あっという声がして戻ったら、肩を抑えてうずくまっていたそうでした。でもその後歩いてハイキングに行こうとしていました。大動脈解離でも痛みが無い人もいるのには驚きました。人工血管に変える手術をして2カ月で退院し1年後の今は元気だそうでした。家族からいつからなのか様子の変化を聞くのは大事だと思いました。急に話が合わなくなったからボケてしまったのかと思いましたが、急にかどうかによって病名も変わってくるようです。主人は一年に一度同じクリニックで人間ドックをやっています。会社に勤めていた時指定された病院で一番近そうなところで選びましたが大宮なので少し遠いです。毎回胆のうポリープがあるといわれてきましたが、今回は少し大きくなっているといわれたそうでした。どれくらい大きくなったかとか詳しいことはその病院ではわからないようで、いつも行っている近くの病院で今度診てもらうと言っていました。血液検査の数値は良くなっていたようです。外食が減り家で食べることが多くなったからだと思います。でも夕食後体にいいからとヨーグルトや果物、ゼリー、トマトジュースなどよく食べているし、夜スナック菓子を食べていたりはよくない習慣だと思います。母は1週間前にいつも行く内科で骨粗しょう症の薬や高血圧の薬をもらってきましたが、通院後急に胃がちくちく痛いといい太田胃酸を飲んでも治らないで痛いのが続いているということで、今日又病院に行ってきました。胃の薬をもらい、胃カメラの予約をしたそうでした。もうすぐお盆休みになるそうですので予約が出来たのは休み明けの18日しか空いていないそうでした。胃の薬で治り悪い病気でないといいのですが。飲んでいる薬の中で骨粗鬆種の薬は胃が悪くなることがあるそうでした。でも飲んでいると改善されているようなので続けた方がいいようです。薬の副作用だとしたら、飲んだ方がいいものか難しいものです。
July 27, 2017
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がんの10年生存率が公表されました。場所やステージごとに違うのではと思ったら、それぞれわかれていました。ただ全部の病院ではなくがんセンターを主とした決まった病院での統計のようでした。患者数が多いがんに関してはある程度は参考になると思いました。ただ病院によっては治る見込みのない患者さんは診ない病院もあるようですし、行き場の無くなった患者さんも診てくれる病院もあり統計はあてになるかどうか疑問です。それにがんと告知された時生存率が低いとわかるとより落ち込むと思います。患者さんは悪い情報はあまり信じない方がいいと思います。私は卵巣がんの手術をして今年で10年目になります。10年前はこういう統計もなく卵巣がんは患者数も少なく情報もあまりなかったです。ただ初期だと90%ぐらいは再発が無いとの事でした。でも100%でない事が少し不安でした。卵巣がんは3,4期になるとすごく生存率が下がります。大体初期で見つかる事は珍しいようです。病院によって手術後の経過観察は違うようですが、私は今まで毎年CTや血液検査をしてきました。特に異常はなくても定期的に経過を見ることは大事だと思います。自分の病院の中でも同時期に入院していた人で卵巣がんの人はなかなかいませんでした。最近は病院の中で患者さんや家族がお互いの経験や不安を話し合う場ができた事はよかったと思います。今は卵巣がんの体験のブログを書いている人も増えてきたようで良かったです。私も同じ体験をした人の手術後の経過を知りたいと思い、情報交換をしたくてブログを始めました。患者数が少ないがんだと余計に情報がなく不安なものです。私のように無事に10年過ごしてきた人がいると私も嬉しいですし今治療中の人も励みになればと思います。最初の頃はがんの事ばかり気にして情報を集めていましたが、気になる事は病院に行った時相談し、普段は普通どおりあまり気にしないで過ごすのが一番だと思います。このブログもだんだん病気の事を書くのも少なくなりましたが、私の経験が誰かの参考になり励ましになれば嬉しいと思います。
January 23, 2016
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母の妹さんでお孫さんのお世話や歩こう会など世話好きで元気で行動的な叔母さんが最近体調が悪く落ち込んでいると母から聞きました。子宮の奥の方がずっと痛いのだそうでした。今までも老人性の委縮性膣炎でホルモン剤とかの治療はしていたようですが最近は痛みがひどくなったそうでした。お盆の頃からだそうでちょうどいつもの行きつけの病院が休みでその時は別の病院へ行ったそうでした。同じような薬を出されただけで信用出来ずいつもの病院がやりだしてからそちらに行ったらいつもと違う医師で子宮体がんの検査をしたそうでした。その検査で余計に痛みがひどくなりいつもの医師がいる時にもう一度行ったら検査の結果は教えてもらえず炎症があるとの事でその薬をプラスされただけだったそうでした。結果は説明してくれないで又検査されたようでした。がんかどうかとても心配だそうでした。御友人に話したら別の病院を勧められてそこにいったら話は聞いてくださったけれどかかりつけ医ではないので自分は診断したり紹介状は書けないと言われたそうでした。まだ痛みは続き心配で食欲も落ちてしまったそうでした。母も心配でこちらから電話しようとしましたが休んでいると悪いしこちらから聞くのもと思っていたら叔母さんの方から電話がありました。あまりいろいろな病院に行かずまずはいつも行っている病院の検査結果を待つしかないのではと母も私も言いました。話した事で少しは気がまぎれ安心したようです。専門的な事はよくわからなくても話を聞いてあげるという事はいいのではと思いました。叔母さんの娘さんは医師なのですが忙しくてなかなか話を聞いてもらえないそうでした。ご主人には女性特有の病気なので話せないようでした。私も入院した時には他の患者さんと話をして励まし合いました。同じような病気だと体験者同士はよくわかりあい話すことで不安が薄れ元気が出たものです。患者会やブログの交流も役に立ち励まされました。自分が元気になったら同じような病気で困っている人の話を聞いてあげたくなりました。でも聞いてあげるというのが上から目線であったり、自分よりはるかに重病の人が多い事などから自分にはそんな資格は無いなと思い知らされました。親切心のつもりがお節介と思われ時には傷つけてしまう事もあるようです。このブログも最初は同じような病気をされた方に役立つ事をしたいと思ったのがきっかけでした。なかなか本音をぶつけ合える事が出来なくても少しはお役に立てられたらうれしいです。
September 22, 2014
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今週の火曜日にテレビ朝日のみんなの家庭の医学でセカンドオピニオンの特集をやっていました。なかなか治らなくてセカンドオピニオンを求める相談の手紙が多いのには驚きました。症例が少ない病気だと医師もなかなか診断がつけられないのかなと思いました。のどの詰まった感じが逆流性食道炎ではなく、胃の噴門部が閉じてしまっていて起こるのには驚きました。胃カメラではそれがわからず、バリウムを飲んだレントゲン検査ならわかったのを見て、必ずしも内視鏡ですべてわかるわけではない事を知りました。やはり問診が大事なんだと実感しました。患者の訴えを聞いてもそれをそのまま聞くだけではなく、もしかしたらと思う事は医師の方から聞いてもらうと患者さんの方も話しやすいのだと思いました。おなかが張るのにしてもいろいろな場合があり、それも胃なのか腸なのか、食事によってどうか、排便によってどうかについて絞られてくる事がわかりました。私はいつも消化器内科で診てもらっているのでわかるのですが、おなかが張るのはガスが溜まっているせいのようです。ガスが溜まるのは腸の動きが悪いせいだそうで、おなかが痛くても便が出る時には腸が動き過ぎているためのようで、診断はなかなか難しいなと思います。私の主治医はいつも必ずおなかを押して触診するので消化器に関しては安心できます。ただし、私の行っている大学病院は完全に専門科に分かれてしまっているので、他の病気の時には専門外の科のことはわからないようです。思いもかけない他の病気の場合は、症状だけで一つの専門科だけを受診していても診断がつかないのかなと思います。今読売新聞の医療で特集していますが、総合診療科がある病院も医師も少ないようです。医学も犯人捜しをするように推理力が必要だなと思います。症状や検査結果から病名に辿り着くのは難しいけれどわかれば面白いと思います。医師は大変ですがやりがいのある仕事だと思います。私も子供の頃は医師になりたいと思った事もありましたが、無理だとあきらめてしまいました。あきらめずにもっと勉強しておけばよかったなと今も思います。でも、体力的に無理があったかもしれません。息子は明日高校を卒業します。3月は高校へは昨日から3日だけの登校です。毎日昼間も寝てばかりいます。どこか体調が悪くて寝てばかりいるのか、アレルギー薬のために眠いのか、気になります。19日に8月以来久しぶりに腎臓内科に行くのですが、受診前に7回家で尿たんぱくを検査するように言われています。起床時はいつもマイナスですが、学校へ行った日、外出した日は夜にはプラスになっています。やはり疲れるとタンパクが出るようなのですが、大丈夫なのかなと心配です。
