こがらしの吹くまち

こがらしの吹くまち

2. 罪


今はカラーが多いのだろうか、あいつの華やかな笑顔が遺影となって飾られている。
僕の瞳に涙はなかった。
一滴、たりとも。

すすり泣き。
号泣。
忍び泣き。
怒号。

否、怒号というにはトーンが低かったが、喜怒哀楽に当てはめるとすれば
『哀』よりも『怒』であるのは一目瞭然だった。

「どうして……どうしてお前が、飛び降りなんか――畜生」

中島、中島だ。
目を真っ赤に腫らして、大粒の涙を流して、
唇を震わせて荒い息とともに言葉を放っている。

どうしてだ。

どうして、彼女は死んだのか。

と。



僕だって、とても悲しかった。

いいや、あいつよりも、僕のほうが悲しいはずなのだ。
世間一般常識としては。
そのほうが、自然で、僕が涙一つ流していないのはとても不自然ともいえた。

自分の彼女が、死んだというのに。
十五階から落ちて、死んだというのに。

僕は涙も流さない。
いいや、流せない。



僕は逃げるようにして式場を後にした。

実際は睨まれたりしてはいないのだが、酷く居心地が悪かった。

いっそのこと、思い切り泣いてしまえればいいのにとさえ思った。


外はもう暗い。
風が冷たく、音を立てて通り過ぎてゆく。

空には月が浮かび、僕はその明かりに照らされていた。
スポットライト――否、追い詰められるような錯覚に陥る。

追う者はいない。
警官も、
パトカーも、
サイレンも、
暴漢さえも、

存在しない。

この闇、少なくとも僕の視界の中では、僕だけが、僕のみが存在している。

ただ、
月は僕を見ていた。



月だけは常に敢然と僕の上に存在して、
僕を見張っていた。

ビルの裏に隠れようと、僕がその陰から姿を現すと、ヤツはまた僕を照らし出す。


逃げた。
冷静になってみれば、バカバカしいと笑えていたかもしれない。

けれども、僕は怖かった。



気づくと、僕は十五階のビルの前に立っていた。


彼女が、美幸が飛び降りたという、あのビルの前に。


ビル風が強い。
僕が羽織っていたコートをきつく体に巻きつけた。

脇のポケットが震えた。
どうやら、メールのようだ。

少しだけ、僕はホッとした。
先ほどから続く、孤独な月からの追求に終止符が打てると。

暗かった周囲に液晶モニターのバックライトがぼんやりと浮かぶ。
送信者は中島だった。

「どこにいる」

単調に、それだけ。


けれども、その緊迫性、あるいは彼自身の切羽詰った状況は読み取れる。
いつもならば、回りくどい文章を好む人間だからだ。

どう答えるべきだろう。
僕は少し、少しばかり迷った。

単刀直入に、正直に現場の前と答えるべきか。

だが、逆上した彼にそれはまずいのではないか。


だからといって、嘘をつくわけにはいかない。


選んだ結果は――その場から動くということだった。
幸い、僕のアパートはここから徒歩でも二十分のところにある。

けれども、神様とやらは意地悪のようだ。

手に持っていた携帯が震えた。
今度は、電話。勿論相手は中島だった。

仕方なかった。僕は素直に答えることにした。


『高橋、お前今どこにいるんだ?』

いや、落ち着け。
僕に落ち度ない。

それどころか、どうして僕がこんなに焦る必要がある?

「帰る途中、だよ」

嘘はついていない。
電話先の声は、酷くしぼんだように思えた。

『そうか……なあ、中島』
「何?」

一段落着いた、僕はそう思って息をついた。
彼は少し落ち着いたようだ。

『どうして、美幸、落ちたりしたんだろう』

落ち着いたのではなかった。
彼の声は、明らかに震えていた。

「――わからない」

そう、わからない。わからないよ。

あいつが、死んだ理由なんて――


……いいや、わからない、わからないんだ。

『――そうか』

『お前なら、知ってるかと、思ったんだが』


いいや、しらない。わからない、わからないよ。

「ごめん」

『いや、俺こそこんなときに、ごめんよ』


電話は切れた。

僕は、明らかに焦っていた。携帯を握る手はじわりと汗を帯びている。



何を焦っている?
何を恐れている?
何から逃げている?



はは



乾いた、そして引きつった笑い声は無人の土地に木霊した。


僕は呪われているのか?
ここで、死んだあいつに――美幸に。


いいや、違う。確かにあいつが弾けたのは、丁度此処だけれど。
関係ないさ、関係ない、違うよ、関係ないよ!



ただ、
僕がこの場所に惹き付けられているのも事実だった。
何か、忘れ物をしてしまっているかのような、そんな感覚。






僕は、ビルへ足を向けた。閉まっているかと思うと、まだあいているテナントがあるようだった。

僕は何かわからないものを探しに、エレベーターへ乗った。
いいや、正確には、何もないということを確かめたくて乗った。



鉄の扉は、無機質な音とともに開かれた。




『生きて!』



鼓膜を通じて得た音ではなかった。

闇のみが広がる屋上にて、
僕は膝を折れて座り込んだ。

聞こえてきた声、
恐らく、僕の記憶の中にある言葉。

まさしく、彼女のものだった。


いやまて、おかしい。
こんなことあるはずがない。


初めて上ったはずの屋上には、どこか見覚えがあった。
柵の低い、落ちるには苦労しなさそうな縁。

彼女が……美幸が、落ちてゆく。


待ってくれ。
どうして、それを僕は上から見ている――



僕は携帯を握り締めていた。
耳に当てて、怪訝そうな男の声を聞く。

『どうしたよ、高橋』

「……僕が」

『なんだよ』



「僕が殺ったんだ」


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