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マナの需要と供給


個人的に文献を読んだり、マナカード(これはいつか)についても
興味が出てきて、欲しいな、とか思ったりと
自己啓発の1つとして、マナセラピーはいつも頭の隅っこにあるものでした。

マナとは何か特別なものではなく、
宇宙を流れるエネルギーのような存在、人が生きる為に必要な力、と言われています。
人や物に宿っているもの、という意味でいくと、
日常生活の中で、マナはあらゆるところにあります。


マナというのは、どんな物、どんな人の中にも存在しています。

レストランで出てきたお食事が、美味しそう!&美味しい!と思うのは、
ただ見た目のデコレーションだけではなく、その中に「マナ」がいっぱいあるから。

音楽を聴いている時に、その音に共鳴して
涙が出てきたり、幸福感に満たされるのは、その演奏に「マナ」を感じるから。

良いマナを与え続けている人の周りには、その人にマナがたくさんあるので
自然に人が集まってくる、ということですね。


このように、マナとは衣食住すべてにおいて存在しています。
また、人間関係からもマナを補充しあっています。

人から褒められたり、その人にとって気持ち良いと感じるような
言葉を掛けてもらえると、嬉しくなって元気になるのは、
マナを渡され、受け止めたから。
好きな人に気持ちを込めて抱きしめられると、心が暖かくなって
至福の感情が心にこみ上げてくるのも、マナをいっぱい受け取ったから。


マナはエネルギーのような存在で、
その方や物事を動かす為の方向性をサポートする、形のないものです。
そのため、マナというのは
良いものだけではなく、悪いものにもなります。

世の中には、人のマナを奪い取っていくことで
自分がマナを得る人もいます。


多くの大人たちは、過去の経験などから
昔の痛みや失敗を思い出し、それに反応をしてしまいます。
まだ何も起きていないうちから。

それを言い換えると
否定的な未来を予測して、その通りになるのが怖いから
心にブレーキをかけてしまう、という事でしょうか。

これもまた、マナを浪費しています。
そうすると、今度はその消費したマナを
他人から無理矢理にでも奪い取って、補充をします。

また、ネガティブな心に突き動かされる人は、
相手に心無い事を言ってしまいます。そしてマナを奪っていきます。
その人はすっきりするかもしれませんが、
言われた方にとっては、マナを大量に奪われている、という事です。

マナを奪う方法は色々あるそうです。
人を脅したり、驚かせたり、怖がらせたり…
愚痴をずっと言い続けるタイプの人に付き合っていると
めちゃくちゃ疲れるのは、マナを大量に奪われているからです。

マナはつきる事ないエネルギーですが、
量は変動していくので、一気に減ると人によっては疲れてしまい、
自分自身のマナをチャージしていかないといけなくなります。


その需要と供給のバランスが、完全に崩れたのが、
数ヶ月前の私でした。


マナの需要と供給のバランスが崩れたな、と
うっすら感じ始めていた9月。

具体的な事が書けない(セキュリティ保護の為)から
何を言っているのかわかりづらいかもしれません(^_^;)
起きた事の追求より、マナにスポットを当てる為をメインにしているということで
ご了承ください。

周りにも、自分自身にも、
悪しきマナ(と呼んでみる)が増えてきたなと感じ始め、
何日も過ぎていた夏のある日、行動を起こす事を決めました。

事のきっかけを作ったのは、確かに私。
そのまま流されて過ごす、という選択枠もあったのですが、
性格上、良くない事を黙って見過ごせなかったし
私自身にも影響してくる事が大きかったので、動くしかないな、という
結論に至りました。

いきなり動くという機敏さはないので、
まずは下準備に時間をかけ、同時進行でできる事も行い、
出来るだけ万全の態勢で動きたいな、とか思ってました。

それは、自分がじっくりと腰をすえて仕事をする上で
必要な事だったので(つまりこれは私にとって良いマナ)
時間を掛けて考えた上で、行動に移しました。

その後、ある時を境に
思惑とは裏腹に、私の持っているマナがすっかり磨り減ってしまいました。
完全にマナ不足。どんどん奪われていく感じ。
そして、ネガティブな世界へどんどん堕ちて行くような気持ちになりました。