March 16, 2012
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今年はいつもの年より多く病院に行きました。まず私は昨年暮れから鼻が詰まって苦しかったのですが、耳鼻科に行かずに我慢していました。鼻血も出るようになり、やっとお正月が終わってから耳鼻科に行きました。蓄膿症になっているとの事で、3週間通い薬を飲みました。それで治って良かったです。歯も時々痛くなり、定期的に何回も歯科に通いました。歯垢が一度に取れず、取ったら隙間に虫歯が出来て何回も治療しました。乳がん検診を初めて受けました。50歳の無料検診が今年受けられました。マンモグラフィは痛くて大変でしたが異常がなくて良かったです。産婦人科の定期検診は、r-GTPやCEAが高かったために2,3カ月おきになり回数が増えてしまいました。3月の予約の日には震災のために電車が動かなくて行けなくて、どうしようかと思いました。やはり近くの病院の方が安心だと思いました。CTも他の腫瘍マーカーも異常なしで、これからは半年おきになって良かったです。消化器内科の方も特に悪くならなくて良かったです。超音波検査も便潜血反応も異常なしでしたが、漢方薬が震災のため1カ月分しか出なくて通う回数は増えてしまいました。整形外科の方も骨粗鬆症の薬は定期的にもらっていますが、肩が少し悪くなったぐらいで特に問題ありませんでした。父はお正月が終わった頃帯状疱疹になり皮膚科に毎日通い、2月には急に数分意識が無くなる事があり、脳のMRI検査も受けました。秋には腕に急に内出血が出来たりして、整形外科に通いました。内科でもヘモグロビン値が低く貧血だと言われました。11月には食欲がなくなり胃腸が悪いのかと心配しました。昨年までは元気でしたがやはり82歳にもなるとあちこち悪くなるものです。息子も初めて学校の検診でタンパク尿が出ました。いろいろ検査したり通院したりしましたが、起立性タンパク尿ではないかとの事でした。アトピー性皮膚炎がひどくなってしまい、毎月皮膚科に通うようになりました。母は目の方はアレルギーの目薬フルメトロンがやっともらえるようになり、良くなりました。秋になってひざが急に悪くなり、歩いたり動くのがきつくなりました。いろいろありましたが、何とか無事に年を越せそうです。
December 28, 2011
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私は父からアレルギー体質を受け継いだようです。父は若い頃から皮膚炎で乾燥肌だったようです。母の話によると、私は赤ちゃんの時からかなりひどい皮膚炎があり、近所の小児科や東京の保険が効かない名医の所にも通ったそうです。風邪をひくとすぐに気管支ぜんそくになり、学校の検診では眼科も耳鼻科もいつもひっかかっていました。以前は公害の問題もあり、毎回肺活量の検査でもひっかかりました。中学、高校の頃には少し良くなりましたが、臨床検査技師学校に進んで実験や病院の実習で薬品や消毒液を使い又悪化してしまいました。かなりひどくなったのですが、大学病院の皮膚科に定期的に通うようになり良くなりました。就職も病院だったのでその病院の皮膚科にも定期的に通っていました。病院を辞めたのは子供の出産のためでしたので、辞める前に薬をたくさん出してもらっていました。母親学級の時にアレルギーが子供に影響するか聞いたりしました。出産後しばらくして私も息子も皮膚炎が出ました。息子は赤ちゃんの時やはり皮膚炎がありましたし、保健センターの定期検診で言葉が遅いのと首の座りが遅いのでひっかかり小学校入学前まで定期的に大学病院の小児科を受診していました。特に異常がなく無事に小学校に入学しましたが、小3で不登校になり家に閉じこもっていたのが原因でぜんそくになってしまいました。もっと小さい時も風邪をひいたり風に当たるとよく咳をしていました。その後は定期的に近くのクリニックに通院し喘息の予防薬のオノンなどをずっと飲んでいました。今年になって又皮膚がひどくなりました。近くのクリニックでも皮膚の薬をもらいましたがなかなか治りませんでした。この前大学病院の皮膚科に行って薬をもらったら、3日ぐらいで良くなりました。アレロックを夜飲んで、顔にはプロトピック軟こうを体にはアンテベートとヒルロイドソフト軟こうを混ぜたものを塗りました。アレルギーの薬も皮膚と喘息予防とは違うようでした。やはり専門の皮膚科は違うと思いました。私も近所の病院の薬では治りませんでしたが、大学病院の薬は合うようですぐに治りました。私は産婦人科から皮膚科を紹介してもらって良かったです。大学病院の場合、自分のいつもかかっている科から紹介してもらうのが一番いい方法だと体験からわかりました。
June 18, 2011
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昨日の午前11時過ぎに私が話しかけても父が反応しない事に気がつきました。母は新聞を読んでいて振り返らず気がつかなかったそうでした。うなっているようないびきのような声を出して、呼んでも意識がありませんでした。母と変だとあわてていると、よだれが出てきました。飲んでいたコーヒーを少し吐きました。口も体も脱力している感じでした。尿ももらしてしまいました。しばらくしてはっと我に返ったようでした。気がついてからは特に悪い所は無くて普通に戻りました。救急車を呼ぼうか考えたほどでした。その後、特に問題はなかったのですが、父の動きに神経質になってしまいました。お風呂に入っている時は何回も声をかけに行きました。昨日は日曜日だったので病院には行きませんでしたが、心配なので以前行った事のある脳神経外科の開業医の所に行きました。すぐにCTも撮ってもらいましたが、特に異常はないとの事でした。医師はいろいろな反応も見ていましたが、脳には問題が無いとの事でした。脳は関係ないとわかって安心しましたが、1か月前にも買い物中に同じような事があり、原因がわからないと心配です。すぐに検査が出来結果も早いのにはびっくりしました。待ち時間も少なかったです。いつもアレルギーの薬を飲んだ後、というのが私にはひっかかります。眠気の副作用なのかなとも思います。血圧の低下や低血糖、心臓の異常などいろいろ考えられるようです。いつも行く内科でも見てもらった方がいいとの事でした。24時間心電図の結果も聞いていないので明日は内科に行くように言ってあります。担当の医師がいる曜日でないと行くのが嫌だそうです。急に意識がなくなるとこうなるのかとわかりました。今回は気がついて良かったですが、いざとなるとあわててしまいます。救急車はどのくらいの状態で呼ぶべきかも考えてしまいました。内科で原因がわかるといいのですが、又起こるとなると心配です。アレルギーの薬を朝飲むとよく寝ていましたので、やはり外へ行く時には飲まない方がいいのか強すぎるのかなと思いました。眠気は人により違うみたいで、調べても薬と眠気の関係はよくわかりませんでした。私もアレルギー薬を飲みますが、朝夕と言われても夜しか飲まないようにしています。眠気はアレルギーの薬と睡眠薬とはまた違うようです。これから花粉症の季節になるとアレルギーの薬を飲む機会が多くなるので注意が必要だと思います。
February 14, 2011
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ここのところ天気が良い日が続き、寒くなってきたので皮膚の乾燥がひどくなってきました。毎日薬をつけていても治っては又別の所が悪くなっています。指はあちこちが割れてきて絆創膏だらけです。息子も私に似たのか皮膚が弱いです。ワイシャツで擦れるからか首が特にひどいです。寝ていてもあちこち掻きむしっています。最近、新聞にもアトピー性皮膚炎の記事が多くなりました。先週薬局で読んだ新聞にも体験が出ていました。大人のアトピーはストレスが関係している事が多いそうです。すべて100%完璧にと思わず70%でも満足するように心がけるといいともありました。私は何でも出来ないと嫌な方ですが、息子はいい加減な方です。必ずしもストレスばかりではないと思います。医師が話をきちんと聞いて患者さんが納得し安心することが大事だとも書かれていました。私は生まれた時からかなり重症のアトピーでした。小学校高学年から少し良くなり、薬もいらなくなりましたが、又20歳頃になってひどくなりました。臨床検査技師の実習で消毒液にかぶれて悪くなっていきました。特に卒業実習の年には悪くなり、皮膚科を受診して手は包帯でぐるぐる巻きになってしまいました。それからずっと勤務先の皮膚科で診てもらい薬をもらっていました。この時の医師は石鹸から絆創膏まで試供品もくれていろいろアドバイスしてくださって優しくて嫌な気分にはなりませんでした。仕事を辞めてから少し良くなっていたのですが、まとめてもらっていた薬がなくなり出産後は又ひどくなって近くの皮膚科に行きました。女医さんで良かったと思ったら、「大人でこれくらいひどい人は、たいてい白内障になっているがよくならなかったものだ。」とか言われショックを受けました。