森の神様

病院と先生のことです。

---整形外科初診---

1999年7月某日
運ばれたのは、自宅からちょっと離れたところでした。レントゲンを撮るなり、
「これはひどい、入院して手術になると思います。家はどこ?」
と聞かれ自宅の近くの病院へ行く事を薦められました。曲がったヒジをゴキゴキと真っ直ぐにしてもらい(痛くて叫んだ)ギブスをして自宅へ帰りました。
翌日まで我慢です。

知り合いに良い病院を紹介してもらい次の日、入院の仕度をして病院へ行きました。
「かなりの重症です」
と言われレントゲンをあらためてみるとぐちゃぐちゃになった骨。

「ちょっと僕には難しいので 上の先生に頼んでおきます」
とのことでした。

即入院、しかも重病人の部屋でした。


---入院手術---

詳しい検査をして5日後、手術を受けました。
手術の説明では、元には戻らない 開けてみないとどのような処置になるかわからないでした。
親には聞いて欲しくなかったので同席は避けました。
またできるようになって見せる!とどんな苦労も乗り越えようと意志を固めた時、親から
「もうあんな事するな」
と深いショックの言葉。。言葉を失いました。

4時間に渡る手術を終え最悪の結果の処置となって帰ってきたのでした。
5本の長いピンがヒジに埋めこまれ皮膚を貫通していました。
病室に帰ってきて第一声
「おなかすいた。。」

待っていた家族に
「なんか食べたの?ちゃんと食べないとだめだよ。。」


---入院生活---

数日すると大部屋に移されました。規則正しい生活が始まりました。
部屋の人とも色んなお話しをしました。お風呂には入れないのが辛い。

でもほとんどの事は、片手で何とかできました。着替え、ご飯、洗面、歯磨き、洗髪、トイレなどなど。

でも既に睡眠障害が始まっていました。2時間で目が醒めるのでした。


---入院中のリハビリ---

手術から23日目ギブスも縦半分に切ってリハビリを開始しました。
チットも動かない。

3日ほどやって少し動いた感覚がありました。
それからは、亀の歩み。でも頑張ろうと誓いました。
でも治らないものは、治らないと宣告されてしまいました。
でも毎日少しずつでも動く様になってきていました。


---退院---

入院から37日目自分の意思で退院を決めました。不安があるようならもう少し入院をした方が良いといわれたけれど、ウチへ帰りたかったのです。
まだピンも刺さったまま、ギブスも半分していたけれど。


---リハビリ通院---

リハビリ通院は、毎日月曜から金曜まで通いました。診察をたまに受けながら骨のつき具合を見てリハビリの内容を徐々に変えて行きました。

手術から48日目肘に入っていたピンを少し抜く事になりました。
手術から62日目残りのピンを抜きました。これで傷口がふさがればもう感染症の心配はなくなります。
手術から69日目でやっと日中ギブスを外す事になりました。寝る時は、つけて。

最初の頃は 指が折れない、手首をひねれない、手があがらない、握力0kg、もちろん肘は伸びも曲げも厳しいでした。ヒジの怪我なのに色んなところに影響って出ていました。

1999年10月某日 リハビリの先生に睡眠の事の話しになって
「今すぐに神経科に行きなさい。」
と言われてしまいました。
言うとおりに神経科に行く事になりました。

1999年11月某日やっと自分の鼻がつまめるようになりました。でも握力3kg。怪我してない方の手は、39kg。
テニスボールを握って握力を回復するように指示を出してもらいました。
2週間必死になってやりました。驚きの回復力で20kg。先生もビックリしていました。

こうしてリハビリは続いたけれど2000年春もうこれ以上の回復は見込めないと自分で判断。リハビリ通院を止めてしまいました。

ウチで自分でやろうと決めました。

---出会った先生---

まず担ぎ込まれたところの先生~穏やかで優しい。処置もすごくうまかった。笑顔がキューピーちゃんみたい。。

本格的な初診の先生~元気で清々しい。外来で1度診てもらっただけなのに、入院中励ましの言葉を何度となくもらった。自分の技術をわきまえて、上の先生にお願いしてくれた謙虚さがうれしかった。