それでも、馬鹿過ぎるくらいポジティブな私としては
ただ黙っている事は出来ませんでしたので、
どうにかマナを奪われても補充するよう頑張りましたが
奪われる勢いには勝てませんでした。

マナが不足している世界(環境)の中では、
マナが少ない人は、マナを持っている人から奪って自分のものにし、
自分を維持させていくわけですね。
もっとイメージしやすい言葉ですと、大きな負の感情の渦の中で
溺れてしまいそうになっているという感じでしょうか。

そして、そこから後は
何をしてもすべて裏目に出て、マナばかり奪われる始末でした。

これはかなりまずい!
このままでは心が枯れて身体を壊してしまう!!

この環境から抜け出す事(つまり退職すること)が、一番の打開策という事は
この頃から感じ始めていました。
いつまでもこのような暗い中にいると、どんどんマナを奪われ、
チャージをいくらしても、追いつかない!

しかし、現実問題としては、すぐに仕事を辞められない。
次の仕事先を探すこともしていないし、手持ちの仕事をこなす事が優先。

しかも辞める2ヶ月前に申告をするというのが、その職場の決まりごとで、
何しろまだ色々と動いている最中だったのもあって、
ここで逃げていくのはさすがに無責任すぎる、とも思いました。

そこで、このマナセラピーの世界を教えてくれたダリアさんに
すがるような思いで、今の気持ちを打ち明け、
なんとかこの悪循環を打破したい!と伝えました。
そして、この枯れた状態の私にマナをください!とお願いしました。

ダリアさんは、すぐに「マナマナ」という、
元気になるヒーリングを遠隔で行ってくださいました。
マナを離れている相手に対して送る事を指す言葉なのですが、
私自身が特に何か儀式をするわけではありません。

この力を会得している方(ヒーラー)から
マナ(この場合はヒーリングエネルギー)を送ってもらい、
物事が好転するよう、良い影響を与えるようにと行う方法なのだそうです。

私の勝手な想像では、ドラゴンボールのかめはめ波のようなものなのかも。

ヒーラー達は、人にマナをいくら与えても枯渇する事がないそうです。
また、遠く離れた人に対しても、エネルギーを飛ばす事が出来るのだそうです。
それは、耐えず溢れ出しているマナのダムと、自分自身をつなぐパイプを作り、
常に供給し続けてもらうから、なんだとか。

よくある「遠くからエールを送るよ」「遠くからパワーを送るよ」
というものに似ているのかも。
深夜に五寸釘を打つ、ってのも、ある種おまじないだけど負のエネルギーを送るわけですから
まさに悪しきマナなのかもしれません。

その時、これらの行為をする人は「えいっ」って何か実際に杖振ってるわけではなく
念じるというか、願うとか、実際にお祈りする人もいるかもしれませんね。
そういう行為は(念のようなもの)相手に通じたりする事もありますから
そのもっと効果的で、且つ確実に届ける事が出来るのが
マナ能力者の出来る事なのかもしれません。

ダリアさんには、私が苦しいと思っている事を話した所(メールですが)
私にとって一番良いと思われる行動の方法を
アドバイスしてくださいました。
これもまた、私が欲しくても得られない事でした。

このあたりは、カウンセリングと言っても良いのかもしれません。
私の中の思いを受け止め、マナと一緒に返してくださり
良い方向へ進めるよう、マナマナして頂いた結果…

マナをたくさん受け止めた、という実感は
(肉体的な面での話)私の中にはありませんでしたが、
その後の強烈な日程で組んだ仕事も、どうにかこうにかこなし、
同時進行ですべての仕事を滞りなく済ませ、
なんとか持ちこたえただけでなく、前向きな気持ちで過ごせるようになりました。

ブログ更新が滞ったのは、びっくりする位時間がなかったからで
この頃の精神状態は、非常に良くなっていました。
疲れてぼやいていた、というのは、マナうんぬん以前の問題で、
ただ単に私が子供だからです(笑)

ダリアさんには大感謝です。
自分の為に、相手が何かしてくれる事のありがたさ、染み入りました。
ごちゃごちゃに混乱していた私の心を解いて、
さらにパワーもくれました。


需要と供給についてはここまで。
今度は私が思うマナセラピーとは何か、について書こうと思います。


2011.12.6

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