その後は病院へ行くのも気が引けて風邪のついでに内科で薬をもらう程度で薬局の薬で我慢していました。次にひどくなったのは抗がん剤治療の後でした。産婦人科でもご自身もアトピーだという医師は気持ちがわかり心配してくれましたし、採血の人も気になって優しい言葉をかけてくれる人もいました。採血の回数が多くて皮膚が硬く黒くなってしまったのです。又、かぶれたように手の甲やお腹が赤くなりました。産婦人科から皮膚科に紹介してもらい、薬をつけてだいぶ良くなりました。大学病院では行くたびに担当医が変わるので、とてもやさしく心配してくださる医師と冷たい医師といて、冷たくされると通院も考えてしまいます。新聞に体験記を書いている人もいろいろ治療について嫌な思いをしたようです。皮膚科で嫌な思いをし民間療法でかえって悪くなったりもしたようです。以前はステロイドが副作用が多いという話で使う事に抵抗がありましたが、悪い時はしっかり塗った方がいいようです。私は近所の病院では治らなくても大学病院の薬は自分に合うようで付けていればそれ以上悪くはならないようです。この前の皮膚科も、保湿剤から強い薬までいろいろ出してもらっているのでそれ以上追加するものがないので医師の態度が冷たかったのかなとも思います。命には関わらなくてもアトピーも患者にとっては苦になります。医師も皮膚が丈夫な方も、見た目が気持ちが悪いと思わずに、理解してもらいたいと思います。
November 15, 2010
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母は5年くらい前に白内障の手術をしました。手術するまでは「このままでは目が見えなくなる」と言われ手術をせかされていました。手術後はよく見えるようになり、もう通院もいらないのかと思っていました。人によっては手術後良く見えるようになり問題もない人もいるようですが、母はそれから何回も炎症がおきたり又視力が落ちたりしています。2回目のレーザー治療で視力は良くなったようですが、すぐに炎症が起きるようです。定期的には3カ月に一度ですが、その前に行くことも多いです。昨日も行こうかずっと考えていたようですが、電話して行ったらアレルギーを起していたようです。手術後はアレルギーを起こす事が増えたようです。白内障の手術は保険適用になってから増えたようですが、今は必ずしも勧める医師ばかりではないようです。眼科もそうですが、手術後の経過をきちんと責任を持って診てもらいたいものです。母は若い頃から15年ほど前までずっと洋裁をやっていて、目を酷使していました。作家の方もよく目が悪くなるようで、あまり使いすぎると危ないかなと思います。私も読書や手芸など目を使う事が好きなので時々休ませています。私は目にもずっとアレルギーがあるのですが、よほどひどくないと眼科には行っていません。最近手芸で細かいものを見るようになったら、近くのものはかえって前より良く見えるようになりました。暑いと食欲がなくなりますが、紫蘇などさっぱりした薬味があると食欲が出るものです。よくバッタに食べられていましたが、カナブンらしき虫も食べていてよほどおいしいのだと思いました。ミニトマトも虫食いが多くなりもう終わりのようです。
August 28, 2010
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12日の夜11時頃から急におなかが痛くなり、寝ても寝ていられないほど痛くて、それでも何とか耐えていました。朝方3時くらいになって朝の診察時間までは待てないと思い、いつもかかっている消化器内科のある大学病院に電話して、主人の車で行きました。今まで見たことのないちょっと太目の中年の先生でした。おなかを押して聴診すると、「ガスがかなり溜まっているけれど、腸は動いているので大丈夫です。痛みを抑えると腸が動かなくなるので痛み止めは使えないので我慢してください。ガスを抜くための薬を追加しますのでそれを飲んで1日様子を見てください。食事はしても大丈夫で食べないと薬を飲んで便が出ませんから。」と言われ簡単に終わりました。検査もレントゲンもなしでした。そこで吐き気があるので食欲もないし薬も飲めないと言えば良かったのですが、ベテランそうだし前ほど悪くないのだと思い自分からは何も言いませんでした。主人が薬をもらい車を取りに行くまで、気分が悪くなりトイレで吐きました。病院に行く前に便も少し出たので少しは腸も動いていたのかと思いました。家に帰ったのですが、何回も吐いておなかの痛みは変わりませんでした。起き上がるのもやっとでしたが、何とか薬だけ飲みました。少しはおさまったかと思いましたが、やはりまだ痛みは良くなりませんでした。心配なのでもう一度病院に行こうと思いましたが、いつも月一回診てくださる二回腸閉塞から救ってくださった先生が開業しているクリニックに電話してみました。市内だけど遠いから大変と思ったけれど来たら診てくださるとの事でした。大学病院は予約がないとかなり待たされるので大変だろうとのことで、信頼できる主治医のクリニックへ行きました。タクシ-で行くと2300円くらいかかりましたが、思ったより早く着きました。先生の顔を見ただけで何だかほっとしました。触診すると、いつも詰まっているところ以外ももっとガスが溜まっている、腸は動いていなくて動かないと溜まる胃液や胆汁の液状音なのにわからないのかなあと不思議そうでした。レントゲンも撮りやはり小腸の詰まりがわかりました。このレントゲンを持って大学病院に行くといいという事で大学病院に問い合わせたら空きベッドがないそうでした。それで、先生のクリニックで腸を動かす点滴をして、うまくいって腸が動けば大学病院に行かずにすむとの事でした。吐いた事によって減圧されてその時点で少しは良くなっているとのことでした。点滴後1時間くらい病院にいましたが、すぐには腸は動きませんでした。もし駄目だったらレントゲンを持って4時半以降の時間外に行くようにとの事でした。4時半以降でないと同じ当直の医師になりベッドも空いていないからとまで教えてくれました。どの医師か名前は言いませんでしたがどうやら先生にはわかったようです。医師にも看護師さんにもとても親切にしてもらったのに、医療費も安く明細書までついていました。レントゲンもフィルムではなくCDでした。医師でもこんなに違うのか、やはり相談できる主治医がいるといいものだなと思いました。3時過ぎに無事に下痢が出ておなかもすっきりしました。先生からもガスや便が出れば大学病院に行かなくても大丈夫だとの事でした。入院せずにすんで良かったです。医師によってこうも違うものかということと、カルテがあっても今までの経過まで他の医師に伝わらないものだなと思いました。私は運があるしこの主治医の先生とは縁があるようで、今日水曜日だったら先生のクリニックは休みだったのです。やはり痛みがひどい時には患者のほうももっと主張しなくてはいけないと思いました。今回は研修医ではなかったので間違いないと思いあまり言えませんでした。昨日は何もする気がしませんでしたし、何も食べませんでした。今日は元気になりこうして書くことも出来て本当に良かったです。前日繊維のある葉物を食べてしまったことに後悔しました。やはり気をつけなくては危険なようです。
April 14, 2010
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土曜日の志村どうぶつ園で、余命3ヶ月の犬の気持ちを動物の言葉がわかるハイジさんに聞いてもらうという企画を放送していました。余命というと何だかかわいそうで見ようか躊躇しましたが、怖いながらも少し興味があり、見てしまいました。がんに侵されて気がついたときには手遅れだったそうです。テレビで見た犬はやせ細り、顔も腫れ上がり、本当にかわいそうな姿でした。飼い主の家族は自分たちがストレスを与えたからかもととても気にしていました。人間でも気がつかないことが多いですが、犬だと痛いとも言えず、ずっと我慢していたのだと思うと心が痛みました。この犬は介助犬の訓練を受けていたのですが、言われた事が出来ず怒られてばかりいて駄目犬とのレッテルを貼られていたそうです。早くに訓練には合わない犬とわかり、この家族に引き取られて良かったなと思いました。犬は嫌とも言えず、あわないことをずっとされていたのではたまらないし、ストレスもたまっていた事でしょう。犬の言葉がわかるハイジさんもストレスは訓練の時にはあったかもしれないとの事でした。でも、家族には感謝していてストレスを感じていないとの事がわかり、家族もほっとされたのではと思いました。飼い主の家族もいろいろ問題があり、不登校になった娘さんの心を癒し、家族の絆を深めた犬は大きな宝を家族に残していったと思います。本当に犬の言葉がわかるかはちょっと疑問がありますが、ハイジさんは人間と動物の気持ちを読み取る能力があることは確かで言葉にも深い愛情が感じられ、この人の言葉を聞いて私も穏やかな優しい気持ちになれました。最期までやさしい家族に看取られて、静かに眠りについたそうです。6年という短い生涯でしたが、家族との楽しい思い出も残せて家族にも元気を与えることができて良かったなあと思います。犬も家族の一員で、なくてはならない存在になるのだなあと思いました。犬もそうですが、人間の場合、がんになるといろいろな不安が本人も家族も出てきます。今、鎌田實先生の「言葉で治療する」を読んでいますが、告知ばかりでなくその後の医師のフォロ-は大事だとの事でした。たとえ良性であっても、医師の言葉しだいでは不安が募るし、がんの5年生存者でも再発の不安を持つ人はかなり多いとの事でした。ただ大丈夫だとか、経過観察でいいとだけでは、納得のいかない患者さんも多いとの事です。がんや大きな病気でないときちんと説明してもらえない事もあるようですが、それで心配をずっと抱えてしまうのでは問題だと思います。納得できるまで医師に質問し、自分でも病気のことを知ることが大事のようです。私も経過観察が必要な事が多いですが、心配なときには聞くようにしています。がんでなく良性だとしても異常が出て経過観察になるというだけでも不安だというのは私も良くわかります。自分だけが気にしすぎだと思っていましたが、そういう人も多い事を知ると何だかほっとします。私も不安な気持ちや情報を時々書かせてもらいますが、誰かに聞いてもらうことは大事だと思います。