ずっと診てくれて手術を担当した先生~ユーモアたっぷり。でもたまに厳しい事も言われてしまう。説明も納得がいくまでしてくれました。

リハビリの先生~ニヒルな感じ。クールで判断力が鋭い。不眠に陥った私を病院へと薦めてくれて感謝。笑わない先生だったけど、私のする事言動には、笑っていた。なぜだろう。

レントゲンの先生~気さくな人。私をお嬢ちゃん扱いしてくれる。レントゲンを見る顔は、真剣そのものでした。

---精神神経科初診---

1999年10月某日
私が受診したのは、総合病院の中の精神神経科。病院の奥にひっそりと診察室はありました。
外の廊下にも診察を待つ椅子がありましたが、中にもありました。私は、中へ行って呼ばれるのを待ちました。看護婦さんも笑顔で迎えてくれました。でもちょっとドキドキ。

しばらくして名前を呼ばれました。
ここで先生と出会います。精神神経科の先生は一人。同じ先生にいつきても診てもらえるという安心感がありました。

「どうしましたか?」
と聞かれ

「眠れないんです」
と言うのがやっとでした

そして初診は、家族構成 今の生活 今までの仕事 趣味 症状が出たのはいつ頃か などなどたくさん聞かれました。趣味の乗馬は、先生とも共通するものがあり ちょっと和みました。

お薬を処方してもらい 怖くなかった・・・と家路についたのでした。


---精神神経科通院---

通院は、2週間に1度。
行くたびに
「お!」
と手を上げにこっとしてくれます。

椅子に座ると
「どうですか?」
と顔を覗きこみます。
その時々の症状を言って処方を変えてもらったり、ちょっと一言言葉をもらったりして安心して診察室を出て行けました。

先生は、こちらがにこにこ笑っていても、ボーっとしていても、涙をこらえていても、いつもと同じように接してくれます。
とてもてきぱきと優しく接してくれるのです。

ちょっとして先生のほうから、精神保健福祉法32条の申請をしておくからと言われて、ありがたく思いました。医療費の負担が5%になります。


---検査---

頭の写真をMRIで撮りました。それと採血、これは副作用の判定です。
どちらも異常は見つからなくてほっとしました。


---困った時---

先生に
「メールはしますか?」
と聞かれました。
困った時はメールをしてくれて良いとのことでほっとしました。

また、ある時どうしようもなくなったら、どうすれば良いかと尋ねると電話してくださいと言ってくれました。

とても心強いです。


---先生---

この精神神経科を一人で守っている。スマートな先生。いつも同じに接してくれて
なぜか落ちつく。趣味は、乗馬、テニスだけどアキレス腱を切ってからしていないみたい。馬を愛する先生で良かったです。


---紹介状---

カウンセリングのことを聞くと 今までの治療の見直しも含めて大学病院へ紹介状を書いてくれました

---精神神経科2nd初診---

予診を2つ受けました
1つ目は 今まで飲んでいた薬のこと
2つ目は 生活環境や生い立ちのこと

---先生2nd---

ひげを生やした どこかでも覚えのあるようなゆったりした先生。
安心感を与えてくれました。

大学院生見たいな人がひとり必死でメモを取っていました
もうひとりは 椅子に座って様子を見ていました
全体的なことをお話しました

---先生2nd2人目---

左ひじが悪いみたい 変形しているらしい 苦労が分かる
良くしゃべる先生 目つきは真剣 受診間隔のことを心配してくれた
原因を突き止めようとする先生 お話を良く聞いてくれそう

カルテをよく読んでいてくれてうれしかった
病棟と外来の受け持ちから 病棟専属に配置された2006.4から

---心理の先生---

若々しくって おとなしい 笑顔がとても素敵な女の先生
なんとなく鋭さを感じる


---先生2nd3人目---

おとなしそうな先生 お坊ちゃまみたい 
言ったことは聞いてくれるけれど 提案してくれることはない
1ヶ月に一度の診察にした


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