ゆのさんのボーイズ・ラブの館

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3・・・予感




  *       *
放課後の職員室を日樹はおとずれていた

こうして学校に登校するのも一ヶ月近くの休学から久しぶりだった
三年生が卒業して、新一年生が入学して来たことをのぞいて、校内を歩いても特に変わった様子も無い
入院中病院の窓から時折見かけていた満開の桜も今では散って緑葉に主役が交代している
体に触れる空気が季節の移り変わりを感じさせるぐらいだった

数日振りに顔を合わせた級友や、顔見知りとの挨拶はここにたどりたどり着くまで尽きなかった
皆が気を使って自分に接することも神経を逆撫でしたりしない
むしろもう何も感じなくなっていたのである

望みなんてない・・・

随分前に捨ててしまったんだと

放課後、部活指導で出払って職員室には居残る職員も少なく二人は誰の目も気にかけることなく対話する

「登校は連休明けからでも良かったんじゃないか?」
「授業に遅れちゃいますから」

気心知れた教師へ少し冗談ぽく答えた
成績学年トップで品行方正の日樹には無用の心配であるから逆におかしくなる

「どうした?傷になってる」
穏やかに微笑みながら教師の手は日樹の目元を指差していた

「え?」
傷?どこかでぶつけでもしただろうか・・・
指が指す通りに目元をたどらせる
すると、ヒリっと感じる部分に手が停まった

そうかあの時・・・

ここにくる途中の可笑しな出来事を思い出した
出会い頭にぶつかり眼鏡がはずれた時にできた傷

体当たりしてきた下級生は
“あなたの走る姿に・・・”
そう言っていた

そんなこと言われるのは初めてだった
退部届けを提出するその日に
あまりにもの皮肉に笑いがもれる

「体の方はもう良いのかな?」
椅子の背もたれに大きく寄り掛かり日樹に問いかけたのは数学教師で、陸上部顧問を務める時田だ

「ええ」
「大変だったな」
心底心配していたのであろう
思えば入学当初、日樹を陸上部へ誘ったのもこの人だった
無論、日樹の運動神経の良さを見抜いてのこと
日樹のタイムレコードが次々更新されたのも時田の適切な指導のおかげだった
そして新任教師の若い彼はいつも親身になってくれていた
彼もかつて陸上走者であったのだ

「はい」
そう答える穏やかな笑顔はこれからまさかの選択をしているとは決して思わせなかった
「そうか、それなら良かった
無理しないで焦らずに少しずつ取り戻して復帰していけば良いからな」
「先生」
日樹は手にしていた封書を顧問の机の上にそっと差し出した。

“退部届”そう書かれていた

「これは!?」
想像もしていなかった行動に時田は驚いた様子だった

復学したら、まず最初にここへ来て先生に自分の決意を伝えるつもりだった
ランナーとして期待通りに復帰できるかどうかわからない
いや、たとえできたとしても、もう以前のように自分が居る場所はない
退部届けを出す本当の理由

関わらなければ何も起こらない
それなら今この瞬間に自分でお終いにしてしまえば良い
自分で選択できる最後の自由
それで楽になれる・・・


左手は無意識に足の傷に触れていた
全治三ヶ月とはいえ軽症の方だ
傷は日が経てば治る
後遺症もなさそうだ

だがこれは忠告
運命ならそれに従う
自分が生きてきた上での贖罪であるなら
喜んで受けよう
現実から目をそむけず

以前と変わらない生活になる
耐えられなければ自分がつぶれる
それだけだ
良い機会じゃないか・・・

「申し訳ありませんが・・・」
そう一言だけ日樹は言ってうつむいた
決心は変わらない
陸上部には戻らない

「諸藤、どうした?何かあったのか?」
「いいえ・・・」
「怪我の経過は悪くないんだろう?」

「・・・ええ・・」
心の中を読まれないように必死に本心を隠す
だが、気丈に振舞う仕草は切ない笑顔を作っていた
続く言葉を失った日樹に時田は続けて言う

「焦らなくていい ゆっくりリハビリをして取り戻せが良いんだぞ」
強く断言した時田の声、随分遠くでそう聞こえたかもしれない
しかし、日樹の耳に彼の声はとどまらない

聞き入れてしまえば自分が辛くなるからだ

「先生・・・今までありがとうございました」

一年間、ひたすら走り続け
充実していた
爽快だった
もうその実感は味わえない

日樹はそう言い時田を後にきびすを返した



     ☆                    ☆


その日の練習は、いつもになく心が弾んでいた

受験校の合格発表のその日に
妖精との衝撃的な出逢い

彼に魅入ってしまった・・・

その日から約二ヶ月ぶり
念願の再会を今しがた果たしたばかりだからである

「日樹君のこと?」
そう答えたのは野球部の女子マネージャーだった

「ひじゅ・・・?」
「諸藤日樹君このとでしょ?」
「・・あ・あぁ~・・珍しい名前っすね」

名前がわかればこっちのもの
同学年の人間に聞くのが一番手っ取り早い
俺に任せておけ!といわんばかりに亮輔が拓真にチラリと目配せし
この上級生のマネージャーから情報を聞き出そうとしていた