January 18, 2010
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静岡にいる母方の叔父さんは、今年初めにカテ-テルで頚動脈狭窄の手術をしました。その後、経過は順調だったのですが、残念ながら同じ場所が又狭窄してしまったんだそうです。こんなに早く同じ場所が狭窄することは珍しいそうです。それに今度はカテ-テルではできないし、手術できる医師も外から呼ばないといないそうです。叔父さんは落ち込んでいるそうですし、農作業の事も心配しています。それで、母の姉妹はみんな心配しています。以前脳梗塞の初期症状があったそうですが、その時は血液を流れやすくする薬だけが出されてそれ以上検査もしなかったそうです。その病院が信じられずに近所の伯母さんが探して、違う脳神経外科専門の病院で検査して、頚動脈の狭窄がわかったのでした。親戚もどこまで関わって口出しをしたらいいものか難しいことですが、やはり今の病院を信じる事しかないのかなと言っています。私も詳しい経過や症状がわからないので調べたり聞く事はできません。がん以外にもいろいろ難しい問題があるなあと思います。以前は胃がんの手術も70歳以上でやることは少なかったようですが、今は7倍に増えて90歳以上で行う事もあるそうです。これからは、治す医療よりも支える医療が大事になると言う事でした。医療は進んできましたが新たな問題も多いと感じます。
August 9, 2009
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主人の会社でもメタボ検診を行っているようです。毎年健康保険組合から補助が出て人間ドッグに行っていますが、昨年の結果でメタボ検診にひっかかったようです。特定健康診査の結果、積極的支援の対象になったとの事でした。昨日資料一式を見るように渡されました。検診制度の見直しについてはいろいろ賛否両論あるようですが、見直しの理由として次の3点があるようです。生活習慣病の患者が増えている事、医療費の高騰が懸念されている事、早期発見から病気になる前の予防重視の検診に転換するためだそうです。普段の生活が乱れている場合は大事な事だと思います。主人は身長175cmで、体重は78.1kgで、BMIは25.5、腹囲は88.0cmでした。さらに中性脂肪が182と高く、HDLコレステロ-ルが37で低めでした。まずは無理なく減量することだそうです。6ヵ月後の目標は現在の体重から5%減量で、計算すると3.9kgで、1日あたりに減らすエネルギ-量は152キロカロリ-との事でした。運動と食事で半分づつ減らすといいようです。1日20分歩くだけでも効果があるようです。食事の工夫もいろいろ書いてありました。私は野菜中心の食事を作っているので、食事の内容はそれほど悪くないと思います。ただ、夕食の時間が遅いのと遅くまで起きているので夜中にビ-ルを飲んだりお菓子を食べたりよくしているのが悪いように思います。夕食が少なめだと余計に夜食が増えてしまいます。だからかえってご飯は減らさなくていいのではと思います。夕食が遅い人は昼食を少し遅めにして、夕食は軽めがいいそうです。夕食のカロリ-を減らすには、主食はご飯を軽く1杯、主菜は1皿、副菜は野菜料理を2皿以上、油脂は小さじ1までがいいそうです。間食を防ぐには用事が無い時にはお店に寄らない、買い置きをしないこと、夜食を食べないようにするには早く寝ることだそうです。いろいろ参考になりますが、お店に寄らない、買い置きをしないと言うのは厳しいなあと思います。私も体重はいつも変わりませんが、最近はついついお菓子を食べてしまうのでそして買ってしまうので気をつけなくてはと思います。菓子パンは体脂肪を増やすらしいし、夕方以降の間食も太りやすくなるので注意しなくてはなりません。息子はやせすぎですので、食事内容は家族全員で合わせるのはなかなか難しいです。妻として食事の管理はしっかりしなくてはと思います。本人も自覚したのか少しは早く寝るようになりました。私の言う事よりもきちんと指導された方が守ると思います。猫のたまちゃんも体重は5.2キロですがおなか周りはメタボです。はなちゃんの分も食べてちょっと食べ過ぎのようです。
August 6, 2009
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今日七夕は私にとって生涯忘れられない日です。まず、16年前の今日、息子が誕生しました。予定日は7月8日だったので、7月7日になればいいなと思っていたら、偶然思いが叶いました。7月7日の時刻が変わる夜中に入院し、午前11時8分に出産し、3334グラムでした。あと1グラムは何とかならないかとの医師の声が聞こえましたが、残念ながら3333グラムにはなりませんでした。今消化器内科で通っている近くの大学病院での出産でした。私はこの年の3月まで都内の病院で臨床検査技師をしていましたが、遠いので出産は家と実家の近いこの病院に決めました。新人の助産婦さんが頼りなかったですが、つきっきりで看てくれました。分娩台でのベテランの助産婦さんの掛け声の上手さに、上手く力が入りました。生まれるまではやはりかなり痛みがありましたが、痛みに波があり、呼吸によって乗り切りました。この日の昼食も出たのですが、分娩後すぐで起きてはいけないと言うのに、そうめんでよけいに食べられませんでした。この頃はまだ、お産が多くて産科病棟もとてもにぎやかで活気がありました。森永乳業の人のミルクの説明会にも人数が多くて座りきれないくらいでした。看護の学生さんたちが手作りの冊子を作ってくださり、大事に使い役立ちました。息子は特に欲しいものはないそうで、でも本当は最新のパソコンが欲しいらしく、高いので買ってあげるかは試験の結果次第となっています。本人は今日期末試験の結果が返ってくるので最悪の誕生日と言っています。今日は赤飯を炊いてお祝いをします。そして、3年前の今日は紹介された大学病院での卵巣、子宮などの全摘出手術の日でした。朝一番の手術なので、8時半までには手術室に入りました。早く終わる予定が癒着がひどいので剥がすのに時間がかかり、病室に戻ったのは2時頃でした。さらに私は血圧が低かったのでなかなか回復室から出られなかったようです。痛みより、麻酔の気持ち悪さと息苦しさにはまいりました。私は体や頭をちょっと動かしただけで吐き気がするので、痛みよりそちらのほうがつらかったです。全身麻酔も初めての経験で、前日ももし目が覚めなかったらと思うと不安でほとんど眠れませんでした。やはり最初の局所麻酔の手術に比べて事前の検査も多くて大変でした。痛みはもっと痛い卵管捻転を経験していたのでそれからみれば耐えられました。6月20日の手術でもう手術はこりごりだと思っていたのに又すぐに手術となり、どうなる事かと思いましたが、脅かされていたわりには今は元気でよかったと思います。ただ、手術のあとでいろいろな後遺症があるとはその時には気がつきませんでした。いい事悪い事どちらも忘れられない日です。七夕飾りも小学校低学年までしかやりませんでしたが、願い事を短冊に書くというのは夢があってロマンチックでいいなあと思います。そして続いている事もうれしいです。昨日から朝顔市が始まりました。家の朝顔も少しづつ咲き出しました。もう、ありが蜜を求めて寄ってきました。
July 7, 2009
