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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2024.02.03
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 土方久功は若い頃から世界の民族文化に関心を寄せ、東京美術学校で彫刻を学びました。
 その後1929年に当時日本の委任統治領だったパラオ諸島に渡り、着いて3ケ月後に南洋庁の嘱託に採用されました。
 ”[改訂版]土方久功正伝”(2023年5月 東宣出版刊 清水 久夫著)を読みました。
 28歳で単身南洋パラオへ渡り、30歳でヤップ離島のサトワヌ島へ渡って原住民と生活を共にしながら、彫刻の制作と島の民俗学的な研究を行なった生涯を紹介しています。
 島の子供たちが学ぶ公学校で木彫を教え、島々を巡りながら昔話や工芸作品の収集、民族調査などを進めました。
 その時の教え子は、後にパラオの民芸品「ストーリーボード」を制作し、今日まで受け継がれています。
 久功は南洋に13年間滞在し、島の人々とともに暮らし「日本のゴーギャン」と呼ばれました。
 清水久夫さんは1949年東京生まれ、法政大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得しました。
 日本学術振興会奨励研究員、法政大学非常勤講師を経て、世田谷区総務部美術館建設準備室学芸員となりました。
 世田谷美術館開館後は、学芸部教育普及課長、資料調査課長等を勤めていました。
 埼玉大学・法政大学・跡見学園女子大学非常勤講師を務めました。
 土方久功は1900年現在の東京都生まれ、父親は陸軍砲兵大佐で、伯父は伯爵、母方の祖父は海軍大将・男爵でした。
 旧制・学習院初等科、同中等科を経て、父親の病気退職による経済的理由から、1919年に東京美術学校彫刻科に入学しました。
 三沢寛、林謙三、小室達、岡鹿之助、小泉清、山本丘人らが当時の同学に在籍していました。
 1924年に同学を卒業し、土方与志が築地小劇場を設立し、久功が同劇場の葡萄の房章をデザインしました。
 1929年にパラオに渡り、現地住民の初等教育学校の図工教員として彫刻を教える傍ら、パラオ諸島の各島、ヤップ島を詳細に調査しました。
 1931年にヤップ諸島の最東端・現在のサタワル島に渡り、7年間を同島で過ごしました。
 1939年にパラオに戻り、コロールにおかれた南洋庁に勤務しました。
 現在のチューク諸島、現在のポンペイ島、現在のコスラエ島、現在のジャルート環礁、サイパン島、ロタ島を引き続き調査しました。
 1942年に小説家の中島敦とともに帰国しましたが、同年にボルネオ調査団に参加し日本が統治した北ボルネオを調査しました。
 1944年に病を得て帰国し、岐阜県可児郡土田村、現在の同県可児市土田に疎開しました。
 1977月11日に心不全のため満76歳で死去しました。
 土方久功を一言で言いあらわすのは難しいです。
 彫刻家であり、詩人であるとともに、民族誌家でもありました。
 今日、土方久功の名を知る人は少ないかもしれません。
 その原因の一つは、久功自身の生き方にあったといえるでしょう。
 画壇・文壇と深く関わらず、自由人として生き抜きました。
 制度の外にあり、名聞を求めず、なかば市井に隠れて、忍耐強くみずからの世界を築きつづけました。
 歿後1990年から3年間、『土方久功著作集』全8巻が刊行され、主要な著書、論文、随筆、詩が収められています。
 また、通算10年以上に及ぶ1922年7月から1977年1月までの日記122冊、草稿やノート類などが残されています。
 今日では、土方久功に関する資料の入手は以前に比べ、容易となっていますので、今後の研究の発展が期待されます。
 戦後、土方久功が展覧会を開いたときなど、新聞や雑誌で取り上げられることがありました。
 その際、しばしば久功は、「日本のゴーギャン」と言われました。
 没後も同様で、例えば、2007年の世田谷美術館の中島敦との二人展のタイトルは、「パラオーふたつの人生 鬼才・中島敦と日本のゴーギャン・土方久功」展でした。
 旧著のタイトルは、「土方久功正伝-日本のゴーギャンと呼ばれた男」でしたが、異論があったといいます。
 本人は日本のゴーギャンと呼ばれることをとても嫌がっていたということです。
 しかし、著者は土方久功が目本のゴーギャンであったと言うつもりはありませんでした。
 日本のゴーギャンと呼ばれていたということを言いたかったといいます。
 本人の日記や著作では、本人はゴーギャンが好きで、ゴーギャンの幻想的なものに引きつけられていました。
 真似たいと思う、羨ましくもあるが、どうにもならない、ゴーギャンは、あまりに自分から遠いかから好きなのかもしれないと言っています。
 たしかに、久功の生き方にしろ、作品にしろ、ゴーギャンとの共通点は非常に少ないです。
 ですが、久功が日本のゴーギャンと呼ばれていたのは事実です。
 久功にとっては、不本意で、実に不愉快なことであったに違いありません。
 なお、「日本のゴーギャン」という呼び方は、最近では日本画家の田中一村の方がゴーギャンとしてよく知られています。
 本書の執筆に当っては、土方久功の遺族および知人の方々から資料を提供され、示教を得たとのことです。

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第1章 幼年から青年時代へ/第2章 死の影/第3章 遥かなる南洋へーパラオの生活/第4章 孤島に生きて/第5章 再びパラオへー丸木俊と中島敦/第6章 戦時下の日本へ/第7章 ボルネオから土田村へ/第8章 戦後東京の生活/第9章 パラオ、サタワル島の人々との交流/終章 栄達、名誉を求めぬ一生





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Last updated  2024.02.03 08:10:55
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