・・りょ、亮輔の奴・・・

「うちのクラスのイケメンで勉強もできてスポーツ万能 まさに天は二物を与えた、っていう諸藤君でしょ」
相手も待ってましたとばかりに口火を切る
しかもその表情は陶酔しきって
瞳なども必要以上にキラキラ輝かせている

「確かに美形には違いないけど・・・そんなに凄い人なんすか?」
半信半疑で聞き返す亮輔

「彼、西蘭付属中からこっちの中学に編入したみたいよ」
「えぇっ?西蘭?!」
拓真と顔を見合わせ、さすがに亮輔の声も裏返った

「西蘭ってハイレベルで有名な都内のお坊ちゃん進学校の?」

今日の今日まで相棒拓真の憧れの人などまったく無関心だった亮輔だが、名門西蘭出身と聞いては黙っていられない
数本の指に数えられる全国でも名門校のひとつ
同じ『西』の字がつけどもここ、西星より数段も上なのだ

「学年トップ成績であのマスクでしょ 入学当初から超人気よ~」
「ふ~ん」

憧れの人の秘密がひとつひとつに暴かれていく
当の拓真といえば意中の人のこと
色々聞き出して知りたいところだが、
言葉に出せばたちまち意識してしまい顔に出てしまうだろう
そんなことを百も承知しているからとても言い出すことはできない
逸る気持ちを抑え、亮輔にこの場を任せる

「去年の体育祭なんてカッコ良かったわよ~部活対抗リレーで第一走者でぶっちぎりのトップ!」

たとえ見ていなくても拓真にはその場面が目に浮かぶ

きっとあの時と同じだ・・・
綺麗なフォーム

「住まいは駅向こうのマンション、お兄さんと二人暮し そこそこのお金持ちってところかしら」
「兄貴と?」
「家庭の事情か、編入と何か関係があるらしいよ」

思い焦がれる人のことは小さなことでも全部知っていたい
時に、噂とは尾ひれがつき、事実とはまったく関係のないことまで
ささやかれる
今の拓真にはその判断力などあるはずがない

「そういう謎めいたころが女心をくすぐるのよね~」
次から次へまるで自分の親友のことのように得意気に話し続ける

女っておしゃべりだ・・・

部室から練習用に運んできたボールが入ったカゴをグラウンドに下ろすと

「今年の体育祭はあの姿見れないかもなぁ・・・」
「なんでっすか?」
「怪我しちゃったのよ」
マネージャーは付け加えて拓真たちに言った

「怪我だって!?」
拓真が素早く反応する


「うん、交通事故で足を骨折したの」

残酷な言葉だった

「事故にあったのは確か・・・3月中旬、雪の降る日だったかな」

合格発表の日から数日後
春近いその時期に、確かそんな日があたったかもしれない

「・・・で!怪我の具合はどうなんですか!?」
動揺した拓真が血相を変えて聞く

「しばらくは無理じゃないの?まだ足もかばっるみたいだし」
「足をかばって?・・・」

全然気がつかなかった
気づかなかったどころか、
そんな傷を負ってる体に体当たりして突き飛ばしてしまったのだ

なのに、
思いがけない再会に感激し
初対面だということも忘れ
『貴方の走る姿に魅かれて・・・』
そんな傷口をえぐるようなことを言ってしまった

走れない状況なら、恐らく今は触れて欲しくないことだったはずだ
が、もう後の祭り

選手生命の危機
再起不能
もしかしたら彼の走る姿をもう二度と眺められない・・・
その可能性もありえるのか

拓真の頭の中は最悪の状況で溢れかえっていた

「亮輔・・・俺、あの人になんてことを・・・」
「拓真~、気にすんなよ」
がっくり俯いて立ち竦む相棒の胸元を亮輔が押し叩いてみるが
心弾んでいた拓真は一瞬にしてすっかり落ち込んしまった

そして散々喋った後でマネージャーがぽつりと付け加える

「でもあまり諸藤君の周りをウロウロしないほうが良いわよ」
「へっ?」
「おっかない番犬がいつも目を光らせてるから~」
「番犬?・・・あ、ああぁ そうか」

そこそこの金持ちなら大型犬を飼っていてもおかしくはない
だから気をつけろ、とでもの意味であろうか
亮輔はさして気にも留めなかった

「ほれ、練習 練習!」
意味深な笑顔で言いたいことを言い尽くしたマネージャーは本業に戻っていった


一方的に退部届けを提出し職員室を出た日樹が校庭を見つめる
ついこの間まで自分が走っていたグランドだ
新入生の入部が増え部活動に励む生徒達でにぎやかなグランド
いつの間にか時は流れている

走ることで一年間何もかも忘れてこられた
だが、現実
自分の居ないその場所に幻を見る

これでいい・・・

名残惜しみ、グランドを端から端まで見渡す
陸上部の隣の野球部の練習に目を移した時、廊下でぶつかったあの長身の下級生を見つけた

「あれは・・・さっきの・・・」
無心にただ白球を追っている姿を、日樹は足を止めしばらく見つめていた
その瞳はずっと拓真に注がれている

拓真が気づくはずもなく

見上げた空は真っ青に澄み、あの日よりずっと高くなっている
そして日樹はグランドを後に振り返り、ゆっくり歩き出す





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