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3年前の今日は入院して、主人と手術についての説明を受けました。この病院に入院する事は初めてでしたので、それに出産以来の初めての病気の入院でしたので、色々と戸惑う事が多くて不安でした。10時までに入院手続きをする事になっていたので、かなり家も早く出ました。10時半には病棟の説明が終わり落ち着きました。病室は二人部屋の廊下側でした。医師の手術の説明は医師の外来の終わったあととの事で、7時過ぎになるかもとの事でした。時間がかなりあるので、主人は一度帰りました。1人になると余計に不安でした。私は1人暮らしをした経験がなく、家族と離れたことは無かったからです。手術の説明まで待つのは長かったです。やっと夕食後7時過ぎに研修医の先生が用意が出来たと呼びにきました。小さな部屋でテ-ブルに向かい合って座りました。メモを取ろうとしたら、医師が紙に書きながら説明してくれました。腸や膀胱を傷つけたり、腸閉塞になるなど危険もあることを強調して言われました。又、抗がん剤の副作用についても詳しい説明を受けました。説明は上手く詳しいのですが、患者側としてはかえって手術やその後が不安になってしまいました。説明を受けた紙にも、医師と患者の私と主人がサインをしました。医師側も説明の証拠を残すんだなあと思いました。そして、一番この時に驚いたのは、手術日が7月6日から7日に変更になり、手術をするのは紹介していった主治医の教授ではなく、教授の指名した違う医師だったことです。この医師は今の主治医ですが、顔を初めて合わせて握手してあいさつしただけです。教授は自分で手術するような事を言っていたのに、この比較的若い医師で初対面で大丈夫なのかともっと不安になってしまいました。抗がん剤に関しても副作用、特に髪は必ず抜けるとか痺れが残るけれど薬は無いなどと説明は上手いですがショックなことばかりでした。知らないのも嫌ですが詳しく知るのも不安になるものと思いました。それから手術までほとんど眠れませんでした。教授はグランダキシンを飲むように言って1日3回飲んでいましたが、効きませんでした。睡眠薬の点滴は動悸が激しくなりかえって不安になったので止めてもらいました。手術までの我慢と時間が経つのをひたすら待っていた事を思い出します。これから手術をされるので不安をお持ちの方、数日眠れなくても麻酔で眠れるので大丈夫でしたので、心配しないでくださいね。私の場合はタキソ-ルが合わなくて怖い思いをし、そのために薬が変わり、幸か不幸か髪は一部しか抜けませんでした。髪は又生えてくるとわかっていても、少しづつ髪が抜けるのは恐怖でした。そして卵巣が無くなる、生理がなくなると、男っぽくなるのかなと不安もありました。周りの患者さんが割り切っているのかとても男性的に見えたのもさらに不安をあおったのです。やはり、体験と本を読むのでは違いが多くて、わからない事だらけだと思いました。さらに私のがん細胞の型は抗がん剤がほとんど効かないし、早期だというのになぜ抗がん剤を副作用や危険を冒してまでやるのかがなかなか納得いきませんでした。腫瘍マ-カ-も最初から低かったので効果も目で見てわかりませんでした。それでも、言われたとおりにして今元気なのだから良かったと思います。3年生存率90%の方に入って良かったと思います。外へ出るときには紫外線帽子のために帽子をかぶりますが、今は部屋では必要ないのに、何だか又帽子を編みました。毛糸がやわらかいものだったので、かちっといっていないのですが、これはこれで涼しそうでいいかなと思います。なかなか思うような毛糸が近くの店に無いのです。
July 4, 2009
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昨日、生活ほっとモ-ニングでお見舞いの疑問について放送していました。お見舞いは現金でも構わない事、金額は5千円か1万円ぐらいで、4と9を除けばいくらでも構わないとの事でした。袋もただ白いものよりは赤いふちや絵がついたものの方がいいそうです。結びきりの水引のものはいいが、熨斗は悪いことが延びるので良くないそうです。服装は黒いものや派手なものは避けるとか、一般的なことでした。お見舞いに関しても、自分が入院してみて気がつくこともあります。お見舞いもお金だと家族が来る日でないと病院に置いておくのは心配です。鍵もありましたが面倒です。お花も個室ならいいですが、大部屋だと置く場所がありません。動けない時に水をあげるのも人に頼まなければなりません。食べ物も患者本人は食べられず、置く場所も考えてしまいます。ただ、出産のときのお見舞いの食べ物はたくさんもらっても、みんなで配りあったりして、おやつに一緒に食べられて良かったと思いました。お金はテレビカ-ドや本や新聞代、飲み物代で結構使いました。自分が入院してみると、入院中に自分の病気の姿を見せたくないという人が多いのに気づきました。人によっては入院中もいろいろな人に会いたいと思う人もいて、色々だなあと思いました。何回も入院している人は、お見舞いの人が多い場合は個室を希望するようです。大部屋の場合は、大勢来た時には、別の面会室で会うほうがいいと思いました。ただし、面会の部屋も狭く、開放されているので、あまりそこでも大きな声で騒ぐのは良くないと思いました。患者にとっては、友人と楽しく話をして明るく病気を忘れる事もいいと思いますが、他の患者さんの迷惑になることもあると思いました。私が入院中も隣の面会室で大きな声で笑って騒いでいるので、若い出産をされた方かと思ったら、自分と同じくらいの年の人たちでどうやら同じような病気のようでびっくりした事もあります。又、大部屋でもうすぐ手術の人のところに励ましに来たのはいいと思いましたが、自分はこんなに元気になったから大丈夫と大きな声で長い時間、他の患者さんのいる前で騒いでいるのもちょっとと思いました。お見舞いも個室と大部屋ではかなり気遣いが違ってくると思います。お見舞いの人を多く呼ぶかどうか、自分の病気の話を他の人に話したくないかによっても、病室の選び方は変わってくると思います。ただし、病室にこだわっていると空きが無く、入院が遅れる事もあります。私の病院はいつも満室で、化学療法が終わったら退院の時に次回の入院の予約をしていました。3週間前でも病室が空かない事もありました。私は自分で希望する時には、手術の時は二人部屋でした。予約の時には、入院前日にどこの病室に決まったか連絡がありました。私の場合、入院のうち3回は緊急入院でした。緊急入院であいていなかった場合、二人部屋に入っても差額は取られませんでした。医師が二人部屋しか空いていないのですみませんと何度も言うので、急に入ってきた私も悪いので差額ベッド代がかかっても仕方がないと思っていたのです。このことも自分が入院してみて初めてわかった事です。お見舞いに行く時には、面会時間、食べられるもの、病状などをよく調べてから行くものだと思いました。ここのところ暑くなってきたので、怖がり屋のはなちゃんも外を見るようになりました。やっと写真が撮れました。
June 24, 2009
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この場では、自分の病気のこと、通院のことなど色々書いていますが、同じような病気になったことがある人でないとわかってもらえない事が多いものです。がんでも手術すれば今は大丈夫だとか簡単に思われ、同情やうわさの対象にもなりがちです。かえっていろいろと説明が面倒ですので、最初は手術のことは家族と親戚の一部にしか知らせませんでした。幸い仕事はしていなかったので職場の事も考えずにすみました。ただし、近所は救急車で行ったので気づかれてしまい、それに約1ヶ月もいなかったのでわかってしまいました。数人には両親が説明し、学校でも担任にだけは病気のことは簡単には伝えていました。私は抗がん剤の治療中も髪もあまり抜けず、特に目立ってやせたわけでもなく、外見は誰が見ても病気をしたようには見えませんでした。ですからかえって心配されると思い、友人や知人の病院関係の仕事をしている人だけにあとからこういう体験もしたとだけ知らせました。私はもうすぐ手術後3年になりますが、昨年はクラス会の連絡が多くて、迷いましたががんの体験の事、幹事さんに連絡しました。クラス会も行こうと思えば行けなくもないのですが、昨年も今年も行きませんでした。仕事をしている頃や出産の前までは毎回必ず出席していたのですが、最近はそういう場に出ることに抵抗があるようになりました。一方で元気なうちに会っておかないと会えなくなるのではとか後で後悔するかもと言う気持ちもあります。病気のことを同情してもらいたいとか共有して欲しいという思いもどこかにはありますが、あまり心配されるのも嫌ですし、話題が病気のことでは相手も聞きたくないのではとの思いもあります。又、私の体験からのアドバイスも必ずしも良い様には取られていないのでは、とか、本当はあまり私と関わりたくないのかなと感じ取る事が最近は増えたように思います。以前には気づかなかった事も敏感に感じてしまい、自分がしたことに後悔したりもします。がんでも障害があっても人一倍頑張って新しい道を切り開いている人が大勢います。私などまだ恵まれているのにこのままではいけないと思いながら、外へはなかなか行けずにいます。今まであまり気にせず割り切って考えていたのですが、やはり落ち込む事もあるのです。人と関わる事が苦手ですが、1人も本当は寂しいのです。一言で励まされ、一言でがっくりきて、言葉は難しいなと思います。又、面白くない事を書いてしまいました。普段はそんなこと隠しているし、見た目は明るくしていますので、大丈夫です。ゴ-ヤを見ていると、今日も雄花しか咲かず、雌花の数が少ない事に気づきました。植物も実を結ぶのは難しいようです。ゴ-ヤの赤ちゃん、少しづつ育っています。
June 13, 2009
