路傍 〜メインは「桜隊原爆忌」

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2012年02月14日
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カテゴリ: 桜隊原爆忌

3 生死分けた宮島疎開=広岩近広

          (毎日新聞 2012年2月14日 大阪朝刊)

 強い近視の目には、おびただしい数の丸太がぷかぷかと川面に浮いているようだった。光っていた。このとき18歳の諸岡千恵子さんは見えたままの様子を声に出した。すると諸岡さんの所属した移動演劇「珊瑚(さんご)座」を率いた乃木年雄が言った。

 「いいな、近眼は。あれはみんな人間だよ」

 諸岡さんは目を凝らして見入った。真夏の太陽が裸の死体を照り返していた。1945(昭和20)年8月9日のことで、諸岡さんの知る1週間前の広島はなかった。

 振り返るに珊瑚座は8月1日に堀川町の寮を出て、宮島の存光寺に疎開する。米軍の空襲を警戒してのことで、同宿の桜隊も同行する予定だったが、珊瑚座が一足先に引っ越した。

 8月2日、珊瑚座は芸備線に乗って巡演に出る。

 8月6日、岡山での公演後、楽屋で広島の異変が話題になった。「汽車でここに来る途中、広島の空に雲のような白煙が立ちのぼっていたが、何かあったのだろうか」。空襲警報のたびに公演が中止になっていたので、座員たちは気にとめず島根を目指した。

 8日になって、広島に新型爆弾が落とされ、被害が甚大だと聞いた。諸岡さんをはじめ珊瑚座の誰もが、桜隊の安否を気遣った。



 途中から汽車は動かなくなり、珊瑚座の座員は歩き始めた。1時間ほど進んだところで、軍用のトラックに乗せてもらった。慰問公演で顔見知りになった少尉がいて、便宜を図ってくれたのだ。こうして諸岡さんらは広島市内に入る。

 「何もない、焼け野原だけが広がって、あちこちから黒煙があがっているのです。川に浮かんだ死体もそうですが、それは恐ろしいまでの惨状でした」

 珊瑚座は宮島の存光寺に戻った。翌10日から乃木たち5人の男性座員が、桜隊の捜索を始める。「広島原爆戦災誌」(広島市編)に乃木は手記を寄せている。

 <堀川町の寮の焼け跡は、あたり一面真っ白な灰で、コナ雪が積もったようになっている。(略)私たちは屋敷跡を歩きまわったが、死臭は勿論(もちろん)、人間が焼けたような形跡もない。白い灰が地上一尺ほど平面に拡(ひろ)がって、瓦のカケラ一つ見つからない><たくさんの負傷者が横たわっている防空壕(ごう)を一つ一つ探して回った。「桜隊の人はいませんか!」大声で呼びながら、壕の奥の方まで行ったが、返事がない。探し疲れて、私たちはその日は帰った>

 一方、存光寺には重傷の原爆被災者が次々と担ぎ込まれた。「やけどがひどく鼻や口がわからない人たちが、水を水を……と言っているのです。やかんに水を入れて運んでも、飲むことができず、顔から水がこぼれるばかりでした」

 諸岡さんは死にゆく人々を前に胸が痛んだ。桜隊の俳優たちの顔がうかび、気がかりでならなかった。(次回は21日に掲載)

毎日新聞連載03PHO





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最終更新日  2012年05月31日 14時47分27秒
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