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人間の「自然」への介入



 ヤップ島に住む生物学者、マージー・ファランルーのことを池澤夏樹が書いている(『明るい旅情』新潮文庫)。マージーはこの島のコウモリについて次のようなことを語った。ここのコウモリは果物だけを餌にしている。島の人は時々これを捕まえてはシチューにしていた。なかなか美味らしい。

 これに目をつけた観光業者がパラオやグアムの高級レストランのメニューにコウモリ料理をのせることを思いついた。島の人は夕方になるとあたりをひらひらと飛ぶコウモリをなにしろ5ドルなのでどんどん捕まえた。当然のことならコウモリの数は激減した。

 マージーは事態を憂い、コウモリを捕って売るのはやめたほうがいいのでは、とおずおず提案した。委員会が作られ議論の末、コウモリ捕りは禁止されることになった。

「現金収入の邪魔をしたのだからみんなに嫌われるかもしれないと思っていたマージーに、島の人々は口々に小さな声で「ありがとう」と言ったという」(p.52)

 今でもこっそりコウモリを捕まえて食べる人はいるかもしれないが外の業者に売る人はいない。

 「昔と同じような自家消費ならば絶滅などということにはならないだろう」(ibid.)

「自然」として許容されるのか「自家消費」に限られるのか。それとも、お金を得るためにコウモリを捕獲するという行ないをも「自然」といえるのか。たとえそれが愚行であるとしても愚かな人間の愚かな営みをも自然の営みの一部であると考えていいのか。たとえ、ある種が絶滅しても、さらには人間も絶滅するとしても。


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