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昨日の日テレの世界仰天ニュ-スの見出しを見て、小児がんの放送を見たいと思っていたのですが、いつも息子にチャンネル権があるので始めはヘキサゴンを見ていたので諦めていました。しかし、ちょうど日テレに回した時に間に合い、見ることが出来たのも縁があったのだと思いました。珍しく息子も興味を持って見ていました。医学は以前は興味がなかったのですが、「チ-ムバチスタの栄光」を書かれた海堂尊さんが好きでよく本を読んでから医学も関心を持ってきたようです。11歳で卵巣がんになることもあることに驚きましたが、現在元気で結婚してお子さんも二人いらっしゃるのにはもっとびっくりしました。10数年前に、将来のことを考えて、子宮卵巣を残そうと考えられた松永正訓先生にも感動しました。本人も小さいのによく頑張ったと思いますが、支える家族も大変でしたでしょうし、告知も迷い辛かったことだと思います。小児がんでも治り幸せをつかむことが出来たのを知ったのは、子供でなくても卵巣がんを経験した私も将来を明るく感じうれしいことでした。松永先生のブログを拝見すると番組で放映することを迷われたようですが、放映して良かったと思います。小児科の先生が少ないところ、こんな素敵な患者を思いやる先生が、いらっしゃることがとてもうれしいです。病気の人、家族、医師を目指す人にも希望を与えるのに貢献したと思います。私も医師の言葉や心遣いにうれしく思ったことがあります。私の今の産婦人科の主治医の先生は、とても人気もあり忙しいのに患者の事を考えてくださいます。自分の都合で予約日を変更してほしい時はハガキでおわびのあいさつがあり、予約もそっくり次週に変更してくれました。急に診察前に尿検査を言われて尿が出なかったとき、検査室の人は早く出すように言っていたのに、先生のほうが謝ってキャンセルしてくれました。そして、パソコン上では予約がいっぱいでも、手書きで予約表を書いてくださいました。咳が出て苦しい時は、本で確認して適切な薬を出してくださいました。何気ない態度ですが、とてもうれしく思いました。母の通う内科のクリニックは12月の終わりの通院の時にカレンダ-を手渡してくれたそうです。そして、年賀状も届きました。インフルエンザの予防注射もその場でやってもらえ、病院のほうから指示してもらえます。地域の医療を大切にする先生が近くにいることをうれしく思います。病院の電話がすぐわかるのもいいですが、内容も季節の健康に関することなのがうれしいです。隣は毎年買っている細木数子の開運カレンダ-です。
January 8, 2009
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私は入院した時に病院の売店で見つけてから、2年以上月間がんサポ-トを読んできました。自分のがん以外の情報もわかりやすく書かれていて、体験者のエッセイや料理もあり盛りだくさんで、何より患者の目線で書いているところがいいと思いました。ただ、個人的にずっと購読していてもどうかと思い、最近はがんのことからも少し離れたいと思っているところです。ただし、今月号はがんの検査についてまとめて書かれてあってまだ読んでいてよかったと思いました。病理検査、血液検査、CT、PETのことまでまとめて書かれているのは珍しいしうれしいと思いました。特に腫瘍マ-カ-に関してはわかりやすかったです。自分の卵巣がんの事だけでなく、他のがんの情報も大事だと思いました。そして、鳥越俊太郎さんと山田邦子さんの闘病記もとても参考になり、元気づけられました。いろいろ批判もあっても、有名人にいろいろがんについて医療の事について意見を言ってもらうほうが、皆に広くわかってもらえる気がします。がんと共存しても元気で頑張っている鳥越俊太郎さんには勇気をもらいました。鳥越さんも実際体験して大変さがわかったことも多かったようです。手術よりも準備の下剤が大変だったり、麻酔後に震えが来たり、口が渇いて我慢できなかったり、自分の体験も思い出してそうだったなと思います。闘病記の意見により、もっと検査が楽になるように考えてもらいたいものです。そして、がん体験者が、職場にうまく復帰できる体制も整えてもらいたいし、周りの人も理解してもらいたいものです。
December 18, 2008
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昨日は思い切って眼科に行ってきました。前回混んでいて待たされたので、躊躇していたのですが、歩いていつも行っている近くの眼科に行きました。運が良くすいていましたので、視力検査も診察もほとんど待たずにすみました。ここ1ヶ月くらいは、急に飛蚊症なのか黒い点がちらちら目の前を通るのが気になるようになったので、そしてあいかわらず目がかゆくごろごろするので一度は診てもらおうと思っていました。飛蚊症のひどい場合は、網膜はく離の前触れの事が5%くらいあるとのことで、眼底検査を勧められました。初めてでしたが心配なのでお願いしました。目薬を3回ほどさして、薬が効いてから、ベッドに寝てあちこち目を動かし眼底を見てもらいました。特に異常はないとのことでした。強い近視があるのと飛蚊症がひどくなって1ヶ月以内が一番危ないとのことで、1ヵ月後にもう一度眼底検査をし、念のため視野検査の予約もしました。検査も目薬も患者の意思に任せるようでしたので、検査も目薬もお願いしました。まぶしくなるといわれていたのですが、眼科は暗いので気になりませんでしたが、一歩出たらあまりのまぶしさにびっくりでした。珍しく良く晴れていたので、この時ばかりはかえって天気が悪い方がよかったと思いました。まぶしさやピントが合わない状態が5時間は続くとのことで、パソコンも疲れるので昨日は使えませんでした。目のけがが一番危ないそうです。これからは目を使うことは極力避けて大事にしようと思います。話は変わりますが、昨日のNHKの夜9時のニュ-スで、「がんのワクチン療法」について紹介していました。がんのワクチン療法はまだ研究段階のようですが、規制を緩和する新制度の指定を受けたそうです。研究施設が59に増えて、5年以内の承認を目指すとのことです。余命7ヶ月のすい臓がんの患者さんが、ワクチン療法と抗がん剤で、1年10ヵ月後の現在増殖が抑えられたと紹介していました。和歌山県立医大の山上裕機教授が臨床研究しているとのことでした。又岩手医大では藤岡和昭教授が膀胱がん手術後の19人に投与し、再発は一人だけだったそうです。がん細胞と同じペプチドでワクチンを作り、それを注射するとワクチンのペプチドががん細胞を攻撃し増殖を抑えるそうです。ガンの種類で異なるそうですが、今は10種類のワクチンで臨床試験を行っているそうです。副作用もないそうで、画期的な治療法のようです。がんの治療法も少しづつ進んで来たようで、希望がもてうれしく思いました。5年以内に承認してもらいたいものです。
November 19, 2008
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私は生まれたときから、アレルギ-体質でした。目も皮膚も鼻もアレルギ-があり小さい頃は喘息持ちでした。近所の耳鼻科の先生から、「喘息ねえちゃん」とあだ名がつけられたこともあります。中、高生の頃は少し良くなっていたのですが、検査技師学校の実習で消毒液を使うようになって、皮膚がひどくなってしまいました。アルコ-ル綿もかぶれるので、今では採血の時には他の消毒液にしてもらっています。卵巣がんの手術後には、抗がん剤、CT造影剤、血小板の輸血、睡眠薬の点滴と次々とアレルギ-を起こしました。始めて行く病院では問診表を書くのが大変です。一番怖かったのは抗がん剤タキソ-ルでした。ほんの数分流しただけで、目から火花が出て呼吸が苦しくなり、目が回りおなかが痛くなり、もう死ぬのではとパニックになりました。すばやい処置で本当に命拾いしました。回診の時、W先生は、「アルコ-ルは少しは飲めるよね。」とか言って、私がアルコ-ルに弱いことをあまり気にしていなかったのですが、看護師さんが気をつけてくれて、他の先生が心配ですぐに駆けつけるようにしていただいたお陰で本当に良かったです。W先生は、あとで急に変わって自分の非を求め悪かったと謝りましたが、事が起こってからでは遅いと思いました。CT造影剤も1回目は大丈夫でしたが、2回目の時、終わった直後には、くしゃみが連発し涙が止まらなくなり、顔が腫れました。急いで放射線科に戻り医師に見てもらい点滴をして良くなりました。会計にいる間に具合が悪くなってよかったと思いました。アレルギ-反応は本人でないとわからないので、ちょっとおかしいと思ったら必ず見てもらったほうがいいと思います。私は数%しか起こらない副作用もあるようで自分でも気をつけています。先生も気遣ってくれる先生もいますが、まさかそんなことはないと簡単に考える先生が多いことは確かです。人によって医師によってはこんなの大したことないといっても、本人にとっては心配なのにと思うことがあります。本当にそれぞれの立場に立って考えるのは難しいと思います。私は抗がん剤の後、r-GTPが高く300を越えていたこともありましたが、少し下がり又上がっています。それでも、もうあと1回だからと簡単に励まされ抗がん剤をやってよかったのかと思うこともあります。今まで便秘でなかったのに、すっかり腸の動きも悪くなりました。薬は気をつけて使わないと本当に怖いと思います。薬を飲んで変だと思ったら、必ず主治医に相談した方がいいと思います。自分の身はある程度自分で守る必要があると思います。庭で自然に生えたサルビアです。生命の強さを感じます。
October 30, 2008
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昨日のドラマ「風のガ-デン」を見ていて、麻酔の事を思い出しました。このドラマは富良野の風景と花のガ-デン、医療の事、家族の事など複雑に織り込まれていて、奥が深いと思いながら見ていました。医療の題材の本やドラマは興味があるので、緒方拳さんの事がなくても、見ようと思っていました。中井貴一さんは麻酔科医の役でした。麻酔科の医師も不足していると聞きました。確かに表に出ることはないけれど、なくてはならない大事な仕事だと思います。麻酔により手術も安全に出来るのだと思います。私は、局所麻酔も全身麻酔も1ヶ月の間に両方経験しました。前に書いたように、最初の手術は緊急で開業医の病院でしたが、局所麻酔で手術をしました。麻酔科医ではなく産婦人科医がやりました。腰から針をさすので痛いという人もいますが、私はそれどころでない痛みでしたので、痛いとは思いませんでした。ただ、痺れて感覚がなくなるのと、自分で意識があって話も聞こえるのが妙な感覚でした。もともと低血圧でしたので最高血圧が60ぐらいに下がっているのを自分でも見ましたし、90以上に戻るのに時間がかかりました。頭を動かしてはいけないというのが、辛かったです。麻酔後もあまり痛みや苦しさはなかったと思います。次の手術は、全身麻酔でした。前の日の麻酔科の医師が二人来て説明をしました。喘息があるかどうか聞かれて、子供の時そうだったといい、心配になりました。手術前日は寝られなくて、睡眠薬の点滴をしてもらいました。ところが、少し入ったところで胸苦しくなり変なので、看護師さんを呼びました。当直の医師も来てくれましたが、特に心臓に異常はないとの事ですが、点滴はやめてもらいました。楽になり、かえって薬で心配で寝られないのでは意味が無いと思いました。当日の前麻酔薬を飲むと、しばらくして眠くなりました。手術室に運ばれて、名前を聞かれてマスクをしたところまで覚えていますが、あとは気がついたのは病室に帰ってからでした。患者さんの中には途中で話し声が聞こえたりした人もいるようでしたが、私はまったくわからないくらいよく寝ました。ずっと寝不足だったためかも知れません。麻酔が醒めたときには、酸素マスクをつけていました。血圧などが上がらず回復室に長くいたようでした。たんがからんで、吐き気もありました。又、震えもきました。痛みよりも呼吸の苦しさと吐き気はきつかったです。手術自体は自分ではわからないのですが、醒めたときのきつさとその前の下剤にはまいりました。寝られなかったのは、何回も夜にトイレに行ったこと、何回行っても水様にならず、お尻の皮が剥けて痛くなりました。そして当日に浣腸もしました。部屋にトイレがないことも困りました。できれば、手術も麻酔ももうやりたくないものです。話は簡単そうでも、実際は結構大変なものでした。
October 10, 2008
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前後しますが、私の入院の話に戻ります。2006年7月3日に病院から、予約していた2人部屋が取れましたとの連絡が入りました。7月4日は、主人も休んで、9時過ぎに病院に着いて、入院の手続きをしました。4階の二人部屋に決まりました。産婦人科だけの女性ばかりの病棟でした。一番端にあって談話室の隣でした。二人部屋ですが、意外と狭くてトイレもありませんでした。そして私がいた廊下側は昼でも日が当たらず暗かったです。これで、差額ベッド代は9450円はちょっと高い気がしました。手術の説明は教授の都合で7時過ぎだと言うことで、あまりにも長いので主人は一度家に帰りました。私は、看護師さんの問診と採血をされたぐらいで、ずっと説明まで一人で待っていました。5時くらいに主人が来て、私も夕食を食べました。説明が始まったのは、7時過ぎでした。教授は、医療事故防止委員会を抜け出してきたとのことでした。教授は、外来、手術、その他いろいろ忙しいのがよくわかりました。外来もいつも5時過ぎまでかかるようですし、難しい手術は全部やっているようです。メモをしようとしたら、紙に書いて説明してくれました。あとで、医師、主人、私がサインをしました。手術の説明は、尿管や腸管を破損することもあるとか、詳しく聞くと怖いこともありました。そして、私は血液が固まりやすいと言うことで、下肢のCTを撮ってからの手術になり、危険な場合は血液に網をかけるとかとの説明も聞きました。私は前回の手術後すぐだったので、血液が固まりやすくなっていたようです。前の病院でも、エコノミ-症候群の予防のため、予防用の靴下も履き、点滴にも血液を固まりにくくする薬を入れてくれていたのですが、血液検査で高かったようです。驚いたのは、当然手術は教授がやるものだと思ったのに、他の先生に決まってその先生が同席していたことです。この医師とは初対面でした。教授が見込んで頼んだそうです。そして手術日は7月6日が、7月7日に延期されました。7月7日は13年前に息子を出産した日でした。この出産日の予定も本当は7月8日でした。何かの縁を感じました。7月7日は私にとって本当に忘れられない大事な日です。
October 8, 2008
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私は、救急で運ばれた近所の開業医の産婦人科の先生から、「どうして、検診をしていなかったのですか?」と何回も言われて責められました。確かに卵巣が大きくなっていたのに気づかなかった、そして検診を受けていなかった私も悪いのですが、やはり、検診は行きづらかったのです。一番最初に産婦人科に行ったのは、20歳ぐらいの学生の時でした。生理でないのに出血があったので、迷った末に自分の通っていた学校の大学病院に行きました。問診表にも書き、若いことと未婚だということで好奇な目で見られました。又、内診の時に大勢の先生や学生さんに見られていたようだったのもとても嫌でした。幸いがんではなく、それからはもう行きたくないと思っていました。その後は、特に問題もなかったので検診には行かず、31歳で結婚する時に旅行のために生理をずらしてもらう薬をもらうために、当時住んでいた近くの母も行っていた産婦人科の病院に行きました。その時も何も異常はありませんでした。当時私は病院に勤めていましたが、自分の病院に行くのは恥ずかしくて行きませんでした。その後、2年くらいで子供が出来ました。それからは、検診に毎月行きましたが、特に異常もなく自然分娩で出産しました。その2年後には主人と同じところで人間ドッグの検診を受けて、子宮がん検診をしましたが異常はありませんでした。その後、10年くらい検診には行っていませんでした。そろそろ40過ぎになったらいったほうがいいかなとも思いましたが、なかなか決断できずずるずると行かずじまいでした。他の国に比べ、日本人の検診率は約20%くらいとかなり低いようです。そう言われてもなかなか行きにくいものです。特に未婚の20代は行きにくいものです。ただ、久しぶりに行って、内診用のイスが自動になって改善されているのにはびっくりしました。子宮頸がんの検診とエコ-は特に痛みも無く、これならやっていれば良かったとちょっと後悔しました。ただ、2度目の手術前の子宮がんの組織をとる検査はあとで痛くなり、もう2度と嫌だと思いました。ちょっと痛いかもしれませんと言われその時はちょっとだったのですが、止血用の脱脂綿を言われたとおり2時間後に取り、家にかえって寝てからが又痛くなりました。痛いのはこりごりで病院に電話すると、家にある痛み止めを飲むようにとのことでした。前回救急で見てくれた近所の産婦人科では「他の病院を紹介したので、紹介先の病院で聞いてください。」と冷たく言われてしまいました。家にあった痛み止めで良くなりましたが、今度は下痢になりました。緊急手術後8日しかたっていなかったのでとても不安でした。痛みと下痢で寝られませんでした。次の日に、MRIがあったので、ついでに婦人科でも見てもらおうと思ったら、一生懸命言ってもその時の医師は、「何で来たかの意味がわからない。どうしてほしいのですか?」と冷たく言われてしまいました。検査の痛みはあって当然かも知れませんが、あまりの冷たさにショックで声も出ませんでした。今はもう子宮はないので検査もしなくて良くなったのですが、今までの経過より、なんとなく検診に行かないのもわかります。単に検診を呼びかけるだけでなく、もっと行きやすい状況を作るのも大事だと思います。入院中には毎年検診を受けていて安心していたのに、とか若いからがんは無いと言われたと言って、こちらの病院に自分で来たときにはかなり子宮体がんがすすんでしまったと開業医を怒っている人に何人も会いました。これでは、検診を受けていても仕方がないような、そして病院や医師による診断の差に気が付かされました。私の場合や卵巣がんは本人も気がつかず、検診でもわからないことも多いようです。そう思うと婦人科の検診もいろいろな問題があるなと思いました。
October 6, 2008
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退院した次の日に紹介された病院に行きました。初めてだし1時間以上かかりそうなのと、早く受付をしないと混んでいるようでしたので、7時前には家を出て、8時過ぎに病院に着きました。あとからは病院行きのバスがあることがわかったのですが、その時は駅からタクシ-に乗りました。初診の受付をして産婦人科の受付をすると、8時半前なのにもうたくさんの人が来ていました。教授の初診だと3時間以上お昼過ぎになるかもとのことでした。問診表を書かされて、はじめに若い先生のところで今までの経過の話をしました。それから、やっと11時半頃に呼ばれました。今から思うとまだ早い方だと思います。教授は体も大きくにこやかで気さくな感じの方でした。そこで初めて、卵巣がんの告知をされました。本人を目の前にしてはっきり言うのには驚きました。又、自分は800例ぐらい手術をしているので大丈夫だとも言いました。卵巣がんは進行してから見つかる場合が多くて、私のように見つかるのは珍しい運がいいとのことでした。ただし、抗がん剤が効きにくい明細胞腺がんだということと、いずれ子宮やもう片方の卵巣に再発することが多いので、更年期にも近いのですべて切除した方がいいとのことでした。この病院で手術しないと、いくら肉眼で転移が見られなくても病期は判らないとのことでした。お子さんはいるんですか?とか何回も聞かれました。子供はもう要らなかったのですが、又すぐに手術と言うことに少しショックでした。早い方がいいとのことで、6月28日に受診したのに、7月5日に入院で、7月7日に手術と言うことで予定を入れてくれました。その後、内診もし、子宮の細胞も検査し、呼吸機能から心電図、尿検査、血液検査とその後全部まわりました。CTはオンコ-ルで待っていたのですが、3時過ぎに食堂で食事中に呼ばれました。MRIだけは次の日しか取れませんでした。あっという間に手術が決まり、検査も終わりました。最初の手術後8日目でとても疲れましたし、卵巣がんについてもまだ調べる時間もありませんでした。あとで家にあった病院ランキング本にもこの先生は出ていたので、お任せしようと思いました。ただ、この時はどうして近くの病院ではなく、他県のこの病院を紹介してくれたのかは不思議だと思いました。今日の読売新聞の病院の実力でも、私の病院はこの県ではトップの成績でした。ただし、こういうマスコミの記事だけで病院を選ぶのも考えた方がいいとは今は思っています。近くの開業医がインタ-ネットで調べて探してくれたのも珍しいケ-スだと私は思います。今となっては、多少遠かったけれどいい病院を紹介していただいて感謝しています。
October 5, 2008
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手術後の経過は良好でした。2日後には歩いてトイレにも行けました。部屋は2人部屋で、トイレも付いていて、テレビも見放題でしたので、1日中テレビを見ていました。毎週見ていたチャングムもサッカ-のワ-ルドカップなどの夜中の時間帯も見ていました。病理検査の結果は5日くらいかかるとのことでしたし、どうせ良性だろうと思い、1週間入院すれば終わりだと思っていました。しかし、毎日の回診の時に医師が「ご主人はいつ都合がいいですか?話せますか?」と何回も聞かれ、「ご主人は何か言っていませんでしたか。」とか、「どうして検診をしていなかったのですか?」とか言うのが気になりました。もうすぐ退院と言う日に、母に電話をして初めてわかりました。手術後2日で悪い結果なので早く連絡が入ったとのことでした。主人にだけ説明があったことがわかりました。主人も医師も私にはなかなか言いにくかったようです。細胞が悪性だったので、「もっと大きい病院を紹介するので、こちらを出たらすぐに行くように。場合によってはもう一度手術になるかもしれない。」とのことでした。転院先は、インタ-ネットで医師が探してくださり、2回そちらの先生に電話を入れておいたそうです。やっと抜糸というかホチキスのような金具を抜いてもらい1週間後には退院し、一度家に帰りました。紹介先の医師が水曜日にいるので、翌日早く行くように言われての退院でした。入院も急でしたので、家族も何がどこにあるかもわからず、病院でいるものを持ってきてもらったり、家のことを頼んだり大変でした。普段それぞれが自分のことを知らないと、そして何がどこにあるのかを知っていないとお互いに大変なことに気づきました。私の場合は、息子が中学生だったこと、私の両親と一緒に住んでいたことで、急なことでも何とか対応できました。1週間入院していると、久しぶりに外の空気を吸うと妙な感じがしました。ほとんど寝ていたので、普通に歩くこともぎこちなく、とても疲れました。気分的にも弱っていました。
October 4, 2008
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2年前にさかのぼりますが、私の救急体験から書こうと思います。2006年の6月20日の午前2時頃、急におなかが痛くなって目が覚めました。何か悪いものを食べて、下痢になったのかなと思いましたが、おなかは痛いのに便意はないし、おならも出ません。いつもの下痢のときの痛みとはちょっと違うと思いました。体の位置を変えたり起きてみても、治りませんでした。それどころかだんだんひどくなってきました。何とか3時過ぎまでは一人で痛みに耐えました。でもとうとう耐えられなくなって、主人を起こしました。恥ずかしいけれど救急車を呼ぶことにしました。おなかが痛いので着替えられず、パジャマのまま、何とか2回の寝室から階段を降りて玄関で待ちました。痛さでその場でしゃがんでいました。5分くらいで救急車が来ました。歩けなかったら無理しなくていいとのことでしたが、何とか歩いて救急車に乗りました。救急隊の人が、近くの大学病院に連絡しましたが受け入れないとのことでした。次に市立病院に連絡をとると患者さんが多くてすぐには見れないとのことでした。私はもしかして婦人科の痛みかも知れませんと言ったら、近くの開業医の産婦人科医院に連絡してくれました。普段かかっていませんでしたが、受け入れてくれるとのことでした。車で5分ほどの病院ですぐに着いて助かりました。救急車が着くと、車椅子を持って待っていましたので、すぐに車椅子で診察室に運ばれました。内診とエコ-で右の卵巣が大きく腫れていて、卵管がねじれて痛い事がわかりました。その後、何回か痛み止めの注射をしましたが、ほとんど効きませんでした。このままどうなるのかと一睡も出来ないまま朝になり、明るくなりました。不思議とトイレにはぜんぜん行きたくなりませんでした。院長先生が来たら、相談して緊急手術になるとのことでした。その病院は開業医ですので、血液検査もCTもその病院ではできませんでした。とても不安でしたが、あまりの痛さにそして又他の病院に移るのもいやなので、手術を承諾しました。手術が午前8時に決まると、もう手術室の台に寝かされ、毛を剃られて、消毒されました。局所麻酔で手術をし、悪い腫れていた右卵巣を摘出しました。取ってしまうとうそのように痛みはなくなりました。右の卵巣は直径11cmあったが、子宮や左の卵巣は肉眼では異常がないと見て、右卵巣だけを摘出したとのことでした。中に水のようなものが溜まっていたそうですが、外側の組織を念のため病理検査に出したとのことでした。たぶん80%は良性だからとのことでほっとしました。ところが、その後が大変でした。次に書きたいと思います。
October 3, 2008
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以前から、日記をつけていましたし、読書記録も書いていました。ただし、誰かに見せたいとか聞いてもらいたいとかはあまり思いませんでした。やはり、きっかけはまさかと思う病気になってからです。急な腹痛からあっという間に手術となり卵巣がんと告知されました。自分は以前、臨床検査技師として病院に勤めたり、検査の研究の助手の仕事もやっていましたが、自分の病気のことは意外と知らなかったり、気づかなかったのです。自分が思いがけずがんになったことで、いろいろ考えることがありました。病気のことはもちろんですが、将来のこともいろいろ考えるようになりましたし、視点も変わってきました。又、がんの情報も自分で調べないとわからなかったり、専門的でわかりにくかったりしました。日本の医療にもいろいろ問題があることが分かってきました。卵巣がんに関しては患者数が少ないせいか、情報も少ないと思いました。闘病記や闘病のブログを読んで、やはり自分の知識や情報は残したいと思うようになりました。闘病記に限ってしまうのも嫌なのです。私の場合は運よく早期発見だったので、あまり病気のことは考えたくないとの思いと、患者側の立場ばかりで考えるのも難しいと思ったからです。私の場合は、医療職の経験があるのと理科系なので、がん経験者としては少し違った見方をしているのではと思うこともありました。次回からは少しづつ、自分の闘病のことを書いていきたいと思います。
October 2, 2008
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